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十字架
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十字架の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全75件 61~75 4/4ページ
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いじめは、いけないことですよ。 現在、子供たちが置かれている環境では、いつでも、誰でもが、被害者になり、加害者になる可能性があるように思えます。しかしながら、「いじめはいけません。」と子供に、教えても、まるでブラウン管の中のことのようで現実味がなく、いじめのその先にあるものを、親としてうまく伝えることができませんでした。 この十字架は、私のような力なき親にとって、まさに、子供へのメッセージが凝縮されています。我が家の中学3年生女子と中学1年生男子に、今、あなた達に必要不可欠な良書だと言って薦めてみたところ、引き込まれるように二人とも読んでいます。 この本に出会うことによって、出会う方たちによって、いじめという恐ろしい魔物を、この世からなくしてくれる気がします。私にとって、重松作品の中で、一番子供に読ませたい作品です。 | ||||
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この物語では、そうともいえないのですが、 たとえ自分でもどうしようもなかったことでも、 責任を負わなくちゃならないことって、けっこうあるんだと思います。 ただ十字架の重たさにもいろいろあるとは思うのですが…。 いじめについてっていうよりは、 何かを背負って生きていくっていうことの 重たさを感じる本でした。 | ||||
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自殺。しかも、いじめによる自殺を取り上げた作品としては、秀逸なものだと思います。取り分け、誰をも恨むことができないけれど、余りの悲しみの中で、好対照な出し方をする「フジシュン」の両親の姿は、悔やんでも悔やみきれない思いを丁寧に表出していると思いました。 振り返って見ると、小学校から中学時代に同級生だった男の子が、16歳で自殺をしました。ひっそりと、葬式が営まれたので、何ヶ月も経ってから、風の便りに聞いたのでした。小学校時代は何度も足を運んだ友だち……だったと思います。でも、中学になってからは、いじめられていたのに、見て見ぬフリをした自分です。疎遠になって、高校1年の秋、静かに首を吊りました。 特に、マスコミに取り上げられることもなく時は流れました。内容を一読した時に、胸をグサッと刺されたような思いになったのです。何とも、人物描写が似通っていて、驚いた次第です。そして、ユウが感じていたことは、まさに同感、でした。 自殺の後、遺族には深い悲しみが渦巻きます。これは、事故死でも同じような事でしょう。どこかに、過失を求めたくなる心境は、これまた見事に描かれていました。思わず、教育委員会や学校長らに土下座させた北海道の事件を思い出します。 しかし、現実はその相手以上に、責めるのは自分自身であることが多いでしょう。精神を病む方も多いです。これも丁寧に描かれていて、どれも、これも、リアリティに溢れた作品だったと思います。 ただ、その中で、ハッとしたことがありました。「十字架を一生の間、背負い続けなくてはいけないのだ」というくだりです。幾度も繰り返されるフレーズです。確かに、十字架を背負う、という表現は日本語に定着しています。同時に、「背負い続けなくちゃならない」と結び付いているのです。これがキリストの受難を意味していることは分かります。そして、十字架にかけられて死に至りましたから、死ぬまで背負わなくてはならない、というのは、当たっているのです。 ところが、キリスト信仰のリアリティでは、それは半面でしかありません。つまり、死んで葬られ、3日目に復活する、というリアリティがあるからです。つまり、十字架はある一定期間背負うことがあっても、そこで成し遂げられるものがある。それは「赦し」ということです。十字架は赦しの「しるし」なのです。ということは、正確には、赦しを背負うことになるはずなのです。ですから、キリスト信仰では、十字架を背負うことは、神の前にも、人の前にも赦されたことを感謝する世界になるのです。 ところが、日本語のニュアンスにはまったくそれは表現されません。逆に、この小説では、日本語のニュアンスが上手に描かれています。 サユが泣きながら謝る場面がありました。ごめんなさい、と言えば、もう良いですよ、と赦すものです。でも、そういうことは、決して自然にできるものではありません。で、赦せないし、ユウまで積もり積もった憤りを爆発させてしまいます。そして、確かに、この二人の人生には、重荷としての十字架が、深くのしかかってしまうのです。 しかし、それでも憎むのはしんどいから、やめる。辛すぎるので、それでは生きていけない。でも、「赦さない」のです。取り分け、「あの人」は赦しません。赦さないので、13回忌にもちゃんと話ができません。会釈する程度で終わります。もう一人、お母さんという犠牲を出すまでは、心を開くこともできないのです。もっと言えば、ユウに「森の墓地へ一緒に行ってくれないか?」とも誘えないのです。悲しい限りです。 赦しのない十字架とは、本来は、痛みのない腹痛、に似た矛盾表現なのですが、この作品においては、その矛盾はどうもまったく意識されていないようです。確かに著者は、ラストで、白い十字架に、救いの意味合いを多少なりとも託しているのかもしれないのですが、余りにも、赦しのない十字架を背負わされた人生は、長すぎるし、辛すぎるでしょう。切なくて、涙が出ました。 そうです。ハッとしたのは、この十字架理解こそ、人生は苦と喝破した、仏教的世界観そのものだ、ということです。十字架を仏教的に理解すると、こういう理解になるのだな、と改めて印象深く受け止めた次第です。 そして、20年以上経過して、やっと思いの丈を表現する機会を得るのです。ユウは34歳になっていました。余りに長すぎる。そういう思いを抱かずにはいられませんでした。しかし、これもまた、現実であり、リアリティあるものとして受け止めました。 人は赦すと自由になれますが、赦さないと、これ程までに、自他共に人生そのものを縛り上げてしまうことになるのか、と深く感じ入る作品でした。実に、日本的といいましょうか、日本語としての十字架の持つニュアンスについても、深く考えさせられる秀逸な作品でした。「初」重松体験は、上々でした。また折を見て、別の作品も読ませて頂きます。ありがとうございました。 | ||||
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実は発売当初から読みたかったのですが、古本になるまで待ってました。 しかしどうにも古本市場に出ないので、待ちくたびれて新刊で買いました。 正直いじめをテーマにした作品は見るのがつらく、苛めた側が主人公でも苛められた側が主人公でも 嫌だなぁ、と拒否反応を示してしまうのですが、本作は「いじめられた側(フジシュン)に近いけど、当事者では無い同級生」が主人公というのが非常に興味深かったです。 ずっと読みたかっただけあって、午前10時に読み始めて午後1時には読了しました。お昼ご飯食べ忘れるぐらい没頭したのは久しぶりです。 安易に希望を綴られてもぴんとこないし、かといって救いようのない結末ってのもいたためれないので、 本作のような結末が一番胸にストンと落ち着いてきます。 | ||||
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作家がどうしても書きたかったテーマを得た時、 それが重く厳しいものであっても、読者は、 引きずりこまれるように、小説の深淵へおちてゆきます。 中断出来ずに一気に読みました。 読み進めていくうち『ナイフ』や『エイジ』を書いていた頃の 重松さんが戻ってきた!と思いました。 作家自身が、泣きながら、憤りながら書いたのではないか、 という場面がいくつかあり、心を揺さぶられます。 しかし、重いテーマのみで終わらないのは 最終章に進む過程で、心の中に、美しい緑の森と 抜けるような青空と、なだらかな丘に建つ十字架の輝きが 心象風景として生まれてくること。 その風景がこの作品の‘許し’と‘救い’を読み手に伝えてきます。 自死した少年への祈りとともに。 子を持つ親として、登場人物の懊悩は他人ごとではないですが、 重松ファンであってもなくても一読して損はない作品です。 | ||||
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いじめを苦に自殺した同級生の遺書に親友として名前を書かれた真田が、その「死」を背負いながら悩み、苦しみ、ときには忘れながら生きていく物語。 本書に描かれている「ひとを責める言葉」の話が印象に残った。ひとを責める言葉には「ナイフ」の言葉と「十字架」の言葉がある。ナイフの言葉は胸に突き刺さる痛い言葉だが、痛いのは刺された瞬間。十字架の言葉は背負ったまま歩き続けなくてはいけない。生きている限りその言葉を背負い続けなければいけない。 「いじめ」というと子供がやる幼いものと考えてしまうのだが、ひとが死んでしまうほど大きな問題を幼い子供が犯す間違いで済ませられる話ではないという考え方も共感できた。一生背負って生きていかなければならないほど大きな問題だからこそ、間違いが起こる前に悩み、考え、励ましながら解決していかなければならないと思う。自分が親になったときに改めて読み返したい一冊である。 | ||||
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個人と社会のあり方を考えさせられ、かつ自分が未熟だったが故に 失敗が多い青春時代思い出し、胸がキューンとする内容で、 内容は暗いのですが、なぜか心の隙間を清涼感で埋めてくれるよう なストーリーです、これは重松清さんの作品全般に言えることですが。 自殺した子供とその両親、遺書に書かれた悪者2人と良者2人 の関係性の中で、子を思う親の気持ち、またそれが社会(クラスメート・ 親・新聞記者)の中でどう捉えられていくかという話。 物語の中で、色んな立場の人たちが出てきますが、自分はどう だろうと考えさせられます。又、普遍的な子を思う親の気持ちが 随所に出てきて、泣けます。心が乾いているかたは是非お奨めです。 | ||||
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重松作品は結構読みましたが、今回の作品はストンと落ちてこなかったです。 自分の両親との関係ではなく、他人の両親との関係の中で主人公やもう一人の少女が成長していくというのはどうなのかとおもいました。 あそこまで言われて、あんなことまであって、それでも折れずに十字架を背負い続けることができる少年少女が本当にいるんでしょうか?彼らを長きにわたって見守り、支えてくれる記者が現実に存在するでしょうか?絵空事ではないですか?ファンタジーではないですか? 不謹慎かもしれませんが、現実の話なら口にはできないのであえて書いてしまいます。 私は一番ひどい「いじめ」をしたのは自殺した「フジシュン」だと思いました。 一番に大切思っていた家族、友達、思い人にあんなに重い十字架を背負わせてしまったのです。 そして現実世界ならこんなに重い十字架を背負い、明るい未来を見出すことはできない。 自殺ほど卑劣な手段はないと改めて感じてしまいました。 4月に中学2年になる息子に読んでみない?と聞いてみました。 「人からこの本を読めといわれるのは嫌だ」と言われました。 この感覚はとてもわかるのですが、 「10ページ読んで先が読みたくなければ読まなくていいから」と食い下がると、 「気が向いたらね」と返されました。 できれば息子の感想を聞きたいと思いました。 そして、伝えたいと思いました。 「あんたがフジシュンになったら、私は一生あんたを恨んで生きる。 あんたが主人公になったら、私はあんたと一緒に悩みたい。 親として知らなかったということほど悲しいことはない。 自分の子どもがどんなに大きな辱めを受けようと、どんなに大きな罪を犯そうとも 一緒に悩み、考えたい。親にはすべてを話してほしい。 この小説の主人公の母親のように蚊帳の外に置かれるのは私には一番耐えがたいことだから。」 と。 こんな感想を持ったこと、おかしいでしょうか? | ||||
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前に読んだ「ヘヴン」がいじめの話で、この十字架もいじめの話なのだが、今までこのような視点で書かれた小説はあるのか?と言う感じの内容になっている。 ヘヴンに出てきたような凄惨ないじめのシーンはほとんどなく、そのいじめられた中2の遺書に残された4人の人生と残された家族がテーマになっている。 4人のうちの一人は勝手に親友と思われていて、「親友でいてくれてありがとう」とか書かれていたので、相手の親から「どうして親友なら止めてくれなかった」と逆恨みされる。 もう一人は、勝手に片思いされていて、「好きになってごめんなさい」とか書かれていたので、これまた後々ものすごい事になる。 あとの二人は、いじめていた奴。「絶対に許さない」などと書かれていたため、回りからマスコミからものすごい攻撃を受けて、これまたすごい人生を送ることになる。 しかもいじめていたのは3人で、遺書に書かれなかった男とその二人のいざこざとかもあり、目が離せない。 この自殺は当然マスコミも注目して報道し、新聞以外の今で言えば新潮45的な雑誌が毎回特集を組み、「いけにえ自殺」「見殺し学級」などの言葉でクラス全体も全国から非難される。 葬式の時のやり取り、卒業式のやり取り、高校に行ってから大学にいってから…と延々20年くらいの人生をそれぞれの遺書に書かれた人間が描かれていて、もうやりきれない思いでいっぱい。しかし実際にそのような事件が起きたら、それに変わった人間はこのように生きるしかないのだろうと納得させる淡々とした筆力と感情。 この本はまず子供を持つ親、学校の先生、教育委員会のお偉いさんなど子供に関わっている日とすべてが読んでもいい本だろう。あと実際に子供たちにも読んで欲しい。間違いを起こすとこんな風な人生になるのだよ…とわかって欲しい。 しかし辛い本でした。 | ||||
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私が読み終わってから、中学生の子供が欲しいというのであげました。 それぞれの年齢、それぞれの立場にならなければ理解できないこともあります。 親にならなければ親の気持ちの本当のところはわからないし いじめにあってみなければ、いじめにあうということの本当の気持ちもわかりません。 この作品の表題内容に限らず、「人の心を慮る」ということに気付く よい機会をあたえてくれる作品だと思います。 | ||||
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中学二年でいじめを苦に自殺した「フジシュン」こと藤井俊介、 遺書には四人の同級生の名前が書かれていた。 その内の二人はイジメていた中心人物 一人は片思いしていた彼女、そしてもう一人がこの本の主人公となる「ユウ」こと真田裕、 「親友」とは認識していないのに関わらず遺書には親友と書かれてしまう… 「イジメ」がテーマだけあって終始丁寧な文章で綴られていました。 ノンフィクションかと思えるくらい人物描写が巧みで脳内映像と共に 感情移入しながら最後まで一気に読めます。 イジメに遭った本人、イジメていた仲間、見て見ぬ振りをした同級生達、彼女、親友と記されたユウ、 残された家族、それぞれの思いが正直な感情と共に切なく伝わって来ます。 特に母親と「あのひと」と表現される父親の苦悩は痛いほど伝わって来て胸が痛かったです。 いつの時代にもイジメは必ずありますが、基本根絶に向かう様に自分も含め 大人も子供も心に優しさや正義を持って生きて行きたいと思いました。 | ||||
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重松清さんの著作を読むのは「流星ワゴン」に続き2作目です。 前作同様、タイトルと帯に惹かれて、本作を手に取りました。 この作品の内容を一言で表現すると、「いじめを苦に自殺をした一人の少年」の周囲にいた人々(または、強制的に関わりをもたせられた人々)が、どのように死と生を背負っていくのかを、丁寧な心理描写で綴る物語、です。 本作を、暗いとか、重いとか、感じる方もいらっしゃるだろうと思いますが、私にとっては、生き続けてゆく人々の姿を、夢や希望で塗り込めて虚像にするのではなく、水平の目線で真摯に愛情を込めて描いた良作だと思えました。 また、最終的には、読み手が前向きに生きてゆく力を得られるように、配慮されている作品だとも思えました。 網のような人間関係のなかに、ぽっかりと空いた穴は、決して埋められることはないのだという事実を、改めて思いました。 小説を読んで涙することは時々ありますが、嗚咽が漏れて最後のページを閉じられなかった作品は、本作が初めてでした。 初めてレビューを書く気持ちにさせられた作品でもありました。 10代前半の頃に、読んでみたかったとも、思いました。 | ||||
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重松清氏の作品は、読者の立場によって感じ方、感情移入の場所がそれぞれ異なると感じているが、私は父親なので、息子と父親(フジジュンと父)そして男と男の関係(主人公とフジジュンの父)の描写に心を動かされた。 子どもにとって、母親は創造主であり、一心同体の絆。 では、子どもにとって父親とは何なのか?どうあるべきか? 子どもが出来たから父親になるのではなく、それに相応しい覚悟、哲学、矜持を背負ってこそ男は父親と呼べる存在になるのではないか、と本書を読んで深く考えさせられた。 本書内の、主人公の父親が「父親、か…」とつぶやく描写が、強く心に残っている。 子どもを持つ父親にこそ、読んでほしい作品。 | ||||
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胸を打つ本だった。重たかった、とも言えるが、それはいわゆる『暗い』『希望のない』重たさとは違う。 ここに、生きるということの徹底したリアリティがあった。 そして、著者の厳しくも優しい『人間という愛すべき存在への眼差し』がある。 この本を通して、学べだことがいくつかある。 ・人が人を理解することは、難しい。ただでさえそうなのだから、こちらが相手を理解しよう、と能動的に動かない限り本当に大事なことなんてまず分からない。 ・問題というものは、正面から向き合わない限りなくならない。布をかぶせて隠してしまっても、そこに存在し続けるという事実からは逃れられない。 ・同じ問題を抱えた者・同じ寂しさを抱えた者はお互いに引き合ってしまいやすい。比較的容易に友達関係・恋人関係になってしまう(結婚までいくこともあろう)。ただし、気をつけないとその多くは単に互いの傷を舐め合うだけの、建設的でない関係に終わる傾向にある。これを防ぐには、どこかの時点で人間的に成長するしかない。 優しさ、ということがよく言われる社会。 この本は(そして作者は)、本当の『優しさ』とは何かを考えさせてくれる。 思うにそれは、徹底した厳しさの中から生まれてくるものではないだろうか。 逆に、そこから生まれてこない優しさというものは、見せかけの虚しいものでしかないのでは? 主人公に厳しく迫る雑誌記者や、自殺した子どもの父親を通して、そう考えさせられた。 真の優しさとは、厳しさと強さを土台とするものである。 ある本に、こう書いてあった。 『本当の強さとは、愛する者のために自分が傷つくのを恐れないこと』 この、何でもありなような世の中で、むちゃくちゃな世の中でー そうあってくれ、と叫ぶ作者の魂の声が聞こえるようだ。 もし、そのような強さを人が持てるならば。 世の多くの悲劇は、回避できるのではないか、と思えるのである。 | ||||
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中2のクラスメイトだった「フジシュン」はイジメを苦に自殺した。遺書には、イジメ首謀者の2名への怒りと、片思いだった中川小百合への謝罪と、なぜか「親友」と書かれた「僕」への感謝の内容が実名で書かれていた。フジシュンの父は、「なぜ親友なのに助けてくれなかったか」と無言の態度で示した。 僕と小百合は、複雑な思いを共有し、ある時学校の図書「世界の旅」にフジシュンのメモが挟まっているのを発見する。メモの旅の構想の終着点は、スウェーデンの「森の墓地」=丘の上の十字架だった・・・ *暗いテーマなので仕方ないけれど、登場人物の性格も湿っぽく、重い感じがした。 でも、こどもの世界のささいなことの大変さを思い出させられた。大人になると、ずいぶん楽になるから頑張って生き抜いて、とこどもたちに言いたい。 | ||||
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