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THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ
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THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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購入していたが未だに読破していない。いや、開始30Pに留まっている。ロンググッバイ。この定石にはまりそうだ。浜だけに。 | ||||
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これを読むことを楽しんでしまうことに対する反省があります。ノスタルジーに浸ってしまうと、自分が歳をとってしまったことを感じます。ヤマトとか、ヨリとかを登場させたのは編集者の入れ知恵か、と考えてしまいます。 昔、プードルスプリングのTV版をみたとき、年老いたマーロウに感じたのと同じ感覚ですね。でも、読んでしまうのですが。 | ||||
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「wrong」になった理由は、間違いなくこの二村刑事にある、と思う。 チャンドラーのマーロウも向こう見ずで突っ走るタイプだけど、矢作氏の二村さんは同じ突っ走るにしても、ちょっと投げやりな感がある。自分が何をしたいのかよく分かっていないし、お酒の飲み方も美しくはない。同じ状況下ではあっても、生き方が違えば結末も変わってくる、ということ。 ストーリーだけではなくて、細部で元ネタにかけてある箇所はいくつか出てくるのだけど、チャンドラーを読んだことのない人にとっては唐突に感じるかもしれない。かと言って、読んだことのある人にとっては、ちょっと物足りない。 結局、誰が読むと楽しめるのかと言うと、たぶん、「チャンドラーファン」ではなくて、「ハードボイルドファン」なのだと思う。(私は前者。) あとは横浜に土地勘があって、野球と車に詳しい人、かな。。(笑) 勿論「チャンドラーファン」でも、楽しめる所はたくさんある。特にレノックスが「変装」して再登場した場面。これにあたる場面で、ちゃんとこの「変装」にかけて、ビリーがある秘密を暴露する。物理的な「変装」ではなく、変化球でくるとは。この作者の裏切り方はスゴい。 日本を舞台にしたハードボイルド作品、という観点から見るとよく出来た作品だと思う。(←上から目線でスイマセン) ま、非常に男くさい作品だってことは間違いない。 | ||||
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「日本語で書かれた、最も美しいハードボイルド探偵小説」と銘打ってある。確かに美しいハードボイルド探偵小説であったと思う。が、まったく世界観に入り込めなかったため、自分には合わない作風であるといわざるを得ない。高村薫の「」のときと同じように、キャラクターが全然頭に入らず、誰が誰だかまったくわからないまま最後になってしまった。おれってだめだなー。「ロング・グッドバイ」ってのは、「長いさよなら」ではない。綴りが「WRONG GOODBYE」なので、「まちがったさよなら」という意味である。どーでもいいか。。 | ||||
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「日本語で書かれた、最も美しいハードボイルド探偵小説」と銘打ってある。確かに美しいハードボイルド探偵小説であったと思う。が、まったく世界観に入り込めなかったため、自分には合わない作風であるといわざるを得ない。高村薫の「リヴィエラを撃て」のときと同じように、キャラクターが全然頭に入らず、誰が誰だかまったくわからないまま最後になってしまった。おれってだめだなー。「ロング・グッドバイ」ってのは、「長いさよなら」ではない。綴りが「WRONG GOODBYE」なので、「まちがったさよなら」という意味である。どーでもいいか。。 | ||||
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矢作俊彦のチャンドラーへの傾斜ぶりは周知のところでしょうが、この本歌取りは(あまりに本歌に近すぎて)成功しているとは思えません。厄介な謎解きは不要としても、もう少しプロットを吟味して、小道具を生かし(横浜も様変わりしたので情景描写に味がなくなりました。これは著者の責任ではなく街の責任でしょうが)、代わりにお得意のレトリックを減らしたほうが面白く読めると思います。著者の特徴としてデビューから現在まで殆ど文体が変わっていないのですが、昔は大人っぽいと思ったものが最近ではガキっぽく感じられます(ブリオやレオンの記事みたいに)。同じ文体を貫くなら「真夜中へもう一歩」を超えてくれることを望みます。 | ||||
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矢作俊彦のチャンドラーへの傾斜ぶりは周知のところでしょうが、この本歌取りは(あまりに本歌に近すぎて)成功しているとは思えません。厄介な謎解きは不要としても、もう少しプロットを吟味して、小道具を生かし(横浜も様変わりしたので情景描写に味がなくなりました。これは著者の責任ではなく街の責任でしょうが)、代わりにお得意のレトリックを減らしたほうが面白く読めると思います。著者の特徴としてデビューから現在まで殆ど文体が変わっていないのですが、昔は大人っぽいと思ったものが最近ではガキっぽく感じられます(ブリオやレオンの記事みたいに)。同じ文体を貫くなら「真夜中へもう一歩」を超えてくれることを望みます。 | ||||
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「日本語で書かれた、最も美しいハードボイルド探偵小説」のうたい文句に 「なるほど」と思う事しきり。確かにそれはその通りかもしれないと思います。 ですが、リーダビリティと相容れないその回りくどさは、私には馴染めない ものでした。時間がかかりすぎて正直ストーリーと人物関係が頭に入ってこ ない体たらく。 これは決して作品を貶めるものではなく、私自身の素養のなさを責めている だけですから誤解されぬよう。 横浜で生まれ育った私は、作品の中の地理的な描写はほとんど頭に浮かびます。 それこそ遊び場だった伊勢崎町界隈の路地の一本一本まで。 そのノスタルジックが何とか読了させてくれました。 | ||||
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「日本語で書かれた、最も美しいハードボイルド探偵小説」のうたい文句に「なるほど」と思う事しきり。確かにそれはその通りかもしれないと思います。ですが、リーダビリティと相容れないその回りくどさは、私には馴染めないものでした。時間がかかりすぎて正直ストーリーと人物関係が頭に入ってこない体たらく。これは決して作品を貶めるものではなく、私自身の素養のなさを責めているだけですから誤解されぬよう。横浜で生まれ育った私は、作品の中の地理的な描写はほとんど頭に浮かびます。それこそ遊び場だった伊勢崎町界隈の路地の一本一本まで。そのノスタルジックが何とか読了させてくれました。 | ||||
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誰も彼も他人の人生を生きているみたいだ」 神奈川県警の刑事二村永爾シリーズのハードボイルドだ。 大好きな矢作で、舞台は横須賀、日本帝国軍のベトナム侵攻から、アメリカのベトナム戦争介入まで。そうして現在の横須賀ま継続する、関係性。上記の「」は本の腰巻きにも書かれた文章だけれど、それ以外に、あまりあまり感心するところは無かった。かつて、ぼくもハードボイルドを愛好し、チャンドラーの同名のタイトルの小説が当然脳裏に浮かん出来て、このタイトルを使用する矢作の決意に好感を持ったけれど、矢作のロンググッドバイにおいては、別れに対する深さが、つまりはそこにいたる関係の道程の必然があまり感じられ無かったよ。ハードボイルドのスタイルに忠実であろうとするがために、返って二村から何処か自然な必然を奪っているようにも感じられたよ。 でも読みやすく、気楽にさわりだけ読もうとしていたら、一気に入って言ってしまったのだけれど、途中からは様々なエピソードにも矢作特有の切れや、シニカルさが影を潜めていたような気がする。 ハードボイルドのスタイルが、そう生きたいと思う姿が、あるいは既に時代に取り残されたものななのかもしれない。それは男の生き方、矜持というもののあり方で、ロバート・B・パーカー(初秋)の言葉を借りればそれが「マチズモ」であり、その存在意義はフェミニズムの終焉とともに、失われて行ってしまったのかも知れない。 「優しくなければ、生きて行く資格がない。自己があると生きて行けない」それが現在か。 | ||||
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誰も彼も他人の人生を生きているみたいだ」神奈川県警の刑事二村永爾シリーズのハードボイルドだ。 大好きな矢作で、舞台は横須賀、日本帝国軍のベトナム侵攻から、アメリカのベトナム戦争介入まで。そうして現在の横須賀ま継続する、関係性。上記の「」は本の腰巻きにも書かれた文章だけれど、それ以外に、あまりあまり感心するところは無かった。かつて、ぼくもハードボイルドを愛好し、チャンドラーの同名のタイトルの小説が当然脳裏に浮かん出来て、このタイトルを使用する矢作の決意に好感を持ったけれど、矢作のロンググッドバイにおいては、別れに対する深さが、つまりはそこにいたる関係の道程の必然があまり感じられ無かったよ。ハードボイルドのスタイルに忠実であろうとするがために、返って二村から何処か自然な必然を奪っているようにも感じられたよ。 でも読みやすく、気楽にさわりだけ読もうとしていたら、一気に入って言ってしまったのだけれど、途中からは様々なエピソードにも矢作特有の切れや、シニカルさが影を潜めていたような気がする。 ハードボイルドのスタイルが、そう生きたいと思う姿が、あるいは既に時代に取り残されたものななのかもしれない。それは男の生き方、矜持というもののあり方で、ロバート・B・パーカー(初秋)の言葉を借りればそれが「マチズモ」であり、その存在意義はフェミニズムの終焉とともに、失われて行ってしまったのかも知れない。 「優しくなければ、生きて行く資格がない。自己があると生きて行けない」それが現在か。 | ||||
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二村さんに会って早20年余り、「真夜中へもう一歩」とか 時々読み直して「若かった頃の二村さん」と若かった自分自身を 重ね合わせて感慨にふけっていたりします。 さて、本書読んだ感想ですが、題名からして「マーロウ」の「テリーレノックス」との 出会いから始まる物語とラップしており、最後のオチは予想通りでした。 「矢作さん」は「二村さん」に長いこと言いそびれていた「別れ」を 告げたかったのだと思います。 しかし素直に「グッドバイ」と言えない「矢作さん」はWRONGを付けて しまったのでしょう。 辛くて苦いショートホープの様な後味が残りました | ||||
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二村さんに会って早20年余り、「真夜中へもう一歩」とか時々読み直して「若かった頃の二村さん」と若かった自分自身を重ね合わせて感慨にふけっていたりします。さて、本書読んだ感想ですが、題名からして「マーロウ」の「テリーレノックス」との出会いから始まる物語とラップしており、最後のオチは予想通りでした。「矢作さん」は「二村さん」に長いこと言いそびれていた「別れ」を告げたかったのだと思います。しかし素直に「グッドバイ」と言えない「矢作さん」はWRONGを付けてしまったのでしょう。辛くて苦いショートホープの様な後味が残りました | ||||
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