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義民が駆ける
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義民が駆けるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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流石、藤沢作品と思いました。お若いころの作品なのでしょうが丁寧な時代考証に基にした 作品なので安心して読むことができます。小さな力でも結集すれば大きなことができることの 証のようです。生きている時代の指導者の力量を見定めることの大切さを教えてくれた小説と思いました。 | ||||
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ありがとうございました。 | ||||
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越後長岡への転封を命じられた庄内藩の侍、商人、農民が、それぞれの立場で藩や生活を守ろうとした、天保義民事件を題材にした小説です。 著者ははじめこの義民事件から距離を置いた立場だったそうです。あまりにも美談に仕立て上げられていると感じたからです。 そういう背景もあって、単純な義挙としてではなく、色々な立場の者がそれぞれ自分たちの利益を考えて、ある者は自主的に、ある者は追いつめられて行動して、それが交錯して大きな流れになっていく様子が描かれています。 交錯する立場、複数の正義を語るために、著者は膨大な資料の読み込みを自らに課したことでしょう。 | ||||
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「春秋山伏記」に続いて読んでみた。これも鶴岡を舞台にした作品。史実でもある「三方国替え」に巻き込まれた庄内藩がどのようにしてこの苦境から抜け出したかがテーマの作品。 話は江戸と荘内双方で展開する。時間的には天保11年で約8月の期間が扱われる。つまり、荘内(庄内?)の秋、冬、春、夏とすべての季節が登場する。 読後感はどうもいまいちだ。登場人物は多数にわたる。幕府の上層部、外様大名、荘内藩の上層部から有名な本間家や農民、いや農民の中でも階層や地域は細かく区分される。これらの名前を把握するのだけで大変だ。また、これは歴史的な資料からの引用だろうか、江戸時代の文書がそのまま引用される部分も多数で、これを理解するのも結構困難。本書が初めて発表された時点(1975年)での読者はこの部分を大した困難もなく理解できたのだろうか。 本書の肝は荘内の農民の江戸への上京と駕籠訴なのだが、この組織化の黒幕という部分がどうもわかりにくい。庄内藩の財政を支えていた有名な本間家も重要な役割を与えられるような当初の書き振りなのだが、途中からはトーンダウンしてしまう。スパイスとして配置されたであろうある人物(万平)もあまり登場することなく最後まで行ってしまう。最後は江戸町奉行の御裁きともいうある種のdeus ex machinaともいうべき仕掛けの登場で一応はめでたしめでたしとなるのだが、あまりにも安易な感じが否めない。本当のところはどうだったのだろうか。ただ本書の夏の最後のシーンは映画の一シーンにしても素晴らしい。 ところどころに顔をのぞかせるのが、農民と武士との利害のズレや農民の保守的な基盤の指摘。ここにこそ作者の思いがあったのかもしれない。全集での602ページから603ページの部分を引用してみたい。 「半ば本能的に、彼らは変革を嫌悪する。昨日のように今日があり、今日が何ごともなく明日につながることに、彼らは暮らしの平安を見る。そうである限り、たとえ細々とした暮らしでも、父祖以来の手馴れた生き方を頼りに、彼らは生き続けることが出来る。国替えの沙汰は、そういう彼らの生き方に、一方的に変革を強いる恐れがある無体なものとして立ち現れたのであった。帰ってきたのは、手垢に汚れた変わりばえもしない日日であるはずだった。だがその変わりばえしない暮らしが、いまは眩しく光りかがやくようだった。」 天保11年といえば、西暦では1840年。黒船まで後13年。明治まで27年。巨大な変革までもうあとちょっと、そういう時代のお話だった。 | ||||
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本作の主人公は、「義民」たるべき庄内藩の百姓達ということになろうが、実はもう一人の「義民」がいた。その名は、矢部左近将監定謙(さだのり)。3か月前に、問題の「三方国替え」を策した老中首座水野忠邦が江戸町奉行に「登用」した人物である。尤も「以前に、忠邦と意見が衝突して役(勘定奉行)を解かれ」たこともあったが、忠邦には『町奉行にしたのは、儂じゃ。まさか、楯つきもしまい』との「権力の座にいる者の、肥大した自負」があった。しかし矢部は、例え「立場は苦しくな」っても、忠邦に「見くび」られるのを潔しとせずに、「江戸町奉行として、天下が注目している事件を一気に裁いてみせたい功名心」もあって、「国替え一件をそもそものいきさつから」「公けに」する「取り調べ」で臨み、結果老中首座を追い込み、「三方国替え」は「停止」となったのである。この経緯が描かれるのは、全体の2割足らずの分量であるが、権力内部での決着の付け方として、様々な示唆を持つとともに、物語をどんでん返しする箇所として、読み応えを感じさせた。 しかし本作の中心は、表題からして残りの8割ということになろう。言うまでもなく、庄内百姓達の信念に充ちた画策から粘り強く用意周到な決起(強訴)に至る経緯とその結末である。これに決起(強訴)の標的となる忠邦ら幕閣と、決起(強訴)に力を得た庄内藩主及び藩政中枢との複雑な思惑、駆け引きが、水戸藩や周辺諸藩を巻き込んで展開する様も加わり、本作全体を成す。 結局は、どう読み込むかということになるが、一様では済まない。敢えて指摘すれば、決起(強訴)は、百姓達が自ら考え、判断し、行動してのことであるが、それらを成さしめた要因に関し、記述が薄いことである。作中の百姓達は実に沈着冷静で、しかも高度な戦略性と計算された戦術性を兼ね備え、のみならず処罰覚悟の決死の訴えを、時を見計らって見事に進退させており、その様は、感動を越える。また彼らの強い精神性や指導者の優れた統制力は、眼を見張るものがある。小説の域にないことかも知れないが、本作では、何故それらが可能となったか、の分析が、百姓達の「昨日のように今日があり、今日が何ごともなく明日につながる」という保守性としか描かれていない。史実であるにも関わらず、迫真性に欠ける印象を拭い切れない所以か、と思料する。とともに小説の醍醐味を削いだ嫌いも否めなくしている。 | ||||
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著者の多くの作品の中でhは、珍しい、歴史大作。序盤が少し読みにくさは、歴史物にはよくある、が、この作品は、面白く、スラスラと読み終えた。 | ||||
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映画化してもヒットしそうな、スリリングな展開、熱い展開、感動の展開が満載です。時代小説だからとか古臭いという理由で敬遠していたら損します。時代小説の名作でもありますので多くの人にぜひ読んでもらいたい一作です。(小中学生の読書感想文にも向いていると思います) 江戸時代、領民が藩主を助けるために事を起こすというのはまず考えられないことでした。それがこの庄内藩では起こったのです。その史実(天保義民事件)を劇的に描いているのが本作です。 本作のストーリーは、領民の視点からだけでなく、徳川家斉と水野忠邦や鶴ヶ岡城など様々に場面が切り替わり、語られていきます。 | ||||
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いつものことながら、最後まで気持ちよくお取引できました。ただ、マーケットプレース店は配送状況の確認ができないのが残念。 | ||||
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川越藩の陰謀により、長岡藩、荘内藩の三方国替えが実施されようとするが、もっとも豊かであり、なんの落ち度のない荘内藩にとっては、事実上の左遷であった。 問題人物とされる川越藩主を迎えては一大事と、農民を中心に領民、荘内出身の商人などが立ち上がり、幕命を覆したという話しである。 封建制のもとであるから、いろいろなことがあったには違いないが、代々そこそこの善政を施してきた酒井家に対して領民はそれなりの信頼感を抱いていたのである。「百姓と雖も二君に仕えず」との宣言のもとに行われた一揆であったが、忠義に名を借りた、百姓達の生活不安定化阻止運動でもあり、そのしたたかさ、たくましさが垣間見られて面白い。 ともあれ、江戸時代に幕命に対する大規模な領民の一揆というのは他にないのではないだろうか。 映画化を望む。 | ||||
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「酒井左衛門尉忠器儀、酒田港取締り不行届きに付、このたび越後長岡に所替仰せつける。以上。」 三方領地替えとして、荘内藩を長岡に、長岡藩を川越に、川越藩を荘内に移す形で国替えを命ぜられた荘内藩は、水野忠邦の策謀に必死の抵抗を試みる。 同時に領内の農民は荘内藩を守るため、自分たちの生活を守るために義民となって、懲罰を省みず直訴に向かう。 三方領地替えという政治闘争的な表現が難しいものを、藩主や老中といった視点だけでなく、農民や商人という多くの視点からお互いの利害を踏まえて的確に描いている。 史実を題材とした歴史小説で、小説として面白いだけでなく、細部にわたるまで綿密に調べられており、歴史としても非常に勉強になる。 政治的駆け引きという、現在社会においても十二分に通ずるものと考える。 また、歴史を的確に描いているためか歴史的背景が複雑であったり、登場人物が多いため比較的難しい内容となっている。 | ||||
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藤沢作品の中でも、これはかなり難しい作品です。 お殿様が移動するのを拒む為の「百姓一揆」なのですが、 如何せん難しい。 じっくり、ゆっくり読んでください。 面白いですが、難しい。 | ||||
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中村彰彦の川越藩士側からみた三方国がえ(北風の軍師たち)に対し 本書は荘内藩の百姓側からとらえた三方国がえである。どちらもかかわりのある徳川家斉!家老の水野!百姓を裁いた矢部、もう一人の奉行はあの有名な遠山の金さん!それなのに…裁きは初めて百姓側の訴えが聞き入れられ幕命がくつがえされる。こんな事があったのである。 「…でがんす」「…さけ」と(山形生まれではないが)なじんできた方言での百姓の言葉を中心に涙で目頭を熱くしながら読んだ。 | ||||
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ちなみに、「義民」とは、 =義のため、一身を投げ出して尽くす人。特に江戸時代、百姓一揆の指導者として処罰され、民衆に敬慕された人をいう。義人。 難しい・・、 超難解。 早い話が、山形で藩主国替えの指示が出だが、 農民が、「オラの殿様を他所に行がせねーために、百姓一揆おごして差し止るだ↑」 と、言う内容だ。が、 今まで読んだ数ある藤沢周平ものの中で一番難しい↑。 この本を発見しだ際、文庫にしては厚がっだで「かなり浸れるがな?」と思い購入。 最初の導入部分がら難しがったが、 「長編だがらそのうぢ理解でぎるがな?↑」と読み進めでいるうぢに、何時の間にやら後半になっでいた↑。 一言 「づがれだ、参った!」 | ||||
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天保十一年、幕府は長岡藩主牧野備前守を川越へ、武蔵野国川越(埼玉県)藩主松平大和守を出羽国庄内へ、庄内藩主酒井忠器を越後国長岡(新潟県)へ領地替えする命を下した。世に言う、三方国替えである。 この国替えを阻止しようと、庄内藩の百姓達が大挙して江戸に登り、直訴を行うという前代未聞の行動に出た。本書はこの事件を扱った時代小説である。 水野忠邦を筆頭とする国替えを進める幕閣の人々、酒井忠器を筆頭とする故無くして石高半減の国替えを阻止しようとする庄内藩の武士達、それに、苛烈という新しくやってくるであろう領主の話に不安を抱き、自らの暮らしを守ろうとする庄内の百姓達。また、国替えという大事件に巻き込まれる庄内藩と繋がりのある豪商本間光暉や川越藩のために動こうとする百姓。事件を通じての彼らの思惑や行動を藤沢周平は丹念に描いていく。 幕府の威信と自らの権力の確立のために国替えを強行しようとする水野忠邦、大名達の反感を盾に賄賂、コネとあらゆる手段を講じて国替えを取り消そうと奔走する庄内藩、そこに彼らがまったく予期しなかった要素として庄内の百姓達の大挙して江戸に昇るという事件が起き、その事件の処分を巡って国替えは急展開を見せる。 それぞれがそれぞれの思惑と利益のために動き、時に協調し、時に反発する。欲望と自己犠牲が表裏一体としてせめぎ合う中で、処罰覚悟の直訴が行われ、それが歴史を動かしたという確かな人間の生き様とドラマが感じられる良作である。 | ||||
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