ノルウェイの森

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評判

ノルウェイの森の評価:

3.82/5点 レビュー 818件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.82pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1,951件 301〜320 16/98ページ
No.1651
(2pt)

装丁がとても良かった。

何十年も前、村上春樹の名前も知らなかったが装丁だけで単行本の初版を買った。
当時は冒頭を少し読んでから飛ばし読みが始まり、結局、途中で投げ出して終わった。
暫く期間をおいて読めば最後まで面白く読める事もあるかもと思ったが、
それすらも忘れて、そのあとの長い期間は二度と読まなかった。
そして、最近、映画を知り見た。(映画はだいぶ前に作られていたのだったが)
映画は短時間なので最後まで見れたがやっぱり何も理解できなかった。
この作品は小説も映画も自分には無理だった。
村上春樹の名声は大きいが、誰が書こうが、この作品は自分には無理だ。
村上春樹に限らず古典や歴史的評価や各種受賞は個人の嗜好とは全くの別次元だ
と、いつもながら当たり前のことを感じた。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1650
(5pt)

村上春樹の強み

ストーリー云々を超えたところにえもいわれぬ魅力がある。
これが村上春樹の強みだと思います。
もはやテーマすら超えたところに魅力がある、と言っても良い。
魅力の要素を分解していくと
ほどよくミックスされた常識と非常識、読みやすいキャッチーな文体。
ほどよくご都合主義な性体験描写。ほどよい胸キュン。
そして重要なのが、コンプレックスと哀愁。
これらをバランスよくミックスし、「はいあなたは今文学読んで理解してます」っていう体験をすらすらと提供してくれる。
最初の数ページとかほんと天才的なキャッチーさです。
こりゃ売れるわ。(でも翻訳されて言語を超えて売れ続けてるのは謎)
私が初めてこれを手にしたのは18,9の頃でしたがいやーやられましたね。
最初の数ページで。ほんとうにやられました。
そもそもそれまでの読書体験があまり豊ではない者にとって文章でここまでやられるというのは
その後村上春樹作品を読み漁るというきっかけとしては十分すぎるほど十分なわけです。
いまでこそ、ああこれが村上春樹の商法の発祥か・・・という感じでそこそこ冷静に読めますけど。
いやほんと、稀代の小説家の快作です。たいしたもんだ。
(読後感がよろしくないなどの感想が散見される中で「快作」というのもすみませんが)

どうでもいいけど永沢先輩は「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田くんですよね。
作中で彼は五反田くんとは違う結末を迎えることになるわけですが、
それでもこの物語の後のことまではわかりません。
あとやっぱり早稲田が舞台なのでなんともいえない哀愁がある。
これが東大とかマサチューセッツ工科大学とかなどであればなかなかそうもいかなかったことでしょう。
バックグラウンドをフルに活かしてる。うまいもんだわ。
なんというか諸々を考慮し★は3つかなと思ったのですが
再度諸事情を考えて★は5つにしておきます。
その部分だけを言えば大抵の作品は★10個にしてもいいくらいです。
というか無神経に★とかつけていいものかどうか・・・工業製品じゃないんだから。

余談ですが、映画化されたのはいつぐらいでしたっけ?
調べればわかるけどあえてそこまではしません。
観ようと思って映画館まで行きましたけどチケットを買って入場後、
待ち時間に原因不明の吐き気に襲われあえなくおう吐。
映画どころでなく帰宅してしまったのでそれきり観ていないです。
風邪でもなくお腹を壊していたわけでもなく、家に帰って寝たら治りました。
DVDねぇ・・・そういう方法もありますけど、なんとなくそんな気分でもないんですよね。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1649
(1pt)

一分で分かるノルウェイの森のあらすじ

※事実とは若干異なります

親友が突然自殺した。そいつの彼女(直子)が残ったので、勢いsex。
でも直子はメンタルで施設に入った。
よく分からないけど、直子は大事な女性だ。
とりあえず大学に入ったので、ナンパしてsexしまくった。好きでもない女とsexするのってむなしい。
大学で、ミドリって言うへんな女と知り合った。俺には直子がいるし、ミドリにも彼氏がいるのでsexはしない。
時々、直子の施設に行って手コキとかしてもらってるから満足。そしたら、突然に直子が自殺した。悲しいから旅に出る。
帰ってきたら直子の世話係のババアが俺んちに来た。とりあえず、sexした。
そーしたら、何もかもふっきれた。もう、必死にミドリとsexしにいく。
ミドリ「落ち着け猿」

終わり

自意識高いナルシスト男が性欲だけは強く「虚しい」と自分の世界に浸っている気持ち悪さしか残らない。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1648
(2pt)

装丁がとても良かった。

何十年も前、村上春樹の名前も知らなかったが装丁だけで単行本の初版を買った。
当時は冒頭を少し読んでから飛ばし読みが始まり、結局、途中で投げ出して終わった。
暫く期間をおいて読めば最後まで面白く読める事もあるかもと思ったが、
それすらも忘れて、そのあとの長い期間は二度と読まなかった。
そして、最近、映画を知り見た。(映画はだいぶ前に作られていたのだったが)
映画は短時間なので最後まで見れたがやっぱり何も理解できなかった。
この作品は小説も映画も自分には無理だった。
村上春樹の名声は大きいが、誰が書こうが、この作品は自分には無理だ。
村上春樹に限らず古典や歴史的評価や各種受賞は個人の嗜好とは全くの別次元だ
と、いつもながら当たり前のことを感じた。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1647
(5pt)

村上春樹の強み

ストーリー云々を超えたところにえもいわれぬ魅力がある。
これが村上春樹の強みだと思います。
もはやテーマすら超えたところに魅力がある、と言っても良い。
魅力の要素を分解していくと
ほどよくミックスされた常識と非常識、読みやすいキャッチーな文体。
ほどよくご都合主義な性体験描写。ほどよい胸キュン。
そして重要なのが、コンプレックスと哀愁。
これらをバランスよくミックスし、「はいあなたは今文学読んで理解してます」っていう体験をすらすらと提供してくれる。
最初の数ページとかほんと天才的なキャッチーさです。
こりゃ売れるわ。(でも翻訳されて言語を超えて売れ続けてるのは謎)
私が初めてこれを手にしたのは18,9の頃でしたがいやーやられましたね。
最初の数ページで。ほんとうにやられました。
そもそもそれまでの読書体験があまり豊ではない者にとって文章でここまでやられるというのは
その後村上春樹作品を読み漁るというきっかけとしては十分すぎるほど十分なわけです。
いまでこそ、ああこれが村上春樹の商法の発祥か・・・という感じでそこそこ冷静に読めますけど。
いやほんと、稀代の小説家の快作です。たいしたもんだ。
(読後感がよろしくないなどの感想が散見される中で「快作」というのもすみませんが)

どうでもいいけど永沢先輩は「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田くんですよね。
作中で彼は五反田くんとは違う結末を迎えることになるわけですが、
それでもこの物語の後のことまではわかりません。
あとやっぱり早稲田が舞台なのでなんともいえない哀愁がある。
これが東大とかマサチューセッツ工科大学とかなどであればなかなかそうもいかなかったことでしょう。
バックグラウンドをフルに活かしてる。うまいもんだわ。
なんというか諸々を考慮し★は3つかなと思ったのですが
再度諸事情を考えて★は5つにしておきます。
その部分だけを言えば大抵の作品は★10個にしてもいいくらいです。
というか無神経に★とかつけていいものかどうか・・・工業製品じゃないんだから。

余談ですが、映画化されたのはいつぐらいでしたっけ?
調べればわかるけどあえてそこまではしません。
観ようと思って映画館まで行きましたけどチケットを買って入場後、
待ち時間に原因不明の吐き気に襲われあえなくおう吐。
映画どころでなく帰宅してしまったのでそれきり観ていないです。
風邪でもなくお腹を壊していたわけでもなく、家に帰って寝たら治りました。
DVDねぇ・・・そういう方法もありますけど、なんとなくそんな気分でもないんですよね。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1646
(5pt)

村上春樹作品初心者でも読める本

村上さんの作品が大好きで全て読んでいます。
私のノルウェイの森の印象は、村上春樹さんの作品にしては、わかりやすいな、と思っています。
おそらく、私が理解している以上の裏側や伏線があるとは思いますが、大筋はラブストーリーで理解がしやすいです。
村上春樹さんの作品で、何を最初に読んだらいいか、と言われたらまず、ノルウェイの森をおすすめしています。
時を経て、何度も読み返したくなる本です。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1645
(2pt)

長い独り言のような小説

昔、読んで、今英語の勉強にと英語バージョンを読んでいる。そして当時熱狂したものはなんだったのかと唖然としている。
まるで長い独り言のよう。登場人物がそれぞれ独り言をつぶやくだけの小説。
面白いのは、作者のねちっこい描写が、英語になると実に淡泊になること。
これじゃノーベル賞なんてとれるわけがない。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1644
(5pt)

村上春樹作品初心者でも読める本

村上さんの作品が大好きで全て読んでいます。
私のノルウェイの森の印象は、村上春樹さんの作品にしては、わかりやすいな、と思っています。
おそらく、私が理解している以上の裏側や伏線があるとは思いますが、大筋はラブストーリーで理解がしやすいです。
村上春樹さんの作品で、何を最初に読んだらいいか、と言われたらまず、ノルウェイの森をおすすめしています。
時を経て、何度も読み返したくなる本です。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1643
(2pt)

長い独り言のような小説

昔、読んで、今英語の勉強にと英語バージョンを読んでいる。そして当時熱狂したものはなんだったのかと唖然としている。
まるで長い独り言のよう。登場人物がそれぞれ独り言をつぶやくだけの小説。
面白いのは、作者のねちっこい描写が、英語になると実に淡泊になること。
これじゃノーベル賞なんてとれるわけがない。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1642
(5pt)

村上春樹作品初心者でも読める本

村上さんの作品が大好きで全て読んでいます。
私のノルウェイの森の印象は、村上春樹さんの作品にしては、わかりやすいな、と思っています。
おそらく、私が理解している以上の裏側や伏線があるとは思いますが、大筋はラブストーリーで理解がしやすいです。
村上春樹さんの作品で、何を最初に読んだらいいか、と言われたらまず、ノルウェイの森をおすすめしています。
時を経て、何度も読み返したくなる本です。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1641
(2pt)

長い独り言のような小説

昔、読んで、今英語の勉強にと英語バージョンを読んでいる。そして当時熱狂したものはなんだったのかと唖然としている。
まるで長い独り言のよう。登場人物がそれぞれ独り言をつぶやくだけの小説。
面白いのは、作者のねちっこい描写が、英語になると実に淡泊になること。
これじゃノーベル賞なんてとれるわけがない。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1640
(5pt)

ハルキ流の恋愛小説

村上春樹 ノルウェイの森 感想文

まず、この物語はドイツ行きボーイング747機のシートに座っている「僕」が、着陸時に突然流れてきたビートルズの「ノルウェイの森」のメロディーに混乱させられるシーンから始まります。
スチュワーデスが心配して声をかけるが、「僕」の頭の中は、今までの人生の中で失った多くのもの、時間・死にあるいは去っていった人々・戻ることのできない想いが駆け巡っています。
今は37歳、20歳前後の頃の記憶をようやく頭の中で整理ができるところまで生きてきて、なんとか文章として書けるようになっています。
「僕のことを愛してさえいなかった」という直子。当時の情景は鮮明に記憶していても、直子の部分だけは実像を捉えるのに時間かかかるという。あまりにも複雑な感情がその記憶の再生を邪魔しているという事になるのでしょう。

直子は「僕」の高校時代の親友キズキの恋人で、僕と恋人同士の直子・キズキはそれぞれ三者一体の親密な関係を築いていて、その関係はまずキズキが何も言わずに自殺してしまう事により消滅し、「僕」と直子が取り残された形になります。
「僕」も直子もキズキの死による大きな傷を持ち続けたまま生きていくのですが、偶然に「僕」と直子は出会う事になり、そこから出口の見えないどんよりとした厚雲の中に迷い込んでいくことになります。

直子はガラス細工のような繊細な感情をもっていて、しかも常にキズキの死という影を内に抱えている女性で、「僕」はそんな直子に恋をしてしまいます。
思うように発展しない恋ですが、「僕」はそんな中、直子とは正反対のタイプの緑と出会います。
物語はその三人を取り巻いて発展していきますが、直子と「僕」・緑と「僕」の恋愛の場所はそれぞれ対極の位置(別の世界
)に存在しながら、それぞれに絡み合い、影響を与え「僕」は暗く厚い雲の中でもがき苦しむことになります。
全ての出来事を受け止め、なんとか踏ん張ることができるのですが、歩んでいく道はまだ途中なのです。

物語には結論じみたものはなく、はっきりとした道筋を示しているわけでもなく、一つのテーマで締めくくることは出来ません。
そして、一貫したメーセージというものも見とれませんでした。
理由として挙げられるのは、恋愛においては緑の気持ちは描かれていても、直子の気持ちは副次的なものしか描かれていないし、
生と死においても、生きる方の行為は描かれていても、死の方は結果しか書かれていない事です。
帯文に書かれている、喪失と再生の物語という言葉があたりさわりのない表現だと思います。
このことはつまり、テーマを示しているのではなく、「僕」が通ってきた場所へ読む側を連れていってくれる物語ではないかと考えます。
どのような小説かと問われても一言では言い表せない、一つの出来事についての納得はできるが、全体を通しての物語の方向付けはとらえにくい。
多分、村上春樹は物語で何かを伝えるのではなく、僕のあの時あの場所での出来事、出口の見えない厚い雲の中での僕の通ってきた道を伝えたかったのではと思います。

作者においては、読者にそこのところを物語の中で共有してもらうことが一番のご褒美になるのかもしれません。
人はそれぞれ影響しあって歩んでいくのだが、死というもは究極のものである。他者の中に永遠に生き続ける。生きていく人はそれをしっかりと受け止め、所有し前へ進まなければならない。
唯一、メーセージとして受け取るとしたら、そうなるのではないかと考えます。

話の流れに沿って、感じたことを書く前に登場人物の性格付け(ある意味分類)を行いたいと思います。

☆語り手「僕」 ワタナベ 
相手の気持ちに対して考えることよりも、自分の気持ちの通りに行動してしまう。
自分では気付いていなところであり、回りはそのことで傷ついたり、誤解したりしてしまう。
納得がいかない行動はしない。(よく言えばしっかりとした自分というものをもっている)
あまり他人のことは気にならない。

☆キズキ
自分の世界を持っていて「僕」の無二の親友だった。高校の時に突然自殺し僕と直子に暗い影を残す。
自殺した理由は描かれていない。

☆直子
死んだキズキの幼なじみでもあり、恋人。キズキの死により精神的に苦しんでいる。
とても繊細な心の持ち主で、相手の気持ちに影響されやすい。
姉が自殺している。

☆緑
直子とは対極のような性格。自分のやりたい事は躊躇なく行動をおこす。
ストレートに自分の感情をだし、言葉にする。

☆レイコさん
過去に精神を病んだ経験があり、未だに世の中に出てみることに足踏みしている

☆ナガサワさん
自分の行いには正当性を確信していて、自分の事しか興味がない生き方をしている

☆ハツミさん
母性的なものを持っている。
不幸にもナガサワと出会い最終的に命を絶つことになる。

この小説のモチーフを理解するには語り手である僕をどうとらえるかがとても重要になると考えます。
その「僕」という人間の捉え方により、物語から伝わる印象もかなり違ったものになるからです。
そこで、僕の資質というか性格付けを決める材料として以下の文面を取り上げます。

ナガサワは「僕」のことを゛本質的に自分の事しか興味がない人間で自分が何を感じ、自分が何を考え、自分がどう行動するのかという事しか興味がない男゛だと言う。そして自

分と同類だという。「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないところなんだ」とも。
「僕」はハツミさんに対してそれは違うと言います。
「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。誰にも理解されなくていいと思っているわけじゃない。理解い合いたいと思う相手だっています。ただそれ以外の人々にはある程度理

解されなくても、まあこれは仕方ないだろうと思っているだけです。あきらめているんです。・・・」と返しています。
ここの部分にナガサワと僕との違いが示されていると思います。
「僕」は他人からの理解をあきらめていて、ナガサワは信念として理解を求める行為はしない。
見た目は同じように見えるかもしれないが、本質的には大きな違いです。
「僕」は自分に関わる物事に正面からうけとめ、自分の気持ちに正直な答えを出す努力をしたと、個人的には受け取りました。少なくとも、逃げたりごまかしたりはしていないと。
(その正直という言葉の意味は人それぞれだと思いますが)

上記で示した物語の中の一人称で書かれている「僕」という人物像は゛村上春樹が自分の分身である゛という気持ちで書かれていると感じてしまいます。
そういうふうに考えると、「僕」の捉え方を作者と共有して読まなければ物語に入り込むことは難しくなります。

物語を読み、印象に残った部分に入っていきます。

最初の頃の章で野井戸の話がありますが、直子は「自分がこの世から消えてなくなるけれど、自分の事を「僕」に記憶として残していってね」とお願いをします。
後の直子の手紙で「公正」という言葉が何回も書かれている所が出てくるのですが、直子は自分の存在の意味を常に考えていてそのこと(公正さ)に捕らわれていて苦しんでいる

のだと感じました。
常に自分に公正さを求めているのです。
つまり、キズキの死からは立ち直ることも出来ず、どんどん闇の方へと引き込まれて行くのです。
そこから思うのは、死に行く人は最初からそういう運命の中にいるのではと。
二人は出会うべきではなかったのです。
直子の本当の気持ちというものは物語からはっきりと読み取ることは難しいのですが、感じ取ったのはそんなことです。。

資質という部分で振り分けると、直子と僕は正反対のものを持っています。本の中で書かれている言葉で示すと向こう側とこっち側。
直子の気持ちが変化したのは、「僕」と直子が関係を持った時点、本当の理由は描かれいませんが、「僕」との一回の行為が直子の中での整合性を崩してしまったのかもしれないと考えます。

関係を持つことで話をリアルなところにもっていっているが、よく考えて見ると現実的にはありえない行動が多々書かれています。
そのありえない行動をリアルに見せるために、性行為のリアルな描写を用いているのではと考えてしまいます。
物語を実際的な場所に置いておくための書き方なのか。
表現の代用としては手をつなぐとか、抱きしめるとかでも可能なのかもしれないが、もっと生々しいものにしたかったのではないかと考えます。
違和感を感じる読者もいるはずと作者も考えたと思いますが、そのマイナスの部分をも飲み込むほどの効果を狙っていたのではないかと。
さらに言うと、喉ごし良すぎるすぎる物語よりも、ごつごつとした喉ごしに抵抗のある物語にしたかったのではと。
読んだ時にインパクトを与えるという意味では、間違ってはいないところだと思います。(少なくとも、平凡な文章にまとまってはいないということは言える)
もう一つの捉え方として、SEXという行為は、理屈ではないもの・実際的なもの・現実的なもの・確かなもの・気持ちの底の部分を確認できる行為。 と認識して、この小説を読んでいかなければならないのかもしれません。

直子はキズキと性交ができなかったことについて自分の中で答えができていないのに、「僕」とあの時はできたという事実があります。
直子は自分の中にキズキとの愛の正当性に疑問を持つことになったのでは(公正という部分においても)と感じるところがあり、キズキが死んだ後では、直子の中の愛の形は変えようがなく、そこに矛盾を感じているのではないか。
あの時のキズキとの愛はまともなものではなかったという事になり、それを否定することは苦しかったに違いないと思うのです。
直子は自分に対しても信頼を無くしていくことになります。
キズキとの愛は正当なものではなかったことを受け入れることができず、自分という存在意義がわからなくなってしまいます。
直子はあの時点にとどまったままで、前へ進めないでいるのです。
向こう側からの脱出はかなわないことなのかも知れません。

あの日の行為は、直子は間違ったものとしてとらえていきます。しかし「僕」は愛として昇華させたい。
このことから言えることは、その行為が二人の突き進んでいく方向性を示しているものとすれば、その方向はそれぞれが逆向きという事になります。
理屈ではなく、動かせない、誤魔化すことのできない感情が伴います。
そんなときに、緑という女性に出会い、物語を更に複雑にしていきます。゛その恋はひどくややこしい場所(冒頭の文章)゛に僕を運んでいきます。
緑との出会いが直子よりもは早かったら、出会いの順序が逆だったらとつい考えてしまいます。

この小説に書かれているのは、やっかいな恋愛物語です。
「僕」が直子に持つ恋愛感情は単純なものではなく、キズキからの傷を共有している者どうしのものであり、そこから直子を救い出したいという感情と絡み合っています。
この物語の中での恋愛の部分は片方の気持ちははっきりとは描かれていません。
直子と「僕」の恋愛は直子が不明。 緑と「僕」の恋愛は「僕」が不明。
片方の気持ちははっきり書かれていて、もう片方は明確ではない。
それは物語に簡単な筋を通させないことで、読む側のふくらませていける部分を設け、読者の気持ちを引き付けているのではと考えます。
 
読者に筋を明かさず、限定させないというのは、、興味を恋愛の謎解きではなく、登場人物の苦悩の部分の感触として植え付けようとしている。
お互いの気持ちを描いてしまうと話を限定的なものにしてしまい、物語を読み手にもっていかれると。
村上春樹は恋愛の解釈ではなく、読者にこの壮絶な話を疑似体験させるところへ持っていくことを狙っていると考えると、腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。 
作家の計算だとしたら、そういう事になるのかも知れません。

・僕と緑は現実の世界でに地に足をつけて生きている。
・キズキと直子はそれとは別の世界に身を置いている。
・僕と直子の恋愛は特異なもの
・僕と緑の恋愛の場は自然なもの(自分に正直な、偽りのない愛)

この四つのキーワードでこちら側と向こう側に並んで位置しているという構図が見て取れます。

☆僕」のセリフ 「君のこと大好きだよ」「心から好きだよ。もう二度と放したくないと思う。でもどうしようもないんだよ。今は身動きができないんだ。」
「僕にわかっているのは、それがある種の人間としての責任であると言事なんだ。そして僕はそれを放り出すわけにはいかないんだ・・・たとえ彼女が僕を愛していなくても」
☆緑のセリフ 「ねえ、私は生身の血の通った女の子なのよ」

物語の後半は緑と「僕」は実体のある恋愛と、実体のない恋愛のはざまで、大きく揺れ動いていきます。
この時、「僕」は緑を心から愛していることに気づき、それと同時に直子のことも愛していることを確認します。
「いったい自分はこれから先どうなっていくんだろう」
この時すでに自分の気持ちに正直になろうと「僕」は決心しています。

「僕」がその複雑でややこしい場所にある恋愛で身動きが取れなくなり迷宮の中を漂っているとき、直子の死の知らせが届きます。
そして、「僕」はすべてを放り投げて、さ迷いの旅へでます。
旅の中で、「死は生の対極にあるのではなく、我々生のうちに潜んでいるのだ」という言葉をキズキの死の時に学んだけれど、愛する人の死の哀しみからは、到底そういう真理と

かいう言葉で癒されるものではないと悟ります。

直子は死んでしまったけれど、僕の中で永遠に生き続けるのだろう。
直子との恋愛は始まりのあと、終わりがないままでいきなり時間が止まったままになり、死だ者は死んだ時のままの状態で生きていく者の心の中に存在す事になります。

直子はこの世からいなくなるが、それは事実であり運命として受け止めていくしかありません。
誰のせいでもないし誰も責められるべきではないのです。
結局、直子はキズキの呪縛から逃れることはできなかったことになります。
死と生をさかいに、こっち側と向こう側、こっち側に残された人は現実をしっかりと受け止めて生き続けるしかない。
自分がしてきたことを受け止めて生きていかなくてはならない場合、それに耐えうる心を持つには自分に正直に生きるという事以外にないのではないでしょうか。

レイコさんはこう語ります。
「すべての人は不完全な世界の中に住んでいる不完全な人間。で恋の自分の気持ちに身を任せるのも誠実さの一つのかたち。」
「私のような無力で不完全な人間でも時には生きるってなんて素晴らしいんだろうと思うのよ。本当よ、これ!」
彼女がすごいのは直子の味方というのではなく、直子も「僕」も人として対等に公正に対応していることです。
「僕」の行いも否定することなく受け止めていす。

「僕」の再生はレイコさんとの再会から始まります。
レイコさんもこちら側の世界で再生を試みます。
この物語の最大の謎は次の二行です。
「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」
「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えていたんです」
ラスト数ページでの記述。
・恋愛感情はないはず
・生を生きていくための儀式?
・二人が共有しているものの再確認?
しかし、確実に言えることは現実ではありえないこと。作者のイレギュラーではなく、意図的にこの部分をラストに入れた理由として思いつくのは、この物語を現実的なものから、

頭の中の作り話へと持っていこうとしているのか。
言えるのは従来の小説とは違う、型破りでインパクトを与えるという意味では功を奏しているのかもしれません。
今、村上春樹がこの小説を再構成するとしたら、間違いなく削ってしまうのではないかと思うのですが。

「僕」は緑に電話をかける場面で、緑から「あなた、今どこにいるの?」と聞かれ、自分は今どこにいるのだろうと自分を見失いますが、それはこの物語がまだ道の途中であること

を暗示しているのです。

評論的な文面になってしまいましたが、この小説は読み方を二通り選べると思うのです。
生と死と恋愛の謎ときをしながらの読書。
もう一つはサラっと読んで軽く恋愛ストーリーを楽しむ読書。
特に緑とワタナベ君の出会いと喧嘩と仲直りの絡み合いは、二人の会話・行動とも実に楽しめる物語です。

この小説の底力を感じるのは、小説を読み終わったあと、また冒頭の空港のシーンを読みたくなること。
そしてその冒頭のところを読見返すと、37歳になった「僕」の心情がしみじみと伝わってくるのです。
そして、暗くて厚くて不気味な雲もまるで映画のシーンのように出現します。

もう一つ加えると、ビートルズの「ノルウェイの森」の曲が全く違うメロディーに聞こえて来るのです。
耳に入って来るその曲は、すでに村上春樹の世界に編曲されてしまっていることに気づかされます。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1639
(5pt)

おすすめされて買ってみた

鬱の世界観を知る分にはとてもわかり易い⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝♪

人間として生きようと思えます!
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1638
(2pt)

発売当時、購入したきりだった

山本文緒さんが、好きな作家ということで、興味をおぼえ、何十年かぶりに引っ張り出してきました。
当時なんで読まずに、積んどくだけの本になったのか、わかる気がする。
なにがおもしろいのか、わからない。ノーベル賞候補にもなった、日本一の作家に対し、失礼千万な話だが、よくわからない。
私とかけ離れた人生を送った人の話なので、共感できないからなのかもしれない。上下2巻、読み終えるのに1ヶ月近くかかってしまった。ほかの本への浮気があったにしろ、頑張って読み終えた。
海辺のカフカ を購入してしまった。 さて、こんどは、おもしろいのだろうか?
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1637
(4pt)

それ程どぎつくもない

騒ぐほど性描写はきつくないです。むしろ、この程度で騒ぐ人々の経験がよほど乏しいのかなと、微笑ましくなります。若き日の苦悩や恋愛を描いた青春小説と捉えました。ただ、直木賞に値するかと言うと微妙です。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1636
(5pt)

ハルキ流の恋愛小説

村上春樹 ノルウェイの森 感想文

まず、この物語はドイツ行きボーイング747機のシートに座っている「僕」が、着陸時に突然流れてきたビートルズの「ノルウェイの森」のメロディーに混乱させられるシーンから始まります。
スチュワーデスが心配して声をかけるが、「僕」の頭の中は、今までの人生の中で失った多くのもの、時間・死にあるいは去っていった人々・戻ることのできない想いが駆け巡っています。
今は37歳、20歳前後の頃の記憶をようやく頭の中で整理ができるところまで生きてきて、なんとか文章として書けるようになっています。
「僕のことを愛してさえいなかった」という直子。当時の情景は鮮明に記憶していても、直子の部分だけは実像を捉えるのに時間かかかるという。あまりにも複雑な感情がその記憶の再生を邪魔しているという事になるのでしょう。

直子は「僕」の高校時代の親友キズキの恋人で、僕と恋人同士の直子・キズキはそれぞれ三者一体の親密な関係を築いていて、その関係はまずキズキが何も言わずに自殺してしまう事により消滅し、「僕」と直子が取り残された形になります。
「僕」も直子もキズキの死による大きな傷を持ち続けたまま生きていくのですが、偶然に「僕」と直子は出会う事になり、そこから出口の見えないどんよりとした厚雲の中に迷い込んでいくことになります。

直子はガラス細工のような繊細な感情をもっていて、しかも常にキズキの死という影を内に抱えている女性で、「僕」はそんな直子に恋をしてしまいます。
思うように発展しない恋ですが、「僕」はそんな中、直子とは正反対のタイプの緑と出会います。
物語はその三人を取り巻いて発展していきますが、直子と「僕」・緑と「僕」の恋愛の場所はそれぞれ対極の位置(別の世界
)に存在しながら、それぞれに絡み合い、影響を与え「僕」は暗く厚い雲の中でもがき苦しむことになります。
全ての出来事を受け止め、なんとか踏ん張ることができるのですが、歩んでいく道はまだ途中なのです。

物語には結論じみたものはなく、はっきりとした道筋を示しているわけでもなく、一つのテーマで締めくくることは出来ません。
そして、一貫したメーセージというものも見とれませんでした。
理由として挙げられるのは、恋愛においては緑の気持ちは描かれていても、直子の気持ちは副次的なものしか描かれていないし、
生と死においても、生きる方の行為は描かれていても、死の方は結果しか書かれていない事です。
帯文に書かれている、喪失と再生の物語という言葉があたりさわりのない表現だと思います。
このことはつまり、テーマを示しているのではなく、「僕」が通ってきた場所へ読む側を連れていってくれる物語ではないかと考えます。
どのような小説かと問われても一言では言い表せない、一つの出来事についての納得はできるが、全体を通しての物語の方向付けはとらえにくい。
多分、村上春樹は物語で何かを伝えるのではなく、僕のあの時あの場所での出来事、出口の見えない厚い雲の中での僕の通ってきた道を伝えたかったのではと思います。

作者においては、読者にそこのところを物語の中で共有してもらうことが一番のご褒美になるのかもしれません。
人はそれぞれ影響しあって歩んでいくのだが、死というもは究極のものである。他者の中に永遠に生き続ける。生きていく人はそれをしっかりと受け止め、所有し前へ進まなければならない。
唯一、メーセージとして受け取るとしたら、そうなるのではないかと考えます。

話の流れに沿って、感じたことを書く前に登場人物の性格付け(ある意味分類)を行いたいと思います。

☆語り手「僕」 ワタナベ 
相手の気持ちに対して考えることよりも、自分の気持ちの通りに行動してしまう。
自分では気付いていなところであり、回りはそのことで傷ついたり、誤解したりしてしまう。
納得がいかない行動はしない。(よく言えばしっかりとした自分というものをもっている)
あまり他人のことは気にならない。

☆キズキ
自分の世界を持っていて「僕」の無二の親友だった。高校の時に突然自殺し僕と直子に暗い影を残す。
自殺した理由は描かれていない。

☆直子
死んだキズキの幼なじみでもあり、恋人。キズキの死により精神的に苦しんでいる。
とても繊細な心の持ち主で、相手の気持ちに影響されやすい。
姉が自殺している。

☆緑
直子とは対極のような性格。自分のやりたい事は躊躇なく行動をおこす。
ストレートに自分の感情をだし、言葉にする。

☆レイコさん
過去に精神を病んだ経験があり、未だに世の中に出てみることに足踏みしている

☆ナガサワさん
自分の行いには正当性を確信していて、自分の事しか興味がない生き方をしている

☆ハツミさん
母性的なものを持っている。
不幸にもナガサワと出会い最終的に命を絶つことになる。

この小説のモチーフを理解するには語り手である僕をどうとらえるかがとても重要になると考えます。
その「僕」という人間の捉え方により、物語から伝わる印象もかなり違ったものになるからです。
そこで、僕の資質というか性格付けを決める材料として以下の文面を取り上げます。

ナガサワは「僕」のことを゛本質的に自分の事しか興味がない人間で自分が何を感じ、自分が何を考え、自分がどう行動するのかという事しか興味がない男゛だと言う。そして自

分と同類だという。「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないところなんだ」とも。
「僕」はハツミさんに対してそれは違うと言います。
「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。誰にも理解されなくていいと思っているわけじゃない。理解い合いたいと思う相手だっています。ただそれ以外の人々にはある程度理

解されなくても、まあこれは仕方ないだろうと思っているだけです。あきらめているんです。・・・」と返しています。
ここの部分にナガサワと僕との違いが示されていると思います。
「僕」は他人からの理解をあきらめていて、ナガサワは信念として理解を求める行為はしない。
見た目は同じように見えるかもしれないが、本質的には大きな違いです。
「僕」は自分に関わる物事に正面からうけとめ、自分の気持ちに正直な答えを出す努力をしたと、個人的には受け取りました。少なくとも、逃げたりごまかしたりはしていないと。
(その正直という言葉の意味は人それぞれだと思いますが)

上記で示した物語の中の一人称で書かれている「僕」という人物像は゛村上春樹が自分の分身である゛という気持ちで書かれていると感じてしまいます。
そういうふうに考えると、「僕」の捉え方を作者と共有して読まなければ物語に入り込むことは難しくなります。

物語を読み、印象に残った部分に入っていきます。

最初の頃の章で野井戸の話がありますが、直子は「自分がこの世から消えてなくなるけれど、自分の事を「僕」に記憶として残していってね」とお願いをします。
後の直子の手紙で「公正」という言葉が何回も書かれている所が出てくるのですが、直子は自分の存在の意味を常に考えていてそのこと(公正さ)に捕らわれていて苦しんでいる

のだと感じました。
常に自分に公正さを求めているのです。
つまり、キズキの死からは立ち直ることも出来ず、どんどん闇の方へと引き込まれて行くのです。
そこから思うのは、死に行く人は最初からそういう運命の中にいるのではと。
二人は出会うべきではなかったのです。
直子の本当の気持ちというものは物語からはっきりと読み取ることは難しいのですが、感じ取ったのはそんなことです。。

資質という部分で振り分けると、直子と僕は正反対のものを持っています。本の中で書かれている言葉で示すと向こう側とこっち側。
直子の気持ちが変化したのは、「僕」と直子が関係を持った時点、本当の理由は描かれいませんが、「僕」との一回の行為が直子の中での整合性を崩してしまったのかもしれないと考えます。

関係を持つことで話をリアルなところにもっていっているが、よく考えて見ると現実的にはありえない行動が多々書かれています。
そのありえない行動をリアルに見せるために、性行為のリアルな描写を用いているのではと考えてしまいます。
物語を実際的な場所に置いておくための書き方なのか。
表現の代用としては手をつなぐとか、抱きしめるとかでも可能なのかもしれないが、もっと生々しいものにしたかったのではないかと考えます。
違和感を感じる読者もいるはずと作者も考えたと思いますが、そのマイナスの部分をも飲み込むほどの効果を狙っていたのではないかと。
さらに言うと、喉ごし良すぎるすぎる物語よりも、ごつごつとした喉ごしに抵抗のある物語にしたかったのではと。
読んだ時にインパクトを与えるという意味では、間違ってはいないところだと思います。(少なくとも、平凡な文章にまとまってはいないということは言える)
もう一つの捉え方として、SEXという行為は、理屈ではないもの・実際的なもの・現実的なもの・確かなもの・気持ちの底の部分を確認できる行為。 と認識して、この小説を読んでいかなければならないのかもしれません。

直子はキズキと性交ができなかったことについて自分の中で答えができていないのに、「僕」とあの時はできたという事実があります。
直子は自分の中にキズキとの愛の正当性に疑問を持つことになったのでは(公正という部分においても)と感じるところがあり、キズキが死んだ後では、直子の中の愛の形は変えようがなく、そこに矛盾を感じているのではないか。
あの時のキズキとの愛はまともなものではなかったという事になり、それを否定することは苦しかったに違いないと思うのです。
直子は自分に対しても信頼を無くしていくことになります。
キズキとの愛は正当なものではなかったことを受け入れることができず、自分という存在意義がわからなくなってしまいます。
直子はあの時点にとどまったままで、前へ進めないでいるのです。
向こう側からの脱出はかなわないことなのかも知れません。

あの日の行為は、直子は間違ったものとしてとらえていきます。しかし「僕」は愛として昇華させたい。
このことから言えることは、その行為が二人の突き進んでいく方向性を示しているものとすれば、その方向はそれぞれが逆向きという事になります。
理屈ではなく、動かせない、誤魔化すことのできない感情が伴います。
そんなときに、緑という女性に出会い、物語を更に複雑にしていきます。゛その恋はひどくややこしい場所(冒頭の文章)゛に僕を運んでいきます。
緑との出会いが直子よりもは早かったら、出会いの順序が逆だったらとつい考えてしまいます。

この小説に書かれているのは、やっかいな恋愛物語です。
「僕」が直子に持つ恋愛感情は単純なものではなく、キズキからの傷を共有している者どうしのものであり、そこから直子を救い出したいという感情と絡み合っています。
この物語の中での恋愛の部分は片方の気持ちははっきりとは描かれていません。
直子と「僕」の恋愛は直子が不明。 緑と「僕」の恋愛は「僕」が不明。
片方の気持ちははっきり書かれていて、もう片方は明確ではない。
それは物語に簡単な筋を通させないことで、読む側のふくらませていける部分を設け、読者の気持ちを引き付けているのではと考えます。
 
読者に筋を明かさず、限定させないというのは、、興味を恋愛の謎解きではなく、登場人物の苦悩の部分の感触として植え付けようとしている。
お互いの気持ちを描いてしまうと話を限定的なものにしてしまい、物語を読み手にもっていかれると。
村上春樹は恋愛の解釈ではなく、読者にこの壮絶な話を疑似体験させるところへ持っていくことを狙っていると考えると、腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。 
作家の計算だとしたら、そういう事になるのかも知れません。

・僕と緑は現実の世界でに地に足をつけて生きている。
・キズキと直子はそれとは別の世界に身を置いている。
・僕と直子の恋愛は特異なもの
・僕と緑の恋愛の場は自然なもの(自分に正直な、偽りのない愛)

この四つのキーワードでこちら側と向こう側に並んで位置しているという構図が見て取れます。

☆僕」のセリフ 「君のこと大好きだよ」「心から好きだよ。もう二度と放したくないと思う。でもどうしようもないんだよ。今は身動きができないんだ。」
「僕にわかっているのは、それがある種の人間としての責任であると言事なんだ。そして僕はそれを放り出すわけにはいかないんだ・・・たとえ彼女が僕を愛していなくても」
☆緑のセリフ 「ねえ、私は生身の血の通った女の子なのよ」

物語の後半は緑と「僕」は実体のある恋愛と、実体のない恋愛のはざまで、大きく揺れ動いていきます。
この時、「僕」は緑を心から愛していることに気づき、それと同時に直子のことも愛していることを確認します。
「いったい自分はこれから先どうなっていくんだろう」
この時すでに自分の気持ちに正直になろうと「僕」は決心しています。

「僕」がその複雑でややこしい場所にある恋愛で身動きが取れなくなり迷宮の中を漂っているとき、直子の死の知らせが届きます。
そして、「僕」はすべてを放り投げて、さ迷いの旅へでます。
旅の中で、「死は生の対極にあるのではなく、我々生のうちに潜んでいるのだ」という言葉をキズキの死の時に学んだけれど、愛する人の死の哀しみからは、到底そういう真理と

かいう言葉で癒されるものではないと悟ります。

直子は死んでしまったけれど、僕の中で永遠に生き続けるのだろう。
直子との恋愛は始まりのあと、終わりがないままでいきなり時間が止まったままになり、死だ者は死んだ時のままの状態で生きていく者の心の中に存在す事になります。

直子はこの世からいなくなるが、それは事実であり運命として受け止めていくしかありません。
誰のせいでもないし誰も責められるべきではないのです。
結局、直子はキズキの呪縛から逃れることはできなかったことになります。
死と生をさかいに、こっち側と向こう側、こっち側に残された人は現実をしっかりと受け止めて生き続けるしかない。
自分がしてきたことを受け止めて生きていかなくてはならない場合、それに耐えうる心を持つには自分に正直に生きるという事以外にないのではないでしょうか。

レイコさんはこう語ります。
「すべての人は不完全な世界の中に住んでいる不完全な人間。で恋の自分の気持ちに身を任せるのも誠実さの一つのかたち。」
「私のような無力で不完全な人間でも時には生きるってなんて素晴らしいんだろうと思うのよ。本当よ、これ!」
彼女がすごいのは直子の味方というのではなく、直子も「僕」も人として対等に公正に対応していることです。
「僕」の行いも否定することなく受け止めていす。

「僕」の再生はレイコさんとの再会から始まります。
レイコさんもこちら側の世界で再生を試みます。
この物語の最大の謎は次の二行です。
「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」
「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えていたんです」
ラスト数ページでの記述。
・恋愛感情はないはず
・生を生きていくための儀式?
・二人が共有しているものの再確認?
しかし、確実に言えることは現実ではありえないこと。作者のイレギュラーではなく、意図的にこの部分をラストに入れた理由として思いつくのは、この物語を現実的なものから、

頭の中の作り話へと持っていこうとしているのか。
言えるのは従来の小説とは違う、型破りでインパクトを与えるという意味では功を奏しているのかもしれません。
今、村上春樹がこの小説を再構成するとしたら、間違いなく削ってしまうのではないかと思うのですが。

「僕」は緑に電話をかける場面で、緑から「あなた、今どこにいるの?」と聞かれ、自分は今どこにいるのだろうと自分を見失いますが、それはこの物語がまだ道の途中であること

を暗示しているのです。

評論的な文面になってしまいましたが、この小説は読み方を二通り選べると思うのです。
生と死と恋愛の謎ときをしながらの読書。
もう一つはサラっと読んで軽く恋愛ストーリーを楽しむ読書。
特に緑とワタナベ君の出会いと喧嘩と仲直りの絡み合いは、二人の会話・行動とも実に楽しめる物語です。

この小説の底力を感じるのは、小説を読み終わったあと、また冒頭の空港のシーンを読みたくなること。
そしてその冒頭のところを読見返すと、37歳になった「僕」の心情がしみじみと伝わってくるのです。
そして、暗くて厚くて不気味な雲もまるで映画のシーンのように出現します。

もう一つ加えると、ビートルズの「ノルウェイの森」の曲が全く違うメロディーに聞こえて来るのです。
耳に入って来るその曲は、すでに村上春樹の世界に編曲されてしまっていることに気づかされます。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
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おすすめされて買ってみた

鬱の世界観を知る分にはとてもわかり易い⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝♪

人間として生きようと思えます!
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
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(2pt)

発売当時、購入したきりだった

山本文緒さんが、好きな作家ということで、興味をおぼえ、何十年かぶりに引っ張り出してきました。
当時なんで読まずに、積んどくだけの本になったのか、わかる気がする。
なにがおもしろいのか、わからない。ノーベル賞候補にもなった、日本一の作家に対し、失礼千万な話だが、よくわからない。
私とかけ離れた人生を送った人の話なので、共感できないからなのかもしれない。上下2巻、読み終えるのに1ヶ月近くかかってしまった。ほかの本への浮気があったにしろ、頑張って読み終えた。
海辺のカフカ を購入してしまった。 さて、こんどは、おもしろいのだろうか?
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それ程どぎつくもない

騒ぐほど性描写はきつくないです。むしろ、この程度で騒ぐ人々の経験がよほど乏しいのかなと、微笑ましくなります。若き日の苦悩や恋愛を描いた青春小説と捉えました。ただ、直木賞に値するかと言うと微妙です。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
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(5pt)

ハルキ流の恋愛小説

村上春樹 ノルウェイの森 感想文

まず、この物語はドイツ行きボーイング747機のシートに座っている「僕」が、着陸時に突然流れてきたビートルズの「ノルウェイの森」のメロディーに混乱させられるシーンから始まります。
スチュワーデスが心配して声をかけるが、「僕」の頭の中は、今までの人生の中で失った多くのもの、時間・死にあるいは去っていった人々・戻ることのできない想いが駆け巡っています。
今は37歳、20歳前後の頃の記憶をようやく頭の中で整理ができるところまで生きてきて、なんとか文章として書けるようになっています。
「僕のことを愛してさえいなかった」という直子。当時の情景は鮮明に記憶していても、直子の部分だけは実像を捉えるのに時間かかかるという。あまりにも複雑な感情がその記憶の再生を邪魔しているという事になるのでしょう。

直子は「僕」の高校時代の親友キズキの恋人で、僕と恋人同士の直子・キズキはそれぞれ三者一体の親密な関係を築いていて、その関係はまずキズキが何も言わずに自殺してしまう事により消滅し、「僕」と直子が取り残された形になります。
「僕」も直子もキズキの死による大きな傷を持ち続けたまま生きていくのですが、偶然に「僕」と直子は出会う事になり、そこから出口の見えないどんよりとした厚雲の中に迷い込んでいくことになります。

直子はガラス細工のような繊細な感情をもっていて、しかも常にキズキの死という影を内に抱えている女性で、「僕」はそんな直子に恋をしてしまいます。
思うように発展しない恋ですが、「僕」はそんな中、直子とは正反対のタイプの緑と出会います。
物語はその三人を取り巻いて発展していきますが、直子と「僕」・緑と「僕」の恋愛の場所はそれぞれ対極の位置(別の世界
)に存在しながら、それぞれに絡み合い、影響を与え「僕」は暗く厚い雲の中でもがき苦しむことになります。
全ての出来事を受け止め、なんとか踏ん張ることができるのですが、歩んでいく道はまだ途中なのです。

物語には結論じみたものはなく、はっきりとした道筋を示しているわけでもなく、一つのテーマで締めくくることは出来ません。
そして、一貫したメーセージというものも見とれませんでした。
理由として挙げられるのは、恋愛においては緑の気持ちは描かれていても、直子の気持ちは副次的なものしか描かれていないし、
生と死においても、生きる方の行為は描かれていても、死の方は結果しか書かれていない事です。
帯文に書かれている、喪失と再生の物語という言葉があたりさわりのない表現だと思います。
このことはつまり、テーマを示しているのではなく、「僕」が通ってきた場所へ読む側を連れていってくれる物語ではないかと考えます。
どのような小説かと問われても一言では言い表せない、一つの出来事についての納得はできるが、全体を通しての物語の方向付けはとらえにくい。
多分、村上春樹は物語で何かを伝えるのではなく、僕のあの時あの場所での出来事、出口の見えない厚い雲の中での僕の通ってきた道を伝えたかったのではと思います。

作者においては、読者にそこのところを物語の中で共有してもらうことが一番のご褒美になるのかもしれません。
人はそれぞれ影響しあって歩んでいくのだが、死というもは究極のものである。他者の中に永遠に生き続ける。生きていく人はそれをしっかりと受け止め、所有し前へ進まなければならない。
唯一、メーセージとして受け取るとしたら、そうなるのではないかと考えます。

話の流れに沿って、感じたことを書く前に登場人物の性格付け(ある意味分類)を行いたいと思います。

☆語り手「僕」 ワタナベ 
相手の気持ちに対して考えることよりも、自分の気持ちの通りに行動してしまう。
自分では気付いていなところであり、回りはそのことで傷ついたり、誤解したりしてしまう。
納得がいかない行動はしない。(よく言えばしっかりとした自分というものをもっている)
あまり他人のことは気にならない。

☆キズキ
自分の世界を持っていて「僕」の無二の親友だった。高校の時に突然自殺し僕と直子に暗い影を残す。
自殺した理由は描かれていない。

☆直子
死んだキズキの幼なじみでもあり、恋人。キズキの死により精神的に苦しんでいる。
とても繊細な心の持ち主で、相手の気持ちに影響されやすい。
姉が自殺している。

☆緑
直子とは対極のような性格。自分のやりたい事は躊躇なく行動をおこす。
ストレートに自分の感情をだし、言葉にする。

☆レイコさん
過去に精神を病んだ経験があり、未だに世の中に出てみることに足踏みしている

☆ナガサワさん
自分の行いには正当性を確信していて、自分の事しか興味がない生き方をしている

☆ハツミさん
母性的なものを持っている。
不幸にもナガサワと出会い最終的に命を絶つことになる。

この小説のモチーフを理解するには語り手である僕をどうとらえるかがとても重要になると考えます。
その「僕」という人間の捉え方により、物語から伝わる印象もかなり違ったものになるからです。
そこで、僕の資質というか性格付けを決める材料として以下の文面を取り上げます。

ナガサワは「僕」のことを゛本質的に自分の事しか興味がない人間で自分が何を感じ、自分が何を考え、自分がどう行動するのかという事しか興味がない男゛だと言う。そして自

分と同類だという。「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないところなんだ」とも。
「僕」はハツミさんに対してそれは違うと言います。
「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。誰にも理解されなくていいと思っているわけじゃない。理解い合いたいと思う相手だっています。ただそれ以外の人々にはある程度理

解されなくても、まあこれは仕方ないだろうと思っているだけです。あきらめているんです。・・・」と返しています。
ここの部分にナガサワと僕との違いが示されていると思います。
「僕」は他人からの理解をあきらめていて、ナガサワは信念として理解を求める行為はしない。
見た目は同じように見えるかもしれないが、本質的には大きな違いです。
「僕」は自分に関わる物事に正面からうけとめ、自分の気持ちに正直な答えを出す努力をしたと、個人的には受け取りました。少なくとも、逃げたりごまかしたりはしていないと。
(その正直という言葉の意味は人それぞれだと思いますが)

上記で示した物語の中の一人称で書かれている「僕」という人物像は゛村上春樹が自分の分身である゛という気持ちで書かれていると感じてしまいます。
そういうふうに考えると、「僕」の捉え方を作者と共有して読まなければ物語に入り込むことは難しくなります。

物語を読み、印象に残った部分に入っていきます。

最初の頃の章で野井戸の話がありますが、直子は「自分がこの世から消えてなくなるけれど、自分の事を「僕」に記憶として残していってね」とお願いをします。
後の直子の手紙で「公正」という言葉が何回も書かれている所が出てくるのですが、直子は自分の存在の意味を常に考えていてそのこと(公正さ)に捕らわれていて苦しんでいる

のだと感じました。
常に自分に公正さを求めているのです。
つまり、キズキの死からは立ち直ることも出来ず、どんどん闇の方へと引き込まれて行くのです。
そこから思うのは、死に行く人は最初からそういう運命の中にいるのではと。
二人は出会うべきではなかったのです。
直子の本当の気持ちというものは物語からはっきりと読み取ることは難しいのですが、感じ取ったのはそんなことです。。

資質という部分で振り分けると、直子と僕は正反対のものを持っています。本の中で書かれている言葉で示すと向こう側とこっち側。
直子の気持ちが変化したのは、「僕」と直子が関係を持った時点、本当の理由は描かれいませんが、「僕」との一回の行為が直子の中での整合性を崩してしまったのかもしれないと考えます。

関係を持つことで話をリアルなところにもっていっているが、よく考えて見ると現実的にはありえない行動が多々書かれています。
そのありえない行動をリアルに見せるために、性行為のリアルな描写を用いているのではと考えてしまいます。
物語を実際的な場所に置いておくための書き方なのか。
表現の代用としては手をつなぐとか、抱きしめるとかでも可能なのかもしれないが、もっと生々しいものにしたかったのではないかと考えます。
違和感を感じる読者もいるはずと作者も考えたと思いますが、そのマイナスの部分をも飲み込むほどの効果を狙っていたのではないかと。
さらに言うと、喉ごし良すぎるすぎる物語よりも、ごつごつとした喉ごしに抵抗のある物語にしたかったのではと。
読んだ時にインパクトを与えるという意味では、間違ってはいないところだと思います。(少なくとも、平凡な文章にまとまってはいないということは言える)
もう一つの捉え方として、SEXという行為は、理屈ではないもの・実際的なもの・現実的なもの・確かなもの・気持ちの底の部分を確認できる行為。 と認識して、この小説を読んでいかなければならないのかもしれません。

直子はキズキと性交ができなかったことについて自分の中で答えができていないのに、「僕」とあの時はできたという事実があります。
直子は自分の中にキズキとの愛の正当性に疑問を持つことになったのでは(公正という部分においても)と感じるところがあり、キズキが死んだ後では、直子の中の愛の形は変えようがなく、そこに矛盾を感じているのではないか。
あの時のキズキとの愛はまともなものではなかったという事になり、それを否定することは苦しかったに違いないと思うのです。
直子は自分に対しても信頼を無くしていくことになります。
キズキとの愛は正当なものではなかったことを受け入れることができず、自分という存在意義がわからなくなってしまいます。
直子はあの時点にとどまったままで、前へ進めないでいるのです。
向こう側からの脱出はかなわないことなのかも知れません。

あの日の行為は、直子は間違ったものとしてとらえていきます。しかし「僕」は愛として昇華させたい。
このことから言えることは、その行為が二人の突き進んでいく方向性を示しているものとすれば、その方向はそれぞれが逆向きという事になります。
理屈ではなく、動かせない、誤魔化すことのできない感情が伴います。
そんなときに、緑という女性に出会い、物語を更に複雑にしていきます。゛その恋はひどくややこしい場所(冒頭の文章)゛に僕を運んでいきます。
緑との出会いが直子よりもは早かったら、出会いの順序が逆だったらとつい考えてしまいます。

この小説に書かれているのは、やっかいな恋愛物語です。
「僕」が直子に持つ恋愛感情は単純なものではなく、キズキからの傷を共有している者どうしのものであり、そこから直子を救い出したいという感情と絡み合っています。
この物語の中での恋愛の部分は片方の気持ちははっきりとは描かれていません。
直子と「僕」の恋愛は直子が不明。 緑と「僕」の恋愛は「僕」が不明。
片方の気持ちははっきり書かれていて、もう片方は明確ではない。
それは物語に簡単な筋を通させないことで、読む側のふくらませていける部分を設け、読者の気持ちを引き付けているのではと考えます。
 
読者に筋を明かさず、限定させないというのは、、興味を恋愛の謎解きではなく、登場人物の苦悩の部分の感触として植え付けようとしている。
お互いの気持ちを描いてしまうと話を限定的なものにしてしまい、物語を読み手にもっていかれると。
村上春樹は恋愛の解釈ではなく、読者にこの壮絶な話を疑似体験させるところへ持っていくことを狙っていると考えると、腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。 
作家の計算だとしたら、そういう事になるのかも知れません。

・僕と緑は現実の世界でに地に足をつけて生きている。
・キズキと直子はそれとは別の世界に身を置いている。
・僕と直子の恋愛は特異なもの
・僕と緑の恋愛の場は自然なもの(自分に正直な、偽りのない愛)

この四つのキーワードでこちら側と向こう側に並んで位置しているという構図が見て取れます。

☆僕」のセリフ 「君のこと大好きだよ」「心から好きだよ。もう二度と放したくないと思う。でもどうしようもないんだよ。今は身動きができないんだ。」
「僕にわかっているのは、それがある種の人間としての責任であると言事なんだ。そして僕はそれを放り出すわけにはいかないんだ・・・たとえ彼女が僕を愛していなくても」
☆緑のセリフ 「ねえ、私は生身の血の通った女の子なのよ」

物語の後半は緑と「僕」は実体のある恋愛と、実体のない恋愛のはざまで、大きく揺れ動いていきます。
この時、「僕」は緑を心から愛していることに気づき、それと同時に直子のことも愛していることを確認します。
「いったい自分はこれから先どうなっていくんだろう」
この時すでに自分の気持ちに正直になろうと「僕」は決心しています。

「僕」がその複雑でややこしい場所にある恋愛で身動きが取れなくなり迷宮の中を漂っているとき、直子の死の知らせが届きます。
そして、「僕」はすべてを放り投げて、さ迷いの旅へでます。
旅の中で、「死は生の対極にあるのではなく、我々生のうちに潜んでいるのだ」という言葉をキズキの死の時に学んだけれど、愛する人の死の哀しみからは、到底そういう真理と

かいう言葉で癒されるものではないと悟ります。

直子は死んでしまったけれど、僕の中で永遠に生き続けるのだろう。
直子との恋愛は始まりのあと、終わりがないままでいきなり時間が止まったままになり、死だ者は死んだ時のままの状態で生きていく者の心の中に存在す事になります。

直子はこの世からいなくなるが、それは事実であり運命として受け止めていくしかありません。
誰のせいでもないし誰も責められるべきではないのです。
結局、直子はキズキの呪縛から逃れることはできなかったことになります。
死と生をさかいに、こっち側と向こう側、こっち側に残された人は現実をしっかりと受け止めて生き続けるしかない。
自分がしてきたことを受け止めて生きていかなくてはならない場合、それに耐えうる心を持つには自分に正直に生きるという事以外にないのではないでしょうか。

レイコさんはこう語ります。
「すべての人は不完全な世界の中に住んでいる不完全な人間。で恋の自分の気持ちに身を任せるのも誠実さの一つのかたち。」
「私のような無力で不完全な人間でも時には生きるってなんて素晴らしいんだろうと思うのよ。本当よ、これ!」
彼女がすごいのは直子の味方というのではなく、直子も「僕」も人として対等に公正に対応していることです。
「僕」の行いも否定することなく受け止めていす。

「僕」の再生はレイコさんとの再会から始まります。
レイコさんもこちら側の世界で再生を試みます。
この物語の最大の謎は次の二行です。
「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」
「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えていたんです」
ラスト数ページでの記述。
・恋愛感情はないはず
・生を生きていくための儀式?
・二人が共有しているものの再確認?
しかし、確実に言えることは現実ではありえないこと。作者のイレギュラーではなく、意図的にこの部分をラストに入れた理由として思いつくのは、この物語を現実的なものから、

頭の中の作り話へと持っていこうとしているのか。
言えるのは従来の小説とは違う、型破りでインパクトを与えるという意味では功を奏しているのかもしれません。
今、村上春樹がこの小説を再構成するとしたら、間違いなく削ってしまうのではないかと思うのですが。

「僕」は緑に電話をかける場面で、緑から「あなた、今どこにいるの?」と聞かれ、自分は今どこにいるのだろうと自分を見失いますが、それはこの物語がまだ道の途中であること

を暗示しているのです。

評論的な文面になってしまいましたが、この小説は読み方を二通り選べると思うのです。
生と死と恋愛の謎ときをしながらの読書。
もう一つはサラっと読んで軽く恋愛ストーリーを楽しむ読書。
特に緑とワタナベ君の出会いと喧嘩と仲直りの絡み合いは、二人の会話・行動とも実に楽しめる物語です。

この小説の底力を感じるのは、小説を読み終わったあと、また冒頭の空港のシーンを読みたくなること。
そしてその冒頭のところを読見返すと、37歳になった「僕」の心情がしみじみと伝わってくるのです。
そして、暗くて厚くて不気味な雲もまるで映画のシーンのように出現します。

もう一つ加えると、ビートルズの「ノルウェイの森」の曲が全く違うメロディーに聞こえて来るのです。
耳に入って来るその曲は、すでに村上春樹の世界に編曲されてしまっていることに気づかされます。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
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