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喜多川歌麿女絵草紙
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喜多川歌麿女絵草紙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.27pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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読後感が良くないなぁ。 もっと違う感想を持ちたかった‥ | ||||
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採り上げる題材に、文体が合っていない。もっと粘りがあっていい、そう感じた。故に歌麿の芸術家としての『心』が、伝わって来ない。老中松平定信に抗して、手鎖れの刑を科せられた歌麿、それに連なるイメージが、伝わって来ない。 | ||||
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ここ数年の浮世絵ブームはすごいもので、一年中どこかで浮世絵展をやっていてたくさんの人を集めている。特に北斎人気は凄まじさはどうだろうか(かく言う私も絵師としては北斎が一番好きなのだが)。だが、歌麿の美人画や枕絵、鈴木春信の錦絵がなければ浮世絵文化ははじまらない。そういう歌麿の半生を描いたものと言いたいところだが、歌麿はここでは語り部であって歌麿自身のことはほとんど書かれていない。主人公は歌麿の絵のモデルとなった五人の女の(六人というべきか)哀しい・儚い物語りである。その女たちはまた浮世絵としては残っていない(つまり架空である)。 日本の時代物はあまり好きではなくて、藤沢周平の作品はこの作品を入れてもわずか二作しか読んでいない。作者の代表作ともいえる「海坂藩」ものなどはまったく読んでいない。でも時代物といっても、吉川英治、山岡荘八や海音寺潮五郎などとはずいぶん傾向が違うのだろうということぐらいは察することができる。藤沢周平という作家は妙に人の胸をえぐる文章を書く人だなあと思う。 最後にそれまでとは違った歌麿の一面を書いているところがあるが、これは必要だっただろうか。まさに蛇足だと思う。歌麿の執拗な、下卑たエロさはその絵をみれば充分にわかることだと思うのだが。 | ||||
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藤沢周平らしくない、と思い込み、読み始めたが、やはり作風は、周平作品の雰囲気いっぱいの傑作に上がっている。 | ||||
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全6編の掌編からなる。それぞれが歌麿の絵のモデルを中心にした完結した 物語になっている。同時に全編を通して、当時の松平定信の寛政の改革のもとで 委縮した出版界の様子や、山東京伝、滝沢馬琴、写楽、版元蔦屋なども登場して 歴史物語の趣もあるし、歌麿の浮世絵師としての誇りや悩み、行き詰まり、 女弟子である千代との微妙な交情も味わい深い。 浮世絵のモデルは美しいだけではだめ。うつくしさプラス翳りが必要と本能的に 歌麿は思っている。例えば、3話「蜩の朝」のお糸。 ・・お糸の小柄な肢体には、男の掌で加えられた丸みがあった。 ただそれがなまめかしい色気にはならないで、一種のものうい翳のような ものをかもしだしている・・男に馴らされた哀しみのようなものを、 お糸の身体はまとっていた。・・ 翳りがあるおんな。ゆえに、わけありであり、おとこの影がちらつく。 そこから物語が膨らんで、岡っ引きの辰次なんかが登場して、捕物控や 江戸人情ものの味わいも漂わせる。 歌麿は写楽の絵にショックを受け、自分の絵に自信をなくす。自分の絵はどの絵も おんなの表情が同じだと気づく。それと同時におんなというものがわからなくなる。 たとえば若い頃別れた女たちにしても、いまになってその女の何気ない言葉や そぶりに隠されていた、したたかさに思いあたったりする。おんながわかっていたと 思うのは単に十分に見えなかっただけに過ぎないのではないか。 そんな大スランプに陥った歌麿が、自分を取り戻すべく原点に返ろうとして 何をしたか。実に印象的なシーンで物語全体が終わる。 | ||||
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盛りを過ぎた観察眼のある男がいて、彼が相手の女の気持ちはわかりつつも絵の題材としてしか彼女を見いだせたない。そうしたところをこつこつと描いてる辺りが、女の皺を見つめる細かいところとあいまって凄みを感じる。 | ||||
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大人の御本って感じがまさにぴったりの小説です。 今までの藤沢作品とはちょっと毛色の違った、作品になってますね。 ちょっと難点を付けるならば、本の中身ではなくてこの本自体の文字の小ささに閉口した。 読みにくくて目が痛い。 新装版で出してもらえればいいのに売れないから?昔のままの文字のポイントでがっかり。 | ||||
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以前ある新聞で、日本が最も国際貢献しているモノは何か、ということを論じていました。 そのモノとは「浮世絵」ではないだろうか、と結論付けられていたのを良く憶えています。 「浮世絵」は、今では美術館に行かなければ見ることがかないませんが、その名が示すとおりそもそもは、大衆のために描かれた絵です。 江戸時代、田沼意次から松平定信の治世の頃にあたるでしょうか。 世界にその名を轟かす、画家が日本に登場します。 美人画の喜多川歌麿。彼の名は、秘画によって好色な印象が加わっていますが、著者は、その印象を捨てさり、絵描きとしての硬骨漢、歌麿を甦らせました。 松平定信の有名な寛政の改革は、出版統制に及び絵描き、文人にとっては暗黒の時代とも言えます。 歌麿の育ての親とも言える版元・蔦谷重三郎が幕府に厳しい罰則を受けます。 当時の大衆文化を支える歌麿は、飽くまで己の道を行きます。 この作品は、老境に達しようとする歌麿と彼のモデルを努めた女性のエピソードが綴られてゆきます。 一つ一つの物語に、老いや規制に対する歌麿の気概が示されているように感じています。 それは著者の、思いが投影されたものなのかもしれません。 後半、版元の蔦谷が謎の新人の絵を歌麿に見せて批評を受ける件があります。 東洲斎写楽です。蔦谷の番頭が、曲亭馬琴です。 江戸文化が凝縮されたような一冊です。面白いです。 | ||||
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男女も年齢もなく、こんくらい本気ならいいよなあと思うのです。 短編それぞれに、「このくらい好きなら、こうなっても仕方ないやね。」とか、「この女、こうしか生きられないよね。」 とか、思いを全うに引き受けるにも、嘘をつくにも、本気でしかない女たち。 歌麿の、「見るものを見尽くすとこういう距離を取るのだなあ」というあり方もまた、彼の成熟と生来のままの質とを感じさせ、魅力的でした。 粋。 | ||||
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美人錦絵で人気の頂点にいた浮世絵師・喜多川歌麿。 モデルになった女たちの悲しい性と歌麿とのかかわりが、 あの藤沢タッチでしみじみ描かれている。 若いころは女遊び三昧だったが、四十を過ぎ落ち着いてしまった 歌麿の心境が物悲しい。 版元の蔦谷(TUTAYA)が売りだそうとしている写楽などを絡め、 シリーズ短編として、18世紀当時の浮世絵業界と歌舞伎文化を 浮き彫りにしているところも面白い。 | ||||
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これはこれは、大変な掘り出し物だった。 もちろん、藤沢周平なんだから、基本的に間違いはない。 でも、これは、ちょっと予想外。 なんちゅうかな、藤沢周平はたくさんの話を書いているけど、自分としては大きく、海坂藩をメインにした剣劇+お家騒動+ろまんモノ、あるいは江戸の市井の人の日暮らしぶりモノ、てな感じになって行くような気がする。 ところが、この作品は違う。 浮世絵で有名な歌麿。 ずいぶん艶っぽい話になるのかな、と思っていたら、なんと。 もっともっと、大人のオトコとオンナの、心の機微が語られる。 よかったなぁ。何だか、男と女の関係も、いろいろあるんだなぁ、なんて。 その中でも、歌麿と通いの女弟子千代との関係。 これは、よかったぁ。うーん、とてもとても情感があって、しみじみ感じるところがあった。 江戸の市井モノとも言えるけど、それ以上に、人の心のヒダを優しく優しくなでヒモ解くような。 一方で、盛りに陰りの見える中年にさしかかった歌麿の、もう一度と自分を鼓舞するところが今の自分かぶる。 いやぁ、これは大人の本だわ。 | ||||
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