ヘヴン

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評判

ヘヴンの評価:

3.42/5点 レビュー 157件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.42pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全176件 41〜60 3/9ページ
No.136
(4pt)

上手い小説だが、面白い話ではない。視野の大切さ

学校の同じクラスでいじめを受けている男子生徒と女子生徒がいて、そこから2人の距離が縮まる話である。

読んでいて、気分悪くなる人もいるだろうし、結末でも、うーむと唸る人もいるだろう。

正直、自分自身もまた再読したいという気持ちになるには、内容を完全に忘れるまではないと思う。

虐める側の言い分が本書に書いてある。

簡単に言えば、他人事だからいじめるのである。
傷つくのは僕らじゃない。
そう、彼らは相手の立場になって考える事が出来ない、視野が狭い人間なのだ。

その視野の狭さを、主人公の斜視という病気に重ねてあると思う。

主人公はいじめられている自分を直視せずに、ただ受け入れている。

そりゃ虐める方が100%悪いのだが、主人公の僕は何か具体的な手段を取る訳でもなく、黙って事態が過ぎ去るのを待っている。
その判断も所謂、視野の狭さなのかもしれない。

話は斜視というファクターありきの話でもあり、最後に斜視を治す手術を受けた描写もある。だが、治したからと言え、現実がガラッと変わるのだろうか?という気持ちもする。

それと、もう1人の主人公である、女子生徒のコジマ。

彼女は主人公の僕に、情けから来ている共感で、僕に近づいてくる。

友達がいない彼女は、仲間が欲しいようだ。

それに彼女は美術館にある、ヘヴンという、
コジマ自身が勝手に名付けた絵が好きである。

タイトルのヘヴンが持つ意味はなんだろう?

本書で、壮絶な虐めを受けた彼女の最後はどうなったのかはわからない。

最後の公演での悲惨な虐めの発端は、彼女が欲しがっていた、仲間への裏切りだったからだ。

それ故、ヘヴンに行ったかもしれない。

風呂敷を回収していない話もありますが、
それも人の視野、見える範囲には限界があるかもしれないという暗喩?なのかもしれない。

小説を読み終えて、上手い小説だなと思いましたが、面白くない小説でした(話のテーマ的に)。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.135
(4pt)

上手い小説だが、面白い話ではない。視野の大切さ

学校の同じクラスでいじめを受けている男子生徒と女子生徒がいて、そこから2人の距離が縮まる話である。

読んでいて、気分悪くなる人もいるだろうし、結末でも、うーむと唸る人もいるだろう。

正直、自分自身もまた再読したいという気持ちになるには、内容を完全に忘れるまではないと思う。

虐める側の言い分が本書に書いてある。

簡単に言えば、他人事だからいじめるのである。
傷つくのは僕らじゃない。
そう、彼らは相手の立場になって考える事が出来ない、視野が狭い人間なのだ。

その視野の狭さを、主人公の斜視という病気に重ねてあると思う。

主人公はいじめられている自分を直視せずに、ただ受け入れている。

そりゃ虐める方が100%悪いのだが、主人公の僕は何か具体的な手段を取る訳でもなく、黙って事態が過ぎ去るのを待っている。
その判断も所謂、視野の狭さなのかもしれない。

話は斜視というファクターありきの話でもあり、最後に斜視を治す手術を受けた描写もある。だが、治したからと言え、現実がガラッと変わるのだろうか?という気持ちもする。

それと、もう1人の主人公である、女子生徒のコジマ。

彼女は主人公の僕に、情けから来ている共感で、僕に近づいてくる。

友達がいない彼女は、仲間が欲しいようだ。

それに彼女は美術館にある、ヘヴンという、
コジマ自身が勝手に名付けた絵が好きである。

タイトルのヘヴンが持つ意味はなんだろう?

本書で、壮絶な虐めを受けた彼女の最後はどうなったのかはわからない。

最後の公演での悲惨な虐めの発端は、彼女が欲しがっていた、仲間への裏切りだったからだ。

それ故、ヘヴンに行ったかもしれない。

風呂敷を回収していない話もありますが、
それも人の視野、見える範囲には限界があるかもしれないという暗喩?なのかもしれない。

小説を読み終えて、上手い小説だなと思いましたが、面白くない小説でした(話のテーマ的に)。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.134
(4pt)

なにが善なのかは他人にはわからない

世の中は喜んだり怒ったりする人たちで成り立っている。読んでいると辛くなる部分もあるが、いじめる人といじめられる人、それぞれに色んな考え方や価値観がある。世界は美しいと思えるような心の余裕が、人間を前向きにさせてくれる。そんなことを考えさせられる本だった。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.133
(4pt)

なにが善なのかは他人にはわからない

世の中は喜んだり怒ったりする人たちで成り立っている。読んでいると辛くなる部分もあるが、いじめる人といじめられる人、それぞれに色んな考え方や価値観がある。世界は美しいと思えるような心の余裕が、人間を前向きにさせてくれる。そんなことを考えさせられる本だった。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.132
(5pt)

いじめる側の心理描写がすごい。

いじめる側の驚くべき価値観といじめられる側のよりどころとする価値観の完全なるすれ違いの描写がすばらしく、解決できないことがわかったときの無力感、絶望感の描写が胸に迫る。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.131
(5pt)

いじめる側の心理描写がすごい。

いじめる側の驚くべき価値観といじめられる側のよりどころとする価値観の完全なるすれ違いの描写がすばらしく、解決できないことがわかったときの無力感、絶望感の描写が胸に迫る。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.130
(4pt)

エンタメとして読むなら☆4

有名な作品らしいので読みました。川上さんの小説は芥川賞作『乳と卵』以外でははじめてです。

ストーリーは、斜視で苛められている中学生の少年の元に、同じく「汚い」という理由で苛められているクラスメイトの少女からの手紙が届くという場面からはじまります。
その後、少女・コジマに「あなたの斜視の目は、あなたそのもの」という意味のことを言われ、「その目は美しい」と褒められる。

はじめて目のことを美しいと言われた主人公は、コジマに以前にまして好意を抱くようになるものの、たまたま病院の待合で会ったクラスのいじめっ子の百瀬に、イジメについて、身も蓋もないことを言われ、さらに医者からは、斜視の治る可能性を告げられる・・・というものです。

以下は個人的な感想になります。

自分としては、読みやすかったので〈いじめ〉をテーマにしたエンタメ小説としてなら☆4つ。
逆に文学としては☆は3つかな、と思いました。

理由は、エンタメとして手に取ると、文章も読みやすく登場人物も個性的なので、酷いイジメの描写はあるものの、〈深いテーマ〉のあるキャラクター小説として読めるからです。

逆の理由は、自分はこの小説のテーマを、
『倫理(善悪)』・『宗教の本質』・『近代的主体』の三つかと思ったのですが、読んでいくと、それらのテーマ(問題提起)に対して〈回答〉が与えられているのは『近代的主体』だけだったので、

文学ではよくある、ある意味ありがちな三つのテーマに対して、そのうち二つの答えがないのは文学としては不足感を感じたからです。

(近代的主体のテーマに対しては、スティグマ(作中でいう「しるし」)である斜視を捨てることで主体=自分の意味付を変えられるという、現代的な回答が与えられています)

残り二つのうち『宗教の本質』においては、恐らく川上さんはコジマに〈神話化される前のキリスト〉のイメージ、つまり「生きる意味」と「弱いものに共感する人間」のイメージを与えていますがそれ以上の言及はないので、
さすがにドストエフスキーや遠藤周作の没している現代でもう一度このテーマを真剣に取り上げるからには、川上さんのオリジナルな回答が必要なのではないかと感じました。

(ちなみに、偶然というべきか『ヘヴン』の単行本の発売年と中村文則さんの傑作で現代のヨブ記のような『掏摸』の発売年は同じです)

もう一つの『倫理(善悪)』のテーマでは、苛める側の百瀬はイジメを善悪とも思っておらず、今っぽくいうと〈リバタリアン〉という感じ、あるいはニック・ランドやバットマンのジョーカーという感じだったのですが、
ほとんどの人が宗教を信じておらず、最終的には警察や法律を頼る現代日本が舞台なので、どうしても19世紀のドストエフスキー文学に描かれる〈キリスト教の倫理に対抗する悪の哲学〉ほどインパクトはなく、

結果的に百瀬のイジメ哲学も、さすがにニーチェ・ドストエフスキーほどの破壊力はないのではないかと思いました。

もっとも、デビュー2年目で上梓した作品のようで、新人でこんな重いテーマなのに読みやすい小説をかけたのは川上さんの才能だろうと思いました。

くり返しになりますが、テーマの深いエンタメとして読むとおもしろいです。

あと、個人的に良いと思ったのは、主人公がコジマに自分の髪の毛を切らせるシーンでした。髪を切るだけなのにあのエロティックな雰囲気を出せるのはやはり、芥川賞作家の実力ですね。

それと、コジマが主人公に〈ヘヴン〉と名付けた絵を見せようとして、その後あえて見せずに、別の絵の持つ「困難を乗り越えたあとの2人の幸福さ」をコジマに言わせた後、このハサミで髪を切るくだりを持ってくることで「ヘヴン」を描くうまさも、やはり芥川賞や谷崎潤一郎賞を取るだけの作家だなと思わされました。

もう一ついうと、醜い〈僕とコジマ〉に対比させて、美しい〈百瀬と妹〉を出すところも徹底していていいですね。
(教室で百瀬と一緒に居た前髪パッツンの美少女、たぶんあの娘が彼の妹)

全体としては読みやすくて良かったです。

ゴリゴリの純文学は嫌だけど、読みやすくてテーマの深い小説が読みたい、あるいは純文学って何が読みやすいの思っているひとに良いかもしれません。

『ヘヴン』が気に入ったら、遠藤周作さんの『沈黙』やドストエフスキーの『悪霊』も読んでみてください。きっと気に入ると思いますよ。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.129
(4pt)

エンタメとして読むなら☆4

有名な作品らしいので読みました。川上さんの小説は芥川賞作『乳と卵』以外でははじめてです。

ストーリーは、斜視で苛められている中学生の少年の元に、同じく「汚い」という理由で苛められているクラスメイトの少女からの手紙が届くという場面からはじまります。
その後、少女・コジマに「あなたの斜視の目は、あなたそのもの」という意味のことを言われ、「その目は美しい」と褒められる。

はじめて目のことを美しいと言われた主人公は、コジマに以前にまして好意を抱くようになるものの、たまたま病院の待合で会ったクラスのいじめっ子の百瀬に、イジメについて、身も蓋もないことを言われ、さらに医者からは、斜視の治る可能性を告げられる・・・というものです。

以下は個人的な感想になります。

自分としては、読みやすかったので〈いじめ〉をテーマにしたエンタメ小説としてなら☆4つ。
逆に文学としては☆は3つかな、と思いました。

理由は、エンタメとして手に取ると、文章も読みやすく登場人物も個性的なので、酷いイジメの描写はあるものの、〈深いテーマ〉のあるキャラクター小説として読めるからです。

逆の理由は、自分はこの小説のテーマを、
『倫理(善悪)』・『宗教の本質』・『近代的主体』の三つかと思ったのですが、読んでいくと、それらのテーマ(問題提起)に対して〈回答〉が与えられているのは『近代的主体』だけだったので、

文学ではよくある、ある意味ありがちな三つのテーマに対して、そのうち二つの答えがないのは文学としては不足感を感じたからです。

(近代的主体のテーマに対しては、スティグマ(作中でいう「しるし」)である斜視を捨てることで主体=自分の意味付を変えられるという、現代的な回答が与えられています)

残り二つのうち『宗教の本質』においては、恐らく川上さんはコジマに〈神話化される前のキリスト〉のイメージ、つまり「生きる意味」と「弱いものに共感する人間」のイメージを与えていますがそれ以上の言及はないので、
さすがにドストエフスキーや遠藤周作の没している現代でもう一度このテーマを真剣に取り上げるからには、川上さんのオリジナルな回答が必要なのではないかと感じました。

(ちなみに、偶然というべきか『ヘヴン』の単行本の発売年と中村文則さんの傑作で現代のヨブ記のような『掏摸』の発売年は同じです)

もう一つの『倫理(善悪)』のテーマでは、苛める側の百瀬はイジメを善悪とも思っておらず、今っぽくいうと〈リバタリアン〉という感じ、あるいはニック・ランドやバットマンのジョーカーという感じだったのですが、
ほとんどの人が宗教を信じておらず、最終的には警察や法律を頼る現代日本が舞台なので、どうしても19世紀のドストエフスキー文学に描かれる〈キリスト教の倫理に対抗する悪の哲学〉ほどインパクトはなく、

結果的に百瀬のイジメ哲学も、さすがにニーチェ・ドストエフスキーほどの破壊力はないのではないかと思いました。

もっとも、デビュー2年目で上梓した作品のようで、新人でこんな重いテーマなのに読みやすい小説をかけたのは川上さんの才能だろうと思いました。

くり返しになりますが、テーマの深いエンタメとして読むとおもしろいです。

あと、個人的に良いと思ったのは、主人公がコジマに自分の髪の毛を切らせるシーンでした。髪を切るだけなのにあのエロティックな雰囲気を出せるのはやはり、芥川賞作家の実力ですね。

それと、コジマが主人公に〈ヘヴン〉と名付けた絵を見せようとして、その後あえて見せずに、別の絵の持つ「困難を乗り越えたあとの2人の幸福さ」をコジマに言わせた後、このハサミで髪を切るくだりを持ってくることで「ヘヴン」を描くうまさも、やはり芥川賞や谷崎潤一郎賞を取るだけの作家だなと思わされました。

もう一ついうと、醜い〈僕とコジマ〉に対比させて、美しい〈百瀬と妹〉を出すところも徹底していていいですね。
(教室で百瀬と一緒に居た前髪パッツンの美少女、たぶんあの娘が彼の妹)

全体としては読みやすくて良かったです。

ゴリゴリの純文学は嫌だけど、読みやすくてテーマの深い小説が読みたい、あるいは純文学って何が読みやすいの思っているひとに良いかもしれません。

『ヘヴン』が気に入ったら、遠藤周作さんの『沈黙』やドストエフスキーの『悪霊』も読んでみてください。きっと気に入ると思いますよ。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.128
(5pt)

個人的には「ヘヴン」の行方が気になる

…「いじめ」を主題にした作品です。いじめられるほうの内面の動き、いじめるほうの心理、傍観者のふるまいも含め、これほど細やかな描写をできるのがすごいなと思う。 
 いたって平易な文章で書かれていますが、その奥深さに吸いこまれます。著者の力量にうならされます。 
 
 こうした社会的な題材は扱うのは非常にむずかしい。実際に起きるいじめにこんな精神論的なことを言ってもいのちは救われないという意見もあるかもしれない。 
 しかしこれは小説だ。人の心に灯るひとつの希望のありかたとして、この主人公の二人のような態度もあっていい。 
 
 つまり、コジマの言うように、いじめをする彼らはほんとうは弱者なのだ、と。それを受け入れる私たちは真の意味で強いのだと。彼女は、いじめっこたちの要求を受け入れ続けるけども、最終的に彼らに魂でぶつかって勝ちます。ガンジーであれマザーテレサであれ、実際の人たちはそんなきれいにはいかず、汚れたぶぶんもあったけど。 
 
 もう一人の主人公〈僕〉(こっちがメイン)は、コジマと交流することでなにを得られたのだろうか。〈僕〉はどちらかというと、自分自身の主張はあまりない。コジマや、いじめっこたちの言うことを延々と考え続け、葛藤し続ける。 
 そして、主人公とコジマのあいだに深い絆が生まれたものの、コジマはいなくなる。いじめっこたちに魂の対決をして力尽きたのを最後に彼の前からは消えてしまう。
 
 
 読後には圧倒された気分が残りつつ、気になったのは「ヘヴン」について。題名の「ヘヴン」は、コジマが自分の好きな絵に勝手につけた名前です。コジマはいつか〈僕〉と「ヘヴン」を共有するはずだった。それが果たせずに終わっている。 
 〈僕〉はさいご救われて終わるけど、コジマと「ヘヴン」を共有する未来があるとしたら、物語はどんなふうに展開していくのだろう。そんなことを思いました。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.127
(5pt)

個人的には「ヘヴン」の行方が気になる

…「いじめ」を主題にした作品です。いじめられるほうの内面の動き、いじめるほうの心理、傍観者のふるまいも含め、これほど細やかな描写をできるのがすごいなと思う。 
 いたって平易な文章で書かれていますが、その奥深さに吸いこまれます。著者の力量にうならされます。 
 
 こうした社会的な題材は扱うのは非常にむずかしい。実際に起きるいじめにこんな精神論的なことを言ってもいのちは救われないという意見もあるかもしれない。 
 しかしこれは小説だ。人の心に灯るひとつの希望のありかたとして、この主人公の二人のような態度もあっていい。 
 
 つまり、コジマの言うように、いじめをする彼らはほんとうは弱者なのだ、と。それを受け入れる私たちは真の意味で強いのだと。彼女は、いじめっこたちの要求を受け入れ続けるけども、最終的に彼らに魂でぶつかって勝ちます。ガンジーであれマザーテレサであれ、実際の人たちはそんなきれいにはいかず、汚れたぶぶんもあったけど。 
 
 もう一人の主人公〈僕〉(こっちがメイン)は、コジマと交流することでなにを得られたのだろうか。〈僕〉はどちらかというと、自分自身の主張はあまりない。コジマや、いじめっこたちの言うことを延々と考え続け、葛藤し続ける。 
 そして、主人公とコジマのあいだに深い絆が生まれたものの、コジマはいなくなる。いじめっこたちに魂の対決をして力尽きたのを最後に彼の前からは消えてしまう。
 
 
 読後には圧倒された気分が残りつつ、気になったのは「ヘヴン」について。題名の「ヘヴン」は、コジマが自分の好きな絵に勝手につけた名前です。コジマはいつか〈僕〉と「ヘヴン」を共有するはずだった。それが果たせずに終わっている。 
 〈僕〉はさいご救われて終わるけど、コジマと「ヘヴン」を共有する未来があるとしたら、物語はどんなふうに展開していくのだろう。そんなことを思いました。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.126
(5pt)

衝撃的な展開と筆力

2009年に出版されたものだが、いまになってはじめて川上未映子の作品『ヘヴン』を読了する。だが、いま読みおえても10年間の隔たりはまったく感じられないことがわかる。
本著はきわめて衝撃的な作品とはいえ物語の構図はきわめてシンプルといえる。つまり、苛める側とそれを受ける側のはっきりした二極化で構成され描かれているのだ。だが、この作品がおもしろいのは苛めの対象となった二人が接近しコミュニケーションをとりながら過酷な状況をのりこえようとするところだろう。
生々しい苛めの描写だけでなく読者をひきつける力強さと緊張感その筆力はきわだっていて説得力もある。それゆえに作品のインパクトは衝撃的でさえある。
ひと言で苛めといっても現代社会が抱える特異な病理現象のようにみられがちだが、ある意味で私たち人間が抱える普遍的な命題とも考えられるのである。

ここでは周囲の人とは少しちがう些細なことから苛めの対象とされたコジマとロンパリとよばれるぼくが設定される。つまり、ぼくは斜視でコジマは汚れた容姿をもつだけで一方的に苛められ抵抗さえできない状況にあるのだ。しかもその過酷な状況はクラスの全員で共有されていて“外”には決して洩れ伝わることも家族に知られることもない。二人は手紙を通じて互いに言葉を交わし、ときどき会って話すようになっていくが二人への苛めはますますエスカレートする。二人の関係は手紙のやりとりで少しずつ心の支えともとれる存在に変わっていく。
コジマは自分の家族について離婚した父と母の暮らしと目茶苦茶になっていく家族の関係について感情をぶつけるように語る。別の人と再婚して裕福な暮らしを自分と母はしているけれど、靴も作業着も汚れたままひとりで暮らす父への思いについて熱く話すのだった。

「・・・わたしがこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにってだけのことなんだもの。お父さんと一緒に暮らしたってことのしるしのようなものなんだもの。・・・」(p94)

「わたしは君の目がすき」とコジマは言った。
「まえにも言ったけど、大事なしるしだもの。その目は、君そのものなんだよ」とコジマは言った。(p139)

さらに、コジマは弱いからされるままになっているのじゃなく、状況を受け入れることによって意味のあることをしているという。やや自虐的なロジックに聞こえるけれどそれなりに説得力はある。
苛めの状況はさらにエスカレートしていく中でぼくはある日、二宮とともに苛める側にいる百瀬と激しく言い合うことになるが物語は思いがけない展開をみせる。病院の医師から斜視の手術のことをすすめられそのことをコジマに打ち明けるがコジマは大きく動揺し混乱する。
最終章の雨の日のくじら公園でのできごと、斜視(しるし)の手術をすることへの決断、物語はいよいよクライマックスを向かえていく。
本著は表面的には権力、暴力、欲望、支配というおよそ人間の理性とは対極にある行動原理のあやまちと正当性について問いかける作品ともいえそうだが、最近のトレンドでいえば反知性主義とでもいったところか。
なるほど、この圧倒する筆力と読者をひきつける凄まじい展開は衝撃的であり見事というほかない。川上未映子、並々ならぬ才能とすぐれた言語感覚を持ちあわせた作家であることはまちがいない。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.125
(5pt)

衝撃的な展開と筆力

2009年に出版されたものだが、いまになってはじめて川上未映子の作品『ヘヴン』を読了する。だが、いま読みおえても10年間の隔たりはまったく感じられないことがわかる。
本著はきわめて衝撃的な作品とはいえ物語の構図はきわめてシンプルといえる。つまり、苛める側とそれを受ける側のはっきりした二極化で構成され描かれているのだ。だが、この作品がおもしろいのは苛めの対象となった二人が接近しコミュニケーションをとりながら過酷な状況をのりこえようとするところだろう。
生々しい苛めの描写だけでなく読者をひきつける力強さと緊張感その筆力はきわだっていて説得力もある。それゆえに作品のインパクトは衝撃的でさえある。
ひと言で苛めといっても現代社会が抱える特異な病理現象のようにみられがちだが、ある意味で私たち人間が抱える普遍的な命題とも考えられるのである。

ここでは周囲の人とは少しちがう些細なことから苛めの対象とされたコジマとロンパリとよばれるぼくが設定される。つまり、ぼくは斜視でコジマは汚れた容姿をもつだけで一方的に苛められ抵抗さえできない状況にあるのだ。しかもその過酷な状況はクラスの全員で共有されていて“外”には決して洩れ伝わることも家族に知られることもない。二人は手紙を通じて互いに言葉を交わし、ときどき会って話すようになっていくが二人への苛めはますますエスカレートする。二人の関係は手紙のやりとりで少しずつ心の支えともとれる存在に変わっていく。
コジマは自分の家族について離婚した父と母の暮らしと目茶苦茶になっていく家族の関係について感情をぶつけるように語る。別の人と再婚して裕福な暮らしを自分と母はしているけれど、靴も作業着も汚れたままひとりで暮らす父への思いについて熱く話すのだった。

「・・・わたしがこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにってだけのことなんだもの。お父さんと一緒に暮らしたってことのしるしのようなものなんだもの。・・・」(p94)

「わたしは君の目がすき」とコジマは言った。
「まえにも言ったけど、大事なしるしだもの。その目は、君そのものなんだよ」とコジマは言った。(p139)

さらに、コジマは弱いからされるままになっているのじゃなく、状況を受け入れることによって意味のあることをしているという。やや自虐的なロジックに聞こえるけれどそれなりに説得力はある。
苛めの状況はさらにエスカレートしていく中でぼくはある日、二宮とともに苛める側にいる百瀬と激しく言い合うことになるが物語は思いがけない展開をみせる。病院の医師から斜視の手術のことをすすめられそのことをコジマに打ち明けるがコジマは大きく動揺し混乱する。
最終章の雨の日のくじら公園でのできごと、斜視(しるし)の手術をすることへの決断、物語はいよいよクライマックスを向かえていく。
本著は表面的には権力、暴力、欲望、支配というおよそ人間の理性とは対極にある行動原理のあやまちと正当性について問いかける作品ともいえそうだが、最近のトレンドでいえば反知性主義とでもいったところか。
なるほど、この圧倒する筆力と読者をひきつける凄まじい展開は衝撃的であり見事というほかない。川上未映子、並々ならぬ才能とすぐれた言語感覚を持ちあわせた作家であることはまちがいない。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.124
(5pt)

面白いです。テーマはイジメそのものではない。この状況に意味があるのかないのか。その意味を見出すのは誰なのか。

主人公の「僕」は斜視で、それが原因で二ノ宮とその取り巻きたちからイジメを受けている。そしてクラスメートのコジマという女子も、女子グループから「汚い、臭い、貧乏」ということでイジメを受けている。
イジメの内容についての描写はかなりあるが、イジメそのものを扱った小説ではないと思う。
コジマは「私と君は仲間だと思う」ということで手紙を書いてきて、二人の交流が始まる。

世界をどのように見るのか。その状況や自分の行動に対して意味を見出していくのか、それとも単一の意味などは存在せず、欲求のみが存在するという見方をするのか。

例えば、イジメという自分に降りかかってきた理不尽な状況をどのように受け止めるか。

コジマは「僕」と立場を同一視するが、微妙な違いがあり、その違いによって物語は展開する。
コジマは実の父親との繋がりを自分の人生の中に位置付けて確認するために、「あえて」汚く貧しく臭い格好をしている。それを理由にしてイジメを受けても彼女は不抵抗であることを決める。このスタイルは自分が選びとっている。抵抗したり、逃げ出したり、その格好を止めることは、彼らの正しさを認めることであり、それは負けることであると。そしてこの非抵抗によってイジメに立ち向かうことは、いずれ必ず大きな意味を持つことになると。意味をもたずに空気だけでイジメに加担している子達よりも、意味を理解しながらその状況を受け入れていくことは「強いこと」であると、ひどいイジメを受けた後の「僕」に諭す。そこには神が人となっても神の子であるというアイデンティティは失わない、受肉の優しさと強さも感じさせる。

「僕」がイジメられる理由は、斜視にある。彼は幼い頃に手術を受けるが失敗し、一生治らないものと思って、そのイジメを受け入れていく。「私は君のその斜視の目が好きだ」とコジマから言われ、自分のこの斜視には意味があるという言葉に励まされるが、同じように不抵抗で状況を受け入れることに次第に限界を感じていく。
そして、医者から斜視は簡単な手術で治るもので、費用も一万五千円ほどであることを知る。斜視であることにアイデンティティを見出そうとしていた「僕」はコジマに相談するが、コジマは拒絶し、そのように逃げる者は自分の仲間ではないとして関係を絶たれてしまう。

斜視の相談と前後して、「僕」は二ノ宮のグループの百瀬と話す。なぜ自分をいじめるのか、そこにどんな意味を見出しているのか、という質問に対して、そんなのに意味なんか感じていないしそんなことはどうでもいい、たまたまその状況にあるだけで、欲求に従っているだけだ、君も嫌なら不登校なり周りに訴えるなり仕返しをするなりすればいいのだ、それをしないということは、意味の存在しないこの世界にあっては欲求に従える人間と従うことのできない人間がいるというだけの話だ、と平然と言ってのける。意味を見出そうとするのは、意味がないという真実に耐えられない弱い人間がすることであって、この世界には意味ではなくただ欲求のみが存在するのだと。

物語のクライマックス、「僕」とコジマは二ノ宮のグループに囲まれ、ここで二人でセックスしろと求められる。それだけは許してくれと懇願し以前コジマが言っていた意味で「屈する」一方で、手に入れた石で反撃をするチャンスがあっても百瀬に指摘されたようにそれをすることができない「僕」。コジマは不抵抗を貫き、彼女は自らと全裸となってその状況を受け入れて見せ、笑いながらその囲んでいる者たちの顔を撫で始める。その「強さ」にほぼ全員が逃げ出し、二ノ宮と百瀬は立ち尽くす。しかし我に帰った二ノ宮は全裸のコジマを倒すが、その時通りがかりの人に目撃されてイジメが発覚することで、物語の展開は終わる。その後、コジマや二ノ宮グループがどうなったかは描かれない。

エピローグ、「僕」は母親と相談して斜視の手術を受けることに決める。アイデンティティのように大切な者であるなら、それはなにをしても意識の中に残るし、そうでないなら残らない。どちらにせよ、解決できることは解決した方が良いと勧められ、手術を受ける。手術後、斜視でなくなった「僕」はよく見える世界の美しさに感動して、物語は終わる。

自分の目の前の出来事には、自分の選択には意味があるのかないのか。ただの欲求の総集に過ぎないのか。外から意味を教えられても自分のものとして受け取ることはできないこと。納得できない状況を解決できるならば、それまでの問いが意外に小さいことであったという実存的な雰囲気も感じられる作品。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.123
(5pt)

面白いです。テーマはイジメそのものではない。この状況に意味があるのかないのか。その意味を見出すのは誰なのか。

主人公の「僕」は斜視で、それが原因で二ノ宮とその取り巻きたちからイジメを受けている。そしてクラスメートのコジマという女子も、女子グループから「汚い、臭い、貧乏」ということでイジメを受けている。
イジメの内容についての描写はかなりあるが、イジメそのものを扱った小説ではないと思う。
コジマは「私と君は仲間だと思う」ということで手紙を書いてきて、二人の交流が始まる。

世界をどのように見るのか。その状況や自分の行動に対して意味を見出していくのか、それとも単一の意味などは存在せず、欲求のみが存在するという見方をするのか。

例えば、イジメという自分に降りかかってきた理不尽な状況をどのように受け止めるか。

コジマは「僕」と立場を同一視するが、微妙な違いがあり、その違いによって物語は展開する。
コジマは実の父親との繋がりを自分の人生の中に位置付けて確認するために、「あえて」汚く貧しく臭い格好をしている。それを理由にしてイジメを受けても彼女は不抵抗であることを決める。このスタイルは自分が選びとっている。抵抗したり、逃げ出したり、その格好を止めることは、彼らの正しさを認めることであり、それは負けることであると。そしてこの非抵抗によってイジメに立ち向かうことは、いずれ必ず大きな意味を持つことになると。意味をもたずに空気だけでイジメに加担している子達よりも、意味を理解しながらその状況を受け入れていくことは「強いこと」であると、ひどいイジメを受けた後の「僕」に諭す。そこには神が人となっても神の子であるというアイデンティティは失わない、受肉の優しさと強さも感じさせる。

「僕」がイジメられる理由は、斜視にある。彼は幼い頃に手術を受けるが失敗し、一生治らないものと思って、そのイジメを受け入れていく。「私は君のその斜視の目が好きだ」とコジマから言われ、自分のこの斜視には意味があるという言葉に励まされるが、同じように不抵抗で状況を受け入れることに次第に限界を感じていく。
そして、医者から斜視は簡単な手術で治るもので、費用も一万五千円ほどであることを知る。斜視であることにアイデンティティを見出そうとしていた「僕」はコジマに相談するが、コジマは拒絶し、そのように逃げる者は自分の仲間ではないとして関係を絶たれてしまう。

斜視の相談と前後して、「僕」は二ノ宮のグループの百瀬と話す。なぜ自分をいじめるのか、そこにどんな意味を見出しているのか、という質問に対して、そんなのに意味なんか感じていないしそんなことはどうでもいい、たまたまその状況にあるだけで、欲求に従っているだけだ、君も嫌なら不登校なり周りに訴えるなり仕返しをするなりすればいいのだ、それをしないということは、意味の存在しないこの世界にあっては欲求に従える人間と従うことのできない人間がいるというだけの話だ、と平然と言ってのける。意味を見出そうとするのは、意味がないという真実に耐えられない弱い人間がすることであって、この世界には意味ではなくただ欲求のみが存在するのだと。

物語のクライマックス、「僕」とコジマは二ノ宮のグループに囲まれ、ここで二人でセックスしろと求められる。それだけは許してくれと懇願し以前コジマが言っていた意味で「屈する」一方で、手に入れた石で反撃をするチャンスがあっても百瀬に指摘されたようにそれをすることができない「僕」。コジマは不抵抗を貫き、彼女は自らと全裸となってその状況を受け入れて見せ、笑いながらその囲んでいる者たちの顔を撫で始める。その「強さ」にほぼ全員が逃げ出し、二ノ宮と百瀬は立ち尽くす。しかし我に帰った二ノ宮は全裸のコジマを倒すが、その時通りがかりの人に目撃されてイジメが発覚することで、物語の展開は終わる。その後、コジマや二ノ宮グループがどうなったかは描かれない。

エピローグ、「僕」は母親と相談して斜視の手術を受けることに決める。アイデンティティのように大切な者であるなら、それはなにをしても意識の中に残るし、そうでないなら残らない。どちらにせよ、解決できることは解決した方が良いと勧められ、手術を受ける。手術後、斜視でなくなった「僕」はよく見える世界の美しさに感動して、物語は終わる。

自分の目の前の出来事には、自分の選択には意味があるのかないのか。ただの欲求の総集に過ぎないのか。外から意味を教えられても自分のものとして受け取ることはできないこと。納得できない状況を解決できるならば、それまでの問いが意外に小さいことであったという実存的な雰囲気も感じられる作品。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.122
(4pt)

「みみずくは黄昏に飛びたつ」で知って

確か自分自身の事をフェミニストといい、その手の話題になると感情的になることから若干マイナスのイメージで読み始めたのですが、正直読みやすく、どちらかと言えば面白かったです。ただ自分としてはもう少し違った結末、展開を期待したし、性的な表現もちょっと違うかな、と。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.121
(4pt)

「みみずくは黄昏に飛びたつ」で知って

確か自分自身の事をフェミニストといい、その手の話題になると感情的になることから若干マイナスのイメージで読み始めたのですが、正直読みやすく、どちらかと言えば面白かったです。ただ自分としてはもう少し違った結末、展開を期待したし、性的な表現もちょっと違うかな、と。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.120
(5pt)

ストイック

しばらく前に読んだ作品です。稚拙な独りよがりの可能性もありますので、他のレビューと相照らして読んでください。
「完全な善と完全な悪の対峙」というのがテーマの一つとして挙げられますが、それだけでは内容が薄いでしょう。(倫理や哲学では昔から議論されてきたテーマだと思います。私はその分野に詳しいわけではないですが)
いじめの中身も一方的で、凄惨なものですが、決していじめの評論のような作品にしようと思って書いた訳でもないでしょう。(いじめを取り出すのであれば、加害者側の心理描写や周囲の環境なども書くはず)
では、この本の”本流となるテーマ”はなんなのでしょうか?正直私にも分かりません。
ただ、そのヒントは、コジマと主人公の間にありそうです。つまり、この二人の関係性、あるいは主人公の言動や思考の中にこの作品の核心があるとみて良いでしょう。そして、その核心が姿を表す描写は最後に集中しています。主人公は、最後の方でコジマを思い浮かべながらマスターベーションをします。(女性には少し理解しがたい場面かもしれません)この描写が大きな意味を持つように私は考えました。なぜなら、主人公のコジマに対する捉え方、つまり、自分から見たコジマの立ち位置がその時に変化したものだと推測できるからです。主人公はいままで、コジマを思い浮かべながらマスターベーションしたことはなかったと言っています。また、公園に呼び出された後の一連の描写とも関係性があると思います。
最後、主人公は斜視を直して銀杏並木を見るところで終わります。陳腐な考え方をすれば、前の方でコジマが「あかし」を持っていたのと同様に斜視こそが彼の「あかし」であり、その「あかし」から逃れることにより世界をまっすぐに見ることができた、という解釈になりますが、なんか腑に落ちない…考えると深みにはまります。
ちなみに、ストイックというタイトルは、描写の苛烈さ、この作品を書いた川上さんの苦痛(私の想像)からつけたものです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.119
(5pt)

ストイック

しばらく前に読んだ作品です。稚拙な独りよがりの可能性もありますので、他のレビューと相照らして読んでください。
「完全な善と完全な悪の対峙」というのがテーマの一つとして挙げられますが、それだけでは内容が薄いでしょう。(倫理や哲学では昔から議論されてきたテーマだと思います。私はその分野に詳しいわけではないですが)
いじめの中身も一方的で、凄惨なものですが、決していじめの評論のような作品にしようと思って書いた訳でもないでしょう。(いじめを取り出すのであれば、加害者側の心理描写や周囲の環境なども書くはず)
では、この本の”本流となるテーマ”はなんなのでしょうか?正直私にも分かりません。
ただ、そのヒントは、コジマと主人公の間にありそうです。つまり、この二人の関係性、あるいは主人公の言動や思考の中にこの作品の核心があるとみて良いでしょう。そして、その核心が姿を表す描写は最後に集中しています。主人公は、最後の方でコジマを思い浮かべながらマスターベーションをします。(女性には少し理解しがたい場面かもしれません)この描写が大きな意味を持つように私は考えました。なぜなら、主人公のコジマに対する捉え方、つまり、自分から見たコジマの立ち位置がその時に変化したものだと推測できるからです。主人公はいままで、コジマを思い浮かべながらマスターベーションしたことはなかったと言っています。また、公園に呼び出された後の一連の描写とも関係性があると思います。
最後、主人公は斜視を直して銀杏並木を見るところで終わります。陳腐な考え方をすれば、前の方でコジマが「あかし」を持っていたのと同様に斜視こそが彼の「あかし」であり、その「あかし」から逃れることにより世界をまっすぐに見ることができた、という解釈になりますが、なんか腑に落ちない…考えると深みにはまります。
ちなみに、ストイックというタイトルは、描写の苛烈さ、この作品を書いた川上さんの苦痛(私の想像)からつけたものです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.118
(5pt)

コジマ・・・・・

消化不良気味に終わってしまうので「なんでやねん?」って、大阪弁風味いっぱいの気にもさせるけど、「ま、これでええかも!」っていう気にもさせる佳作品。大阪弁を離れたのも、いじめのメッカともいえる標準語使用地域が舞台だから!っていうことなのかどうかは、さておき、ここでも「ま、ええか!」っていうことなのか。

 デビュー2作品は立て続けに読んでしまったけれども、テーマがテーマだけに、今まで積んどく状態だったこの御本。
へヴンてなんやねん? コジマはどうなったん?二ノ宮は?百瀬は?って、気にもなるけど、継母は継母であってもそれなりに母親!っていうことが、最後にわかるところがいいここでも佳作品。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.117
(5pt)

コジマ・・・・・

消化不良気味に終わってしまうので「なんでやねん?」って、大阪弁風味いっぱいの気にもさせるけど、「ま、これでええかも!」っていう気にもさせる佳作品。大阪弁を離れたのも、いじめのメッカともいえる標準語使用地域が舞台だから!っていうことなのかどうかは、さておき、ここでも「ま、ええか!」っていうことなのか。

 デビュー2作品は立て続けに読んでしまったけれども、テーマがテーマだけに、今まで積んどく状態だったこの御本。
へヴンてなんやねん? コジマはどうなったん?二ノ宮は?百瀬は?って、気にもなるけど、継母は継母であってもそれなりに母親!っていうことが、最後にわかるところがいいここでも佳作品。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469