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(短編小説)
瓶詰の地獄
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【この小説が収録されている参考書籍】
瓶詰の地獄の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.59pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全39件 21~39 2/2ページ
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私が夢野久作を読んだのは、何十年前の事か。奇妙な味の小説と銘打って内外の短編集が 出回った頃でした。国内のもので夢野久作を初めて読んだのが「瓶詰め地獄」が納められた 短編集です。本当に短い小説なのに、そのインパクトの強さに圧倒されたものです。 兄妹で無人島で暮らす二人の間に恋愛感情が芽生え、やっと待ちに待った助け船が来た時 二人は自殺すると云う設定は、まだ世間知らずの高校生だった私には夢野久作と云う作家を 強烈に印象付けたのです。暫くは次々に彼の小説を読み漁ったものでした。例の賛否が 分かれる「ドグラマグラ」も読みました。結局、私の中では「瓶詰め地獄」が上位を占めて ますが決して1位では有りません。まだ未読の方には是非読んで貰いたい作品です。 | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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性。投瓶。幼児。異国。死。男装。悪魔。電信。変態性欲。幻肢。薬。宝石。夢遊病。遺伝性。片輪。殺人芸術。鏡。オホホホホホホホホ。 女。 "……彼女は暗黒の現実世界に存在する底無しの陥穽(おとしあな)である……最も暗黒な……最も戦慄すべき……。……陥穽と知りつつ陥らずにはいられない……"(「鉄槌」) 地獄を人間存在自体の中に見出してしまったモダニズムの、その先には何があるのだろう。自己の内なる深淵に無限に堕ち続けるしかないのだろうか。 「瓶詰の地獄」は、身体の内から暗く重い熱が喉を塞ぐように込み上がってくる傑作。 | ||||
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「ドグラ・マグラ」という摩訶不思議なタイトルの小説の存在と著者の夢野久作の名前だけは知っていたが、なんとなくずっと避け続けてきた。でもこの度、「ドグラ・マグラ」ではなくこの本から夢野久作の世界を覗かせてもらった。「ドグラ」には一種、警戒心を持っていたのに、短編集だからと、ちょっと油断したかもしれない。比重の重い小さな金属をふいに手のひらに載せられて、その小ささに釣り合わない重さにギョッとしたような時のような気分というか・・・。そういう時って一瞬薄気味悪いな〜という感情を持ったりするものだが・・・。この短編集に自分はそんなイメージを持った。文庫のタイトルでもある「瓶詰の地獄」は、行間からどす黒く異様さが漂ってくる。ほんの短い小説なのに、底なしの広がりをもっている。この本からだけの印象で語ってしまうが、さて、著者の意図は??と考えると、「読む者に人間の持つ狂気に気づかせること」、という点がどうしても浮かんできてしまう。著者の創りあげた狂気の世界を共有しないと内容をより深く味わえないということに読んでいるうちにいやおうなしに気がつくので、読み手は怯えながらもそろそろと著者の提示してくる狂気の世界を受け取るはめになる。著者の狂気の世界を共有する、させられる、ということがこの本の一番恐ろしくて無気味なところだと思う。引っかかってしまった人はこれは縁だと思ってあきらめて(笑)気合を入れなおして思い切って読んでみるしかないかも。 | ||||
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夢野氏お得意の脳髄世界に魅了される。 ドグラマグラがこの時点で構成されていたような、そんな作品ばかりだ。 この書物を読んで脳髄に支配される人間というテーゼを一度は思考してもらいたい。 | ||||
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私が生まれる前には既にこの世を去っていた人の作品、 とは思えないほど、今読んでも新鮮な独特なものを感じます。 もちろんその頃の時代にあったのであろう空気も 滲んでいるように疑似体験できたり、文章から滲むリアルさと 奇妙な雰囲気に、気圧されました。 ブラックユーモアな作品だと、くくりきれない、暗い圧迫感、 湿気の多い真夏の気だるさのような纏わりつく感覚、 どれをとっても寝覚めの悪いそら恐ろしい気持ちにさせられました。 でも面白い・・・面白いっていうのも語弊がありそうですが、 一筋縄ではない世界に虜です。 こんな徹底した世界が作れるなんて本当に凄いと感動しました。 どの作品も、というより一文一文に魂が込められているような 念のようなものを感じて、恐ろしいような崇拝したいような 不可思議な感覚にもなりました。 この人にしか書けない世界だと、気持ちよく読みきりました。 内容は決して気持ち良いとかの部類ではないけれど。 収録作品 ■瓶詰の地獄 ■人の顔 ■死後の恋 ■支那米の袋 ■鉄鎚 ■一足お先に ■冗談に殺す (2010.5.15読) | ||||
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中学生の頃「ドグラ マグラ」を偶然手にし、そのあまりの異様さに嫌悪感をおぼえたことがある本に毒でも付いているような気がして触りたくなくなった大人になって夢野久作を再読この「瓶詰地獄」を読んでわかったことだが、内容のブキミさよりも文体がまず異様行間から夢野久作の悪意と殺気が漂ってくる中学生だった私が何故にあれ程嫌悪したのか、30後半にしてやっと理解した次第犯行現場をイヒヒとデバガメするような猟奇と狂気の七篇 | ||||
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「瓶詰の恐怖」は読者の想像力に訴え、残酷さと哀感を喚起させる傑作。作者の代表作と言っても良いと思う。 作品の構成はシンプルで、1通の通知書と3通の手紙から成る書簡体小説である。通知書の内容は、ある島の海岸で3本のビール瓶を回収したので送付するとの事。問題はビール瓶の中の3通の手紙である。読者に示される最初の手紙は、無人島に流れ着いた兄妹の絶望の遺書である。兄妹は既に幻想を見ている。そして、示される手紙の順番が巧み。読者に示される手紙を順番に読むと、兄妹が味わう煉獄の苦しみ、悪魔の誘いが読者にヒシヒシと伝わって来る。最後に示される、カタカナ2行のあどけない手紙が哀れを誘う。兄妹の所有物に聖書があった事からして、モチーフは"アダムとイブ"なのであろう。それが、無垢→煉獄の苦しみ→禁断の所業という兄妹の運命に見事に反映されている。 他の作品も佳作揃い。特に、美少女を襲う恐怖を描かせたら天下一品だと思う。作者の幻想性と狂気の世界を味合うには持って来いの短編集だと思う。 | ||||
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夢野久作と言えば「ドグラ・マグラ」だ。しかし、久作をこの一冊だけの作家であるように思わないでほしい… 彼の作品のほとんどが「人はそれぞれの現実を生きている」というテーマで書かれていると思う。 無人島の兄弟も「キチガイ地獄」の語り手も嘘を吐き続ける姫草ユリ子も… | ||||
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夢野久作に初めて触れるにはちょうどいい傑作・佳作がそろっています。 いきなり「ドグラ・マグラ」に手を出したりせず、この本から入門しましょう。 米倉斉加年の表紙イラストもすばらしい。 | ||||
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夢野久作の独特な魅力がたっぷりと詰まった表題作「瓶詰の地獄」 ドグラ・マグラが有名な作者だが、私はこの瓶詰の地獄を最高傑作に推したい。短い文章の中に凝縮された狂気。自分の概念をも覆してしまうような迫力。夢野の狂気の世界にすっかり魅せられてしまう。 それ以外にも、傑作「死後の恋」などが収録されているなど、夢野久作入門としてもうってつけの一冊になっている。 個人的には夢野久作の美少女の描写はとても美しいと思うんですけど、皆さんどうでしょうか? | ||||
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夢野久作の代表作「ドグラマグラ」と「瓶詰の地獄」と「氷の涯」を収録した本書。「ドグラマグラ」単体を買うよりお得かもしれません。私がこれを買ったのは某文庫の奴の表紙が最悪だったからですけど。でも何故「キチガイ地獄」を収録しなかったんだろう?今、「ドグラマグラ」をリメイク映画にしようっていう命知らずな人、いるんでしょうかねぇ?監督や脚本家は所謂Jホラーの名手とかじゃない人の方がいいですけど。主演は誰でしょうね?松山ケンイチがいいな。「ドグラマグラ」は話自体は難解ですが、文体が変わっていて面白いです。チャカポコ節はリズム感があります。ラストで明かされる真相はとても衝撃的です。そして「これを読んだら発狂する」は誇大広告ではありません。 | ||||
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夢野久作といったら『ドグラ・マグラ』。確かに凄い小説です、『ドグラ・マグラ』は。探偵小説というジャンルを超え、その怪奇さ幻想さで読む者を驚かせ、呆然とさせ、クラクラと目眩にも似た陶酔感に酔わせる。著者畢生の代表作です。本書にはこの長編と、掌編『瓶詰の地獄』、中篇『氷の涯』の三篇が収録されています。 代表作ではありますが、できれば本書の五分の四を占める『ドグラ・マグラ』、あえてこの大長編をはずして他の作品を多く入れてほしかった。『少女地獄』、『女坑主』、『あやかしの鼓』、『死後の恋』などなど、その題名を聞いただけでゾクゾクしてくるような、そして読んでみると本当にゾクゾクする優れた作品が数多くあるのだから。評判の高い『ドグラ・マグラ』は読んだことがあるが、他の夢野作品を読んだことがないという人もいるでしょうから。『ドグラ・マグラ』に挑戦してはみたものの、その長さと内容のため途中で挫折、他の夢野作品を読んでみるのをためらっている人もいることでしょうから。 トリッキーな掌編、サスペンスあふれる中篇、そして代表作の大長編。文句のつけようのないラインナップですが、ムリして注文をつけてみました。 | ||||
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瓶詰地獄は何度も読み返しました。書簡3通で構成されている「瓶詰地獄」は読むたびに、僕を不安にさせます。夢野久作の作品は、人間が人間であることの本質的な矛盾や不快感、絶望感といったものを想起させることがあると感じますが、瓶詰(の)地獄はそれをストレートに感じざるを得ない作品です。 | ||||
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少ない登場人物で構成された大作である「ドグラ・マグラ」は、読中は息苦しく窒息感を感じ、読後はやっと開放はされたが自分がメビウスの輪に嵌ってしまった様に感じてしまった。どうしてもミステリー界での取り上げられが多い作品では在るが、文学としてももっと再評価されてしかるべきでは?夢野作品を「ドグラマグラ」から読みたいという人は、コンパクトに名中・短編をまとめた現代教養文庫の方がお勧めです。(この1冊では偏った形で著者を理解してしまうのでは?) | ||||
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本書は夢野久作集と銘打ってありますが、夢野久作の作品を全く知らない方にとっては少なからずとっつきにくい内容になっていると思います。その理由としては、収録作品が「瓶詰の地獄」「氷の涯」「ドグラ・マグラ」の三作しかないうえに、代表作である「ドグラ・マグラ」が全804P中631Pを占める大長編であることがあげられます。このことから本書は、夢野久作集というよりは、集大作である「ドグラ・マグラ」を読むための一冊といってよいと思います。そういった意味で、「ドグラ・マグラ」として薦めるのなら、三大奇書の一つとして読みたい方や夢野久作作品の終着地点として読みたい方など、「ドグラ・マグラ」に集中して興味がある方が最適だと思います。夢野久作の短篇や中篇がたくさん読みたいという方には、収録作品数が少ないのであまりお薦めしません。付録として収録されている「夢野久作の作品について」は夢野久作の息子さんである杉山龍丸氏が書かれたものです。本書を最後まで読み終えた後のステキなお楽しみです。 | ||||
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四方山犬彦による解題、西原和海による解説にも詳しいですが、この巻のテーマは「脳髄の地獄」、つまりは狂気、或いは現実の認識を歪める程の力を持った強力な強迫観念です。狂える脳髄が生み出した、外道なる虚言のカタマリ、夢の中でも続くは悪夢、界遠望なる幻影地獄………今この現実を浸蝕しているのは、病院のベッドの上で生み出されたイルージョンか、コシラエられた他者の記憶が混在する、一篇の悪夢なのか………。そうした夢野/夢の光景が一面に広がる作品ばかりが集められています。 自らが生み出したフィクションの中で、次第に溺れ、窒息し、悲鳴を上げるか笑い出すかするしかないこれらの登場人物達の悲喜劇は、大作『ドグラ・マグラ』が推敲されてゆく段階で生み出されたもので、あちらで敷衍されたアイディアがピンポイントで提示されていると云う点に於いては『ドグラ・マグラ』よりインパクトがあるとも言えます。かの作を補逸するもの、派生作とも、或いは凝縮したものとも読むことが出来るでしょう。収録作品は以下の通り。瓶詰地獄一足お先に狂人は笑うキチガイ地獄復讐(大雪)冗談に殺す木魂(すだま)少女地獄 何んでも無い 殺人リレー 火星の女 | ||||
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ドグラマグラを読むだけでも他の文庫で買うよりも値段が安くすむ。その上、「氷の涯」という名作まで読めて満足度大。「氷の涯」は、とにかくラストシーンのためだけにも読む価値がある。 | ||||
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