■スポンサードリンク
影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
影武者徳川家康
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
影武者徳川家康の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全126件 21~40 2/7ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
関ヶ原の戦いで徳川家康は死に、影武者・二郎三郎が表舞台に立ち始めるという仮説に基づく歴史小説。 自由な世界を望む二郎三郎・風魔忍・島左近と、自ら上たらんとする徳川秀忠・柳生忍との15年間に及ぶ戦い。極悪非道として描かれる秀忠を、二郎三郎達が頭脳と忍者で何度もこてんぱんにやっつけるのが痛快。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
関ヶ原の戦いで徳川家康は死に、影武者・二郎三郎が表舞台に立ち始めるという仮説に基づく歴史小説。 自由な世界を望む二郎三郎・風魔忍・島左近と、自ら上たらんとする徳川秀忠・柳生忍との15年間に及ぶ戦い。極悪非道として描かれる秀忠を、二郎三郎達が頭脳と忍者で何度もこてんぱんにやっつけるのが痛快。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
影武者徳川家康は、隆慶一郎先生の名作です。上下はありましたが、なんか話がつながらないと中があったことが検索でわかり買いました。上下の方が柳生との死闘と言う意味で出来は良いかな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時代小説の醍醐味を味わえます。何度も読み返し、読む時期によって、感じることが尽きません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリーは文句無しに面白い。それ以外にも長所有り。文章が読み易くスムースに読み進められる。文字の大きさが小さすぎず大きすぎず、ちょうど良い。ふりがなが有ってストレスがたまらない。私は日本の歴史ものが好きではないのでほとんど読みませんが、これは文句なしに面白い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
伝奇小説の快作です!冒頭の20ページのつかみで作者の世界に引き込まれ最後まで寝食を忘れるほどの内容です。只、映像化された物はすごーくガッカリ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
(上)巻は徳川家康が関ヶ原で殺されるシーンから始まり、その後影武者が朝廷から源氏の長者たる征夷大将軍に任ぜられるまでのお話。うーん。いろいろ無理なところが有るとは思うが、小説だがらこれも有りかな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
以前読んだことがあり、かなり面白かった。何度も読みたいと思い、再度注文した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
以前読んだことがあり、かなり面白かった。何度も読みたいと思い、再度注文した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここまで夢中になって読んだ小説は久しぶりだった。 ただの影武者だった男が本当に海道一の弓取りと言われた徳川家康として第二の人生を送る。 主人公を暗殺せしめんとする徳川秀忠と柳生一族、主人公を守るべく力を貸す島左近と彼の部下、甲斐の六郎と風魔忍群。 ロマンスあり戦いありの正にエンターテイメントの見本。 しかし、ただ一つ気になるのは徳川家の最高顧問ともいえる天海僧上が出て来ない事である。 作者も天海を出してしまうと作品が変わってしまうと判断しての事だと推察するが、やはり出して欲しかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何回も読み返して、その都度何回も感動して、感心して。新しい発見をする。一生モンの一冊です。 この時代の全てのジャンル(政治、経済、戦、奥、忍者、武道、まだまだあります)を網羅した内容で、中途半端な取材では到底書けなかったでしょう。ほんと惜しまれる死です。生きていれば司馬氏を越えたと言っても言い過ぎではありません。 もちろんここのレビューでも高評価なので、これ以上かいても、無意味なので、 あえて、気になるとこをひとつ書かせてもらうと、草津で忠勝が、秀忠や正信に家康が死んだことを伝えたときの、正信の反応があまりにそっけないかと…… 過去のくだりの中でも、二人は親友とまで書いたわりには、あまりにもそっけない。 涙1つ流してないのが、凄くひっかかりました。それどころか、忠勝や秀忠に、カマかけたり、駆引きしたり。親友の衝撃の死の事実を突き付けられた後の行動としては、おかしすぎる。 しかも、感動の伊賀越えの下りの後だったので…。 ほんとそこだけ!ほんとそこだけ!決して文句ではなく、ひっかかるのです。 どなたか同じ思いの方はいませんか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白いし、読みやすいです。まだ、上巻のみですが、引き込まれます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現実社会の中では、うまくいく筈がないとか、こんなことをやっている場合ではないとわかっていても、仕事としてやらなければならないという状況はいつでもある。 先が見えない人々の中で、将来このままではダメになるとわかっていながら、自分のできる範囲内で、最大限努力し、事態の変化を待つということはいくらでもある。いや、そういう場合の方が大部分だろう。 本書の主人公である徳川家康の影武者、世良田二郎三郎は、権力の頂点に立っているといえども、その点ではわれわれと同じである。 豊臣家の滅亡と二郎三郎からの権力奪取を狙う二代目秀忠と、豊臣家復興の機をうかがう大坂方の間に立って、ひたすら平和と共存を図ろうとするその努力は、三巻目に入って、時代の勢いに押し流されるかのように次第に後退を余儀なくされていく。 こうした苦さは、この社会の真実である。六十歳を過ぎて作家になったという隆慶一郎が描くその苦さは、作者の大人であるゆえんであり、そこがこの作品に重みを与えている。 そして最後の場面。 そのような人生が直ちに絶望に終わるわけではなく、そこにも人間の夢と幸福があるのだということも、作者の語る通りだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
元々は漫画で花の慶次を読んで隆先生を知り、小説の一夢庵風流記を読んでファン入力なりました。 その中でも一番好きな作品です。何度も読み返している内に綴ってある糸が切れたり表紙が破れたりしたので買い直しです(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み応えあり。下記縄田一男氏の解説にある通り、まさしく史実と虚構のうねりに引き込まれる、文句無しに面白い作品。 「これらの作品には、(中略)作者自身の言葉を借りれば『伝奇的手法及び文章を使いながら、歴史的事実を再構成したい』、すなわち、歴史を虚構化するのではなく、虚構によって歴史を捉え直すのだという視点が如実に息づいていた一品ぞろいだった。こうした姿勢は、当然の如く色分けされていた、歴史小説とは、歴史上の事件や人物を史実に沿って描いたものであり、時代小説(伝奇小説)とは、歴史の衣装を借りて作者の自由奔放な夢を展開するロマンであるとする分類、もしくは歴史の重みの前には伝奇的ロマンの夢等は荒唐無稽な絵空事にすぎないという、斯界に弥漫していた抜き難い偏見の無化、もしくは解消を意味していた。そして両者を完全にアウフヘーベンした時、はじめて至高の歴史・時代小説をものすることが出来る。隆慶一郎はその最も困難な道に挑んだのである。」(解説より抜粋) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み応えあり。下記縄田一男氏の解説にある通り、まさしく史実と虚構のうねりに引き込まれる、文句無しに面白い作品。 「これらの作品には、(中略)作者自身の言葉を借りれば『伝奇的手法及び文章を使いながら、歴史的事実を再構成したい』、すなわち、歴史を虚構化するのではなく、虚構によって歴史を捉え直すのだという視点が如実に息づいていた一品ぞろいだった。こうした姿勢は、当然の如く色分けされていた、歴史小説とは、歴史上の事件や人物を史実に沿って描いたものであり、時代小説(伝奇小説)とは、歴史の衣装を借りて作者の自由奔放な夢を展開するロマンであるとする分類、もしくは歴史の重みの前には伝奇的ロマンの夢等は荒唐無稽な絵空事にすぎないという、斯界に弥漫していた抜き難い偏見の無化、もしくは解消を意味していた。そして両者を完全にアウフヘーベンした時、はじめて至高の歴史・時代小説をものすることが出来る。隆慶一郎はその最も困難な道に挑んだのである。」(解説より抜粋) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み応えあり。下記縄田一男氏の解説にある通り、まさしく史実と虚構のうねりに引き込まれる、文句無しに面白い作品。 「これらの作品には、(中略)作者自身の言葉を借りれば『伝奇的手法及び文章を使いながら、歴史的事実を再構成したい』、すなわち、歴史を虚構化するのではなく、虚構によって歴史を捉え直すのだという視点が如実に息づいていた一品ぞろいだった。こうした姿勢は、当然の如く色分けされていた、歴史小説とは、歴史上の事件や人物を史実に沿って描いたものであり、時代小説(伝奇小説)とは、歴史の衣装を借りて作者の自由奔放な夢を展開するロマンであるとする分類、もしくは歴史の重みの前には伝奇的ロマンの夢等は荒唐無稽な絵空事にすぎないという、斯界に弥漫していた抜き難い偏見の無化、もしくは解消を意味していた。そして両者を完全にアウフヘーベンした時、はじめて至高の歴史・時代小説をものすることが出来る。隆慶一郎はその最も困難な道に挑んだのである。」(解説より抜粋) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
史実と仮説をうまく組み合わせて一流のエンターテインメント性を持たせながら、学問的興味も喚起する作品。小説の作り方、という点でも興味深い。多くの知識に裏打ちされているからこそでもあろう。著者自身によるあとがきや縄田一男氏の解説も読み応えある。シナリオライターを長年やっていたとしても60歳を過ぎてからの作家活動でこれだけの作品を生み出したことは驚異的でもある。 関ヶ原の戦いの時、家康は59歳だったということも、改めて感慨深いものであった。50代後半の自分が人生に倦んだようなことを考えているのが恥ずかしい。家康にせよ小説のごとく影武者であったにせよ、そこから15年、現役として様々な活躍をし、三人の子まで作っている。自分の安逸な人生設計を恥ずかしいと感じるくらいである。 60歳過ぎての作家人生で家康(影武者ではあるが)の60代以降の頑張りを描く。定年前のサラリーマンにとって、この先の人生ももっとアクティブであるべきであるとの励ましの書でもありえる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
既に諸兄多数が”傑作”と投稿されていますが、異論ありません。独自の発想で物語が展開されていきますが、裏づけに文献・資料を引用されると、そうだったのか・・・と納得させられてしまいます。どこまでがフィクションでどこがノンフィクションか、渾然とした面白さがあります。長編なので読むのにも時間を要しますが、裏切られることは少ないと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても面白く読みました (「上巻」に投稿させていただきましたので、ご参照ください)。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!