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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全256件 201~220 11/13ページ
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村上さんが書きたかったものは、「悪」の世界なんだな、という思いが強くなった。『海辺のカフカ』ウェブサイトのスペシャルインタヴューで村上さんはこう言っている。「僕がこの先小説の中で書いていきたいと思うのは、やはり悪についてですね」と。僕は『海辺のカフカ』の「ジョニー・ウォーカー」や、それ以前の『ねじまき鳥クロニクル』の「皮剥ぎボリス」の役回りを読んでいて、それを強く感じていた。おそらく次回作も、という思いはあった。確かに今回の『アフターダーク』も中国人娼婦を殴る話になっているし。でも、ただ悪の描写で終わるのではなく、それを裁くシステムとしての裁判、あるいはそのシステムを生み出す背景のことに話が進んでいた(高橋が言う「タコ」のことなど)。要するに、悪は存在する、誰の心にも、ということ。ただし、それを悪とみなすのは社会システムである……それからどうなるか、なのだけれど。うーん、まだ咀嚼できていない。村上さんは『海辺のカフカ』ウェブサイトのスペシャルインタヴューで、最終的に書きたいと思っているものは「総合小説」だと言っている。「総合小説」とはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』みたいな小説だと例示しているが、「様々な人が出てきて、それぞれの物語を持ち寄り、それが複合的に絡み合って発熱し、新しい価値が生まれる。読者はそれを同時的に目撃することができる」と説明している。『アフターダーク』ではまさにそれをやろうとしている。しかし、「総合小説」としてのスタイルを見せるために、わざわざ神の視座(みたいなもの)を持ち出すのはちょっと不恰好なようにも思うが。「マリ&高橋、カオル他」の世界と「白川の世界」が接点を持ち、「白川の世界」が「マリの世界」にSFチックにつながり、エリはマリの元に戻る。前述した、抽象的な非現実の世界が現実世界につながっているのも形式上の「総合」なのかも知れない。夜には非現実の世界がぽっかりと口をあけているようだ。 | ||||
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「風の歌を聴け」以来の村上ファンであったが、ここ数年、というよりここ十年ほど「?」状態が続き、前作「海辺のカフカ」に至っては「。」村上春樹、終わったなとご冥福を祈りたい気分であった。 しかしこれは良かった。正直ほっとした。ご冥福を祈りながらも諦め切れずにハードカバーを買って裏切られずに済んだ。 久しぶりに村上春樹らしいはずし方。 ある都会の一晩を「視点」が描写する。2ヶ月間眠ったままの美しい姉エリを持つ風変わりな少女マリが、深夜のファミレスで姉の同級生の男の子高橋と偶然会う。そこからちょっとずつぎしぎしと物語が進んでいく。マリはラブホテルで起こった暴行事件に関わる事になったり、その後ふたたび合流する高橋と話しをしていくうちに自分の中で何かが動いていく。 ストーリーをうまく説明しづらいのはこの作家を知っている人ならわかってくれるでしょう。でもこの作家はストーリーを楽しむのではなく独特の世界と言葉で魅せてくれます。今回一番のヒットは「裁判所はシネマ・コンプレックスに似ている」ってセリフ。笑えた。 | ||||
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今までと文章の感じが違ったけど、やはり村上春樹の作品だなぁと。とりあえず、長さが足りない。長ければいいってわけじゃないけど。あまりにも、さっぱりと終わってしまって、残念です。 | ||||
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『世界の終わり……』や『羊をめぐる冒険』など、かつての「村上春樹」を愛読した人なら、この作品に対して違和感を覚えるだろう。「あの村上春樹は、どこへ行ったの?」と。でも、この作品はまぐれもなく、村上春樹の作品だ。体言止めや「~いる。~いる。」といった文章が続くと、普通は悪文になるのだけれど、にもかかわらず悪文にならず、むしろ名文となっているところは、やはり村上春樹ゆえだろう。正直言って、昔から村上春樹が好きだった私には、この作品、あまり面白くなかった。それでも星5つつけたのは、いままで停滞がちだった村上春樹(『神の子どもたちはみな踊る』『海辺のカフカ』)が、新たな方向へと歩み出しそうな雰囲気を、この作品から感じたから。 しかし、あとどのくらい待てば、夜が明けるのだろう。 それまで待ちきれない春樹ファンも、いままでアンチ春樹だった人も、読んでみてください。 | ||||
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やさしく、ステキなお話だと思いました。評価の高い初期の作品には今ひとつ世界観がなじめなかった私には、こういった小説が合っているようです。あのころの話はなかなかフツーには読めないです。「アフターダーク」は静かな夜を過ごす優しい人々の話です。私は心がぽっと温かくなりました。ところで、カオルさんが今ひとつイメージわかなかったんですが、今朝、アジャコングさんをテレビで見て「これや!」と思いました。 | ||||
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短いのであっという間に読めた1冊今、現在の日本の都会に生きている人々をの一晩を 温かく痛みを持ってひそやかに切り取った小品。読んだあと 自分の生活や日々通り過ぎる街を思い出して確認しました。 | ||||
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村上春樹が新たな境地を模索している。そう思わせる作品だ。きわめて純粋な観察者としての視点を通して、客体化された物語を語り手として書き進めている。主体的でないその文体は、多くの村上ファンを失望させているのかもしれないし、これまでの村上作品とは比べ物にならないほど、物語の細部が、何も解決されていない。これまでの村上作品では、さまざまな物語中のナゾが、見事に融和して解決され、それが読者にとっては爽快な読後感となっていたことであろう。あるいは「何も解決されていない」状況を残すことで、かえって作品を忘れがたいものとしている作品もあった。このアフターダークでは、そのような作品とはなっていないので、これまでの村上ファンには物足りないであろう。あるいは、断片的なスケッチのようなものかもしれない。画家が、精密なスケッチを繰り返し、そのパーツを組み合わせて大作を書き上げるように、純粋な観察者として状況を精密にスケッチをし、さまざまな状況を組み合わせて、より大きな物語が出来上がるのかもしれない。そのための試みならば、大いに歓迎したいものである。もちろん、私にとってはこのアフターダークだけでも、ひとつの物語として、十分なものである。上に書いたようなこれまでの村上作品から予測するものとは異なったものだが、すべてを書き尽くすよりもより多くのものを、読後に残している。 | ||||
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ひきこませる文章でした。が、ストーリーはちょっと読者無視。読んだあとに、期待はずれでザンネンの気分だったのですが、読書後3日ほど夢に小説のシーンがでてきます。精神的に深くささるテーマだったのでしょうか?個人的に「風の歌を聴け」が好きなので、このテは好きでした。ネズミと彼がダブりました。 | ||||
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村上春樹という作家が、50代にしてさらに前に進もうとしているのだという事実に背中を押された気がします。変化した文体、多様なVoice、視点の移り変わり。いくつもの新たな試みが盛り込まれ、読者の期待は裏切られることでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、村上さんは、もうそこにはいないのです。こめられたメッセージは明快なものから暗示的なものまで両極ですが、「魂の午前三時」を乗り越えて、新しい一日を踏み出すための滋養に満ちた本であることだけは確かです。僕が保証します(笑)本作品は、ボリューム的には丁度「スプートニク」程度の小品であり、次なる大作へのステップとして位置づけられるものでしょう。おそらくは。 | ||||
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それが何処にでもあるたった一晩のモノガタリを切り取っただけのものであったとしても、或いは何らかの策略や意図があったのだとしても、そんなことはどうでもいいような気持ちになるのは、その筆圧の所為なのかも知れないと思う。受け止め方がさまざまであるのは当然のことで、それこそ個人的である方がより好ましいと感じるのは私だけであろうか。すべては「視点」の問題だ。視点はアチラガワにもコチラガワにも在り得る。点と点が繋がるかそうでないかは重要なことがらではないように思う。「点」は純粋に永遠に「点」であっても良いのであるし、多くの人が望むように線になっても良い。奔放で注意深いその筆圧に、多くを望んではいけない。それはただ其処にあり、これだけ多くの想像力をかきたて、確かなものとして君臨しているのだから。 | ||||
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話はたった一晩の出来事。登場人物はいずれも説明が無く ある意味でトルソーのような「顔」である。一人一人が何かを抱え込んでいて 何かをやろうとしている事はぼんやり感じるが それが何かは全て読者に委ねられている。いくつかの謎は提出されたままで答えは示されない。キリコの絵は 非常に抽象的だがどこか懐かしいのは 自分の持つ記憶に都合の良い抽象性があるからではないか。そんな響きがこの本にもある。読者は きっと 出てくる登場人物の中に 意識的か 若しくは無意識に自分に似た「顔」を探すに違いないと思う。村上春樹の読者の感想を読んでいると いつも感じるのだが 各読者が 本の登場人物に 自分若しくは自分にとって大切な人を 探しているケースがとても多い。村上春樹の登場人物は 必ず何かを抱え込んでいるが 読者もひたすら 自分の抱えているものと同じものを 本の中に探している人が多い。そんな読者にとって またしても トルソーの群像に満ちる本書は 一種のロールシャッハテストにも似て 各人が各人の読み方をすると思う。誠 村上春樹は 上手いなあと思う。誰もが何かを抱え込んでいる時代に 「あんただけじゃないよ」という 一種奇妙な優しさすら感じさせる そんな本です。読んでみて下さい。 | ||||
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二、三時間でさらっと読みました。自分に影響を与えた感じは強くない。でも、静かに何かが残っています。作者の意図をあれこれと指摘するような意見が多いですが、この小説に明確な作者の意図があるようには感じません。村上さんがいつも以上に媒体に徹しているように思えます。「ねじまき鳥」などを持ち出すひとが多いですね。作品は単体で読まれるべきだと思います。僕はこの小説が好きです。 | ||||
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先日書店で買い求めて、3時間くらいかけて読み終えました。『海辺のカフカ』という長編小説の後の作品だし、村上春樹の中編小説は良い悪いの意見が大きく分かれるような印象を受けていたので、読む前はそれほど期待しないようにしていました。しかし前もってそのような考えで読んでいたからか、この作品は期待以上に面白かったです。登場人物も魅力的だったし、何より読後はあたたかい気持ちになれました。村上春樹の小説はあらかた読みましたが、こんなにあたたかい気持になったのは初めてです。『アフターダーク』には、これまでのどの作品とも違った魅力があると思います。文体などは確かに変化しているけれど、紛れも無い「村上春樹」の小説であることを、読んでいてひしひしと感じました。この小説を読んでどう感じるかは人それぞれだと思います。私もざっと1回読んだだけなので、これからじっくり読んでいくと見方が変わるのかも。簡単そうに見えて一筋縄ではいかないような雰囲気の作品ですので…。ただ、まだ『アフターダーク』を読んでいない方には、読んでみて自分の心で判断して欲しい。そんな小説です。 | ||||
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今までの長編ような、読んだあとのどっぷりとくる何とも言えない良い疲労感がこの作品を読んだあとは全くありませんでした。何か予感めいているけれど、それが私の中では最後までひとつにならずにさらっと終わってしまった感じでした。誰かのレビューでも触れていましたが、「アンダーグラウンド」をきっかけとして、村上作品は多少なりとも窮屈になってしまった気がします。あるいは、村上作品の捉え方に自分がある意味で偏見を持ってしまっている気もします。(「社会的なテーマをきっと含んでいるんだろうな」みたいに。)ただ、マリがエリのベッドにもぐり込むシーンは、今までの村上作品を読んだ中では感じたことのないくらい切なく、優しい希望をはっきりと感じた気がします(じんわり涙が出ました)。そんな訳で、星4つ。 | ||||
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読み出してみて思う事は、「夜の都市」を主人公に想定しているのではないか?という事だ。冒頭の数行は、都市に生物的な形容を与えているし、何より「私たちの視点」が浮動性を持っているからだ(特に1章から2章への間は、会話の量からして、相当の時間が経過しているのにもかかわらず、「時計」は一分しか進まない。視点は同時に二つの場所に存在している。)。登場人物は入れ替わり立ち替わり現れ、それぞれのエピソードを展開し、また、それぞれのエピソードに干渉している。また、「時計」は、物語が一日(一晩?)という短い期間である事を印象づけている(この作品が物足りないと思われる方が居るならば、それは、作品のコンセプトが「一晩」という所にあるからだ。あまりに多くのものを詰め込み、多くの結論を出してしまうと、それはそれで違和感が生じる。)。文章に関して言えば、ストーリーの中心には形而上的な描写があるが(主に浅井エリに関する章)、基本的には紛れもないリアリズムだと思う。 | ||||
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まだ一度しか読んでいないので分からないところが多い。とっつき安さと作品に込められたメッセージを受け止める作業は、必ずしもリンクしないと思う。この小説に出てくる主要人物の一人は、無名の青年→タカハシ→高橋と、人格化されていく。彼は、ナイーブで傷つきやすく、世の中を何とかいい方に変えていきたいと思っている、心優しき青年だ。彼のような人間が世の中に満ちあふれていれば、なんと幸せな世界となるのだろうか?一方、無情な暴力も闇として存在し、それに対してのカタルシスが訪れることは一切ない。人間の心の闇としてのデモーニッシュな部分も受容されるべきファクターとして、村上ワールドの予定調和の世界で展開されている。この予定調和が曲者だと思う。これは、作者が果たして読者に違和感をもたらすために故意に展開してるのだろうか?一度読んだだけでは分からなかった。 | ||||
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正直、多少のわだかまりができました。しかし、言葉ではなく感覚で掴み取る「何か」が潜んでいるようです。何度でも読み返せる本になるかと思います。視点の変化が不可思議でよかったです。 | ||||
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すんなりと引き込まれ、あっという間に読み終わってしまいました。それほど自然な流れの中で描かれているのですが、実は不思議な時間の中に漂っていることに気付きます。ただ、自分の好きな映画に対してつかれた嘘がショックでした。そこが理解できないままでいます。 | ||||
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一人称複数形という奇妙な形式で成功している作品を思い浮かべると、アゴタ・クリストフの『悪童日記』だろう。原題はLe grand cahier(大きなノート)。語り手である双子の兄弟「ぼくら」はナチス支配下のような東欧で、祖母のところへ疎開するところから始まり、過酷なサバイバルを日記につけるという設定だ。これは物語の構造そのものが一人称複数形にあっているという例だが、通常、一人称複数形というのは非常にあいまいさをもつ。つまり「私たち」に聞き手を含む場合と、含まない場合がある。話し手である「私」は不変要素だが、「私たち」がその「私」と聞き手である読者を含むのか、それとも含まないかのか。村上春樹はその隠れた要素をコントロールしながら読者の視点と作者の視点を使い分けて物語を進めていく。 『悪童日記』には固有名詞はいっさい登場しないが、『アフターダーク』も地名は明かされない。新宿っぽい感じもするし、渋谷っぽい感じもするし、まるで六本木のような描写もある。登場人物が「タカハシ」から「高橋」に変化したりするのも、最初から最後まで、作者である村上春樹と登場人物との距離感が意識され、計算されていると思う。実体のない純粋意識がひたすら観察するというのは、一人称複数で書かれた『ヘビトンボの季節に自殺した五姉妹』ジェフリー・ユージェニデスに似ているかもしれない。とにかく、村上春樹の「私たち」は無意識に仲間を要求しているような甘えは感じられない。しかし、主体の意識が「ぼく」という個人に限らないということを強く主張しているように感じる。『ねじまき鳥クロニクル』から社会へのかかわりを深めているが、安直に社会とのかかわりが一人称複数を選ばせたとはいえないまでも、これまでの歩みの中での必然ではあったんじゃないかと思う。 | ||||
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読み始めて数十ページ、違和感を覚えた。この作品が名の知れぬ新人のデビュー作だったとしたら、すごい作家が出てきたと喜んだであろう。しかし村上春樹を愛読してきた私にとって、初めのうちは受け入れられなかった。しかし、彼の描きたいことを公正に理解しようと試みるならば、そこに確かに村上春樹が存在することが感じられると思う。時代の流れの中で、これから春樹作品がどう変化してゆくか楽しみだ。 | ||||
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