野火

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評判

野火の評価:

4.47/5点 レビュー 101件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.47pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全110件 21〜40 2/6ページ
No.90
(5pt)

言えることは、戦争は飢餓地獄を生み出すという事です。

この小説は、いわゆる戦争映画のような戦闘シーンや軍隊の上下関係などはでてきません。
フィリピン戦線のレイテ島パロンポンへ向かうジャングルの中、想像を絶する飢餓に襲われます。米兵との戦いなどでてきません。あくまでも飢餓との戦いです。食べるものがない極限状態は、人肉に手を出すかどうかです。この小説とは別に人肉に関し、中国の古代から近世にかけて食人の習慣が、緊急避難行為などではなく、恒常的な食文化として根づいていたようです。
日本ては、秀吉が行った「三木城」「鳥取城」の「干し殺し」「飢え殺し」のように飢餓により、死者の肉を食べるという事態が発生しました。武田泰淳の小説「ひかりごけ」にあるように難破し極限状態の船長が、仲間の船員の遺体を食べて生き延びた話が有名です。
この小説の背景の太平洋戦争の東南アジア戦線の日本軍では、補給が慢性的に途絶したことで大規模な飢餓が頻繁に起こり、死者の肉を食べるという事態が発生したことは事実のようです。
この小説の主人公は、猿の肉といわれて食べていた肉は、人肉だと薄々感じていたが、己を欺いて
食べていましたが、実際、目の前に人肉を出されると、食べれませんでした。
ここに神が登場します。神は飢えの果てに肉を食い合うのに対し怒るのです。主人公は、神を代行して
人肉嗜食する松永を殺します。人肉を食べないことにより天使になれると主人公は思ったのでした。
読み終え何か宗教的なものを感じました。
この小説は、戦争映画というジャンルではなく、飢餓地獄という極限状態におかれた人間か゜
どんな対応をとるかということで、上記の戦国時代、難破船時などと同じ状況です。
人間を放棄しどんな事をしてでも生きるか、人間としての尊厳を保つか難しい選択に迫られます。
ただ言えることは、戦争は飢餓地獄を生み出すという事です。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.89
(5pt)

文章から映像が見える

序盤の土地の描写と比喩の連続が読みにくく、文体も硬く退屈かもなと最初は思っていたのですが、
物語が動き出すと胸を打つ凄まじい小説でした。

レイテ島を彷徨する主人公の目を通して戦地の映像が伝わってきて、
胃を圧迫されるような吐き気が読書中ずっと付き纏っていました。
兵士たちとのやりとりは印象的な場面が多く、
自分自身もその場の一員になったかような感覚に陥ります。
内省的な場面は哲学的であったり宗教的であったりでわかりにくい表現もありますが、
くどくどしさはないので読みにくくはないです。

他の作品もすぐにでも読んでみたいと思わせる力強い作家さんでした。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.88
(5pt)

映画も合わせて見る事をお薦めします。

塚本晋也監督の、同タイトルの映画を先に観ました。是非、小説と映画の両方をお薦めします。
大岡昇平の壮絶な戦争体験が、つい体験出来るかもしれません。
野火 (角川文庫) Amazon書評・レビュー: 野火 (角川文庫)より
4041211042
No.87
(5pt)

狂気を語る

まず題材の段階で忌避する人もいそうだが、小説で見る限りはある程度ぼかして表現されているので、額面ほどの生々しさは感じないはずだ。大岡昇平氏の表現力がなせる業だろう。

 第二次世界大戦の暗黒面、フィリピン上陸戦の惨禍を、兵役経験のある大岡氏が多彩な比喩と想像力で陳述する。戦争小説と幻想小説を融合したという感じで、そうとうに独自性の高いものと言えるだろう。

 第一に挙げられるのは、徹底した風景描写。田村一等兵が新地へ赴くたびに、詳細に、悪く言えばくどいほどの情景描写がほどこされている。
 むろんただの文字数稼ぎなどではない。時代の流行に乗っているわけでもない。
 この作品のコンセプトはずばり「極限状況における人の狂気と理性」である。食料、尊厳、仲間がことごとく奪われる絶望状況において、なおも神への畏敬(もしくはそれに近しいもの)を持ってカニバリズムの誘惑を振り切る、という物語だ。
 そのコンセプトの下では、自然の風景を生きとし生けるものとして描くのは理にかなったことであるし、多彩な表現技法によってそれを実現している点もすばらしい。「汝、殺すなかれ」という神の大原則を最後まで胸に抱き続けた田村一等兵の精神力は、想像しがたく強靭である。

 人の狂気、という言葉は田村一等兵だけでなく、登場する人物ほぼすべてに同様のことが言える。
 象徴的なのはやはりラストシーン。病院にいたころは友情すら芽生えていた永松と安田が、飢えに狂い、裏切りあい、ついには二人とも野垂れ死ぬ。作中では安田がほかの二人を裏切ったという形になっているが、永松も安田の手足首(つまり食べられない部分)のみを切り落としていたり、仲間を猿と称して食らうことを黙認していたりするため、程度は違えど狂っていたことに変わりはないのだろう。田村に殺されることも宿命であったのかもしれない。
 その他、降伏した伍長を撃ち殺す女兵士。
 「自分の腕を食ってもいい」と言って支離滅裂な言葉を唱える仲間。
 同胞が焼き殺され、「野火」となる光景を嗤って見下ろす田村一等兵――。
 死に向かう人間の狂気をまざまざを映し出すこの作品は、どんなホラー小説よりも「恐怖」を体現しているといえるかもしれない。
 自分の肉を食うシーンにすら違和感を覚えないのは、『野火』以外にありえないだろう。

 と、かなり「えぐい」作品なのだが、作中にはしきりに「神に栄えあれ」というモノローグが挟まれている。
 これが生に感謝する言葉として真心から出たものなのか。
 あるいは「狂気」に落ちる人間の最後の皮肉としての言葉なのか。
 田村一等兵に、真意をお聞きしてみたいものだ。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.86
(4pt)

すさまじい迫力。

第二次世界大戦末期のレイテ島における敗残兵の彷徨を一人称で記すことで、極限的な状況における人間の心理を描く。
 「復員後」を描く最後の3章の位置づけが私には分からなかったし、吉田健一の「大岡昇平氏の作品を読めば読む程、日本の現代文学に始めて小説と呼ぶに足るものが現れた(p.210)」という評価の当否も私には下せない。ただ、その程度の浅い読みでも、本書がすさまじい迫力で読者に迫ってくることは分かる。
 著者自身の従軍体験や、捕虜として著者と知り合った元兵士の体験なしには本書は書かれなかっただろう(「現在私の持っているレイテ島の戦闘に関する知識は、大抵この帰りの船中で得られたものである」と『俘虜記』にある)。しかし、本書を「戦争文学」と呼ぶことが妥当なのか私はいささか迷う。「戦争」そのものが主題とも考えにくいところがあるからだ。
 本書の描写は視覚的で、これは映画化したくなるだろうなと思った。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.85
(5pt)

巧みなる筆致

野火の映画版を観てから原作に関心を覚え、読了した。
映画では意味不明すぎたラストシーンの意味を理解出来た。
また、著者の文章力も脳裏にありありとその光景が浮かぶようで脱帽した。現代の作家も見習うべき。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.84
(4pt)

極限下での人間心理に興味のある誰かへ

"肉はうまかった。その固さを、自分ながら弱くなったのに驚く歯でしがみながら、何かが私に加わり、同時に何かが失われて行くようであった。"著者のフィリピンでの戦争体験を基に1951年に発表された本書は、人間の極限状態における心理が静かで、かつ刺さる様な文体で書かれている。

個人的には、表題作というより、一緒におさめられている読書会の課題図書ハムレットの2次創作作品『ハムレット日記』を探す中で本書と出会ったわけですが。戦争小説と言うと、どうしても争いそのものの勝敗にクローズして描かれがちなイメージがありますが。本書の視点は『そこ』ではなく、もはや敗北は決定的な中で、意識が混濁しながら彷徨う主人公の姿に【カニバリズムに代表される人間の尊厳について】鋭く問われる読後感でした。

また1959年に市川崑、2015年に塚本晋也がそれぞれ監督をつとめて映画化されている様ですが。そちらはまだ未見の為、本書を読んで。どの様に映像化されているのか。ちょっと怖いもの見たさ的な楽しみを感じ始めたり。(予告→ https://m.youtube.com/watch?reload=9&v=qD0vDR1NKiI )

極限下での人間心理に興味のある誰かに、また文書表現を学ぶ誰かにオススメ。
野火;ハムレット日記 (岩波文庫) Amazon書評・レビュー: 野火;ハムレット日記 (岩波文庫)より
4003112318
No.83
(4pt)

これは本当の戦争の話

フィリピンの壊滅的な敗戦の戦場に駆り出され、死の恐怖と飢えの中におかれた兵士が、敗走する途中で、偶発的に殺人を犯し、その後、飢えにより人肉を食べるという行為を行ってしまう。特に後者は衝撃的であるがリアルな内容から事実に基づいていると推測した。
昔読んだ「俘虜記」と合わせて考えると、戦争の現場に送り込まれるのは市井の人々であり、そうした普通の人が、究極の3K(汚い、危険、きつい)の現場で、意に反して、こうした行為に追い込まれるのが戦争であると考えた。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.82
(5pt)

読んでいただきたい

「悪文」と題して “こんな「文学」につきあう時間があるならほかにもっと優れた本がいくらでもある” とレビューする人もいるようですが、
果たしてこの文章が文学もどきに過ぎない飾りなのか、それとも削ぎ落とされた本当に特別な作品であるのか、それは読めば必ず判断がつきます。

万人が賞賛すべき文学というのはありません。この作品も、あなたが必ず賞賛できる作品とは言えません。
それでもなお、この作品はあなたが読んで、そのよしあしを評価する価値のある作品なのだと思うのです。
野火 (角川文庫) Amazon書評・レビュー: 野火 (角川文庫)より
4041211042
No.81
(1pt)

戦争文学の金字塔というけれども...

謝って、現地の女性を殺してしまった....猿と呼んで、味方を撃って、食べた(自分では記憶にない)....自分はひどい病気だった....大けがをして、助かったけど、精神病院にはいった.....

自分は「良心」を持って、戦場にいた....そういいたいのですか。ほとんどが自分に都合のいいように...解釈された....フィクションです。

あたかも、仕方がなかった....でも、本当は...もっと闇も体験していますね。それが...消されている。つまり、改ざんされた作品。フィクションです。まあ、小説ですから、主観だろうが、都合のいいように描くのは、小説なんで。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.80
(4pt)

戦争文学というよりは内省的な小説

戦場が舞台であり、リアリティも十分に感じるが、戦場はこの小説の舞台であり、主人公の思考こそが話の本質ではないか。遠藤周作の沈黙を読んだ時と似た読後感がある。
戦場だけでなく、飢餓が今より遥かに身近であった江戸時代以前には人肉食が避けられない状況があったようだ。この戦場で人肉を食べて飢えをしのいだ兵士と、食べていいよと言われながらも最後までとどまった主人公とを分けたのは信仰の力なのだろうか。
ここ数十年で帰還兵のPTSDが問題になってきたが、当たり前だが75年前にも苦しんだ多くの兵士がいたということだろう。
死ななくていい人、傷つく必要のなかった人がどれだけ犠牲になったのだろう。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.79
(4pt)

絶対状況で人間がなすものを見た

肺病の兵士が隊にも軍病院にも居場所を無くし、最終目的地に向かいジャングルを抜ける。女性を殺し、猿の肉だと言われたものを食う。一歩進むと、それは死体から剥ぎ取った肉であった。 戦争は道徳も失う。誰のための戦争なのか、なんで戦うのかを読者に問うている。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.78
(5pt)

レイテ山中の在るが儘の地獄

太平洋戦争末期、日本軍が壊滅したレイテ島で、肺浸潤の為、敗走する部隊から放逐された田村一等兵は、彼自身の云う『敗北した軍隊から弾き出された不要物』の独歩患者達と共に、あてもなく山中を彷徨う。彼等は等しく病み飢え衰え、その有様は『人間よりは動物に近かった。しかも当惑のため生存の様式を失った、例えば飼い主を離れた家畜のように見えた』様な状況に陥っていた。やがて敵の砲撃で散り散りになり、田村一等兵は独り糧秣を求め歩き、ある時は農村で無辜の現地住民の女を射殺し、ある時は敗残の友軍と一緒になって集結地を目指す。幾度かの離合集散の後に、飢餓と衰弱で意識が混濁し、死の一歩手前にあった田村一等兵は、嘗て行軍を共にした永松、安田と合流するが、心身共に末期的症状にある彼等は友軍敗残兵を見付ける度に射殺し、その肉を「猿」の肉として食しており、田村一等兵にもそれを喰わせた。やがてお互いが殺し合い、それを生き抜いた田村一等兵のみが米軍に捕らわれる。

  此の手記は戦後精神病院に於いて、田村元一等兵が自身の逃避行を回想して書いている事は最後になってわかるが、米軍に捕えられる迄の観察の視点や思索の描写は、何ら異常なものを感じさせず、寧ろその冷静さに驚かされる。そこに語られる余りにも異常な比島山中での体験は淡々と描かれ、最早何が異常であるのか、本当に彼が精神病者であるのか、そもそも彼にとって正常と異常の境界線が何処にあるのか、模糊として解らない。

  敢えて狂気の痕跡を求めるなら、手記に書かれる様々な自然ならざる無数の死、それらが平淡に列挙されつつも、必ずそこに神の意志を併せて語る部分にあるだろうか。それでいて常に現実世界では、神や信仰に背く矛盾する行為を重ねて行く。山中の教会の輝く十字架に、嘗て求めた基督への救いを求めて赴くも、其処に現れた比島の女を射殺してしまう事。その直後に罪悪感に苛まれて銃を放棄するも、友軍の敗兵に出会えば直ぐに殺人の事実を忘れ、銃を放棄した事を後悔し、再び銃を求める事。また飢餓の限界に至り人肉食を意識し始めた時、瀕死の将校に出会いその肉を食べようと試みるも、神の意志と良心の呵責に耐えられずそれを拒むが、やがては肉を求めてその場に戻る事。こうした観念と現実の行為との狭間で、生きる本能に従い山野を彷徨うも、やがて余りに苛酷な境遇が、観念も信仰も正義も人倫の境界線をも次第に失わせて行き、遂には最早矛盾も罪も罰も存在しない状態に堕ちていく。彼等は皆人間の生存の限界点に達しており、現に限界点を越えた数多の将兵は、山野にその最期の姿の儘の骸を晒した。それでもなお限界点にある田村一等兵には民間人殺害や人肉食への罪悪感がついて回るが、例え彼が凄惨に過ぎる境遇の中で、その罪悪の境界線を越えたとしても、平和な日々に在る我等は何を言う事が出来ようか。それでも尚、彼はその境界線を自分からは越えなかった。

  田村一等兵の辿った足跡は、望まずして陥った凄惨な事実と経過だけが其処にあり、その極限の最中には結局神はおらず、罪も存在しなかった、というだけに帰結する。還らざる比島の山野に骸を晒した将兵の無惨と其処に嘗て行われた人倫の道を越える行為だけが、それを知る僅かな生還者達の心に留まったのであり、なんとも救いようの無い物語である。此の『野火』はあくまでも小説ではあるが、恐らく此れに類似した運命は、ガダルカナル島やニューギニア、インパール作戦、比島全域、そして無数の戦場に無数に行われていた事であろう。それはもう表現する術を持たない、悲惨の一語である。

  田村一等兵自身が云う、『その時私を訪れた「運命」という言葉は、もし私が拒まないならば、容易に『神』とおき替え得るものであった。」と言う表現が、飢餓と病で戦場に散った無数の将兵の、運命と神に救いを求め、或いは呪詛し、帰国を懇求した幾多の声を代弁するかの様で、一層の虚しさを読後に残す。
野火 (角川文庫) Amazon書評・レビュー: 野火 (角川文庫)より
4041211042
No.77
(5pt)

レイテ山中の在るが儘の地獄

太平洋戦争末期、日本軍が壊滅したレイテ島で、肺浸潤の為、敗走する部隊から放逐された田村一等兵は、彼自身の云う『敗北した軍隊から弾き出された不要物』の独歩患者達と共に、あてもなく山中を彷徨う。彼等は等しく病み飢え衰え、その有様は『人間よりは動物に近かった。しかも当惑のため生存の様式を失った、例えば飼い主を離れた家畜のように見えた』様な状況に陥っていた。やがて敵の砲撃で散り散りになり、田村一等兵は独り糧秣を求め歩き、ある時は農村で無辜の現地住民の女を射殺し、ある時は敗残の友軍と一緒になって集結地を目指す。幾度かの離合集散の後に、飢餓と衰弱で意識が混濁し、死の一歩手前にあった田村一等兵は、嘗て行軍を共にした永松、安田と合流するが、心身共に末期的症状にある彼等は友軍敗残兵を見付ける度に射殺し、その肉を「猿」の肉として食しており、田村一等兵にもそれを喰わせた。やがてお互いが殺し合い、それを生き抜いた田村一等兵のみが米軍に捕らわれる。

  此の手記は戦後精神病院に於いて、田村元一等兵が自身の逃避行を回想して書いている事は最後になってわかるが、米軍に捕えられる迄の観察の視点や思索の描写は、何ら異常なものを感じさせず、寧ろその冷静さに驚かされる。そこに語られる余りにも異常な比島山中での体験は淡々と描かれ、最早何が異常であるのか、本当に彼が精神病者であるのか、そもそも彼にとって正常と異常の境界線が何処にあるのか、模糊として解らない。

  敢えて狂気の痕跡を求めるなら、手記に書かれる様々な自然ならざる無数の死、それらが平淡に列挙されつつも、必ずそこに神の意志を併せて語る部分にあるだろうか。それでいて常に現実世界では、神や信仰に背く矛盾する行為を重ねて行く。山中の教会の輝く十字架に、嘗て求めた基督への救いを求めて赴くも、其処に現れた比島の女を射殺してしまう事。その直後に罪悪感に苛まれて銃を放棄するも、友軍の敗兵に出会えば直ぐに殺人の事実を忘れ、銃を放棄した事を後悔し、再び銃を求める事。また飢餓の限界に至り人肉食を意識し始めた時、瀕死の将校に出会いその肉を食べようと試みるも、神の意志と良心の呵責に耐えられずそれを拒むが、やがては肉を求めてその場に戻る事。こうした観念と現実の行為との狭間で、生きる本能に従い山野を彷徨うも、やがて余りに苛酷な境遇が、観念も信仰も正義も人倫の境界線をも次第に失わせて行き、遂には最早矛盾も罪も罰も存在しない状態に堕ちていく。彼等は皆人間の生存の限界点に達しており、現に限界点を越えた数多の将兵は、山野にその最期の姿の儘の骸を晒した。それでもなお限界点にある田村一等兵には民間人殺害や人肉食への罪悪感がついて回るが、例え彼が凄惨に過ぎる境遇の中で、その罪悪の境界線を越えたとしても、平和な日々に在る我等は何を言う事が出来ようか。それでも尚、彼はその境界線を自分からは越えなかった。

  田村一等兵の辿った足跡は、望まずして陥った凄惨な事実と経過だけが其処にあり、その極限の最中には結局神はおらず、罪も存在しなかった、というだけに帰結する。還らざる比島の山野に骸を晒した将兵の無惨と其処に嘗て行われた人倫の道を越える行為だけが、それを知る僅かな生還者達の心に留まったのであり、なんとも救いようの無い物語である。此の『野火』はあくまでも小説ではあるが、恐らく此れに類似した運命は、ガダルカナル島やニューギニア、インパール作戦、比島全域、そして無数の戦場に無数に行われていた事であろう。それはもう表現する術を持たない、悲惨の一語である。

  田村一等兵自身が云う、『その時私を訪れた「運命」という言葉は、もし私が拒まないならば、容易に『神』とおき替え得るものであった。」と言う表現が、飢餓と病で戦場に散った無数の将兵の、運命と神に救いを求め、或いは呪詛し、帰国を懇求した幾多の声を代弁するかの様で、一層の虚しさを読後に残す。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.76
(5pt)

生々しくもスムースな読み心地

戦争小説というジャンルにほとんど手を出して来なかったため、あまり感想を述べるような言葉を持っていないのですが、筆者の文章表現の力強さは、とても参考に出来ないほどの境地にあるように感じ、頭のくらくらするような読後感を味わえたのは、そもそも読書体験として新鮮でした。
文章は緻密極まった濃厚さがありながらも流れるような美しさもあり、こんな文章を書く人がどんな人なのかと思い調べてみると、これまた非常に魅力的な人物なようでもう一冊読んでみようと購入しました。
好きな小説家というものがはっきりといなかった私ですが、多分いつか大岡であるという日がくるのではないかという予感がしています。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.75
(3pt)

おもしろい。

最初の数ページが非常に良くかけているが、その後一気に文章の格が下がったように感じされる。筆者も最初の数ページは恰好良く書いたのではないか?内容はとても面白い。いつの時代にもありそうな話であるが、戦争体験者が書いたという所に意味がある。フィリピンに行って慰霊の塔に献花したくなった。日本帝国軍はフィリピンで蛮行したのは間違いないと思います。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.74
(5pt)

映画を観た後に購入

良い本です。
戦時の凄惨さを主観的に描かれています。
極限の飢餓状態において人は人を食べる事なく理性的であれるのかどうか。戦争は体だけでなく精神を蝕んでいくのだなぁと痛感しました。
映画の方も傑作です。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.73
(5pt)

クララ

夏に読み、その後長崎の離島で海岸の細い道を30分歩いた時、ああ こんな風な暑さと湿気で、飢えてさまよったのかな と思いました。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.72
(5pt)

待望のkindle版

以前kindle版探したらなかったんですが、でたんですね♪
内容は言わずもがな傑作です。

この調子で三島由紀夫もkindle化してくださーい
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.71
(5pt)

読めば読むほど味わい深い小説だ

レイテ島の戦闘において、極限状況のなか、一人の兵士(田村)がどのようにして生き延びたのか――どのような出来事に遭遇し、どういう心の葛藤があったのか――、帰国してどうなったか、が書かれている。
大まかに筋をたどると、
(1)田村は、属する中隊からも避難所(病院)からも追い出され、とりあえずは病院の近くに居つく。そこには足の悪い安田や若い兵士の永松もいる。
(2)やがて田村は林の奥に進んでいく。一人の比島人に出会う。再び病院を目指す。その病院も焼失する。小屋と比島人の山の畑を見つけ、そこで暫く暮す。
(3)遠くに十字架が見える。無人の教会だった。そこまで歩いていき、教会の中にいると、海岸から若い男女が近づいてくる。田村を見た女性があまりに驚くので、田村はその女性を撃ち殺してしまった。塩を見つけて雑嚢に詰め、その教会を出る。畠の斜面で日本兵と出会い、パロンポン集合の命令が出ていることを知る。ここで始めて希望が生まれる。
(4)日本兵は三々五々バロンポンを目指す。路傍には倒れた兵士たちが横たわっていたり、まだ息のある兵士が座り込んでいたりする。安田と永松に再会する。雨と風に難儀しながら、林や平原を進む。三叉路から進むと、湿原が広がり、その先に国道が走っている。その国道を横切るとパロンポンが近いが、実際に国道を越えるとすぐ米軍の待ち伏せに会い、また引き返す。「捕虜になろう」と決め、湿原の中で米軍が国道を通るのを待ち受けるが、そのとき飛び出した日本兵が射殺され、投降をあきらめる。
(5)山中に引き返す。最も思い出しがたい時期が始まった。死にかかった将校から。「自分が死んだらおれの上膊部を食べろ」と言われたが、右手でいざそこを切り取ろうとすると左手が止めた。
(6)河原で人間の切り取られた足を見つける。こちらを狙っている銃口が見えた。永松であった。気がつくと田村は横たわっており、永松から肉をもらう。安田もそばにいた。永松が肉を取り、その代わりに安田が煙草を永松に与えていた。三人ともお互いに警戒している。特に永松は、安田を警戒し、夜は少し離れたところで寝ている。田村が持っていた手榴弾は、田村の油断で安田に奪われる。やがて、永松の持っていた肉は日本兵の兵士のそれだと分かる。永松は、安田が手榴弾で俺たちを殺そうとするから逆に殺してしまおうと提案する。永松は、安田に手榴弾を投げさせ、懸命にその場を逃げて、逆に安田を撃ち殺し、安田の手首と足首を蛮刀で打ち落とした。田村は、安田を撃った銃をとって銃口を永松に向ける。このとき田村は意識を失う。
(7)東京の精神病院にて。田村が入院している。普通の日常を送れない田村は、そこに居場所を見つけたようだ。島でよく見た野火の映像が心に浮かぶ。自分は人を殺したが、食べはしなかった。最後に私は意識を失ったが、それは、それは神が私を愛したからではないか。
私のまとめ
(1)田村は極限状況をいかに生き延びたか。彼は、比島の自然の中で、自分の置かれた状況について、死について、考え続けた。
「死ぬ前の時間を自由に使うのは俺の勝手だ」「孤独や絶望を見極めよう」「自分はもう死んでいるのだから、わざわざ死ぬにはあたらない」、「こんなところにホテルを建てたら流行りそうだ」、などの思考。
(2)塩もなくなった後半は、さらなる極限状態が待っていた。田村は、安田と永松と共に暮らす。お互いがお互いに対して気を許すことができないという緊張状態。田村は、永松から人肉をもらって食べたことをうすうす感づいている。共同生活の少し前、田村は、死んだ兵士の腕を切ろうとしたのだが、「剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである」(p.131)。結局、田村は最後まで理性を失わなかった。安田・永松・田村の三人の、食うか食われるかという生活が、この小説のクライマックスのように感じた。
(3)日本に帰ってきた田村は精神病院にいる。戦争は終わっても個人の戦争は続いている。今、彼は銃でなく、思考で闘わなければならない。結局、彼は人肉を食べなかった。そのため今、私は死者を思い起こすことができる。
(4) 国家の強制・暴力の怖さ。戦う意志のない(p.15)田村に対して、国家は、敵を殺すための銃を強制的に持たせる(p.73とp.86)。そして、自分で考えようとした途端、「よせ、貴様はそれでも日本人か」(p.29)等の言葉を投げつける。「よし元気で行け。何事もお国のためだ。最後は帝国軍人らしく行動せよ」(p.7)――なんて反論しにくい言葉だろう。
(5) 田村のような状況を我々は推測できる。同じような状況は、程度こそ違え、現代にもあるのではないか。たとえば、ひどいいじめにあっている子ども、利益優先で社員の人格を考慮しない会社に勤める平社員……。
野火(のび) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039