真昼の誘拐
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「真昼の誘拐」 1973年12月光文社から初出版されたもの。1967年に青樹社から「大都会」でデビューしたものの、全く売れませんでした。青樹社の那須英三編集長に、「推理小説みたいなのを書いたらどうか」とアドバイスされ、1969年に書いた「高層の死角」で見事に江戸川乱歩賞を受賞しました。 当時は松本清張氏の推理小説ブームも去った後だっただけに、受賞したからと言って、すぐに執筆依頼が増えたわけでもありませんでした。1972年に「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞すると、森村誠一氏の名前も、広く世に知れ渡ることになり、その次作として書かれた長編が本作品です。 誘拐犯罪を扱った小説は、その犯罪の持つ悪性が実に深淵です。誘拐犯罪の特殊性は、子供の命が奪われた後に、犯人が逮捕されても、親にとっては何もならない。親にとって犯人が捕まらなくても、子供が無事に戻れば一向に構わない、という奇異な性質の犯罪で有ることは周知の事実です。 当時の誘拐小説は、身代金受け渡しの際の警察と犯人との駆け引きに主力を置いた展開が多かったのですが、ジョン・クリアリーの「二重誘拐」、オッレ・ヘーグスランドの「マスクのかげに」などから、政治的な陰謀の誘拐事件などと趣を変えてきています。本作品も誘拐トリックには重きを置いていないところに意味が有ると思います。 本編ズバリは、二重誘拐、二重殺人&二重不倫と三つの悪が複雑に絡み合っています。更に、誘拐の被害者の親が殺人の容疑者になってしまうという点がストーリーを盛り上げています。これまでの誘拐事件を扱った小説は、警察と犯人との駆け引きに重きが置かれていました。本作品はそれを排除しています。警察側が捜査をしていない処にも新しさが有ると思います。 序章でコインロッカーに預けた品を、ミステリアスな形で謎を残したまま本編に入るのですが、ラストで吃驚するような種明かしになり、奇想天外でした。しかし森村氏のユニークな発想が有ったことを後になって知る事になります。 本作では、主に殺人事件の捜査に当たるのは、那須警部です。勿論、青樹社の那須編集長から名前を拝借したものです。江戸川乱歩の「明智小五郎」や横溝正史の「金田一耕助」などが、その名声を高め小説の深みを増して愛読されたことを踏襲し、那須警部の名が読者を引き付ける役目をさせようとしたことが十分わかります。 仏像的無表情で、若い頃に結核に患い、肋骨を数本切除してしまい、片方の肩が吊り上がってしまった。血を吐きながらも医者が嫌でミミズやコオロギを煎じたものを飲みながらも、皆に手取り足取りされて病院に担ぎ込まれた逸話のある那須英三氏です。 本作以前の作品には、ここまで記された記述は有りませんでした。パイプを愛用し、ポールモーリアといったフレンチミュージック(イージーリスニング)を、こよなく愛したと、度々記述が有りました。 1967年からの森村氏不遇の時代を支えた感謝の気持ちが十分に伺え嬉しくなってしまいました。 誘拐犯罪は、身代金の受け渡しという最大な難関のある犯罪です。そこの駆け引きが小説の題材になって、広く読まれるようになるわけです。しかし、森村氏は、本作では、そこの部分を縮小して、子供を助けたい親心に中心を当てている処に、この本作品の素晴らしさを感じました。 「夕映えの殺意」 1974年12月徳間書店から初出版されたもの。本作品は同年7月から11月にかけて「問題小説」に連載された作品です。 森村氏の作風の特徴として、日本の社会がもつ問題点を物語の背景として書く作品が多くあります。それは大企業の利益優先主義に翻弄される若い社員たちの姿や、「暗黒流砂」では政治家や官僚が、その特権を悪用し私服を肥やすこと、「腐食の構造」では今日でも意見が分かれる原子力政策に関することまでと幅広くにわたっています。 それらの日本が抱える暗い部分を物語のテーマにする事で作品を重厚なものにし、読み手を圧倒し、社会派作家としての印象を濃厚なものにしてきました。 本作品は、昭和初期に日本が中国に侵略の触手を伸ばし植民地政策を拡大していた頃、中国牡丹江省の日本開拓移民村「桜花屯」で起こった悲劇から始まります。舞台は日本やアメリカにまで広がるスケールの大きい物語になっています。 私設家出人捜索会社「片山サーチャーズ・エージェンシー」所長の片山竜次は秘書の志穂美久子とアメリカの実業家ウイリアム・B・ハサウェイの調査依頼に多忙を極めていました。 アメリカでは年間家出人が30万~50万人を超える。もちろん警察は犯罪捜査で手がいっぱいで家出人を探している暇はない。そこでアメリカでは家出人探しがビジネスとして成り立つのでした。日本の住宅開発の現状を視察に来ていたハサウェイからサジェスチョンを受け、片山は日本でもこの会社を興したのです。 ハサウェイは始め小さな貸しビル業からスタートしたが、鉄道会社とタイアップして沿線の土地を買い占め、そこに住宅街を造り出しユニット化した住宅を大量に販売をすることで巨万の富を得た人物でした。 ハサウェイは片山に“志沢”という苗字の五人の男のリストを示し、探し出して安全を確認して欲しいと依頼しました。ハサウェイは戦時中B29の機長として満州の製鉄所の爆撃に向かう途中、日本軍のB29迎撃用の新型爆弾に被弾し、ソ連領に逃げ込む手前でエンジンが力尽き満州奥地の平原に不時着したのです。 そこは中国の山奥にある日本開拓移民村「桜花屯」近くで、土匪に見つかれば惨殺されたのは確実でしたが、日本村の村長志沢真二郎は、好意で終戦まで手厚い保護をしました。終戦後アメリカに帰り巨富を得たハサウェイは志沢の恩に報いるため、片山に志沢姓の男たちを探すように依頼したのです。 一方、志沢真二郎は長野県木曽郡の奥地「小民沢」という小さな瘠せた土地をもつ村の村長でした。日本の農地は狭く、次男三男ともなれば分けてもらえる土地が無い。都会にも彼らを吸収する十分な求人も無い。窮迫した農地問題のために国は農民たちの移民を勧めた。それが植民地支配強化にも繋がるのだから国としては都合がとても良かったのです。日本のジャーナリズムも農業移民を「救国の愛国者」と褒め称えました。 しかし志沢真二郎は、そういう煽り立てられた美辞には欺かれはしなかったのです。移民を決意したのは、生まれ育った村の実情を良く知っていたからで、国威発揚のためでは無く八方塞がりの郷里に新しい活路を切り開く純心な気持ちによるものでした。 日本人開拓団と言っても、実情は満州に渡ると中国人が開墾した田畑を奪取し入植したケースがほとんどでした。真二郎は移民先を桜花屯に選んだのは郷里小民沢と気候、土質が似通っていたことで、山の奥にも関わらず村人自ら土地を耕し開墾していったのです。後に地元中国人との軋轢にならなかったのもそのためでした。 その地は険しい山々に囲まれた地で土匪も近づかない山間の地であったため、抗日分子にも迫害されずに済みました。そこへ米兵のハサウェイが助けを求めて辿り着いたのです。村から出れば土匪に虐殺されてしまうのは明らかで、真二郎は村の一員と同じ様にして助けました。 終戦と同時に立場は逆転して、それまでの日本人による傍若無人な振る舞いに対する憤りが一気に爆発して各地で日本人に対し虐殺が起きます。しかし桜花屯の真二郎とハサウェイはそういった争いから逃れました。それぞれ母国へ戻りハサウェイは数年後に巨大な富を持つ実業家と成功したのでした。そんなハサウェイの真二郎に対する恩の気持ちは十分に理解できます。 ところが物語は、まだ序章に過ぎません。ハサウェイの本当の姿、真実の姿というものが少しずつ明らかにされるに従って話は更に面白いものになってゆきます。片山はハサウェイから突然捜査の打ち切りを言われます。それは片山がハサウェイの知られては都合の悪い事にほんの少し感づいてしまったからでした。片山は逆にハサウェイの過去を探りたくなります。自費でアメリカ・シカゴまで調査をしに行きます。本文シカゴ暗黒街での描写などは森村氏が実際現地に取材に行ったことが伺えるような具体的な記述が読み取れます。 物語の中盤からはハサウェイの過去の身上や桜花屯で起きた謎の出来事を追及する謎解きの展開になります(詳しくは控えます)。たっぷりとした読み応えが有ります。 梗概(あらすじ)に触れない程度で。実はハサウェイには1/4の黒人の血が混じっていて、白人社会のアメリカでは1/4といえども黒人の血が混じっていては決して成功は得られません。その秘密を隠すために恩に報いるなどと体裁の良いことを言いつつ本心は全く別のところに有ったのです。 「夕映えの殺意」というタイトルに少し優しいイメージを持って読み始めたのですが、日本の農地問題をテーマに農業移民という美辞に隠された農民たちによる隣国への侵略を後押しした国・マスコミを詳しく書き、アメリカに於いては黒人の血を受け継ぐ者がいかに差別されるかという深い問題を表した本格的な社会派小説と言えると思います。 本作品は実に内容が輻輳した厚みのある作品で読み応えも十分あります。地域も満州、日本、アメリカとスケールも大きい。本作からしばらく後に角川小説賞を受賞しベストセラーとなった「人間の証明」と一部共通するテーマも含んでいます。その先駆的な作品だとも言えると思います。傑作でした。 | ||||
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1973年に出版されました。1967年に青樹社から「大都会」でデビューしたものの、全く売れませんでした。青樹社の那須英三編集長に、「推理小説みたいなのを書いたらどうか」とアドバイスされ、1969年に書いた「高層の死角」で見事に江戸川乱歩賞を受賞しました。 当時は松本清張氏の推理小説ブームも去った後だっただけに、受賞したからと言って、すぐに執筆依頼が増えたわけでもありませんでした。1972年に「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞すると、森村誠一氏の名前も、広く世に知れ渡ることになり、その次作として書かれた長編が本作品です。 誘拐犯罪を扱った小説は、その犯罪の持つ悪性が実に深淵です。誘拐犯罪の特殊性は、子供の命が奪われた後に、犯人が逮捕されても、親にとっては何もならない。親にとって犯人が捕まらなくても、子供が無事に戻れば一向に構わない、という奇異な性質の犯罪で有ることは周知の事実です。 当時の誘拐小説は、身代金受け渡しの際の警察と犯人との駆け引きに主力を置いた展開が多かったのですが、ジョン・クリアリーの「二重誘拐」、オッレ・ヘーグスランドの「マスクのかげに」などから、政治的な陰謀の誘拐事件などと趣を変えてきています。本作品も誘拐トリックには重きを置いていないところに意味が有ると思います。 本編ズバリは、二重誘拐、二重殺人&二重不倫と三つの悪が複雑に絡み合っています。更に、誘拐の被害者の親が殺人の容疑者になってしまうという点がストーリーを盛り上げています。これまでの誘拐事件を扱った小説は、警察と犯人との駆け引きに重きが置かれていました。本作品はそれを排除しています。警察側が捜査をしていない処にも新しさが有ると思います。 序章でコインロッカーに預けた品を、ミステリアスな形で謎を残したまま本編に入るのですが、ラストで吃驚するような種明かしになり、奇想天外でした。しかし森村氏のユニークな発想が有ったことを後になって知る事になります。 本作では、主に殺人事件の捜査に当たるのは、那須警部です。勿論、青樹社の那須編集長から名前を拝借したものです。江戸川乱歩の「明智小五郎」や横溝正史の「金田一耕助」などが、その名声を高め小説の深みを増して愛読されたことを踏襲し、那須警部の名が読者を引き付ける役目をさせようとしたことが十分わかります。 仏像的無表情で、若い頃に結核に患い、肋骨を数本切除してしまい、片方の肩が吊り上がってしまった。血を吐きながらも医者が嫌でミミズやコオロギを煎じたものを飲みながらも、皆に手取り足取りされて病院に担ぎ込まれた逸話のある那須英三氏です。 本作以前の作品には、ここまで記された記述は有りませんでした。パイプを愛用し、ポールモーリアといったフレンチミュージック(イージーリスニング)を、こよなく愛したと、度々記述が有りました。 1967年からの森村氏不遇の時代を支えた感謝の気持ちが十分に伺え嬉しくなってしまいました。 誘拐犯罪は、身代金の受け渡しという最大な難関のある犯罪です。そこの駆け引きが小説の題材になって、広く読まれるようになるわけです。しかし、森村氏は、本作では、そこの部分を縮小して、子供を助けたい親心に中心を当てている処に、この本作品の素晴らしさを感じました。 | ||||
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1973年に出版されました。1967年に青樹社から「大都会」でデビューしたものの、全く売れませんでした。青樹社の那須英三編集長に、「推理小説みたいなのを書いたらどうか」とアドバイスされ、1969年に書いた「高層の死角」で見事に江戸川乱歩賞を受賞しました。 当時は松本清張氏の推理小説ブームも去った後だっただけに、受賞したからと言って、すぐに執筆依頼が増えたわけでもありませんでした。1972年に「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞すると、森村誠一氏の名前も、広く世に知れ渡ることになり、その次作として書かれた長編が本作品です。 誘拐犯罪を扱った小説は、その犯罪の持つ悪性が実に深淵です。誘拐犯罪の特殊性は、子供の命が奪われた後に、犯人が逮捕されても、親にとっては何もならない。親にとって犯人が捕まらなくても、子供が無事に戻れば一向に構わない、という奇異な性質の犯罪で有ることは周知の事実です。 当時の誘拐小説は、身代金受け渡しの際の警察と犯人との駆け引きに主力を置いた展開が多かったのですが、ジョン・クリアリーの「二重誘拐」、オッレ・ヘーグスランドの「マスクのかげに」などから、政治的な陰謀の誘拐事件などと趣を変えてきています。本作品も誘拐トリックには重きを置いていないところに意味が有ると思います。 本編ズバリは、二重誘拐、二重殺人&二重不倫と三つの悪が複雑に絡み合っています。更に、誘拐の被害者の親が殺人の容疑者になってしまうという点がストーリーを盛り上げています。これまでの誘拐事件を扱った小説は、警察と犯人との駆け引きに重きが置かれていました。本作品はそれを排除しています。警察側が捜査をしていない処にも新しさが有ると思います。 序章でコインロッカーに預けた品を、ミステリアスな形で謎を残したまま本編に入るのですが、ラストで吃驚するような種明かしになり、奇想天外でした。しかし森村氏のユニークな発想が有ったことを後になって知る事になります。 本作では、主に殺人事件の捜査に当たるのは、那須警部です。勿論、青樹社の那須編集長から名前を拝借したものです。江戸川乱歩の「明智小五郎」や横溝正史の「金田一耕助」などが、その名声を高め小説の深みを増して愛読されたことを踏襲し、那須警部の名が読者を引き付ける役目をさせようとしたことが十分わかります。 仏像的無表情で、若い頃に結核に患い、肋骨を数本切除してしまい、片方の肩が吊り上がってしまった。血を吐きながらも医者が嫌でミミズやコオロギを煎じたものを飲みながらも、皆に手取り足取りされて病院に担ぎ込まれた逸話のある那須英三氏です。 本作以前の作品には、ここまで記された記述は有りませんでした。パイプを愛用し、ポールモーリアといったフレンチミュージック(イージーリスニング)を、こよなく愛したと、度々記述が有りました。 1967年からの森村氏不遇の時代を支えた感謝の気持ちが十分に伺え嬉しくなってしまいました。 誘拐犯罪は、身代金の受け渡しという最大な難関のある犯罪です。そこの駆け引きが小説の題材になって、広く読まれるようになるわけです。しかし、森村氏は、本作では、そこの部分を縮小して、子供を助けたい親心に中心を当てている処に、この本作品の素晴らしさを感じました。 | ||||
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1970年にカッパノベルスからの一冊として出版された作品。 森村氏の作品としてはかなり初期の作品である。 誘拐サスペンスものだが、二つの関係ない事件がしだいに結びつくというこの時期の森村氏らしい凝ったプロットであり、誘拐事件自体も変則的であり、単純な誘拐ネタには終わらせていない。 無理があると言えば無理がある主人公達の行動も目につくが、無理があるからミステリーは面白いんだ。 | ||||
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昭和47年に『週刊小説』(実業之日本社)に連載された作者の初期の作品。いかにも 森村作品らしい構成の妙があり、その設定と展開には多少の強引さも感じられるが、 登場人物の関係の糸が少しずつ明らかになっていく巧みな筋書きが一気に読ませて くれるサスペンスだ。必然にあらがおうとする人間たちの懊悩と苦闘、虚構の愛を覆い 隠せなくなり、静かな悲しみが漂うラスト、すべてが森村が奏でるいつもの色調である。 主人公の大学助教授・宮本洋一郎が、人気清純派女優・八木橋紀子との情事の後に 帰宅すると妻が死体と化し、息子の姿が消えていた・・・。誘拐されたと判断した宮本は 息子を案じるがゆえに警察には連絡せず、愛人の紀子に助けを求める。しかし犯人 からは連絡はこない。そこで女優の紀子は一計を案じ、テレビの生放送劇で犯人に 連絡することを思い立つのだが・・・。昭和40年代には生の放送劇なんてものがあった のかと時代を感じさせる。読む側からすれば「警察に電話しろよ!」と言いたくなるが、 そこはプロット上やむを得ない。複数の別の場所で発生する事件が見事にひとつに まとまっていく構成は作家の技量であり、古さは感じるがとにかく面白いことは確か。 | ||||
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