■スポンサードリンク
君の話
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
君の話の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全78件 41~60 3/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
過去を過去として自身に留めず、それによって形作られた過去から産まれれた抽出物によって虚構を認めようとせずに虚構と向き合っていこうとするが、虚構であるはずの記憶に現実が混ぜこまれ、虚構を虚構としてではなく現実として捉えていくような | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
久しぶりに悲しい、儚い気持ちを感じました。 今や人生の大半を仕事に費やしている現状に焦りを感じてしまった。 運命の人を信じている、少女の様な心は持ち合わせてないと思っていたのですが、どうやら間違いだった様です。 これから、時間をかけて運命の人に出会ってきます! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なかなかどうして、非常に面白い。 お気に入りの作品の1つになりました。 お奨めします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『君の話』が、初めて読む三秋先生の著作なら、星三つより高く評価してたと思います。 正直、『君の話』を読み終わったとき、「また似たような話だったなぁ」と感じてしまいました。 三秋先生の作品には、共通する点が数多くあります。 まず、主人公が皆社会から孤立しています。ようするにボッチです。そして皆達観していて、村上春樹よろしく「やれやれ」と無気力な性格です。 ヒロインも大抵孤立しています。そして皆不幸な境遇にいます。虐待を受けていたり、ネグレクトされたり事情は様々ですが、辛い環境にいて、それゆえ主人公に依存しています。ヒロインは主人公を一途に想いながらも、謎を抱えています。 要は全部ボーイミーツガールなんですよね。ボーイミーツガールなのはいいんですが、毎度主人公とヒロインの性格、立ち位置が似通っていて、新鮮味に欠けます。 そして一番の類似点は、物語の構成です。三秋先生の作品はミステリではありませんが、伏線(ヒロインに関する謎)をラストに回収する構成が多く見受けられます。『君の話』では、終盤にかけてヒロインが独白する形で真相が開示されます。『いたいのいたいの、とんでいけ』と全く同じ構成で、強い既視感を覚えました。で、ラストは他の作品同様にヒロインが死んでしまうという。 結局、三秋先生の作品って、どれもやってることが同じなんですよね。寄生虫だったり、なかったことにする能力だったり、偽りの記憶を埋め込んだり、題材はそれぞれ違います。ですが、孤独な主人公が不幸なヒロインと出会って、そのヒロインの謎を解き明かして、最終的にヒロインは死んでしまう、という物語の流れは一緒です。 『君の話』は面白かったです。面白かったですが、もう少し趣向が違う三秋先生の小説を読んでみたいと思わずにはいられませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは、何とも切ない恋愛小説だ。 ナノロボットという粉末を飲めば、それが脳に働きかけて、記憶を改変することができる。忘れたい記憶を消し去ることもできれば、服用者一人ひとりに向けたオリジナルの擬似記憶(義憶)を植え付けることもできる。義憶をつくるシナリオライターにあたるのが、義憶技工士と呼ばれる職業である。 物語の前提条件はかなりSFだが、いかにも実際に社会に根付いているかのように、細部にこだわって作り込まれている。 この物語には、主要登場人物の千尋、灯花がそうであるように、空っぽの幼少期を過ごした人たちが何人も登場する。その渇いた魂同士が交錯して、世にも美しく、優しく、儚い物語が産み出された。そしてその物語は、現実に対して作用し出す。 理性では嘘と理解しながらも、そこに救いを求めてしまう哀しさは、涙を誘う。絵に描いたような初恋のストーリーは、胸の奥のこそばゆい箇所を刺激する。 本書の主人公は、そのような力を秘めた物語そのものである。 架空のはずの物語と現実の相似の謎に引き込まれ、クライマックスでは読者を驚かせる粋な仕掛けもある。 独創的な舞台設定といい、感情の襞の描写の細やかさといい、実に心に沁みる作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
三秋縋ワールドであったけど、何かが違った。 絶望の中にある希望、幸せを書きたい といつか著者が言っていたことを思い出しては、主人公は間違いなく不幸の中にいたが絶望の中には居なかったような錯覚を覚えた。 錯覚だったことに気づくのはもちろん言うまでもない。 この先はネタバレを含みますが。 読者にヒロインを植え付けたのは義憶ではなく間違いなくこの本であること。 そして今自分が感じている空虚さを言語化して胸の奥を掴むのはこの本であること。 もう少し自分の運命を信じて、それを感じた時は振り向いてみるのもいいのかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世の中には、たくさんの物語がありますよね。 古くは口承伝達に始まり、日本においては「竹取物語」により、「物語」という概念が芽を出し、平安時代には紫式部という「大人気作家」が生まれ、そして、長い時を経て、数多の小説が途切れることなく描き出され、やがてそれらは映画、ドラマ、マンガ、ゲーム、アニメ……といった形に変容していきました。 それらは種は違えど、垣根はあれど、「人に虚構を与える」という点では共通しています。 本書は、そんな「虚構」と「現実」についての話。 人の記憶を書き換えることのできる「レーテ」やら、「グリーングリーン」といった「記憶改変ナノロボット」が一般化した社会で、主人公が「会ったこともない幼馴染み」の記憶(本書では「義憶」と言われます)を手にしてしまう、という話です。 この設定を書くと、ともすれば最近流行りのAIやVRの一般化した近未来小説のような印象を与えてしまいかねませんが、本書の肝はそこにはありません。 なぜならば、作者が三秋すがるなのですから。 世の中に物語数多あれど、書き手が大勢いれど、「三秋すがる」と全く同質の書き手はいません。彼の描き出す物語は、儚くて、ねじれていて、けれどもまっすぐで、要するに1本の芯が通っています。 そして、どうしようもなく彼の物語に共感する、共感せざるをえない読者がいます。 この本の冒頭の方で、 「自分の頭の中で一番美しい記憶が他人の作り話だなんて、虚しすぎるではないか」 というセリフがありますが、 記憶改変ナノロボットやVRが発展するまでもなく、それ以前の太古の昔からそういう人間は大多数いたと思いますよ。 だって、自分たちは、ただ文字がつづってあるだけの白い紙にこんなにも、どうしようもない感情を覚えることができるのですから。 そういった意味で、三秋すがるは一流の義憶の作り手です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最後の一文を何度も何度も噛み締めてしまう。 ありきたりな表現ですが、読了後になんとも言えないため息が出ます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
三秋縋さんの作品は今回初めて読ませていただきました。なんて切ないんだろう、と読み進めるほどに胸が苦しくなるような物語でした。本作品のSF要素は“義憶”に関する必要最低限なものだけで、普段SF系の小説は読まない方にもおすすめします(僕がそうなので、最初は少し抵抗がありました)。 少し掘り下げますと、本作品は主人公と、彼の義憶の中に出てくる幼馴染との、二つの視点で構成されています。自分の心の隙間をすっかり満たしてしまうような偽りの記憶が、本当は真実なのではないか。受け入れたら楽になれるのに、しかし、自分はこれが偽りであることを知っている。そんな葛藤のなかで主人公はどのように成長していくのか、そして、偽り(?)の幼馴染の目的はなんなのか。自分の胸を締め付けながら、それでいて心を躍らせながら、是非この本を手にし、読み進めてください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
きれいなお話...ではあるが、今までの作品と較べて出来すぎ感が強い。 設定も登場人物(の家庭環境)も、そのきれいな話を構築するためだけに配置されているのが透けて見えて、興ざめを覚えた。 決してアンチなどではない。 この作家さんは、三日間の幸福などが顕著だが、非現実をとりいれても、虚構と分かっていても、ぐいぐい物語に引き込む求心力があった。 もちろん今回の作品も、心情をとても上手に結晶化してるので、確かに心は揺さぶられる。 だが、ときに御膳立てが過ぎて白々しく感じてしまった。 たぶんプロットを計算しすぎたのだろう、 直感的、即興的な感動がない。 例えるならメロディや詩から曲をつくったのではなく、 コード進行から作った曲みたいだった。 もっと粗があってもいいんじゃないだろうか | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の舞台は、「偽りの記憶(義憶)」の埋め込みなど、いわゆる記憶操作が可能となった世界です。 その世界で孤独な主人公が義憶を埋め込み、義憶にしか存在しないはずの作られた幼馴染と出会い振り 回される物語ですかね。 冒頭から中盤は、孤独であったが故の主人公の人付き合いの不器用さが感じられますが、主人公が幼馴染と接していくうちに無意識に変わっていく様子は読んでいて純粋な気持ちになれました。 最後は決して最大のハッピーエンドではありませんが、最高にきれいな話であったと思います。 私はこの本は「君の膵臓が食べたい」に似た系統のものだと感じたので、そういった類の話が好きな方にはお勧めできる一冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いつも、儚げな女の子。鬱蒼とした男の子の切ないストリー。いつもの後半からの刹那的な展開。わかっててもすごく好きです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
三秋縋先生の作品は全部読みました。 今回も最高の話だった。 最期のクライマックスは10回以上読み直しました。 次回作も絶対買います。 無理はなさらない程度で頑張ってください。 一つだけ疑問に残るのが、最期は結局どういうことなのかよくわからなかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人工的な運命の出会いですが、ともすると天然物の運命の出会いより暖かな印象を受けました。 作られた愛が本物の愛に劣るなど、誰が証明出来るでしょうか? 誰にも出来ないと、私は思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
悲しい話なのでしょう、虚無なのでしょう。 そんな者たちが偽物の記憶に縋る様は、悲しく映るのでしょう。 出会ったことのない彼女への恋心も、嘲笑の的でしか無いのでしょう。 けれど義憶を得る、その様はまるで小説を読む読書家のようであり。 物語に出てくるようなヒロインを求め、けれどありえないと否定する私のようでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恋する寄生虫は良かったんだけどなあ。 格好つけず、もっと著者の言葉で描いて欲しかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルにある『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』は、1981年に発表された、村上春樹の短編小説。 とても短い話で、かなり古い短編ですが、未だにファンの多い作品。 村上春樹ファンを公言している三秋縋による新作、「君の話」は、この短編を下敷きにしている事に間違いないだろう。 文体や比喩、登場人物の話し方まで、三秋縋が村上作品から非常に大きな影響を受けている事に疑いの余地はなく、また、作者自身どうやらそれを隠すつもりがないのだと悟ったのは、p47の最後の行の「やれやれ、お前には本当に自分の人生というものがないのだな、と自分自身に呆れ果てる」の一文を読んだ時だった。 この「やれやれ」の言い回しは、初期〜中期にかけての村上作品の主人公がよく使っていた表現で、一種の決め言葉みたいに使われていた。 だから、これは三秋縋が意図的に使った表現で、そこから私は潔さみたいなものを感じた。 ここからはネタバレになるが、「君の話」のストーリーは、一種のテンプレに忠実であり、それは同作者による「恋する寄生虫」、住野よる著「君の膵臓をたべたい」、古くは片山恭一著「世界の中心で愛をさけぶ」と同じだ。 ヒロインは死ななければならない。所謂王道ですね。 話の展開は勿論見え見えだし、「ヒロインもどうせまた死ぬんだろうな」と思いながら読んでも楽しめるのは、やはり作者のアイディアと力量あっての事だと思う。 三秋縋同様、村上春樹ファンである私は、もし初期〜中期の村上春樹が当たり障りないエンタメを書いたら、こんな作品になるのかもな、とか別の楽しみ方もできたり。義憶技工士のアイディアは、村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に出てくる、「暗号士」や「シャフリング」から来ているのかなと予想してみたり。 長々と書きましたが、楽しく読めました。次作も期待しています。 次はテンプレでない筋書きの三秋縋作品を読んでみたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
心的苦痛を取り除くための架空の記憶、これを物語では義憶という。この義憶を植え付ける薬剤が開発 された時代の青春物語。一体どこまでが現実でどこからが義憶なのか、読者は混乱する。著者はこの混乱 こそが青春時代の特徴だと言わんばかりにエピソードを紡ぎ出す。決して難解な言葉を用いている訳では ないが、豊富な語彙力を駆使しながら韻を踏んだリズム感ある文節、想像を超えた表現の広がりなどが物 語全体に力強さを付与している。 そして著者は、何と言っても十代の青春落ちこぼれ少年の心理描写に長けている。失ってみて始めて本 当に大切なものだったことに気づいたり、好意を無視して傷付けたり徹底的に冷たくあたって、それでも 最後まで自分を好きだと言ってくれる女の子が「究極の彼女」なのだと、うそぶく未熟な男の傲慢さには 身につまされる思いがある。 虚構を嫌い妥協を良しとしない正義感がますます己を孤独へと追い込み、生きにくい世の中にしてしま う様は、何とも歯がゆく悔しい。まるで自分の青春時代の思い出のようで切ない。可能なら★7つくらい 付けたかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
否応無く心に染み込んでくる物語。苦しくも、悲しくも、儚くも、美しい。たった一つの100%を地獄の底まで。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
三秋縋の作品が嫌いというわけではない。「スターティング・オーヴァー」のような、駄目で臆病な人間が言い訳のできないような愚行を重ね、それでも格好悪い言い訳を呟き、相応の報いを受けながらも、妥協点を見つけるような話を書く人だという認識だった。あるいは自分にはもったいない女性に徹底的に嫌われながら、その女性と辛抱強く接し続け、受容される話を書く人だと思っていた。 「君の話」からはそういう愚かさや切実さや刺されそうな嫌悪とは無縁に感じた。記憶という抽象的なものを扱っているからかもしれないが、全体的に淡白で迫ってくるものがあまりなかった。それなのに自分が一番かわいそうだという感じで話が進んで、こういうのが幸せのシチュエーションでしょうというサンプルを並べられて、どうにも希薄な物語だった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!