黒魔術の女
- 怪奇ミステリ (9)
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この『黒魔術の女』の初版が刊行された1974年、日本国内は「オカルトブーム」の真只中にあり、つのだじろうの漫画『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』がヒット作となり、中岡俊哉の『狐狗狸さんの秘密』や『恐怖の心霊写真集』も発売された。 そうしたブームに便乗しつつ、結末での思い切った意外性を狙った作品である。 森村誠一公式サイトを見ると、中国語版のタイトルは『黑魔女之隠秘』だそうで、黒魔術の洗礼を受けた記憶を持つ中道鴾子とその父親が、何を隠し、それゆえに犯罪に関わったかが、最後まで秘密にされている。 この秘密が明かされた時に、黒魔術との関わりも犯行動機も明らかになるのだが。 かなり思い切った、掟破りの設定である。 だが巻末には、著者は雑誌連載に「全面的に加筆」したとあり、たしかに、この掟破りの設定を活かすために、伏線を引き直したであろう形跡が伺える。 しかし、それより驚いたのが、中道鴾子は当時の最高級レコードプレーヤーと言われたマイクロ精機のMR-611を所有している。このプレーヤーだけで、当時の一般的サラリーマンの月収より高かったそうだ。 新婚家庭に運び込まれた高級オーディオで、夫が友人に聴かせる曲はフランク・チャックスフィールド楽団が演奏する『「ナポレオン・ソロ」のテーマ』だ。 おそらく、プレーヤーに載せたのは英デッカ原盤の「All Time Top T.V. Themes」であろう。 こうした細部まできちんと描写されているがゆえに、掟破りの真相にも説得力が生まれている。 その意味では感心した。 | ||||
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1973年3月に出版されました。森村誠一氏は、「分水嶺」「東京空港殺人事件」の様に、序章で伏線を張り、見事に結末で終結させる作品を書いてきました。それらの作品を読むと、原稿用紙に一枚目を書き出した時には、結末へ向けての大きなながれが頭の中で構築されているかの如く思えました。 本作に於いて森村氏は、途中で物語の流れを変換させたと思える節が有ります。珍しい作品です。それが、とても奇妙に興味的に思えます。 「鉄筋の畜舎」と言うタイトルは、森村氏が十年にわたり勤め上げたホテルマンの経験から、ホテルに集う豊かな人々とは対照的に家畜の様な扱いを受ける従業員たちのことを揶揄した言葉です。 幸せそうに生活にゆとりのある男女たちが贅を尽くす姿と比較して、森村氏は「客が山海の珍味を食傷している傍らで、従業員は従食と呼ぶ従業員食堂で同じ餌を啄んでいる白色レグホンの様だ」と述懐しています。 1969年に「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞した後森村氏は、そのタイトルにあやかってか「“熟語”の“熟語”」という五字のタイトルを多用しています。「虚構の空路」「腐食の構造」「真昼の誘拐」また次作の「恐怖の骨格」と、このパターンが続いています。どれもタイトルが物語の内容を暗示しています。 しかし本作では、必ずしも先に述べたような家畜の様な扱いを受けたホテルマン時代の鬱屈した心を書いたものでは無いことに興味を感じます。 東京、新宿にある老舗百貨店「赤看板」の社長保科の、お抱え運転手だった竹場が、保科の出来の悪い息子たちが起こした轢き逃げ殺人の肩代わりにされて獄中で死んでしまう。死人に口無しで、そのまま、闇に葬り去ろうと企んだ保科一族の悪事に気付いた竹場の息子栄一が一族に復讐を誓います。 その復讐の対象は、社長保科の出来の悪い息子たちを、一人ずつ順に、この上もない恐怖を与え事故死に見せかけ殺害してしまうという手法です。息子たちがその殺意を感じて狼狽える姿には溜飲が下がります。しかし、これは荒っぽい。「むごく静かに殺せ」と共通するところが有ります。 このまま順を追って復讐劇が続くのかと思うと森村氏はここで方向転換をしています。次の復讐のターゲットにしたのは、なんと「赤看板」そのものを乗っ取り、保科一族を“家畜”として貶めようとするものなのです。 そのために「赤看板」株の、買い占め工作の詳細は圧巻です。安定株主の取り崩し工作などは、秀逸な経済犯罪小説のようでした。 たとえどんなに地位や名誉もある立派な人間も、甘い陥穽に見事に落ち込み、たちまち持っていた全ての権威を失っていく姿には哀れみを感じるとともに、栄一を応援しながら読んでいました。 ここ個人への復讐方法から一転して会社乗っ取りに方向転換したのは、もしかしたら、森村氏はこの株式乗っ取り工作の修羅場を書きたくなってしまったのではないかと思われてしまいます。鉄筋を支配する権力者たちに鬱憤を晴らし、彼らの虚構に満ちた儚さを書くために方向を転換したのではないかと思ってしまいます。秀作です! | ||||
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さすがは一世を風靡した作家、巧いところは多々ありながら、素材と筋立てが噛み合わないまま強引に書き終えた印象。残念。 | ||||
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1974年8月光文社から出版されました。同年「小説宝石」新年号から5回にわたって連載された作品です。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞し「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞した森村氏は、社会派的な作風と推理小説をミックスしたかたちの作品を多く書き硬質派作家として一躍世間に名を広めました。 ところが前作の「星のふる里」「霧の神話」と続けて女性向けのサスペンス小説を書き著作の範囲を広範なものとし、一層活躍の場を増やしました。しかし本作品は女性にとってはショッキングな内容の序章から始まります。 総合レジャーランドの経営で急伸した日平開発のエリート営業マン、山際三郎・尾賀高良・海原正司の三人は週末の楽しみとしていたガールハントのため最寄りの駅前(駅名は伏せます)で待ち伏せます。電車から降りて家路へ向かう女性に声をかけ、家まで送ると巧みに近寄り二人の女性を車に連れ込みます。 ところが三人は、家まで送るどころか人気の無く光の無い沼地の畔に車を乗り入れ、二人の女性を暴行して置き去りにします。翌日三人は、ニュースを見ると昨日男の欲望を果たし棄て去ったはずの一人の女性が全裸で、しかも局部を切り刻まれた姿で遺体となって発見されたのでした。 その晩連れ去られた女は、中道鴇子と深杉啓子でした。惨殺された遺体は深杉啓子のものと確認されました。男三人は強姦(これだけでも極悪犯罪)したものの殺人はしていない。このままでは自分たちが殺人の罪まで被ってしまうと危惧します。盗人猛々しいとはこのことで、なんとか殺人の罪は免れねばと自分勝手で卑怯、下劣な考えをします。 一方、二人のうち深杉啓子を惨殺遺体となって発見されたものの、もう一人の女、中沢鴇子の消息が分からない。これだけ県下で大きなショッキングなニュースになり大規模な捜査が行われているにも関わらず鴇子の行方がどうしても分からないのでした。 三人は、この女の行方が非常に気になります。エリート営業社員として地位、さらには将来の出世が目の前に見えているだけに、少しのスリルを味わうための遊びで行ったこと(犯罪です、遊びではありません)が、自分たちの身を滅ぼしかねないと狼狽えるのでした。自分たちの行ったことを反省もせずに、なんと勝手なことでしょう。 三人は中道鴇子の所在を懸命に探り出そうとします。警察捜査でも難渋しているのに、それは難しいことでした。そんな時、三人組のひとりが変死体となって発見されるのでした。残った二人は、すぐにもう一人の女、鴇子の復讐だと気が付きます、が、警察には届けられません。 ここから中道鴇子の男たちへの復讐が始まります。しかし鴇子には復讐目的以外に知られてはいけない身体の秘密が有ったのです。秘密を知った、この三人が生きていては自分の恵まれた安穏とした生活が失われてしまうからでした。ここからが読み応えのあるところなので梗概(あらすじ)は控えたいと思います。 森村氏は、これまでに大企業や政治家、官僚といった巨大な権力を持つ者から、虫けらのように切り捨てられた若者たちが徒手空拳(なにも持たない。武器や資金が無い)で、その権力に立ち向かう姿を多く書いてきました。その若者たちの活躍により権力を失い無一物となり落ちぶれる姿に溜飲が下がる思いでした。 本作品は暴行を受けた鴇子が、悪しき三人組に復讐してゆく話です。しかし鴇子には先天的に女性器に異常があり、また謎の神秘学会と関係があるという背景を持たせて復讐行為を実にオカルティズムに描いているところに妙味があります。三人組が勤める日平開発は土地取得にあたり政界工作を行うというプロットを横軸に絡めるのですから、読み応え十分です。 森村氏は本作中で、企業の実績主義とは、社員たちの過去や学歴など問わず能力があり成績が優秀なら、その人間を評価するという、いかにも公明正大な制度のように思えるが、実績が下がってしまえば過去の実績に対し恩給は払わない“人間の使い捨て制度”なのだと書いています。使い捨てされるべき男たち、まさに三人組のことを表していると思います。 | ||||
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1974年8月光文社から出版されました。同年「小説宝石」新年号から5回にわたって連載された作品です。1969年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞し「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞した森村氏は、社会派的な作風と推理小説をミックスしたかたちの作品を多く書き硬質派作家として一躍世間に名を広めました。 ところが前作の「星のふる里」「霧の神話」と続けて女性向けのサスペンス小説を書き著作の範囲を広範なものとし、一層活躍の場を増やしました。しかし本作品は女性にとってはショッキングな内容の序章から始まります。 総合レジャーランドの経営で急伸した日平開発のエリート営業マン、山際三郎・尾賀高良・海原正司の三人は週末の楽しみとしていたガールハントのため最寄りの駅前(駅名は伏せます)で待ち伏せます。電車から降りて家路へ向かう女性に声をかけ、家まで送ると巧みに近寄り二人の女性を車に連れ込みます。 ところが三人は、家まで送るどころか人気の無く光の無い沼地の畔に車を乗り入れ、二人の女性を暴行して置き去りにします。翌日三人は、ニュースを見ると昨日男の欲望を果たし棄て去ったはずの一人の女性が全裸で、しかも局部を切り刻まれた姿で遺体となって発見されたのでした。 その晩連れ去られた女は、中道鴇子と深杉啓子でした。惨殺された遺体は深杉啓子のものと確認されました。男三人は強姦(これだけでも極悪犯罪)したものの殺人はしていない。このままでは自分たちが殺人の罪まで被ってしまうと危惧します。盗人猛々しいとはこのことで、なんとか殺人の罪は免れねばと自分勝手で卑怯、下劣な考えをします。 一方、二人のうち深杉啓子を惨殺遺体となって発見されたものの、もう一人の女、中沢鴇子の消息が分からない。これだけ県下で大きなショッキングなニュースになり大規模な捜査が行われているにも関わらず鴇子の行方がどうしても分からないのでした。 三人は、この女の行方が非常に気になります。エリート営業社員として地位、さらには将来の出世が目の前に見えているだけに、少しのスリルを味わうための遊びで行ったこと(犯罪です、遊びではありません)が、自分たちの身を滅ぼしかねないと狼狽えるのでした。自分たちの行ったことを反省もせずに、なんと勝手なことでしょう。 三人は中道鴇子の所在を懸命に探り出そうとします。警察捜査でも難渋しているのに、それは難しいことでした。そんな時、三人組のひとりが変死体となって発見されるのでした。残った二人は、すぐにもう一人の女、鴇子の復讐だと気が付きます、が、警察には届けられません。 ここから中道鴇子の男たちへの復讐が始まります。しかし鴇子には復讐目的以外に知られてはいけない身体の秘密が有ったのです。秘密を知った、この三人が生きていては自分の恵まれた安穏とした生活が失われてしまうからでした。ここからが読み応えのあるところなので梗概(あらすじ)は控えたいと思います。 森村氏は、これまでに大企業や政治家、官僚といった巨大な権力を持つ者から、虫けらのように切り捨てられた若者たちが徒手空拳(なにも持たない。武器や資金が無い)で、その権力に立ち向かう姿を多く書いてきました。その若者たちの活躍により権力を失い無一物となり落ちぶれる姿に溜飲が下がる思いでした。 本作品は暴行を受けた鴇子が、悪しき三人組に復讐してゆく話です。しかし鴇子には先天的に女性器に異常があり、また謎の神秘学会と関係があるという背景を持たせて復讐行為を実にオカルティズムに描いているところに妙味があります。三人組が勤める日平開発は土地取得にあたり政界工作を行うというプロットを横軸に絡めるのですから、読み応え十分です。 森村氏は本作中で、企業の実績主義とは、社員たちの過去や学歴など問わず能力があり成績が優秀なら、その人間を評価するという、いかにも公明正大な制度のように思えるが、実績が下がってしまえば過去の実績に対し恩給は払わない“人間の使い捨て制度”なのだと書いています。使い捨てされるべき男たち、まさに三人組のことを表していると思います。 | ||||
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