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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全180件 141~160 8/9ページ
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太宰治の「トカトントン」を読んだ直後に「1Q84」を読んだら、 1章を読み終える寸前に、トカトントンが聞こえてきた。なぜ、この気取った 文体を読み続けねばならないのだろう。 | ||||
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「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」 冒頭に出てくるこの言葉、村上春樹の持ち味でもあり魅力でもある、会話の中のさりげないアフォリズムと思いきや、実はこの小説のテーマにもなっている。 前半(BOOK1)はワクワクしながら読み進み、さすがは世界の村上春樹、100万部も売れている小説だけのことはあると満足したが、後半(BOOK2)はハッキリ言ってガッカリした。 小説の核心部分は読者のご想像にお任せしますというわけ?それとも私の読解力と想像力が足らないのか? 特に終盤は、これでいいのかと疑問さえも感じた。村上春樹の作品を読むには広い心が必要なようです。 | ||||
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村上さんの本ですから当然いつもの村上ワールドです。今回はどちらかといいますと、私が個人的に村上作品のベスト1だと思う「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に近い感覚だと思います。いつもの村上作品の特徴とも言えるあちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的な脇を固めるキャラクターたちや、スーパーナチュラルな何かを持った鍵になる人物が出てきたり、主人公に好意的な複数の魅力的な女性の登場、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さなど、まさにいつもの村上春樹ワールドです。 青豆(あおまめ、と読む珍しい苗字の女)と天吾(てんご、と読む男)の物語が平行して進む物語です。正義について考えさせられる青豆さんと不思議な物語に関わった天吾くんの話しが奇妙に絡まっていきます。 で、何かそれ以外で変わった感覚は無かったか?と申されますと、これがあまり無かった、と思えます。正直いつもよりサービス満点でストーリィテリングという意味においては起伏がたくさんあり、謎も多く、しかも魅力的ですし、引き込まれます。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で言えばハードボイルド編の主人公「私」のような物語がふたつ平行して進んで行く感覚を持ってもらえれば間違いないと思います。1巻はサービス満点なアレの話しや場面が多いことを除けば話しの展開はとても気に入りました。が、物語の収束点、関わりとけじめ、そして書き手が主人公にいることで、どうしても作家村上春樹という存在無しには想像しえない人物に写ってしまうところで少し残念に思いました。ただ私個人にはちょっと鼻に付く感じでした。つまりあまりに作者の分身あるいは境遇を匂わせすぎると、非常に興ざめしやすく、生臭いことになりはしないか?ということです。特に村上作品の特徴は何処の誰でも、「この主人公は私だ!」と思わせる無名性からスタートした作家であると思うので、あまりに書き手であることの背負うものを組み込んでくると、それが作者の代弁に聞こえやすい、ということです。その辺をいかに物語るチカラや、臨場感、さらには展開や描写で、その世界に入り込むことで黙らせることができるか?なのですが、私個人の好みとしては今ひとつだったかな?と。 2つの流れの物語が絡み合って、そして収束するレベルにおいて、私は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」により完成度の高さを感じます。あるいは「アンナ・カレーニナ」のような、2つの物語の収束後に、新たな境地を見出す何かがあれば、それも面白かったのではないか?とも思います。「ねじまき鳥クロニクル」がそうであったように突然第3部が出るかもしれませんしね。 できればジョージ・オーウェルの「1984年」は読まれた後の方がより楽しめると思います。 村上作品の初期のものが好きな方にも、そして村上ワールドに浸りたい方にも、オススメ致します。 | ||||
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情景描写や、各登場人物の人物象や感情が非常によく伝わってくる作品。また、大きな渦のように、関連性のない事象が徐々につながっていくストーリー展開は読む者を引きつける。 ファンタシー的な独特の世界観があるので、もっとハードな、現実的、日常的なストーリーを好む人には向きません。 僕はストーリー展開が面白いと思いながら読んで、天吾や青豆さんにとても感情移入でき、グイグイ引き込まれていきました。 ただ、最後の終わり方は理解できません。あまりにも唐突すぎるし、ハッピーエンドでもなく、悲しいエンディングでもなく、示唆のあるエンディングでもない、現実的な問題も、ファンタシー的な問題も、何も解決しないまま終わってしまう。。。感情移入していただけにこれは頂けない。少なくとも、終わってしまった物語がこれから進んでいく方向でも示唆されていたらいいのに。でもそれさえもなく、突然、話の途中で切れる電話のように終わってしまいました。残念です。 | ||||
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今まで読んだ村上春樹の小説の中でもっとも登場する人物の設定において奥行きが感じられた。 どこの世界に実在するのか分からないような無味無臭の登場人物ではなく(それはそれで悪くはないが)、今回の小説の中の各登場人物は、現在社会のもたらす歪み、痛み、混乱といったものとリアルに結びついている。「ねずみ」も、「計算士」も、比喩がやたらとうまい一人称の主人公も登場しない。わりと輪郭のはっきりした人物たちが個性豊かに小説の中を動き回る。この点はとても楽しめた。 一方で肝心の物語については、1巻の途中あたりから筋書きがある程度読めてしまい、その後ダラダラとした展開がつづき、まさかこの流れのままで終わるわけないよな、という終わり方で本当に結末で迎えるストーリー。しかも、興味深い脇役たちのほとんどが、その行く末を描写されることなく、途中で放棄されるかのように物語から脱落してゆく。「あとは読者の皆さんの心の中で描写してみてください」といった雰囲気の投げかけも文中感じられない。思わせぶりに読者を突き放すのはいいが、もう少し読み手に対する礼儀としての「配慮」があってもよかったのではと個人的には思う。 | ||||
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日刊ゲンダイにのってる大沢在昌の女性主人公ハードボイルドの内向化みたいな内容だった | ||||
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タイトルの通り、初めて村上春樹作品を読んだ者です。 長年の読者の方々からおしかりを受けるのを承知で感想を。 偶数章では天吾が描かれています。 30代になってもモラトリアムっぽい予備校講師(兼ゴーストライター)なのに対し、奇数章で描かれる同じ年の青豆の行動力や弱者への共感性の強さがコインの裏表のように描かれているのには興味を覚えました。 村上読者にはもうお馴染みだろうと思われる各登場人物の性的描写や妄想ですが、私には「オシャレ」と言うよりも、ちょっとやり過ぎな感じを受けた一人です。 多分、各登場人物(特に婦人警官は変態プレイが好き)の幼少期のトラウマが反動形成でそうさせているとも考えられるので、多少は同情的な目で見てしまいました。 どん引きこそはしませんでしたが、少し心を病んでいる感じに受け止められましたが・・・。 | ||||
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他のウェブサイトなどで書いている人もいるが、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」や「国境の南、太陽の西」に、モーツァルト「魔笛」+コンラッド「闇の奥」(コッポラ「地獄の黙示録」)+フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」、そして作中に言及のある「不思議の国のアリス」や「白雪姫」などのファンタジーの要素、わずかばかりの詩心を加えた作品といった趣である。結末などはそのままあの「ギャツビー」の美しい最後の文章の焼き直しだと言ってもいい。 ファンタジーにしては説明が過多であり、比喩やユーモアにも往年の冴えは見られないが、「海辺のカフカ」や「アフターダーク」に比べれば、全盛期の村上春樹の面影をわずかではあれ垣間見ることの出来る作品だと言える。しかし上記の作品を始め、村上春樹のこれまでの作品の断片をあちこちで見直しているような既視感を覚えることは否めず、その意味で良く言えば彼の作品の「集大成」であり、悪く言えばこれまでの作品の同工異曲の焼き直しだと言える。 作品としての出来は決して悪くないが、少くともこれを作者が意図しただろう、「カラマーゾフの兄弟」のような「総合小説」と呼ぶのは躊躇われるし(作品にそこまでの広がりや奥行きが欠如している)、村上春樹の最高傑作と言うのも難しいだろう。 続編を期待する声もあるようだが、謎が謎のまま放置されている部分があるにせよ、これはこれで作品として完結していると言えるし、「ギャツビー」へのオマージュとも言える最後の文章からも、続編が書かれることを求めていないように思える。 | ||||
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1巻は瞬く間に書店から姿を消したが2巻は発売から数週間経っても第一刷が残っており、先に読んでしまおうか悩まされた。2巻とも読み終えて、話の展開からやはり1巻から読んで良かったと思った。しかし、1巻を読み終えた時に自分が期待していた物語の結末とはだいぶ異なり、ファンタジーの中のファンタジーで終わってしまっていた事が残念だった。 | ||||
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どちらとでも捉えることができる。 これすなわち村上春樹的物語だから。 おもしろいけど、文庫で十分かな。 ・酷評 結局言いたいことは、 自分の運命から逃げず、前を向いて歩いていけ、 ということだけ。 たったそれだけのことを言うために、 1055ページも使い、3780円もかけて、 音楽や文学のうんちくを聞かされ、 クールな現代人の生活スタイル話を延々読まされ、 人を煙に巻くような、 暗喩だかなんだか知らないけど、 わかったようでちっともわからない、 不思議な世界を延々語られ、 結局は今の世の中でありもしない、 純愛のために生きると、 遠回りしても自分自身に素直になれば、 最終的には結ばれるみたいな、 「そんなこと言わなくてもわかるよ!」 みたいな1点を聞かされるだけの、 ディレッタンティズム的うんちく物語。 ・絶賛評 現代社会に生きる彷徨える人たち、 とくにちょっとした心の病や、 何かしらのコンプレックスを持った人や、 消極的で行動に移せない人たちにとって、 行動しよう!運命に向かい合って生きていこう! 自分の運命から逃げてはいけない! みたいな、前向きなメッセージを、 巧妙で不可思議な物語世界を用いて教えてくれる、 現代人が今、最も必要とされる書。 | ||||
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私はムラカミ作品をこよなく愛するハルキストです。でも昨夜読み終えた1Q84はあまりしっくりきません。リトルピープルの存在や描写が受け入れられないし、老婦人の温室ではレイモンド・チャンドラーの作品が、「さきがけ」にはもちろんオウムの存在が・・・などあちこち気になって集中できませんでした。もちろん物語としては面白く引き込まれて読みました。でもムラカミさんの作品の中で、上位にはランキングしません。ここ数年に出された長編の中では好きですが、「ねじまき鳥」は超えていませんし、初期のシンプルな作品の方が好みです。羊男は大好きですが、リトルピープルはどうも・・・ダメでした。 善悪が表裏一体であることなどメッセージは理解できますが、読後感がすっきりしません。 | ||||
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問題を抱えている女の子 そして、死別 太字で強調される表現 これまでの作品のデジャブは否めない 2人の人物の目線から交替で話が語られる手法も新しいものではないし 登場人物の描写がくどすぎるし、多用される比喩も凡庸。 でも、最後のほうでは続きが気になって読み進めたくなってきたのも これだけ短期間で大量に売る力があるのも全てが 「村上春樹」の才能であって 才能というのは努力ではなく、やはり天性のものだなぁということなど 再確認させられたのは自分も年をとった証拠なのでしょう。 高校生の時に読んだら、純粋に楽しめたと思います。 | ||||
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村上春樹は、皆に同じ絵を想起させる表現力を持っている。まるで映画。電車の中で読むのに、ちょうど良い章切り。思わせぶりな見出し。 村上春樹は読売新聞のインタビューで主人公の名前は居酒屋で思いついたと言う。それで「小説はできたな」と。そんなに、書くことは簡単なのだろうか。 さらにこういう。時間に耐え、「育つ」文学と。その言葉は、すばらしいと思う。だけど、それは数年ぶりに小説を発表したばかりの作家が言うことだろうか。1Q84が時間に耐え、「育つ文学」だなんて、誰にも分からない。ベストセラーになっても名作になれない。小説だけど、文学でない。面白いけれど、良くない。複雑そうに見えて、単純。文学は、村上春樹が思っているほど浅くないし、甘くない。 | ||||
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読み終えての感想は、物語後のイメージが感じられないことで、まるでテレビが切れる時のようにぷっつりと終わってしまいました。主人公の男性以外の登場人物がほかの物語の主役になれそうな魅力があるのに、パッタッといなくなり、エピローグがまだあるのかと思いページをめくりましたがありませんでした。 この後の物語が今後出てくることを期待します。そのときに読み返せるように本はとっておくことにします。出来ればスターウォーズのようにこの本がエピソード4・5であればもっと良いのですが。 ただ、今までレビューなど書いた事の無い人間に書かせるだけの何かはあると思います。 | ||||
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17歳の時に学校の図書館で借りた「ノルウェイの森」が、「村上春樹」との出会いでした。以来20余年、彼の小説の虜になっている私ですが、今回の1q84は、期待はずれでした。 理由は 1 私の好きな(彼の得意な)「比喩」がいつもより精彩に欠ける。 2 ストーリー展開が以前のものと同じで面白味に欠ける。 3 よって、登場人物の切実な心情に共感できなかった。 です。 登場人物や展開は、「羊をめぐる冒険」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」などと重なってしまうし、文章のあちこちがどうしても彼の手持ちのものをつぎはぎしたように思えてしまうのです。(●「リトルピープル」=「やみくろ」・「羊」●「ふかえり」=「耳の聞こえない女の子」など) 新作が楽しみでたまらず、ようやく手にした「1q84」。でも、おもしろかったのは「BOOK1」のはじめだけで、後は「またか…」という感じでした。このような共通点は意図されたものでしょうが、どうしても「もうこれ以上のものはない村上春樹さん」という読後感を今は持ってしまいます。 また、読み返すと次回は今回気づけなかったものに気づけるかも、と思いつつ、彼の「スプートニクの恋人」や「国境の東太陽の西(だっけ?)」は読み返していない私です。←この2作品もわたしのなかの「おもしろくないリスト」です。 彼の小説が好きで好きでたまらなかった10代・20代は幸せでした。今回「1q84」がおもしろくなくなったのは私自身の生活が「引きのばされた袋小路」にいるからかも。「恋」をしていたら、また、「初恋の人」「初めての人」に再会でもしていたら、グッと引き込まれた作品かもしれません。 | ||||
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早速流行に遅れないように(?)全2巻を読んだ。 誰にも負けないように急いで頑張り読んだ。 しかし、「流行」という言葉が虚しいのと同義であるように 読了後も虚しかった・・ 正直僕は村上春樹に熱心な読者では無いし、この新作で初めて 彼の作品を読んだ・・ あの「エルサレム賞受賞」のスピーチを読んで 興味が湧いたからでもある。しかし・・ 内容は、オウム真理教がバックにあり、 男女の純粋な「愛」と教祖暗殺のスリリングさである。 簡単に書けば。 ("ふかえり”は、とても魅惑的だった) 「二つの月」の重要な意味や 作者が「本当」に読者に伝えたいメッセージは、 少なくともこの作品を読んだだけでは、 伝わって来なかった(「なんだ・・」というような読後感)・・ 新聞の彼の特集記事(インタヴュー)を読んでもピンと来なかった・・ 彼は「ノーベル賞」を本当に取る作家なのだろうか? その「好奇心」だけが、この作品を存在させているように 思えてならない。 ただ唯一の救いは、ストーリー自体ある種の「緊張感」は確かに存在した。 それだけが、最後までこの二重構造の長編を読ませてくれた。 (実はこの物語には、「続き=BOOK3」があるような終わり方を匂わせるが・・・) でももう僕は、今後彼の作品にいらぬ期待はしないだろう。 | ||||
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読みはじめると、「やっぱり村上春樹の作品だな」と思います。 しかし読み終わると、「もしカバーに別人の名前が書いてあったら、 信じてしまうかもしれない」と思いました。 面白いには面白く、読み進んでいくのですが、「普通の」作品なのです。 この2冊が序章に過ぎないのなら先を期待したいところですが、 これで終わりならばドストエフスキーにはあまりに遠く、 星を減らしたいところです。 | ||||
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村上春樹さんの本は「ノルウェイの森」しか読んでませんが、世界で活躍されてる作家さんなので読んでみました。1は様々な謎が出てきて、2でどう解き明かされるのが楽しみでした。文章も引き込まれました。車の名前など知らない言葉ばかり出てきすぎな気もしましたが。残念なのは、ほとんどの謎が投げっぱなしで、読者に解釈を任せすぎな気が。それから、人物描写で何度も同じ文が出てきて「もうわかったから」とうんざりしてくる。性的描写も口説い面白く読んだけど、最後に来てがっかりさせられる本だった。 | ||||
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中身に就いては、いろんなレビュアー、批評家が、ここアマゾンで、各紙誌で様々に論じている。 私見を少しだけ述べれば、冒頭のヤナーチェクの『シンフォニエッタ』の扱いが、物語の進行とマッチして見事と言わざるを得ないが、この小説で取り上げられただけで、ヤナーチェクのマイナーな楽曲(クラシックファンなら誰もが知る有名作品だが)のCDが7,000枚も「増刷」されるなどという事態には、気持ち悪いものを感じる。チェーホフの『サハリン島』も同様らしいな。お〜気持ち悪い。 ある具眼の士によると、『1Q84』はとうとう「ハリーポッター化」してしまったらしい。今回バカみたいに売れているのは、テレビが騒いだからであって、初めてムラカミ作品を買った人が3分の1以上は存在する。その人たちは、『1Q84』以外の本には見向きもしない。さらには、上下巻で4,000円近くの出費になるから、当分本に金をかけることはないだろう。何せ、「ハルキの話題の本を買うという(そして多分読むという)」イベントなのだから。以上が「ハリーポッター化」の意味だ(この事態は再帰的近現代社会の「マクドナルド化」する主体にも比すべきものかもしれない???)。 この影響は、図書館に出る。この作品をひとつの図書館で数百冊も買わなければならない羽目になる。その代替として、多くの本が図書館に購入されない。「民主的な」公共図書館は、多くの利用者の要望に応えなければならないからだ。 週刊誌、月刊誌はまたぞろ『1Q84』を具材に記事をでっち上げる。世の真面目なオトーサンは、そんなに売れてるのかと会社の帰りに手に取るかもしれない。これでマタ売れる。 結構なことだ!! 出版不況はどこ吹く風! しかし、こうした一連の動き自体が、出版崩壊の構造そのものという気もする。 昔、昔、流行歌は誰もが知る歌だった。『シクラメンのかほり』も『北の宿から』も『喝采』も『泳げタイヤキクン』も。いつしか、世代によって、あるいはメディアによって流行歌は分断される。300万枚メガヒットと言われても、人によっては「聴いたこともない」という歌が登場した。この傾向は評者の乏しい知見では、中森明菜くらいからか?? 『1Q84』という現代の流行歌は、崩壊せる<国民精神統合の歌(小説)>となったか?? | ||||
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今週は各メディアで1Q84が1,2合わせて100万部売れたことが話題になっていました。まもなく200万部売れて、日本人の1%が同じ時期に同じ本を読んで、その内容について話題にできるという現象が現れたら日本も少しは変わるのではないでしょうか。実際、発売されて2週間でこれだけのレビューを集めているわけです。こんなことは今のところ村上春樹にしかできない芸当です。 さて、読後感ですが、他のレビュアーの指摘の通り、従来のテーマが繰り返されてはいます。しかし今回は何といっても、著者が初めて親子関係を主題のひとつとして描いていることが新しいです。この点についてコメントするならば、私は今のところ天吾にも青豆にも魅力を感じることができません。親子関係の被害者としてしか生きることができないのは、30才としてはあまりに未成熟です。エルサレムスピーチで父親について語った著者が初めて描いた親子関係が、このような一面的なものであるとしたら、ちょっと拍子抜けです。ブック3以降の展開に期待したいと思います。 ということで、星3つでした。 | ||||
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