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西の魔女が死んだ
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西の魔女が死んだの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全404件 181~200 10/21ページ
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丁度同じ年代の娘がおり、おばあちゃんの家に1ヶ月家出していたので、友人に勧められ読みました。 家出の理由は違いましたが、思春期の女の子の微妙な心理がわかった気がしました。 この年代の娘は 一度家族と離れてありがたみを感じるのも必要かなと。おばあちゃんとのやり取りが素敵でした。 最後は後味の悪い別れ方でしたが、西の魔女のメッセージを受け取り主人公まいは少し大人になったとおもいます。 | ||||
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読みやすく、楽しめました。最後は思わず泣けました。 子供の頃に、読書が好きだった人には楽しめるんじゃないでしょうか。 疲れた大人は時間のある時に、じっくり腰を据えてどうぞ。読むのに時間はかかりませんから。 | ||||
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タイトルと映画化されたというのは知っていましたが、遅らばせながら初めて手に取りました。 ジャンルとしては児童文学に分類されているのを知らずに読み進めましたが、平易で分かりやすい文章、主人公と祖母の独特の台詞のやり取りが心地よく、列車の中で読んでいたにも拘らず、一気に世界に引き込まれてしまいました。 居心地の良い場所を求めたって…という祖母の言葉、古い作品ではありませんが、執筆された当時より、今の時代の方がもっと心に響くような気がします。年を重ね、経験豊かな人物の口から発せられた言葉だからこそ安心感を感じるのかもしれません。 こういった日常に疲れてしまった主人公が再スタートを切るという物語は様々な人物と出会い、影響を受けていくというストーリーが多い中で、少ない登場人物の中で描かれるが故の世界観がこの作品の一つの魅力なのかもしれません。 何が大切なのかを教えてくれる一冊だと思います。 | ||||
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題名に惹かれつつも、しばらく読まずにいた。 書店でも、横目で見つつ、素通りした。 でも、とうとう負けて購入。 読んでよかったと思った。 すっきりと描かれた少女の内面がよく伝わる作品だと思う。 こういった作品は、女性にしか成しえないのではないかな。 しっかりとぶれずに生きる「西の魔女」と揺れ動く「東の魔女」 なかなかよい読後です。 | ||||
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主人公のまいは、閉塞された学校社会に言いようのない違和感を感じている。 まいの休息に選んだ場所はイギリス生まれのおばあちゃんの家だった。 そこは、ゲンジさんなど社会から排除されたものが存在することを許される不思議な場所なのだ。 そこでまいはおばあちゃんに生きるための手ほどきを受ける、 しかし、おばあちゃんとある事件がきっかけで仲たがいをしてしたまま、まいは母の待つ実家に帰ることになる。 数年後、学校へと戻ることを選んだまいにおばあちゃんの訃報が届く。 悲しいようなよく分からない感覚を持つまいは母と共におばあちゃんの家へと向かう。 そこには西の魔女であるおばあちゃんから東の魔女であるまいにガラスに描かれたメッセージがあった。その時、まいは初めて涙を流した。 おばあちゃんからのメッセージである、東の魔女は日が東から登るように、これから成長していくまいの姿を表し、 西の魔女は日が沈むように人生の終焉を迎えるおばあちゃんの姿の表れである。 そして、今、東の魔女であるまいもいずれ西の魔女になるだろう。 まいも西の魔女になったとき、おばあちゃんからの教えを新たな東の魔女に伝えてゆく。 これは、命から命へと永遠に続いていく生命の連続性を描いた作品であると感じた。 | ||||
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娘から借りて読んだ。 この短い話は色々な謎を残したまま終わってしまう。 ゲンジという人はどういう人なのか。 魔法とは何なのか。 そもそも魔女とは何なのか。 それらは意味ありげに物語を横切りながら、決してこれだという解き明かしを出してくれない。謎が謎として残るだけに余韻も深い。読む人に結論が委ねられている。読む人が一人一人自分なりの解き明かしをするしかない。逆に言うと読む人の数だけ答えがあるということなのだろう。 本作は非常に陳腐に言ってしまうと、ある少女が成長するに当たって経てきた「通過儀礼」の話だ。社会から一旦脱落した主人公が、不思議な空間と時間を経て、社会に戻って来る話だ。主人公が不思議な空間と時間の中で学ぶことは「自分で物事を決める」というシンプルなものである。それを「魔女訓練」と呼んでいるわけだが、考えてみると「自分で物事を決める」ということは確かに難題である。これは年齢をいくら重ねても難題で有り続けることは、自分の歴史と現状を考えても良く分かる。 主人公は自分の意志として、社会に戻ることを決めた。その結果としておばあちゃんに会う機会を失った。西の魔女であるおばあちゃんにとっては、その展開は十分予見出来ていたはずだ。であればこそ本作のラストシーンの魔法が理解出来るような気がする。どう僕が「理解したのか」については、謎解きをやらない本書に準じて説明しないことにする。 | ||||
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小学生から、中高年まで、誰が読んでも温かい気持ちになれる良書です。 こう一言で書いてしまうととても平板ではあるが、なかなかそういう本はない。 子供時代にこういう本に出会えるか否かでその子供の長い一生を大きく変えると思う。 目に見えるものや社会の決まりごとなんて、本当に取るに足らないもの そう教えてくれる本です。 | ||||
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タイトルの意味がよく分からないな〜と思いつつも、読み進めていくうちに、自分がかつて持っていた子供のころの純粋な気持ちを思い出して、素直に本の中に飛び込んでいました。難しい言葉で全然語ってないのに、生きる意味や目には見えないけれど確かにある世界、そして大人になること、優しいおばあさんの愛に包まれながらもしっかり現実を生きる勇気を主人公と共に背中を押してくれる素敵な本です。 | ||||
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読んでいて感じたことは、文章が、とても丁寧にはぐらかすことなく物事をとらえているということだ。難解な言葉はおそらくほとんど使われていない。だが、述べられている物語は、繊細であるが、豊かであり、 深いことをきちんと(それはすみずみにいきわたるように)語られている。人と人のかかわりについて、平易にしかし的確に語られている。読んでいて私は、五月の晴れたしずかな陽だまりの中にいるような心持がした。名作・話題作などとはちょっと違って、小品なのだが輝いている。こんな作品に今まで出会ったことがなかった。大した読書経験ではないが良書数あり、この小説は読んだタイミングもあるけれど、これからもずっと自分の中で大切にしていきたいと思った。 | ||||
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「おばあちゃん、大好き」「アイ・ノウ」の合い言葉が好きなのと、おばあちゃんの魂についてのお話を読みたくての購入です。映画でもそうでしたが、おばあちゃんの魂についてのお話は、おばあちゃんの聡明さと優しさに溢れていると思います。内在を期する純粋な部分が引出される思いがします。淋しさや悲しさに気がついて、怖い夜があることを解ろうとして、それ以上の楽しさを見つけてくれて「アイ・ノウ」って言えるくらい心を寄り添わせてくれるおばあちゃんのお話。マイちゃんには宝物になっていると思います。きっとどんなお話でも宝物になっていると思います。でも、おばあちゃんがマイちゃんに残したメッセージですけれど、あれは、おばあちゃん自分のために残したのだと思います。それでおばあちゃんはマイちゃんに「アイ・ノウ」って言いたかったんだと思います。マイちゃんが伝えたいことを知っていたのだと思います。 | ||||
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情景描写が奇麗です。 読んでいてとても癒されました。 | ||||
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出だしで西の魔女が死んだと出て、その後、長い長い回想シーンに入る。 この構成はこの本だからこそできたのだろう。 ほのぼのとしみじみと良い内容だと思った。 小学生が読んでもしっかりと心打たれるのではないでしょうか。 でも、男の子だったらつまらないと言うかもしれない。 | ||||
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人間としてこの世に生まれ、生きていく上で大切なことが 分かりやすく描かれています。 自然に囲まれて、自由な心で毎日を過ごし、 決して先入観や偏見で物事を判断せずに、 周りの人には優しさと愛を持って接する。 そんなことができるのが、どんなに有名になったり お金を儲けたりすることよりも、本当は価値のある人生のような 気がしました。 | ||||
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作品全体に流れるゆったりとした空気が、読者を世界観に引き込んでくれます。 誰でもできることではあるものの、継続する事は難しい。 それが日常なのだと、作品を通じて筆者の想いが伝わってきました。 作品の後に続く後日談が、主人公のささやかな、 しかし大きな成長を丁寧に決してでしゃばり過ぎず描写する所に作者の手腕を感じました。 読み終わった時の爽やかさがとても気持ち良い、そんな作品です。 | ||||
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私が学生だった30年ほど前、 学校では生徒は先生に対しては 絶対従わなくてはならないような空気があった 戦争時代を乗り越えてきた年代の大人たちのため それが普通であった しかしながら時代が進み、体罰反対の名の下 先生の権限が縮小され、 生徒に対して強く出られなくなってきている そのような環境で教育を受けている子供たちからは おのずと先生への尊敬の念は薄れ それが大人全体への接し方にも影響を及ぼしている そんな中、大人側からの提案であろうが このような本書が広く学生に薦められ 読まれてきていると聞きうれしく思う 魔女である祖母から多くを学び成長していく主人公の 女の子の姿と心情を自然豊かな舞台において 柔らかく暖かく伝えている その様子から先人の智恵とはいかなるものか そして先人がさりげなく伝えている様子を 学生たちが学び、これからの成長に生かしていってほしい | ||||
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本書には、「西の魔女が死んだ」と「渡りの一日」の ふたつの物語が収録されている。 「西の魔女が死んだ」では、 「西の魔女」(おばあちゃん)が倒れたと知らされて、 ママの車でおばあちゃんのお家に向かうまでの約6時間、 2年前のおばあちゃんと過ごした1か月の日々を 主人公・まいが思い出している。 おばあちゃんは英国人で、 しかも、ママが「あの人は本物の魔女よ」と言ったことから、 まいとママふたりだけのときは、 おばあちゃんを「西の魔女」と呼ぶようになった。 当時中学1年生だったまいは、 「わたしはもう学校へは行かない。 あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」 と宣言し、学校に行かなかった。 ママは理由を聞かず、 おばあちゃんのところでゆっくりさせるという選択をする。 まいは、おばあちゃんとの生活で、植物の名前を覚えたり、 野イチゴを摘んでジャムにしたり、鶏の卵を取ってきたり、 自然になじんだ生活をしていくようになる。 まいは、おばあちゃんから自分の祖母が 予知能力や透視の力を持っていたと聞かされる。 それをきいたまいは、 もし、そういった能力が出てきたら ちょっと怖いような気がするけれど、 もう学校のことでこんなつらい思いをしなくても すむんじゃないだろうかと思い、 自分もがんばったら、 その超能力が持てるようになるかしらとおばあちゃんに訊く。 まいには生まれつきそういう力があるわけではないので 相当の努力が必要といわれるが、 魔女になるための基礎トレーニングをすることになるのだ。 それは、精神力を付けること。 正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、 身体と心がそれをしっかり受け止めるようになること。 こうやってあらためてあらすじを書き出しながら、 そうかと気づいた。 これは、すでに起こるとわかっていた来るべきことに耐えうる心を まいがもつための訓練でもあったのだ。 おばあちゃんは、 「一つ、いつ起きると分かっていることがあります」 と言っていた。 そう、彼女は知っていたのだ。 だからこそ、魔女のレッスンがあったのではないか。 人は死んだらどうなるのかという問いに対する、魂についての説明。 魂は身体を持つことによってしか物事を体験できない。 体験によってしか魂は成長できない。 成長を求めて生まれてくるのが魂の本質だ。 こういった、スピリチュアル系の本に書かれていそうなことが どんどん出てくるが、 これを押し通そうというものでもない。 おばあちゃんは、このように考えているし、 まいの両親はまた違う物事のとらえ方をする人である。 まい自身は、どちらもバランス良く 無理せず受け入れているようなところがある。 そういった異なる考えをどれも包み込むように 共存させているような穏やかな力が この作品世界全体を支えている。 直観の扱いやネガティブな感情に対する処し方など、 1か月で様々な経験をして、学ぶことになる。 パパの単身赴任先で、ママと一緒に住むことを選択する、 つまりは、新しい学校に転校することを選択したまいは、 おばあちゃんのところを去ることになるのだが、 おばあちゃんとあることでぶつかってしまい、 少しわだかまりを残してわかれることになってしまった。 そしてその後、2年間、「魔女が―倒れた。もうだめみたい」 と言われ、会いに行くまで、 両親も彼女も一度もおばあちゃんのところを訪ねていなかったのだ。 あんなに好きだったあの場所を思い出さなかった2年間。 最後だと分からずに別れた相手に対して、 やり残したこと、言い残したことがあったとき、 なんともやりきれない気持ちになる。 本書ではほとんど語られることのない、 おばあちゃんとママ、つまりは、母と娘は、 おばあちゃんとまい、よりも もっと葛藤や思いがあったのかもしれない。 ママの悲しみ方に、描かれなかった物語の存在を感じた。 旅立った魂は、残された者に、 その人だけに分かる方法でメッセージを残すことがある。 それは、残された者が旅立った者を思う気持ちと受け取る心が そのギフトに気付かせ、受け取らせるのだろうと思う。 本書にもそのようなメッセージが少なくとも3度現れる。 そのギフトは、残された者の後悔の気持ちや葛藤を和らげるのだ。 残るのは、愛されていたこと、愛していたこと。 「渡りの一日」は、新しい中学校での友人ショウコとまいの一日の物語。 予定通りに事が運ばないことを望まない、 というよりも、なぜか思った通りに事を運んでしまう、まいのことを 不思議に思ったショウコが、あえて予定を覆すような行動に出るのだが・・・。 ユーモラスにして、結局、人は望む場所に向かってしまうんだなぁというお話。 まいは、おばあちゃんに、 「魔女は自分で決めるんですよ。分かっていますね」 と言われていた。 まいは、本当に求めていたものに最終的に出会えたという経験を通して、 その出会えたものが発するメッセージを、一つの方向を目指す強力なエネルギーを 「だって、この道きり、ほかにないんだもの……」という思いで受け止める。 本書を私に薦めてくれたのは、私の妹だった。 私自身が大きな喪失経験をしてから少し後のことだったと思う。 「私はどうしてこうなんだ…」的なことは、 彼女に言ってしまうことがあった。 どこか魔女なところがある彼女は、 「結局は自分で選んでいるんだよ」と言い切る。 その通り。わかっているんだけどね…。 「結構流行っている本だよ。 お姉ちゃんは読まないかもしれないけど…」 という無理には薦めないというスタンスでの紹介だったので、 そのときは手にしなかった。 今落ち着いてから本書を読んで良かったと思うし、 おかげで、妹が本書を薦めてくれた意味を 心から味わうことができたと思っている。 | ||||
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主人公の中学生の少女・まいは、中学校の人間関係に疲れ、 学校にどうしても行く気がしなくなってしまった。そこで、 田舎に住むまいの祖母でイギリス人の「西の魔女」の元で生活することに。 その祖母の家系が代々不思議な力を持ちそれを伝承してきたために「魔女」という。 懐が広く、物事を見透かし、自然と調和しながら暮らすこの祖母と過ごして いくうちに、まいの心も癒されていく…。 規則正しい生活をして、自分のことは自分で決めるという「魔女の掟」 に従って暮らし、日常を抱えながら物事も深く考えるようになっていく…。 本書は、この回想が中心に描かれ、この描写の前後に現在の場面が描かれている。 この田舎の景色や神秘的な「西の魔女」に合致した非常に綺麗な描写が読んでいて 気持ちいい。そして、最後5ページのクライマックスはただただすごい。 それまでの描写が有契的につながり、短いクライマックスに結びつける、これぞプロ という文章を楽しんでください。 | ||||
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魔女修行で一番大事なレッスンは直観を大事にすることである。しかし妄想的な直観に取りつかれてはいけない。本当の直観を体得すべきである。 本書は登校拒否の少女まいの魔女修行の話である。魔女(らしい?)のおばあちゃんの死後、修行中のまいに不思議な出来事が起こる。実はその時、死ぬことは“何もなくなる”というパパの言葉に恐怖を感じていた。でも“死は魂が体から離れて自由になる”というおばあちゃんの言葉にも半信半疑だった。そんな、まいに死んだおばあちゃんからの魂の脱出成功メッセージが届く。これはしこりを残して別れをしたおばあちゃんとまいとの最後の約束であった。まいはあふれる涙と共に「おばあちゃん大好き」と叫んだ瞬間、「I know」というおばあちゃんの魂の声を聞いた。つまり、まいはおばあちゃんのあふれるばかりの愛を受けて、本当の直観を体感したのである。 結局、本当の直観、これでまいは上等の魔女の仲間入りとなった……あとは本書を読んで、おばあちゃんから直に教えを受けてください。 | ||||
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久しぶりに気持ちの良い小説を読んだ。 号泣ものが闊歩する昨今、知恵が詰った童話のような小説に考えさせられた。 「西の魔女」ことおばあちゃんが語る言葉が重く、説教臭さもない。子供に対して規格から外れるなと言ってしまうが、規格外でも子供を人として受け入れるおばあちゃんの存在に羨望のまなざしを注いでいる。 俗な表現をすれば、「がばいばあちゃん」のイギリス版と言ったら怒られるかもしれないが、親と子供の緩衝材になる人の存在は大きい。 娘が学校の読書感想文の宿題に読んでいたが、読後は無言だった。何か感じるものがあったのだろう。 | ||||
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併録の「渡りの一日」タイトルをみて、おばあちゃんの送りの話かと思いきや、 社会復帰したまいと、ちょっと変わった友人ショウコの友情物語です。 本編の「西の魔女が死んだ」はやや前半部分が重たく、流れの遅さにやや辟易としましたが、 「渡りの一日」は同じ作者、同じ主人公とは思えない畳み込むような展開、いろんな仕掛けや 伏線が見事に生かされ、鮮やかな結末を迎えます。 随所にラノベっぽい瑞々しさに溢れていますよ。もちろん良い意味で。 | ||||
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