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朱房の鷹



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【この小説が収録されている参考書籍】
朱房の鷹 (文春文庫―宝引の辰捕者帳)

朱房の鷹の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

江戸の粋の光と影

宝引きの辰捕者帳も本書で第4集目。辰親分の人情味溢れる裁きは本書でも健在だ。

まずは幕開けの表題作。
悪人の出ない物語。
権威を振るった鷹匠の一行は宿泊した宿の従業員の話では非常に礼儀が正しく、ほれぼれするような男ぶりだったという。そんな一行のうちの1人が貴重な鷹を死なせてしまったことで罰を受けようとなっている。
しかし一方で辰親分は事の真相を見破ってしまう。辰親分の一計は江戸っ子ならではの味な采配。
自分の厄を心配する妻のお柳の不機嫌を番の鷹に擬えた、なんとも粋な1編である。

続く「笠秋草」は神田鈴町で紫染屋を営む内田屋で起きる怪事に辰親分が挑むお話。
妊娠中の妻を置いて夜な夜な出歩く若旦那と云えば江戸の風俗である吉原への女郎屋通いというのは誰もがピンと来る展開だろう。
なお題名の『笠秋草』は紫染屋の若旦那の清太郎が遊女に上げようとデザインした紋を指す。いやはやしかし男は昔も今も懲りないものだねぇ。

紋章上絵師でもある作者の本領発揮とも云えるのが次の「角平市松」。
身体と首を挿げ替えられた男女の死体という本格ミステリならではの奇妙な死体が登場するものの、本作のメインの謎は江戸で流行った角平市松を創った職人角平の行方を探るところがメインだ。しかもそれを探るのが宝引きの辰ではなく、語り手である仕立屋の若旦那であるところが面白い。
彼が一介の職人を調べに神田川にある船宿、新シ橋こと新橋にある古着屋日本橋馬喰町の紺屋と渡り歩き、はたまた板橋で行われる縁日に行ったりとなんとも江戸風情に溢れた道行が興味深い。
自身が職人である泡坂氏のある時は小説を書き、またある時は新たな柄や紋を考える、当時の自由気ままな生活がにじみ出ている作品だ。

次の「この手かさね」も着物に纏わる話だ。
着物に纏わる因縁が同じような悲劇を再発させる。同じような事件が15年前に起き、その事件の犯人が見つからなかったが、可也屋が形見分けで貰った帯がその事件を解決する。

一転して怪奇じみた装いで幕を開けるのが「墓磨きの怪」。
闇夜に乗じていつの間にか墓が綺麗に磨かれているという悪戯か親切かよく解らない珍事が魅力的であり、またその犯人を辰親分ではなく語り手の長二郎が見抜くところも珍しい。
しかし何よりも本作の魅力は物語の中心となる「だからの昇平」というキャラクターにある。
役者の父親を持ちながらも口下手で何よりも馬鹿が付くほどの正直者。従って芝居であっても役名ではなく、その人の名前で呼んでしまうという実に愛すべきキャラクター。そのお人よしな性格を利用されて、馬鹿の上に超が付くほどの正直ぶりを発揮されてはもう愛さずにはいられないではないか。

次の「天狗飛び」では辰親分一行は江戸を離れて大山詣りの道中にある。
昔から信心深い人、迷信もしくは云い伝えを重んじる人はいるもので、本書で登場する建具屋の平八は何かつけて縁起を担ぐ人物。何か誰かに不具合あればどれそれとあれそれを一緒に食べるからだ、この季節にはこの食べ物を食べるとこういう病気になりにくくなる、縁起のいい名前の店には必ず立ち寄る、云々。
一方でお札を高いところに貼ればご利益があると信じている松吉もまた濡れた手拭に札を貼り付けて投げて貼る、投げ貼りなどをし、上手く貼れないがために算治に肩車をしてもらって貼り直そうとしたところ、バランスを崩して足を挫いてしまう無様を見せる。自らに不幸が降りかからぬよう縁起を担ぐのにそのために無茶をして逆に不幸を呼び込んでしまう滑稽な人々を描いたのが本作だ。
特に日本人は数字には敏感で4とか9とかは特に嫌う。そんな日本人の性質がこの天狗にさらわれるという戯れ事を生み出した。個人的にはこのような関係のないところに関係を見出す日本人の言霊信仰は嫌いではなく、むしろ好きな方なので平八が殊更に説く数々の縁起事は非常に興味深く読めた。しかし何事も程々にってことですな。

ダジャレのような題名「にっころ河岸」はそのユーモアな題名とは裏腹にホラー色が強い作品である。
この不思議な話に対する謎解きはない。つまりこの話があるからこそ、勇次はいつも不思議な出来事に遭遇すると思わせられるのだ。
しかし男と女の間とはいつになっても割り切れぬものよのぉ。

最後の「面影蛍」は他の短編とは異なる展開の物語。江戸川に家族とともに蛍狩りに来た宝引きの辰はそこにいた駿河屋という乾物屋を営む主人、弥平と親しくなり。酒を酌み交わすことに。杯が進むにつれ、弥平は自分が若き頃に経験したある女性との恋物語の顛末を語るのだった。
最終話の本作は全て語り手である弥平の独白で物語が進むため、宝引きの辰との会話が一切ない異色作となっている。
酒を飲みながら弥平が語るのは蛍に纏わる彼の若き頃の恋話。江戸川に蛍狩りに行った夜に出遭ったのは牛込矢来下の米屋島村屋の娘お由。ほんの一時を過ごした2人はそのまま恋に落ちるが、家業が乾物屋で頑固な江戸っ子の弥平の親父は島村屋の番頭が三顧の礼を持って弥平とお由を結び付けたいと頼むが頑として首を縦に振らない。弥平はお由の想いを真摯に受け止め、どうにかこの恋が成就するためにある一計を案じる。その企みは狙い通りで晴れてお由と一緒になったはずだったが、そこには哀しい結末が待っていた。
何とも哀しい江戸の商人のつまらぬ意地っ張りが招いた悲劇の物語。


宝引きの辰も実に久しぶりで前作の『凧をみる武士』を読んだのがなんと約16年前。しかしそんな月日もひとたび捲れば粋な江戸の世界へ迷い込み、ご用聞きの辰親分の人情味溢れる采配に思わずひゅうと口笛を吹きたくなる。

1話ごとに語り手が変わる手法も相変わらずで、1話目は辰親分の子分算治、2話目は事件の舞台となる内田屋の使い伊吉、3話目は仕立屋の沼田屋の若旦那、4話目は噺家の可也屋文蛙、5話目が経師屋の名川長二郎、6話目が木挽町の建具屋の久兵衛の弟子の新吾、7話目は神田鈴町の畳屋現七の弟子勇次、最終話は小日向水道町で駿河屋という乾物屋をやっている弥平と算治を除いて全て商人の目線で語られる。
そのいずれもが宝引きの辰の評判を褒め称えていることで辰が腕利きの岡っ引きであることが解るのである。特に本書では娘のお景のお転婆ぶりと妻の柳の器量が垣間見え、この親分にしてこの母娘ありとどんどん人物像が厚くなっていくところがいいのだ。

さてこれら8編の中には過去の因果が関係している話が少なくない。
「笠秋草」では身籠り中の妻の嫉妬から起こした小火騒ぎの事件を『源氏物語』で六畳御息所の人魂のエピソードを用いて真相をごまかしたり、「この手かさね」では15年前に起きた元役者で玉の輿に乗った笠屋の主人が女房の連れ子と姦通していたことで娘から殺される事件の真犯人が見つかることで現代の事件も暴かれる。「墓磨きの怪」では30年前に起きた江戸中の墓が何者かによって磨かれるという珍事にヒントを得て起こした骨董屋の騒動であり、「天狗飛び」では昔富士登山であった天狗にさらわれるという事件が縁起担ぎというつまらぬ慣習ゆえに大山詣りにも波及する。

つまり今もそうであるが日本人というのは過去の因果というのをいつまでも大事にし、またそれを信じることで目の前に起きている不吉事を擬えて安心を得ようとする民族であることが解る。特に様々な事柄や屋号についても掛詞に興じていた江戸町人などはその最たるものだったのではないだろうか。

しかしほとんどが男と女の恋沙汰に絡む因縁に絡んだ事件である。現代とは異なり、言葉や柄、そして因習や慣習を重んじ、更に家業が宿命とばかりに人生を束縛するこの時代、色んなことを諦めざるを得ないのが通例だった中で、どうしてもそれが諦めきれなかった人々がこのような事件を起こす。
しかしそれは人間が生きる上でごく普通に主張されるべき権利だったのだ。
泡坂氏の各短編には江戸の町人文化と当時の地名や風習が実に色鮮やかにしかも丹念に描かれ、江戸の風流を感じさせるが、一方でその風流さが生きにくい時代の中で見出した娯楽であったこと、そんな中でもがき苦しむ人々がいた事。しかしまた生きにくい時代を愚直に生きる人々にまた素晴らしさを感じるのだ。そんな光と影を映し出している。

さて本書における個人的ベストは「墓磨きの怪」を挙げたい。闇夜に乗じて方々の寺が墓が磨かれているという奇妙な導入部と一連の怪事が骨壺に使われた値打ち物の壺を手に入れるための策だったという謎よりもこの話で出てきた正直者の「だからの昇平」が実に魅力的。騙されているのを知らずに最後まで愚直に墓磨きを続ける、間の抜けた、しかしお人よし。こういう男は放っておけないのだ。

次点は「角平市松」。これもまた商売などは二の次でとことん新しい柄を創作することに意欲を燃やし、最初から最後の工程まで自分でしないと気が済まないという根っからの職人である角平のキャラクターが強い印象を残す。泡坂氏は角平の為人を事細かに描写するわけでなく、その仕事ぶりを語ることで彼の愚直さを語るところが上手い。
この角平の創作した柄がその他の作品でも垣間見えるところも粋な趣向だし、そして何よりも私が驚いたのはこの作品で話題になる「角平市松」という架空の柄を紋章上絵師である作者が実際に創作しているところだ。この柄は本書には収録されていないものの、WEBで調べれば出てくるのでぜひともご覧になって頂きたい。こういう手間が物語に風味を与え、創作上の人物角平への存在感を色濃くするのだ。

幽霊騒ぎに縁起担ぎ、そして迷信。そんな現代人から忘れ去られようとしている昔ながらの云い伝えを物語に見事に溶かし込む。なおかつそんな文化の中で生きてきた明るくも、時に心の闇に取り込まれてしまう町人たちを、時には厳しく、時には優しく守る宝引きの辰。
彼がいるから今日のお江戸も安泰だ。そんな言葉が思わず出るような辰親分の活躍をまたいつか読みたい。また15年後ぐらいかなぁ。



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