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新本格魔法少女りすか
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新本格魔法少女りすかの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 21~25 2/2ページ
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正直、題名を見てかなり引いた(痛かった)人は結構いるのではないかと想像します。かく言う私もその一人。しかし、そこはそれ、勇気(種類は問わず)を出して踏み込んでみましょう。きっと、ご満足いただけるかと存じます。主役は、わずか10歳(小学生)にしてどうしようもないほどの大志(むしろ野望)を抱いてしまった供犠創貴(くぎきずたか)と「魔法の国」長崎からやってきた魔法使い・水倉りすか(10歳)。 ぶっちゃけ、何をやっているのかというと、(穏便な言い方で)悪い魔法使い退治とりすかの親父さん探し。なわけですが、その過程が、「これが、10歳の子供を主人公とした物語か」と戦慄してしまうようなものでして。 ファンタジーとしてしまうには少々、刺激が強いです。何よりも、創貴の思考(人格?)とアダルトなりすかちゃんが、ですが。『戯言シリーズ』と比べると、いや、比べても内容の完成度は変わりません。『戯言シリーズ』のいーちゃんと比べると『りすかシリーズ』の視点である創貴は、考え方が(当然ながら)幼く、ある種、いーちゃんよりも鈍いところがあるわけなのですが、その分、大胆でとても前向きです。そして何よりも『恐ろしい』。他の西尾氏の、どのシリーズの、どの登場人物たちよりも、この話の、このシリーズの登場人物たちよりも『恐ろしい』。子供ゆえの、純粋さゆえの、無邪気ゆえの、邪気ゆえの恐ろしさか。その恐ろしさは、もちろん創貴だけではなく、りすかも所有しております。 西尾維新は、また恐ろしい子供たちを、面白い物語をつくり出したものです。 | ||||
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戯事シリーズ、きみとぼくシリーズとは一味も二味も違った作品です。 ですが、笑い転げて読む活字マンガとでもいうのでしょうか? そういったスタンスは全く崩れておらず、非常に楽しめます。 存在感の「濃すぎる」キャラクターも健在です。 西尾節炸裂!といったところでしょう。 "私は自他共に認める西尾氏の愛読者だ"と思う方は買って損は無いでしょう。 | ||||
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西尾氏の他の作品にも言えることだが、この作品にも「普通の人々」など出てこない。しかしながら、魔法の存在を除けば世界はごく普通だ。天才という「異能」が、旅するでもなく「身の回り」で織りなす物語の楽しさは、さすが西尾作品。どこまで突き抜けたキャラクターが現れるのか、今後を期待させてくれる。 ただ、戯言シリーズの「ぼく」と「玖渚友」のコンビに比べれば、若干パワーに欠ける主人公たちかも知れない。小学生と大学生、という年齢差を考慮して、マイナス星は一つということで。 | ||||
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僕は西尾維新の作品が大好きで、『きみとぼく』『戯言』『JDCトリビュート』『人間試験』と今では全巻所有しています。しかし、その僕でも、初めてこの作品のことを知ったときはイタかった。誤解を恐れず正直に言います。 『うわ~・・・西尾維新先生、こんなの書いちゃだめでしょう』 といたたまれない気持ちになりました。いや、維新さんの作品に燃えと謎を求めてきた人は、あからさまに『萌え』に突っ走ったタイトルのこの作品には退くでしょう。間違いなく。 しかし、考え方を変えたのは第三巻から読み始めたファウストです。 『りすか』を1ページ、一行読みました。 そして先入観は砕かれます。たしかに絵は萌えです。内容も大きいお兄さん向けの場所が無いとは言いません。しかし、維新節はやはり健在でした。 面白いんです。文体、語り部のキズタカ君の思考や赤い人とダブって見えるりすかの強さ。バトルシーン、それに西尾維新の本の独特の雰囲気は損なわれていません。 先入観をなくして。ぜひ、騙されたと思って友人に見つからないようこっそり3行読んでみてください。萌えを理由に敬遠していた人も、買わざるをえなくなります。 | ||||
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世界中のみんなを幸せにするという一見無邪気な目標のために、語り手の少年、供儀創貴(くぎきずたか)は周囲の人々を演技で騙しつづけ、『駒』と呼んで利用している。 その『駒』の一人である、魔法使いの少女・水倉りすかとの物語が、この話の主軸となっている。 そんなこの本を手にとって、まずは数ページ読む。すると多分、彼の内面に違和感を覚える方がほとんどだろう。 それは、彼の内面があまりにも私たちの思う『10歳の男の子』とはかけ離れているからだ。 しかし、本当にそうであろうか? 私たちが10歳だったころ、漠然とした大人への対抗心のようなものがあっただろう。自分は自分だという確かな確信があっただろう。何でもできる、という感覚だってあっただろう。 創貴ほど極端な形でなくとも、誰もが、心の奥底に彼と同じものを抱えて10歳を過ごしてきたのだと、私は思う。 それが、この物語にはいっぱい詰まっている。 私たちが「無邪気」と決め付けて、閉じ込めてしまった『10歳』の気持ちは、たしかにここにあると思う。 | ||||
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