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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全180件 81~100 5/9ページ
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思いがけず論理の通用しない異世界に紛れ込み、試練をくぐり、大事な人と巡り会って大事なものを手にして元の世界に戻ってくる、というプロットは表題のジブリアニメと同じじゃないかと思った。 エンターテイメント性も高く、技法や表現も例によって素晴らしいので星一つとか二つは厳しすぎるだろ、とも思うのだけれども、レビューを通して読んで、厳しい意見を書いているもののほうに共感してしまう。 オーウェルの近未来小説『1984年』に対する「近過去小説」という説明が「違うだろ」というのは BOOK1 BOOK2 で分かっていたが、青豆と天吾のあのラストはいくらなんでもどうなのだろう、と思わずにはいられない。 | ||||
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恐らく、この小説は村上春樹の作品の中で、最もエンターテイメントに徹した作品であろう。 彼の小説は、フォークナーやカフカ、ロブ=グリエといった20世紀の先達の小説技法を大胆に取り入れながらも、それをエンターテイメント性の高い身近な文学に昇華してきたことの功績が大きいと思うが、彼の過去作品と比べて以下の点でより万人受けする内容になっている。 1)過去作品は、謎を意図的にオープンなままにしておくことで、作品に隠喩性と深遠な雰囲気をもたせてきた。 「1Q84」は自己完結しており、だれが読んでも分かりやすい謎解き作品になっている。 2)村上作品はどれも映画的であるが、過去の作品は比較的ペダンティックな映画(たとえば、「海辺のカフカ」は「マグノリア」、「時計じかけ」など)から得たであろうイメージをちりばめながら、登場人物たちの心理的な動きに比重を置き、そこに作品の重みを持たせてきた。 「1Q84」では、多くの人がイメージしやすい映画的シーン(「ニキータ」や「地獄の黙示録」のイメージなど)をちりばめ、心理描写よりはストーリー展開で引っ張る内容になっている。 3)過去作品は、「僕」や登場人物の視点、映画館の観客の視点(「アフターダーク」)といった具合に視点を一貫させ、その視点以上のことは語らなかった。 本作品では、こうした視点を超えた作者の解説が書き込まれており、「分かり易さ」を意識している。 4)過去作品は、常に何らかの喪失感を持たせたエンディング(例えば、「ノルウェイの森」や「クロニクル」の逃げていく女性、「ハードボイルド」の諦念)がお決まりであったが、この作品は主人公の希望が成就され、前向きな未来を予感させる受け入れ易いエンディングになっている。 5)村上作品では、ある音楽を通奏低音のように繰り返し登場させることで作品の持つ雰囲気を高めるのに大きな役割を持たせる場合が多い。「1Q84」でも、ヤナーチェクのシンフォニエッタが繰り返し登場するが、ここでの使われ方は謎解きを面白くさせるための1アイテムの位置づけに近い。 といったように非常に謎解きのストーリーテリングに徹しており、他の村上作品の持つ洒脱な重みみたいなものを期待した場合は、軽さの方ばかりが目に付いてしまう。面白いが、「売れる」ことを非常に意識した作品というのが感想である。 | ||||
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未完の作品なので総合評価は保留中です。 あくまでBOOK3についてだけ言えば、いささか冗長であるかとは思いました。 どうも状況説明的な文章に氏独特の比喩がプラスされただけという気がします。と りわけ前半の展開は余りにスロー。「やたら長い小説を書く」ことが目的化された 故とは考えたくありませんが、ここは削っても良いでしょうと思える部分は多いと 感じました。 もともと全4巻と計画されていた筈ですから、次巻では散りばめられた謎について、 取り上げられたテーマについて、青豆と天吾以外の多くの人々についてしっかりと 語られることを期待しています。何しろ私は27年前から村上作品のファンなのです。 「世界の終わりと・・・」レベルの重厚さと完成度の作品をあとひとつは書いても らいたいです(できればふたつ)。 因みに、BOOK4まででることは、BOOK1と2の刊行時点で察しはつきまし た。帯をつけた表紙は「Q1」「Q2」と読め、即ち「Quarter1」「Quarter2」 の意味だろうと・・・。 それと、「Q」という文字そのものの形状や、BOOK1のはじめに何度かでてく る「ねじれ」という言葉が気になっています。 | ||||
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僕は、年を取ることに対して感傷的でやたら主人公が泣く初期春樹作品よりも、オウム事件と神戸大震災以降、世界の闇や暴力に本格的に対峙することを始めた中期以降の春樹作品の方を評価する読者です。そんな僕としては、背景として導入されている宗教や闇社会、天皇制の隠喩(=「さきがけ」は丸山眞男的な中心のない体制である)、心の通わない親子、私刑(/死刑)などの重いモチーフがどう料理されていくのかということが、このお話を読む上での興味の中心でした。 御伽噺風に展開されている本書の場合、基本的に月が二つあるパラレルワールド(「1Q84」の世界)の中でこれらのモチーフが動く訳ですが、月が一つの通常世界で何かが変わる訳ではありません。勿論、そんな簡単に解決しないことこそが闇の闇たる所以な訳ですが、結局闇が料理も何もされずにずっと背景として基底音を鳴らしているだけなので、本巻ラストで描かれている主人公二人の間の運命の恋愛/ロマンスと希望が、どこか取ってつけたような、背景とはあまり関係の無い浮ついたものになっちゃってると思うんですね。「原理主義やある種の神話性に対抗する物語」を作ることが作家の役割であり、「大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う」と作家自身は読売新聞でのインタビューで2009年に語ったそうですが、少なくとも3巻の時点では「対抗」は匂わされているだけです。(星が渋めな理由もそこにあります。)もし続刊が執筆されるのであれば、そここそを期待したいと思います。 | ||||
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本作は3ヶ月ごとの区割で書かれており、最初から4巻で作られたものだ。単行本も2冊までなら、売れるが4部作となると村上春樹と言えどそうはいかない。そこでまず前半の2作を発表し、何の情報も与えないまま、ポンと3巻をだす。飛ぶように売れ50万部をこえるベストセラーになる。3巻までの読者は結末を知りたいと第4部を心待ちにし、4巻も売れる。非常に戦略的な作品展開だとおもう。そうでなければこのような純文学的な本がコミックのようにに売れないだろう.第3部は青豆と天吾の再会と1Q84からの脱出を淡々と描いている。1、2巻ほどおおきなインパクトもストーリー展開もない、最終章へと続くつなぎの章だ。最終章では青豆の予知夢のようにリトルピープルが新しい世界に現れ、かれらはさきがけに拉致されるのだろう。新たに生まれるドウタや青豆、天吾の行く末が気になるところだ。ただ、青豆や天吾のようなストイックな人間がえらばれ牛河のような醜く下世話な人間は殺されるというのは、村上春樹のエリート選民思想が見え隠れてして鼻につく。表現や暗喩は文学的だが、人名が微妙に芸能人ぽかったり(ふかえり、安達クミなど)内容がラノベ的なのもウケる要因かもしれない. | ||||
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冗長。退屈。大人向け童話。1,2は面白く読んだのに。 青豆が死んでなかったって? 牛河とNHKのお父さん、これじゃ、かわいそうだよ。 殺人鬼、青豆はかわいそうじゃないけど。 天吾の父親への冷たさには、ぞっとする。 もう謎解きする気力ないです。 ちゃんとした感想は最終巻が出てからにします。 ノーベル賞、遠のいたかな。 カズオ・イシグロの作品の完成度には遠く及ばない。 BOOK4を書かなくちゃいけない村上さん、 ちょっとかわいそうに思う。 あちこち謎ばっかりだし、テーマ大きいし。 がんばってください。 | ||||
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10年以上村上作品を読んできて、今回の1Q84は読んでいて初めから何か違和感を感じていました。村上作品では、ハードボイルド・ワンダーランドやねじまき鳥クロニクルが好きですが、その二つが井戸のかなり深い部分まで降りていくのに対し、1Q84はその半分も降りてない感じ。今までの長編は著者の荒い息遣いが耳元で聞こえそうなくらい搾り出された感があったのに。残念です。本当にこれは村上春樹本人が書いたの?BOOK3を読んでの感想は、村上春樹も更年期に入ったのかなという感じ。とにかく異質。 | ||||
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371ページの後ろから8行目、「きっとふかえりはすいぶん前から」とあるけど、これは「きっとふかえりはずいぶん前から」の間違いですね。初刷りの多い本では校正者も複数人で何度も読み返すんだろうけど、こんなこともあるよね。 小説は読んだあとに「面白かった」とか「つまんなかった」とか、単純な感想が述べられるといいんだけど、村上春樹氏の長編小説を読むと、そういった感想を抱くことを留保させられることが多い。歪んだ世界が歪んだまま示されるからかな。読了後にすっきりした気分になれたのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』くらいだった(『ノルウェイの森』はじつに面白くて、『ダンス・ダンス・ダンス』の最後は救いがあったけど)。 このBook3は1、2と比べてなかなかページが進まなかった。物語の展開が少ないというのがその理由だけど。やはり面白いとは言えない。で、作者の言いたいことが私にはわからない。今のところ。 印象的な文章としては、タマルの語った次の言葉。 「希望のあるところには必ず試練がある。ただし希望は数が少なく、おおかた抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ」 抽象的な希望と具象的な試練の物語、そういうとらえ方で読むといいのかもしれない。 | ||||
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BOOK 1 2 ともに、 ねじまき鳥以来の面白さだと思ったのですが。 BOOK3は少しもどかしかったです。 村上さんの小説で、読んでて退屈してしまった作品は初めてかも・・。 会話のパートが少なかった為かリズム感が足りなく感じました。 読後は、I Love youを 月がキレイですね、と訳した夏目漱石の話を思い出しちゃいました。 次の作品も楽しみにしています。 | ||||
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単純には、Book1、2よりも面白かったです。 ミステリ好きとしては、牛河の推理が都合よすぎたり、 (まぁ、「孤独」な俊才というイメージなのかもしれません) Book1の初期の青豆と性格が違うのではと思ったりもしましたが。 (これも、体の「変化」によるものかもしれませんが)。 ご都合主義的な展開も、メタ的に考えれば、 「1Q84」という、青豆の「物語」に天吾が含まれ、 「空気さなぎ」の続編という天吾の「物語」に青豆が含まれている とすると、これでよいのかな、とも思えます。 (だから、それぞれの敵である、エネーチケーや牛河は排除される。) ただし、階段を上ることにより、お互いの物語から抜け出したあと、 つまり、現実世界との戦いの中のBook4が必要かなと個人的には思います。 主題は、うーん、別れですかね。 | ||||
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「風の歌を聴け」から村上春樹の小説は大体読んでいますが、ここ数年(といっても10年くらいですが)の作品は、あまり自分にはしっくりきませんでした。 自分か、彼のどちらかが変わってしまったのかもしれません。 きわめて個人的な感想で、参考にはならないと思いますが。 | ||||
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book1,2と、book3は、筆致がまったく異なっている。 ドストエフスキー的全体小説に、より近づこうとした形跡が見られる。 しかしながら、それが「成功している」、あるいは「完成度が高い」、とはとても言い難い。 一人称から三人称に移行した『アフターダーク』のときのように、随所にぎこちなさが残っている。 とはいえ、今後さらに努力を重ね、著者自身が目指す境地に進んでいくのだろう。 少し、詰めすぎの感が否めない。 もう少しこなれてくれば、ゆとりのある(必要なムダを残した)文章でありながら、 確実な全体小説になっていくだろう。 妥協せずに進歩を続ける村上春樹、すごいな。 | ||||
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ほんとにこれで終わりなのか? 楽しみにしていたBook3だったのに、すごく中途半端なイメージ。 魅力的な人物の描写が途中で終わってる、 魅力的な事件もデティールの描写に入るどころか途中で終わってる、 そんな気がしてならない。 こんな中途半端な印象のまま終わるのであれば、 読者の想像力にまかせた、Book2のエンディングの方が好きだな。 構想が充分に練られていないだけなのかもしれないが・・・。 もしかしたら、この中途半端に終わった印象を与える 色々な事件のエピソードや人物の描写を、 短編や中篇若しくは長編として表現し、 サグラダ・ファミリアのような世界をつくりあげようとしているのかもしれない。 そして、多分、続きのBook4ではなく、それを、僕自身が一番期待している。 | ||||
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「世界はナチズムと原爆と現代音楽を通過しつつも、なんとか生き延びてき た。そのあいだに小説作法だってずいぶん変化した。気にすることはない」 ということで、村上春樹の小説作法もずいぶん変化したことを感じる。決し て詰まらなくはないが(詰まらなければ、600頁もの小説を2日で読んだり はできない)、古くからのファンとしては十分には満足できない。 『神の子どもたちはみな踊る』や『東京奇譚集』などの短篇集に対しては、 読後、決してそういう不満足感は持たなかったのだが、このストーリーでは ちょっとなあ、という気分がある。 長篇小説というと、その小説世界にすっぽり入り込んで、ストーリーの流れ に身を任せて、意外な展開によるドキドキ・ワクワクを楽しむというのが、 何よりの楽しみである。 本作の場合、book1, book2 には、ずいぶんワクワクさせられる部分があっ た。しかし、book3 は著者自身による解説本のようになってしまっていて、 ドキドキ感は少ない。詰まらなくはないけれど、意外な転調にハッとさせら れるという部分がないことが不満である。 と、書いていて気づいた。本作品は、この話題作からムラカミ作品を読み始 める非日本語読者を意識した解説編なのではないだろうか。作品を発表順に 読んでいる古くからのファンには不満も多いであろう本書(今までの作品と 異なり、説明的描写に終始している)だが、初めて出会う読者にとっては、 絵解きとして親切なのではないか。 本作『1Q84』で、初めて村上ワールドに馴染んだ海外の読者が、『海辺 のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』に進んでいって、その深化に驚くと いう構図があるような気がする。贔屓の引き倒し?? | ||||
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宗教や善悪、 システムと個など、 1と2で考えさせられたディープな部分は、 見事なまでにかわして、 天吾と青豆のラブストーリーに回収してみせた、 その手腕はお見事(笑) 大風呂敷を広げるだけ広げて、 畳むのに600ページが必要だったと。 こんな撤収の仕方しかできないなら、 3は著者にとっても、 読者にとっても不必要、 というより、 むしろない方がよかったのではないかなぁ | ||||
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Book 1、2 にはなかった、ある結末に持っていこうとする筆致のプレッシャーが強烈で、非常に疲れてしまった。もう少しオープンエンドでもよかったのではないか。その展開を強引、と見るか、単に転がりだした物事が指数関数的な加速を受けて一点に集約されていく様と見るかは読者によって違いそうだ。登場人物が、絶妙なタイミングで、他の登場人物の発言を繰り返し思い出しては、伏線を構築していき、回収していく。その一連の作業に見とれるだけだった。作中に現れる、読者も経験可能な、非日常的な性的でない「体験」の描写を見ても、くれぐれも捕まらないようにね、と祈るしかなかった。 | ||||
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これまで単なる脇役だった牛河がここまで大きく取り上げられるとは、まったく予想していませんでした。 ある意味、BOOK3の主人公は牛河ですね。 が・・、読み終わって思うのは、やっぱりBOOK2で終わっていた方が良かったなぁということです。 この終わり方もちょっと意外でした。今までにあまりないパターンのような気がします。 ふかえりも行方知らずですし・・・ ということは、もしかしてBOOK4が!? でもそうすると1Q85になっちゃいますね。 それにしても牛河はちょっと可哀相すぎだと思う。 | ||||
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ここで終わるのか,それとも続けるのか? 微妙な終わり方になっている。 BOOK2の裏切り方の発展系になるわけだけれども、救いがあって絶望があるという感じかもしれない。 青豆と天吾の世界が収束していくこと。ふせえりの謎が残ったこと。 やはりBOOK4は用意されるのかもしれない。 「世界の終わり〜」が持っていた2面性とは違った世界観が描かれたことは、著者の成熟と見るべきなのかもしれない。 | ||||
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『海辺のカフカ』の頃から、それまでの作品群までと明らかに筆致が異なってきた感が強くなったように感じていたけれど、本作『1Q84』においては各章にそれまでの作品に使われていた表現の断片が散見された。青豆と天悟はどことなく『アフターダーク』の登場人物に似ているし、牛河は『ねじまき鳥クロニクル』の牛河そのもの。坊主頭とポニーテイルは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のシステムの二人か。リトル・ピープルも『TVピープル』を想起させる。別世界に来てしまったことが二つの月によって示されるというのも、『ダンス・ダンス・ダンス』冒頭の一場面がモチーフなのだろうか。細かい箇所を読み込めば、どこかで似た表現がされていたと思わずにいられなかった。もちろん3巻までを通してそれなりに緊張感を持ちながら楽しませてもらったのは確かなのだけれど、どうもしっくりと物語が頭に染み込んではこなかった。他の作品を読んでいる方ならおそらくはこの「どこかで目にした表現(関係性)」というのはおわかりになるかもしれない。新しい作品というよりは、これまでの作品からの断片を使った別の物語の再構築というのが一回目読了の感想。あと一つだけ付け加えるなら、ところどころでいきなり三人称表現が出てきたことに戸惑った。 | ||||
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なんだかとてもへたくそな小説を読まされた気分だ。もちろん村上さんはとても文章がうまいし、すんなりと頭に入ってきて、引っかかるところは何もない。それでも、たとえば、BOOK1のP224辺り、『さきげけ』についての説明部分。地の文で解説しながら、ときどき〈「私は何度か深田農場を訪れて、彼と話をした」と先生は言った。〉なんて文章を挟みながら、再び地の文で延々と説明。「最初にこんなことがあって、次にこうなって、その次のこんなことがあって、そしてこんな風になってしまいました」なんて、あまりにも芸がなさすぎではないか。ぼくはこの部分を読んでいて急激に白けてしまった。ただ、いつも感心するのは、読み進むうちに「青豆」「天吾」「ビッグブラザー」「リトルピープル」などに、ずっと前から知っていたような既視感を覚えてしまうところだ。村上さんは、ぼくらの深層心理に共通してあるものを表現できる希有な作家なのだと思う。そして、結局訳のわからないまま物語は終わってしまうとわかっていながら、毎回最後まで読んでしまうのは、その辺りに原因があるのかもしれない。 | ||||
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