カラマ-ゾフの兄弟

評判

カラマ-ゾフの兄弟の評価:

4.26/5点 レビュー 686件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.26pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全695件 321〜340 17/35ページ
No.375
(1pt)

ジョージ・ブッシュの魂の最良の具体化例

なんでこんなに訳文が下手なのかとおもい、図書館で翻訳者の著書をざっと読んだ
エッセイだったが、なるほど、物書きの資質が欠如している、これじゃ原文がよくても無理だ
描写力、情景を喚起する力がない、ものの見方が平凡、人物を描けない、自分本位、動きが出ていない、ダメさ加減をあげればきりがない、つまりはタテをタテ、ヨコをヨコにしか描けない、タテとヨコを混ぜたらどうなる?、三次元であるはずなのに軸の一本が隠れたような絵になり、それでは平面にしか映らない、静物を静物としてしっかり枠におさめる力、研究だけにそれはあるのかもわからない
だが小説の翻訳というのは重いカメラを担いで動き回る人物の人間性の底までを巧みに撮りきるだけの機動力と直感の鋭さが必要のはず、研究者の資質とは別のものになる
もっとも原文がもともと悪く、翻訳者がそのとばっちりを受けたというだけなのかもしれない、なぜなら、最終巻でドスの記述方法が「口述筆記」と明記されているから
それが本当なら、この「カラマゾフ」という作品は自分に言わせれば完成以前の習作の段階でしかない、この程度の作品を地球規模で崇め奉ることの根拠は、単に長いものに巻かれたい、一般大衆の付和雷同精神のタマモノということ
絞っていえば長男が父親のところに金を盗みにやって来て、塀を上って屋敷に近づき、さあ、と凶器を持ち出したところで「…」
肝心の場面を一行飛ばしてある、筆の技術であいまいにしたのなら納得してもいい、だが、一行飛ばしで重要なシーンに目隠しをする作法など聞いたことがない、めくらましを図ったのはドスが初めてだろうし、最後でもあるだろう
映画で殺人の場面が近づいて次のシーンを黒く塗りつぶし、その後の逃げる展開を写し出したら観客は怒るだろう、だが人類の最高傑作でドスは見事にやってのけ誰からも不満を表明されたりしない
ぼくがこのシーンに不満なもうひとつの理由は、このとき長男は銅の杵を使って爺さんをぶちのめしたことは確かなのに、その後この殺人未遂事件に二度と触れなかったこと、血筋でなければ死んだっていいということなのか、読者のなかからそれに対する不満が聞かれないのも不思議だ(あるいはまったく不思議でない)
ドスというのは芸術の世界の祭り上げられた傀儡政権の首領に過ぎないんじゃないか、なんであれ、作家は作品のストーリーを最後まで編み上げるのが最低限の責務、その上でどうなのかと作品の真価を問われることになる
人物造形はところどころ優れている、特にゾシマはいいと思う、ところが(全員に当てはまるが)会話が多すぎ、多すぎる会話がさらに鼠算のように増え、大掛かりに作ったロケの場面が単なる舞台美術に矮小化されてしまう、これを繰り返す
次男の大審問とかいう長台詞には笑えた、いくら何でも長すぎる、次男の造形は最初気に入っていた、なぜなら内省的で得体の知れない人物として描かれていたから、この場面でそれも壊れてしまった、大審問の内容はともかく無口なはずがこんなに喋くるはずがない、舞台の袖でノートを抱えたドスが台詞を棒読みしていた、ということだろう?
有名な評論家(小林秀雄だったか、その対談の相手だったか)によれば三男は「キリスト」だという、ぼくに言わせれば世間知らずの餓鬼、単なるニートが行き場がなくなって寺に入ったという程度、悪さをした子供の家に行って隣の部屋に瀕死の病人がいるのに、科学がどうした、芸術がこうした、ときいたふうなことをまくし立てるののに呆れた、病人がいるなら静かにしてあげればいい、そんな常識もない、それがキリストだというのか、もっとも、ここで三男は操り人形と化しているだけで、またしても創作ノートを引っさげてしゃしゃりでてきたドスのことを、本当は鬱陶しく思っている
ヴィトケンシュタインが50回読んで完璧だとほめたという、これもよく聞く逸話だ、彼は芸術家ではない、哲学者(論理学)だ、彼はこの作品が好きだった、というだけのこと、それをなぜ人類史全般のレベルにまで大掛かりに普遍化するための道具に使わなければいけないのか、彼はIQが飛びぬけて高い、だがそれと芸術の価値を見抜く力は必ずしも相関していない、特権階級が思い巡らす血筋と私有財産を保持しようという魂胆、その策略にまんまと引っかかり、のせられた(自分は頭が悪いという)劣等感を死ぬほど抱えた一般庶民による共犯行為が、ひとつの歴史的事件に発展するケースが稀にある、そのひとつが「カラマゾフ」だ
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.374
(5pt)

文字が大きい

紙面がとてもきれいで読みやすかったです。
文字も大きくて(また下巻は小さくなりました。文字数の関係ですね)
破れやカスレもなく良好でした。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.373
(3pt)

なかなか難しい

次々と豊かな文が、表れ圧倒されるが、文学の才のない私にはなかなか難しい表現が多く、読み進むのに時間がかかった。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.372
(4pt)

世界最高級の小説を日本語で楽しむ

評者は今から40数年前に米川正夫訳の「カラマーゾフの兄弟」に挑戦したが、前半部の前半「大審問官」の辺りで挫折した覚えがある。この度古典新訳文庫版の評判を聞き再挑戦したが、推理小説を読むような面白さで冒頭からエピローグまで一気に読んだ。
 亀山郁夫訳の新鮮さは、日本の読者が読み通せることを第1に考え、文章の勢いとリズムを重視しているところにある。米川訳と比べると、まず感じるのは見た目で頁全体が白っぽいことである。これは、長い文は短く分け句読点を多くし、長い段落は短く分け改行を多くしていることや、難しい漢字や漢語が少ないことによる。また文章の勢いやリズムを損ねる訳注は一切行わず、その分各巻末の解説を長めにとり作品読解の参考となる事項を丁寧に述べる。同じ理由で、ロシア人の長くて複数個もつ名前や呼称はできる限り統一し1つにしている。既訳のロシア小説らしい重厚で屈折した文章に慣れ親しんだ者には、新訳は軽薄な印象を持つのかも知れない。
 翻訳とは翻訳家が原文で小説を読み感じとったところを、言葉と文体を考えながら日本語に移し替えるという創造的行為だと思う。一部に亀山のカラマーゾフは誤訳が多いとの指摘がある様だが、言葉に関して言っているのであれば、誤訳と意訳は紙一重であり単純に誤訳と決めつけるのは如何なものだろう。また誤訳が作品の解釈について言っているのであれば、本作品は様々な主題を扱っており、神の存在・非存在を巡る深刻小説と捉えることが唯一絶対ではなく、とてつもない事件や家庭問題を描く通俗小説として楽しんでも良いのではなかろうか。
 最終巻となる本書は他に類を見ない構成で、解題としては長いドストエフスキー伝と詳しい作品論が付いている。どちらも亀山氏の力作ではあるが、作品論はやや強引で自伝の反映部分やカラマーゾフ続編にこだわり過ぎだと思う。参考にはなるが本文翻訳とは別冊にすべきではなかったろうか。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.371
(3pt)

キリスト教理解の重要性

キリスト教に関する基礎的知識の不足を感じ、一旦、カラマーゾフの兄弟は休み、それらの本を読むこととした。
つまり、この小説は、よほどキリスト教に詳しくないと本当に理解は出来ないと言うことであろう。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.370
(5pt)

aaa

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.369
(5pt)

hi

good.aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.368
(5pt)

AAA

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.367
(5pt)

AAAA

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.366
(5pt)

これまで書かれた全ての書物の中で

前巻と中巻を読むのは苦行のようになるだろう。が、下巻で全ては変わる。忍耐を持って読んでもらえれば。

こういう傑作について、かける言葉はもうない。・・・昔、ゲーテがシェイクスピアについて述べた言葉として「彼にはこの世界ですら余りに小さすぎたのだ!」という言葉があるが、僕はその言葉を思い出す。カラマーゾフの世界は、この世界ーーーこの宇宙よりも三百倍くらい広い世界だ。何もかもが極限を超越している。愛情は憎悪となって現れ、憎悪は本人にも見えない形になって、本人も理解できないような形で現れる。そして、ラストの検事と弁護人の対決・・・。もちろん、こんな対決など、この宇宙のどこでもかかつて現れた事はないであろう。だが、彼らは対決せざるを得なかった。ドストエフスキーの魂がそれを求めていたからだ。

本書を読んで、面白かった、とか傑作だった、とか言って、それで話が終わらない所に、この作品の偉大さはあると、僕は思っている。現代人はどこでも傍観者であり、いつも自分を楽しませてくれる何かを求めているが、この作品はそれよりももっと怖ろしいものを僕達に提供してくれている。・・・偉大な作品とは、単に面白かったりすごかったりするだけではなく、心底怖ろしいものを隠し持っているのだと僕は思う。・・・本書と比較できる文学作品は僕の知っている限りでは、シェイクスピアの「リア王」くらいではないかと思う。しかし、それすらも超越している。今までの所、僕にとってこれまで書かれた全ての書物の中で最も輝かしく、最も怖ろしい作品だ。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.365
(4pt)

【ドストエフスキーの無神論】〜神は不在なり〜『誤審』命題「人間は真実を知り得ず」

この本は、ロシアの文豪ドストエフスキーの大長編にして未完の大作『カラマーゾフの兄弟』です。ドストエフスキーは、上巻の「大審問官」ではイエスの奇跡を否定し、中巻の「腐臭」ではゾシマ長老の神聖を否定してきました。この『カラマーゾフの兄弟』は、個人的にドストエフスキーの無神論なわけです、彼のこの無神論に反論し論破できる者が果たしているのか、それほどドストエフスキーの無神論は強力で悪臭を放っています。

この下巻での圧巻はやはり『誤審』で、命題は「人間は真実を知り得るのか?」となるのでしょうか。

「誤審」では冤罪を書いています。もし神が存在しておれば、人間は真実を知り得て、罪も無き者が罰せられる冤罪は有り得ない。しかしこの世界に神などは存在せず、ゆえに罪無き者が罰せられるのだ、とドストエフスキーは主張するのですね……、神はやはりここでも不在なわけです。

しかしドストエフスキーはエピローグでは小さな希望の光を人々に託すんですね。信仰という、希望の光を……、
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.364
(4pt)

【ドストエフスキーの無神論】〜神は不在なり〜『腐臭』命題「神聖は有り得ず」

この本は、ロシアの文豪ドストエフスキーの大長編にして未完の大作『カラマーゾフの兄弟』です。『カラマーゾフの兄弟』は二部構成でこの上中下巻はその一部で完結はしているものの未完といわれています。一部は「父親殺し」を題材にし、二部では「皇帝暗殺」を題材にしたものだろうということです。たぶん、のちのイワンが革命家になっての話になるのでしょう、私の空想だと『悪霊』と『罪と罰』を拡張したようなものになったんではないのかと思います。のちのイワンは革命家となり、『悪霊』のような思想家たちの仲間となって皇帝暗殺を企て実行する、暗殺後はその罪に恐れ、神に仕えるアリョーシャや信仰心のあるソーニャのような女性かに罪を償うように諭されるという感じですかね。

この中巻での圧巻はやはり『腐臭』で、命題は「神聖は有り得るのか?」となるのでしょうか。

「腐臭」では、聖人の遺体は腐らないと言い伝えられているのですが、信者たちから敬愛されるゾシマ長老の死後、その遺体が腐敗し異臭を放つわけですね。信者たちは戸惑うわけです。

ドストエフスキーは「腐臭」によって、神が存在しておれば、それに仕えるゾシマ長老の腐臭はなかったであろう。そもそも世界に神などは存在せず、よって神聖や遺体が腐敗しないなど有り得ない、と主張するのですね……、神はここでも不在なわけです。

                            
                                  下巻レビューにつづく
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.363
(4pt)

【ドストエフスキーの無神論】〜神は不在なり〜『大審問官』命題「世界に救いは存在せず」

この本は、ロシアの文豪ドストエフスキーの大長編にして未完の大作『カラマーゾフの兄弟』です。難解ゆえに多くの人が挫折したことでしょう。まず娯楽目的では苦痛を伴います。この小説は、「父親殺し」を題材に犯人は誰なのか、を推理しながら読むことができますが、ドストエフスキーは神学的命題を基に、自分の思想を登場人物を通して語らせているため、少なくとも、この思想を理解するためには聖書の知識が必要となります。

この上巻での圧巻はやはり『大審問官』で、命題は「世界に救いは存在するのか?」となるのでしょうか。

「大審問官」とは、三人兄弟のなかのイワンの創作物語なのですが、聖書中におけるイエスが石をパンにしそれを群衆に分け与えておけば、群衆はそのパンを求め、イエスを神の子として、ひれ伏し崇めただろう。しかしイエスは石をパンにし飢える群衆を救うことができなかった、イエスは神の子でもなんでもない、という。これに反し、もしイエスが石をパンにしそれを群衆に分け与えておけば、群衆は飢えることはなかったが、イエスにひれ伏し崇めることで自由を失うだろう、ゆえにイエスは石をパンにせず、群衆に自由を与えたのだ、という。しかし自由を与えられたがために人類の不幸は始まり、人類にとっては自由は無くとも、パンを与えひれ伏し崇め、奴隷であることのほうが幸福であっただろうというのである……、

ドストエフスキーは「大審問官」によって、奇跡も行えないイエスは神の子でもなく、そもそも世界に神などは存在しないのである、と主張するのであるが……、

                            
                                  中巻レビューにつづく
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.362
(1pt)

買わなければよかった。

評判が高かったので購入したが、つまらなかった。
世の中はろくでもないことだらけ。今更本で読むこともなかった。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.361
(1pt)

愚かさなど。

人間の愚かさなど、毎日嫌と言うほど見ている。ので、本から得られるものはなかった。
あえて読まなくてもよかった。
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.360
(1pt)

気に入らない。

前評判が凄かったが、何が面白いのか全くわからない。
一般人向けではないと思った。
人間のおろかさなど、毎日みているので今更だったのかも。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.359
(1pt)

つまらない。

前評判が高く、購入してみたが、失敗。普段の生活でおろかな人間ばかり見ていると今更と思う。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.358
(5pt)

なし

なし............................
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.357
(5pt)

なし

なし............................
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.356
(5pt)

知識人という悪魔

『大審問官』の章について。
イエスが人々に望んだのは奇蹟を求めることではなく、自由な愛、自由な信仰を持つことだった。だからこそイエスは、この石をパンに変えればお前は人々からより指導者としてあがめられるだろうという、崖の上で悪魔が囁いた言葉を退けたのである。こんにちイエスのいう自由な思想を手にした一部の人々は科学信仰や無神論、革命思想、ニヒリズムに陥っている。いっぽうで哀れな心貧しい民衆は寄るべき心の支えを失い、ますます路頭に迷うだろう。そのときこそ教会は秘蹟や秘儀を用いて人々に信仰心を植え付け、かれらを一つに率いることによって心の迷いから救うのである。老審問官によればイエスこそ人々に「自由」という思想を吹き込み、民衆を堕落させようとした張本人に他ならない。

そして幸福とは盲目的な信仰のなかにこそ見出せるのであって、その神秘性は全くの偽りであってもかまわない…これほど神と教会を愚弄する思想があるだろうか。だとすれば、イワンが会合の場で披露した「あらゆる地上の国家がゆくゆくは全面的に教会に変わるべき」(p.117)という思想は、一部の知識人=教会=ニヒリストたちが、人々の信仰心を利用して心貧しい民衆を従えるという構図になる。…そこに救いは無く、文字どおり神も仏も無い。しかも、ドミートリイへの復讐に燃えるイリューシャの心を察知すれば、『反逆』の章でイワンが語る地上の調和などあり得ないことにも気付く。19世紀ロシアに蔓延していたニヒリズムがいかに強烈だったかを感じさせる。

イワン自身、自由思想を持つ知識人である。その姿はニヒリズムに取り付かれて破滅していく『悪霊』の主人公ニコライに重なる。いっぽうで改悛の心を持ちつつも、激情に駆られて色事に走ったり暴力に及んだりするドミートリイやフョードルは率いられるべき「あわれな子羊たち」の側を思わせる。…彼らに救いはあるのだろうか。そのとき、「神さま、不幸なあの人たちを(…)お救いください。」(p.304)と祈りを捧げる修道僧アリョーシャにいったい何ができるのか。本書は「アリョーシャは悲劇的な謎の死を遂げた」という一文から始まる。

『カラマーゾフの兄弟』を読むのは亀山氏の訳につづいて二回目だ。私の中では本書を越える小説をまだ知らない。読むたびに新たな発見を与えてくれる。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106