■スポンサードリンク
星の巡礼
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
星の巡礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全44件 41~44 3/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「アルケミスト」に続き2冊めに読んだコエーリョの本。オープニング(剣を失う場面)に衝撃を受け、そのまま引き込まれるように読みました。多少硬いというか乾いた日本語が、迷いながら歩む主人公の心境や、日常との適度な距離感を出していて、主人公とともに歩んでいるような気になります。宗教臭の強さやオカルティズムの面から語られがちですが、この物語は日常で忘れられがちな「誰もが歩くことのできる道」、オカルトや儀式といった形式を越えたところにある心のありかたの意味を強く語っているものだと思います。ガイドのアドバイス、主人公の心の動きが連動して変化していくさまがオカルティズムを越えたテーマの普遍性にリアリティを感じさせてくれます。はじめに「癒し」あ!りきではなく、「内なる強さ」から始まる話であることも重要なポイントだと思います。自分が心迷った時に読み返すと、まさに自分の心と向かいあう助けになってくれる本。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
疲れてしまってもう生きているのが嫌になったり、うまくいかなくなった時、必ずこの本を読みます。 力がわきます。 それは元気とか、エネルギーとか動的な力ではなく、小さく静かなそれでいて力強い力です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
たった今「星の巡礼」を読み終えて、サンチャゴの巡礼を私自身も歩き終えたようなそんな充実感に陶酔しています。 この新世紀にも脈々として古代からの秘密が人から人へと受け継がれているということは、人の本質は何も変わっていないということなのかもしれませんね。 私が最初に出会った本は「アルケミスト」でした。私は、この物語に、人生のすべてがあると思いました。それ以上何も言えないほど強く感動したのです。それから「第五の山」を読み。「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」を読みました。 これらの本のすべてに共通するのは、日常の中の奇跡と、すべての答えを自分自身の心だけが知っているということです。 そして、物語の主人公達は、はじめは私たちと変わらない身の丈です。「アルケミスト」の主人公サンチャゴは、羊飼いで旅を夢見る普通の少年であるし、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」の主人公ピラールも田舎の片隅で、安定した生活を思い描いている普通の女性です。いまの日本でも、あちらこちらで見ることができる人々のようでもあります。しかし、彼、彼女らの変容は、実にすばらしいのです。ほんの小さな日常の出来事が、徐々に、別の世界の領域へと導いてくれます。そして一見到達できそうもないような複雑で難解なものが答えではなく、真実は至ってシンプルなものだということにも感動します。 人生の変化は、なんでもないようなところから始まります。羊飼いの少年は、本を読んでいるときに、隣に座ったおじいさんとの出会いでした、ピラールの場合は、幼なじみから受け取った一通の手紙から、それぞれの旅をはじめたのです。そして、自分自身の内なる声に耳を傾けるのです。というよりも、今までごまかしてきたけれども本当はこういう自分でありたいというもう一人の自分の自己主張を知らないふりをしてはいられなくなるのでしょうね。 星の巡礼では、たくさんの実習が出てきます。生きたまま葬られる実習では「何度もあとでいつでも出来るからと思って、自分のやりたいことをやりそこなった」ことをパウロは思い出します。その言葉に私の生活や、考えが次々と重なってゆきます。それはピラールの姿にも見られます。彼女は、「私は、毎日毎日ただ自分を縛り付けるものを得るために、超人的な努力をして」いると感じます。 人が未知のものを恐れるのは、正体のない自分を作り上げた不安の影におびえているからなのだと思いました。その不安を克服するために、今を犠牲にしたり、そのことについて、正当化するだけなのだということを感じました。 アルケミストの少年のように夢を見続け、それを実現し、ピラールのように、愛によって自分自身を発見し成長させ、星の巡礼の長い旅を続けた作者自身のように、人生に勝利をもたらせるよう、冒険しながら神秘を体験できるなんて素晴らしいことだと思います。私はこれらの本の宗教的な静けさが好きです。特定の宗教を持ってはいませんが、神を信じることが出来る人生というのは、私たちに自己実現や豊かさをもたらすものだと思います。また、宗教について、神への仕え方は多様であり、またどんな名前で呼ばれようとその存在が変わらいものであるということに私はそれが非常に自然なことだと思えました。宗教による対立や、民族紛争は神の名がひとつであることに固執する人間の勝手な解釈なのではと思います。宗教教育が存在する国では、神はうちに存在するのではなく、外に存在しているから自分の心に平和を見出せないのではないでしょうか | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公はあと少しのところで、魔術師になる試験に不合格となり、怒った師に与えられるはずであった剣を隠されてしまうのであった。その剣はスペイン北部バスク地方を横断し、サンチャゴ・デ・コンポステラにいたる星の野原をガイドに導かれながら、再び見出されるまで修行の巡礼を続けることになる。主人公は道すがらさまざまな儀式や実習を重ねて経験値をふやし、内なる声=メッセンジャーとの対話をつづけ、幾度となく襲ってくる犬の姿をした悪魔と戦いつづける。そして最後にとうとう主人公は……。 と、こうやって書くと、ドラゴンクエストかファイナルファンジーと見まがうRPGのプロットそのものだけど、現代に生きる著者の実体験にもとづいたほとんどノンフィクションということである。うーむ、八百万の神と同衾している日本人もびっくりのオカルトぶりである。ウンベルト・エーコも「フーコーの振り子」でキリスト教世界の神秘主義と魔術オタクを描いたが、あれは特異な人々じゃなく、ヨーロッパの日常だったのね。 ゲームのノベライゼーションの体裁そのままだが、内容も深く、メッセージもあり、主人公と同様な達成感もある。ミステリーの体裁をとったエーコの記号論小説の上をいっているのかもしれない、新しいストーリーテリングの手法を発見した気がする。 第2作「アルケミスト」で何故魔術にああも拘泥する表現をするのか、首を捻ったが、実際にこの星の巡礼で魔術師になっていたのだ、作者は。まさに書を捨てよ、巡礼に出よってね。作者の所属する教団の実習メソッドも紹介されている。次の休暇はこの本を片手にボクも魔術師になるっ、ていったら、お前がやったらゲームそのままじゃんって笑われてしまった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!