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吸血鬼ドラキュラ
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吸血鬼ドラキュラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 21~34 2/2ページ
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【あらすじ】 ロンドンで家を探しているドラキュラ伯爵の元を、弁理士のジョナサン・ハーカーが訪ねる。 イギリスからトランシルヴァニアまでの遠路を旅してきたジョナサンを、伯爵は丁重にもて なしてくれた。 しかし、城への滞在を長引かせようとする伯爵の正体とその真意に、ジョナサンは気が付く。 伯爵は、何世紀も生き長らえてきた吸血鬼であり、ジョナサンは城に監禁されていたのだ。 そして伯爵自身はジョナサンを城に閉じ込めたまま、イギリスへ旅立とうとしている。 イギリスに愛する婚約者ミナを残してきているジョナサンは、城からの脱出を試みるが―― 【感想】 数ある吸血鬼映画の原典ですが、映画から入って本書を読んだ方は、各々の映画が相当な脚色・改変 をしていたという事実に驚かされるでしょう。 原作を忠実に映像化したと言われる、フランシス・コッポラ監督の『ドラキュラ』を例にあげて、 映画との違いをあげてみますと…… (1) ミナとドラキュラ伯爵の恋愛話は一切出てきません。従って、他の吸血鬼映画でも登場する、ジョナサン の持っていたミナの写真を見て、ドラキュラ伯爵が興味を持つといったシーンはありません。 (2) ドラキュラ伯爵が吸血鬼になった経緯も、並々ならぬ才知を持った人間であったことから、不死者に変じたというもので、敵の計略によって奥さんが自殺してしまったその哀しみ・絶望から……といった背景は全くありません。完全なモンスターとして描かれています。 この2点が違えば、完全なる別物でしょう。他にも数多くの違いがありますので、まだ映画しか観ていない……という方は、是非本書も読んでみてください。映画では謎だった個所が解明されるなど、とても興味深い内容です。 ジョナサンのドラキュラ城への旅の行程が事細かに記されているので、あの恐怖の城へいつ辿りつくんだろう……と、読んでいて緊張感が高まりました。重々しい感じがひしひしと伝わってきます。ただ、その行程ががっつり描かれているので、人によっては長く冗長に感じられてしまうかもしれません。旅の様子だけでなく、全体的に濃厚なので、辛抱強い方でないと途中で飽きてしまうかな……とも思います。 また、全体的に翻訳が洋風ではなく和風の為(当時の翻訳が、日本人にも分かるように、日本的な描写を……というものだった為仕方ありませんが)、日本の時代小説を読んでいる気分になります(笑)本書の訳は勿論達者なのですが、個人的には洋風の新訳版も出ないかな……と期待してしまいます。 一番面白いのは、やはりジョナサンが伯爵に監禁されている序盤でしょうか。伯爵や城の怪奇性にハラハラさせられました。 中盤から終盤にかけては、完全にモンスター退治です。伯爵にしてやられたりしながら、追い詰めていきます。 吸血鬼の特殊能力はたくさん出てきますが、そこまで強そうな感じはしませんでした。十字架や聖餅に弱いなどの制約があり、捨て台詞を残して逃げるなど……そんなにかっこ良い描写がされていないからだと思います。その辺りは少し物足りない気もしました。 とは言え、濃厚な吸血鬼の世界は十分に堪能できましたので、読んで良かったと思います。 | ||||
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実は、わたしが最初に読んだ大人向きの本が、創元文庫の「吸血鬼ドラキュラ」だった。当時は小学生で、日記と書簡に依る構成と云うのに衝撃を覚えたものだった。それから数年して出たのがこの完訳版なのだが、長らく気付いていなかった。今回読み直してみると子供の頃に読んだ時よりも冗長に感じられるが、当時の版では省かれていた部分が入った事に依るのか、それとも読む側の見方が昔と変わったのか・・・ いずれにせよ、今、読んでも名作だと想える。ちなみに、ドラキュラは今、読んでみると邪悪と云うより異形の者であり人間の敵であったから倒されたと云う事が判る。 | ||||
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世に数多あるドラキュラ作品の原作だけあって、昔の作品だがストーリーは今読んでも文句なしに面白い! ただ、創元推理文庫のこの日本語訳は、現代日本人の感覚には合わないと感じた。 ヨーロッパの古城の重厚な雰囲気やゴシックな世界観。 ストーリーと一緒にそういった異国情緒溢れる描写も楽しめるのが本作の魅力だと思うのに、ヨーロッパの夜の墓地に現れた美女が「経帷子」姿で、主人公たちは「読経」し、ドラキュラ伯爵が美女に向かって任侠もの時代劇の渡世人よろしく「子分にしてやる」と口にするなど、日本語訳の部分で、せっかくのヨーロッパの雰囲気がちょいちょいぶち壊しになるのが残念すぎる。 現代日本人の感覚だと、せめて「死装束」や「聖書の祈りの言葉を唱える」「しもべにしてやる」などの日本語訳でないと、仏教圏や江戸時代の日本にいるような印象を受けてしまう。 訳者が江戸時代から三十余年しか経っていない明治生まれの方なので仕方ないのだが、このクオリティで現代の我々が無理なく作品の世界観に浸れる日本語訳だったらと残念でならない。 ぜひとも新しい完訳で読んでみたいと思う名作である。 | ||||
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吸血鬼がここまで有名になったのは、この本のおかげなのは百も二百も承知。今日に伝わる吸血鬼の原型はこの作品にあると言っても過言ではない。おどろおどろしい恐怖はない。しかし登場人物達の心理描写が秀逸でドラキュラに対する畏怖を追体験する形になっている。十九世紀の小説だが今も新鮮に読める傑作 | ||||
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本書は、1897年初版だそうであるから、もはや古典である。作者のブラム・ストーカー(本名:エイブラハム・ストーカー)は、両親が公務員で8歳まで寝たきりで内気な性格だったが、11歳ごろから鍛錬をはじめて大学では運動部に所属し、性格も明るくなった、という変わった人である。大学時代には劇評を投稿することで有名になり、名優アーヴィングの一座のマネージャをやりながら、本書を書き上げたらしい。ドラキュラ伝説をもとにした本はいろいろあるが、ドラキュラといえば本書というくらいの決定版である。 各登場人物の日記が交互に登場する、という文章構成である。 弁理士(と訳されているけど司法書士ではないのか?)のジョナサンは、ロンドンに土地を買いたがっているドラキュラ伯爵をトランシルヴァニアに訪ねるのだが、ドラキュラ伯爵に監禁されてしまう。ジョナサンの婚約者のミナは、ジョナサンが音信普通となってやきもきする。 ミナの親友であるルーシーは、アーサーと婚約するが、彼女には夢遊病の気があり、しかも、大量の血液を失って衰弱していく。ジャック・セワード医師はヴァン・ヘルシング教授に助力を仰ぐが、ルーシーはついに衰弱死。ルーシーの衰弱は、ドラキュラに血を吸われたことが原因らしく、死ぬことはなく不死者となる。ヘルシングは、アーサーやセワードたちの協力を得て、ルーシーの心臓に杭を打ち込み、ルーシーを成仏させる。そして、ヘルシングたちは、ドラキュラと対決することになる。船に乗ってロンドンにやってくるドラキュラ。 ドラキュラは怪力であり、奸智にたけ、死者を操り、嵐や雷を呼び、獣に下知し、体を小さくしたりと変幻自在で神出鬼没。ただし、太陽や十字架、にんにくに弱い。 ドラキュラ城から脱出したジョナサンも加わり、ヘルシング、セワード、アーサー、キンシー(元・ルーシーの求婚者の一人)の6人で、ドラキュラがトランシルヴァニアからもってきた土(隠れ家)をつぎつぎに浄化。ドラキュラは、トランシルヴァニアの居城に逃げもどろうとするが、これを6人は追いかける。 最後、キンシーは死ぬものの、日没寸前ギリギリにジョナサンがドラキュラを斬ることに成功し、ドラキュラは滅びる。 ブラム・ストーカーのドラキュラはコッポラによって映画化されているが(この映画のゲーリー・オールドマンの演技はすごい)、コッポラのドラキュラは愛深きゆえの死の超越、というテーマがあったものの、本書のドラキュラは完全なモンスターである。貴族で、ずば抜けた頭脳をもっていて、それゆえに不死に至った、という設定。純粋な真性・怪奇小説だといえる。 ルーシーに求婚してフラれたセワードが、ルーシーを助けるために自らの血を輸血する場面があるのだが、「愛する女性の血管の中へ自分の生き血が注入されていくことが、どんな感じのものか、この気持は経験したものでないと、わかるまい」「個人的な誇りのような感情がわいてくるのをおぼえた」とあり、血の分け与え、吸血による寿命延長、のように血=生命そのもの、という捉え方が、このドラキュラ小説の底流にある。 | ||||
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「ドラキュラ」と言えば、誰もが耳にしたことのあるはずの吸血鬼の名前・・・。でもその原作を読んだことのある人は、今ではかなり少ないのではと思います。でもやっぱり、ドラキュラ伯爵というたった一人の名をこれだけ世界中に世紀を超えて印象付けている物語・・・実際に読んでみると、書かれてから100年以上経っている作品にも関わらず、複数の人物の日記や電報、蝋管式蓄音機による口述によって構成されるその緻密で幻想的なその物語は、ホラーなどというレッテルじみたジャンルなどには全くはまりきらない素晴らしい作品です。汽車と馬車を乗り継いで東ヨーロッパの田舎を旅しながら書かれた紀行文学のように始まり、霧を透かしてガス燈の灯が灯る19世紀のロンドンへ・・・。クリストファー・リーでもヴェラ・ルゴシでもゲイリー・オールドマンでもなく、ブラッド・ピットやトム・クルーズ、はたまたロバート・パティンソンなどでも決してなく、この100年間で作られた何百もの脚色を廃したデフォルトの吸血鬼像は、やはりこのブラム・ストーカーの小説の中にこそ生き続けている気がします。近年になってこの物語の作者の孫にあたるダクレ・ストーカーによって''正統''な続編が執筆されたばかりで、いずれこの日本でも翻訳され出版に至るのではないかと秘かに期待していますが、19世紀末に生まれて以来、永遠の命を持ち続ける呪われた物語・・・そのまさしく原型である「吸血鬼ドラキュラ」・・・今では古風にも感じられる平井呈一氏によるその訳文も味わい一入で、一読の価値は大いに有りです。 | ||||
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文句のつけようがないくらい面白い!! ドラキュラ伯爵がジワリジワリと迫ってくる恐怖は読んでいるこちらも背筋が寒くなる。身の回りに起こる怪奇の数々。 ヘルシング教授と共に事件の解決に乗り出す後半も、いつ伯爵の反撃があるのか、常に緊張を持ち続けながらスリリングな体験をさせてくれる。 | ||||
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訳者の平井呈一さんが日本に紹介したこの作品。 文体が古いと感じる方もいるでしょうが、 やはり黄金期のイギリスの怪奇小説は 平井さんの翻訳にかなうものはありません。 是非この版で読んで欲しいし、 創元社さんにも改訳しては欲しくない、 というのがオールドファンの胸中です。 「今さらドラキュラなんて・・・」と 思ってる方も一度読んで欲しい!! 100年以上前の小説なのに、まわりくどさ、 退屈さがほとんど感じられません。 スティーブン・キングしか読んだことのない ホラーファンが、古典に入る絶好の入り口 じゃないでしょうか? ワクワクドキドキ、子供の頃に 戻った気分になれて、しかも 大人の読書にも耐えうる、素晴らしい古典ですね!! | ||||
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どっしりとした感じ。重厚だな〜というのが最初の感想でした。 作品は、書簡体で書かれており、序盤は1人の人物の日記で書かれているため、伯爵の様子は城の様子などが書かれていて、ゴシックの彩り濃厚。 中盤からは人物が増え、遠巻きに伯爵とその関係する物がかかれるため、物語に伯爵の不気味さを伝えております。 後半のドラキュラ伯爵を追跡する所も、なかなかの迫力!! 映画の印象が強かったんですけど、こうして原作を読むと、非常に深みのある、そして面白みのある作品だったんだなと思いました。 | ||||
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何かに載ってたダイジェストが面白かったので買ったんですが、ダイジェストと違って日記や電報などで話が構成されているので小学生だったその当時は読むのかなりきつかったです。今では好きなんですがやっぱり長すぎるとも思います。その後観たハマー版の吸血鬼ドラキュラもだいぶ違う作品になってるなって思いました。もしハマー版のドラキュラを観て面白いと思って原作読もうと思ってる人はほとんど別物なのでちょっとキツいかもしれません。ヘルシングもそんなに活躍するわけじゃないです。 | ||||
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まさに「ドラキュラ」の原点です。 なぜ「吸血鬼」の原点と表現しなかったかというと、「吸血鬼」自体は本書が執筆される以前から、伝説などで存在していました。 ですが、後に映画をはじめとする各種メディアでの「吸血鬼」や「ドラキュラ」は、まさしくここから始まったのだと言えると思います。 ドラキュラの名前を知らない方は、誰もいないと思います。しかし、ドラキュラの起源を知っている方はかなり少ないと思います。 吸血鬼ものやドラキュラものの映画や各種作品を続けて読みたい、と思われた方は、その前に原点を本書で確認することをお奨めします。 吸血鬼ドラキュラ=太陽に弱い、というのが世間の常識ですが、原点となる本書では、ドラキュラは真昼間から歩いています。それだけでも個人的には衝撃でした(ちなみに、90年代に作られたドラキュラの映画は、これを正しく反映してました)。 訳が古いので、ちょっと読みにくいかもしれませんが。 | ||||
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ドラキュラ物の原点中の原点であるこの作品。物語の本質はドラキュラの恐ろしさではない。 未知の脅威を前にしても人間は地に足をつけて誠実に、そして前向きに対処しなければならない。 そして人間という無力な存在の底力が発揮されるとき神は決して人間を見放さない。 これはホラーではなく人間賛歌の物語である。 登場人物の心理描写が丁寧なので物語の展開が遅い。 そこがこの小説のよいところ。 | ||||
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巷にあふれるすべてのドラキュラ物の原点となる作品でありゴシック的な重厚な雰囲気を感じさせる。作品はすべて複数の人々の日記形式でかかれており、それでいて引き込まれてゆくようなひとつのストーリーを形成していてとても読み応えがある。吸血鬼物のバイブル的な作品であり吸血鬼好きにはぜひ一読をお勧めする。 | ||||
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みんなが知っているようでその実、詳しいことを知らない吸血鬼ドラキュラ。映画で描かれたものが本当だと思っていると、ちょっとちがう。 ワラキア王としてトルコと戦い続け、敵兵を串刺し処刑にしたことから、「ヴラド・ツェペシ(串刺し王ヴラド)」とも呼ばれた「ヴラド・ドラキュラ」がブラム・ストーカーによりその経歴のまま吸血鬼となってよみがえっている。 ただ、この翻訳者がかなりの高齢であったため、訳文にはちょっと今の感覚では着いて行けません。 | ||||
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