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(短編集)

ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2



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ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2の評価: 4.33/5点 レビュー 3件。 -ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.33pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全3件 1~3 1/1ページ
No.3:
(5pt)

ラファティの作品はすべてベスト なんだけど

本書の編者「牧 眞司」さんは「編者あとがき」に書いています。
「私のようなラファティの魅力に取りつかれた読者にとって、ラファティの作品はすべてベストだ」(532頁)と。

「すべてベスト」だなんて! すべての本が星五つ、なんていう書評みたいです。

本書のキーワードは「カワイイ」(529頁)。本書は、カワイイ篇。
牧さんのいう「可愛い」とは、単に可憐というだけではありません。

「不思議なチャーム」(530頁)を有する本書のキャラクターたち。
カワイイ子供たち。
カワイイばあさん。
なんだ、なんだ。ばあさんがカワイイ?
とにかく「私たちの生を絶えず擾乱(じょうらん)/活性化する存在」(531頁)
がカワイイんです。
年(時間)はどうでもいいんです。

牧さんは続けます。
「私たちの常識では両義的と見なされる要素が、ラファティの世界では最初からひとつなのだ」(532頁)
ふうん。
ラファティの世界では、最初からひとつ、つながった「大きな世界」のようです。

「ラファティの作品は物語としてはそれぞれ独立しているけれど、無限に大きな世界(マルチヴァース)としてつながっていて、ときおり住人たちが行き来をする」(530頁)

ラファティは「寿限無、寿限無」という作品に、こう書いています。

「天地創造は空虚をまっぷたつに引き裂く革命だった。ふたつの陣営が形づくられ、深い割れ目の上で、引き裂かれた電光の国が対立した。 (中略) それは受容と拒絶、善と悪、というような寓意で呼ばれている。だが、天地創造の瞬間にあったものは、無数の宇宙を維持するこの両義性なのだ」(514頁)

ラファティは、なぜか、キャラクターの年齢を具体的に細かく記載しています。

「四歳の子供」(47頁)
「九歳のわが子」(182頁)
「クラリッサは八歳」(184頁)
「ぼくはまだ三つだぜ。どうしてぼくが責任をとわれなくちゃいけないのさ」(185頁)

 ぼくはまだみっちゅでちゅ。どうちてぼくがセキニンをとわれなくっちゃいけないのでちゅか。

「背のひょろ長い、九つの少年」(200頁)
「まだ八つだが、八つ半といってもじゅうぶんにとおる女の子」(200頁)
「あのう、七つというとしは、おぼこ娘の役にはまだ若すぎるかしら?」(201頁)
「六つのトム」(203頁)
「五つのファッティは答えた」(203頁)
「みんな年はそろって九歳」(358頁)
「十歳になりたてのほやほや」(358頁)
「そしてブルーステムばあさんは、本人によれば五十歳だか百歳だが」(358頁)

女性は年齢を言わないもの。それにしても、五十もサバをよむなんて。
あきれたばあさんですこと。カワイイにもホドがあります。

「九つだから、信じるとなればあっけない。ここでわたしに解(げ)せないのは、そのあと十二になって概念的思考ができるようになってからも、まだそいつを信じていたことだ」(374頁)

「十七歳の成熟した大人にして心理人類学の専攻学生キャサリン・パーマー」(378頁)
「キャサリンがこんなにも十七歳っぽい、かわいい娘でなかったら」(378頁)
「一生でいちばん重要な事件は、四歳のとき、ある貝を見つけたことだった」(389頁)

以下は、作品「みにくい海」からの引用です。
「十二になる片足の悪い娘がピアノを弾いていた」(445頁)
「ただ十二の小娘が」(449頁)
「あたしまだ十二よ」(451頁)
「オランダの下宿屋では、十二になる娘とチェスをした」(453頁)
「足の悪い十三の娘」(454頁)
「十五の年にボニーは船乗りと結婚した」(457頁)
「誰もが思っていたとおり、ボニーは十六の年にはやもめになっていた」(459頁)
「誰もが予想したとおり、十七の年にはボニーはまたやもめになっていた」(461頁)

美しい娘の人生に、十五、十六、十七・・・と繰り返される、みにくい海での死。
この繰り返しが生むリズムが、音楽的で好きです。
美しいも、みにくいも、同じこと。一つなんだ、と妙に心に沁みました。
本書の中で「みにくい海」 が一番気に入りました。ベスト・オブ・ザ・ベスト。
小説家ラファティの最初期、1957年の作品。
ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)Amazon書評・レビュー:ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)より
4150123497
No.2:
(5pt)

ったく、途方もなく風変わりな〈銘酒〉の味わいだあな。この唯一無比の面白さに、乾杯じゃ

『町かどの穴』に続くラファティ短篇選集の第二弾。巻頭に収められてる表題作「ファニーフィンガーズ」が初読みだったんだけど、これがまあ、実に好みの逸品で嬉しくなっちゃった。これ読めただけでも、この文庫本一冊を買ったかいがあったというもの。編者の牧 眞司(まき しんじ)さん、こんな無類に面白いラファティの短篇集を編んでくれて、どうもありがとう!

ラファティの作品読み出した頃に出会って、「これ、すっげぇイカしてんじゃん。なんて風変わりで独創的で愉快なんだろ」と、わくわくさせてくれた短篇たちの無類の面白さ!そして、浅倉久志さん、伊藤典夫さんの訳文がまあ、センスがあって上手いですしねぇ。読み心地、抜群に良いですよ。

収録作品全二十篇は、以下の通り。( )内は、原作の初出年です。

 ファニーフィンガーズ(1976)浅倉久志訳
 日の当たるジニー(1967)浅倉久志訳
 素顔のユリーマ(1972)伊藤典夫訳
 何台の馬車が?(1959)牧 眞司訳
 恐るべき子供たち(1971)深町眞理子訳
 超絶の虎(1964)伊藤典夫訳
 七日間の恐怖(1962)浅倉久志訳
 せまい谷(1966)浅倉久志訳
 とどろき平(1971)浅倉久志訳
 レインバード(1961)浅倉久志訳
 うちの町内(1965)浅倉久志訳
 田園の女王(1970)浅倉久志訳
 公明にして正大(1982)浅倉久志訳
 昔には帰れない(1981)伊藤典夫訳
 浜辺にて(1973)浅倉久志訳
 一期一宴(1968)浅倉久志訳
 みにくい海(1961)伊藤典夫訳
 スロー・チューズデー・ナイト(1965)
               浅倉久志訳
 九百人のお祖母さん(1966)浅倉久志訳
 寿限無、寿限無(1970)浅倉久志訳

このうち、日本でのラファティ短篇集・初収録作品は、「ファニーフィンガーズ」「何台の馬車が?」「恐るべき子供たち」「田園の女王」「浜辺にて」の五篇。

巻末の「編者あとがき」も、読んでて楽しかったな。ちなみにこのあとがき、副題つうか追記の文言が、〈とってもカワイイ、しかし謎めいたラファティの登場人物〉となっています。なるほど。表題作の主人公・オーリャド・ファニーフィンガーズにせよ、「七日間の恐怖」のクラリッサ・ウイロビーにせよ、「うちの町内」の〈ふしぎタイプライター娘〉にせよ、彼らの魅力ったら抜群だったもんね!

個人的な好みで言うと、第1巻の『町かどの穴』よりも三倍方、楽しめました。「こりゃ面白ぇなあ」と膝を叩き、舌鼓(したつづみ)を打ちたくなる短篇が、特に「七日間の恐怖」以降、目白押しでしたもん。
本短篇集初収録の作品のなかでは、「ファニーフィンガーズ」「恐るべき子供たち」「浜辺にて」が、好みの逸品。先述したオーリャド・ファニーフィンガーズとともに、「浜辺にて」に出てくるオリヴァー・ミューレックスのキャラの変てこぶりに脱帽、最敬礼しちゃいました。

さて、「あとがき」によれば、2022年1月に、井上 央さん編のラファティ新訳短篇集(タイトルは、『とうもろこし倉の幽霊』)が刊行予定とのことです。楽しみだなあ。
ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)Amazon書評・レビュー:ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)より
4150123497
No.1:
(3pt)

実に悩ましい

今回の目玉は、講談社文庫版『世界カーSF傑作選』でしか邦訳が読めなかった「田園の女王」だろうか。
これだけでも買う価値がある、と言えるかどうか悩ましいところだ。
表題作「ファニーフィンガーズ」のほか、「何台の馬車が?」「恐るべき子供たち」「浜辺にて」は、雑誌掲載のみだった作品。
しかしアシモフ編の『新・読者への挑戦 作者は誰だ?』に採録されていた「ほとんど完全犯罪」 は、今回も入らなかった。
どうにも、中途半端な編集内容に思えて仕方がない。
ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)Amazon書評・レビュー:ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2 (ハヤカワ文庫 SF ラ)より
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