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正雪記正雪記正雪記正雪記正雪記正雪記正雪記正雪記正雪記
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【この小説が収録されている参考書籍】
正雪記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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由比正雪の出身が我が郷土清水であることから前々から関心があったのですが慶安の変の顛末を知っているだけに正雪ものは読みあぐねていたところ周五郎作品を知り楽しめるのではと手にしました。正雪の修業時代から顛末までを枝葉の話から積み上げ関ヶ原の合戦後の西側諸国大名の改易・取り潰しによって扶持がもらえず浪人となった侍たちへの弾圧による悲惨な扱いを実体験し、義によって天下泰平と万民安堵のために奔走していく流れが見事に描かれています。本作を読み終えて政権維持の為に革新勢力を闇雲に弾圧する江戸時代前期の老中松平信綱は幕末の大老井伊直弼、軍学者由比正雪を吉田松陰に置き換えれば親藩を含む諸大名までに遺恨を残し幕府崩壊の発端となった安政の大獄を連想します。 | ||||
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幕府という巨大な権力に対峙した主人公を支え続けた人々の生き様に共感しながら、一気に読破した。周五郎長編作品の中でも一番心に残った逸品である。 | ||||
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山本周五郎の長編小説の中で一番好きかもしれない。「樅の木は残った」は野生児の一面を持つ原田甲斐の人物造形は素晴らしかったが、あれが伊達家を救うベストの方法だったのか、どうしても疑問が残る。 作品に一貫して流れるのは、権力への静かな怒り。周五郎の作品でもこれほど”反権力”の旗幟を鮮明にしたのも珍しいだろう。終盤の開拓団との抗争はちょっと「カムイ伝」のようだ。(文庫版の解説によれば大逆事件がヒントになっているとのこと。なるほど)対置されるのは、希望を打ち砕かれても誇り高く生きようとする人々の生きざま。凛とした清々しい佇まいの”はん”は周五郎にしか書けないヒロインの典型だ。 もう一つ、僕が気に入ったのは、主人公与四郎の人物像。当時巷に溢れていた浪人救済に一生を捧げようとするのだが(だから、幕府転覆を企む革命家ではない)、元々野心家であった彼にとってはそれさえも名を上げるための選択肢の一つに過ぎなかったのではないかという疑問が拭い切れない。このいかがわしさがあるからこそ”由井正雪”という人物のイメージと通底しあうわけなのだが、一方で「それでいいじゃないか」と肯定する作者の声も聞こえてくる。「ちょっとでも人の役に立てばそれで満足じゃないか。天職、天命なんてものはないんだよ」、と。 他の時代劇作家なら「フン、偽物め!」と斬って捨てそうな山師的な人間を主人公に据えている所に周五郎の作家としての人間としての懐の広さを感じた。自分のやっていることに自信が持てなくなった時に紐解く一冊だ。 | ||||
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面白かったです。 | ||||
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面白かったです。 | ||||
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由井正雪の存在を独特の見地から描写している点、感銘を受けました。 | ||||
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いつもどおり、とてもきれいで使用感もなく、気持ち良い読めそうです。 これからもよろしくお願い申し上げます。 | ||||
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いつもどおり、とてもきれいで使用感もなく、気持ち良い読めそうです。 これからもよろしくお願い申し上げます。 | ||||
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全三部からなり、『労働文化』に連載。第一部は1953年1月から54年1月、第二部は同11月から55年12月、第三部は56年8月から57年8月。由比正雪一代記だが、事績が分からないのでほぼフィクションである。小太郎といった少年時代から、江戸へ出て与四郎となり、島原の乱に参加して浪人たちと知り合う。いわゆる由比正雪になるのは最後のぎりぎりで、ほぼ蜂起計画といったものはない。ただ浪人たちの苦悩と、その浪人を弾圧する松平伊豆守への怒りが、女たちをからめながら淡々と描かれるのだが、これが面白く、最後の忍耐する正雪の姿には涙さえ流れた。 | ||||
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山本周五郎の新たな視点の正雪記、歴史に埋もれた慶安の変を独自の視点で描いております。 正雪のイメージが変わりました。 今までは新興宗教の教祖のようなイメージでしたが?そうではなかったのでは?と考えるようになりました。 そして、もう一つのテーマがあると感じました。 歴史は、その時代の為政者により作られる。 知恵伊豆(松平伊豆守信綱)の考え方と正雪の考え方、どちらも理がありますが、結局、知恵伊豆の思いにより」歴史は作られていった。 ということです。 一読の価値有り | ||||
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全三部構成で、染物職人の小倅小太郎(正雪)の生い立ちから転地修行の旅の果に島原の乱に参加、艱難の末 一命を取り止め江戸で軍学道場を開いて門弟凡そ三千余を集める。時は幕政三代家光の頃、徳川政権の安寧を 策した外様大名取り潰しと、大阪夏の陣以降増え続けた不定浪人の取り締まりなど武断的方策を実施した老中「 知恵伊豆」と評判の松平信綱の治世であった。松平信綱は「樅ノ木は残った」においても、伊達藩六十余万石改易 を目論む幕府の影の立役者として酒井雅楽頭の回想に現れる切れ者である。 幕府揺籃期で島原の乱を契機にキリシタンが日本を乗っ取ると言った風評が悪疫のように江戸界隈に伝染する。 外様反幕勢力や不定浪人に加えキリシタン門徒までもが一同呼応しては幕府の権威も形無しであった。 正雪は浪人救済を眼目に置いた政策進言のため松平信綱との伝を求めて江戸内に堂々と居を構えその機会を伺 っていた。しかし正雪の高名が江戸市中に広がるにつれ、幕府は正雪へ疑心の目を向けた。 かれらの道場に内偵を仕向け情報を知るに及んで、表看板とは裏腹な危険思想の持ち主であるとしたのである。 さて物語は巧妙に展開し、正雪を脇から支える小松や石川はんと言った女性たちの存在感も見逃せない。 まさに伝奇性に富むこと受合いで、山本周五郎氏の跳躍力に秀でた、よく撓う文体は絢爛である。 | ||||
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街中の本屋さんではもう売っていない正雪記をすぐ手に入れることができました。 | ||||
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由比正雪や丸橋忠弥という人物たちが実在したのは、事実らしい。 しかし、その実像はまったく記録されていない。 逆に、そこには創造の余地があるわけで、それが山本周五郎の執筆意欲を駆り立てたのだろう。 以下は、私的な話であるが、自分は十代のときに本書を何度も読み、大きな影響を受けた気がする。 文学的影響ではない。エンターテイメント的な影響、だろう。 つまり、面白かったのだ。 その後、司馬遼太郎の方に嗜好が変わっていったが、山本周五郎はいまでも自分にとってはだいじな小説家のひとりだ。 このたび、電子書籍版が出たので、約30年ぶりに本書を購入した。 細部まで覚えているので、すぐには再読しないが、いつかまた眼を通そうと思う。 | ||||
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家光下の世に突如勃発した島原の乱。異教徒による叛乱であるとして、徳川政権は知恵伊豆松平信綱を彼の地に送り込み徹底的に弾圧する。しかし、島原の乱は実際のところ農民叛乱なのであり、「パックス・トクガワーナ」の陰に、改易などで食い詰めた武士階級の浪人化の問題がトグロを巻いていたのだ。名人・周五郎はそうした「歴史観」のもとに筆を進めており、非常に説得力がある。 本書はいまこそ読まれるべき傑作ではないか! 由比正雪の武士目線が中心であるため、農民の視点は少ないが、巻末近くの「武士の農法」とも言うべきエピソードにおけるその独善性も指摘しており、決して農民の境遇や目線を等閑視しているのではない。 いま、本書に何を読むか。ごたごた言うのはやめるが、現在、由比正雪はどこにもいない。 | ||||
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最初の部分を読んだときにはこの後どうなるやらという展開だったが、意外や意外、思ったよりもかなりおもしろ い作品だった。由井正雪の乱とは人為的に幕府によって作られた事件であるというコンセプトのもと書かれて おり、細かな史実が不明な分、通説とは全く違う見方で再評価しようとしている。その意味で栄花物語の田 沼意次に通じるものがある。この作品での正雪は、山本周五郎氏自身の考えでもあろうが、自害もしくは自 滅を拒否する生き方を選び、あくまで生き抜くこと、最後まで努力することに価値を見出している人間として 描かれており、「樅の木は残った」や「長い坂」と同じ思想で貫かれている。つまりはきわめて正統的な山本 周五郎作品ということが言えるだろう。 | ||||
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由井正雪..といって、どことなくインチキくさい人物を思いうかべこそすれ、ヒロイックかつ真っ当なイメージは描きづらい。そもそも、正雪は駿府の紺屋の息子といわれ、慶安事件そのものはもとより、その出自自体謎めいている人物だ。周五郎はこの人物に、当時の江戸幕府の浪人弾圧策に立ち向かった冷静なNPOとしての役柄を与えている。結果、謎の洞窟金銀財宝や謎の占星術師と御嶽山で修行、日英混血の霊感少女などを登場させ、世にすくっと立った後の与志郎、すなわち民部正雪のカリスマ性にリアリティを持たせるという荒技を用意した。そのため、初期の海南太平記のような荒唐無稽さを幾分含んでいる嫌いはある。また、特に覚念坊の取り扱いに破綻があったり、各人のキャラ設定に甘いところもあるが....その辺は割り引かねばならんが、このお話は「何があろうと、どんな困難があろうと、精一杯生きて、あきらめないでやるだけやろうよ」というのが骨太なテーマとしてあり、充分重みのある読後感を楽しめる。ところで、正雪と惹かれあいながら結局結ばれないおはんのストーリーは柳橋のおせんちゃんとかぶるところがあって、なかなかどきどきした。実際はわからんけど、周五郎の正雪は原田甲斐や田沼意次と並ぶ素敵な人物である。間違いない。 | ||||
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