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度胸
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度胸の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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1作目の本命!未だ電子書籍化なし!早く電子化して販売してほしい! | ||||
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アート・マシューズはイギリスでも有数の競馬騎手だった。その彼が自殺した。それも競馬場の下見所の中央、観衆の面前で。半狂乱に陥り、おちぶれ、あるいは死んでゆく騎手たち――彼らを恐怖のどん底に追いやる。アメリカ探偵作家クラブ賞受賞。 | ||||
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途中まで本当にもやもやしました。最後は後味悪いけど、落とし前つけてます。こんな人そばにいたら嫌ですよね・・・でもここまでひどく(病気)ないけど、多かれ少なかれいますし、自分にも妬みってありますから。。。。反面教師にしましょう。 | ||||
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読んだのが3ヶ月ほど前で、その後本を友人に進呈してしまったので、手元になく、レビューが書けません。 面白かったことには間違いありません。 | ||||
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電子版を買いました。 内容は他のレビューにもあるように大変面白かったのですが、OCRで読んで校正してないのか、「オフィス」が「ナフィス」だけでなく「つむじ曲がり」が「つむじ山がり」、「溢れ」が「盗れ」、「め」が「あ」など信じられないような誤植が山のようにあります。 『本命』の方は一時販売停止になっていますが、これも誤植のひどさは変わりません。 | ||||
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Kindle版購入。 読み進める途中なのだが、自分が白分、六年間が六年問など、無視できそうだが頭にひっかかるスキャンミスのような誤植続出で、版元の神経を疑う。 作品と関係ない品質の問題で残念。 | ||||
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第二作『度胸』の原題はNerveすなわち「神経」でもある。そのとおり本作は馬場でのスピード勝負だけでなく、馬場を越えてでての神経(心理)戦がくりひろげられる。そして「私」と悪役とのあいだでクライマックスとなる。同じ目にあわせる、目には目をである。ディック・フランシスの主人公「私」はつねに桁はずれの勇気をもっている。敵にたいするそれがおのれをとめどない痛苦にさらす。勇気は痛苦に裏打ちされねばならないがごとくだ。肉体的に片腕をだめにされる試練となる第四作『大穴』第十八作『利腕』が典型的な例となる。その肉体的、神経上の痛みははるかに堪えがたいい心理的な苦悶となって主人公を襲う。そこで敵は、悪役をこえて自己となる。自己はそれに堪えられるか否か、乗り越えられるか否かがうちで厳しく問われるのだ。警察や競馬の保安委員に訴えでることはできる。だが敵をほかの権威や権力で打ちのめしても、敵にしてやられた痛苦、それに打ちのめされ敗地にまみれたおのれの記憶は癒せない。動物が傷を孤独におのれの舌でなめて治すように、「私」はその本能に従う。目には目をでなくてはならないのだ。 誇りと無縁ではないこの自侍のルールはまさしく「私」のものである。おおくのフランシスの作品で警察などの権力に決着をすべてゆだねない「私」の姿勢は、作品の高さとも無縁ではないとわたしはおもう。ゆえに第三作『興奮』のエピローグはわたしの好みに反し、またかれのルールからも逸している。わたしはこの第二作『度胸=神経』こそがかれの代表作の第一候補にふさわしいとおもう。本書はかれの真髄を端的に生きている。まさしく本質的な作品である。 本作で「私」と悪役が双生的関係であるはそのためである。ともに優秀な家族からのはぐれもの、そのコンプレックスをもっている。ただ違いは「私」にはつぎのような母がいたことだ。 《……私は、生まれてこのかた無数に経験したように、指ならしの半音と手首をやわらげるためのアルベッジオで目をさましベッドにのんびりと横たわったまま、母が不協和な近代音楽の楽句を一つずつ取り上げて、完全に覚えたと満足でき、音が思い通りの順序で流れるまで各楽節を何度も何度も繰り返すのを聞いていた。私はその姿を正確に頭の中に描き出すことができる。カシミアのスエターとスキー・パンツを着て特別製の腰掛に背筋を伸ばして坐り、音以上のものをピアノから聞き取ろうとするかのように首を前に突き出している。曲の真髄を探っている。……完成された概念が鮮明な光を放って現出するまで、音調と情調の対照を鋭く磨き上げる。母は、子供のころの私にとって慰安を求める対象ではなかったし、大人となった今の私にさして愛情にみちた関心を示さないが、自分自身の行いによって、人間として大切にし尊敬すべき数多くの資質を現実に見せてくれた。例えば、プロフェッショナリズムである。目的に対する単純、強固な意志がある。たんに努力することによってより高度なものに到達しうる時、低い水準における満足感を拒否する。彼女が母としての役割を拒絶したがゆえに、私は若くして徹底的な自主独立の精神を身につけた。そして、聴衆の面前における栄光のかげの骨身を削る努力を見ているがゆえに、自らの努力なくして人生の果実を期待してはならないことを知りつつ成人した。母親として息子にこれ以上の教えを与えることができるだろうか?》 こうして鏡像的な境遇をもつ怜悧狡猾で邪悪な敵を、しじゅう減量に苦しむ空腹の若き闇雲な騎手である「私」はおのれに打ち克つという自侍のルールで終局裁く。《寛容か、と思った。それはまた別のことである。許すのには、長い時間がかかる》と迷いつつも。 悪役の造形の見事さにおとらずおなじ騎手仲間の群像も読みものである。また「私」が恋慕しつづける従妹の設定もまた精巧な隠し歯車のように「私」を、そして本作を動機付けている。すばらしい恋愛物語といってもよい。彼女は「私」の失恋をからからと笑いのめして登場する。騎乗不可能に痛んだ身体の「私」をスケートに連れだしてほぐしてバランス感覚をとりもどさせてやる。そして裁きに手をかすのである。 だがこのクライマックス前にもうひとつのクライマックスがある。クライマックスというならその名はむしろこの場面にあたえるべきだろう。その痛んだ身体でのぞむ度胸一発の競馬シーンである。みごとに説得力ある理路をもって克明にして簡潔な馬体の疾走、競り合いが描写される。ここで勝たなければ敵への報復が成り立たないという「私」の心理的負い目がきえる。その瞬間、純粋にチェイスの恍惚で疾駆の光景が明朗に輝くのだ。 | ||||
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勝負にかける熾烈な戦いと度胸の強さがすごい迫力で読んでいる者に訴えてくる。この作者は人間としての尊厳とは何かということを「競馬」を通して教えている。読み終わった後、安堵感とずっしりと満足感で満たされる。 | ||||
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イギリスの障害競馬騎手出身で騎手として成功した後、ミステリー小説作家になってから数々の傑作を残したディック・フランシスの初期の作品。 障害競馬騎手出身の経験がいかんなく物語描写の中で発揮され、下積み騎手のプロフェッショナル魂、成功をつかみかけたときに突如前途を阻まれ、どん底に突き落とされたところからの再起、職業人として信頼を失うことの恐ろしさ等々の人間模様が非常に丁寧に描かれており、フランシスの作品の中で一番好きな作品、一押しの作品です。 30年以上も前の中学生の頃、NHKラジオで、広川太一郎さん、池田昌子さん、熊倉一男さんという豪華声優キャストでドラマ化されたときにこの作品の存在を知り、フランシスの大ファンとなるきっかけとなるとともに、この作品は私のお気に入りで何度も読み返しました。 最近、原著の「Nerve」をKindle版で見つけ、懐かしくて購入。英語は得意ではないのですが、読み始めたら止まらなくなり、一気に読み終え、改めて感動に浸っているところです。原著で読んで改めて分かりましたが、菊池光さんの翻訳は非常にこなれた日本語訳で、秀逸。邦訳と原著の読み比べも非常に面白く、お勧めです。 | ||||
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D.フランシスの「競馬シリーズ」中の代表作の一つ。本シリーズは作者の騎手時代の経験を活かした競馬界のリアルな描写と問題提起、主に元騎手でストイックな性格を持つ主人公の苦難に満ちた活躍を描いた緊密なストーリー展開で定評がある。 本作の主人公フィンは騎手生活2年目で、まだ実績がない下積み。この他、音楽一家の中で唯一人音楽的才能がない。恋人に振られたばかり。幼い頃から心を寄せている従姉には相手にされないと言った負い目を持っている。通常は、落馬等によってケガを負い引退を余儀なくされた主人公が、その身体的・精神的ハンデを苦難の末に乗り越える姿を描くと言うパターンなのだが、本作では意図的に設定を変えて来た。 冒頭でいきなり先輩騎手が自殺する。彼は実績充分の35才の騎手だが、調教師との確執等の競馬界の最近の不穏な様子が示唆される。作者の意図は若き騎手のサクセス・ストーリーの端緒をベースに、競馬界の勝負の厳しさ、騎乗時の緊迫感、騎手が肌で感じる疑惑等を描こうとしたのだと思われる。確かに、これなら現役騎手の方が良い。下積み騎手としてのTV出演、レギュラー騎手のケガによる代役での活躍、騎手達を襲う不当な黒い噂、フィンを目の仇にする理事、そして突然のフィンの不成績。周囲はフィンが「度胸」を失ったと言う。これらが無理なく語られる。ここからは自らの名誉を回復するためのフィンの闘いで、通常の展開に近い。ターゲットは中盤で明らかにされるが、フィンとある境遇が似ている点は皮肉か。普段は表面化しない劣等感が狂気として噴出する犯人の妄執ぶりとフィンの不屈の闘志との対比で読ませる。肉体的耐性を重視している点は常の如く。 新しいタイプの主人公の造詣で、シリーズに清新な魅力を加味した佳作。 | ||||
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いやな犯人だったな。悪魔のような卑劣な手段を、つぎつぎ実行していく犯人を、主人公は、だれにも頼らず、自分の手でやっつけます。物語はフィクションだと思いますけど、きっと、実話に取材しているでしょうね。べつに競馬界にかぎらず、犯人がえらんだ手口で、他人を破滅させることは、できますものね。もし風評被害にあって困っているなら、ぜひ読んだほうがいいですよ。事実と、冷静な観察で、犯人を追いつめてゆくやり方が、克明です。ちなみに、ディック・フランシスは競馬もので有名な作家さんですけど、わたしは競馬のこと、何も知りません。知らなくても、だいじょうぶです。 | ||||
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フランシスの長編は翻訳版は全て、原書もいくつか読んでいますが、「度胸」は私の中で五本の指に入る傑作です。最後の一行まで楽しめる作品としても、特に心に残っていますね。冒険小説の中には、タネが判ってしまうと二度読んでも面白くないものもあると思いますが、フランシスの良作は、何度か読み返しても楽しめると思います。余談ですがこの作品を気に入られた方には、フランシスの「証拠」をおすすめします。彼の作品は、基本的に水戸黄門(勧善懲悪のワンパターンな作風)なのですが、この二作品は特にテーマ・伏線に似たような部分があると思っています。 | ||||
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大好きな競馬シリーズの中でも、再読度ナンバーワン。読み出したら止まりません。絶対おすすめです。 | ||||
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本書はフランシスの競馬シリーズの最高傑作だと思う。でも、これまでずっと書評を書けずにいた。なぜなら、この本がどうしてそんなに魅力的なのか、ネタばらしをしない事には、どうにも表現できないからである。実に思いがけない展開の、突拍子もない話なので、できたら何の予備知識もなしに読んでほしいと思う。なお蛇足だが、本書のあとがきにはネタばらし的な内容が書かれているので、先に読まないように。もう1つ蛇足を。競馬には興味ないからと敬遠している方も、どうかご心配なく。フランシスの作品は、競馬への好き嫌いに関係なく十二分に楽しめる事を、やはり競馬には興味のない私が保証します。 | ||||
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