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悪夢の果て
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【この小説が収録されている参考書籍】
悪夢の果ての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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2001年に書かれた短編集。小渕首相の下、制定された国旗国歌法など、戦時中に戻るプロセスの中で、著者は危機感を感じたのでしょう。その感性と作品にした勇気は評価できます。 作品自体としては、『プロメテウスの乙女』(1984)、『教室の正義―闇からの声』(2006)、『三毛猫ホームズの遠眼鏡』(2012-4)と比べるとインパクトが弱いように感じました。 政府によるクーデターは2014年7月1日に集団自衛権閣議決定で現実になりましたし、沖縄等では白色テロも起きてます。大手メディアは御用メディアに。このままでは、国を国"家"に乗っ取られてしまうことに、人々が気付いてくれるにはどうしたらいいのでしょうか...? | ||||
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表題作は2001年に発表されたもの(当時は「悪夢のかなた」)。著者が当時の政治状況に対して感じていた危機意識が表現されている。 以前、ほかの作品についても書いたことだが、赤川次郎氏が従来持たれているイメージとは、かなり違う作品である。現代において、歯がゆい立場に置かれた主人公が、タイムスリップのなかで体験する、戦時における本当の恐怖は見事である。また、その歯がゆい立場に関わる部分は、政府の考えを答申することが予め定められている「審議会」を使った現代の政治手法に対する批判にもなっている。 少なくない作家や言論人が政府に追随し、世界的には修正主義者と見なされる発言を繰り返していることを考えると、本書のようなエンターテインメントでありながら、強いメッセージ性を持った作品を上梓する氏の創作姿勢には拍手を送りたい。発表から13年を経て、政治状況はますます悪化しているように見える現在だが、歴史を長い目で見れば、現在のような状況は、極めて一時的な“揺り戻し”であって、永続するものではない。やがて“揺り戻し”が過ぎ去った時、こういった作品を発表し続けた氏が、さらに高く評価される日がくるに違いない。 | ||||
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赤川次郎にしては珍しい社会派小説。 戦争の悲惨さを、適切に描写し、個人でできることは何かを考えさせられる。 抗しきれない力に対して,何かを考えるきっかけを与えるかもしれない。 作家が普段は売れるために書いているものと、書きたいから書く物があるという。 山村美紗が、西村京太郎に言ったといわれている言葉を思い出す。 「書きたいものは、売れてからかけばいい。」 売れてしまってから,書くのには,売れるために書く流れに抗する強い意志がいるだろう。 そんなことを感じながら読みました。 | ||||
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赤川次郎にしては珍しい社会派小説。 戦争の悲惨さを、適切に描写し、個人でできることは何かを考えさせられる。 抗しきれない力に対して,何かを考えるきっかけを与えるかもしれない。 作家が普段は売れるために書いているものと、書きたいから書く物があるという。 山村美紗が、西村京太郎に言ったといわれている言葉を思い出す。 「書きたいものは、売れてからかけばいい。」 売れてしまってから,書くのには,売れるために書く流れに抗する強い意志がいるだろう。 そんなことを感じながら読みました。 | ||||
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読みながら、心を穏やかに保つことができません。 大人になってから、すすんでこうした心情と付き合うことは滅多にありません。 ここに収められている4つの短編、それぞれに、人間の嫌な姿が描かれています。それは正しく自分のこころの中にあるものです。 現代の日本の姿に危機感を持ってこうした一連の作品を記そうとした作者の気持ちを知って読み始めましたから、最後まで読もうという気持ちを持ち続けられたのだと思います。 正直に言うと、「凶悪犯」「後ろ姿の英雄」の二作を読んでいる途中では、何度か本を閉じなければいられませんでした。 細かい描写を省いた文章で展開を早め、ぐいぐいと引っ張られていきます。叩きつけてくるような印象を持ちました。 社会に定着した一定の位置をもっているであろう著者が、こうした作品を書いたことの意味を考えないわけにはいきません。 | ||||
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赤川氏が最近特に力を入れて書かれているのが、この「闇からの声」シリーズです。(私はノベルスの字の並び方が嫌いなので文庫まで待ちました。) 赤川次郎と言えば、ユーモアとウィットに富んだライトなミステリー、というのが大まかな世間的評判だと思われますが、これは、そういった読後感を期待していると、もしかして大事なものを読み落としてしまうかも知れません。 表題作「悪夢の果て」は、終戦間近の日本の、壊れていく人間たちの脅威、逆らえない人間の恐怖を、現代の主人公の視点によって生々しく描きます。 最後の「雨」も、恐怖政治に対する赤川氏の警鐘、という点では表題作に似てはいますが、登場人物の中に、それに気付く者、眼の覚めない者とが混在していて、読者は自然と冷静さを求められているように感じます。 「凶悪犯」「後ろ姿の英雄」の二本の方が、現代の本当にあり得る設定であるだけに、私には胸の痛い作品でした。経営者の身勝手による左遷や失業、核家族の教育を助ける者の真の顔…。 これらは、訴える作品です。短編の中の登場人物の小さな叫びに、気付かないとあなたもいつの間にか悪に流されてしまうかも知れない、と言われているような気がしました。 | ||||
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著者の赤川氏は『イマジネーション』で、「最近きなくさくなった日本が戦争への道を進まないように、小説家として何かメッセージを発信していきたい」という意味のことを語っていました。著者は、この意図を具体化するため、出版社の垣根を超えた「闇からの声」シリーズを企画します。 政治の動きだけでなく、社会の風潮にも違和感を覚えた著者は、「現代社会の『闇』を照射し、未来を生きる若い読者たちに警鐘を鳴らしたい」「今必要なのは、諦め、無気力になることを拒んで『希望』を語ることである」と、具体的作品を書き継ぎました。 本書は、その「闇からの声」シリーズの小説4編をまとめています。 書名にもなっている「悪夢の果て」は、著者の分身を思わせる売れっ子作家が主人公。青少年にボランティア活動を義務化する法案を審議していて、日本が戦争への道を歩む第一歩になることを懸念しています。ボランティアが義務化され、自衛隊に体験入隊する「ボランティア活動」を選択することが入学試験や入社試験に有利となれば、やがて戦争に反対する人の意見を封殺する世論が形成され徴兵制につながる、というのです。 自分の反対意見が排除されていく不快な経験をしているうちに、ある日、主人公の作家は、太平洋戦争中の日本にタイムスリップしてしまいます。そこで受けた仕打ち(言論弾圧され、家族に危害を加えられる)は、正に「悪夢」そのものでした。 また「雨」は、独裁体制を確立しようとする総理大臣がクーデターを実行する物語。総理自身が暴走する恐さは、同じ著者の『さすらい』を連想させました。 他に、アメリカ式の弱肉強食の世相が民間会社に広がることの恐怖を描いた「凶悪犯」等が収められています。 「このいくつかの物語は、絶望を通して希望を描いた、私なりのメッセージだ」という著者です。赤川氏が感じる危機感と希望に耳を傾けてはいかがでしょうか。 | ||||
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ユーモアミステリで一世を風靡した感のある作者だが、その本質はむしろ本作のようなブラックな作品群に表れていると思う。収録作品はいずれも、現実にありそうだが自分の生活とは関係ないと思われた悲劇が、突如自分の人生の延長線上に現れる話(表題作は設定こそSFだがそれが問題ではない)。正直、テーマや切り口に目新しさはない。しかし、この作者の読者層を考えると、作者がこれを書くことには充分意味があると思われる。 | ||||
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