(短編集)
風の時/狼の時
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「その時から、頭の中にソナタが鳴り響きましてね。信義さんとユリさんの思い出に捧げるのですが、聞いてもらえる人は一君だけでしょうね」ソナタの一楽章だけだと彼は断って弾きだした。非常に美しい主題がまず低音部に現れる。ゆるやかのテンポの葬送行進曲だとすぐにわかった。素人の私にも、初めはフーガ形式だと理解できた。それが、いつのまにか多声が和音に変わり、会葬者のしめやかな行進になり、またいつのまにかユニゾンになる。誰かが忍びやかに歩み寄って、最後の土を掛けるかのように永いしじまの中に単音が落ちる。(「風の時/狼の時」) 会社の柱の会長と専務が死んだというのに、少しも動じた気配がない。よほど人間ができているのか、ニヒリストなのか?(「沈める濤」) 俺はあの参謀の肩章を引き千切る権利があるならば、俺は俺の参謀肩章を引き千切らなければフェアじゃない。(「感傷的対話」) わたしにとって天城一はハードボイルド作家である。硬質で簡潔、いや簡略なというべき描写は、物や行動だけでなく、心理と条理にも容赦なくおよぶ。その透徹さ、抽象ぶりを堪えたものが、まず第一に書くに値する。それ以外は二の次でよい。その確信(思想)が筆致を強く統制している。 したがって、まず読みやすさは考慮の外となる。つぎに謎めきの修飾が省略される。展開の緩急は抑制される。はては謎解きの大団円をも無視される。ときには謎解きさえも。幾何学の問題を解くには、意想外をつく最適な補助線をひとつはしらせればよい。あたかもそう身についたかのような致し方なき筆致が、数学者の余興としてあったからといいたいのではない。ぎゃくに、数学学者というのが作者のいち属性であったといったほうが合点できる、そんな厳格さがあるのだ。小説の面白み、拡がりに欠くとてなにほどのものか。むろん、職業作家たりえないことも、といっていいかもしれない。 このリジッドな文体の話柄にも、おなじく厳格なものが働いている。書くべきものだけを書くべし、というような倫理がである。話柄のおおくは、さきの戦争の影を色濃く曳いた事件となる。この一貫したこだわりの謎が、第四巻たる本書で読み解けるであろう。ふたつの長編とひとつの短編(そして、ここではふれないが卓抜なクイーン論)が、韜晦なくあかしている。それは責務としての鎮魂である。 さきのあの戦争、大量殺戮は避けられなかったのか。「風の時/狼の時」ではこの無名匿名の悔恨(問い)を通奏低音として、平和のための殺人というかつてない動機がうちたてられる。特攻という自己犠牲が可能なら、臨終の陳述を虚言することも可能であろう。密室トリックはその結果でしかない。カントの道徳法則のような崇高なる動機をまえに、探偵たちはいいよどみ、葬送曲を爪弾くしかない。解かれるべきなのは、そして不可能なのは、その動機のほうなのだ。 すばらしきタイトル「沈まぬ濤」はさきの戦争遂行をささえた男たち、下士官たちのしたたかな処世をしるしている。かれらにとって戦後もまた臨戦下である。その不屈な実直さが戦後の成功の屋台骨となったのだ。時刻表をつかったアリバイトリックよりも、かれらの行動原理(エートス)のひとつの散華が主題となる。金色夜叉にはしる犯人にたいする、男の処断の波濤、すなわち戦争の終わりがともかく荘厳だ。してやられた探偵たちは黙祷するしかない。 「感傷的対話」は、戦争遂行の頭脳をはたした参謀の不細工を指弾する、元高級文官の自己批判をしるした一幕物である。指弾されるべきなのはおのれである。作為も不作為も厳然と歴史の審判をうけざるをえぬ。エリートとはその責を負うべきものである。甘美な罪悪を心の奥底にしまった、誠実なる精神の痛恨が胸迫るよう、その去来を拒絶するよう、それが幾えもの瘡蓋となったような、タフな自嘲が凄まじい。探偵はこの弁解録取をただ聞きとるしかない。 第一巻密室もの、第二巻アリバイもの等傑作はいくつもあるが、この短編が作者の全作品中一番であろう。《短い列車を引くくせに切なく悲鳴を上げて息を切らせ、やたらと煤煙を車窓に吹き込む蒸気機関車に愛想を尽かしたとしか、島崎は後日他人に説明ができない。》という冒頭から結語まで間然することのない傑作だ。こんな凄味のある一編が、商業誌には向かないと仕舞いこまれていたというエピソードがこれまた凄い。なんというリゴリズムであろうか。 | ||||
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