ヘヴン

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評判

ヘヴンの評価:

3.42/5点 レビュー 157件。 B ランク

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平均点3.42pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全176件 61〜80 4/9ページ
No.116
(4pt)

途中までは良かったけど

途中までは良かったけど、後半以降読むのがキツくなってきました。
救われないとか、そういう感情的な部分を抜きとして
段々、非現実的に感じ始めたからです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.115
(4pt)

途中までは良かったけど

途中までは良かったけど、後半以降読むのがキツくなってきました。
救われないとか、そういう感情的な部分を抜きとして
段々、非現実的に感じ始めたからです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.114
(5pt)

ドストエフスキー的小説

どなかたかも書いてますが、ドストエフスキーを感じました。カラマーゾフ。
百瀬が語る場面が大審問官に相当するんでしょうね。
川上未映子は「いじめ」というテーマを情緒で処理するのを嫌った。
小説でありながら論理でいじめの構造に迫ったという印象です。意欲作。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.113
(5pt)

ドストエフスキー的小説

どなかたかも書いてますが、ドストエフスキーを感じました。カラマーゾフ。
百瀬が語る場面が大審問官に相当するんでしょうね。
川上未映子は「いじめ」というテーマを情緒で処理するのを嫌った。
小説でありながら論理でいじめの構造に迫ったという印象です。意欲作。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.112
(4pt)

壊れていく若者。。。

とても生々しい小説です。

イジメられる若者と苛める若者の本音がぶつかり合います。

何が彼らをそうさせるのか?それを考えさせられる一冊です。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.111
(4pt)

壊れていく若者。。。

とても生々しい小説です。

イジメられる若者と苛める若者の本音がぶつかり合います。

何が彼らをそうさせるのか?それを考えさせられる一冊です。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.110
(4pt)

超えた、かな

いじめられる主人公、いじめる二ノ宮や百瀬、そこに登場するマイペースな不思議っこコジマ、この関係は次第に強烈さをまし、くじら公園での事件に発展するのだが、そこには金色の雨が降るといったような不思議さが漂っている。コジマという少女には最後まで現実感がないけれど、これはまあ狂言廻しということだろう。しかし中学二年という設定は、百瀬と主人公の対話部分のレベルをみるとちょっと無理がある。あんな話ができるのは高校生くらいでしょう。
ともかく、主人公はくじら公園での事件以降、コジマには会っていないという。そこで終わるのは何だなあ、と思っていたら、最終章があった。要するにサロートの言葉のように彼はコジマの呪縛を超えたのだろう。目の手術をして「開眼経験」を持てるようになったのとともに目を閉じた、ともいえる。実際にはコジマは脊椎損傷で寝たきりになってしまったのかもしれないし、二ノ宮たちは補導されて施設に入れられてしまったのかもしれない。ともかく学校とは縁を切った主人公は斜視の手術とともに清々しい明るさを持てるようになる。結構、結構。
というわけで、物語作者としてのベテランが本領を発揮した作品といえる。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.109
(4pt)

超えた、かな

いじめられる主人公、いじめる二ノ宮や百瀬、そこに登場するマイペースな不思議っこコジマ、この関係は次第に強烈さをまし、くじら公園での事件に発展するのだが、そこには金色の雨が降るといったような不思議さが漂っている。コジマという少女には最後まで現実感がないけれど、これはまあ狂言廻しということだろう。しかし中学二年という設定は、百瀬と主人公の対話部分のレベルをみるとちょっと無理がある。あんな話ができるのは高校生くらいでしょう。
ともかく、主人公はくじら公園での事件以降、コジマには会っていないという。そこで終わるのは何だなあ、と思っていたら、最終章があった。要するにサロートの言葉のように彼はコジマの呪縛を超えたのだろう。目の手術をして「開眼経験」を持てるようになったのとともに目を閉じた、ともいえる。実際にはコジマは脊椎損傷で寝たきりになってしまったのかもしれないし、二ノ宮たちは補導されて施設に入れられてしまったのかもしれない。ともかく学校とは縁を切った主人公は斜視の手術とともに清々しい明るさを持てるようになる。結構、結構。
というわけで、物語作者としてのベテランが本領を発揮した作品といえる。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.108
(4pt)

読みごたえあるストーリーと描写力

正直、いじめの描写は、見たくない読みたくないテーマで、読んでいてつらく、目を覆いたくなりました。
が、文章力でぐいぐい引き込まれ、一気にラストまで読んでしまいました。
いじめられる側の、弱さを受け入れることの「意味」に、いじめる側(それを看過する側)の論理である、人間の欲望における「無意味」さを対峙させて、主人公の中に相克を引き起こす構成はスリリングで、読み応えがありました。個人的には、コジマの手紙やせりふの細部、描写の的確さが素晴らしいと思いました。自意識過剰になりがちなテーマでありながら、最後まで、人物との距離を保って描き切っているのは、著者の力量と思います。また、登場人物が、主人公から見て非常に浅く描かれているのも、そこが狙いであると思いました。いっしょに住んでいるのに、表面的な会話だけの継母(ある日いきなり家にやって来た)。たまにしか会わない父親。表面的な心配しかしない教師や医師。その救いのなさが、現代社会のリアルだと私は感じました。
本来であれば、5つ星ですが、途中で出てきた、二ノ宮のトイレのシーン、百瀬の妹のシーン、百瀬と二ノ宮の関係性など、伏線かと思わせる部分が回収されていなかったことと、ラストシーンが無駄に美しいことの意味がいまいち腑に落ちなかったので、マイナス1です。でも、読む価値は十分ありです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.107
(4pt)

読みごたえあるストーリーと描写力

正直、いじめの描写は、見たくない読みたくないテーマで、読んでいてつらく、目を覆いたくなりました。
が、文章力でぐいぐい引き込まれ、一気にラストまで読んでしまいました。
いじめられる側の、弱さを受け入れることの「意味」に、いじめる側(それを看過する側)の論理である、人間の欲望における「無意味」さを対峙させて、主人公の中に相克を引き起こす構成はスリリングで、読み応えがありました。個人的には、コジマの手紙やせりふの細部、描写の的確さが素晴らしいと思いました。自意識過剰になりがちなテーマでありながら、最後まで、人物との距離を保って描き切っているのは、著者の力量と思います。また、登場人物が、主人公から見て非常に浅く描かれているのも、そこが狙いであると思いました。いっしょに住んでいるのに、表面的な会話だけの継母(ある日いきなり家にやって来た)。たまにしか会わない父親。表面的な心配しかしない教師や医師。その救いのなさが、現代社会のリアルだと私は感じました。
本来であれば、5つ星ですが、途中で出てきた、二ノ宮のトイレのシーン、百瀬の妹のシーン、百瀬と二ノ宮の関係性など、伏線かと思わせる部分が回収されていなかったことと、ラストシーンが無駄に美しいことの意味がいまいち腑に落ちなかったので、マイナス1です。でも、読む価値は十分ありです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.106
(4pt)

倫理的な感じです

(物語の筋や結末などに触れています。)

この本の前に読んだのは
中原昌也 マリ&フィフィの虐殺ソングブック
芥川龍之介 地獄変・偸盗(短編集)
阿部和重 グランド・フィナーレ

イジメについての小説というよりも、(根底では通じてるだろうけれど)倫理的問題、作中では複数の主張、主に僕、コジマ、百瀬(母さんや外科医もか)の三点を対立させてる。観念的な小説とも言える。また、作中で触れられるけれど、子供に関して、学校・金銭(労働)・離婚は、社会的に重要な意義を持つだろう。

「僕」の主張は、相互性の原理を基にした善悪の価値判断。
コジマは、実利ではない曖昧で観念的な目的の為に苦難の受容を説く。恐らく、その目的が達成されたかどうかは、誰にも判断できない。
百瀬は、偶然性に基づく状況にあって、自らに利するよう個々人が自らの行為を決定すると言う。

社会にあって、三つの主張はそれぞれそれなりに有用だろう。

「僕」のものは、作中にもあるように道徳のひとつとして教えられ、また、相互性の原理は、交換(貿易・労使)を支える原理として機能する。全く同じものを与えるわけではないけれど、それに準ずることとして、与えることの同質性を重視する。(与えるという行為の点では同じだが、与えるもの・ことが異なる点で交換は成立する。)

コジマのものは、観念的な目標、例えば、より良い社会・理想的な教育環境といった言説を支える。平等や権利といった理念の達成といったものも観念的目標であるが、それを目標とすることができるということは、歴史的成果とも言えるだろう。

百瀬のものは、個人主義を支え、そのときの状況により協力したり、敵対したりする。これは、競争をも支える。(作中でははっきりとは書かれないけれど、恐らく、二ノ宮と百瀬はゲイだろう。この偶然と成立は、百瀬のニヒリズムを強化し、二ノ宮を混乱させた。)(斜視もそうだけれど、親の離婚を子供が止めることは難しい。というよりも離婚は、子供に無力感を与えるだろう。これは、作中のイジメの受容とも対応する。また、人間は世界に文句を言い続けていると言える。天災をさけ、独裁者を退けたりもする。)

三者の配置としては、常識的な「僕」を間に挟み、超越的な目的を孤独に目指すコジマ、実践的なニヒリストの百瀬という構図だろう。(コジマの名はコジマ・ワーグナーからか)
三者のいわば止揚として、母さんと外科医が置かれる。彼らは思想など語らず、学校に行かなくてもいいと言い、手術を勧める。

イジメの問題に実践的に対処するなら、「逃げてはいけない」「言ってはいけない」この二つの抑圧から開放することが、重要だ。(最近は変わってきたかもしれないが)学校はイジメを認めたがらず、転校や休学は簡単には受け入れられない(地域にもよるだろうが、粘り強く交渉しなければならない)。事件が起これば対処するが、残念ながら、報告・連絡・相談は、学校や警察などの官僚的組織ではなかなか有効でない。逃げ場があることと、言えることを子供に実感させねばならない。日本の子供達はアルコール依存も不倫もしない(外国ではわからない、あるかもしれない)。また、イジメが発覚したとしても、加害者の生徒を罰することは、公教育制度上でも法制度上でも困難だろう。

イジメが社会問題であるなら、当事者を語るより、学校や省庁や刑法の未成年者への扱いの改善を検討すべきだろう。人員を増やすなど公教育により金をかけるべきかもしれない。英語やバソコンよりも、いじめや不登校への対処、具体的には問題の認知、転校・休学などの対応を積極的にとるべきだ。

共同体・組織などへの帰属に関しても、より流動性が保たれたほうが望ましいと思う。倫理に於いても、効率に於いても。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.105
(4pt)

倫理的な感じです

(物語の筋や結末などに触れています。)

この本の前に読んだのは
中原昌也 マリ&フィフィの虐殺ソングブック
芥川龍之介 地獄変・偸盗(短編集)
阿部和重 グランド・フィナーレ

イジメについての小説というよりも、(根底では通じてるだろうけれど)倫理的問題、作中では複数の主張、主に僕、コジマ、百瀬(母さんや外科医もか)の三点を対立させてる。観念的な小説とも言える。また、作中で触れられるけれど、子供に関して、学校・金銭(労働)・離婚は、社会的に重要な意義を持つだろう。

「僕」の主張は、相互性の原理を基にした善悪の価値判断。
コジマは、実利ではない曖昧で観念的な目的の為に苦難の受容を説く。恐らく、その目的が達成されたかどうかは、誰にも判断できない。
百瀬は、偶然性に基づく状況にあって、自らに利するよう個々人が自らの行為を決定すると言う。

社会にあって、三つの主張はそれぞれそれなりに有用だろう。

「僕」のものは、作中にもあるように道徳のひとつとして教えられ、また、相互性の原理は、交換(貿易・労使)を支える原理として機能する。全く同じものを与えるわけではないけれど、それに準ずることとして、与えることの同質性を重視する。(与えるという行為の点では同じだが、与えるもの・ことが異なる点で交換は成立する。)

コジマのものは、観念的な目標、例えば、より良い社会・理想的な教育環境といった言説を支える。平等や権利といった理念の達成といったものも観念的目標であるが、それを目標とすることができるということは、歴史的成果とも言えるだろう。

百瀬のものは、個人主義を支え、そのときの状況により協力したり、敵対したりする。これは、競争をも支える。(作中でははっきりとは書かれないけれど、恐らく、二ノ宮と百瀬はゲイだろう。この偶然と成立は、百瀬のニヒリズムを強化し、二ノ宮を混乱させた。)(斜視もそうだけれど、親の離婚を子供が止めることは難しい。というよりも離婚は、子供に無力感を与えるだろう。これは、作中のイジメの受容とも対応する。また、人間は世界に文句を言い続けていると言える。天災をさけ、独裁者を退けたりもする。)

三者の配置としては、常識的な「僕」を間に挟み、超越的な目的を孤独に目指すコジマ、実践的なニヒリストの百瀬という構図だろう。(コジマの名はコジマ・ワーグナーからか)
三者のいわば止揚として、母さんと外科医が置かれる。彼らは思想など語らず、学校に行かなくてもいいと言い、手術を勧める。

イジメの問題に実践的に対処するなら、「逃げてはいけない」「言ってはいけない」この二つの抑圧から開放することが、重要だ。(最近は変わってきたかもしれないが)学校はイジメを認めたがらず、転校や休学は簡単には受け入れられない(地域にもよるだろうが、粘り強く交渉しなければならない)。事件が起これば対処するが、残念ながら、報告・連絡・相談は、学校や警察などの官僚的組織ではなかなか有効でない。逃げ場があることと、言えることを子供に実感させねばならない。日本の子供達はアルコール依存も不倫もしない(外国ではわからない、あるかもしれない)。また、イジメが発覚したとしても、加害者の生徒を罰することは、公教育制度上でも法制度上でも困難だろう。

イジメが社会問題であるなら、当事者を語るより、学校や省庁や刑法の未成年者への扱いの改善を検討すべきだろう。人員を増やすなど公教育により金をかけるべきかもしれない。英語やバソコンよりも、いじめや不登校への対処、具体的には問題の認知、転校・休学などの対応を積極的にとるべきだ。

共同体・組織などへの帰属に関しても、より流動性が保たれたほうが望ましいと思う。倫理に於いても、効率に於いても。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.104
(5pt)

考え深いな作品です

最初から最後まで止まらない。人間の矛盾を深い考えさせる作品です
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.103
(5pt)

考え深いな作品です

最初から最後まで止まらない。人間の矛盾を深い考えさせる作品です
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.102
(4pt)

これもひとつの選択

初めての川上未映子作品体験は、「思っていたよりも読みやすい」です。
他の作品を読んだことがないので、たまたまこの本が読みやすかっただけかもしれませんが。

内容については、私はけっこう面白く読めました。
いじめにあっている主人公の「僕」と、同じくいじめにあっている「コジマ」との二人の関係が、いつ切れるともわからないような細い糸のようで切なかった。実際、主人公の斜視を治す手術のことで、二人の関係は切れてしまう。
手術することで美しい世界を手に入れた主人公だが、その斜視が好きだと言ってくれたコジマを失ってしまう。皮肉な話だ。

コジマは、弱さという強さを手に入れたかった。それを共に乗り越えてくれる主人公を必要としていた。
しかし、そのしるしである斜視を治してしまっては、意味がないのだと彼女は言う。
主人公は治すべきではなかったのだろうか。共にひたすらいじめに耐え抜くべきだったのだろうか。

私は、斜視を治す選択をした主人公が間違っているとは思えない。いじめられていた事を継母に告白し、学校をやめることにしたことも間違っているとは思わない。つらい環境に留まっているよりも、新しい世界を生きることが可能ならば、それは選択のひとつだ。
そのために温かな友情を失ってしまうのは辛いだろうが、それも一つのステップである。
喪失は、必ず誰にも訪れる通過儀礼だから。

しかし、いじめの描写がグロテスクで、本当にここまでするのだろうかと怖くなる。
事実は小説より奇なりだから、もっとすごいいじめもあるのだろう。
そしていじめは、おそらく人間社会でなくなることはないのだろう。
誰かをいじめることで、自分より弱い人間がいるという安心を得ようとするのも人間の性なのだろう。
ふりかえれば、自分はいじめられたこともあるし、いじめを傍観してしまったこともある。
いじめたことはないが、それを止めるだけの力はなかった。
ある程度の集団ができれば、必ずそこにいじめは生まれてしまう。
そのいじめにあってしまったのなら、戦う勇気も必要だろうし、他の集団に逃げ出す勇気も必要だろう。
そして、できればいじめがなくなるような世界にしたい。無理は承知で言うが。

ひとつの結論として、この小説の選択はありだと思う。
そして、コジマの選択もまたありなのだろう。
美しい世界とは、果たして自分にとってなんなのだろうか、そう考えさせられた。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.101
(4pt)

これもひとつの選択

初めての川上未映子作品体験は、「思っていたよりも読みやすい」です。
他の作品を読んだことがないので、たまたまこの本が読みやすかっただけかもしれませんが。

内容については、私はけっこう面白く読めました。
いじめにあっている主人公の「僕」と、同じくいじめにあっている「コジマ」との二人の関係が、いつ切れるともわからないような細い糸のようで切なかった。実際、主人公の斜視を治す手術のことで、二人の関係は切れてしまう。
手術することで美しい世界を手に入れた主人公だが、その斜視が好きだと言ってくれたコジマを失ってしまう。皮肉な話だ。

コジマは、弱さという強さを手に入れたかった。それを共に乗り越えてくれる主人公を必要としていた。
しかし、そのしるしである斜視を治してしまっては、意味がないのだと彼女は言う。
主人公は治すべきではなかったのだろうか。共にひたすらいじめに耐え抜くべきだったのだろうか。

私は、斜視を治す選択をした主人公が間違っているとは思えない。いじめられていた事を継母に告白し、学校をやめることにしたことも間違っているとは思わない。つらい環境に留まっているよりも、新しい世界を生きることが可能ならば、それは選択のひとつだ。
そのために温かな友情を失ってしまうのは辛いだろうが、それも一つのステップである。
喪失は、必ず誰にも訪れる通過儀礼だから。

しかし、いじめの描写がグロテスクで、本当にここまでするのだろうかと怖くなる。
事実は小説より奇なりだから、もっとすごいいじめもあるのだろう。
そしていじめは、おそらく人間社会でなくなることはないのだろう。
誰かをいじめることで、自分より弱い人間がいるという安心を得ようとするのも人間の性なのだろう。
ふりかえれば、自分はいじめられたこともあるし、いじめを傍観してしまったこともある。
いじめたことはないが、それを止めるだけの力はなかった。
ある程度の集団ができれば、必ずそこにいじめは生まれてしまう。
そのいじめにあってしまったのなら、戦う勇気も必要だろうし、他の集団に逃げ出す勇気も必要だろう。
そして、できればいじめがなくなるような世界にしたい。無理は承知で言うが。

ひとつの結論として、この小説の選択はありだと思う。
そして、コジマの選択もまたありなのだろう。
美しい世界とは、果たして自分にとってなんなのだろうか、そう考えさせられた。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.100
(5pt)

殉教の物語?

クラスの数人のグループから日常酷いいじめを受けている中学生の少年、斜視であり、身体も小さい。物語はこの少年の「僕」という一人称の語りで進む。「僕」の具体的な名前は最後まで出てこない。それはもちろん意図的だろう。そしてもう一人の主人公、コジマ。コジマは同じクラスの女生徒で、痩せて汚れて臭い。それには理由があることであるが彼女も同じようにいじめを受けている。そのコジマから「僕」にある日、手紙がくる。学校の机のなかメモ紙が貼り付けてられるという形で。シャーペンで書かれたそれには<私たちは仲間です>と書かれてあった。
 いじめるグループは、容姿、能力など優れた位置にある子をリーダーとした子達である。彼らは「僕」を日常的に「ロンパリ」あと嘲り、無意味に殴ったり蹴ったり、またゲームと称してチョークを食べさせたり、体育館でバレーボールのぬけがらを頭にかぶせて、サッカーボール代わりにしたりする。コジマも具体的には書かれないが同様の扱いを受けている。
 その間二人の「文通」が続く。このことがいつかいじめグループにばれて、酷い目に遭うのではないかと、読んでてひりひりする思いだった(最後にそうなるが)。ある日二人は一緒に小さな旅に出る。この出来事は物語り上重要な場面であるが、そこで交わす会話や佇まいなど、どちらかといえば醜い子供なのにとても美しい描写である。まるで神の子のように。
 そしてコジマは、いじめられることは自分たちの「宿命」のように「僕」にいう。「僕」が斜視であることもコジマ自身が汚いことも、自分自身であることのしるしであると。だから斜視を手術で直せると「僕」が話したときコジマは強く反発し、通信が途絶える。
 「僕」をいじめているグループの中に百瀬という子がいる。百瀬は、二ノ宮率いるグループの中では超然としていて独特であるから、いつか「僕」を助ける存在なのかなと思っていたがそうではなかった。「僕」の、何故いじめるかという問いに、彼なりの論理、いじめるもいじめられるもそれをどうにかしようと思うこともそれぞれの勝手である、というようなことを答える。それを「僕」は否定しきれない。
 そしてある日二人が待ち合わせた公園に二ノ宮、百瀬他が現れ、ここでセックスしろと迫る。雨の中パンツ一枚にされてかじかむ「僕」。そしてコジマは自ら全裸になり雨の中、笑いながら二ノ宮達に向かい合う。それはもうコジマではなく何者かになったかのようである。
 そのあといじめグループが処罰されたという描写も、コジマがどうなったかという描写もない。ただ「僕」は斜視の手術をしそれは成功し、初めて見る美しい世界に感動し、またそこで「僕」の何かが終わったことを知るのである。予定調和の全くない筋書きで、久しぶりに好いものを読ませてもらったと思った。そして、これはいわば殉教の物語のようだとも思った。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.99
(5pt)

殉教の物語?

クラスの数人のグループから日常酷いいじめを受けている中学生の少年、斜視であり、身体も小さい。物語はこの少年の「僕」という一人称の語りで進む。「僕」の具体的な名前は最後まで出てこない。それはもちろん意図的だろう。そしてもう一人の主人公、コジマ。コジマは同じクラスの女生徒で、痩せて汚れて臭い。それには理由があることであるが彼女も同じようにいじめを受けている。そのコジマから「僕」にある日、手紙がくる。学校の机のなかメモ紙が貼り付けてられるという形で。シャーペンで書かれたそれには<私たちは仲間です>と書かれてあった。
 いじめるグループは、容姿、能力など優れた位置にある子をリーダーとした子達である。彼らは「僕」を日常的に「ロンパリ」あと嘲り、無意味に殴ったり蹴ったり、またゲームと称してチョークを食べさせたり、体育館でバレーボールのぬけがらを頭にかぶせて、サッカーボール代わりにしたりする。コジマも具体的には書かれないが同様の扱いを受けている。
 その間二人の「文通」が続く。このことがいつかいじめグループにばれて、酷い目に遭うのではないかと、読んでてひりひりする思いだった(最後にそうなるが)。ある日二人は一緒に小さな旅に出る。この出来事は物語り上重要な場面であるが、そこで交わす会話や佇まいなど、どちらかといえば醜い子供なのにとても美しい描写である。まるで神の子のように。
 そしてコジマは、いじめられることは自分たちの「宿命」のように「僕」にいう。「僕」が斜視であることもコジマ自身が汚いことも、自分自身であることのしるしであると。だから斜視を手術で直せると「僕」が話したときコジマは強く反発し、通信が途絶える。
 「僕」をいじめているグループの中に百瀬という子がいる。百瀬は、二ノ宮率いるグループの中では超然としていて独特であるから、いつか「僕」を助ける存在なのかなと思っていたがそうではなかった。「僕」の、何故いじめるかという問いに、彼なりの論理、いじめるもいじめられるもそれをどうにかしようと思うこともそれぞれの勝手である、というようなことを答える。それを「僕」は否定しきれない。
 そしてある日二人が待ち合わせた公園に二ノ宮、百瀬他が現れ、ここでセックスしろと迫る。雨の中パンツ一枚にされてかじかむ「僕」。そしてコジマは自ら全裸になり雨の中、笑いながら二ノ宮達に向かい合う。それはもうコジマではなく何者かになったかのようである。
 そのあといじめグループが処罰されたという描写も、コジマがどうなったかという描写もない。ただ「僕」は斜視の手術をしそれは成功し、初めて見る美しい世界に感動し、またそこで「僕」の何かが終わったことを知るのである。予定調和の全くない筋書きで、久しぶりに好いものを読ませてもらったと思った。そして、これはいわば殉教の物語のようだとも思った。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.98
(4pt)

読みやすさで群を抜く

この作家のほかの作品(とくに初期の短・中篇作品)は詩人気質の強い才気走った印象が強く、好き嫌いがわかれると思いますが、この作品はとても読みやすい。平易な文章でつくられています。
長篇ということももちろんありますが、作家としてより広く読者に向かおうとした飛躍作なのだと思います。
題材もふくめて凡庸な箇所も多いかもしれないけれど、きっとその凡庸さこそがこの作家の飛躍であったのだと思います。
ほかの川上作品が読みづらかったというひとは、是非読んでみてください。オススメしたいです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.97
(4pt)

読みやすさで群を抜く

この作家のほかの作品(とくに初期の短・中篇作品)は詩人気質の強い才気走った印象が強く、好き嫌いがわかれると思いますが、この作品はとても読みやすい。平易な文章でつくられています。
長篇ということももちろんありますが、作家としてより広く読者に向かおうとした飛躍作なのだと思います。
題材もふくめて凡庸な箇所も多いかもしれないけれど、きっとその凡庸さこそがこの作家の飛躍であったのだと思います。
ほかの川上作品が読みづらかったというひとは、是非読んでみてください。オススメしたいです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469