指名手配
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1975年6月、光文社から初出版されました。本作品は日本共産党機関紙「赤旗日曜版」に始めて「暗渠の巡礼」のタイトルで連載された作品に加筆、改題され出版されたものです。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞すると続けざまにヒット作を連作し国民的なベストセラー作家となりました。一般的に多くの推理小説作家は、犯人のトリックやアリバイを崩し、追及してゆく姿に重点を置き読者の興味を引き付けるものでした。 ところが森村氏の一連の作品は、事件が起こる社会的な要因や時代背景、それと人間が持つ限りない欲望を犯罪の根底に据える事によって一層深みを持たせ、これまでの推理小説とは全く違う作風を築き上げ、多くの読者を魅了してきました。 本作の特色は、無実の罪で殺人事件の容疑者として全国に指名手配された胡桃沢英介の視点から書かれている処に有ります。胡桃沢英介は国本開発の社員で、同じ会社の社長秘書を勤める詩子と結婚の約束をしていました。しかし、国本開発の社長、国本多市郎が詩子を是非息子、多計彦の嫁にと強く慫慂(他の人に頼み、そうなる様に仕向ける)したのでした。 運悪く胡桃沢はマレーシアに数か月出張しており、その経緯を知りませんでした。詩子は胡桃沢に愛情を注いでいましたが、国本開発の社長夫人ともなれば生活の安泰は保証されたものであり、先には莫大な財産の分与に預かれるという立場に誘惑、幻惑されてしまい、胡桃沢に別れを告げます。 愛に破れた胡桃沢は苦しい日々を過ごしますが、ある日、国本詩子から突然「やはり胡桃沢が忘れられない、国本多計彦を殺害して二人で一緒に幸せになろう」と依頼を受けるのでした。胡桃沢は初め悩みますが詩子と再び暮らせることを考えると、犯罪に対する意識よりも己の愛を追求する欲望が勝ってしまいます。 愛情が犯罪の動機になるというのは別に変わったことではありません。森村氏は罪を起こす動機とは、人間の弱みに付け込んだ汚い欲望が引き起こすものだとしています。本作以外にも以前作の「虹への旅券」では愛情を継続(又は再び取り戻す)ために盲目となり重大な罪を犯してしまうという哀れさを書いています。 詩子の手引きによって多計彦を絞殺した胡桃沢は、詩子と九州の国東半島に逃亡しますが、国本開発の御曹司が殺害されたと言うニュースは全く報道されません。国東半島での逃亡の描写は松本清張氏を思わせる地域性が十分含まれています。(磨崖仏とは是非見てみたくなりました)日本を代表する大企業の次期社長の殺害がニュースにならない訳が有りません。ところが詩子の手引きによって多計彦の寝室で絞殺したはずの死体が全く別の所から発見されたのでした。 そこで胡桃沢は自分の殺害は未遂に終わり、多計彦殺害に動機を持つ他の誰かが止めを刺した事を感じるのです。それと同時に警察は詩子の元恋人で、行方を晦ましている胡桃沢を容疑者として全国に指名手配するのです。ここで本作の面白いのは多計彦と関係を持つ者が次々と殺害され、第二第三の連続殺人事件となってゆくところです。警察も単なる指名手配では無く凶悪殺人犯として胡桃沢の行方を全国的に追います。テレビや新聞でも大々的に報道されることなり胡桃沢は言われなき連続殺人の罪を被されて慄いてしまいます。今さら名乗り出ても韜晦(身を晦ます)していた胡桃沢の言い分は都合の良いものと判断され、誰もが信用しないでしょう。 推理小説の手法に倒叙法という作風があって、古いですが「刑事コロンボ」や貴志祐介氏の「青の炎」に代表されるように、物語の始めに事件の犯人が分かっていて、その容疑者の些細なミスからトリックやアリバイをジワジワ崩し、犯人を追い詰めてゆく姿に読みどころを置いた手法があります。 本作は、それとは少し違いますが、無実(未遂)の胡桃沢が連続殺人事件の容疑者に仕立てられ、追及され、怯え、慄く姿が巧妙に書かれていて見事だと思います。裏で、この連続殺人事件を操っているのは誰だろうか?というのが本書の読みどころで、胡桃沢は始めから傀儡(操り人形)でしかなかったのです。 森村氏は犯罪の起こる動機は人間の増大した欲望にあるとしています。それは名誉や地位、権力や利権を維持、拡大するためであったり、お金を得たいという欲望、財産、資産を増やしたいという欲望であったりと本作以外の多くの作品で書いています。それらの人間の欲望を話の底辺に据へ、登場する人物たちの人間模様を縦横無尽に絡めることによって深く読み応えのある作品になっていると思います。 純情可憐な美人秘書が、大きな財力を持つ国本開発の社長夫人となった事で、汚い欲望が増大して起きた連続殺人事件の物語ですが、更に、罪も無き昔の恋人を容疑者に仕立て上げ罪を被せてしまうという悪の極みを書いた物語です。未遂ながらも第二第三の殺人事件が起こる度に自分に罪が被せられる胡桃沢の不安を如実に上手く書かれた秀逸した作品でした! | ||||
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1975年6月、光文社から初出版されました。本作品は日本共産党機関紙「赤旗日曜版」に始めて「暗渠の巡礼」のタイトルで連載された作品に加筆、改題され出版されたものです。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞すると続けざまにヒット作を連作し国民的なベストセラー作家となりました。一般的に多くの推理小説作家は、犯人のトリックやアリバイを崩し、追及してゆく姿に重点を置き読者の興味を引き付けるものでした。 ところが森村氏の一連の作品は、事件が起こる社会的な要因や時代背景、それと人間が持つ限りない欲望を犯罪の根底に据える事によって一層深みを持たせ、これまでの推理小説とは全く違う作風を築き上げ、多くの読者を魅了してきました。 本作の特色は、無実の罪で殺人事件の容疑者として全国に指名手配された胡桃沢英介の視点から書かれている処に有ります。胡桃沢英介は国本開発の社員で、同じ会社の社長秘書を勤める詩子と結婚の約束をしていました。しかし、国本開発の社長、国本多市郎が詩子を是非息子、多計彦の嫁にと強く慫慂(他の人に頼み、そうなる様に仕向ける)したのでした。 運悪く胡桃沢はマレーシアに数か月出張しており、その経緯を知りませんでした。詩子は胡桃沢に愛情を注いでいましたが、国本開発の社長夫人ともなれば生活の安泰は保証されたものであり、先には莫大な財産の分与に預かれるという立場に誘惑、幻惑されてしまい、胡桃沢に別れを告げます。 愛に破れた胡桃沢は苦しい日々を過ごしますが、ある日、国本詩子から突然「やはり胡桃沢が忘れられない、国本多計彦を殺害して二人で一緒に幸せになろう」と依頼を受けるのでした。胡桃沢は初め悩みますが詩子と再び暮らせることを考えると、犯罪に対する意識よりも己の愛を追求する欲望が勝ってしまいます。 愛情が犯罪の動機になるというのは別に変わったことではありません。森村氏は罪を起こす動機とは、人間の弱みに付け込んだ汚い欲望が引き起こすものだとしています。本作以外にも以前作の「虹への旅券」では愛情を継続(又は再び取り戻す)ために盲目となり重大な罪を犯してしまうという哀れさを書いています。 詩子の手引きによって多計彦を絞殺した胡桃沢は、詩子と九州の国東半島に逃亡しますが、国本開発の御曹司が殺害されたと言うニュースは全く報道されません。国東半島での逃亡の描写は松本清張氏を思わせる地域性が十分含まれています。(磨崖仏とは是非見てみたくなりました)日本を代表する大企業の次期社長の殺害がニュースにならない訳が有りません。ところが詩子の手引きによって多計彦の寝室で絞殺したはずの死体が全く別の所から発見されたのでした。 そこで胡桃沢は自分の殺害は未遂に終わり、多計彦殺害に動機を持つ他の誰かが止めを刺した事を感じるのです。それと同時に警察は詩子の元恋人で、行方を晦ましている胡桃沢を容疑者として全国に指名手配するのです。ここで本作の面白いのは多計彦と関係を持つ者が次々と殺害され、第二第三の連続殺人事件となってゆくところです。警察も単なる指名手配では無く凶悪殺人犯として胡桃沢の行方を全国的に追います。テレビや新聞でも大々的に報道されることなり胡桃沢は言われなき連続殺人の罪を被されて慄いてしまいます。今さら名乗り出ても韜晦(身を晦ます)していた胡桃沢の言い分は都合の良いものと判断され、誰もが信用しないでしょう。 推理小説の手法に倒叙法という作風があって、古いですが「刑事コロンボ」や貴志祐介氏の「青の炎」に代表されるように、物語の始めに事件の犯人が分かっていて、その容疑者の些細なミスからトリックやアリバイをジワジワ崩し、犯人を追い詰めてゆく姿に読みどころを置いた手法があります。 本作は、それとは少し違いますが、無実(未遂)の胡桃沢が連続殺人事件の容疑者に仕立てられ、追及され、怯え、慄く姿が巧妙に書かれていて見事だと思います。裏で、この連続殺人事件を操っているのは誰だろうか?というのが本書の読みどころで、胡桃沢は始めから傀儡(操り人形)でしかなかったのです。 森村氏は犯罪の起こる動機は人間の増大した欲望にあるとしています。それは名誉や地位、権力や利権を維持、拡大するためであったり、お金を得たいという欲望、財産、資産を増やしたいという欲望であったりと本作以外の多くの作品で書いています。それらの人間の欲望を話の底辺に据へ、登場する人物たちの人間模様を縦横無尽に絡めることによって深く読み応えのある作品になっていると思います。 純情可憐な美人秘書が、大きな財力を持つ国本開発の社長夫人となった事で、汚い欲望が増大して起きた連続殺人事件の物語ですが、更に、罪も無き昔の恋人を容疑者に仕立て上げ罪を被せてしまうという悪の極みを書いた物語です。未遂ながらも第二第三の殺人事件が起こる度に自分に罪が被せられる胡桃沢の不安を如実に上手く書かれた秀逸した作品でした! | ||||
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1975年6月、光文社から初出版されました。本作品は日本共産党機関紙「赤旗日曜版」に始めて「暗渠の巡礼」のタイトルで連載された作品に加筆、改題され出版されたものです。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞すると続けざまにヒット作を連作し国民的なベストセラー作家となりました。一般的に多くの推理小説作家は、犯人のトリックやアリバイを崩し、追及してゆく姿に重点を置き読者の興味を引き付けるものでした。 ところが森村氏の一連の作品は、事件が起こる社会的な要因や時代背景、それと人間が持つ限りない欲望を犯罪の根底に据える事によって一層深みを持たせ、これまでの推理小説とは全く違う作風を築き上げ、多くの読者を魅了してきました。 本作の特色は、無実の罪で殺人事件の容疑者として全国に指名手配された胡桃沢英介の視点から書かれている処に有ります。胡桃沢英介は国本開発の社員で、同じ会社の社長秘書を勤める詩子と結婚の約束をしていました。しかし、国本開発の社長、国本多市郎が詩子を是非息子、多計彦の嫁にと強く慫慂(他の人に頼み、そうなる様に仕向ける)したのでした。 運悪く胡桃沢はマレーシアに数か月出張しており、その経緯を知りませんでした。詩子は胡桃沢に愛情を注いでいましたが、国本開発の社長夫人ともなれば生活の安泰は保証されたものであり、先には莫大な財産の分与に預かれるという立場に誘惑、幻惑されてしまい、胡桃沢に別れを告げます。 愛に破れた胡桃沢は苦しい日々を過ごしますが、ある日、国本詩子から突然「やはり胡桃沢が忘れられない、国本多計彦を殺害して二人で一緒に幸せになろう」と依頼を受けるのでした。胡桃沢は初め悩みますが詩子と再び暮らせることを考えると、犯罪に対する意識よりも己の愛を追求する欲望が勝ってしまいます。 愛情が犯罪の動機になるというのは別に変わったことではありません。森村氏は罪を起こす動機とは、人間の弱みに付け込んだ汚い欲望が引き起こすものだとしています。本作以外にも以前作の「虹への旅券」では愛情を継続(又は再び取り戻す)ために盲目となり重大な罪を犯してしまうという哀れさを書いています。 詩子の手引きによって多計彦を絞殺した胡桃沢は、詩子と九州の国東半島に逃亡しますが、国本開発の御曹司が殺害されたと言うニュースは全く報道されません。国東半島での逃亡の描写は松本清張氏を思わせる地域性が十分含まれています。(磨崖仏とは是非見てみたくなりました)日本を代表する大企業の次期社長の殺害がニュースにならない訳が有りません。ところが詩子の手引きによって多計彦の寝室で絞殺したはずの死体が全く別の所から発見されたのでした。 そこで胡桃沢は自分の殺害は未遂に終わり、多計彦殺害に動機を持つ他の誰かが止めを刺した事を感じるのです。それと同時に警察は詩子の元恋人で、行方を晦ましている胡桃沢を容疑者として全国に指名手配するのです。ここで本作の面白いのは多計彦と関係を持つ者が次々と殺害され、第二第三の連続殺人事件となってゆくところです。警察も単なる指名手配では無く凶悪殺人犯として胡桃沢の行方を全国的に追います。テレビや新聞でも大々的に報道されることなり胡桃沢は言われなき連続殺人の罪を被されて慄いてしまいます。今さら名乗り出ても韜晦(身を晦ます)していた胡桃沢の言い分は都合の良いものと判断され、誰もが信用しないでしょう。 推理小説の手法に倒叙法という作風があって、古いですが「刑事コロンボ」や貴志祐介氏の「青の炎」に代表されるように、物語の始めに事件の犯人が分かっていて、その容疑者の些細なミスからトリックやアリバイをジワジワ崩し、犯人を追い詰めてゆく姿に読みどころを置いた手法があります。 本作は、それとは少し違いますが、無実(未遂)の胡桃沢が連続殺人事件の容疑者に仕立てられ、追及され、怯え、慄く姿が巧妙に書かれていて見事だと思います。裏で、この連続殺人事件を操っているのは誰だろうか?というのが本書の読みどころで、胡桃沢は始めから傀儡(操り人形)でしかなかったのです。 森村氏は犯罪の起こる動機は人間の増大した欲望にあるとしています。それは名誉や地位、権力や利権を維持、拡大するためであったり、お金を得たいという欲望、財産、資産を増やしたいという欲望であったりと本作以外の多くの作品で書いています。それらの人間の欲望を話の底辺に据へ、登場する人物たちの人間模様を縦横無尽に絡めることによって深く読み応えのある作品になっていると思います。 純情可憐な美人秘書が、大きな財力を持つ国本開発の社長夫人となった事で、汚い欲望が増大して起きた連続殺人事件の物語ですが、更に、罪も無き昔の恋人を容疑者に仕立て上げ罪を被せてしまうという悪の極みを書いた物語です。未遂ながらも第二第三の殺人事件が起こる度に自分に罪が被せられる胡桃沢の不安を如実に上手く書かれた秀逸した作品でした! | ||||
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1975年6月、光文社から初出版されました。本作品は日本共産党機関紙「赤旗日曜版」に始めて「暗渠の巡礼」のタイトルで連載された作品に加筆、改題され出版されたものです。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞すると続けざまにヒット作を連作し国民的なベストセラー作家となりました。一般的に多くの推理小説作家は、犯人のトリックやアリバイを崩し、追及してゆく姿に重点を置き読者の興味を引き付けるものでした。 ところが森村氏の一連の作品は、事件が起こる社会的な要因や時代背景、それと人間が持つ限りない欲望を犯罪の根底に据える事によって一層深みを持たせ、これまでの推理小説とは全く違う作風を築き上げ、多くの読者を魅了してきました。 本作の特色は、無実の罪で殺人事件の容疑者として全国に指名手配された胡桃沢英介の視点から書かれている処に有ります。胡桃沢英介は国本開発の社員で、同じ会社の社長秘書を勤める詩子と結婚の約束をしていました。しかし、国本開発の社長、国本多市郎が詩子を是非息子、多計彦の嫁にと強く慫慂(他の人に頼み、そうなる様に仕向ける)したのでした。 運悪く胡桃沢はマレーシアに数か月出張しており、その経緯を知りませんでした。詩子は胡桃沢に愛情を注いでいましたが、国本開発の社長夫人ともなれば生活の安泰は保証されたものであり、先には莫大な財産の分与に預かれるという立場に誘惑、幻惑されてしまい、胡桃沢に別れを告げます。 愛に破れた胡桃沢は苦しい日々を過ごしますが、ある日、国本詩子から突然「やはり胡桃沢が忘れられない、国本多計彦を殺害して二人で一緒に幸せになろう」と依頼を受けるのでした。胡桃沢は初め悩みますが詩子と再び暮らせることを考えると、犯罪に対する意識よりも己の愛を追求する欲望が勝ってしまいます。 愛情が犯罪の動機になるというのは別に変わったことではありません。森村氏は罪を起こす動機とは、人間の弱みに付け込んだ汚い欲望が引き起こすものだとしています。本作以外にも以前作の「虹への旅券」では愛情を継続(又は再び取り戻す)ために盲目となり重大な罪を犯してしまうという哀れさを書いています。 詩子の手引きによって多計彦を絞殺した胡桃沢は、詩子と九州の国東半島に逃亡しますが、国本開発の御曹司が殺害されたと言うニュースは全く報道されません。国東半島での逃亡の描写は松本清張氏を思わせる地域性が十分含まれています。(磨崖仏とは是非見てみたくなりました)日本を代表する大企業の次期社長の殺害がニュースにならない訳が有りません。ところが詩子の手引きによって多計彦の寝室で絞殺したはずの死体が全く別の所から発見されたのでした。 そこで胡桃沢は自分の殺害は未遂に終わり、多計彦殺害に動機を持つ他の誰かが止めを刺した事を感じるのです。それと同時に警察は詩子の元恋人で、行方を晦ましている胡桃沢を容疑者として全国に指名手配するのです。ここで本作の面白いのは多計彦と関係を持つ者が次々と殺害され、第二第三の連続殺人事件となってゆくところです。警察も単なる指名手配では無く凶悪殺人犯として胡桃沢の行方を全国的に追います。テレビや新聞でも大々的に報道されることなり胡桃沢は言われなき連続殺人の罪を被されて慄いてしまいます。今さら名乗り出ても韜晦(身を晦ます)していた胡桃沢の言い分は都合の良いものと判断され、誰もが信用しないでしょう。 推理小説の手法に倒叙法という作風があって、古いですが「刑事コロンボ」や貴志祐介氏の「青の炎」に代表されるように、物語の始めに事件の犯人が分かっていて、その容疑者の些細なミスからトリックやアリバイをジワジワ崩し、犯人を追い詰めてゆく姿に読みどころを置いた手法があります。 本作は、それとは少し違いますが、無実(未遂)の胡桃沢が連続殺人事件の容疑者に仕立てられ、追及され、怯え、慄く姿が巧妙に書かれていて見事だと思います。裏で、この連続殺人事件を操っているのは誰だろうか?というのが本書の読みどころで、胡桃沢は始めから傀儡(操り人形)でしかなかったのです。 森村氏は犯罪の起こる動機は人間の増大した欲望にあるとしています。それは名誉や地位、権力や利権を維持、拡大するためであったり、お金を得たいという欲望、財産、資産を増やしたいという欲望であったりと本作以外の多くの作品で書いています。それらの人間の欲望を話の底辺に据へ、登場する人物たちの人間模様を縦横無尽に絡めることによって深く読み応えのある作品になっていると思います。 純情可憐な美人秘書が、大きな財力を持つ国本開発の社長夫人となった事で、汚い欲望が増大して起きた連続殺人事件の物語ですが、更に、罪も無き昔の恋人を容疑者に仕立て上げ罪を被せてしまうという悪の極みを書いた物語です。未遂ながらも第二第三の殺人事件が起こる度に自分に罪が被せられる胡桃沢の不安を如実に上手く書かれた秀逸した作品でした! | ||||
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『赤旗日曜版』に昭和49年1月から50回にわたり連載されたものに加筆して50年6月に 刊行された作品。森村初期作品としては傑作の部類だと思う。圧倒的な面白さがある。 主人公の国本開発の社員・胡桃沢は社長の多計彦の殺害を決意する。多計彦は妻 子との幸福な生活を破壊した張本人であり、それは復讐である。多計彦の妻・詩子は 胡桃沢の元恋人で、この決断の協力者である。殺人を実行した胡桃沢は予定どおり 詩子と海外への逃亡を試みるが、何と詩子は旅券を持参するのを忘れていた。急遽 予定を変更し、国東半島に絶望的な逃避行に向かうふたり。たが摩訶不思議なことに 多計彦殺害の報道がいつまでもない。一体どういうことだ?不安の中、精神的に追い 詰められた胡桃沢は、詩子のふるまいに疑念を抱く。その裏にはある陰謀があった。 誰ひとり味方のないことに気づいた胡桃沢の孤独な闘い。誰が味方で誰が敵なのか。 誰が裏で糸を引いているのか。彼は無実ではない。殺人という罪を"確実に"犯して いるがゆえに進退は困難を極める。警察に追われながら、見えない真相にたどりつく ことはできるのか?そして二重三重のからくり。本作は構成に破綻がなく伏線も回収 され、最後まで緊張感が維持されている。一気に読ませてしまう卓抜したスリラーだ。 | ||||
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