1Q84

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1Q84の評価:

3.66/5点 レビュー 983件。 D ランク

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Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全1,146件 741〜760 38/58ページ
No.406
(1pt)

2009年のベストセラー

この作品が2009年のベストセラーだそうである。読者というのは宣伝に弱いのか、評判に弱いのかわからないが、ベストセラーということは大衆文学だということだろう。洋の東西を問わず、ダヴィンチ・コードのようにベストセラー文学には凡庸な作品が多いようで、この村上春樹の作品もその域を出ていない。悪いところを挙げろと言われればあまりに沢山あってどこから始めたらいいのかわからない。悪いレヴューを書いている方々に大方賛成しているので、それを読んでいただきたい。この作者が文章が上手いと評している方々がいるが、上手いのではなくて平易な文体で書かれているの間違いだろう。要は漫画世代には読みやすいということだ。上手い文章を読みたければ、三島や谷崎、漱石をおすすめする。また、この作者が深いと評している方々も多いが、分かりにくい、理解できないというのと深いとは意味が違う。この作者の書いていることは、老人のマスターベーションのように気味が悪いだけだ。Book3を執筆中と聞いたが、こんな作家に金儲けさせるのはいい加減やめたらどうか。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.405
(5pt)

青豆だったかもしれない私

私は青豆のいたカルト宗教「エホバの証人」の元2世です。青豆の気持ち結構わかります。でもあんなにかっこよくストイックになんてなれないし、人を殺そうとか死んでもこわくないとか思いません。やっぱり小説はおもしろいです。村上春樹さんの神がかりかと思うほど巧みな表現力にぐいぐいと引き込まれて読みました。村上春樹さんの作品はノルウェイの森くらいしかちゃんと読んでいないし、文学を語るほど知識があるわけでもありませんが、なぜ村上さんが今この小説を書いたのかそこに興味があって、できたらご本人にそこを聞きたいと思っています。春樹さんは世界を見ている人ですし、日本も客観的に見ている人だと思います。今、この時代にこの小説を書いたことには多くの意味があるような気がします。カルトって目には見えないけど、多くの人たちの身近に潜んでいるし、精神的に多くの若者〜大人の精神をはばみ、そんなことから「引きこもり」や「精神障害」「自殺」はては「犯罪」を生み出しているのが現実だと思います。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.404
(3pt)

一キリスト者による村上春樹『1Q84』の評論。その結論は意外にも「高度な護教小説」というも

前置き:この評論は元来140文字限度のミニブログ「ついったー」にて行なったものであって、その段落のひとまとまりが、一ついーと分に相当している。
 1Q84読了。オーウェルの1984は「大きな物語」としての歴史、国家、政府、社会が、ビッグブラザーという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。ムラカミの1Q84は「小さな物語」としての小共同体が、リトルピープルという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。
 1984の世界と1Q84の世界と、その違いを象徴するのが月だ。月が2つある世界では、月が1つだけの世界とは微妙に違う歴史が進行する。月が諸物の運命を支配している、ということだろうか。ここで小生は、ハインリッヒ・シュリーアがストイケイアを「星の神々」と意訳したことを想起させられる。
 1984のストイケイア、ビッグブラザーは、全体主義国家という「単一の物語」を用いて人類を分散管理している。それに従う者は、魂の窒息と引き換えに、平凡な日常の生活を保障される。だが、ひとたびそれに背けば、過酷な運命がふりかかる。ストイケイアは禍福の神なのだ。
 
 1Q84のストイケイア、リトルピープルは、ポップカルチャーという「多数の物語」を用いて、それとは知られることなく人類を分散管理している。ところが、ある小共同体の少女が、その世界の成り立ちに関わるカラクリを、小説という媒体を通して暴露してしまうのだ。
 リトルピープルという禍福の神は、ヨリシロとなる人間の緩慢な死と交換にして「空気さなぎ」を作り出している。空気さなぎから生まれ出て来るのは、理解不可能な死か、理解不可能な他者か、どちらかだ。他者の他者性は自己の死と表裏一体、ということであろう。
 この「空気さなぎ」から生まれ出て来る他者アルイハ死は、それなくしては世界が成り立ち得ない、根源にあるところのカラクリである。人は他者なくしては、生きることができないから。人は、他者から生まれて、他者の死を看取りつつ、自己の死へと連れて行かれる存在だからである。
 人の始源が「他者アルイハ死」にあるならば、テンゴの始源である父親が生物学的父かどうかは、もはや重要でない。他者である父を看取るテンゴは、看取りの行為において、人生のベクトルを取得する。自己の彼岸にある他者から始められた自己が、他者の死を経て、自己の死に向う、というベクトルである。
 テンゴが「自己の死」へ向うベクトルを取得したとき、テンゴのための空気さなぎが静かに殻を開き始める。そこにはテンゴにとっての永遠の憧憬としての他者たるアオマメが眠っている。自己の死へ向うベクトルは、他者アオマメへ向かうベクトルと完全に同一である。他者と自己の死は同一なんだから。
 テンゴが他者アオマメに向かって生きるという実存的決断をする終章で、そのアオマメが生物学的に生きてるかどうかは、もはや重要ではない。他者イクオール死、であることのゆえに、死者アオマメは「真の他者」として、他者の他者性のうちにお隠れになっている女神的存在になっているのだ。
 準絶対他者アオマメに向かって生きるベクトルが、自己の死に向かうベクトルと同一化したことによって、死のベクトルを得たテンゴは、また、ほんとうに生きることのできるベクトルをも得たことになる。このベクトル上で、その命尽きるまで、テンゴの平凡な日常が展開され、彼は生きることができるのだ。
 
 「他者アルイハ死」から始まり、他者の死を経て、「自己の死アルイハ他者アルイハお隠れになった神としての準絶対他者」へ向かうベクトル。このカラクリを基本構造に使って、リトルピープルは「多数の物語」を語り、多数の小共同体を生み出して、人類を囲っているのである。これが1Q84の世界像だ。
 1Q84のベクトルはキリスト教のパロディーだろう。後者は、絶対他者たる神を始源とする人間が、絶対他者たる神の十字架の死を経て、お隠れになった神ソシテ再び来たりたもう神へと向かって行くベクトルである。このベクトルに生きることを自己の死へと向かうベクトルに選んだ者がキリスト者である。
 キリスト教のベクトルもまたリトルピープルのカラクリに過ぎないのか? テンゴとアオマメが1984の世界で属していた小共同体「証人会」はキリスト教の暗喩であろう。この証人会は1Q84の世界には存在しないのだ! つまりキリスト教のベクトルはリトルピープルの手の外にあるということになる。
 リトルピープルのベクトルは、キリスト教のベクトルに似ている。しかし、キリスト教のベクトルは1Q84の世界には存在しない(証人会の不在)それが1Q84の世界における終末論の希薄さの原因であろう。このことは、キリスト教のベクトルがリトルピープルのカラクリでは「ない」ことを示唆する。
 キリスト教のベクトルはだれが作ったカラクリなのか? 無神論全体主義のビッグブラザーではない。すると、どのストイケイアが作ったんでもない「ほんとうの物語」がキリスト教のベクトルかもしれないということになる。こういう読み方をするならムラカミの1Q84は高度な護教小説ということになる。
結論:「大きな物語」でもなく「小さな物語」でもない、しかし「大きな物語」をも「小さな物語」をもその根底から規定しているような「ほんとうの物語」が、1984の世界と1Q84の世界の差異分として、お隠れになってあるのである。この差異分こそが「Q」だ。
追考
 1Q84の「Q」が、1984と1Q84との差分としてのキリスト教のベクトルだとして。しかも、ストイケイア(ビッグブラザーorリトルピープル)の手によらざる「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルだとして。では、なぜそれが「証人会」という暗喩で示されているのか? 最後の問い。
 1984のストイケイア「ビッグブラザー」が語る大きな物語が提示するのは、国家、政府、社会が一体化した全体主義国家、バビロンである。メインストリームのキリスト教は、残念ながらこれに迎合して来たふしがある。古代の帝国教会、中世の教会国家、近世の国家教会、現代の体制翼賛的教会である。
 国家主義的キリスト教だと「ビッグブラザーの掌中の道具としてのキリスト教」ということになってしまう。これを回避するには、アーミッシュなどの反国家主義的キリスト教を提示すれば良いのだが、いかんせん本邦では馴染みが無い。そこで、戦前戦中の「灯台社事件」がある某団体を選んだのではないか?
 某団体が反国家主義的とは言え、現実にはその統治のシステムは擬似国家的である。また、戦中米国で行われた体制迎合方針を日本の「灯台社」の明石氏が批判して破門されているから、全くストイケイアの影無しとは言えない。そこで某団体に類似した、しかし、それそのものでない団体を描いたのであろう。
 教会は、1984が批判する世界像と1Q84が批判する世界像との狭間にあって、あの1984と1Q84との差分の「Q」である「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルを追い求めていかなければならない。それゆえ「Q」はQEDのQではない。Quest(探求の旅)としてのQである。
 キリスト教のベクトルが「ほんとうの物語」だとしても、ビッグブラザーorリトルピープルの誘惑に勝って「ほんとう」を守り続けるのは難しい。教会が暴力装置を使って住民を管理したり、精神操作を使ってメンバーを管理したり。1984と1Q84が描く「個人の魂の窒息」に加担することがあろう。
 このQuestに生きること自体がベクトルである。ワタクシという存在は、絶対他者タル神を始源とする。神を見ることは自己の死を意味する。その神が死ニタモウタ(十字架)その神がフタタビキタリタモウタ(復活)その神がフタタビキタリタモウ(再臨)その神に身を投げ向けて生きるベクトルである。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.403
(3pt)

娯楽小説家として読めば悪くない

正直に言うと今回の1Q84は過去の作品に比べて(海辺のカフカは読んでないのでそれ以外で)幾分質の落ちるものだった印象です。
たとえBOOK3、もしくはBOOK4で完結したとしても。
村上春樹は内面の混沌とした感情を表現したり、一人で思いをめぐらせ完結する流れを表現するのは非常に巧みですが、人との会話形式で感情を吐露させるような表現はそれに比べると数段質が落ちてしまうのか?羊をめぐる冒険でも似た様なパターンがありましたが今回はテーマが違っていたため雑になってたというか、そんなもんか?的な浅はかさみたいなものを感じました。
また著者が昔から拘っているものに対する描写と、そうでないものだけど登場人物の設定にしたものの描写にクオリティの差がありすぎて冷めてしまう部分もありました。
しかし上記のネガティブな条件をふっ飛ばしてしまうほどさらりとした文体と展開の鋭さは相変わらず冴えてます。
娯楽小説としてみれば十分寡作であると思います。
著者はこの作品で大きく方向転換をしたようです。
いままでは主人公「僕」が箱庭の中で物語を展開する「内に向いた」作品でしたが、今回のテーマは「愛」だったり親子関係だったり。モチーフにしたカルトやフェミニズムにも著者自身の問題提起があったのだと思います。テーマが内面から外に向かっていったようです。
そして書きたいことが沢山あるが故にどれも今ひとつ心に響かない。
フェミニズムからくる暴力やカルトの描き方には決して良い意味ではない驚きはありましたが。一つ一つの表現の質が今までの作品よりも雑に感じました。
親子関係に関しては深い部分が表現できていたと思いますが、自己愛と性愛の印象が強い村上春樹がそれ以外の愛を表現しようとしてもそれ以上に優れた表現が出来ていないというジレンマを感じました。
かなりネガティブに描いてきましたが、これだけの文字数ある小説を多くの人にさらりと読ませてしまう著者の文筆家としての力量は素晴らしいと思います。
村上春樹を絶賛する人も嫌悪する人もいますがレビューやブログの感想をみていると両方に的を得た意見があると思います。
一方盲目的に肯定したり、逆に全てを否定する人たちもいますが。
私はそんなに言うほど崇高な文学とは思えないし、毛嫌いするほど悪くない優れた娯楽小説家だと思います。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.402
(4pt)

ストーリーは別にして・・・

遅まきながら読んだ。いまBOOK3を執筆中かな。
ストーリーは1巻の最後ぐらいで盛り上がって、あとはまあ…、という感じだった。
ただ主人公の『空気さなぎ』の分析を『海辺のカフカ』と置き換えると、違う意味で面白く読めたり、物凄く文章が上手いので、どんな展開でもとりあえず面白く読めたりはした。
BOOK3を読んでみないとわからないけど、現状は過去の作品のほうがお勧めです。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.401
(1pt)

時間かかったー

読書が大好きで読むスピードも早い私ですが、
2巻で1ヶ月以上かかって無理矢理読みました。
本当に全然面白くなかった。
ノルウェイの森とか昔の作品はそれなりに面白いと思ってたんですが。
まず、登場人物の誰1人として生き生きした魅力を持ってない。
「こんなやつおらんでー」という気持ち悪いナルシストの登場人物ばっかり。
誰にも愛着が沸かないので物語に入り込んで読み進みたい気持ちが沸かない。
物語自体も半分以上意味不明でひきつけられない。
村上氏が何か伝えたいことを持っていて
それを暗示的に表現しているんだということは感じるが、
読者がその意味を理解できないのではただの作者の独りよがりだと思う。
無意味で無駄な修飾文も昔よりひどくなっていてぞっとした。
性的な文章の多さと表現の仕方にも吐き気がした。
もう村上氏の作品を読むことはないだろう。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.400
(4pt)

「コミット」できないディテール

一言でいえば、「魅力的な物語だが、違和感の残るディテール」といったところか。
「わかりやすさ」を狙った設定、「わかりにくい」展開。
「ハードボイルド」なプロット、「ロマンチック」なキャラクター設定。
「小さな」悪と「小さな」善による、きわめて個人的な歴史の数々。
なぜ、平家物語の長い引用が必要なのか?
なぜ、クラシックやジャズのウンチクをここまで散りばめる必要があるのか?
なぜ、登場人物たちは突然「失われて」いくのか?(まるで書きながらプロットが彷徨う連載小説のように)
ミステリーとしての要素は手堅いのだが、「ノルウェイの森」のような純愛路線と村上春樹らしくない性愛描写のバランスには違和感が残る。(無理して愛を語り、無理してセックスを語っているような印象を受ける部分が垣間見られる。)
良く言えば、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「アンダーグラウンド」「ロング・グッドバイ」(チャンドラーの翻訳)…。
これまでの村上ワールドの数々を融合した作品、ともいえるのかもしれないが、最近、熱心な読者ではなかったこともあって、この作風とディテールにはうまく「コミット」できなかった。
村上には、もう語るべきモチーフがないのだろうか?それとも、この魅力的なキャラクター(大切なことだ)たちに託したい、もっと壮大なテーマの序章に過ぎないのだろうか?
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.399
(4pt)

Part 3、どうなるか??

Part 1を手に取りすぐに各章のタイトルをチェック。すると、村上ワールドらしい興味を引かれる題名が並んでいてわくわくしました。素人の私が言うのもなんですが、村上さんの文章に益々磨きがかかったように感じます。謎ばかりが残って、、、というご不満の声もあるようですが、少なくとも言葉は選び尽くされて書かれていると思います。名台詞も多い!読み進むにつれて物語に深みが出てきて、ひとつひとつの言葉に重みが増し、吟味して読みました。これって、自我の追求の物語であり、純愛小説的でもあるんだと思います。しかし、性描写には確かにうんざりさせられました(女性の胸のことが繰り返し出て来たのには苛つきましたよーー)。それから、「証人会」というのは実在の某宗教団体をモデルにしていると思われますが、作中で「カルト」とされているのはそのモデルとなった教団の信者の人にとって失礼じゃないでしょうかね。私が大好きなPrinceもその信者なんですけど。
とにかく、どういう展開になるのかPart 3の発売が待ち遠しいです。
<素朴な疑問>
青豆さんの下の名前は何?
天吾君の傍にいるふかえりはマザなのか、ドウタなのか?
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.398
(4pt)

まだ終わらないよ

 我々はなにをもって「真の現実」とするか、その絶対的な根拠に窮する。
ニーチェは「かつて神はあったが、いまはいない」と言う。かつて神があった時代には現実と非現実、内在と超越の境界は極めて明瞭であった(あたかもそうかのように生きられている物語という意味合いにおいて)。
 作者は現実とそうでないものを峻別するために「二つの月」を召喚する。「二つの月」それ自体に深い意味はない。あくまで境界を引くための便宜として呼び出される。それによって青豆は自らが今まで生きていた世界が「実は現実」だったということを知る。しかし、これは・・・・いわゆる「並列する世界」の話ではないのだ。それがこの物語を複雑怪奇なものにしている。どうやら「すでにあった私たちが知るとこのあの世界はどこかで途絶えてしまった」らしい。青豆にとっては・・・という留保がついてのことだが・・・。これは由々しき事態である。コインの表と裏のように、ひっくり返されてしまったというべきか。望むと望まないにかかわらず。しかしコインはまた裏返せば良いのだ。しかしそれは青豆の望むところではない。彼女は自らの生命と引き換えに逆説的にこの「二つの月の世界」で生きることを選択する。少なくとも私にはそう見えた。彼女は死んではいない。
彼女にはまだ天吾を救うと同時に自分も生きようとする計算的理性が残っている。いや少なくともどんな形にせよ邂逅できる筈だと信じている。執拗な追っ手に捕まるまではいくらかの猶予がある。その間には色々な可能性や余地が残っている。それは彼女をもう一度強くする時間かもしれない。もし彼女の目論見が成功するならば、それはリーダーの不吉な予言が成就しないことを意味する。足元からシステムが瓦解していく。均衡が再び乱れる。それは新たな物語の始まりの徴だろうか・・・。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.397
(4pt)

一気に読めました

色々なエッセンスが入っているので、感想もなかなかまとまりません。
オウムの事件とか、9.11とか、起きてしまったこととして認識していることが、あるふとしたきっかけで起こらなかったかもしれないし、別の形で何かが起こっていたかもしれない・・・そういう大きな転機を左右する物とはいったい何なのだろう・・・。というのがこの物語の問いかけで、読者に与えられたQuestionなんですよね。本の中に回答はありませんが。
続編が出るんですね。。。。これで完結でも十分だと思いますが・・
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.396
(4pt)

彼岸と此岸の描き方が産んだ長所と短所

春樹さんの本は20年来翻訳も含めてほぼ読了しました。
今回の新作、とても楽しみに手にした次第です。
さて、このBOOK 2。
こちらも、いい点・残念な点が混在しているように感じます。
いい点
彼岸側(教団)の姿が示されることでの「謎」の提示。
残念な点
彼岸と此岸を対比させるための描写が過多気味。
いい点と残念な点は表裏一体ですからこれだけでは本書を評価できません。
ただ、BOOK 2を読みつつ「なにか落ち着かない感」を感じていました。恐らくは…
『世界の終りと〜』の整理なされてない感(短所と感じられる方もいるでしょうが)
『ねじまき鳥〜』の歴史的事実に根ざした重厚感
それぞれがともにこのBOOK 2では十分に感じられないからでしょうか。
しかし、『ねじまき鳥〜』の時のことを考えると
恐らくはBOOK 3でとんでもなく読者の予想を裏切る展開があるはずです。
そこにとても期待していますし、楽しみにしています。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.395
(4pt)

彼岸と此岸

春樹さんの本は20年来翻訳も含めてほぼ読了しました。
今回の新作、とても楽しみに手にした次第です。
さて、このBOOK 1。
いい点・残念な点が混在しているように感じます。
いい点
春樹さんらしい読みやすい文章。ご本人がいうところの「文体力」がさすが!
青豆の奔放なキャラクターとその描写で読み進めさせる点。
残念な点
春樹さん永遠のテーマである「彼岸と此岸」の描き方が浅い? 整理されすぎ?
残念な点については、どうしても『世界の終りと〜』や『ねじまき鳥〜』の
重厚感(あるいは整理されてない感)と比較してしまいたくなっただけかもしれません。
彼岸と此岸が本書では「青豆」章と「天吾」章、
「教団側」と「老婦人側」など複層的なのはわかりますが…。
ただ、村上春樹ファンを喜ばせる種があちこちにまいてあるのはやはりうれしかったです。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.394
(2pt)

がっかり

今まで読んだ村上春樹の中で、一番がっかりかなぁ。
読み始めはとってもおもしろく、後半は失速する一方。
構成からどうしても「世界の終わり〜」と比べることになるけれど
比較にならないほど「世界の終わり〜」がおもしろかった。
話がどんどんどんどん膨らみ過ぎて、いつの間にかほったらかしにされる事象が多く、
結局「なんだ、この程度の厚みだったの?」という感じ。
今までの村上春樹に免じて、続編に少しだけ期待することにします。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.393
(5pt)

真実の愛を見つけたとき、人は・・・

これが自身の 初、村上作品で これが村上春樹ワールドかぁ、という気分です。
メインテーマから外れるかも知れませんが、読書後、わたしの中に残ったものをレビューします。
男女ふたりの主人公はそれぞれ、世間一般の人は縁がないような
過去や職業、日常を抱えて生きる、希有の人です。
でもふたりが希有の人である理由は、そんな表面上のことではないと思います。
10歳のころ、ふたりが手を握り合ったとき――
青豆は、天吾の心か身体の一部を持って行ってしまった。
そしてそのかわりに、彼女は自分の一部を彼の中に残していった。
ほんのみじかい間の、たいせつなやりとり。(一部文中抜粋しつつ・・)
真実の愛、というと非常に安っぽいですが、
このやりとりがその後のふたりの人生に無意識に、でも強く強く影響しています。
一見、刹那の快楽に酔いつつ、自分への関心もなくただ生かされているように思える二人。
でも奥底には真実の愛であり、生に支配されているからこそなのです。
その人でないとだめ、その人以外は本当には愛せない。
孤独が付きまとう生き方ですが、そんな愛を見つけた人は、本当に幸せで、無敵なのでは、と思いました。
だからふたりは、別々の道を歩いていながらも強く生きられるのです。
世の中に、何人、こんな愛を見つけられる人がいるものか・・・。
(恋愛に限ったことではないですが)小手先の愛情ごっこに惑わされることなく、
少しでも、青豆と天吾の間にある愛に近いものを自分も見つけたい、と思いました。
(恋愛については焦る必要はないのだ、と自分に言い聞かせつつ)
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.392
(4pt)

期待を膨らませて・・・

予約の情報を知り、是非読もうと思った。
マスコミでの取り上げ方も、期待を煽り上げた。
やがて書店での売り切れ報道、また、山積み展示。
ブームは確実に起こっていた。
いつか読もうと思い、その前に読んでおこうと、『海辺のカフカ』『ノルウェイの森』『ねじまきクロニクル』を読んだ。
やっと、ブームは静まり始めた。
満を持して『1Q84』を手に取り開いた。
私は1949年生まれ、村上春樹氏と同世代だ。1968〜72年、学園紛争の中を潜り抜けてきた。
「文学は現実からの逃避だ。」と激しく思っていた。
1984年は社会生活に踏み込んで、10年目。子供も二人儲けていた。
家庭生活に、目の前の仕事に、私自身逃避していた。
「文学は現実からの逃避だ。」とそれでもまだ思っていた。
『海辺のカフカ』『ノルウェイの森』『ねじまきクロニクル』を読んで、私は後悔した。
出会う時期が遅かったと、60歳という定年の年に出会ったからといって、この成果をもう還元できる機会はほとんどない。それらを読みながら、心を震わされながら、自分の少年期、青年期、壮年期を振り返ることができた。すばらしい時間を費やすことができたと思う。
「文学は現実への誘いだ。」と悔恨しつつ今そう思う。
「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」
この言葉を胸に刻んで、村上春樹氏の今後の作品にも期待したい。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.391
(4pt)

1974

村上春樹には、このような殺し屋の女がでてくるような小説を期待していない。だから、面白いことは面白いし、この作家には珍しくハラハラするところもあったが、、、いたって普通・・・
『ダンス・ダンス・ダンス』みたいのが読みたい。心からそう思う。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.390
(2pt)

これが「村上春樹」なの????

私は初めて村上春樹さんの本を読みました。
で、読み始めて一番に思ったのがタイトルの言葉です。
そうなんだとしたら、なんともクドイ。
やたら説明?が多くてなんだろう・・・ とにかくクドイ。
そしてどなたかも言われてましたけど
性描写がエグイ・・・・・・。
官能的な性描写ならまだしも・・・ ひたすらエグイ。。。
基本的に本って、一晩かもしくは二晩で読み上げる私も
この本にはかなりの時間、日数を費やしました。
そこまで先が気にならない。
でも、買ったからには読まなきゃもったいない(?)し・・・
そんな義務感から読みましたが・・・・
二度と村上さんの本を買うこと(読むこと)はないでしょう。
もちろん、Book2を購入することも
ナシ!! です。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.389
(1pt)

「世界の終わり〜」を引き立てるための本

同じ長編で、そして二つの物語が交互に進行するという共通項を持つ「世界の終わり〜」の方が断然いい。
「1Q84」を読む暇があれば「世界の終わり〜」を読むことをお勧めする。「1Q84」は「世界の終わり〜」を引き立てるための本といっていい。
ちなみに「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は秀作である。
「1Q84」と比較してもそのことがよくわかる。「1Q84」のことを高く評価している人はおそらく「世界の終わり〜」を読んだことがないのでしょうね。両者を読み比べると秀作と駄作の違いがよくわかると思います。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.388
(2pt)

小説として幾つかの「瑕疵」を抱えているような気がする。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が618頁。
それに比し、本書は1,2巻合わせて1,055頁。
“饒舌”が、ある意味での村上ワールドを醸し出していることを割り引いても、長すぎる。
その饒舌に辟易しながらも、とにかく一気に読んだ。読んではみたものの、どこか、あと味のすっきりしないところが、いまだ残る。
同じパラレルワールドの形式で進むが、あと味と云う点においては圧倒的に、「世界の終り・・・」に軍配が上がる。
そもそも今回の「1Q84」、
青豆をして、暗殺者に仕立てんとする老婦の、 “取って付けたような動機” に始まり、小説として幾つかの「瑕疵」を抱えているような気がする。
青豆と天吾の二人に重なる心象世界。 悪くはないのだが、いささかの無理を感じる。
フィクションであるのだから“非現実”の世界を描くのはよい。 月が二つある世界があってもいい。
然し、たとえそれがSFであれ、ファンタジーであれ、ある種のリアリティーとか実感と云ったものが伴わないものは小説としての要件を満たさないと思うし、読む者の共感も呼ばないようにも思う。
加えて、度を超えてエクセントリックな青豆の言動。 村上春樹が描くには、そもそも不似合いな人物像であったように思う。
それが為か、小説にとって大切な「あと味」にまで、青豆の奇矯な影を落としているような気がする。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.387
(3pt)

面白い、読みやすい、が。

中学2年生が考え出しそうな、安易な人物設定が目立つ。
お金持ちは、株で大成功。
ボディーガードは、ゲイの元特殊部隊員。
男主人公は、元数学の天才児。
女主人公は、必殺仕事人。
秘密少女は、片言にしか喋らない。
もうひとつ。 本当に あそこまでの性描写は本当に必要だったのだろうか?
本書では、女子高生・婦警・人妻・熟女・幼女がレズ・複数・アナル・SM・幼児プレイ・近親相姦を繰り広げる。
「村上春樹」の本は万人が読む。
保護者なりは、上記の性描写が含まれていることを了解した上で購入するようにしたい。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222