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闇の子供たち
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闇の子供たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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中盤まではいかにもありそうな話で引き込まれるが、後半ちょっと風呂敷を広げすぎた感あり。そう思って読めば東南アジアの貧困の現実として興味深いものはあります。この作者の特徴は特に中盤以降が大風呂敷の無理矢理感が出るところですが、それを踏まえて読めば楽しめます。 | ||||
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映画も原作もいまいち上映前のCMほどではないね | ||||
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フィクションとノンフィクションの境目がわかりにくい作品ですが、私は大半がフィクションではないかと思います。ただし、作者がこの作品を通して伝えたかったのは負の連鎖と利己主義的な社会の現状ではないでしょうか。結局人は皆、自分の生活や考えを中心として生活していて、その繋がりが結果として負の連鎖に繋がるのではないでしょうか。 | ||||
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おそらく、事実に基づいたフィクションだろう。ホルモン剤を使って、激痛と許容量を超えたため死亡する子供。ほんとに、買い手にオナってろといいたくなる。臓器売春も盛んらしい。もちろん、心臓売れば、死亡確定w | ||||
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児童書ですが、読めると思います。 | ||||
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これは小説。フィクションである。 書かれている内容は、ノンフィクションであってこそ読む価値のあるもの、知る価値のあるものだと思った。読んでいて、実際に取材したのではないかと思われる部分もあるけれど、どこにもそうは書かかれていない。あくまでフィクション。そういうことにしておかないと都合の悪い事情があったのかなとも思う。実際、これに近い話は週刊誌で読んだこともある。少し前の日本でも、貧しい一家が生きるために幼い娘を売るのは珍しい話ではなかった。現代日本を舞台にした山岸涼子「テレプシコーラ」にも児童ポルノに小学生の娘を出演させる母親が出てくる。 人権もフィクションであり、それを学んだ人の頭の中にしか存在しない。また、相手に感情があることも、だから「かわいそう」と感じることも、自分の都合で無視することに慣れてしまえば無視しているのが当然になる。どこまでエスカレートしても不思議ではない。だからそれ「だけ」の話をわざわざフィクションで読みたいとは思わない。この作品は小説としての価値は低いと思う。ただ、これは実際に取材された事実ではないのか?という疑問を持って、こういう問題をもっと正確に知ろうとするきっかけになる。 | ||||
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安易に話を終えないところが問題の根深さを感じさせますね。 久々に社会派〜な話を読みました。 そしてリアルタイムのニュースと併せて 色々考えさせられるものがありました。 | ||||
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幼児売春の残酷な描写のセンセーショナルさに頼りすぎなところがありました。 リアリティある箇所とない箇所がアンバランスで、とにかく救いがなさすぎて、 「発展途上国の子供たちがかわいそう」なんて、優等生的な共感をいだけるような作品ではありません。 残酷な箇所に興奮する人にいたずらな刺激を与えるだけかもしれないという、心配さえしてしまいます。 作中にも、NGOのスタッフがタイの人に教育の大切さを説くところがありますが、 きちんと取材をしてノンフィクションにし、貧困が、無知が問題であることを投げかけていただくか、フィクションに徹するかしていただきたかったです。 最後の永江朗氏の解説によるフォローで成立するような気がしました。 | ||||
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前半のタイでの人身売買・売春の実態の凄まじいばかりの描写は著者の真骨頂ともいうべきもの。 貧困がひと一人の命の価値を限りなく軽くする。 ただ後半の展開は微妙。犠牲になる子供を救おうとする主人公の日本人NGO職員の葛藤。 根底の原因が貧困である以上、NGO活動の対症療法が問題の根治には繋がらないという著者・読者の共通認識があるからどうリアリティを出そうとしても偽善臭が消せない、と思うのはあまりにもうがった見方でしょうか。 一人や二人の子供を救ったところでどうなる、というメッセージは本書でも繰り返し発せられていますが、わたしは中途半端な希望を見出すような展開は不要、興醒めであると思いました。 | ||||
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本書は挑発的な啓蒙書である。タイにおいて、子供たちがどのように幼児性愛者に犯されているのか、幼児の生命や身体がどのように売買されているのか、小説家の想像力によって具体的に描かれたのが、梁石日『闇の子供たち』なのである。 だが、幼児への暴力を除けば、全体としてリアリティが欠如していると言わざるを得ない。梁石日にタイ社会を描けとは言わない。問題は、日本人やNGOの描き方がなっていないことである。後半の主人公は日本人の若い女性で、日本からタイのNGOに派遣されたことになっている。彼女は、幼児売買・幼児売春に立ち向かうことになっている。普通に考えれば、彼女はタイ語や北タイ語の習得に何年も四苦八苦しなくてはならない。言葉が出来なければ、NGOの仕事にはならないからである。タイ語はかなり難しいのだ。ところが、この小説では、そういった言葉の苦労が全然書かれていない。さらに、ここに出てくるタイのNGOの設定も、全然なっていない。素人くさい職員からなる、かなり小規模なNGOということになっているのだが、機動力・資金力・政治力が信じられないほど豊富なのである。こんなNGOが存在するわけがない。 外国の社会悪を理解し、ましてや、関与するのは、この小説に描かれているほど簡単ではない。梁石日は、タイの社会悪の一部を描いてみたが、そこに立ち向かう回路を描くことはできなかった。梁石日の取材力の無さだとも言える。とまれ、梁石日をこれ以上責めるのはやめよう。社会悪と立ち向かう回路を築くのは、小説家の役割というよりは、むしろ現実の私たちの課題だからだ。露骨な暴力と悪とが、すぐ身近に存在しているのに、そのことを無視してきた私たちがいたことを本書で確認し、目覚めようではないか。そして、その問題解決に何からの貢献をしようとしている個々人がいることに、希望を持とうではないか。 | ||||
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