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赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE



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【この小説が収録されている参考書籍】
赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEの評価: 4.05/5点 レビュー 20件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.05pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全20件 1~20 1/1ページ
No.20:
(4pt)

全てがバーチャル

私というものが、色々なものに転移していき、世界観が先立つストーリー。現れたものは一瞬で変わり、それを追いかける視点も他者に乗り移る。世界の全てはバーチャルだ、と見抜くための、準備を促します。
赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEAmazon書評・レビュー:赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEより
4062184702
No.19:
(5pt)

なんて表現ができるのか。

読書感想文です。
拙い文章、過分な表現が多々あることを了解してください。

書いてあることはどのようかイメージをしたのかみたいなもので、表現が充実していてすごい。

僕は生涯では長文のメールを打つことが多かった。
レスポンスにレスポンスを返さなくてはならない、なんて大真面目に取ると勝手に長文化していく。
大量の文字を書き、レスポンスも長文で、なんてもうたくさんありすぎる。
文なんてもので表現するより口頭の方がはやいだろうと思ってたりその感覚でやっちゃうから…。そのうち相手にされなくなっていく。

そのような長い系メールを送った相手が他の人に見せたようなことがあるけれども、その感想が「句読点の位置が間違ってる。」と言われたりとかもする。
別に卒業研究の論文でも突っ込まんだろそれ、(first of all, 私的なメールの交換は論文ではない。)みたいなことばかりで文ってほんと書くとろくなことないな、と思う経験が多かった。(もっと軽く書かせて。)

卒業研究とかで突っ込み入れられるのってつながりがよくわかんない、とか、そういうことに「?」とかかれた付箋が貼ってあるぐらいのことで、句点だの読点だのには別になにも言われなかったが…何故気にするのか、みたいに思ってた。
記号の意味…?自分が息継ぎしそうな場所で読点打ってる。そのくらいが無難に思える。

そうやってなんか小むつかしい文の否定を受けすぎると、書くのって難しいな、と思えてくる。どのような文がまっとうな作文なのか? 僕は普通科の教育を受けてないから知らないな、と思う。(誰でも面接受けたら受かるようなところ。資格取得が即戦力になりそうだと学校側が考えているような高校を卒業した。)
(突っ込みどころが交換し合うメールが長いことや僕の発言に対する異論なら意味があることと納得するが。)

ネットワーク化を済ませた頃に生まれた世代なので、(当時はブロードバンドとかいいました。36歳です。2023年現在。)文の否定の回数だけネットワーク内に記すなんて恐れ多くて。
時々作ったプログラムすら否定されたしりもする。
更に否定に否定を返される。
面倒くさくて…。書かない癖がついていた。
著者のS&Mシリーズのどれかに「みんながウェブページを持つ時代きそう。搾取されるだろうに。」といった趣旨の言葉が書かれていたけど、そのような形に近いものがブログだのSNSだのいわれた時代、、、はとっくに通り過ぎて、どこから突っ込んだらいいかわからないデジタル化をいうようになった。(デジタル? 半導体? なにをどれと…。)
そんな中でアウトプットする勇気は、増えたからこそ、やりやすい(…のかもしれない)。

2023年ほどの今は表現技法が「論理的っぽい」とからまれる、と恐れて周囲から逃げて回っている。
論理的っぽいじゃあかんと思うんだけど…。
どれが危険なワードなのかわからないけどとかくそれっぽいとだめらしく、相手がどのような経験を踏んだかわからない状態でのなんか、こう、表現…おっかない…。それっぽく取られる「論理的」ってなに? 言語の悩みはつきない。どれがなにのことを指しているの?

そのあたりの現代的な語彙の理解を極力避けてきたものだから、相手が「論理的思考」といおうものなら親しい友人に「その論理的ってどういう意味?」と聞いてしまう始末。
その説明の内容はわすれたが、「それは何者がやってることじゃないのか?だって今言葉が通じてる。」って応えたりして大変怒られた。
挙げ句、「論理的と論理学は違う」という主張をしてこられるので、教わろうとしたらどこか僕がいけなさそうな大変知名度の高いらしい大学の論理学の講座に使われそうなテキストを送られてきたから熱心にやっていたら「これ定義を説明するためのことじゃないの?」ということになった。
僕が発見した論理的なものは自然言語からだったから。その直前の会話が、「否定の否定の回数が多すぎるな、最近。」とつぶやいたことだったから。
排他的論理和とかがない…と思い、コンピュータや論理回路とは別物と考えてやったから。
似た言葉を用いてもその学術大系以外では意味が違う語はとても多い。
僕の経験を書かないと例えにくいことなので、例えは個人的なことを出さざるを得ないが、「他力本願」とかはその考えを語を生んだ宗派の大学出身でその宗派の僧侶をやってるから、一般的な意味と仏教としての意味はわけて考えるしそれは文脈から読める。(まあいわれないけど。)
経験としては、よからぬ経験は宗教法人に関わることと、個人と法人の区別、税法に関わる発言。
あまりにいわれすぎるから法源まで当たってる。
企業に属す側が法人に所属しているという了解と個人に課される税区分の違いを指摘してくるのがわからなかった。
発言する以上、覚悟してる場だと思っている。個人と法人の区別はしたよね?ワタクシの益金と損金。それは、自社の源泉徴収やってるヤツ、それか国、憲法解釈みたいなヤツ。そういうことやってる人に言って。
僕がなにか損失を生む行いをしたなら違法だろう。
僕にいうことがお門違いだ。納税は国民の義務って書いてなかった? 憲法に。それで僕は個人なんだけど…。そこまでむつかしい話になぜしようとするのか…。

例えば、相手が大学時代にとても嫌なこと、(例えば恋人の自殺とか)熱中したいことがあって、人に勧められたCCNAの本を読んで取ってきてるかもしれないとか、高校時代に取得した日商簿記三級の連続として二級を取ってるとか、例えば、人は想像しない。僕もわざわざ経験は説明しない。
無関係なときに無関係なことをいうのは適切に思えない。
理解が早いのは物わかりがよいヤツかなにかその類いのことをやったヤツ、ぐらいに思っててほしい。そうだとしても、僕自身なにをどのように人が理解しどう捉えたかを人の語彙から想像するように気をつけている。それっぽいだけで構わなかったから、適当に目の前で乱用されると疲れてしまう。
(資格取ったとき自慢しまくってればよかったのか?そういうことしても不満に思われるでしょう。)

そういうの実質効力があろうとなかろうとやりたいときにはやってる。でも、趣味みたいなもので好きでやってきた。
高校時代、ウェブサイトを持つことの目的が「ルーターの設定を教えるのが口頭だと面倒くさい。」とかそういうつもりで作ってるから、実利は自分が相手のルーターの設定をメーカーと型番から聞きルーターの設定を説明をしていくことをウェブサイトに要点だけは最低限書いておける、という部分にあって搾取されることはいくらもなにもはっきりと構わなかった。
ゲームをみんなでやりやすくするためにプログラムを書くのも普通だった。

それっぽいことを言うのは、難しくないか、と思う。
自分の思ってる正しいことを言って、言い負かそうとしてくる方をあしらうために苦労して身につけた知識でも解釈になるともう難しい。
あー、そうじゃない、みたいなことはとても多い。
言葉に苦労するから今ナウ引きこもってる。
中途半端にコンピュータが好きとかネット好きそうとか考えられてきたからこそ、今とても恐ろしい。

経済的なことを話せたならそれでよろしいのなら、僕から見た僕のお財布の中身みたいな経済的なことをはっきりしておかないと困るはず。
払えないし。困るし。ガス止まるし。粗食に思われてるけど食べるの面倒くさいと思ってるだけだから、そっちは何でもいい。
節制は趣味。節制はね…趣味なの…。
(あんまり、言い過ぎると中部電力の価格で単価と電力量を計算させた上でさまざまな機器の現在のコンセントからの電流を計測させるぞ。かけ算だけだが計測し続けるの疲れる…。)

様々な世の中の出来事から影響を受けそれを話題にするのは構わない。僕とは無関係のことに捉えてる。
でも世の中には何らかの形でそれに関係していて物事がそれら細かいことを知っていたり思っていたりする人いるかも。僕みたいな弱っちいヤツが「なにを抜かす」とだれかは思ってるかも。ただ言わないだけかも。

哲学的という表現まである。
「哲学的」といわれたとき哲学的ではなく社会学的な発言だったが、とか宗教学的な発言だったが、とか思いながらは言わない。まだ哲学者と数学者にはあったことがない。
話者は意味をわかって使っている、と思ってるが、哲学的ではないことに突っ込むのは、哲学とは難解そうだ、みたいに思ってそうだから、やっぱり突っ込まない。そのような表現はわざわざたださないが…。

流行ってなぜだか伝わってくる。
コンピュータ組むのが…流行ってたの…?とか
なんで今デジタル化なの? デジタルってなに?計算機じゃだめ?とか…。

πの計算された桁数とか時々計算機の指標として出されるけれども計算なら僕より電卓の方が速い。計算機たるコンピュータが計算が速いことはなんとも当たり前だと思うし、なんかintelがらみで4004みたいな名前の電卓に搭載する命令の考案のためのプログラマブルなICの逸話が昔々あったことを思い出してしまう。
そのような、今と昔の関係は脈々と続いてその今までを知らなくても今使えればよいみたいなのは、僕が十年ぐらい後に流行が終わった頃に流行り物に手を出すことをやっても面白いと思うけども…。悪くもないと思うけども…。
表現技法や使い方が流行る? 皆さんのおっしゃるデジタルってなに…?
オフィスコンピュータではいけない?
LAN内に保存されてるかたちとか、NASとかでもやれたでしょう。
(S○nyのゲーム機のオプション品にそんなヤツなかったっけ…?)
LAN内でも事が済むけどWAN側にどうしても保存したいの?
SANについては?iSCSIについては?
その辺の使う側視点と作る側視点はえらい乖離していて…。親しき友人がその手のネットワーク企業で働いているから、なんか、その、皆さんの利便性を作ってる企業側のことは…?と思ったりする。
そういう人たくさんいると思う。
ただそういう人たちは、自分のやっている仕事のことを言えないから僕みたいななんか知ってるのか知らないのかよくわからないヤツに熱心に説明してくれる。
最新って何だ? 知ったのが自分から見て最新なら僕が驚くこととかは、たくさんあったけども。
みんなが想像したデジタルとはどういうものなのかまではわからない。

大学卒業ぐらいいくらか長髪で居続けるために自分に言い訳をした。
「ユーザーインターフェイスとしての髪、肌。」
そのようにしなかったなら、イメージでとらわれそうなのが僧侶というかお坊さん。
他人に見られるということは気にはした。でも突っ込まれることは全然なかった。
イメージってものは想像しててもわからないものだけれども、しゃべっていても伝わらない。

よく言うようにしてきたのは、「神経接続していないから、他人と真に理解し得ることはない」ということ。
でも、「わかってほしいと思って話しているから、"わかるというと失礼だと思うけど、わかる"という前の部分がいらない」という趣旨のことも言ったりする。
人の気持ちを考えて差し上げなさい、やさしさ大事、みたいなことを思う。
でも優しくない。
ことばこわい。
ひとりはさみしいけど、ひとりでいたい。
最近読書がやれないほど怖い。

この本を読んだのは、2020年の暮れだと思うが、この前に『1984年』を読んだあと、『1Q84』を読もうとした。もちろん言葉遊びとして。
波動というものはわからないけど、波を打つことについて。文字の遊びをやってるところは、素敵に思えた。
ただ波動を理解せよと言われたら、僕は困るな。
波動どころか最近「電荷」とその単位をやっていろいろつながった。
電気は楽しい。
通信が電気でなしえていることとか、その仕組みとか、人に言えなくてつらいことなんてたくさんある。
知識で武装するなんてやりたくないけど、僕にはそれが流行ってるように見える。こわい。
デジタルとかが成功するとかしないとか、やってる側、知ろうとしてる側には関係しない。
わかってもらえない、と人は言った。
でもわかってもらえないことを当たり前にしつつ気づくと悲しいことだったんだな、と思う自分。
そして、わかり合えないことは当たり前なことで、わかり合えないことをわかり合えないとして付き合ってる。
でも、ひとりじゃ今生きていけないし、生きていくことになったらイヤだな、と思いつつ、ひとりであることを望んでいる。

最高傑作なんて評者として言えない。
私個人の中ならこの本は怖い本だ、と思った。
想像の飛躍、連想、アレがああなってみたいにならない時を強く想像して、同調しかけた。
頭がクラクラするほどの情報量。
感覚を記すことはとても難しい。
でも、飛躍した感覚は自分にとって当たり前のようにあって、追ってく中身を説明すると構造を知らない限りわかんないヤツとかある。
人に言っても間がわかんないから、その飛躍の度合いが少ないうちは話すと、どうしてそうなる?と笑ってもらえる。
例えば、僕には肩甲骨を動かしたいからぶら下がりに公園に行く癖があったけど、自分で逆さづりをしてみたくなって構造を考えていたら、ウインチと滑車がいると考えた。バッテリーも。
危険な具合をある程度想像するから、安全にする方法とか補助的な危険回避手段とか考えた。
そしたら、コンパウンドボウと投石器に似ていそうだな、となった。
僕を重力で逆さにつり上げる。そのときのワイヤーの向き、荷重のかかる方向とウインチが引く方向。
倒れないように支柱を立てる位置。
形状は投石器に似ていて、構造はコンパウンドボウに似ている。
どちらも見たことがあるもの。
そのくらいの飛躍はまずどうして逆さづりにしてみたいかが伝わらない。
やってみたいからだよ。
この程度は笑ってもらえる。まだやってない。

発想の連鎖を準備や作業してるときに思いつく。
そういうの記してけたり全部覚えてたらこうなるのにね。

森博嗣の小説を読むきっかけは「二人は数字の11より接近した。」の意味がわかりたくて、読み始めた。
面白いものを探すために、適当な文字列を入力して検索することは昔はよくやった。
それが成立していた頃は。
それに当たったとき、気になったから読書をするきっかけになった。
ほぼ全部読んだことになる。(たぶん)
自分が読書に熱心になるタイプだと思わなかった。
知りたかったことはその文言の意味だから、その本だけで構わないけど、一度読んでから作者の諸作から読んでいき、シリーズを追っていった。
Gシリーズは怖さが強い。
でもこの本はもっと怖い。
この飛び加減は当てられると自分が正気かどうかを疑ってしまう。
様々知ってることと知らないことが書いてあって唐突にそのように変わり続けていく。
多分僕もこのように思考しているのだろうな。
書くとこのようになるのかもな。
でも僕は著者じゃないからわかりえない。

僕は最近意識して勉強をしていると言っている。
趣味でやってたことがなんか、趣味だからわからなくなってるけど、それが勉強だと言われることが多くてどれがどれだったかわからない。
けど多分その行いは勉強と呼ばれるヤツなんだろう。
好きだと知ってくし、なんだかんだ言って教わると興味を持つ。なんだかんだ言って様々な人知ってることが多い。
すごいなぁ、って思ってきた。
でも経緯を誇るとか示すとか考えたことなかった。
そういうのをやるべきなのか、と思った。
ただ、関連する人の前でそのような振る舞いできないな、と思い引きこもり、勉強ではなくなったし仕事なのではないか、と思ってることから、元々趣味だったこと。多分端から見れば資格マニアってヤツだ。でもそれ相応に僕なりの考えがあって示されていて、つながりはある。
そのような流れになった。
コンピュータ触ること、触るときなにも考えてない気がすること。少なくとも勉強はしてると思ってなかった。
それが楽しかったから。
情報処理から会計やら仏教まで。調べてたり読書してたり整理のためにまとめてたりすると楽しい。
勉強だったかこれ、と今更になって気づく。
相手と話がかみ合うのは、相手も語彙から想像するからだと思っていた。

知りたいことは勉強を下地にしてるとかで資格に関係がなさ過ぎるし、様々日常から感じ取ることも含める。
様々な駅付近の道を歩き続けるとわかる地図との対比の理解とか。方位ではなくランドマークをぐるぐる回って見えるものの違いを観察してたりする。
その楽しみ方は適当だけど、なんか好きなんだよって感じ。
それがなにか本に載ってたりしても結構しれる。
ネットじゃ足りないしわかりやすいじゃ足りない。
工具の使い方の練習みたいに。
一人で自分の作業を観察して。そういうのも勉強?
それもよくわからない。
高校時代は大分昔。そのときの感覚は覚えてない。イヤだと思ったのか、楽しかったのか。
それも勉強?
学んだり知ったりすることは楽しいけどそれが二十年ばかり続いてるだけだよ。
いつの間にか蔵書は増えてるし読書した量はすごい多い。
拙いことに引っかかるし多々忘れてる。
その主観のあり方と世間で言われる表現の違い。
それら勉強と思わなかったし、作業工程から得られるコツとかは、勉強?
通信線を配線することやアルミケースをヤスリで削ること、毛筆の練習をしつづけること。
画像編集を写真でやりつづけること。
でもお仕事してる人を尊敬してる。
僕は仕事として活かさない能力を作った。
仕事として役に立つと言われると、役に立てないことを選んだのだから。
それに軋轢は苦しそうに見えた。
今でも聞く苦しみは人と人との意思の疎通の加減で普段から争いたい人たちが争うことをしている。僧侶もそうだ。
大して変わらない。

近年その自分の限りの意味のありすぎる趣味"勉強"をうかつにも活かしてしまって。
それがつらくて。
資格を無駄にすること。それをただ、家業を継ぐことを選びたくて。家族を助けたいと思ったから。
でもその家族から自分を守るために、資格を使わなくてはいけなくて、理論武装と呼ばれる形を徹底してから悲しくて仕方なかった。
やりたくないのに。説得の徹底した根拠。
争う形を取ってしまったから。悩んだ。
効力があることはいつまでも、ないはずだったのに。僕だけの価値だったはずなのに。

そのような感覚は説明しても嫌がられ腹が立たれる。困る。
自分を守るために、その能力を示しても示さなくても興味持ったからやったんだから…。趣味にしておきたかったよ。

理解されたい/理解されたくないと、理解したい/理解してほしくないがたくさんおり混じっていて。
自分と他人が如何に離れていたか。
職で説明してもたりない。
ただ好きだったから勉強やったりしてたのに。
目的の説明が趣味に必要か…。

そういうの考えていくと、みんな読書はなにのためにしているんだろう、と思う。
勉強もそう。
案外楽しくなっていくことあると思う。
スポーツみたいに。

この文はなにかの作品であってなにかの作品にはあんまり思いたくない。
なにかのベネフィットがあるわけではない。
『読書の価値』や『勉強の価値』という著書があるけどまだ読む気もない。
新書は読みたくない。
要らないことを知る。

作者はどう考えてるかは知らないし、わかることはない。
でも作者の文を読んでなにかを知りたかったというのはある。でも何でもいいよ。
わからなかった。僕ももうそのなにを知りたかったのかはもう思い出せない。
なにだったんだろう。
少なくとも同じことは二度気にはならない。その体験は一回きりでとても価値があった。
とても大切な経験だった。

作者に対してしたい質問は変わった。
書くとわかられますか?って聞きたい。
この莫大な想像を一冊にまとめて、まだまだ出てくる。そのすごさ。
僕は書くと孤独が増すのではないか、と思ってしまう。
書けば書くほど表現が欲しくてほしくて。
また伝えたいものはこの量なのかな、と思う。
わかりたいから読む。
職分から人の様々な言葉を聞くけど、いろいろ違う。
わかられたいことはあってもすれ違い続けませんか、と問いたい。
孤独の怖さを知ってそう。さみしさも知ってそう。
僕にはこの本は怖かった。
気持ちの問題で終わりますか。
きっと終わる。

一人でいたいのと一人でいたくないの両方をもとめていたくありませんか。
伝えたいことと伝えきれないことで葛藤しませんか。
孤独であることと孤独でないこと同時に成立したりもとめたりして悩みませんでしたか。
僕が内的に求めているようなことはこういう考え。
宗教も哲学も関係しない。
人と社会は別だけど、人と人とは違い続けて、何故同一を求め装い違うことを探すんだろう。
その事実は生まれてからずっと変わらないのに。
これは、哲学?

まだ僕は勉強が足りないから続けるよ。
今までと大差がないそれを。
僕は他人にはなれなかった、これを読む誰かはどうだった?
赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEAmazon書評・レビュー:赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEより
4062184702
No.18:
(3pt)

詩的で、難解。

百年シリーズが好きで、待ち望んでいた最終巻。詩的で、難解。他のシリーズを読めば、繋がるであろう点がいくつもあるが、今のところ、自分には理解できず…。他のシリーズを読破してから、もう一度読み直したい作品。
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4062184702
No.17:
(5pt)

マトリックスを初めて観たあの衝撃を再び

百年シリーズ最終作でありながら、
前2作品の主人公ミチルとロイディ等、シリーズに関係する人物の登場は無く、

語り、語られるのは赤目姫のエピソード。
語り手が変わり、場所が変わり、時間が変わり、やがて誰が誰に語っているのかの境界さえも揺らいで行く。

ストーリー的な繋がりは皆無。にも関わらず、これ以上無いくらいに続編だと分かる怪作。
このシリーズをシリーズたらしめているものがストーリーでは無かった事を読者は知り、揺らぐ境界を認識する精神的続編。
マトリックスを初めて観たあの衝撃を再び。
赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEAmazon書評・レビュー:赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEより
4062184702
No.16:
(5pt)

無人島に持って行くならこの一冊

手持ちの森作品から一冊だけ無人島に持って行くなら、スカイクロラと悩んでこちらを選ぶかな。
既存の森作品を読み込んだAIが書いた小説、と言われたら「そうかも」と思ってしまいそう。
全部入りの豪華本です。
是非VR映画化して欲しいものです。この視点移動に君はついて来られるか!?
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4062184702
No.15:
(5pt)

理解されなくても好きな作品は好きなんだよ!!わかれ!!

これは百年シリーズの他2作品から一見隔絶しているかのような作品です。
根幹にあるテーマ、森博嗣が描きたかったテーマは伝わってきますが、森博嗣のfanaticでない限り、この作品を好きになる人はいないかもしれません。それでも僕は好きですがもしかしたら理解されないことを美徳と考えてしまう厨二病的な心を持ち合わせているからかもしれません(そんなつもりはないですが)。

四季・冬、赤目姫の潮解、有限と微小のパン。
この3作品が今のところお気に入りです。美しくて。みんな理解してくれない。悲しい。
あとはフォグハイダとかWシリーズ全般も良いですよ。
純粋なミステリーをお望みならVシリーズの「恋恋蓮歩の演習」が非常におすすめです。ただし「魔剣天翔」を読んだ後に読まないと意味がわからない部分があると思いますが。

脱線してすみませんでした。
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4062184702
No.14:
(5pt)

必然性のある難解さ

「既知の現象の叙述は既存の表現で足りるが、
未来の現象の叙述は新規の形式を要する。」
という主張が聞こえてくるような作品。

内部の構成が複雑で読者を選ぶ作品といえるが、
この読者を置き去りにしていくような形式にも、
一種の必然性を感じ取ることが出来る。

こんな作品が続いたら森作品は読み続けられないな、と思いつつの星5。
登場人物としてはシリーズから独立しているが、
世界のあり方は「百年シリーズ」「Wシリーズ」の作品と深くつながる。
どんな形式であろうと、この世界の進んでいく方向を共にたどりたいと思える読者向けといえるかもしれない。
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4062184702
No.13:
(3pt)

一般的な連作ではありません。

前二つの作品は、3作目を少しでもわかり易くするための、道具。
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4062184702
No.12:
(2pt)

きっとシリーズ読むうちに立ち返る

今の所、内容が理解できない。飛ぶ、変わる、逆転する。ただ、100年シリーズを読んでたら、あれ?これって?と考えるところがある。でも、まだわからない。なので星2で。
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4062184702
No.11:
(3pt)

幻想小説を読んでいるよう

森博嗣の「百年シリーズ」の第3作にして最終作。
これまで新潮文庫だったのだがこれは角川に変わっている。

百年シリーズ、特に1作目の「女王の百年密室」(2004)は、現実とあるていど繋がりを見いだせる近未来の世界を舞台にしているバリバリのSFで、ウォーカロンという技術的にみて興味深い存在が登場し、これが物語が進むにつれて意外に重要な役回りを与えられている、というあたりに結構のめり込んだ。しかし第2作、第3作と進むにつれて、この味付けはだんだんなくなっていったようだ。もちろん執筆時期が時間的に離れているのも影響しているのかもしれない。

さて本作、その第3作なのだが、あたかも幻想小説を読んでいるようで、まぁ予備知識なしに普通に読んだらこれが百年シリーズの続きだとはなかなか読み取るのは難しい。並行して執筆が進んでいるWシリーズのほうが直系の末裔なのでは?という感じである。解説氏はいろいろと解釈を試みているし、いわゆる書評でも評価は高いようだが、正直なところ、森先生飛ばし過ぎで普通の読者はついていくのが難しいです、というのが個人的感想。

これでも森作品は「すべてがFになる」の新書版からこっち、おおむね継続的に読み続けているので傾向と対策はあるていど分かっているつもりだったのですが。。。
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4062184702
No.10:
(5pt)

今初めて分かる

別シリーズの「Χの悲劇」「彼女は1人で歩くのか」を読んだ上でこの本を手に取りました。女王シリーズ二冊を読み終えたのは随分前。このタイミングで初めて分かるものがあります。全てがゆるやかにつながっている。スカイクロラをもう一度読んでみようと思う。
この本をおもしろいと感じた方は、もっとダークですが、デイヴィッドリンチのインランド・エンパイアという映画をおすすめします。
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4062184702
No.9:
(4pt)

読めない展開、繋がっていないようで、繋がっている視点。そして,,,

森博嗣作品、少なくても前2作品の百年シリーズと真賀田四季を知っていないと
面白さ半減なことは否めません。

本作品を読み始めてみましたが、正直難しくて電車で寝てしまったこと数え切れず。。
読み切るのに1ヶ月くらいかかった気がします。

誰の視点で語られているのかわからないまま物語は進み、
そして、急に視点が切り替わる。

途中、記憶に残るイベントがありましたが、
何に繋がっているのか、どうしてそれが起こったのか
その意味を消化しきれずにします。

それでも、読み進めていると「そういうこと?」と
百年シリーズ2作品で張られた伏線を少し回収できた気がします。

難解ですが、読み返してみようと思います。
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4062184702
No.8:
(3pt)

むずい

読んでいる場所は理解の範疇だが、読後の消化感がまるでない

面白いかと言われたら面白いんだが
読み終わった気がしない。
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4062184702
No.7:
(5pt)

「百年の孤独」を理に合う形で再表現した作品

ガルシア=マルケス「百年の孤独」で描かれた、誰のものとも判然としない視点、あるのかないのかわからない"蜃気楼の世界"が、ある形で表現されている作品です。
ずっと題名の類似は気になっていたのですが、ここに来てなぜ"百年"だったのかが見えたようです。

本書で示される内容は実験的ですが、小説自体としても実験的と言えます。
森氏の作品に影響を与えた本として、ミステリィ工作室に「匣の中の失楽」「ドグラ・マグラ」「死靈」などが挙げられていましたが、それらの先行作品に存在していた包み込むような香気が、現代的、科学叙述的に表現されています。
ポエティックに多用されるテクニカルタームは、厳密かつ抽象的で、ストーリーはどこかに着地しつつ、どこにも着地せず。
過去作が、とんちとひねりの利いた普通のエンターテインメントだったのに対し、まるで前衛的文芸作品を見せられているようです。

過去の著作のほとんどが、これを書くための布石だったのかと思えるくらいに衝撃を受けたのですが、読む人を選ぶため、なかなか薦められる人を見つけられないもどかしさもあります。
シリーズ最終作だから書くのが許されたような作品。これも漫画化されるでしょうか。
過去作であった紅や紫などの色のついた登場人物や、固体と液体で説明された人格など、過去の色々なモチーフを思い出しながら読むと、非常に面白いです。

<シリーズ作としての感想>
あのあとの旅を一冊で終わらされても納得出来ないだろうと思っていたので、安心した感がありました (いや、別枠でその後を知りたいとも思いますが)。
緑の人物は彼の再現なのか、ロイディという名の犬は誰かの影響を受けて作られたのか、紫の人が政治に関わろうとしたのは事実か空想か、青い人は、、、?
いくらでも疑問は浮かびますが、直接的な答えは何も示されず。でも、答えは示されないままのほうがずっと輝くものだとは思います。
前作での「生きているということって?」という問いへの答えからすると、彼女は死んでしまったのか、そうでないのか。
ロイディという名が出ていることから、前作以降のお話とすれば、ミチルとの邂逅で得られた考えを反映させられたのでしょうか。
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4062184702
No.6:
(5pt)

評価は0と1に二分されるだろう

「小説現代」2012年4月号〜2013年4月号が初出と書かれているが、連載中に出逢っていたら途中で投げ出してしまったかもしれない。

装丁とタイトル(特に英語)の美しさに惹かれて読み始めたものの、詩的であり哲学的、そして技術的でもある内容は複雑かつ難解だ。一読後(もしくはその途中で)本を置くか、もう一度手に取るか…なんらかのきっかけでスイッチがOnになれば、何度も繰り返し読みたくなる不思議な魅力に満ちあふれた全13章。

紙と電子、両方を所有しなければならないのではないか、とも思わせる作品である。
赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEAmazon書評・レビュー:赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCEより
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No.5:
(3pt)

前作のさらに未来の話か?

百年シリーズの3作目にして、予定ではシリーズ最後の作品ではあるけれど

これまでのミチル、ロイディといった主要人物が全く登場しない謎の作品。

話を読む限り四季のイメージ、計画が100パーセント実現した世界での物語なのだろうか?

本シリーズが森博嗣の四季サーガ(と呼んでいいのか、とりあえずS&M、V、四季、G、Xシリーズに連なる一連の作品群)の一部なのはファンなら有名な話。

その内のGシリーズの「目薬αで殺菌します」において犀川は「四季は新たな生命体を作ろうとしている」と言ってたけど

それがこの作品の登場人物達なのかなぁ、と。

まぁ、結構訳が分からないままもあれこれ推論しながら読むのは楽しかった。

ただ、完全に趣味&ファン向けの小説にしかなってないと思うため星は3つです。
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No.4:
(5pt)

またまた森博嗣です

「すべてがFになる」から、すべての森作品を読んでください(できれば発表順に)すると謎めいた(謎のまま残されたことも)イミのないような場面がつながります。でないとさっぱり訳が分からない作品です。
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No.3:
(5pt)

世界最大の「ミステリィ」

自分にとって森博嗣は特別な作家だが、これはその中でも特別な作品と言える。
エンタテインメントとしての骨格は徹底的に排除され、
著者自身の哲学、美意識、幻想、認識論といった「肉」の部分が登場人物たちの口を借りて次々と披瀝される。
読者は混乱し、眩惑され、それでいて頭のどこか深い領域が研磨されていくような、
複雑な読書体験を得ることになるだろう。

かつて短編「心の法則」で垣間見た森博嗣の本質が、遂に長編として姿を現した。
「赤目姫の潮解」は、当代の才人がその頭脳と詩情で世界をわし掴みにしようとした強靭な試みであり、
殺人事件の謎よりも人間の謎、存在の謎を解き明かそうとする全ての読者たちに向けられた優美な道標である。
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No.2:
(4pt)

あのシリーズではない、、、かも

【ネタばらし注意】
だまされーたーよ森さん。
女王シリーズじゃなくない?
共通項はたしかにあるけど、既刊二冊の続編ではないと思うのんっ!
よって、これが最終回じゃないで〜す。
でも、最終話の可能性はありますのん♪別に最終話を最後に出すとは言ってないもの〜ん♪
四季っぽいの(≠赤目ちゃん)は出てくるよ。
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No.1:
(2pt)

「百年シリーズ」3作目にして極めて異質

「女王の百年密室」「迷宮百年の睡魔」に続く、百年シリーズ第3作目です。
おなじみのミチル&ロイディ…ではなく、赤目姫を中心にストーリーが展開されていきます。

シリーズ作品として意識して読むと、共通事項と読めなくもない設定が散見されますが、直接関係があるかは実に不明瞭。
登場人物の視点や時系列も極めて不定形な上、ストーリーは最後まで発散し続けて理解を更に難しくしており、
百年シリーズ前2作と比較して、極めて異質な作品になっているといえます。

これを百年シリーズの前日譚と読むも良し、シリーズ内の全く別の単発作品と読むのも一手でしょう。

ところで著者は過去に、
「百年シリーズは3部作」「3作目は森博嗣の長編小説最終作」という旨のアナウンスをしていました。
宣言通り今作でシリーズは打ち止めなのか、はたまた続巻が出版されていくのか。
今後も注目していきたいところです。
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