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(短編集)
レキシントンの幽霊
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レキシントンの幽霊の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全76件 21~40 2/4ページ
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村上さんが1996年に、それまでにあちらこちらに書いた短編をまとめて発刊したものである。時期としては1990年代を中心にした、巻末の「初出一覧」を見ると、1980年代以前の著作も含まれているようだ。1996年と言えば、1995年の2つの大きな事件、1つは村上さんの出身地である阪神間で起きた大震災、そしてもう一つは村上さんが2つのドキュメントの著作をまとめる起点となった地下鉄サリン事件が起こった翌年のことである。 冒頭の「レキシントンの幽霊」は、村上さんが滞米中の体験をもとにして書かれたものである。村上さんの短編を読んだ読者からお会いしたい、と言う手紙が届いた。だが、これまでの経験によれば、そんな状況下で会って、余り愉快な思いをしたことがない、と感じていた。だがすばらしいジャズのコレクションを所有していると聴いて、おっかなびっくりで訪ねてみると、なかなか良い出会いであったし、レコードのコレクションにも感心した、と言うところから話は始まる。 村上さんは、Stephen King、H.P.Lovecraftらが好きなようだけれども、その影響がこの短編集に集められているのかもしれない。 | ||||
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この様な情景はこれからの時代表れることない事柄でしょう〜 懐かしくもあり 胸熱くなるのは 私だけではありません. | ||||
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「沈黙」 あることをきっかけに学校中から無視されることになった大沢。 彼の神経はぎりぎりまで追い詰められていく。 しかしひょんなことで立ち直ることができた。 大沢さんのものの考え方は、すごく勉強になった。 特に立ち直るきっかけとなった、電車内の青木とのにらみ合い。 悟ったといっても過言ではない。 「緑色の獣」 ある日庭を眺めていた「私」の前に現れた、見たこともない 緑色の「獣」。その獣にプロポーズされる私だが。 なまじ心を読むことができたために、傷つきやすい獣のたどる 運命がかわいそう。それにしても「女」は怖い。 | ||||
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さまざまな人物を掘り下げ、それぞれのキャラクターの魅力を引き出す作家の手腕に感心する。 読み進むうちに共通のテーマのようなものも見えて来たのであらすじをご紹介します。 「レキシントンの幽霊」 レキシントンにあるケイシーの留守宅に泊まった僕は、真夜中に死者たちのパーティーに遭遇する。 まるでその館が記憶していた古き華やかなりし日の出来事が蘇ったかのようだ。 恋人のジェレミーと別れ精気を失ったケイシーは「現実はむなしい仮初の世界」と語る。 父親から受け継がれてきた血統のような彼の厭世観。それはレキシントンの幽霊と共にある。 「緑色の獣」 醜い姿をした緑色の獣が彼女に会いにやってきた。 彼女の命ずるままに姿形を変えていく獣は、侮辱されながら苦しみもがいて崩れ落ちた。 本当は彼女の遠い記憶の中からメッセージを携えてやって来たのだが、 彼女の恐怖と敵意によって、それは永遠に葬り去られてしまった。 「沈黙」 大沢さんは中学時代に喧嘩をした男からの仕返しで高校時代に耐えがたいいじめに会った。 その男の卑劣さもさることながら、彼に扇動される連中の沈黙の嫌がらせが恐ろしいという。 彼は今でも悪意の予感に怯えて暮らしている。 絶対的な悪の存在、傷ついた魂の救済、答えの無い問いが浮かび上がる。 「氷男」 私は親兄弟の反対を押し切って氷男と結婚した。 二人の愛だけを信じていれば何の問題もなく生きていけると思っていた。 南極の厚い氷に囲まれて寡黙な世界では、もはや愛すら凍り付いた心を温めることは出来ない。 肥大化した個人の自由は同時に行き場のない孤立感を生み出してしまった。 「トニー滝谷」 父親ゆずりの不感症的な彼の心は恋に落ちることで変わり始めた。 恋の苦悶、死別の悲しみ、やり場のない怒り、いくつもの生暖かい感情が彼に訪れる。 あたたかな記憶は次第に霧のように形を変え薄らいでいき、彼はひとりぼっちになった。 こうして根源的な場所に残る孤独に彼は再び出会うことになった。 「七番目の男」 男は10歳の時に大波に出会い、幼い親友のKを目の前でさらわれた過去を持つ。 波にさらわれるKの表情に憎悪を感じてしまった彼は恐怖と罪悪感で悪夢にうなされる。 その土地を離れ、波の恐怖に背を向けて生きてきたが、のちにKの残した風景画を目にしたとき、 自分の認識が誤りであったことに気付く。Kは決して彼を憎んではいないのだ。 彼は今ようやく人生をやり直す勇気がわいてきた。この短編集で初めて「救済」が描かれた。 「めくらやなぎと、眠る女」 いとこの耳の治療に付き添って行った病院で、僕は直子とキスギの記憶を思い出していた。 僕らの不注意と傲慢さによって損なわれ、かたちを崩し、失われていったもののことを考える。 「インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということ」 幼いいとこのセリフが僕を勇気づける。 目に見えないもの、語られない言葉に、真実が・・・。 | ||||
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短編集 「螢・納屋を焼く・その他の短編 」 の中にある 『めくらやなぎと眠る女』 の改訂版で、先行する作品にくらべて主旨・主題が先鋭化されている。 「僕」、 25歳は、都会から田舎に、一時的に帰る (逃避なのですが) ことになり、そこで、ひょんなことから中学生の従弟の心因性難聴の診断・治療のために病院に付き添うことになる。不思議なバスに乗り、山の上にある病院で従弟の検査を待っているとき、この小説の主人公である、「僕」 は高校2年生の時、友人とふたり、友人の運転する 125CC のバイクに乗り、胸骨の矯正手術で入院していた友人のガールフレンドの見舞いに行った際の “苦い思い出” に、計らずも、直面することになってしまう。 一つは、彼らの (若さ故の思慮のなさ、あるいは、愛情の量の少なさ故の) 気遣いのなさから、見舞いに持っていったチョコレートを台無しにしてしまったこと、・・・もっと悪いことは、病院から帰り道、僕が運転するバイクで事故を起こしてしまい―――たぶん―――友人を亡くしてしまったことである。 僕と友達は、病院で友達のガールフレンドが書いている詩 (掌小説のようなもの) の粗筋を聴きます。そこには、まるで悪意の化身であるかのような 「めくらやなぎ」 と、めくらやなぎの花粉を蜂によって耳から入れられ、肉を喰われ 「皮膚だけにされ死んだ女」 がでてきます。 そのときには、僕と友達は、その詩の内包する影のような意味には気がつかなかったのでしょう。 しかし、時期は分かりませんが、「僕」 は気付きます。友達のガールフレンドの詩にでてくる 「めくらやなぎ」 と 「眠る女」 とは、結局のところ、 「僕たち」 と 「彼女」 、そのものであったことを・・・・・。 | ||||
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この本のハードカバーが欲しかった。手に入り満足。内容は、村上春樹らしい感じ。なんかありそうな不思議な話です。怖いわけではありません。 | ||||
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レキシントンの幽霊(表題の作品)では、ケイシーがしばらく家を留守にすることになって、 代わりに留守番をすることになり、ある晩、奇妙な経験をするのですが、それは後で考えるほどに、 そこはかとなく奇妙で解せない性質のものであるのです。 そうした奇妙で解せない経験が現実なのだとしたら、 果たして眠っている際の夢想状態とは、いったいどう解したらよいのか、 という新たな難問が生じざるをえません。 この短篇の最後には、かなりの喪失感を味わった人が、まずは昏々と眠り続け、 その眠りから覚めたとき、ふと襲われる虚無感というか、 計り知れぬ当て所(あてど)のなさなのではないでしょうか。 目標や指針を見失い、夢と現実の区別もままならず、その態様はあたかも「幽霊」といった塩梅に…。 このタイトルは、もう一つの意味で象徴的です。 即ち、仮にゴーストタウンが近くに発生したとして、爾後誰も寄りつかなくなったとしましょう。 それは日常ぽっかりと開いた陥穽であり、いつでも発生しうるはずの闇です。 そこで得体の知れない面々が、夜な夜なかそけき密会を繰り広げていないとも限りません。 本作の舞台はレキシントンの設定ですが、実はどこにでもそんな境界面が潜んでいるかもしれません。 本作はこうした点から、品のよいジョークを織り交ぜながら、 日常ふとしたことから人が迷い込みがちな危殆についても、さりげなく指摘した不気味さも光っており、 また感覚情報の不確かさや軽い妄念、幻想といったことにも示唆深く、 それらを明澄な戦慄として受け流すあたりが村上流の筆運びかなあ、と思わせます。 その他、緑色の獣も妙に印象的な作品でして、その描写はやはり不気味です。 登場する女性と獣がやりとりしてゆく中で、相互の心理状態が刻々と移り変わり、 結局その獣は溶けていなくなってしまいます。とてつもなく奇妙な話ですが、 つよい心理とよわい心理というのはたしかにあるようで、 作者は超感覚的なアプローチで、そのあたりの模様を描析しているかのように思えました。 他の作品も同様に味わい深いので、ぜひおすすめします。 | ||||
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どの作品も素晴らしいが、あえて1位を選ぶとすれば、「七番目の男」だろう。村上春樹の作品は、長編ももちろん面白いが、短編は外れがほとんどなく、どの作品も味わえる。 | ||||
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私がこの本を読むきっかけになったのは教科書に載っていたからです。 私は高校2年生なのですが、現代文の時間、ペラペラと教科書をめくり、ふと目に付いたのがレキシントンの幽霊でした。 著者、村上春樹。 教科書なので要約されてほんの数ページだったのですが、読んでいる間の、浮遊感?というか孤独感。 なんと表現すれば伝わるのでしょうか。 授業中なのに私しかいないような、悲しさともいえぬなんともいえない後読感が日々を引きずり回していました。 全てしっかり読みたい、と思い新年早々買いました(笑) 今日は眠れそうにありません。 | ||||
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レキシントンの幽霊は短編集である。 その中の一編に「トニー滝谷」がある。 映画化、DVD化もされているので、一度ご覧になるのもよいと思う。 孤独とはどういうものなのか。 人は最終的には孤独なのか。 そんな疑問を投げかけられた。 とても淋しさの残る作品でした。 | ||||
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どれも好きですが、「沈黙」「トニー滝谷」が特に良いですね。 人間の心の奥深いところにある澱のようなものがうまく表現されています。 何度読んでも新しい発見があります。 「沈黙」は考えさせられます。中学生くらいから読んでおくべきかと思います。 「トニー滝谷」は映画も良かったんですが、やっぱり文字の情報には敵いません。 トニー滝谷さんは人格者です。 | ||||
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中古なのはわかる程度のヨレ感があるがキレイで問題なし、 ページのヨレは直せたと思います。 | ||||
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幽霊怖いですね。いじめ怖いですね。喪失怖いですね。孤独怖いですね。失望怖いですね。津波怖いですね。 | ||||
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最近氏の作品を読み直していますが、幸か不幸かまったく筋を忘れてしまっておりどれも(特に短編小説)新鮮に読めます。個人的にはちょっと調子に乗った軽い印象を受ける前半のものより、後半の作品により魅力を感じています。 『雑文集』にそれと知らずにハワイで買った同名日系議員の選挙応援Tシャツから想像を膨らませて書いた小説という記載がありましたね。 | ||||
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この短編集は村上春樹が得意とする、静かな孤独と切ない喪失感が描かれている。 七番目の男やトニー滝谷と名作揃いだが、僕はなかでも「沈黙」に衝撃を受けた。 学校にも社会にも、一定のコミュニティーには必ず存在するであろう良い奴に見えて計算高くて、どうにも手に終えない奴が、たまたまそいつの内に秘めていた汚ならしさを見破ったばかりに主人公は、見事に羽交い締めにされる事になる。 孤独な学校生活を送りながらも、習っていたボクシングを通して身に付けたであろう忍耐が主人公を支え、ある時電車でそいつと見つめ合う事になる。そこが物語の山である。 沈黙のラウンドで鳴ったゴング。勝者はどちらか。 | ||||
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村上ワールドを全部体験していなくても、この1冊は格別! 日常生活から飛んでいってしまう読後感は知人にも薦めます。 何冊か購入して、気軽に贈りました。今から何かが変わるかも? 村上春樹の短編集は秀逸でした。 | ||||
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作者の短編集の中では、比較的好きな一冊。孤独感や喪失感というのは、村上作品特有の味としてよく指摘されるものだが、本書所収のどの短編にもそういう味はある。だが、自分自身の心の闇を前に力強く立ち上がったかのような「第七の男」、小器用な悪に踊らされるフツーの人々に対する違和感を表明した「沈黙」(silent majorityというニクソンの有名な表現を受けたと思われる表題)というような、妙にストレートなお話が混じっているところが、本書の特徴と言えるかもしれない。そして僕は、このどうしようもない世界に結構男らしくイライラしている村上春樹、というのも好きだったりする。 それにしても、本書最終話の最終頁に載っている「目に見えるものが存在せず、目に見えないものが存在する場所」(p.210、『めくらやなぎと、眠る女』)というフレーズは、春樹ワールドそのものですね。 | ||||
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レキシントンの幽霊。いじめの話です。いじめにあった人は多いと思います。いじめにあわない人の方が少ない世の中ではないでしょうか。 本作は短編です。著者自身、過去のいじめにあった体験から書いたそうです。 いじめにあった人が、本当の意味で克服することなどないのだろうと思います。 みんな過去を抱えて人生を送っているのだと思います。 | ||||
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この短編集にまとめられた物語には、ひとが身近なひととかかわることで生まれる孤独が通奏低音として流れている。それぞれの物語の登場人物は、自分の心の中にイメージされる孤独と対峙し静かに闘っているように思えた。どの物語も時間を忘れてゆっくりと読みたいものばかりだ。 | ||||
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『レキシントンの幽霊』 『緑色の獣』 『沈黙』 『氷男』 『トニー滝谷』 『七番目の男』 『めくらやなぎと、眠る女』 7つの短編が収められています。 よく村上作品の特徴を「透明感」と言う方がおられますが、この短編集は実に言い得て妙だと思います。 あまり会話文を使わず、地の文で物語が進められてゆくのが共通しています。 村上春樹さんがあとがきで、それぞれの作品についてコメントを付されています。 それによれば、『七番目の男』と『レキシントンの幽霊』は、『ねじまき鳥クロニクル』(1996年)の後。 それ以外の作品は、『ダンス、ダンス、ダンス』『TVピープル』(1990、91年)の後に書かれたこと。 両者の間には5年あって、その期間アメリカに住んでおられたこと。 そして、『めくらやなぎと、眠る女』は1983年のものを短くしたものだが、『めくらやなぎと眠る女』とは別作品として存在していること。 他の作品も大体が初出に加筆したものであることなどが書かれています。 読後感としては、孤独、恐怖、メッセージといったものが残りました。 孤独は村上春樹さんの作品に常に見られるのですが、孤独でない孤独と本当の孤独があって、これまでになく”本当の孤独”を描いているように思えました。 そして、恐怖です。スリラーという意味ではなく、本当の恐しいこととは何か、といったことを伝えようとしている部分が何カ所か読みとれました。 それとこれまでになくメッセージ色が濃いようにも思いました。作者の心情の顕れ、といいましょうか。 『ノルウェイの森』の爆発的なセールスで村上さんを取り巻く環境が変わり始め、フラストレーションが増していった頃の心情が反映されているのではないか、といった想像をしています。 この短編集の中の『トニー滝谷』は市川準さんによって映画化されています。イッセー尾形さんがトニー滝谷、宮沢りえさんが奥様を演じています。 原作も映画もよかったと言える作品でした。是非ご覧ください。 | ||||
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