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ブリムストーンの激突
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ブリムストーンの激突の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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「ウエスタン」「西部劇」は、今や死後になりつつある。そんなウエスタンを小説で読むぼくは化石のような存在なのかもしれない。そもそも西部劇とは映画のジャンルであって小説ではあり得ないとさえ認識されているかもしれない。でもアメリカではその昔ペーパーバックで西部劇作家が沢山いたのである。最近では、村上春樹がエルモア・レナードの西部劇『オンブレ』を訳したので、ウエスタン・ノヴェルも少しだけ市民権を示すことができたかな? それにしてもエルモア・レナードが西部劇を書いていたなんて、とぼく自身驚いたのは事実。アメリカには、やはりアメリカ文化が厳然と存在するのだ。 そもそもウエスタンとは、ぼくの父親の世代のものであったように思う。ぼくの世代は、クリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタンか、ガンマン末期のサム・ペキンパ作品だ。ぼくは、少年時代、銃撃が繰り広げれる西部の小さな町や、不毛の荒野を、スクリーンで憧れの眼差しで食い入るように見つめていた。でも父の世代は、戦争で実際の銃弾をかいくぐって来たのだ。ホンモノの暴力の中を。そんな世代格差も、そして銃規制の甘いアメリカとの国家間文化の格差もしっかりと意識させられてしまうのが、こんな時代に読んでみるパーカー製ウエスタンの世界なのである。 パーカーはそもそもハードボイルドの系譜に立つ作家であるから、感情表現を抑えた比較的寡黙な文体によって小説を作る。感情は、動作や会話といった視覚・聴覚で得られるものから類推して読み解くしかない。まさに正しいハードボイルドの在り方。ウエスタンにハードボイルドの文体を適用するのは、西部劇映画に慣れ親しんだ者の眼に適った手法であるかもしれない。 いろいろなことを考えながら久々のパーカー・ウエスタンの世界に浸ってみた。なるほど。これはヴァージル・コール&エヴェレット・ヒッチのコンビ・シリーズの最終作。パーカーの他界ではなく、予定された三部作の完結編でもあったのだ。 寡黙なヒーローであるコールと、学識のあるコンビ、ヒッチの信頼関係が築く人生の旅。愛する娼婦アリーの無軌道な生き様に翻弄されるコールと、その絶大な信奉者であり親友であるヒッチ。スペンサーとスーザンの安定した関係がもたらす日々の会話と対照的に、コールは寡黙で、正しい言葉を常にヒッチに修正されるほど、表現力に乏しい。コールは銃弾で会話をするタイプの凄腕ガンマンである。 ブリムストーンの町は、まるでハメット『血の収穫』みたいに舞台が戦闘の舞台が整っている。一つの勢力が町一番の酒場の経営者。もう一つが怪しげな教会を率いるブラザー。どちらもガンマンを山ほど雇っていて居丈高だ。この町の保安官助手に就任するコール&ヒッチ。保安官は彼らに町の治安を任せて去ってしまう。クロサワ映画みたいな構図が出来上がる。 開拓時代のアメリカの大自然を背景に、未だ整っていない秩序や文化の中で、野生とともに生きることを余儀なくされた暴力の時代の男女たち。未開の文化ならではの人間たちのサバイバルの営みの中で、精神の強さが試される時代に、パーカーは何故ハードボイルドを持ち込みたかったのか? 現代を舞台にしたスペンサー・シリーズとの共通項が実は読んでいるといくらでも見つかる。 逃げてはいけない事柄。戦うべき選択。守らねばならない矜持。こだわるべき生きざま。そんなスペンサーが日頃こだわっているものとの共通項のあまりの多さに、読者は嫌でも納得するだろう。そして最後まで片のつかなかった三部作の最終作。得られるのが、カタルシスであるのかカタストロフであるのかは、読んで頂いてのお楽しみだ。 | ||||
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