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星の巡礼
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星の巡礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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パウロコエーリョは、これが2冊目。なかなか良い本です。皆さんも読んでみて下さい。 | ||||
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私は、宗教色が強い本は好きですが、これは読みづらい本だと思いました。 『神』、『愛』という、インパクトの強い、もしくは言霊の強い2大言葉がいたるところで出てきます。特に、『愛』。 なかなかなじめず、この本を最後まで読み進めるのが、苦行のようでした。 途中で出てくるトレーニングも、真似できるようなものではないですし。 ところが、ラストは素晴らしいです。 主人公の悟りの内容は、戦慄が走るほどでした。 訳者がうまいですね。この盛り上がりは、訳者の力量もあるのではと思いました。 苦行のあとの喜び。まるで、この本を読むことも巡礼のようでした。 | ||||
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この本を読む前からサンチャゴへの道に興味がありました。 そして、この本に出会い私もいつかはきっと行ってやる!! 強く思いました。 パウロコエーリョさんの本は何冊も読みましたが、個人的に この本が一番気に入りました。 | ||||
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パウロ・コエーリョの作品はこれがはじめてですが、ほかのレビューにあるように非常に宗教的なものを感じました。宗教的というより呪術的というか、前半はこの傾向が強く感じられます。しかし、第7章結婚には現代的な軽妙さもうかがえます。 「たとえ、私が、人間の言葉かあるいは天使の言葉で語ったとしても、たとえ、私に預言をする能力があったとしても、あるいは山を動かすほどの強い信仰心があっても、もし愛がなければ、それは無に等しい」との聖パウロの言葉はこの作品の一つのテーマだと考えます。読み進むにつれ、人間の根源に宗教的側面から切り込んでいく気合みたいなものが感じられ、後半は読みやすいと思いました。 パウロの他の作品も読んでみたいと思います。 | ||||
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「すべてのことは必然である」 人が夢を追い求めるとき、夢に向かっての道が開かれる。その道中にある全てのもが自分を支援してくれる。その声に耳を傾け心を通わせることが大切だ・・・ 少し宗教色が強い1冊だった。というのも、この本は巡礼の道について書かれているのでそれは仕方が無い。巡礼の道とは実在し(サンチャゴ:スペイン巡礼の道)多くの巡礼者が訪れるとの話を聞いた。道中で自分を内観し、魂の再発見するという。 宗教や、カルト的な要素は抜きにして、道中の著者の体験・気持ちなど、細やかな描写であるため、想像を働かせて楽しめる本でした。 | ||||
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初めて読んだパウロ・コエーリョさんの作品は「アルケミスト」でした。その物語の中に最初から最後まで一貫して流れる、質素だけれど上品な世界と、少年の静かだけれど力強い生き方は、男女を問わず憧れるはずです。主人公の羊飼い、サンチャゴ青年が、古い教会の外で、羊たちと一夜を明かすくだりは、とても印象的です。私は、その場面を読むたびに、くるみパンとチーズが食べたくなるのですが、、、 その何年か後、「星の巡礼」を読みました。確かに、宗教性が強く、少し抵抗を感じましたが、それを差し引いても余りあるくらい、得るものがある本です。 物語の舞台は、スペインに古くから実在する巡礼の道です。聖人ヤコブを祭ったサンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指して、今でもたくさんの人が歩いています。ヨーロッパ中のいたるところから道が出来ていますが、物語の中で主人公が歩いている道は、フランス国境付近から、ピレネーを越え、スペイン北部沿いを歩く、「星の道」です。昔は、キリスト教徒による純粋な宗教行為だった巡礼ですが、今日では、老若男女問わず、世界各国から多くの旅行者やバックパッカーが訪れています。理由も、個人の精神的な成長や、精神鍛錬、スポーツ、観光など、様々です。とはいっても、一度巡礼の道を歩き出した者は、「ピルグリム(巡礼者)」と呼ばれ、古くからの巡礼の精神は、今でも受け継がれています。なんせ800キロ以上の道のりを、一ヶ月近くかけて徒歩で歩くのですから、どんな俗人も聖人のようになるというものです(笑)「いつか自分もきっとこの道を歩きたい、、、」そんな思いを、3年以上持ち続け、ある機会に仕事を辞めて、私もとうとう巡礼に行ってきました。 その意味でも、この本は私の人生を変えた本です。 仕事を辞めたくないという方には、お勧めしません。 | ||||
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アルケミストの生まれた背景には、こんなに神秘的な経験があった。ただの物語、オカルトと見るべきではない。この本から学ぶことのできる人間の成長、真理をどこまで受け止められるのか、「夢」や「希望」といった言葉以上の、真理がそこにあるのだと考えさせられた作品。 | ||||
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<自分を満たす経験>をしたのは何時のことかとしみじみ人生を振り返りました。また、心や魂を満たすことは意思や理性だけできるものではないと実感しました。この本は一見オカルトっぽいですが、コエーリョは神秘体験だけを言っているのではなく、現代生活の中で失われた人間の生命を見つめ、その息吹を体験するように薦めていると思いました。旅路で見出した、戦い、克服、友情、自然との一体感などは人間本来の自然な姿ではないでしょうか。人が己に、人生に求めるものはそれぞれに異なりますし、まして自分以外の人がそこに到る手段は想像もつきません。たとえ稚拙であったとしても、自分の内側から、自分自身で得る理解は価値がある、そう信じることができました。この本に出会えてよかったと思います。 | ||||
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パウロ・コエーリョの作品は殆ど読ませて頂きましたが、この本は特に宗教色が強い本でした。しかし、我慢して読んでいくうちに神秘的な感覚にのみ込まれていき、いつの間にか読み終えていました。やはり彼の本を読み終わってみると、人間の心理の深さを勉強させられます。人生とは、自分との戦いであるとつくづく実感させられます。 | ||||
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「アルケミスト」に続き2冊めに読んだコエーリョの本。オープニング(剣を失う場面)に衝撃を受け、そのまま引き込まれるように読みました。多少硬いというか乾いた日本語が、迷いながら歩む主人公の心境や、日常との適度な距離感を出していて、主人公とともに歩んでいるような気になります。宗教臭の強さやオカルティズムの面から語られがちですが、この物語は日常で忘れられがちな「誰もが歩くことのできる道」、オカルトや儀式といった形式を越えたところにある心のありかたの意味を強く語っているものだと思います。ガイドのアドバイス、主人公の心の動きが連動して変化していくさまがオカルティズムを越えたテーマの普遍性にリアリティを感じさせてくれます。はじめに「癒し」あ!りきではなく、「内なる強さ」から始まる話であることも重要なポイントだと思います。自分が心迷った時に読み返すと、まさに自分の心と向かいあう助けになってくれる本。 | ||||
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疲れてしまってもう生きているのが嫌になったり、うまくいかなくなった時、必ずこの本を読みます。 力がわきます。 それは元気とか、エネルギーとか動的な力ではなく、小さく静かなそれでいて力強い力です。 | ||||
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たった今「星の巡礼」を読み終えて、サンチャゴの巡礼を私自身も歩き終えたようなそんな充実感に陶酔しています。 この新世紀にも脈々として古代からの秘密が人から人へと受け継がれているということは、人の本質は何も変わっていないということなのかもしれませんね。 私が最初に出会った本は「アルケミスト」でした。私は、この物語に、人生のすべてがあると思いました。それ以上何も言えないほど強く感動したのです。それから「第五の山」を読み。「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」を読みました。 これらの本のすべてに共通するのは、日常の中の奇跡と、すべての答えを自分自身の心だけが知っているということです。 そして、物語の主人公達は、はじめは私たちと変わらない身の丈です。「アルケミスト」の主人公サンチャゴは、羊飼いで旅を夢見る普通の少年であるし、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」の主人公ピラールも田舎の片隅で、安定した生活を思い描いている普通の女性です。いまの日本でも、あちらこちらで見ることができる人々のようでもあります。しかし、彼、彼女らの変容は、実にすばらしいのです。ほんの小さな日常の出来事が、徐々に、別の世界の領域へと導いてくれます。そして一見到達できそうもないような複雑で難解なものが答えではなく、真実は至ってシンプルなものだということにも感動します。 人生の変化は、なんでもないようなところから始まります。羊飼いの少年は、本を読んでいるときに、隣に座ったおじいさんとの出会いでした、ピラールの場合は、幼なじみから受け取った一通の手紙から、それぞれの旅をはじめたのです。そして、自分自身の内なる声に耳を傾けるのです。というよりも、今までごまかしてきたけれども本当はこういう自分でありたいというもう一人の自分の自己主張を知らないふりをしてはいられなくなるのでしょうね。 星の巡礼では、たくさんの実習が出てきます。生きたまま葬られる実習では「何度もあとでいつでも出来るからと思って、自分のやりたいことをやりそこなった」ことをパウロは思い出します。その言葉に私の生活や、考えが次々と重なってゆきます。それはピラールの姿にも見られます。彼女は、「私は、毎日毎日ただ自分を縛り付けるものを得るために、超人的な努力をして」いると感じます。 人が未知のものを恐れるのは、正体のない自分を作り上げた不安の影におびえているからなのだと思いました。その不安を克服するために、今を犠牲にしたり、そのことについて、正当化するだけなのだということを感じました。 アルケミストの少年のように夢を見続け、それを実現し、ピラールのように、愛によって自分自身を発見し成長させ、星の巡礼の長い旅を続けた作者自身のように、人生に勝利をもたらせるよう、冒険しながら神秘を体験できるなんて素晴らしいことだと思います。私はこれらの本の宗教的な静けさが好きです。特定の宗教を持ってはいませんが、神を信じることが出来る人生というのは、私たちに自己実現や豊かさをもたらすものだと思います。また、宗教について、神への仕え方は多様であり、またどんな名前で呼ばれようとその存在が変わらいものであるということに私はそれが非常に自然なことだと思えました。宗教による対立や、民族紛争は神の名がひとつであることに固執する人間の勝手な解釈なのではと思います。宗教教育が存在する国では、神はうちに存在するのではなく、外に存在しているから自分の心に平和を見出せないのではないでしょうか | ||||
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