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きよしこ
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きよしこの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全134件 1~20 1/7ページ
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学生時代に国語の問題文できよしこの文が出ていて、気になって購入して読んだ記憶があります。きよしこって気になりません? 大人になって、ふとこの本を思い出し、今度は電子書籍で買いました。 とても読みやすく、一日で読めてしまいました。 どうせ作り話なら、最後は悲しい終わり方にするなよ。途中が悲しくても最後の最後は元気がでないといけないんだ。 というようなことを小学校の先生がきよしに伝えていました。これが、作者の作品作りに通じているのでしょうね。 吃音ってなかなか治すのは難しいようですね。 でも、キャスターの故小倉智昭さんも子供の頃吃音だったそうなので、吃音でもアナウンサーになれるんだと驚きました。むしろ吃音だから、克服するために、アナウンサーになったと言われていましたね。 この作者も吃音だったからこそ、作家の道に進んだのかもしれません。 娘が大きくなったらこの本を紹介しようかな。 あら、だったら紙の本も買わないといけませんね!3冊目ですね! | ||||
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『きよしこ』レビュー(Vineプロジェクト向け) 重松清の『きよしこ』は、吃音を抱える少年・きよしこの成長を描いた心温まる物語です。言葉に詰まる苦しさや、人と向き合う難しさが繊細な筆致で描かれ、読者の心に深く響きます。特に、優しくも厳しい現実の中で彼が少しずつ前に進む姿には、多くの人が共感するでしょう。登場人物の温かさや、重松作品ならではの余韻の残るラストも魅力的です。言葉の持つ力を改めて感じさせてくれる一冊。成長物語が好きな方におすすめします。 | ||||
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子供達が大きくなったら読んでほしい | ||||
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孫娘に買い求めましたが、私も読んで目頭を押さえてしまいました 小学校が近いので登下校の生徒たちをよく見かけますが、少年少女たちに心のなかで声援を送ってます | ||||
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MISIAさんからのオススメで読みました。 吃音障害の方の日常的に寄り添った描写で、ところどころでしみじみ考えさせられたり、涙が出たり、心に残る作品です。 | ||||
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きっと何てことない内容だとは思います。 でも我が家は娘が吃音症なので、すごく共感しました。きっと娘もこんな風に思っているのか…。こうやって葛藤をしていくのか…。など 物語も読みやすく、あっ!というまに読んでしまいました。 | ||||
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本書は吃音(どもり)の少年の成長物語であります。素直に自然に読める本でありました。読みながら主人公の舞台での年代設定に氣がなってしまひ、多分自伝的小説なのかなと思ひを巡らせてゐました。でも、読み終へてふと筆者の名前は「清(きよし)」であり、主人公の名前と同じであるなあと思ひ至るとなあんだ、全く隠しもしない直球設定だと氣づくに至りました。 吃音で苦しんだ思ひをかなり深く掘り下げてゐますし、吃音による苛立ちと衝動が濃厚に描かれて主人公の思ひを表現してゐます。最初の部分では、随分と深刻な懸念まで描かれてゐましたが、途中からは何とかなって行き、学校の成績もよく、野球のセンスもまあまあで人生の希望を見つけてゐた氣がしました。 困難な中にあっても友情を深め、自身の力のなさを悲しみ、そして、新たな光を東京に求めるといふ形で終ってゐます。ベストな成長かどうかは分かりませんが、人間は確かに成長したんだと感じさせられました。 | ||||
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重松清さんが好きです。中でも最も好きな作品です。 ある吃音の少年の成長に合わせて綴られる短編集。言葉がつっかえるから、言いたいことが言えない。 私は吃音ではありません。でも、自分の気持ちをいつも正直に口にできたかと言うと…。恥ずかしかったり、意地になったり、思わず唇を嚙んで、言葉をのみ込んだ-こんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 言えなかった言葉だけではありません。あの時、どうしてあんなこと言ってしまったんだろう?と、口にした言葉を後悔することもあります。 自分の気持ちを伝えるのは難しい。私の心の中にも「きよしこ」はいました。素晴らしい本だと思いました。 同時に、この作品の主人公が著者のことなのだとすれば、こうやって内省する時間が、内なる言葉を研ぎ澄まし、作家としての礎を作ったのではないでしょうか。孤独は自分を育てます。悪いことではない、とも感じています。 ■印象に残った表現 「通行人Aやら通行人Bやらなんじゃそれは。お前世の中に『通行人』という名前の人がいると思うんか」(『北風ぴゅうた』) 「〜クラス委員と組みになっていた奴が『余り』になった。その時は自分が『余り』にならなくて良かったとしか思わなかったがいまは、割り込まれて、『余り』になってしまった奴の気持ちがわかる」 「どこにも割り込みたくない、と思った。割り込んで誰も弾きだしたくない。何かを選んで誰かにつらい思いをさせたくない」(『交差点』) | ||||
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とても良かったです | ||||
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私も転校生だった。ひどい吃音ではなかったが、人前で話せなかった。言葉が出てこない時の感じは、どこかきよしと似ている。作者とは同い年だから、私にとっても、もう遠い昔のことになるけれど、その記憶がトントンと刺激されて、ふわふわと浮かんでくるように感じた。自分の思い出話をしていたような不思議な時間を過ごせました。 | ||||
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私は数年前から、いわゆるドライ・アイというのになってしまって困っています。目がチカチカするし、霞みます。これは涙の分泌が減少してしまう状態だそうです。2種類の目薬を、都合1日10回も差すことになっていて、とっても面倒です。 でも今日は目薬を差す必要はありませんでした。本物の涙がたくさん出ましたから、、、、「きよしこ」を読みました。 こどもの頃は、みんなユニークです。「平凡な子」なんて一人もいません。なぜでしょうか。きっと自分を見つめる視点が、自分だけだからかもしれません。大きくなるに従って、複数の視点、他人の視点でも自分を見られるようになってきます。そうすると、自分と他人との違いに思いが至ります、自分のまずい点が見えてきます。 どもりであったきよしは、きっとこどもの頃から既にそうした視点を持っていたのでしょう。幼い心には、これは大きな負担です。でも自分に正直に向き合わねばならないと思ったとき、逃げ場は無くなります。つまずきながらも、前に歩んで行かなければならないと思ったとき、きよしは大人になりました。 この本を読んで、私は、ちょっぴり自分のことが好きになりました。 | ||||
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冒頭しかまだ読んでませんが早速泣いてしまいました。自分が吃音で苦しんだシチュエーションと重なって、読むのも辛かった。それだけ描写がリアルです。吃って言えないから何も言わないところとか。吃音で人生どん底のきよしがどうなっていくのか先の展開が気になります | ||||
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しかしいちいちこういう書き込みは負担ですが・・・。 | ||||
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感動的な物語 | ||||
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吃音が原因でイジメ、憐憫、哀れみなどをむけられても、感情も意見も、全てぎゅっと胸の中に押し込んでしまう。 そんな中でも、全てのストーリーで最後は心が温かくなった。 それは少年や少年の周りの人々の優しさ、心が通った瞬間があるから。じんわりと感動が心に広がった。 複雑な心理描写が丁寧で的確で、一気に引き込まれていった。特に思春期の子達の心情には、当時掴みきれなかった感情が確かに在った事を思い出した。 静かな物語だけれども、悲しみ、苦しみ、優しさ、愛、強さが沢山詰まっていてとても感動した。 | ||||
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言葉にならないこと。言葉にできないこと。言葉にすることができないこと。それでも心に残るもの。 | ||||
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小学生の孫に読ませました。色んな個性を持った人が居るのだと知ってもらいたくて。 | ||||
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吃音の少年はこの本を読んでどう思ったのだろう?素敵な作品を生むきっかけになったその少年の母にも感謝。 | ||||
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「きよしこ」を久しぶりに読み返してみた。本作は妻も息子も読んでいる。私たちと重松清の作品群、深いお付き合いが始まったのはきっと息子の中学受験がきっかけだったと思う。それが2021年3月、NHK土曜ドラマを見たことで、無性にこれを読み返してみたくなったのだ。「どんぐりのココロ」の章、千原せいじ演じた大阪弁の「いつも酔っているおじさん」があまりに素晴らしく、これは演出が原作を逸脱しているのではと思ったりしたからだ。たしかに千原兄はこれ以上ないほどのはまり役ではあったが、役は原作に忠実に演じられていた。そしてこの読み直しでこの本の良さ、重松清の筆の良さをよけい再認識させられた次第である。たとえば以下のようなところ。 (もう遊んじゃダメという母に対し、)「ええやんけ――心の中で言い返した。おっちゃんもひとりぼっちだったんだと知って、よけいおっちゃんが好きになった。入れ替わりに、この町で友だちをつくった母親が嫌いになった。」 「自転車のハンドルを取られそうになる。松葉がタイヤを滑らせる。頬がピリピリする。風に乗って砂が吹きつけてくるのだ。冷たい飛沫も頬に当たる。鼻の先が寒さでじん、と痺れた。空はもうほとんど闇になっていた。怖い。寒い。全身が痛い。泣きそうになった。『ええやんけぇは、ええやんけぇ、えーやんけーぇっ!』自転車を漕ぎながら怒鳴った。」 「ええやんけ!」というのは、このおじさんが「どどをくる」少年のために寺の境内で、「せやけど それがどうしてん、そんなん もう・・・」と言ってくれた言葉である。瑞々しい子供の感性、1m40の目がとらえた美しい視野。この世界は重松以外には書けない世界だと実感させられた。 あともうひとり、「東京」の章のワッチ!Y大で障害児教育を専攻しているかわいらしい少女。このキャラも原作で確認させてもらいました。まったく素晴らしいです、重松ワールド! そいで、津山弁(全部そう思えてしまいますが)も、ええですねー。 | ||||
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切なくて温かくて、涙が止まりませんでした。 あの頃の、今現在の生きづらさ。 それを支える周りの人々。 今、ちょっと生きるのツライな、 と思ってる人に読んでほしいです。 重松清さんの文章ホッとしますね。読んでよかったです。 児童書というイメージもありましたが、大人になってからこそわかることもたくさんありました。 | ||||
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