暗渠の連鎖
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
暗渠の連鎖の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「牟田刑事官vs終着駅シリーズ」で車いすの少女役、後藤理沙ちゃん目当てに見た作品です。本作は性犯罪と自動車事故の後遺症という2つの社会問題が、ミステリー解明を引っ張っている完成度の高い作品です。好きなのは、わりと初期の作品だからか(話自体はそうでもないが)全体で暗い雰囲気のあるところです・・タイトルにも合いますね!90年代以降の、事件でも開放性や明るさがどこかに見える(こなれ感?)とは違い、このテーマにも作者の意気込みが感じられました。 ラジオから始まる真相探しも面白く、今回の特徴は偶然に「逆転の発想」が加わるところだと思います。実際の未解決事件なども、もちろん調べられてはいるけれど、でもどこかに盲点が存在するんだと思いましたね。。私は複数の事件のうち、別件のが混じっているサスペンスが、その分複雑になるので好きです('▽`*) また、植物のストーリーがせめて穏やかに、温かく存在していてホッとしました。私も実家の辺りに生息するものは、たぶん見分けられる思い出があるので、地方の協力でもたくさんの事件が解決できればいいなと願いました!^_^; ただ、刑事の娘じゃなければ思わないんだろうけれど、関係者たちと関係をもつところや、思いやりがあまり感じられないのが好きになれませんでした・・まあ、私も女性としての気持ちは分かるのだけど。。それより私は女の子の悔しさが手に取るようにわかり、ネタバレはしませんが写真にするのも神経を疑う・・。被害は本人じゃなければわからないこともあるので、様々な辛い経験も共感につながりますね。 皮肉なほど社会の現実、理不尽を伝えた今作は、いい悪いではなくそのまま受け止めることも大切だなと教えられました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
神奈川県で、連続で発生した強盗強姦事件。その手口は、車中で行為に及んでいるカップルに凶器を突きつけ、男は縛り上げ、女は男の目の前で犯すという残酷なものだった。 自分の娘も犯人の犠牲になった刑事の露木、凶器に屈して恋人を守れなかった清家は、執念深く犯人の探索を続けるが…。 獣欲以外の事情などなさそうな事件だったが、いくつもの背景が絡み合っているということが、読者に次第に明らかにされていく。なるほど、なかなか重層的に構築されていて、その点は読み応えがあるが、素人探偵の清家の捜査や閃きが、あまりにも都合良すぎる。事件の展開そのものも同様。 交通事故の被害者救済のあり方という社会的な問題に切り込んでいる点はよいのだが、ミステリーとしては物足りない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作は、三つの異なる事故と事件から始まります。一つは、自転車で登校途中の女子高校生が、不運な事故に巻き込まれてしまう事故。下り坂の道の途中で左側に停車中の乗用車が、友人を乗せるために右ドアーを急に開けた。この時、通りかかった女子高校生は、避けようとして反対車線に飛び出し転倒してしまった。そして、対向車に轢かれてしまうのです。このあと彼女は、下半身不随の重症を負ってしまう。二つ目は、連続広域盗犯事件です。都下西部、神奈川県、埼玉県にかけて連続して、侵入盗犯が続発しいていた。学校、病院を含む一般事務所から、高級住宅などが狙われた。警察の警備を嘲笑うかの様に跳梁し、犯行が繰り返された。犯人は、「怪盗6号」と呼ばれ、警視庁は、警察登録六号事件として指定し、集中捜査の網が張り巡らされた。三つ目は、神奈川県相模市を中心にアベックを専門に襲う強姦事件が連続して発生した事件。犯人は、野原や河原や森などでデート中のアベックに近寄り、凶器で脅し、男を縛り、女を強姦した。事が済んで逃走する前に二人から金品を奪うという卑劣な強姦強盗事件でした。初めは、それぞれ別々に捜査された。だが、捜査を進めるうちに、三つの事故と事件が、鎖の輪の様に繋がっていた事が分かっていくのです。これは、カットバックと呼ばれる小説の手法なのだ。この手法を用いた作に「誘鬼燈」があります。しかし、森村氏は、この手法を使った小説をメジャーデビューする前に、すでに書いている。森村氏が世間に広く知られるようになったのは、1969年の「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞してからです。しかし、それ以前の1968年の不遇の時代に「分水嶺」を書いています。「分水嶺」は、都会で起こった三つの死亡事故、事件が、日本を代表する北アルプスの高峰で起こった事が基因になっていました。全く違う事件事故が、最後に鎖の輪の様に繋がっていた事が明らかになり、読者を驚かせました。執筆を始める前に、結末を描いていなければ出来ない芸当なのだから、恐れ入ってしまいます。小説のテクニックは、どうでもよいとして、森村氏の特色は、常に今、起こっている社会問題や、政治経済問題を提議することにあります。本作で言えば、一つ目の交通事故であると思う。これまでにも、森村氏は、自動車優先社会に疑問を呈してきた。車のために道路が拡張され、歩行者は、道の端を車に轢かれないように歩かされる。そればかりか、道路に橋が架けられ、歩行者は、長い階段を登り降りして、反対側まで辿り着かねばならない。そういった理不尽さを書いた作品もあるくらいです。本作で訴えたかった事は、自動車社会の危険性ではないかと思います。自動車を運転する者は、加害者にも被害者にも成り得る。これは、当然の認識です。では、本作で事故にあった女子高校生は、どうであろうか。その事故の様子が詳細に書かれています。急にドアーを開けたドライバーに初めの責任があると思われます。ところが、実際には、下り坂で、速やかに停車出来ないスピードで運転していた、自転車の女子高校生にも過失があったと認定されてしまうのです。急にドアーを開けた運転手にも過失があり、対向車線を走って来た運転手にも過失があるのです。運転手も不幸ですが、過失責任は、三分の一となってしまう。だが、この女子高校生は、下半身不随の大怪我を負っている。固い車体の中にいた運転者二人は、無傷なのだ。この事を比べれば、誰が割に合わないかは歴然としている。こんな不合理なことがあっても良いのだろうか。この物語の最初の三つの事故と事件は、この女子高校生と兄の恨みと復讐によって一つに事件に鎖の様に結ばれていたのです。 (付)本書は1982年6月に文藝春秋から初出版されたものです。1985年には文春文庫で文庫化され、その後、1994年角川文庫、2002年ケイブンシャ文庫、2008年徳間文庫から再出版されました。2015年には、角川書店がkindle化しました。長い間、読み続けられている作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作は、三つの異なる事故と事件から始まります。一つは、自転車で登校途中の女子高校生が、不運な事故に巻き込まれてしまう事故。下り坂の道の途中で左側に停車中の乗用車が、友人を乗せるために右ドアーを急に開けた。この時、通りかかった女子高校生は、避けようとして反対車線に飛び出し転倒してしまった。そして、対向車に轢かれてしまうのです。このあと彼女は、下半身不随の重症を負ってしまう。二つ目は、連続広域盗犯事件です。都下西部、神奈川県、埼玉県にかけて連続して、侵入盗犯が続発しいていた。学校、病院を含む一般事務所から、高級住宅などが狙われた。警察の警備を嘲笑うかの様に跳梁し、犯行が繰り返された。犯人は、「怪盗6号」と呼ばれ、警視庁は、警察登録六号事件として指定し、集中捜査の網が張り巡らされた。三つ目は、神奈川県相模市を中心にアベックを専門に襲う強姦事件が連続して発生した事件。犯人は、野原や河原や森などでデート中のアベックに近寄り、凶器で脅し、男を縛り、女を強姦した。事が済んで逃走する前に二人から金品を奪うという卑劣な強姦強盗事件でした。初めは、それぞれ別々に捜査された。だが、捜査を進めるうちに、三つの事故と事件が、鎖の輪の様に繋がっていた事が分かっていくのです。これは、カットバックと呼ばれる小説の手法なのだ。この手法を用いた作に「誘鬼燈」があります。しかし、森村氏は、この手法を使った小説をメジャーデビューする前に、すでに書いている。森村氏が世間に広く知られるようになったのは、1969年の「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞してからです。しかし、それ以前の1968年の不遇の時代に「分水嶺」を書いています。「分水嶺」は、都会で起こった三つの死亡事故、事件が、日本を代表する北アルプスの高峰で起こった事が基因になっていました。全く違う事件事故が、最後に鎖の輪の様に繋がっていた事が明らかになり、読者を驚かせました。執筆を始める前に、結末を描いていなければ出来ない芸当なのだから、恐れ入ってしまいます。小説のテクニックは、どうでもよいとして、森村氏の特色は、常に今、起こっている社会問題や、政治経済問題を提議することにあります。本作で言えば、一つ目の交通事故であると思う。これまでにも、森村氏は、自動車優先社会に疑問を呈してきた。車のために道路が拡張され、歩行者は、道の端を車に轢かれないように歩かされる。そればかりか、道路に橋が架けられ、歩行者は、長い階段を登り降りして、反対側まで辿り着かねばならない。そういった理不尽さを書いた作品もあるくらいです。本作で訴えたかった事は、自動車社会の危険性ではないかと思います。自動車を運転する者は、加害者にも被害者にも成り得る。これは、当然の認識です。では、本作で事故にあった女子高校生は、どうであろうか。その事故の様子が詳細に書かれています。急にドアーを開けたドライバーに初めの責任があると思われます。ところが、実際には、下り坂で、速やかに停車出来ないスピードで運転していた、自転車の女子高校生にも過失があったと認定されてしまうのです。急にドアーを開けた運転手にも過失があり、対向車線を走って来た運転手にも過失があるのです。運転手も不幸ですが、過失責任は、三分の一となってしまう。だが、この女子高校生は、下半身不随の大怪我を負っている。固い車体の中にいた運転者二人は、無傷なのだ。この事を比べれば、誰が割に合わないかは歴然としている。こんな不合理なことがあっても良いのだろうか。この物語の最初の三つの事故と事件は、この女子高校生と兄の恨みと復讐によって一つに事件に鎖の様に結ばれていたのです。 (付)本書は1982年6月に文藝春秋から初出版されたものです。1985年には文春文庫で文庫化され、その後、1994年角川文庫、2002年ケイブンシャ文庫、2008年徳間文庫から再出版されました。2015年には、角川書店がkindle化しました。長い間、読み続けられている作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作は、三つの異なる事故と事件から始まります。一つは、自転車で登校途中の女子高校生が、不運な事故に巻き込まれてしまう事故。下り坂の道の途中で左側に停車中の乗用車が、友人を乗せるために右ドアーを急に開けた。この時、通りかかった女子高校生は、避けようとして反対車線に飛び出し転倒してしまった。そして、対向車に轢かれてしまうのです。このあと彼女は、下半身不随の重症を負ってしまう。二つ目は、連続広域盗犯事件です。都下西部、神奈川県、埼玉県にかけて連続して、侵入盗犯が続発しいていた。学校、病院を含む一般事務所から、高級住宅などが狙われた。警察の警備を嘲笑うかの様に跳梁し、犯行が繰り返された。犯人は、「怪盗6号」と呼ばれ、警視庁は、警察登録六号事件として指定し、集中捜査の網が張り巡らされた。三つ目は、神奈川県相模市を中心にアベックを専門に襲う強姦事件が連続して発生した事件。犯人は、野原や河原や森などでデート中のアベックに近寄り、凶器で脅し、男を縛り、女を強姦した。事が済んで逃走する前に二人から金品を奪うという卑劣な強姦強盗事件でした。初めは、それぞれ別々に捜査された。だが、捜査を進めるうちに、三つの事故と事件が、鎖の輪の様に繋がっていた事が分かっていくのです。これは、カットバックと呼ばれる小説の手法なのだ。この手法を用いた作に「誘鬼燈」があります。しかし、森村氏は、この手法を使った小説をメジャーデビューする前に、すでに書いている。森村氏が世間に広く知られるようになったのは、1969年の「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞してからです。しかし、それ以前の1968年の不遇の時代に「分水嶺」を書いています。「分水嶺」は、都会で起こった三つの死亡事故、事件が、日本を代表する北アルプスの高峰で起こった事が基因になっていました。全く違う事件事故が、最後に鎖の輪の様に繋がっていた事が明らかになり、読者を驚かせました。執筆を始める前に、結末を描いていなければ出来ない芸当なのだから、恐れ入ってしまいます。小説のテクニックは、どうでもよいとして、森村氏の特色は、常に今、起こっている社会問題や、政治経済問題を提議することにあります。本作で言えば、一つ目の交通事故であると思う。これまでにも、森村氏は、自動車優先社会に疑問を呈してきた。車のために道路が拡張され、歩行者は、道の端を車に轢かれないように歩かされる。そればかりか、道路に橋が架けられ、歩行者は、長い階段を登り降りして、反対側まで辿り着かねばならない。そういった理不尽さを書いた作品もあるくらいです。本作で訴えたかった事は、自動車社会の危険性ではないかと思います。自動車を運転する者は、加害者にも被害者にも成り得る。これは、当然の認識です。では、本作で事故にあった女子高校生は、どうであろうか。その事故の様子が詳細に書かれています。急にドアーを開けたドライバーに初めの責任があると思われます。ところが、実際には、下り坂で、速やかに停車出来ないスピードで運転していた、自転車の女子高校生にも過失があったと認定されてしまうのです。急にドアーを開けた運転手にも過失があり、対向車線を走って来た運転手にも過失があるのです。運転手も不幸ですが、過失責任は、三分の一となってしまう。だが、この女子高校生は、下半身不随の大怪我を負っている。固い車体の中にいた運転者二人は、無傷なのだ。この事を比べれば、誰が割に合わないかは歴然としている。こんな不合理なことがあっても良いのだろうか。この物語の最初の三つの事故と事件は、この女子高校生と兄の恨みと復讐によって一つに事件に鎖の様に結ばれていたのです。 (付)本書は1982年6月に文藝春秋から初出版されたものです。1985年には文春文庫で文庫化され、その後、1994年角川文庫、2002年ケイブンシャ文庫、2008年徳間文庫から再出版されました。2015年には、角川書店がkindle化しました。長い間、読み続けられている作品です。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 5件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|