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小さき王たち 第三部:激流
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小さき王たち 第三部:激流の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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クライマックスがない。 穏やかに読めます。 海外逃亡は邪道でしょ。 最後のキレを期待してた。 2代目髙樹家の扱いもあんまりな。 彼にも活躍して欲しかった。 もう少しストーリーを練り込んでから書いて欲しかったです。 | ||||
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3世代に亘るドラマ読み応えあり。 個人的には2世代くらいにし、各人の年代を経るごとの思考、行動を詳しく描きこんだ方がより没入感を持って入り込めたか、と思います。 | ||||
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面白い | ||||
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帯は破け、角も擦り切れた感じ。 本もカバーも端が曲がり、中古かな?と思うほど。 読んでいれば多少擦り切れるので、致命的ではないですが、新品を手にする喜びはなかったです。 | ||||
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親子の関係。因縁。 | ||||
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議員世襲制、マスコミと政治家の力学関係、与党一党独裁の弊害などなど盛り込まれた一つ一つのテーマは興味深いのです。しかし、さすがに、話の軸に政治家一家と新聞記者一家が50年に渡って死闘を広げるという設定に無理がありましたね。内容は違えど、尻つぼみ感はゴッドファーザー3部作のような感じでしょうか。 | ||||
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良い | ||||
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この作品も、最初の期待感が継続することなく不完全燃焼で終わって、本当に残念です。そもそも、四代目までを書く必要性があったのか疑問がある。第一部で終わった方が良かったかもしれません。 | ||||
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ついに孫世代まで引き継がれた政治家一家と新聞記者一家両家の因縁。 50年という長い流れの中で、政治とマスコミがどう展開されるかという興味は1巻から始まり本作優版までは惹きこまれる。 それだけに、最後の展開は急にやる気がなくなったかのような唐突なありきたりな展開。 この終わり方ならここまで引っ張る必要がないというか、いままでの展開が生かされず残念。 孫世代だけでなく、父親世代についてももっと描いて欲しかった。 | ||||
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<本作について> 大河小説どころか小河小説でもなく水路消滅したようなお話。 第二部<泥流>での大失速からして期待感はゼロだったとはいえ、「メディアの命運を担う闘い」だったはずのストーリーが第三部<激流>後半は恋愛バナシへ。女性を描けない堂場氏がコッチに踏み込んだらアカンやろ。男女とも23歳とあっては益々戦えない。 エンディングの暴露はやめておくが、この程度のお話なら、恋愛中の2名が突発事故で死亡。両名の意思も真実も未来も手がかりなしのノーエンドにでもしてもらったほうが救いを感じるレベル。これだけ内容のないお話を計1200ページ超の三部作にしてしまう堂場先生と早川先生の事業欲はご立派です。 <新潟政治と日本マスコミ> 本作は完全なフィクションとして”新潟の田岡(民自党)”を設定。本作の失敗は、これにも起因している。50年前の新潟といえば田中角栄。この人はマスコミによって捉えられ潰された人。1974年10月、当時新鋭の立花隆が「田中角栄の研究」を雑誌に発表し金権政治を問罪したのちも大新聞は消極姿勢。その後の田中を仕留めたのは《外国特派員会/FCCJ》。田中は日本のマスコミを黙殺していたがFCCJの招きにより記者会見。外国人記者のストレートで辛辣な質問に全く回答できず会見は破綻。途中打ち切り。日本の大手マスコミはその後に糾弾を開始。1ヶ月後、政権は崩壊。(なお、立花論文は事情通なら誰でも知っていた内容と批判される。が、ならお前らはなぜ書かなかったのか。という話)その後、ロッキード事件の暴露により逮捕・起訴され政治生命は終焉。田中角栄の二代目として田中真紀子(夫/田中直紀)の物語もあるがこれは省略。なお日本記者クラブ/JNPCは、外国特派員/FCCJと違い政府/業界融和的な組織。田中会見の<大失敗>後、より強化・懐柔され、いまに至る。真実を明らかにし日本を変えるために行われる会見は常にFCCJによって実施されるのが今の日本。先日の統一教会二世の会見等の重要会見が日本記者クラブで行われないのはその流れ。 <責務なき愚作> 本作は上述のような強い真実、史実を全く無視した結果、物語の重みや真実性を一度も獲得できないまま1200ページを超える絵空事ストーリーとなってしまった。第一部、濁流の発刊時に期待したのはパラレルワールドとしての新潟と日本政治。第一部で、田岡がマスコミによって潰されたのちの第二部で、新潟のマスコミではなく日本のマスコミに対しての与党の圧力と攻撃。現実の日本でこの数十年間行われてきた施策とマスコミの弱腰を描き、第三部で、良心と矜持ある日本のマスコミの反抗と反撃。自らの再構築へのトライを描くか、あるいはマスコミは政治勢力にあがらうも、奏効せず、ひたすらにディストピア化する社会を描き問題提起の作(古典的には『1984』、最近なら島田雅彦作品)とするか。それら試みが現実に反する薄っぺらい不完全なものに終わったとしても本作の価値は認められていただろう。いまの日本は、報道の自由度において世界最低ランク。書けることはいくらでもあるはず。本シリーズを《政治と報道大河小説。三部作》と銘打つのであれば、それくらいが最低限の仕事。本作のようなフヌケたモノを発表する堂場瞬一は新聞社出身だが、”権力者の気持ちを推し図りその意向に寄り添うのがマスコミの役割”と公言する近頃の「総理番記者」と同じ役割を本作で果たしてしまったとの自覚はあるのだろうか? <追記> 最近、堂場瞬一氏の日本語運用能力に疑問を感じるようになったのたが本作にも問題と感じる難語が2つ。ともに説明も言い換えなく無造作に使われている。 *スクリメージ/264ページ *マチズモ/267ページ。 スクリメージはバスケまたはアメフト用語。グーグル検索で79600ヒット。 マチズモはマッチョの派生語。グーグル検索で72100ヒット。 主人公は元アメフト選手と設定。本作がアメフト雑誌の連載なら問題なかったろう。後者はWikipediaによると1930-1940年代アメリカの用語らしい。(日本では2021/7に『マチズモを削り取れ』というジェンダー問題を扱う書籍が発刊されてはいる) いずれにせよグーグル先生でヒットが10万を切るような単語は全く一般的ではなくストレートに使うべきでない。けっこうな専門用語でもたいていはヒット100万超。10万を切る用語は探すのも難しい。たとえば"校了"1億8700万、"校正"3120万。"校閲"288万ヒット。驚くことにリアル本屋さんでしか使わないはずの"面陳"ですら3560万ヒット。斜陽産業とはいえ出版流通の蓄積は巨大。”小さき王たち”出版が損益分岐点を超えているとしたら過去の出版人の努力のオカゲです。 | ||||
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半世紀、四半世紀に渡る政治家と新聞記者との戦いも孫の代になると激流にもまれながらも孫自身の幸せを求めることで終わりになった。現在の政治家の言葉は非常に軽いとしか思えない状況がもどかしい。一方では、政治家の不祥事にマスメディアも追及が甘いとしか思えない。こういう社会情勢に強力なリーダーシップを発揮する人材が現れないかと期待したい。 | ||||
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