羊をめぐる冒険

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羊をめぐる冒険の評価:

4.22/5点 レビュー 208件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.22pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全265件 101〜120 6/14ページ
No.165
(2pt)

面白いか?

大学一年の時に出て割と話題になったのですぐ読んだが、さほど面白くはなかった。というのは私は村上春樹に批判的だがそれとは別に面白くなかったのである。蓮實重彦『小説から遠く離れて』で批判されているが、探した結果見つけたのが昔の自分だというのは「エンゼルハート」の原作のヒョーツバーグ『堕ちる天使』のパクリで、このあとでオースターもやっているやつではないのか。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.164
(5pt)

深い疾走感

ここ数年、この作品が村上春樹の最高傑作かもしれない、と思っている。上巻の最初からお行儀よく読んでいくと挫折する可能性があるので、まずは上巻は斜め読みにして、この下巻をしっかりと読んでほしい。北海道の地図を参照しながら読むと想像力が鍛えられ、すごく面白い。自分の考えでは、《羊》というのは、人間のなかに潜む、残酷で「(価値中立的な意味で)純粋」な「美学」(近現代美学の祖であるバウムガルテン的な意味というよりも、むしろプラトン・アリストテレス・中世ヨーロッパ美学の皮相な誤用・悪用の意味で)の象徴的動物(あるいはユングの言う「元型」)だと思うし、自らの内に潜む《羊》(「羊男」)に負けてしまったのが鼠、負けそうになりながらも、「なんとか克服」して生き延びたのが主人公なのかもなと思う。すべての人の内面には、そのような意味での《羊》という要素がある、というのがポイントなんでしょうね。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.163
(2pt)

村上春樹 青春三部作最終章

いまから約25年前に人から勧められて読んだのが、デビュー作の「風の歌を聴け」そして続編ともいえる「1973年のピンボール」。
残念ながら同時期に読んだ「ノルウェーの森」同様に自分の心の琴線には響くものはなかった。

あれから四半世紀。青春篇の最終章と位置づけられており、評判も良かった本作に挑戦してみたが、村上文学に対して「不導体」で
ある自分を再認識したに過ぎなかった。

初期作品に限られることかもしれないが、作品には常に「セックス」「酒」「タバコ」そして「死」の香りが付きまとい、学生運動が
終焉を迎え、どこか退廃的な空気が当時の若者たちのあいだに漂う70年代を懐かしむと同時に、その時代に対するレクイエム(鎮魂歌)
を捧げるのが三部作のテーマのようにも感じた。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.162
(5pt)

深い疾走感

ここ数年、この作品が村上春樹の最高傑作かもしれない、と思っている。上巻の最初からお行儀よく読んでいくと挫折する可能性があるので、まずは上巻は斜め読みにして、この下巻をしっかりと読んでほしい。北海道の地図を参照しながら読むと想像力が鍛えられ、すごく面白い。自分の考えでは、《羊》というのは、人間のなかに潜む、残酷で「(価値中立的な意味で)純粋」な「美学」(近現代美学の祖であるバウムガルテン的な意味というよりも、むしろプラトン・アリストテレス・中世ヨーロッパ美学の皮相な誤用・悪用の意味で)の象徴的動物(あるいはユングの言う「元型」)だと思うし、自らの内に潜む《羊》(「羊男」)に負けてしまったのが鼠、負けそうになりながらも、「なんとか克服」して生き延びたのが主人公なのかもなと思う。すべての人の内面には、そのような意味での《羊》という要素がある、というのがポイントなんでしょうね。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.161
(4pt)

心理的な結論に至るときが物語の終わり

主人公の「僕」は失踪した友人の「鼠」から郵送されてきた羊の群れの写真を、仕事でパンフレットに使った。その後、パンフレットを見て主人公のもとに訪れた男に「この写真に写っている羊を探してほしい」と依頼される。
主人公と友人の鼠は「風の歌を聞け」から出てくるおなじみのキャラ。出だしはスローペースで、主人公が羊を探しに出かけるまでがけっこう長いが、春樹らしい文章のリズムで楽しく読める。
やがて主人公と鼠は再会するが、それは酷く物悲しく、そしてほとんどが主人公の内面世界で起こったことか、あるいは幻影のようなシーンである。主人公の中ではその事実ははっきりと実感できるもので、1つの結論に至り、話は終わる。
しかし、これで何かの事実が確認できたとたぶん大方の読者は思わないのではないか。急に消えてしまう登場人物や解決に至らない筋もあるし、えっこれで終わり?的なのだが、しかし主人公の中では心理的に結論が出ているらしいし、主人公の周りの人物も納得しているし、小説もそこで終わりなのだから仕方がない。それにとにかく彼の悲しみとか感情の余韻は、解決のないまま宙ぶらりんになった疑問符と共に強い印象を残すのだ。一面の霧の中で何も見えないけれどその霧のひんやりした感じは解る、そしてその景色は美しくさえある。そんな感じがなんというか春樹らしい。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.160
(5pt)

さびしいです

とにかくさびしい小説だ。
とても渇いている。
ストーリー展開はとても面白いし、最後にはしっかり落ち着くべきところに落ち着く。
羊男や鼠や黒服の男の会話はアフォリズムに過ぎているから、書きとめて人生の参考にしたいぐらいだけれど、そのせいでストーリーが難解に進んでいる気がする。
それでも、とても面白かったし、あっという間に読み終わった。
ただ。
やっぱりさびしい小説だ。
運転手やいるかホテルの支配人が優しいから、主人公のさびしさが引き立つし、読者である自分のさびしさも突きつけられる気がする。
面白いけど、さびしい。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.159
(3pt)

羊男のイラストが気になる

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も登場する。「テクニカラー」、「テレビのスイッチをつけて、チャンネルをひととおりまわして」、「部屋にはテレビ・ゲームが四台」、「ブックシェルフ・スピーカーとアンプとプレーヤー」などです。
「テレビで『バックス・バニー』の再放送」、「ナット・キング・コールが『国境の南』を唄っていた」、「パーシー・フェイス・オーケストラの『パーフィディア』」、「ベニー・グッドマン・オーケストラが『エアメイル・スペシャル』を演奏」、「チャーリー・クリスチャンが長いソロを取った」 などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」などと比べて本書は軽くて読みやすい。でもこの作品は軽いがゆえにかえって腑に落ちない点が幾つかあるのです。63頁「夢の中に羊が現われて、私の中に入ってもいいか、と訊ねた。」 いったい羊に憑かれるとは何なのでしょう?ある人の解釈によれば、羊は悪魔である。そのようなものと考えれば合点はゆきます。そして上巻に戻りますが、耳のモデルの彼女はなぜコールガールという設定なのでしょう?耳のモデルという設定で十分ミステりアスではないでしょうか?まず日本にコールガールなどいるのでしょうか?フランスでは、地位の高い要人を相手にターゲットとしたそういった職業があるそうですが、日本ではソープランド嬢、本書の時代背景である1978年では、トルコ嬢と呼んでよいでしょう!多分そういった呼称が使われれば、下品なものになってしまうからコールガールなどという呼び方にしたのでしょう?そして、戻って下巻では、この耳のモデルの彼女は山を下ります。どうやって下山したのでしょうか?歩いて下山できる距離ではありませんし、ヒッチハイクできる車が付近を往来しているわけでもありません。そして、一旦、ドルフィン(いるか)ホテルに戻った彼女は、「行き先はおっしゃいませんでした。体の具合がお悪そうで」とは、何を意味しているのでしょう?
そもそも、羊男と鼠との関係は、何なんでしょう?同一人でしょうか?下巻の167ページには羊男のイラストが掲載されています。この絵はすごいインパクトです。上下巻で絵はこの頁だけ掲載されている。そもそも掲載される必要があったのでしょうか?またこれほど印象深いキャラクターを絵として造形し創造したのは、誰なのでしょう?
最後に、結末のほうですが、××によって、羊男・鼠と黒服の男はどうなってしまったのでしょうか?自○なのか?それとも事故に遭遇したのか?そうでないのか?なんだかわかりません。消化が良いと思い食べたものがそうでなく未消化でいる気分で満ちているのです。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.158
(5pt)

さびしいです

とにかくさびしい小説だ。 とても渇いている。 ストーリー展開はとても面白いし、最後にはしっかり落ち着くべきところに落ち着く。 羊男や鼠や黒服の男の会話はアフォリズムに過ぎているから、書きとめて人生の参考にしたいぐらいだけれど、そのせいでストーリーが難解に進んでいる気がする。 それでも、とても面白かったし、あっという間に読み終わった。 ただ。 やっぱりさびしい小説だ。 運転手やいるかホテルの支配人が優しいから、主人公のさびしさが引き立つし、読者である自分のさびしさも突きつけられる気がする。 面白いけど、さびしい。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.157
(3pt)

評価って難しい

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も多く登場する。
「東京都の区分地図」、「国電」、「アルバムを開いてみると彼女が写っている写真」、「テープデッキのリール」、「近所にあるオーディオ・メーカーのショールームで新譜のレコードをひとかかえ聴いて時間をつぶし」、「運転手は座席の下から手さぐりでカセット・テープを選び出し、ダッシュボードのスイッチを押した」、「公団住宅」、「トランシーバー型の受話器」、「デジタル時計」、「ピンク電話に十円玉を三枚入れ」など。
「ジョニー・リヴァーズが『ミッドナイト・スペシャル』と『ロール・オーヴァー・ベートーヴェン』を続けて唄っていた。それから『シークレット・エージェント・マンになった。』」、「レコードはビル・ウィザーズに変り」、「メイナード・ファーガソンの『スター・ウォーズ』を聴きながら」などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
さて、この作品を読んで良いとか面白いとか評価をする人がいます。本書は1982年に単行本化されて1985年に文庫本化され、以後何度も再刷りされて発行が続いています。このことは、きっとそういった評価の結果なのでしょう。でも最初自分はあまり面白くありませんでした。何故かと思い巡らせば、後の彼の作品にあるような過激な性描写がここにはない、Aパート・Bパートと交互に物語が進行する形を取っていない、それ故に緊張感や興奮度が少ないといったのが原因ではないかと。「羊をめぐる冒険」という標題も何かしらスリリングな『冒険』を期待されて読んだのですが、冒険というにはたいしたこともなくその期待はかわされてしまいました。後の作品だと、ときには性描写が嫌悪するほど激しく吐き気がするほどでも、本書では、243頁のように「我々はソファーの上で抱きあった。~僕は彼女のシャツのボタンを全部はずし、手のひらを乳房の下に置いてそのまま彼女の体を眺めた。」とおとなしい目の表現です。
しかし、よく読むと「やれやれ」と呟き、「猫」がでてきて、知り合った女性が葛藤もなく主人公とまぐわってしまう。間違いなくここでは「村上ワールド」の方法論が成立しています。春樹作品を読み続けている読者にとって、数々の作品の成立の過程を知る点で「羊をめぐる冒険」は興味深い作品でしょう。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」は羊四部作で、デビュー作「風の歌を聴け」からは、本作は3作目です。作者村上春樹がジャズバーを売却して専業作家となって書き上げたはじめての長編小説です。
ただこの作品だけを単独に読む読者にとっては、ある種の緩いいいかげんさが良いと感じるのか、それとも緩い設定の非整合性が、消化の悪いものを食べたあとのもたれと感じるのか、単独では評価は難しいです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.156
(3pt)

羊男のイラストが気になる

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も登場する。「テクニカラー」、「テレビのスイッチをつけて、チャンネルをひととおりまわして」、「部屋にはテレビ・ゲームが四台」、「ブックシェルフ・スピーカーとアンプとプレーヤー」などです。
「テレビで『バックス・バニー』の再放送」、「ナット・キング・コールが『国境の南』を唄っていた」、「パーシー・フェイス・オーケストラの『パーフィディア』」、「ベニー・グッドマン・オーケストラが『エアメイル・スペシャル』を演奏」、「チャーリー・クリスチャンが長いソロを取った」 などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」などと比べて本書は軽くて読みやすい。でもこの作品は軽いがゆえにかえって腑に落ちない点が幾つかあるのです。63頁「夢の中に羊が現われて、私の中に入ってもいいか、と訊ねた。」 いったい羊に憑かれるとは何なのでしょう?ある人の解釈によれば、羊は悪魔である。そのようなものと考えれば合点はゆきます。そして上巻に戻りますが、耳のモデルの彼女はなぜコールガールという設定なのでしょう?耳のモデルという設定で十分ミステりアスではないでしょうか?まず日本にコールガールなどいるのでしょうか?フランスでは、地位の高い要人を相手にターゲットとしたそういった職業があるそうですが、日本ではソープランド嬢、本書の時代背景である1978年では、トルコ嬢と呼んでよいでしょう!多分そういった呼称が使われれば、下品なものになってしまうからコールガールなどという呼び方にしたのでしょう?そして、戻って下巻では、この耳のモデルの彼女は山を下ります。どうやって下山したのでしょうか?歩いて下山できる距離ではありませんし、ヒッチハイクできる車が付近を往来しているわけでもありません。そして、一旦、ドルフィン(いるか)ホテルに戻った彼女は、「行き先はおっしゃいませんでした。体の具合がお悪そうで」とは、何を意味しているのでしょう?
そもそも、羊男と鼠との関係は、何なんでしょう?同一人でしょうか?下巻の167ページには羊男のイラストが掲載されています。この絵はすごいインパクトです。上下巻で絵はこの頁だけ掲載されている。そもそも掲載される必要があったのでしょうか?またこれほど印象深いキャラクターを絵として造形し創造したのは、誰なのでしょう?
最後に、結末のほうですが、××によって、羊男・鼠と黒服の男はどうなってしまったのでしょうか?自○なのか?それとも事故に遭遇したのか?そうでないのか?なんだかわかりません。消化が良いと思い食べたものがそうでなく未消化でいる気分で満ちているのです。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.155
(2pt)

エンタでしょ

「ハルキスト入店禁止」そんな店があったらビックリするだろうが、ぼくの近所にそういう掲示物を張り出したラーメン屋が本当にある、店の外なら効果があるだろうに店主は気が小さくてそこまではできないらしい、脂汚れがひどいのでもうだいぶ前に張ったものなのだろう、入って左手の鏡の上にプラスチックのメニュー板があるのだが、欄外に「特製あんかけチャーハン」の短冊を掲げるようになり、その下にふと視線をずらしたとき、古びたポリ容器の陰に隠れるようにしてあるこの小さな張り紙にようやく気づいたのだ、
その日、昼の部の最後の客になったぼくは、財布を抜きながらその点をさりなく質してみた、無論「ハルキストではない」とことわりを入れた、店主は「読んでいて何にも引っかからねえ、そんなの文学といえるか」とかなりの詰問調で返してきた、ぼくのことを正真正銘のハルキストと勘違いしている、高齢の店主に言わせると、トルストイや司馬遼太郎、こういうのが本物なのだという、

このやりとりをきっかけにして、ぼくは村上春樹を初めて読む気になった、昨年10月のことだった、
うわさに高い「羊たちの冒険」、ターゲットは絞れていた、最近作は失敗続きだというし、恋愛モノは大の苦手としている、壮大な作品というのも骨が折れる、作家というのは初期作品に全貌が現れる、処女作を超えられない、という格言も選択の後押しをした、

ばかばかしい話だが、とにかく肩が凝らない、スムーズに話が進み、いろんな意味で読者の期待に素直にこたえてくれる、いい女がいる、射精する、料理を作る、音楽の話がある、飽きないのだ、下巻から読み始めたが所要時間はそれぞれ40分程度、計1時間半に満たなかった、これだけの時間的ロスで世の片隅でジメジメしていた人間が、明るい顔をしてふたたびメインストリームに立つことができる、劣等感と優越感のせめぎ合いのなかで敗北を余儀なくされ、かろうじて息をしている現代人――彼らにとっての必須の処方箋になり得る、効果はてきめんで、ふたたび息が詰まるころ新処方の「ココロの軟膏」が全国チェーンのドラッグストアにプロモーションとともに並ぶというわけだ、

初めての長編でこの水準に達したというのは、やはり驚異であろう、なぜなら小説を書くような人は、右とか左とかの思想に凝り固まっていたり、哲学的想念の高みに立っていてそこから降りようとしなかったり、いつまでも棟割長屋の原風景的なものにこだわりつづけていたり、何かに「染まっている」ものだが、そういうところがまったく見られない、抑えようとしても端々に出てしまい、抜けるのに時間がかかるはずなのに、この作家は最初から透明のままやって来た、万人に対して素通しの文章を書ける、これは削らなきゃという箇所がほとんど目立たない、余計なことはいっぱい書いてあるが、それは読者とのお約束であり、おしゃれ感覚であり、貧乏臭いこだわりが前に出るというのとは違う、推敲で辿りついたというより、第一稿からプレーンなテキストになるのだろう、

全編を通じては、北海道の自然のなかを走破するシーンがいい、車に羽がついているようだ、疾走感・浮遊感がある、これは意識を無意識のほうにスライドさせてできることなので、そういう意味では芸術家の風貌を垣間見せてくれている、ということはできる、

だが本作は芸術作品ではない、エンターテイメントだ、贔屓目でもコンテンポラリーアートの域にとどまる、度重なる既視感、ここは先行する小説、映画、テレビドラマのパクリではないか、という疑惑が次々に途切れない雲のように飛来してくる、そのたび投げ出そうか、と思うのだが、何しろ文章がさらっとしているので、そこまでの反発は抱かない、いや読んでいる間は抱けない、
冒頭の部分がチャンドラーの名作の出だしと同じだと指摘した評論家がいたのを思い出し、調べてみるとたしかにそうだった、しかしこの作家がこの名作の新訳を出して、それを闇に葬ってしまった、完全犯罪の成立?――いや、そういう後ろ暗さ、いみったらしさのないところがこの作家の持ち味だ、とはいえ意外に機を見る敏で目端が利く、気を抜いていると思い切った独断専行に走り、後手を踏まされる、後ろからチクっと刺される、あれっという思いがつきまとう、逆に言うと出し入れがウマイのだ、

誰かがコンテンポラリーアートはその時代の支配的な感覚を少しだけ先取りするが、その元になるのはまったくの新しさではなく、むしろ古い型の踏襲にあると言った、その人はベンヤミンを読んでいたのだろう「――大衆の音頭をとるのはつねに最新のものである。だが最新のものが大衆の音頭をとれるのは、実はそれがもっとも古いもの、すでにあったもの、なじみ親しんだものという媒体を使って現れる場合にかぎってのことなのである」
村上春樹という一つの容器はベンヤミンのこの一文のなかにすっぽりおさまってしまう、それほどに小さい、だからこそ打つべき次の一手が必要になってくる、売れっ子の彼には彼なりの焦りがあるのだ、それは芸術家の焦りではない、たった一人の広告代理店ゆえの焦りではないかとおもわれる、
文章にとどまらずこの作品の構造、骨組みの部分に型の踏襲がある、引っかからない文章の元にはコピーライティングの技術が隠れている、人物はブルーアイドイエローとでもいうべきか、登場人物たちが黄色人種の遺伝子ではありえない行動をとる、行動は社会化の一環でもあるから西海岸の二世であればいくらか納得がいく部分もあるが、ロスに舞台を移してもどうしても説明しきれない部分が残る、白人の属性を臆面もなく丸ごと東洋人に放り投げている、これは商業的アーティストとしての立場から理解できても、芸術家としての観点からは理解不能である、
つまり彼は人間を描くことがちっともできないし、最初からその気もない、アメリカ、ヨーロッパの既存のものに日本人の衣装を着せているに過ぎない、これと対になるであろう死に対する意識の欠如、こっちのほうがもっと深刻で致命的かもしれない、死を描けない作家は生を描けない、即物的な死はたっぷり用意されている、しかし自然死は見事に割愛されている、芸術に本当の生命が宿るのは死を突きつけている瞬間だけだ、自殺の多発は裏を返せば自殺以外に死ありえないという極論を熱心に説く伝道師の眉唾を根拠とした性質の悪い嘘だ、「透明の正体」は実はそれであった、
テレビコマーシャルに死の要素は盛り込まれない、購買意欲は死の意識を取り去ったところにしか生まれない、景気に水を差すのが死だ、老人だ、賢者の戒めだ、それを抜いたものが商品ということになる、数ある風邪薬で競争優位に立つのは宣伝上手の会社の製品と決まっている、パッケージングにこだわり、起用する俳優のイメージにこだわる、適度に効く、しかも誰にでも、副作用もない、安心、中身ではない、パッケージングの勝利、しかしココロが風邪を踏み外したとき村上流「ココロの処方箋」は記号を並べた紙切れになるしかない、フクシマ以降、日本人は「ココロが風邪を踏み外し」ているからバッシングの雨が降っているのだ、油断してはいけない、芸術家ではなくコンテンポラリーなアーティストは、大衆がふたたび風邪の守備範囲内に戻ってくるのを知っている、それを待っている、埃をかぶった古い誰かの処方箋がこの人の手にはいり、その手にかかって最新のものに化けて世に出ることになる、

ページをめくっていたぼくの興味は、物語からは失われていった、だが、登場人物が米を食うシーンがあるのかないのか、に興味が移り、かきたてられ、いつのまにか絞られ、それに引っ張られてエンディングに行き着いた(ぼくの場合は上巻の最終ページになるが)、彼らはついに米の飯を食わなかった、食べたことは食べた、だが、食べたのはたしかピラフだったと思う、意外な発見もした、
子供のころ、当時の二枚目俳優と美人女優が逃避行をして、山荘にこもり、しばらくして買出しに出て、いっしょに食事を作るという場面を見た、ぼくは衝撃を受けた、二人はいっさい言葉を交わさず、フランスパンを買い込み、牛肉を仕入れ、ワインを買い、野菜を調達して、手分けしてサラダとビーフシチューを作り、無言のままワイングラスを傾け、パンをちぎったのだ、この場面がそのままこの作品に使われていた、
偶然かもしれないし、本作の価値を少しも毀損するものではない、だが異なる作り手の意図が何かの次元で共鳴したことは間違いない、日本酒と肉じゃがと白飯では、いっぺんに興ざめしてしまう、では、醒めていない段階でわれわれが見ていたものは何だろう、ぼくは既にゴッホを知っていたし、新潮社のポケット版作品集で『馬鈴薯を食べる人たち』を見ていた、ドラマの一シーンとこの絵が重なっていたはずだ、いま「羊たちの冒険」を読み終わってそれにもう一枚が重なった

三か月ぶりにラーメン屋に行ってみた、店主はぼくのことを憶えていた、いつになく上機嫌で、他の客の麺をもみながら、こう言った「お客さん、あなた、ハルキストでしょ、顔見りゃわかるよ」
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.154
(5pt)

迅速なご対応有難うございます。

迅速なご対応有難うございました。 商品も予想以上にきれいで満足しています。 今後ともよろしくお願いします。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.153
(1pt)

村上春樹初めて読む

久々に三島由紀夫の「夏子の冒険」を読もうと新しい版を買って読んだのち、巻末にこの作品が触れてあったので、上下買ってしまいました。 しばらく村上龍とも春樹とも意識せずページをめくってましたが何も共通点がない逆の趣味の小説で「上」の1/3で止めました。 これがこの作家の到達点のように書いてある方もいますがそうならば縁のない作家でしょう。 ごめんなさい低評価で。 でも三島作品の巻末に書いた人お金を返してくださいと言いたいです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.152
(5pt)

気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪なもの

「あらゆるものを呑みこむるつぼ。気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪。宇宙の一点にあらゆる生命の根源が出現した時のダイナミズムに近いもの」(文庫下巻から引用)
 それが羊の象徴するものです。
 この作品以降、村上春樹は、この「おぞましいくらいに邪悪なもの」とそれとの対立をテーマにした作品群を生み出していきます。
 本作で羊の形をとっていたそれが「ねじまき鳥クロニクル」ではワタヤノボル、「海辺のカフカ」ではジョニーウォーカー、「1Q84」のリトルピープルと姿を変えて、より深く「邪悪なもの」が描かれていきます。
 30年前に本作を初めて読んだ際には、とてつもない衝撃を受けた本作ですが、その後の村上春樹作品を読み進め、更に本書を何度も再読するにつれ、ますます本書がいかに画期的であったか、あらためて感心します。
 本書は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」同様の雰囲気を持つ物語としてスタートします。
 ところがある地点から奇妙な雰囲気を醸しだし、その後の展開から、こんなにも深いテーマを包含する物語だったのかと衝撃を受けます。

 前半部分では、村上春樹の優れた文学的技法のひとつである比喩の使い方に相変わらず感心してしまいます。
 「本であればなんでもいいのだ。彼女はそれをとうもろこしでも囓るみたいに片っ端から読んでいった」
 「僕は最も礼儀正しい酔っぱらいになる。いちばん早起きをするむくどりになり、いちばん最後に鉄橋を渡る有蓋貨車になる」
 「のっぺりとしたアパートの群れは、父親の帰りを待ちわびている未成熟な子どもたちのようにも見えた」
 「正直さと真実との関係は船のへさきと船尾の関係に似ている。まず最初に正直さが現れ最後に真実が現れる。巨大な事物の真実は現れにくい」
 「道路はひどくすいていて、車は産卵期の鮭が川を遡るみたいに空港にむけてひた走った」

 店を経営しながら執筆した前二作の後実施された,村上龍との対談集「ウォーク・ドント・ラン」によれば、「自分に一番欠けているもの、自分で難しい方法で長い小説を書きたい」と語っていた村上春樹。
 「職業としての小説家」では、本書執筆にあたって店をたたみ、職業作家としてやっていく決心をしたこと、文体を重くすることなく、文体の気持ちよさを損なうことなく、小説自体を重いものにしていきたいとの構想を持っていたといいます。
 確かに前二作の文体の気持ちよさを引き継ぎながらも、ずしりと来るテーマの重さが加わった本作は、村上春樹の構想が見事に結実した傑作だと言えるでしょう。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.151
(5pt)

壁の側(記号としての、星形の斑紋を持つ羊)に立ちたい人ばかり・・・・

筆者はエルサレム受賞スピーチで、「この世界はシステム(壁)と卵で構成されている。いかに壁が正しく、卵が間違っていたとしても、私は常に卵の側に立つ」、というような主旨の発言をしました。 この羊の物語も、自分は常に弱い者の味方である、という精神の根幹を見せてもらっているような暖かい心持がし、読後、「さあ、もう少しだけ頑張ってみようか」という心持にさせられます。
 作品は、星の斑紋を持つ羊 = 変幻自在の巨大なシステム、 主人公や鼠=卵、というフレームワークで物語が構成されております。 哀しいことに、鼠は巨大システムに敗れましたが・・・残された主人公たちは泪を流しつつも、時に邪悪なシステムに抗い人生を前に進めるところでこの物語は終わります。 落ち着いて考えてみれば・・・・邪悪なシステムに、本来、意思 (こころ) はなく、それを作ってしまったのは我々、卵なのだから・・・・・修正の希望もあるのでは、とでも言うように。

 「世界の終りとハードボイルド~・・・・」という作品も「システムと魂」について、脳の二元論(脳システムと心)を基盤にファンタジックな物語を紡いだ、特筆できる素晴らしい作品ですが、この「星の斑紋を持つ羊 VS. 鼠」の作品は、より小説的に記述されているので、私は好きです。

仮に、筆者にノーベル賞の栄誉が与えられるのなら、私は、この作品を推挙したいです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.150
(5pt)

分冊されない適度なヴォリュームが良い

正直なところ、デビュー作"風の歌を聴け (講談社文庫)" 〜 "1973年のピンボール (講談社文庫)" はプログレッシブ過ぎて理解できなかった。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.149
(5pt)

何なんだこの話は?でも面白い!

上下巻通しての感想。いや~、何か不思議な映画を観終わった感じがした。ハッキリ言って意味はよくわからない(毎度のことながら) だがこの作品は面白かった!「ノルウェイの森」→「風の歌を聴け→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」と読んできた。上巻の3分の2くらいまでは、何だかよくわからないいつもの展開だったが、黒秘書が登場し、羊にまつわる話が出てきてから俄然面白くなってきた。どう考えても児玉誉士夫としか思えないフィクサー(先生)の話とか。今まで読んだ村上春樹の作品では味わえなかった、ワクワクする感じ。そこからは最後まで一気に読みきった。何故そうなるのかは意味がわからないが、自分が思った通りのオチだった(緑のコードを緑のコードに…予想通り) どうでもいいことだろうけど、背中に星形の班紋がある羊は悪魔なんだろうと思った。羊に入られた人間…過去に羊に入られた人間には一代で世界帝国を築いたあのジンギスカンが。もしや安倍首相は一度辞任した後に羊に会ったのか?なんて作り話と現実をごっちゃの妄想をしてしまった。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.148
(5pt)

星形の斑紋を欲しがる人ばかり・・・・

星印の羊=権力(国家権力、父親のようなもの)、という構図で物語は組み立てられております。主人公(狂言回し)の親友、鼠(本当の主役)は父親からの権力の継承を忌避して、「いるかホテル」で偶然見つけた、権力のシンボルである星印の羊=権力(父親のようなもの)と対峙すべく北海道十二滝町の牧場に行き着き、結局、そこで自らの死を以って父親(邪悪なもの)との関係に決着をつける。

鼠は世間の汚れとの距離感を掴むのに失敗したが、主人公を含む多くの若者は少しずつ汚れながら(目をつぶって)何とか人生を進んで行く選択をする・・・・権力者も、非権力者も行きつく先は、全員公平に同じであるにも関わらず・・・あたかも、自分だけは違う、とでも言いたげに。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.147
(5pt)

何なんだこの話は?でも面白い!

上下巻通しての感想。いや~、何か不思議な映画を観終わった感じがした。ハッキリ言って意味はよくわからない(毎度のことながら) だがこの作品は面白かった!「ノルウェイの森」→「風の歌を聴け→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」と読んできた。上巻の3分の2くらいまでは、何だかよくわからないいつもの展開だったが、黒秘書が登場し、羊にまつわる話が出てきてから俄然面白くなってきた。どう考えても児玉誉士夫としか思えないフィクサー(先生)の話とか。今まで読んだ村上春樹の作品では味わえなかった、ワクワクする感じ。そこからは最後まで一気に読みきった。何故そうなるのかは意味がわからないが、自分が思った通りのオチだった(緑のコードを緑のコードに…予想通り) どうでもいいことだろうけど、背中に星形の班紋がある羊は悪魔なんだろうと思った。羊に入られた人間…過去に羊に入られた人間には一代で世界帝国を築いたあのジンギスカンが。もしや安倍首相は一度辞任した後に羊に会ったのか?なんて作り話と現実をごっちゃの妄想をしてしまった。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.146
(5pt)

何なんだこの話は?でも面白い!

上下巻通しての感想。いや〜、何か不思議な映画を観終わった感じがした。ハッキリ言って意味はよくわからない(毎度のことながら) だがこの作品は面白かった!「ノルウェイの森」→「風の歌を聴け→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」と読んできた。上巻の3分の2くらいまでは、何だかよくわからないいつもの展開だったが、黒秘書が登場し、羊にまつわる話が出てきてから俄然面白くなってきた。どう考えても児玉誉士夫としか思えないフィクサー(先生)の話とか。今まで読んだ村上春樹の作品では味わえなかった、ワクワクする感じ。そこからは最後まで一気に読みきった。何故そうなるのかは意味がわからないが、自分が思った通りのオチだった(緑のコードを緑のコードに…予想通り) どうでもいいことだろうけど、背中に星形の班紋がある羊は悪魔なんだろうと思った。羊に入られた人間…過去に羊に入られた人間には一代で世界帝国を築いたあのジンギスカンが。もしや安倍首相は一度辞任した後に羊に会ったのか?なんて作り話と現実をごっちゃの妄想をしてしまった。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122