(短編集)
天城一の密室犯罪学教程
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手に入らなかった本が読めて良かったです。 | ||||
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文庫は本の最終形態ということばがあります。この本が最終形態になるまで15年かかりました。 その間、天城一の商業本は一冊も出ませんでした。なぜなら売れないからです。 その事実は、天城一がどんな作家であるかを間接的に暗示しています。 2005年当時、続々と送り出された日本評論社の単行本に本格ミステリマニア(この言い方にそもそも違和感を覚えますが)は驚喜しました。幻の作家(みなさんもご存じのとおり、当時天城作品はアンソロジーでしか読めなかったのです)の初作品集だったからです。 あれよあれおと言う間に「このミス」で三位となり(続刊は次々に順位を下げていったのが笑えましたが)、彼の代表作はほとんど読めるようになりました。後にも先にもこのミスを読んだのはこのときだけでしたが。 さて、当時の単行本のAmazonレビューを拝見してみると、あまり評価が芳しくないようですが、 今回は違うようです。読む人のレベルが上がったと言うことでしょうか。 わたしはそうは思いません。 天城一の作品はいま流行っている(最先端の)作品群の対極にあるからです。 天城作品の本質は、「理解や共感を求めること」や「驚天動地のトリックを演出する」ことにはありません。 昨今の作品は、過剰なまでの共感と肯定に満ちあふれています。 主人公に感情移入させ、「そうそう、こういうこと、よくあるんだよね」と読み手は満足して本を閉じます。 しかし共感とは、そこまで貴い感情でしょうか。 そして、驚天動地のトリック”だけ”がある作品。推理のための推理は、虚構だけが危うい足場の上で、伽藍のごとく積み上げられていくことの無意味さを暗示しています。 天城一のデビューは敗戦後すぐです。 総力戦の結果としての敗戦を甘受し、焼け野原から立ち直っていく中で、 現代を生きている我々とはまったく違った価値観をこの国の人々は持っていました。 たとえば宗田理などは、大人というのは信用できないと言うことが判った、という旨のことを語っています。 これまで当然のように教えられてきた既存の価値観、あるいは制度が外力によって否定され、そして変節していく信念なき人々への痛烈な批判が、天城作品の底流には色濃く流れています。 天城一の作品群は硬質で判りにくく、アイディアがそのまま置いてあるかのようだ、そう評されることがあります。 ことに若い読者の方はそう思われるかもしれません。しかし、そうではないのです。 「資本主義というのは、ああいう手合いが出世するんですかね」ある作品に、こういった趣旨の台詞があります。 若い人は特にピンとこないでしょう。そもそもこの国に、資本主義でなかった時代はあったのでしょうか。 ——そうです、敗戦前の日本のことを言っているのです。 第二次世界大戦は枢軸国と連合国の、言い換えれば資本主義と全体主義の対立ともいえるべき戦争でした。 一事が万事この調子で、彼の作品は知識さえあれば、この上ない娯楽となります。おおむね70年前の知識ですが。 ある意味当然のことで、彼の作品群に快哉を叫んだのは、敗戦後娯楽に飢えていたインテリたちでした。 戦後すぐは物資がなく、質の悪い紙に印字された読みづらい印刷物を、奪い合うように読んでいた時代でした。 考えてみれば、ある意味天城作品は「古典」になりつつあるのだと思います。 「敗戦を経験した泉鏡花」とは大坪砂男を評したことばですが、同じ立場が、そのまま天城一にも当てはまるものだと思います。世の中には作品の時代背景を理解しなくても判る作品とそうでない作品があって、江戸川乱歩は前者、天城一は後者なのでしょう。 代表作である「高天原の犯罪」にはふたつの意味が込められています。ひとつはチェスタトンへの風刺、そしてもう一つが高天原、あるいはそこに住む”神”とはだれなのか、ということです。天城一が優秀なのは「秘められた意図にまったく気がつかなくてもそれなりに読める」作品をつくったということでしょう。その裏の意図、あるいは暗喩を理解した人たちが70年前にはたくさんいて、この作品は高く評価されたわけです。 天城作品を読むのは難しいことではありません。ほとんどが短篇ですので、読み流せばすぐに読めます。 ただ、真の意味で理解するには骨が折れます。「GHQなどの戦争に関する知識」そして「ニーチェ、ヘーゲルなどの哲学知識(深い理解までは不要ですが)」その他「世界史の知識全般」天城作品を面白く感じるまでには、膨大な知識が必要とされます。特に続刊になるにつれ、この傾向は顕著なものとなります。この本は比較的とっつきやすいというか、トリックにこだわっているのでミステリマニアならなんとか読めるか、というレベルでしょう。 余談ですが、数学の知識があると、彼のエッセイ的な文章もところどころ笑えます。サービス精神が乏しい作家とは、わたしは思いません。 さて、長くなってまいりましたので、老いぼれはこのあたりで筆を擱きたく存じます。個々の細かい作品についてはすぐれたレビュアーさんが語っていらっしゃると思いますので、そちらに譲ることにしましょう。 ——この15年、いろいろなことがありました。 いろいろなものを手放しましたが、天城一の作品群だけは手元に残りました。 心の慰めにはなってくれませんが、忘れがたい存在なのです。この文庫本が、賢明たる読者諸兄の「こころの一冊」となることをねがってやみません。 | ||||
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. 本書の帯には、二人の「本格ミステリ作家」の推薦文が並んでいる。 「『天城一の密室犯罪学教程』は、出版されたことが一つの事件だ」有栖川有栖 「本書は、推理小説史上にそびえ立つ巨大な記念碑だ」大山誠一郎 いずれにしろ「最大級の讃辞」と見えるが、有栖川有栖の推薦文には、少々の含みがある。それは「『天城一の密室犯罪学教程』は素晴らしい作品集だが、しかし、この長らく顧みられなかった作品が、単行本としてまとまったかたちで出版されたこと自体が、一つの事件として注目されるべきだ」という意味である。 つまり、本書は、それほどまでに「普通なら、単行本として公刊される可能性の低かった作品集」だったのだ。 天城一は、ミステリマニアの間では「本格短編の名手」として知られる、マニア好みの本格ミステリ作家だった。なぜなら、彼の、可能なかぎり無駄を削ぎ落としたかのような作品は、極めて「論理パズル」的な「ドライでストイックな硬質感の高い作品」であって、一般の「推理小説読者」が期待するような、取っつきやすい「ドラマ性(ウエットさ)」や「具体性」が希薄だったからである。 これは、天城一という人の性格や人間性と直結した「個性」であり、それを「稀有な長所」であると見て、その「希少性」に価値をおきがちなマニアからは高く評価される一方、単純に「わかりやすい面白さ」を期待する一般的な推理小説ファンには「読者に不親切な、わかりにくい作品(独り善がりな作品)」と感じられたため、好意を持って広く受け入れられるには至らなかった。 その結果、天城一は、いくつかの「研ぎすまされた傑作短編」だけが「推理小説アンソロジー」に何度も収録されたものの、ほとんど一般の読者の目にはとまらない「マニア好みの本格ミステリ作家」という、「マイナー作家」に甘んじていたのである。 本書は、そんな「マイナー作家」が、単なる「本格短編の名手」ではなく、「独自で壮大な構想」を持っていたという事実を伝えて、天城一の面目を一新した作品集だと言えよう。 天城は、単なる「凝った短編作家」だったのではなく「体系性を意図した作家」であり、彼の作品にしばしば見られる、過剰なまでに「小説的な肉を削ぎ落とした、骨格的作品」という特異な性格は、じつは「体系の一部」として構想された、いわば、その「部品」性に由来するものでもあったからなのだ。 それそのものでは、いかにも愛想の無さすぎる作品にしか見えないが、全体の構図の中に適切に配置されれば、その存在が独自の意味をもって立ち上がってくる、そんな作品である場合も少なくなかったのである。 しかし、天城一のこうした「壮大な意図」というものは、必ずしも歓迎されるものではなかった。推理小説の読者の多くは、「意図」や「意味」に重きを措かない傾向があり、彼らが求めたのは多くの場合、「驚き」であり「斬新さ」だったからだ。 例えば、天城一の代表短編である「高天原の犯罪」は、「密室もの」の歴史的な傑作であり、そのトリックは「心理トリック」に分類されるものだろう。そして、その場合にミステリマニアの評価は、その「前例のなさ=独自性」に集中して、天城一という作家の「思想性」や「世界観」を問題にする者は、ごく稀だった。 そのようなものを忖度するまでもなく、「高天原の犯罪」は「本格短編史上に残る傑作」なのだから、作者の「思想的」あるいは「文学的」な側面への忖度は、「メジャー文学」的なもの(に媚びる態度)として、かえって疎外されがちだったのである。 そして、そのために「天城一の全体像」は、長らく等閑視されてきたのだ。 本書の編者である、アンソロジストの日下三蔵は、天城一の作品が、このように、天城本人の構想した、まとまったかたちで公刊されることの意義を説いており、それはまったくそのとおりで、だからこそ、推薦者の有栖川有栖は『出版されたことが一つの事件だ』とまで言っているのだが、しかし、本書が成ったことの意義における功労は、なにも本書の「公刊」を実現した日下三蔵一人に帰するものではないだろう。 日下が「編者改題」でも触れられているとおり、天城一の作品がまとまったかたちで「再評価」されるきっかけを作ったのは、間違いなく、初出誌の墓場から天城一の作品を掘り起こしてきて、『天城一研究』や『別冊シャレード(天城一特集号)』として、天城の作品に光を当てた、同(同人)誌の編者である手塚隆幸と、『別冊シャレード』の刊行人である「甲影会」(神戸大学推理小説研究会のOBサークル)の福井良昌の二人だからである。このマニアックかつ奇特な二人がいたからこそ、天城一の作品は、息を吹き返しただけではなく、その全貌まであきらかにするきっかけまで掴めたのだ。 彼らが「天城本」を出し始めた頃、多くのミステリマニアは、すでに天城一という作家の存在だけは知っており、アンソロジーでいくつかの短編を読んではいても、その存在をさほど重用視はしておらず、天城はマニアの間でもマイナーな存在であったと言えよう。 ところが、奇特な二人が、求められもしないのに、天城一という「独自の世界観を持つ本格ミステリ作家」の作品を、次々と紹介しはじめると、二人に引き摺られるかたちで、少なからぬマニアがマニアらしい興味を強く示しはじめて、マニアの間においての限定的なブームではあれ、天城一の再評価が進んだのである(こうした再評価ブームは時おり発生する。例えば「島崎博ブーム」などもそうだ)。 そして、こうして醸成され形成されていった成果に着目して、それをほとんどそのまま公刊本に移したのが、日下三蔵の功績であった。 本書には「編者改題」には、かろうじて『別冊シャレード』の名が挙がっているだけで、手塚隆幸や福井良昌の名は挙がっていないのだが、これは不当な扱いだと、私は思う。 例えば、本書を、日下三蔵が編集して作った「著者・天城一の、単行本『密室犯罪学教程』」として刊行されていたとしても、読者は、何の不自然さも不具合も感じなかったであろう。言い変えれば、本書のタイトルが『天城一の密室学犯罪教程』といった、著者名をタイトルに含むという「不自然」なかたちになったのは、本書が「日下三蔵 編」の本であるという点を強調したがためのものだ。 いろんな作家の傑作を寄せ集めた作品集(アンゾロジー)では、「誰のどのような基準や趣味で選定がなされたのか」ということ(責任の所在)を示すために「編者(アンソロジスト)」の名を冠することは珍しくない。 しかし、本書の場合は、収録作はすべて天城一のものであり、最初から天城自身が『密室犯罪学教程』として構想したものを、その構想にそって、そのまままとめたものにすぎない。ならば、本書は「著者・天城一の、単行本『密室犯罪学教程』」として刊行される方が、むしろ「作家主義」の出版界的慣行からしても、自然だったと言えよう。 つまり、忌憚なく言えば、本書が「日下三蔵 編」の『天城一の密室学犯罪教程』という、一種独特なタイトルを持つものになったのは、日下の「アンソロジストとしての仕事」であるという側面を強調したがためだと言えるだろう。 私は、だからと言って、日下三蔵を責めたいというのではない。 いくら、手塚や福井の功績において、天城の作品が注目され再評価がなされていたとは言え、それはあくまでもマニアの間での話でしかなく、日下が公刊の企画を進めていなければ、天城の作品が、広く世に問われることもなかっただろうから、私はその意味において、日下の仕事を高く評価したいと思うのだ。 しかし、そのような、従来であれば「縁の下の力持ち」であり「黒衣」の仕事であったものの価値を、あえて世に知らしめるかたちでの本作りをするのであれば、当然、天城一再評価の「先駆者」である手塚隆幸と福井良昌の名前を記して、その功績を讃えるべきではなかったか。 単に『別冊シャレード』という同人誌があったから、天城一の再評価が始まったのではない。それを舞台にして、それまでマニアの間でもほとんど注目されていなかった作家を積極的に紹介した、無私のファンである手塚と福井の熱意と慧眼があったればこそ、天城一は多くのマニアの目の前に復活し、日下の注目も浴びたのではなかっただろうか。 もしかすると日下は、手塚と福井による再評価以前に、天城一について「特別の注目を寄せていた」と言うかもしれないが、当時を知る者の一人として、そのような説明には、まったく説得力を感じない。実際、日下が天城一に続いて公刊を実現した山沢晴雄は、天城よりもさらにマイナーな作家であったのだが、天城に続いて山沢作品を同人誌に掲載するかたちで紹介したのも、手塚と福井の二人だったのである。 彼らは、一介のアマチュアにすぎないから「私たちの先行する仕事に、なぜ触れないのだ」などという野暮な自己主張はしないのであろう。私はそれを奥ゆかしい美意識として賞賛したいと思うからこそ、彼らの知られざる功績を、是非とも紹介しておきたいと考えて、この機会に一文を草した。 例えば、アニメ作品などでテロップされ紹介されるのは、「監督」だけではなく、「作画監督」もであり、「作画監督」だけではなく「原画」「動画」「背景」などのスタッフも、でき得るかぎり網羅的に紹介する。「監督は、スタッフ代表」であって、けっして「監督一人の作品ではない」からである。 一方、出版の世界では、「本」という作品に結晶された作品は、一般には「著者」の名前でそれが刊行され、それにかかわった「編集者」や「印刷者」などの名前が記されることは稀である。 それは、出版業界においては「著者」が「作者」であるし、「それでいい」と考える「縁の下の力持ち」たるスタッフたちの「謙遜」があったからであろう。私は、その謙遜を美しいと思うのだけれど、しかし、彼らが謙遜しているからといって、彼らの存在と功績を蔑ろにするようなことは、決して許されるべきではないし、私はそうした態度を「美しくない」と思う。 だからこそ、私は、天城一の『密室犯罪学教程』の、原編者である手塚隆幸と、原刊行者とも呼ぶべき福井良昌の名前を、歴史的事実として残すべきだと、斯様に考えた次第である。 . | ||||
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. (※ 本稿は、2020年7月刊行の宝島社文庫版のレビューの転載です) . 本書の帯には、二人の「本格ミステリ作家」の推薦文が並んでいる。 「『天城一の密室犯罪学教程』は、出版されたことが一つの事件だ」有栖川有栖 「本書は、推理小説史上にそびえ立つ巨大な記念碑だ」大山誠一郎 いずれにしろ「最大級の讃辞」と見えるが、有栖川有栖の推薦文には、少々の含みがある。それは「『天城一の密室犯罪学教程』は素晴らしい作品集だが、しかし、この長らく顧みられなかった作品が、単行本としてまとまったかたちで出版されたこと自体が、一つの事件として注目されるべきだ」という意味である。 つまり、本書は、それほどまでに「普通なら、単行本として公刊される可能性の低かった作品集」だったのだ。 天城一は、ミステリマニアの間では「本格短編の名手」として知られる、マニア好みの本格ミステリ作家だった。なぜなら、彼の、可能なかぎり無駄を削ぎ落としたかのような作品は、極めて「論理パズル」的な「ドライでストイックな硬質感の高い作品」であって、一般の「推理小説読者」が期待するような、取っつきやすい「ドラマ性(ウエットさ)」や「具体性」が希薄だったからである。 これは、天城一という人の性格や人間性と直結した「個性」であり、それを「稀有な長所」であると見て、その「希少性」に価値をおきがちなマニアからは高く評価される一方、単純に「わかりやすい面白さ」を期待する一般的な推理小説ファンには「読者に不親切な、わかりにくい作品(独り善がりな作品)」と感じられたため、好意を持って広く受け入れられるには至らなかった。 その結果、天城一は、いくつかの「研ぎすまされた傑作短編」だけが「推理小説アンソロジー」に何度も収録されたものの、ほとんど一般の読者の目にはとまらない「マニア好みの本格ミステリ作家」という、「マイナー作家」に甘んじていたのである。 本書は、そんな「マイナー作家」が、単なる「本格短編の名手」ではなく、「独自で壮大な構想」を持っていたという事実を伝えて、天城一の面目を一新した作品集だと言えよう。 天城は、単なる「凝った短編作家」だったのではなく「体系性を意図した作家」であり、彼の作品にしばしば見られる、過剰なまでに「小説的な肉を削ぎ落とした、骨格的作品」という特異な性格は、じつは「体系の一部」として構想された、いわば、その「部品」性に由来するものでもあったからなのだ。 それそのものでは、いかにも愛想の無さすぎる作品にしか見えないが、全体の構図の中に適切に配置されれば、その存在が独自の意味をもって立ち上がってくる、そんな作品である場合も少なくなかったのである。 しかし、天城一のこうした「壮大な意図」というものは、必ずしも歓迎されるものではなかった。推理小説の読者の多くは、「意図」や「意味」に重きを措かない傾向があり、彼らが求めたのは多くの場合、「驚き」であり「斬新さ」だったからだ。 例えば、天城一の代表短編である「高天原の犯罪」は、「密室もの」の歴史的な傑作であり、そのトリックは「心理トリック」に分類されるものだろう。そして、その場合にミステリマニアの評価は、その「前例のなさ=独自性」に集中して、天城一という作家の「思想性」や「世界観」を問題にする者は、ごく稀だった。 そのようなものを忖度するまでもなく、「高天原の犯罪」は「本格短編史上に残る傑作」なのだから、作者の「思想的」あるいは「文学的」な側面への忖度は、「メジャー文学」的なもの(に媚びる態度)として、かえって疎外されがちだったのである。 そして、そのために「天城一の全体像」は、長らく等閑視されてきたのだ。 本書の編者である、アンソロジストの日下三蔵は、天城一の作品が、このように、天城本人の構想した、まとまったかたちで公刊されることの意義を説いており、それはまったくそのとおりで、だからこそ、推薦者の有栖川有栖は『出版されたことが一つの事件だ』とまで言っているのだが、しかし、本書が成ったことの意義における功労は、なにも本書の「公刊」を実現した日下三蔵一人に帰するものではないだろう。 日下が「編者改題」でも触れられているとおり、天城一の作品がまとまったかたちで「再評価」されるきっかけを作ったのは、間違いなく、初出誌の墓場から天城一の作品を掘り起こしてきて、『天城一研究』や『別冊シャレード(天城一特集号)』として、天城の作品に光を当てた、同(同人)誌の編者である手塚隆幸と、『別冊シャレード』の刊行人である「甲影会」(神戸大学推理小説研究会のOBサークル)の福井良昌の二人だからである。このマニアックかつ奇特な二人がいたからこそ、天城一の作品は、息を吹き返しただけではなく、その全貌まであきらかにするきっかけまで掴めたのだ。 彼らが「天城本」を出し始めた頃、多くのミステリマニアは、すでに天城一という作家の存在だけは知っており、アンソロジーでいくつかの短編を読んではいても、その存在をさほど重用視はしておらず、天城はマニアの間でもマイナーな存在であったと言えよう。 ところが、奇特な二人が、求められもしないのに、天城一という「独自の世界観を持つ本格ミステリ作家」の作品を、次々と紹介しはじめると、二人に引き摺られるかたちで、少なからぬマニアがマニアらしい興味を強く示しはじめて、マニアの間においての限定的なブームではあれ、天城一の再評価が進んだのである(こうした再評価ブームは時おり発生する。例えば「島崎博ブーム」などもそうだ)。 そして、こうして醸成され形成されていった成果に着目して、それをほとんどそのまま公刊本に移したのが、日下三蔵の功績であった。 本書には「編者改題」には、かろうじて『別冊シャレード』の名が挙がっているだけで、手塚隆幸や福井良昌の名は挙がっていないのだが、これは不当な扱いだと、私は思う。 例えば、本書を、日下三蔵が編集して作った「著者・天城一の、単行本『密室犯罪学教程』」として刊行されていたとしても、読者は、何の不自然さも不具合も感じなかったであろう。言い変えれば、本書のタイトルが『天城一の密室学犯罪教程』といった、著者名をタイトルに含むという「不自然」なかたちになったのは、本書が「日下三蔵 編」の本であるという点を強調したがためのものだ。 いろんな作家の傑作を寄せ集めた作品集(アンゾロジー)では、「誰のどのような基準や趣味で選定がなされたのか」ということ(責任の所在)を示すために「編者(アンソロジスト)」の名を冠することは珍しくない。 しかし、本書の場合は、収録作はすべて天城一のものであり、最初から天城自身が『密室犯罪学教程』として構想したものを、その構想にそって、そのまままとめたものにすぎない。ならば、本書は「著者・天城一の、単行本『密室犯罪学教程』」として刊行される方が、むしろ「作家主義」の出版界的慣行からしても、自然だったと言えよう。 つまり、忌憚なく言えば、本書が「日下三蔵 編」の『天城一の密室学犯罪教程』という、一種独特なタイトルを持つものになったのは、日下の「アンソロジストとしての仕事」であるという側面を強調したがためだと言えるだろう。 私は、だからと言って、日下三蔵を責めたいというのではない。 いくら、手塚や福井の功績において、天城の作品が注目され再評価がなされていたとは言え、それはあくまでもマニアの間での話でしかなく、日下が公刊の企画を進めていなければ、天城の作品が、広く世に問われることもなかっただろうから、私はその意味において、日下の仕事を高く評価したいと思うのだ。 しかし、そのような、従来であれば「縁の下の力持ち」であり「黒衣」の仕事であったものの価値を、あえて世に知らしめるかたちでの本作りをするのであれば、当然、天城一再評価の「先駆者」である手塚隆幸と福井良昌の名前を記して、その功績を讃えるべきではなかったか。 単に『別冊シャレード』という同人誌があったから、天城一の再評価が始まったのではない。それを舞台にして、それまでマニアの間でもほとんど注目されていなかった作家を積極的に紹介した、無私のファンである手塚と福井の熱意と慧眼があったればこそ、天城一は多くのマニアの目の前に復活し、日下の注目も浴びたのではなかっただろうか。 もしかすると日下は、手塚と福井による再評価以前に、天城一について「特別の注目を寄せていた」と言うかもしれないが、当時を知る者の一人として、そのような説明には、まったく説得力を感じない。実際、日下が天城一に続いて公刊を実現した山沢晴雄は、天城よりもさらにマイナーな作家であったのだが、天城に続いて山沢作品を同人誌に掲載するかたちで紹介したのも、手塚と福井の二人だったのである。 彼らは、一介のアマチュアにすぎないから「私たちの先行する仕事に、なぜ触れないのだ」などという野暮な自己主張はしないのであろう。私はそれを奥ゆかしい美意識として賞賛したいと思うからこそ、彼らの知られざる功績を、是非とも紹介しておきたいと考えて、この機会に一文を草した。 例えば、アニメ作品などでテロップされ紹介されるのは、「監督」だけではなく、「作画監督」もであり、「作画監督」だけではなく「原画」「動画」「背景」などのスタッフも、でき得るかぎり網羅的に紹介する。「監督は、スタッフ代表」であって、けっして「監督一人の作品ではない」からである。 一方、出版の世界では、「本」という作品に結晶された作品は、一般には「著者」の名前でそれが刊行され、それにかかわった「編集者」や「印刷者」などの名前が記されることは稀である。 それは、出版業界においては「著者」が「作者」であるし、「それでいい」と考える「縁の下の力持ち」たるスタッフたちの「謙遜」があったからであろう。私は、その謙遜を美しいと思うのだけれど、しかし、彼らが謙遜しているからといって、彼らの存在と功績を蔑ろにするようなことは、決して許されるべきではないし、私はそうした態度を「美しくない」と思う。 だからこそ、私は、天城一の『密室犯罪学教程』の、原編者である手塚隆幸と、原刊行者とも呼ぶべき福井良昌の名前を、歴史的事実として残すべきだと、斯様に考えた次第である。 . | ||||
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寡作なミステリ作家だった故天城一氏の密室講義と実作(短編)を編纂した作品。元々、密室講義の方が先順にあったが、それではネタバレになってしまうので、冒頭に10の短編を収録した由。 冒頭の短編は、島崎という刑事を主人公とした連作短編集となっており、戦後の社会情勢・イデオロギーが窺えるものの、実践編という事由であろうか、(冴えない)アイデアをポンと出しているだけで小説として練れていなくて味気ない。次いで、敬愛する乱歩への献詞が掲載され、その中で、「密室トリックを崇拝するな」、という乱歩の忠告を紹介している点が面白い。続いて、密室講義である。天城氏は「密室犯罪はメルヘン」と言い切って、10の密室犯罪の書き方を講義する(勿論、上述の10の短編に対応する)。古典ミステリの紹介(天城氏の代表作「高天原の犯罪」も含む)・批判、ミステリに関する天城氏の思惟及び本職の数学者としての数学的・経済的考察がやや高踏的に詳細に語られ興味深いが、その実践が難しい事も伝わって来る。上述の連作短編集の欠陥の一部は古典作品への技術的批判を含んでいるからだと首肯した。その後、上述した「高天原の犯罪」を含む摩耶を探偵役としたやはり10の短編を収録している。こちらは"意外な不可能状況の提出"と、密室講義で批判していたチェスタトン流の逆説を用いた"形而上学的"短編で、歯切れが悪いと言えば悪いが、「高天原の犯罪」(チェスタトン「見えざる人」の天城氏流改善)を初めとして、多くの現代ミステリのベースとなっている気がした。特に、ポーの短編と同名の「盗まれた手紙」は小説と言うよりは犯罪論理学と言うべき数学者らしい変わり種。 寡作なミステリ作家だった天城氏のミステリに関する先進的な思惟を密室講義と実作とで示した編集者の執念が光る力作だと思った。 | ||||
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