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インディヴィジュアル・プロジェクションの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.65pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 21~40 2/2ページ
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意味がわからず、全く読めない、投げた本です。表紙のモデルは現役の風俗嬢ということです。何も本文とは関係ないです。パルプ小説を目指すなら、太田出版から出せ。Hな内容はなく、文藝を出している河出書房に抗議したくなりました。今読むべき“W村上”以降の日本の現代作家は皆無だなと思わせ、私に、修道大人文学部を退学しようかな、の堅い諦念を産んだ本です。「ニッポニア」以降はまともになったので、今では、部員が少ない読書サークルで珍話題になることもあります。 | ||||
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本の中身をごちゃごちゃ言う前に、まずこの表紙が素晴らしい。あまりにカッコよすぎる。これだけで買う価値があるくらいだ。 内容はなかなか。かなり読みやすかったと思う。僕という一人称でありながらも、ページ全体を埋め尽くす文圧。言葉の激流。混乱していく主人公。タイトルの意味をよく吟味。 | ||||
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100年以上も前から考え尽くされてきたようなネタを、今のこの時代にもう一度刷り直す意義が感じられない。話のプロットも全然魅力的でない。 主人公のを動かす力の根源となっている言いしれぬまでの鬱憤にたいして、毛ジラミほどの共感も寄せられえず、それならそれでいいのだけれど、それにたいする説明が、シンボル的に持ち出された“プルトニウム”という語感のみに頼られており、完全に陳腐の域を脱していない。 これを読むくらいなら、ハリウッドでクソみたいに量産されてきたB級アクション映画をレンタル屋で借りてみる方が、娯楽とわりきっていられる分ずっと有意義なことだと思う。 | ||||
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阿部和重。芥川賞受賞の報に友人が「やっと、っていう感じ」と言いながら紹介してくれた作家である。本書の主人公・オヌマ。彼はこの世界に生きていながら(生きざるを得ないのに、というべきか)、どこかこの世界と結びついていない。現実に足がついていない、という言葉で言い表せるような、そういう結びつきのなさではなく、どこにも存在していないかのような存在の希薄さ。彼はまた感情も希薄だ。それは主人公に限らず、登場人物全員に共通している。感情を持った人間としてではなく、カタカナでのみ表記された、記号化されている人物たち。その感じが作品の底辺に流れ、この独特な醒めた世界を形成している。乾いたモノクロの世界。こうした主人公が世界を結びつくためには、一人の自分だけでは不可能だったということか。錯綜する自己と他者。み・ん・な/じ・ぶ・ん。そして、この、自分が他者でもあったのかもしれないという混乱の中で、初めて彼は自分の感情=混乱をあらわにする。その主人公の混乱に巻き込まれ、読者であるわれわれも混乱の中に入り込む。しかし、その混乱はあっけないほど簡単に収束し、その混乱の収束と同時に、いったんはスピードをあげたかのようにみえた物語もまたガクンとスピードを落とす。この存在の希薄さ(世界との結びつきのなさも、自分=他者というのも、自己が希薄だからに他ならない)こそ、現代という時代の特徴なのかもしれない。その意味で阿部和重は、現代を描く文学者の一人であると思う。最後に。本書はアヤコと主人公が話している場面で終わるのだが、この場面はHが高校生に襲われる場面と重なるように感じるのは私だけだろうか。だとしたら、この物語はまた初めに戻り、永遠に抜け出すことのできない迷宮の世界でもあるのだ。 | ||||
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芥川賞作家になったわけですが、小説という表現形態で新境地に挑戦していく力は凄みを感じるほどです。インディヴィジュアル・プロジェクションは読み物としてもストーリーを追いやすく、楽しい。そしてもちろん、よく考えて読むと、深い、と私は感じた。どんどん話が展開するが、それをどうまとめて考えていくか、あるいは考えないか、それは読者次第。 | ||||
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自分は、誰でもあり、誰でもない。個人のアイデンティティの喪失を鮮やかに描ききった傑作。私設スパイ養成学校で過ごした過去を持つ映写技師の主人公の妄想は、他の誰かのリアリティかもしれない。そして、他の誰かの妄想が自分のリアリティかもしれない・・・・。変転する関係の中で自分を掴むことすら出来ない。現代人の乾いた孤独の在り方を見事に表している。とっくに芥川賞をとっていてもおかしくなかった。今回の「グランド・フィナーレ」での遅すぎる受賞には心からおめでとうをいいたい。それにしても、選考委員である石原氏の「安っぽい」発言には渋面を作らざるを得ない。そういう発言そのものが「安っぽい」のに気がつかないのだろうか・・・・。 | ||||
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一言で纏めると、田舎出の映画オタクたち(20代後半)のスパイごっこ。この歳でこの幼児性はちょっとイタい。私は、本書を書いた当時の著者の年齢に近いのですが、男の子たちがしっかりしないから今の女の子は結婚できないのよね……と愚痴りたくなります。暴力シーンも多いけど、著者は私生活ではあんまり暴力的な人でないんだろうな、行間から血の匂いはしません。 | ||||
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渋谷で映写技師のバイトをしている主人公オヌマが日記に自分の過去(スパイ養成塾の体験)と現在(塾生に纏わる話、たとえば塾生の事故死)を綴っていく形式で物語が語られてゆく。 驚嘆させられるのは情報量の多さだ。スパイ、やくざ、恋愛、事故、映画、塾、プロトニウム、マックシェイク、フリオイグネシアス、女子高校生、右翼、喫茶店、コンビニ…。まさに情報社会の中に生きる僕らの世界が書かれているわけだ。そして暴力。暴力的な会話が魅力的だ。「クソッタレのクズやろうばかりだから、戦争したくて仕方がないんだ/こらオヌマ、馬鹿にすんなよ、おれはべつにあんたが好きだから奢ってやってんじゃねえんだぞ!」などなど。だが情報社会、暴力といった主題にも関わらず、オヌマは思考を凝らす。というか小説の半分くらいはオヌマの思考内容だ(さらに言えば日記を書く行為自体が思考だし)。オヌマはすごく内省的な性格なのだ。暴力的なのに内省的ってとこが僕は好きだ。 ちなみにめっちゃ読みやすい。あまり読書しない友人三人に勧めてもみんなおもしろいって言ってた。初心者は「グランドフィナーレ」よりこっち読んだほうがいいよ。 | ||||
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この『インディヴィジュアル・プロジェクション』の文体は、変わっているけどとても読み易かったです。 登場人物は、記号的に書かれています。これは人物の書き込みが薄い為に記号的な人物描写になったのではなく、作者が意図して記号的な人物を書こうとしている事が伝わります。しかし、サカタさんと娘のアヤコの描写は実際にこんな人物がいそうなリアリティが有ります。 物語は日記形式で書かれていて、主軸のストーリーに関係の無いエピソードが多いし、結末は読者に分かり易い答えを提示している訳ではないので、『インディヴィジュアル・プロジェクション』の世界観にハマルのでなければ、面白くないかも知れない。『インディヴィジュアル・プロジェクション』は文体と構成が巧く、押しつけがましくないので、「この世界は暴力と不条理に満ちている。だからお前は強くなれ」という主題が、ちゃんとこちらにも伝わってきます。常盤響さんの装幀は格好良いのですが、単行本の装幀を縮小しているだけので、がっかりしました。(写真や文字が途中で切れていたり、写真数が減らされていたり)。完全に単行本の装幀を再現するのが無理なら、文庫本専用の装幀にして欲しいです。 装幀と、読後感が悪いので(誉め言葉です)二度と読み返したくならないので、★★★。 東浩紀氏の解説は、理解出来るのか理解出来ないのか。 | ||||
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小説を読んで「考えさせられる」ことは多いと思うが、この作品ではその考えさせるポイントが非常に「著者」に近いところにある。「著者」⇒「作品」⇒「読者」というより「著者(作品)」⇒「読者」って感じ。読んでいるときは、「作品(著者)」⇒「読者」の感じなんだけど。まずは「作品」にどっぷり使って読んでいくのが楽しい。「え!なんなの」って。人によっては最初が難関かもしれないけど、途中からグイグイくるので我慢。「インディビジュアル」とか「プロジェクション」とか「この終わり方ってなんなの」とか、後で考えてみるのがまた面白い。「正解」を探そうとすると悩んじゃうけど。 | ||||
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ボクはあまり文学の道に明るくないのだけれど読後に思ったことがある。ハードボイルド純文学。淡々と進む毎日の日記という形式。スパイ、高踏塾、プルトニウム。キーワードだけでもなんだかワクワクする。スパイ訓練を受けた主人公と昔の仲間達との心理戦や、映写技師として働く主人公とその取り巻き。段々と錯綜するストーリーに次第に夢中になるでしょう。価格も手ごろなので興味があったら是非。スタイリッシュな表紙もおもしろい。 | ||||
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渋谷系文学とか言われて、あの時代の渋谷のイメージを作り上げた作品。この成功を受けて、粗悪なデッドコピー小説もたくさん出回った。コギャルマゴギャルヤマンバギャルの巣窟だった渋谷。お前らファミコンウォーズかと言わんばかりにカラーギャングが抗争していた渋谷。そうした渋谷をリアルに描いてるとは到底思えないが、あのころの空気はすごく伝わってくる。ところで、表紙、内容と関係なくない?ちんかめ? | ||||
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この作品、著者は笑いながら書いたのではないでしょうか。内容は若者の渋谷での抗争という一見ハードなものですが、クールな文体の中でも実は哄笑せざるを得ないシーンが続出します。最後に「ああ、だからか」と腑に落ちるとは言え。なんだか著者の狙いがわからない作品でした。混乱させるのが狙いだったのかなぁ。 | ||||
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今時というか、今の時代の作品という感じです。今の日本の若い部分や少しだけ裏の現状をリアルに感じられる、そんな感じです。とにかく読みやすい。本当に真夜中に1時間で読めてしまいます。映像にしたらおもしろそうです。 | ||||
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出来映えのいい作品ではあるが、残念なことに何度も読みたいという作品ではない。きっちりとまとまっているし、抑えるべきところは抑えている。不快感を与えるような欠陥もない。ただし、それだけ。時間と金を費やすだけのクオリティーはあるものの、運命的な出会いを感じさせるような作品ではない。過大な期待を持って読むと失望する可能性あり。 | ||||
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渋谷の街頭で手にした美容院のチラシに、「ピカドン的工業戦力」との文字を見た元スパイ訓練生、現映写技師オヌマ。都会の圧倒的な冷たさの中で起こる数々の事件に、スパイとしての冷静な判断と、悲しいまでに狂った愛情と正義感をにじませながら翻弄されていく彼が、最後に見たものは、自らの狂気という現実であった。文体のみで語る著者のメッセージは、説教くさい文学のそれとは無縁で、すがすがしい。 | ||||
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まず、本を読んで主人公が、スパイの私塾にいたという事で、スパイについての記述がふんだんにあった。それで、アメリカ同時多発テロをおこしたテロリストのことを連想させられた。小説は次から次へ事件がおきて、最後から最後まで、緊張状態がつずく。小説のオチに難はあるが、おもしろさは十分或る。 | ||||
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この小説は渋谷を舞台として、もとテロ組織にいた男が、次次に事件に捲き込まれていく内容だ。とにかく、スパイについての記述が、アメリカ同時多発テロを連想させて、興味大で読めます。あと、チーマーや、女子高生や、登場人物が、渋谷を連想させて、興味大で読めます。 | ||||
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渋谷の片隅の映画館の技師、オヌマの日記。進むにしたがって、オヌマの過去が明らかになっていきます。記憶が混沌として、オヌマの自己認識が曖昧になっていく姿には、それなりに引き込まれるものはありました。現代の渋谷の、後ろ暗く暴力的な部分もよく描写されていて、そういう世界もあるのかな、とは思わされました。文章に勢いはあるものの、伝えたいものが今ひとつはっきりせず、謎解きも陳腐です。錯綜したプロットが、錯綜したまま終わってしまって、途中で投げ出されたような感じがする、そんな小説です。 | ||||
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実験的な手法だとかいっても、日記形式の小説は昔からあるし、そんなありがたいものでもない。じゃあどこが新しいのか?内容の必然的な要請が日記形式をとったとのことだが、形式自体はさほど成功を収めていない。結局、舞台である渋谷とそこを住処とする若者たち&暴力。この道具立てが現代的で「J文学」ということなのでは?そんな新しさっていうのはとても弱いし、陳腐だと思った。この作家の実験精神は買うけれども、どうもシナリオ自体はごくごく当たり前で、ハードボイルド文体との齟齬が目に付く。 | ||||
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