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海鳴り
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【この小説が収録されている参考書籍】
海鳴りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全37件 1~20 1/2ページ
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類を見ない貴重な旧内務省・当事者の歴史証言。上下入手し誠に感謝している。 | ||||
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組織で働く人の実績も、組織の変化、上層部の交代によって、見直され、凋落していくさま。 | ||||
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すぐれた内務官僚の目が、歴史の深層を解き明かしてゆく。上巻の尾崎ゾルゲ事件では、尾崎秀実の月収1500円(当時は総理大臣で800円の時代)の内訳(満鉄から500円、ゾルゲから500円、自身の印税など500円)を明示したことは、尾崎の立場を自ずと語ることになり見事。下巻では、白洲次郎の実像を活写して、妻白洲正子の著作によって近年過剰評価されがちな風潮への警告となった。加えて、文章秀逸。「歴史の真実は自ずからドラマとなる」を再認識させ感動した。 | ||||
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時代に翻弄された儒学者の悲喜こもごもの生涯が描かれています。 家宣が将軍となったがために否応なく政治の世界に身を捧げ、自らの理念を貫き通し、ある意味頑ななため理解者ばかりではない幕閣の中で苦悩する姿は、現代日本の閣僚政治にも通ずる所があります。 いいことばかりではなく、つらい描写が多い中、盟友真鍋詮房とのやり取りは少しほっとする場面です。 いずれにしても、心理描写も巧みで読み応えのある一冊です。 | ||||
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映画化が期待されます | ||||
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読後の救いは、挙げて「おこう」にある。不義を重ねながらも、少しも汚れない。その上知恵も回り、決断も早く、しかも完全と為す。幸せを祈らずにはいられなくなる、描かれ様である。著者さえ当初、獄門送りを想定していたのを、覆すことにしたと云う。やはり挙げて「おこう」にあろう。 | ||||
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中古本ですが、上質で安く買え助かります。 | ||||
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江戸時代の勉強 | ||||
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上巻読んだ後、下巻をあちこちの本屋で探したけど全く無くて、結局ここで見つかりました。 お陰で続きを読むことができます。 | ||||
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紙問屋を営む小野屋の新兵衛は、商いこそうまくやっているが、その妻と嫡男のまっとうでない生活には、いささか飽き飽きとする嫌気を持っている。くわえて、それまでは思いもしなかった老いという、嫌でもやってくる人生の時に新兵衛はいた。そんな時、ふとした機に言葉を交わすことになった同じ紙問屋小野屋の家内、おこう。同じ紙問屋の仲間のなかにいて、深くかかわってはいけないと思いながらも、いつしか深い交わりに落ちてゆく二人。(詳しく、その先を書くと余りにも種明かしになって読者には本を読む気力が失せるので、これ以上は書かない。) * 私が、藤沢周平の作品をよく読んでいたのは、もう15年ほど前のことになる。おおよその作品は所蔵していたのだが、3年ほど前の火事で全部焼失し灰に化した。その作品の中で、どうしても頭から離れなかったのが、この「海鳴り」である。 そして再び読み返したのだけれど、小説というものは、それを読む自分の年齢によって、こんなに受けるものが違うのだろうかと思ったのが第一印象であった。 新兵衛の老いへの不安や恐れを、我が身に感じながら、あるいは小野屋のおこうへの優しさ、第二の人生に一歩踏み出すことへの喜びを60代の後半にー子供がいよいよ独立し経済的にもようやくゆとりがでてこようとする僕にーひしひしと伝わってくるのである。 もともと藤沢周平の作品は、時代物ではあるものの、どことなく現代に通ずるものを感じてはいたが、この海鳴りを再読した時ほど思ったことはない。十分に生きてきたと思う心の隅に、もうひとつ、本当の自分があったのではないか。誰から文句ひとつ言われない、あるいは逆に文句ばかし言われた自分には、ひょっとすると、もうひとつ新逆の心が潜んでいたのではないか。そんな転寝の思い出せない夢に漂うように、上下2巻を読んだ。 定年まで勤め、いよいよ自分の人生にゆとりを感じるようになった人たち、そうした人にぜひ読んでほしい一冊だと私は思っている。 | ||||
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「本来権力は、自分に属さずかつ必要をみとめない人間に対しては、弊履を捨てるほどの無慈悲な仕打ちも辞さないものなのだと白石は思った」。将軍家宣亡き後も反対派に屈することなく、国家百年のため金銀改鋳事業と長崎貿易の改善とを推し進めた新井白石であったが、紀伊吉宗が将軍を継ぐと職を免ぜられ、屋敷を追われ、その功業は否定される。 「学問を現実の世に役立てたい」と志した白石は、名君家宣と盟友間部詮房とに出会い存分に胸中の抱負を延べ、今また一儒者に戻って市塵の中に帰った。儒者として稀にみる幸運にめぐまれたというべきであろう。権力から身を退いた老人を待つのは、生活の不安、疎遠になっていく人々、次第に思いのままにならなくなる身体であったが、白石は怯むことなく執筆活動に没頭した。そんなある日、かつて出奔した弟子の佐一郎と再会する。佐一郎は職人の身なりだった。「身体を縛っていた不安感が消え、こごえついた手足に血が流れはじめるのを感じた」。 権力の快さと残酷さ、人心の陋劣さと老いの悲哀。程度の差こそあれ、誰もが味わう人生が本書には詰まっている。派手な見せ場がないことすら吾人の人生を映し出してるようだ。老いた白石に帰るべき原点があったように吾人にもそれがあれば、よき老後を送ることができよう。古人曰く「人の非笑に管せず、人の毀謗に管せず、人の栄辱に管せず……我は只だ是れ這の致良知の主宰息まずんば、久久にして自然に力を得るの処あらん」と。 | ||||
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もちろん再々読・面白い、著者の情景描写と人物描写に、感情が主人公、新兵衛に入りこんでしまう。 | ||||
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題名が落ちでわかる・・・その時点で本のコンセプトがギュッと味の出る本です。人間味あふれる人物に仕上がってなんとも味のあるいい本だと思います。 | ||||
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中高年の恋は昔も今も変わらない。制約があるからこそ激しいものだ。 | ||||
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江戸時代の町屋(商家)の生業がよくわかり面白い!藤沢周平氏の武家ものとは一味変わった内容に興味を持った・・・。 | ||||
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大正末に高等文官試験に合格して内務省に入省し、富山県の警察部警務課勤務から出発して、富山県内の小さな郡の郡長や東京府の内務部農林課、大分県警察部長、警保局保安課長など様々なポストを移動しながら内務行政に習熟してゆき、主として警察畑を歩いて出世していった村田五郎という人物の事績を、ご子息である著者村田光義が村田五郎本人の談話を元に、伝記形式でその事績を再構成したもの。 この談話というのは、昭和40年代に東京大学の伊藤隆教授などが中心となって運営された「内政史研究会」が、戦前の内政に携わった主だった人物(各省の大臣・次官・局長など)に話を聞き、当時の行政の在り方や問題点を探る為に後世に残す資料を積み上げることを目的として行われたオーラルヒストリー群の一冊である『村田五郎氏談話速記録』のこと。 ちょうど同時期に内務省勤務経験者たちが100周年記念事業として『内務省史』を編纂しようという動きがあり、通史として内務省内の各部局の発足から終局までの経過をまとめるかたわら、そのディテールアップの為に、各部局の歴代の責任者にその業務形態や運用の実態などの聞き取り調査が行われていました。 前期の「内政史研究会」の行っていた聞き取りと合わせて、この時期に戦前の内務行政に関するオーラルヒストリーが、かなり幅広く網羅的に積み上げられています。 この『○○氏談話速記録』はヒアリングを行った人数が多いことから、全体として膨大な量となる上に基本的に地味な資料という事もあって、各大学の図書館の書庫などに収められていて、これまであまり研究に活用されることもなくひっそりと眠っていたようなんですが、近年になっていくつかの研究において利用が進み、徐々にこれらの資料の持つ有用性に対する認識が改められつつあるようです。 さて、本書の内容ですが、主人公の村田五郎が内務行政の実務に当たって行き、徐々に出世していく姿を追っているわけですが、これが自然に戦前の内務官僚養成手法の一サンプルのようになっており、当時を知らない者に戦前の行政の在り方を伝える、とても分かりやすい教科書のようなものになっています。 戦前における内務省の業務内容は、他の省庁と比べてもとりわけ広範で、多岐に渡っています。 その様々な業務に新米の行政官として、かなり瑣末なレベルの揉め事の解消や、行政上の懸案事項によって生じた政治的対立の仲裁・調整、警察行政を行う上での治安対策や社会主義思想の取り締まり、建設土木事業の差配、農林漁業従事者の保護育成、貧民救済や失業対策の立案、公衆衛生の指導監督などなど。 こうした多岐にわたる、言い方を変えれば「雑多な行政実務」を次から次に割り振られ、部下を督励しながら使いこなして仕事を片付けていくことで、この国の行政がどのように進められ、どういった問題点が存在しているのかを立体的・総合的に理解させていくことで「内政のゼネラリスト」を育てていくのが内務省という組織の強みでした。 他の省庁がその省の管轄事項となっている行政事務を的確にさばいていけるか否かといういわば「スペシャリスト」の養成を主眼に置いているのに比べ、内務行政は複雑に絡み合った内政全体をいかに円滑に動かしていけるか、ということを主眼に置いていて、そうした業務内容が内務官僚の独特の気風を育んでいったことが実感的に伝わってきます。 行政を行っていくうえで、その施策を行うためにはそれぞれの関係者に利害の対立が生じるがゆえに、そうした軋轢をうまく調整していく手腕が求められるため、そのあり方は、役人というよりもむしろ政治家のそれに近いと言っていいでしょう。 それぞれ仕事を与えられ、「この仕事はうまくやれたけどこの仕事は向いていないな」と判断されれば、進んでいくポストはその人間に向いている方向に進路づけられてしまい、出世もあまり進まないまま退官していくことになります。 「この仕事とこの仕事はうまくこなしたか、それじゃこの仕事はどうだ?」という具合に新しい業務を割り振られて、全般的にそつなくこなしていくと一階梯上がった職責を与えられ、さらにそこで新しい業務をより強い権限を与えたうえで割り振られ、さらにそれをうまくこなすとこんどは中央に呼ばれて本省の課長・部長・次長・局長と進んでゆき、最終的には府県の知事にまで出世できればゴール、といった具合。 ただ、ここに一つ問題があって、政党政治期に「政党によって系列化されていた省内の親分子分関係をうまく渡っていけるか否か」という多分に泥臭い要素が混じってきます。本書は、その官吏人生の前半を政党政治の弊害との戦いに費やし、後半は政党政治が衰退したのちに陸軍と対決する事になる村田五郎の官吏としての歩みを追ったものです。 本書を読んでいてつくづく感じましたが、戦前の行政の制度や運用は現在のものとはかなり違っており、私たちがイメージする「行政」と戦前のそれとの間に、かなりの落差があることに驚かされました。 その違いをもっとも端的にあらわすのが、警察という組織の有り方がやはり代表として挙げられるでしょう。 現在の警察行政はかなり独立性が高く、予算こそ各地方自治体から賄われているものの、各県警察の県警本部長をはじめとした組織幹部は警察庁に入庁した国家公務員一種試験にパスしたキャリア官僚がその席を占めており、警察庁長官や警視総監が全体を統括しているため、国会議員や県会議員、または知事や市長といった、<政治>の側からの警察行政に対する容喙はそう簡単には出来ない建前になっています。政治の側がタッチできるのはあくまで国家公安委員会として警察庁長官を監督することまでで、個別の事件や警察庁の内部人事には触れることができない仕組みになっています。 けれども、戦前はその点が大きく異なり、警察を所管する内務大臣には政党政治家が起用されており、内務三役と呼ばれた「内務次官・警保局長・警視総監」は内閣が交替して内務大臣が変わるたびに人事が交替されるという形で政党政治の去就にトップ人事が左右されるという形で組織が動かされていました。 民政党が政権に立つと、民政党の政策にシンパシーを感じている内務官僚がこの三役に起用され、政友会内閣時に三役を占めていた人物は左遷されてその次の選挙まで閑職に回されるなどして冷や飯を食わされるという事態が起こり、その後に政権交代が起こって政友会が政権を握ると今度は左遷されて冷や飯を食っていた人物が中央に返り咲いたり人口の多い重要な県の知事に起用されたりする一方で、民政党に重用された連中をまとめて左遷するなんていう情景が日常茶飯事になりました。 当然、選挙に負けたくない政党政治家は政権を担っている間は部下となっている内務官僚を使って選挙対策を行い、対立政党の候補者を圧迫して落選させようとするし、野党の側は政権に返り咲いて立場を逆転させるために熾烈な選挙戦を繰り広げるという具合で、選挙戦というものにかかってくる熱量がそれまでと比べてもさらに過重になってきたため、財界を巻き込んでの疑獄事件や汚職合戦がエスカレートしていきがちです。 さらにはこうした抗争を現役時代に繰り返していた有力な官僚が、退官した後、または馘首されて行き場を失ったあとに政党に入党して、旧部下に働きかけたり現役時代に培った人脈を使って自党に有利なように政策を動かそうとしたりします。 戦前の陸海軍の軍人たちのうちの過激な一派が「腐敗堕落した政党政治家や財閥を打倒する」といった言辞を吐いている姿が歴史資料には散見されるのですが、今の政党政治を見ている感覚の延長線上では「言いたいことはわかるけど、そこまでのもんかなぁ?」という感じで実感を持っては理解しがたいこれらのセリフも、戦前の選挙と行政組織とのつながりが見えてくると徐々に実感を伴ったセリフとして理解できてきて、時にはこれらの過激な連中の主張の方にシンパシーすら感じられるようになってきます。 本書の中で取り上げられた政争の一例を取り上げれば、主人公の村田五郎が昭和十年に大分県の警察部長として赴任した際に見聞きした政党間の争いの凄まじさが強烈な印象を残します。 赴任当初、同僚から「あそこの県は政争が激しいから大変だぞ、お気の毒になぁ」という言葉を投げかけられて着任しますが、本当にこれが聞きしに勝るものでした。 なにしろ、新年に行われる消防の出初め式に際して警察部長が訓示を行う(消防も警察の管轄だった)ので、部下の消防課長にその原稿を書かせてみたら、「水は公平にかけろ」という一文が入っていて、「こんな馬鹿な文句は削れ」と指示したら「とんでもない、この一文が特に大事で、大分県の消防組織の訓示では抜かすことはできません」という。 どういうことかというと、「この県では、たとえ火事があっても、焼けている家が政友会の党員の家であれば、民政党系の消防団員は水をかけずに焼けるのを見ているだけで、逆に民政党の家の火事の場合は政友会系の消防団員は黙って見ているだけなんです」とのこと。 人の命がかかわるレベルの事でもこのありさまですから、日常的な県庁の業務や警察の活動においてもこの種の弊害が山ほどあって、民政党系の知事の時にAという道路の建設工事が始まっても、完成前に政権の交代があって政友会系の知事に替るとその工事はストップされ、かわりにBという平行したほぼ同一規模の道路の建設工事が始まりという具合。当然、その工事の受注はそれぞれの系列の工事業者が受託する、なんていうような非効率なことがまかり通るありさまでした。 さらには暴力団までが民政党と政友会に分かれて争われるようにすらなって行きます。 本文から引用しましょう。 「しかしこの事件から間もなく、五郎はどこからともなく彼らヤクザの争いも、元はといえば政争の一環に夜ものであることを聞かされた。それによると羽田の組は政友会系であり、殺された赤松の方の組は民政党系であったので、二人は以前から反目していたのである。 それで民政党系の赤松は、前の犬養内閣時代の政友会系の警察の手により無理やり刑務所にぶち込まれ、その結果赤松の縄張りが羽田に奪われてしまったというのである。それにまた赤松が殺された日に別府の警察署に出かけていったのも、本人が鴛海という民政党の警察署長に会い、前年自分の子分が羽田を襲った件について仲裁を頼む傍ら、先に自分の失った縄張りの取り返しに力を借りるつもりであったというのであった。 このような奇怪な噂を耳にしたので、その後五郎は民間の訳知りの人に会って話を聞いてみたところ、政党政治の時代には警察が政党を守る第一の城壁なら、第二の城壁はヤクザだったというのである。そして彼によれば、その時代の大分の警察は自分の派に属する党人やヤクザたちの犯罪は、たとえそれが憎むべきものであっても、そのほとんどを見逃しておいて、反対党の犯罪検挙に専念していたというのだ。 警察がこのような態度を取るならば、野党側としても自衛上与党側の犯罪行為をできるだけたくさん探り出し、これを黙って隠しておいて、もし警察が野党側の犯罪を一つ摘発すると、それに対して野党側も自分の握っていた与党側の犯罪事実を一つ持ち出して騒ぐ。すると警察は両方の犯罪をチャラにして見逃し、検挙を打ち切っていたというのであった。」 当然、暴力団は犯罪のやりたい放題となり、人を殺しさえしなければたいていの犯罪はおとがめなしなので、「当時の別府市はほとんど無警察状態であり、市民たちは警察というものは暴力団を検挙しないものだと諦めていた」という状態にまで陥っていました。 そこに、犬養内閣後の齊藤・岡田と続いた非政党内閣によって、政党内閣と決別して今度は対陸軍との緊張関係に入っていた中央の警保局長が「天皇陛下の警察官」という言葉を使い、全国の警察部長会議に集まってきた各県の警察部長に対して従来の在り方を是正する指示を出したのを期に、主人公の村田五郎が警察の機構改革と暴力団の一斉摘発に乗り出す姿が描かれます。 もちろん、上記のような事例はとりわけ政争が激しかった大分県に特有の事例だったのかもしれませんが、それでもこうした傾向自体は政党政治が過熱してきた昭和初年代では大なり小なりどこの地方でもあり、そうした土壌から発生する腐敗や癒着というのはなかなか根が深いものがあったようです。 この時期は労働争議や小作争議が頻発している一方で、財閥からの支援の受けていた民政党と、地主層からの支援を受けていた政友会は、それぞれにそうした争議を押さえつけるよう要請されていたわけなので、警察を所管する内務大臣のポストがどちらの政党にとって、いかに大事だったかがうかがえます。 後半で描かれる陸軍との角逐に関しては既知の事柄が多かったこともあって、新鮮な驚きというのは少なかったのですが、それでも平沼騏一郎陣営の一員として振る舞う著者の立場から生じる視点というのはなかなか示唆に富んでいたのが面白かったです。 村田五郎は自他ともに認める平沼陣営なので、内務省・陸軍・政界・宮中の中に重要人物を眺める視点は、これまで私が平沼という人物に対してあまり好感を持っていなかったこともあって彼らの考え方に疎いところがあり、、なかなか新鮮な感覚でそれぞれの出来ごとや人物の動きを観察することになったので、「なるほど、視点が変わるとそれまで見ていたことの意味付けや捉え方も変わるもんだなぁ」という感慨を抱かせてくれました。 他にも、警保局外事課長時代のゾルゲ事件とのかかわりとか、東條内閣の一員としての立場から見た国内情勢の観察とかいろいろと言及したい事も多いんですが、さすがに長すぎになってしまうのでこの辺にしておきます。 上下巻合わせて千二百ページにもなる分厚い本ですが、読みやすさと面白さは類書の中でも群を抜いています。著者の戦後の談話を元にしているだけに、記述の中身を鵜呑みにするのは少々危険ですが、昭和という時代を生きた人々の群像劇として、濃厚な読み応えがあることは保障します。 | ||||
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なんのかんの言っても、やはり人間は男は孤独である。 仕事に突っ走ってきた人生、負けないように、遅れぬように何とか走ってきても 周りを見回すと、自分を理解してくれているのは家族ではなくて他人だったりする。 カネはあっても体は老い、のこった時間を考えると、足し算ではなくて、すべては 引き算でしか発想できなくなったりする。 日々の戦いはやまない、楽にはならない、このまま死ぬのか・・・と考える一瞬。 主人公たちは、なんのかんの言っても決断が速い。実際は状況が揃ったとしても こんなに早く割り切れないだろう・・とも思う。 だけど「この速さ、潔さ」こそ見習うべきなのかもしれない。若いうちはグズグズして いても時間がなんとかしてくれたりするが、年を取るということは「迷えない」という ことなのかもしれない。 それにしても、おこうと結ばれる下りは心が震えた。好きな女とひとつになることは、 何を差し置いてもの「生き甲斐」だと思う。そこに魂がふるえるような思いがあると いうことを忘れてはいけないと思う。 | ||||
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藤沢文学の最高傑作の一つ。一言でいえば浮気駆け落ちの話だが俗っぽさは微塵もなく、主人公小野屋新兵衛をめぐる人間関係の厚みとストーリー展開の必然性が、こうでしかあり得なかった人間の姿として深い共感を呼び起こす。人間心理を追う作者の絶妙な筆使いについては改めて言う必要もないだろうが、「海鳴り」では、江戸時代の紙問屋というものが丹念に描かれていたのが興味深かった。特に秀逸なのは秩父の漉き家とともに一冬を過ごして新しい紙を開発するところ。人間を描く小説というものは、こういうディテールによってこそ支えられるのだと改めて思う。どら息子に悩む新兵衛の姿も、さもありなんと思わせる。作者によれば、最初は新兵衛おこうを心中させるつもりだったのが、書いているうちに愛着がわいて駆け落ちさせることになった由。そうなって本当によかった。無理に難を探せば、江戸に残してきた店や家族のことを新兵衛がほんのちょっとでいいから気づかう気持ちをのぞかせる方が、人間心理として自然ではないかと思った。 | ||||
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江戸時代を背景に人生の半ばを過ぎた町人の愛とその苦悩を家庭、商人仲間などとの葛藤とともに味わい深い文章で描写しています。 | ||||
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江戸時代に生きる商人社会の男女の愛と生。読み終わってからも心に残ります。 | ||||
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