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M/Tと森のフシギの物語
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M/Tと森のフシギの物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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2023年3月、日本文学界は最大の至宝を失った。 難解をもって鳴る大江健三郎作品の中でも、最も難解といわれた『同時代ゲーム』を、読みやすく書き直した作品がこの『M/Tと森のフシギの物語』。 50年後、100年後に日本の口語体文学の作者として夏目漱石とともに、双璧として語り継がれているはずの大江健三郎のルーツが、大江氏としては簡易な(笑)文章で読める必読書。 | ||||
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文学YouTuberムーさんによる紹介で読んでみました。 ムーさんが大江を初めて読む人にとってはオススメと言っていたが、途中だれることなくスルスル読めました! 本の内容は祖母から語り継いだ、主人公の故郷の神話・歴史を書き連ねていくというものです。 読んでいくと、言葉にできないが自分を超えた大いなるいのちとつながったような気分にれます。 だが、小説の中であった魂の交流は死にゆく翁・白痴という、イレギュラーな清らかな魂でしか無理なのかという疑問は残りますが。 合理化のために、神話・故郷・他者を切り捨ててしまった現代の私たちでも、生きててもよいと感じられる温かい小説です! | ||||
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1頁あたり、全部埋めた。 | ||||
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この人の作品は時々苦労して読んでみるのだが、最後まで読めたのは初めてだった。 まず、日本語がひどくて苦労する。たぶん外国語訳を再翻訳するとわかりやすくなるのではないか。 また、こうしたテーマを、私的な体験と絡めて追求する仕事は他の作家も挑んでいるのではないか? ただこの人ほど’高尚ぶって’は記さないだけではないか? 他の文学などを盛り込むことは悪くないが、取り上げ方も話の進め方も、いちいちスノッブで鼻につく。 いくらノーベル賞受賞者でも、私はやっぱり好きになれない。 | ||||
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この小説で語られるフシギな世界は、時の権力者から逃れてユートピアを築いた「壊す人」や「オシコメ」その他強烈なキャラクターを中心とする、ある村の歴史に神話が溶け込み、虚実が渾然一体となった重層的で豊かな物語です。それは四国の奥深い森の中で生きる人々の共同体の物語であると共に、著者である大江健三郎個人と家族の物語でもあります。ここで人々は、個人の物語が家族の物語に繋がり、家族の物語が共同体の物語=神話/歴史に繋がった世界で生きています。そしてそこに大江健三郎とその家族の癒しがあり救いもあります。 一方で、共同体の物語も家族の物語も失い、切り刻まれた情報とその場その場の情動に流されて生きるしかない現在を生きる私たちは、自分自身で物語を紡ぐしかありません。恐ろしいのは、京アニの放火事件も登戸の無差別殺人も、社会から切り離され勝手に個人で紡いできた個人の物語の成れの果てであることです。でも失われた物語を求めて「国家」というより大きな、顔の見えない物語に取り込まれない様に注意することは必要ですね、 | ||||
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自分がこれまで読んできた小説と比べると、奇妙このうえない小説だ。奇妙このうえない理由を、この小説の真似をちょっとしながら書き連ねてみる。 この奇妙このうえないと僕が感じる小説は、特定の人物に感情移入をして読むものではない。だから、一般的な小説で得られるものがこの奇妙このうえない小説では得られないのだが、 それ以前にまず感じるのは、物語というよりはある村の歴史書を読んでいるのに近い感覚が喚起されるということだ。 また、語り手の思考が前面に出た文章でありながら、文章に前面に出ている語り手をクッキリとしたイメージで捉えたうえで読み進めることができない。 それに普通なら不必要に思われるほど、起きた出来事の名前と概要を何度も書き連ねながら、起きた出来事の名前と概要を何度も書き連ねられている出来事の全貌がなかなか描かれないのも変わっている。 そして最初に書いた、この奇妙このうえない小説が特定の人物に感情移入をして読む話ではないことで得られないものというのは、カタルシスのことだ。 「この小説には他にもないものがあるね?」 「うん、こういう会話形式の文章はまったく出てこないね。会話そのものがないからね。」 この小説は架空の村の歴史を、それが語られた昔話や伝説という架空の物語を分析することを通して描き出す。というなんとも変わった構造をしている。 自分の知っている小説とはあまりに違っているので、どう読んだらいいのやら分からない。 分からないのに評価を下げるのはおかしいので、星5つにした。 | ||||
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タイトルからして決してとっつきやすい作品では必ずしもないですが、しかしやはり大江はなにより作家としてものすごい腕を持っていたんだということがわかると思います。 近年政治的な発言ばかり取り上げられ、なんだか偏屈な昔の知識人とステレオタイプで気に入らないなと、特に大江の作品に触れてこなかった若い世代の方は感じているかもしれませんが、一度それは置いておいて小説をよんでみてほしいです。政治人大江が気に入らない人でも、きっとどこか響くものがあるのではないでしょうか。 | ||||
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初め難しい本やなと思いながら読んでいましたが、麼ガタリ 初め難しいと思いながら読んでいましたが、物語の骨子が見えかけてからは一気に読めました。物語に引き付けられて次々夢中になって読み進みました。 大江さんの作品なので軽くはありませんが、小説の苦手な僕でも読めたので皆さんにオススメします。今はm/tとよくにた、同時代ゲームを読み初めています。 | ||||
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大江作品のなかでも特に海外でよく読まれているという、『M/Tと森のフシギの物語』が岩波文庫から出ました。編集付記によると、岩波文庫版では従来の本文と解説が改訂され、大江氏による新しいあとがきが加わったそうです。 大江作品は難解なものが多くありますが、この小説は文章が読みやすいし内容もわかりやすいと思いました。丁寧なです・ます調や方言からなる文体に、なんとも言えない優しさや温かみを感じました。 この小説の大部分は、森のなかの盆地で語り継がれる伝承が占めています。伝承では森のなかで戦争や神隠しが起こったりして、宮崎駿監督のアニメ映画のようだと思いました。神話と史実、日常と非日常が交錯するような伝承が、話が進むにつれて「僕」たちの生きる現代へとゆるやかにつながっていきます。そして「僕」たちの現代もまた、子供たちが生きる未来へと受け継がれていきます。 めまぐるしい日常に追われる現代人が忘れがちな、歴史や共同体や自然の大切さに触れることができる感動的な小説でした。小野正嗣氏による巻末解説も、非常に感動的な名文だと思いました。 | ||||
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”−とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか? −うん!” という語り口で、語られる村の歴史を、古老からの話を一緒に聴いているようにして読んでいくと、村の創建期の話が神世の話として語られ、復興期、幕末・明治期、戦中・戦後、と時代を順次、下ってくる中で、各時代で活躍する人物(M(メイトリアーク)としての「オシコメ」やT(トリックスター)としての「壊す人」などとして)が生まれ変わりを意識する描き方で出て来ます。 ここには、祖母に代表される村人らの伝承としての死生観−死ねば森の高みに上って、樹木の根方にとどまり、やがてまた降りてくる−があります。 ”なぜそのような繰りかえしがあるかといいますならば、それは魂がみがかれて、「森のフシギ」のなかにあった、もとのいのちに戻れるまで、清らかになるためやと思いますが!”(p.403) 現代に至ると、遠い昔から語られる分、現在を越えて(はみ出して)、意識は未来にまで伸びる感覚が残り、自分も悠久の流れの一部であることを実感させられる良い作品だと思いました。 「今度は『M/Tと森のフシギの物語』に対して、そうではないと異化の声を発しつつ『同時代ゲーム』にたちかえってくれる批評家、読者が現われてくれればどんなに倖せだろう・・・・・・」(『私という小説家の作り方』 (新潮文庫,2001/4)、P.98)という作者の言葉にしたがって、『同時代ゲーム』を読んでみようかと思います。 今回『M/T』を手にしたのは、前月の『自選短篇』があったからで、岩波文庫編集者の選択眼に感謝!です。 | ||||
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新しい形で出るということは読者にとってもうれしいものです。私はこちらは連載当時から読んでいたので、現在持っているのは岩波書店の同時代ライブラリーです。こうして文庫という方になり、よりたくさんの方の手に渡ることはうれしいことです。 決して読みやすい一冊だとは言いませんが、読み終えたときに得られるものの大きさは保証いたします。 こちらの作品と『個人的な体験』がノーベル文学賞の受賞理由だということは有名なことですが、賞を取っていても、いなくても、彼の作品はやはり素晴らしいし、面白い。合わせて『キルプの軍団』を読むのも楽しいかもしれません。 | ||||
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わりと大江関係のものには、目を通してきたつもりだが、見落としていたのがM/T。 たとえば近頃は黒川創さんなど、小説と批評を行き来する方の仕事、目を見張るものが出てきたが(以前からあったが、最近はとくに目に付く)、このM/Tの付録になっている、小野正嗣さんの解説「流されないひとしずくの涙をつたえてゆく」が素晴らしい! 初出のデータはないが、新規のものではないだろう。これほど『同時代ゲーム』以降の大江を、的確かつ美しく書いた文章は珍しい。大江さんご自身に「カッコヨスギル」、とまで言わしめた絶品だと思う。大江文学をもういちど読み直したくなる、という点で批評の教科書みたいな文章だ。 だけど肝心なのは原作を読むこと。『ゲーム』も『M/T』も読み直します。 | ||||
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「同時代ゲーム」の練り直しと言って差し支えない作品。 氏の宇宙観の根底をなす村=国家=小宇宙を、より読みやすい文体+読みやすい関係で捉え直した名作。 祖母と私、母と息子の関係性が見事に絡み、そして完結に向かう終盤は流石 大江健三郎先生の文学では一番優しく感じられるものではないか、と思います。 | ||||
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この書を読んで、大江が、たびたび引用していたブレイクの次の詩を思い出した。「人間は労役せねばならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そしてかえってゆかねばならぬ そこからやってきた暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために」 「壊す人」達が落ち延びた森で、生きていくために、大きな労役が必要であった。さもなくばどうなっていたか・・・・・本書では、前半に「森に飲み込まれる」という語りがしばしば登場した。 一つの独立した人間の社会を作っていくために、大きな労役が必要とされ、そして、大きな悲しみや、たまさかの喜びという人間的な営みがその社会で繰り広げられる。 この書を読んで、人間にとっての働くことの意味が漠然とわかったような気がする。労役こそが人間を人間たらしめている根本にあるものなのだと思う。そして、その中で作られていった「人間的な生活」というものを誰も侵すことはできないのだと思う。 | ||||
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という腰巻に惹かれて買って読んでみました。 わたしにとって初めての大江体験です。 いやー予想以上に面白かった!400pあったのですが、一気に読んでしまいました。 四国の山奥の、「僕」の生まれた村の神話と歴史が、「僕」の祖母の、そして母の語りで語られ、最後に大きく結ばれます。神話の時代から未来に向けて、大きく結びついていきます。 祖母や母親の語り口、恐らくその地方の方言なのでしょうが、リズムがまさにその話のためにあるようで、どんどん惹きこまれていきます。 村おこしの神話のような時代、停滞と復古、安泰と動乱、反乱と衰退…様々な伝承が語られていきます。そこで生きて、伝承を身に込めてきた人は、この本の最後に未来と繋がります。ただ生きているだけなのではないかと思っていた人は、そこに意味あるものを見出し…このように人の一生は終わるものかも知れないなぁと思う話でした。 非常にエネルギーに充ち溢れ、何者にも支配されない物語。そして、「魂が何を望んでいるのだろう」という風に、思いを向けてしまったお話でした。 | ||||
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