個人的な体験

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個人的な体験の評価:

4.38/5点 レビュー 39件。 B ランク

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Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全159件 121〜140 7/8ページ
No.39
(5pt)

買いです。

初期の作品が持つ猥雑さが、障害を持った長男の誕生という出来事を経て、これ以降長くこだわっていく親子の在り方を通じてしか世間や世界と関わっていくことができなくなっていくという作者自身の在り方に収斂されていく様を記録した作品です。この作者の場合、他の作品から切り離して読んでこそ浮かび上がってくるものが多い(ある時期までは)ので、必要以上になにかと関連付けると読み誤りの原因になるような気がします。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.38
(5pt)

買いです。

初期の作品が持つ猥雑さが、障害を持った長男の誕生という出来事を経て、これ以降長くこだわっていく親子の在り方を通じてしか世間や世界と関わっていくことができなくなっていくという作者自身の在り方に収斂されていく様を記録した作品です。この作者の場合、他の作品から切り離して読んでこそ浮かび上がってくるものが多い(ある時期までは)ので、必要以上になにかと関連付けると読み誤りの原因になるような気がします。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.37
(5pt)

買いです。

初期の作品が持つ猥雑さが、障害を持った長男の誕生という出来事を経て、これ以降長くこだわっていく親子の在り方を通じてしか世間や世界と関わっていくことができなくなっていくという作者自身の在り方に収斂されていく様を記録した作品です。この作者の場合、他の作品から切り離して読んでこそ浮かび上がってくるものが多い(ある時期までは)ので、必要以上になにかと関連付けると読み誤りの原因になるような気がします。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.36
(5pt)

大江をさらに読んでみたいきっかけとなった作品

大江の小説は難解である。しかし、少しずつでも大江と格闘する中で、彼の作品の持つ意味が理解できてきたような気がする。大江に関心を持ち始めて、10年以上たってから、手にしたこの作品。読み終えた後

確実に、自分の中の魂が再び生きる方向のベクトルへと向かっていることに気がついた。個人的体験以降の小説の中で大江自身の想像力による2つの実験が試みられる。1つは障害を持った子を引き受ける事を放棄してしまった場合、怪物アグイーがその代表作といえよう。また、障害を持った子どもを引き受けて行くことを決意していく場合、洪水は我が魂に及びなどのその代表作であろう。大江を知るためには、この個人的体験は絶好の入門書なのである。私は10年かかってこの作品と出会ったが、大江に初めて入門する人はこの「個人的体験」から読むことをおすすめする。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.35
(5pt)

大江をさらに読んでみたいきっかけとなった作品

大江の小説は難解である。しかし、少しずつでも大江と格闘する中で、彼の作品の持つ意味が理解できてきたような気がする。大江に関心を持ち始めて、10年以上たってから、手にしたこの作品。読み終えた後

確実に、自分の中の魂が再び生きる方向のベクトルへと向かっていることに気がついた。個人的体験以降の小説の中で大江自身の想像力による2つの実験が試みられる。1つは障害を持った子を引き受ける事を放棄してしまった場合、怪物アグイーがその代表作といえよう。また、障害を持った子どもを引き受けて行くことを決意していく場合、洪水は我が魂に及びなどのその代表作であろう。大江を知るためには、この個人的体験は絶好の入門書なのである。私は10年かかってこの作品と出会ったが、大江に初めて入門する人はこの「個人的体験」から読むことをおすすめする。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.34
(5pt)

大江をさらに読んでみたいきっかけとなった作品

大江の小説は難解である。しかし、少しずつでも大江と格闘する中で、彼の作品の持つ意味が理解できてきたような気がする。大江に関心を持ち始めて、10年以上たってから、手にしたこの作品。読み終えた後

確実に、自分の中の魂が再び生きる方向のベクトルへと向かっていることに気がついた。個人的体験以降の小説の中で大江自身の想像力による2つの実験が試みられる。1つは障害を持った子を引き受ける事を放棄してしまった場合、怪物アグイーがその代表作といえよう。また、障害を持った子どもを引き受けて行くことを決意していく場合、洪水は我が魂に及びなどのその代表作であろう。大江を知るためには、この個人的体験は絶好の入門書なのである。私は10年かかってこの作品と出会ったが、大江に初めて入門する人はこの「個人的体験」から読むことをおすすめする。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.33
(5pt)

大江をさらに読んでみたいきっかけとなった作品

大江の小説は難解である。しかし、少しずつでも大江と格闘する中で、彼の作品の持つ意味が理解できてきたような気がする。大江に関心を持ち始めて、10年以上たってから、手にしたこの作品。読み終えた後

確実に、自分の中の魂が再び生きる方向のベクトルへと向かっていることに気がついた。個人的体験以降の小説の中で大江自身の想像力による2つの実験が試みられる。1つは障害を持った子を引き受ける事を放棄してしまった場合、怪物アグイーがその代表作といえよう。また、障害を持った子どもを引き受けて行くことを決意していく場合、洪水は我が魂に及びなどのその代表作であろう。大江を知るためには、この個人的体験は絶好の入門書なのである。私は10年かかってこの作品と出会ったが、大江に初めて入門する人はこの「個人的体験」から読むことをおすすめする。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.32
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.31
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.30
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.29
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.28
(4pt)

題名が示唆するとおり

これは主人公の個人的な体験である。たとえば、外国で核開発が行われていても、何の興味も持てないことに愕然とする。
 異常を背負ってきた子供から逃げるため、友達である火見子とのセックスに励み、酒におぼれる。だが、それでも主人公は子供に対する恐怖から他のことは目に入らない。塾を首になり、希望の象徴であったアフリカは単なる逃亡先に変貌する。
 そんな後ろ向きの主人公が恐怖と向き合い、すべてを受けとめていく。すなわち、子供から大人に成長する過程を描いた青春小説ともなっている。それは、バードと子供の頃のあだ名のまま呼ばれていることからもわかる。
 最後の部分。確かにいくらなんでもご都合主義となってしまうだろう。前を向いただけですべてが上手くいくほど、世界は優しくはない。だけど、それでも著者は書きたかったと語る。そんな魂のこもったラストだ。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.27
(4pt)

題名が示唆するとおり

これは主人公の個人的な体験である。たとえば、外国で核開発が行われていても、何の興味も持てないことに愕然とする。
 異常を背負ってきた子供から逃げるため、友達である火見子とのセックスに励み、酒におぼれる。だが、それでも主人公は子供に対する恐怖から他のことは目に入らない。塾を首になり、希望の象徴であったアフリカは単なる逃亡先に変貌する。
 そんな後ろ向きの主人公が恐怖と向き合い、すべてを受けとめていく。すなわち、子供から大人に成長する過程を描いた青春小説ともなっている。それは、バードと子供の頃のあだ名のまま呼ばれていることからもわかる。
 最後の部分。確かにいくらなんでもご都合主義となってしまうだろう。前を向いただけですべてが上手くいくほど、世界は優しくはない。だけど、それでも著者は書きたかったと語る。そんな魂のこもったラストだ。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.26
(4pt)

題名が示唆するとおり

これは主人公の個人的な体験である。たとえば、外国で核開発が行われていても、何の興味も持てないことに愕然とする。
 異常を背負ってきた子供から逃げるため、友達である火見子とのセックスに励み、酒におぼれる。だが、それでも主人公は子供に対する恐怖から他のことは目に入らない。塾を首になり、希望の象徴であったアフリカは単なる逃亡先に変貌する。
 そんな後ろ向きの主人公が恐怖と向き合い、すべてを受けとめていく。すなわち、子供から大人に成長する過程を描いた青春小説ともなっている。それは、バードと子供の頃のあだ名のまま呼ばれていることからもわかる。
 最後の部分。確かにいくらなんでもご都合主義となってしまうだろう。前を向いただけですべてが上手くいくほど、世界は優しくはない。だけど、それでも著者は書きたかったと語る。そんな魂のこもったラストだ。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.25
(4pt)

題名が示唆するとおり

これは主人公の個人的な体験である。たとえば、外国で核開発が行われていても、何の興味も持てないことに愕然とする。
 異常を背負ってきた子供から逃げるため、友達である火見子とのセックスに励み、酒におぼれる。だが、それでも主人公は子供に対する恐怖から他のことは目に入らない。塾を首になり、希望の象徴であったアフリカは単なる逃亡先に変貌する。
 そんな後ろ向きの主人公が恐怖と向き合い、すべてを受けとめていく。すなわち、子供から大人に成長する過程を描いた青春小説ともなっている。それは、バードと子供の頃のあだ名のまま呼ばれていることからもわかる。
 最後の部分。確かにいくらなんでもご都合主義となってしまうだろう。前を向いただけですべてが上手くいくほど、世界は優しくはない。だけど、それでも著者は書きたかったと語る。そんな魂のこもったラストだ。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.24
(5pt)

生まれてくる子の為に父親が出来る事

昔、或るポーランド人の女性に、この本の英語訳を贈った事が有る。彼女の祖国が、激動の中に在った時代の事である。彼女に、私は、多くの日本文学の英訳本を与えたが、彼女にこの本(「個人的な体験」)の英訳本を与えた時、私は、その裏表紙に、ポーランド語で「希望」を意味する単語を書いた。--この物語の終わり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公(バード)に辞書を贈る時、彼の国の言葉で「希望」と書くのをまねて--この本は、私にとって、衝撃であった。我が子が、重度の障害を持って生まれると言ふ運命の悪戯(いたずら)の中で、主人公(バード)は、過去の恋人を再び訪れ、そして、遠い東アフリカへの旅立ちをも夢想する。しかし、最後に、彼は、突然、自分の運命を受け入れ、その子供を育てる事を決意する。この物語に、若い私は、打ちのめされた。その驚くべき結末を予告するかの様に、物語の終わり近くで、主人公(バード)に辞書を贈る東欧(バルカン)の外交官は、彼にカフカの言葉を教える。--「生まれてくる子の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけなのだ」--私が、彼女に、この本を与えて20年以上が経った。彼女の祖国を含めて、世界は、激変した。その9・11後の世界で、私が、「希望」を意味する単語と共に、この本を贈った彼女は、今、何処で、どう生きて居るだろうか?

(西岡昌紀・内科医)
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.23
(5pt)

生まれてくる子の為に父親が出来る事

昔、或るポーランド人の女性に、この本の英語訳を贈った事が有る。彼女の祖国が、激動の中に在った時代の事である。彼女に、私は、多くの日本文学の英訳本を与えたが、彼女にこの本(「個人的な体験」)の英訳本を与えた時、私は、その裏表紙に、ポーランド語で「希望」を意味する単語を書いた。--この物語の終わり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公(バード)に辞書を贈る時、彼の国の言葉で「希望」と書くのをまねて--この本は、私にとって、衝撃であった。我が子が、重度の障害を持って生まれると言ふ運命の悪戯(いたずら)の中で、主人公(バード)は、過去の恋人を再び訪れ、そして、遠い東アフリカへの旅立ちをも夢想する。しかし、最後に、彼は、突然、自分の運命を受け入れ、その子供を育てる事を決意する。この物語に、若い私は、打ちのめされた。その驚くべき結末を予告するかの様に、物語の終わり近くで、主人公(バード)に辞書を贈る東欧(バルカン)の外交官は、彼にカフカの言葉を教える。--「生まれてくる子の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけなのだ」--私が、彼女に、この本を与えて20年以上が経った。彼女の祖国を含めて、世界は、激変した。その9・11後の世界で、私が、「希望」を意味する単語と共に、この本を贈った彼女は、今、何処で、どう生きて居るだろうか?

(西岡昌紀・内科医)
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.22
(5pt)

生まれてくる子の為に父親が出来る事

昔、或るポーランド人の女性に、この本の英語訳を贈った事が有る。彼女の祖国が、激動の中に在った時代の事である。彼女に、私は、多くの日本文学の英訳本を与えたが、彼女にこの本(「個人的な体験」)の英訳本を与えた時、私は、その裏表紙に、ポーランド語で「希望」を意味する単語を書いた。--この物語の終わり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公(バード)に辞書を贈る時、彼の国の言葉で「希望」と書くのをまねて--この本は、私にとって、衝撃であった。我が子が、重度の障害を持って生まれると言ふ運命の悪戯(いたずら)の中で、主人公(バード)は、過去の恋人を再び訪れ、そして、遠い東アフリカへの旅立ちをも夢想する。しかし、最後に、彼は、突然、自分の運命を受け入れ、その子供を育てる事を決意する。この物語に、若い私は、打ちのめされた。その驚くべき結末を予告するかの様に、物語の終わり近くで、主人公(バード)に辞書を贈る東欧(バルカン)の外交官は、彼にカフカの言葉を教える。--「生まれてくる子の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけなのだ」--私が、彼女に、この本を与えて20年以上が経った。彼女の祖国を含めて、世界は、激変した。その9・11後の世界で、私が、「希望」を意味する単語と共に、この本を贈った彼女は、今、何処で、どう生きて居るだろうか?

(西岡昌紀・内科医)
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.21
(5pt)

生まれてくる子の為に父親が出来る事

昔、或るポーランド人の女性に、この本の英語訳を贈った事が有る。彼女の祖国が、激動の中に在った時代の事である。彼女に、私は、多くの日本文学の英訳本を与えたが、彼女にこの本(「個人的な体験」)の英訳本を与えた時、私は、その裏表紙に、ポーランド語で「希望」を意味する単語を書いた。--この物語の終わり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公(バード)に辞書を贈る時、彼の国の言葉で「希望」と書くのをまねて--この本は、私にとって、衝撃であった。我が子が、重度の障害を持って生まれると言ふ運命の悪戯(いたずら)の中で、主人公(バード)は、過去の恋人を再び訪れ、そして、遠い東アフリカへの旅立ちをも夢想する。しかし、最後に、彼は、突然、自分の運命を受け入れ、その子供を育てる事を決意する。この物語に、若い私は、打ちのめされた。その驚くべき結末を予告するかの様に、物語の終わり近くで、主人公(バード)に辞書を贈る東欧(バルカン)の外交官は、彼にカフカの言葉を教える。--「生まれてくる子の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけなのだ」--私が、彼女に、この本を与えて20年以上が経った。彼女の祖国を含めて、世界は、激変した。その9・11後の世界で、私が、「希望」を意味する単語と共に、この本を贈った彼女は、今、何処で、どう生きて居るだろうか?

(西岡昌紀・内科医)
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.20
(5pt)

文章表現が巧み

大江作品はこれが最初になりますが、読みやすいのに、表現がカッコ良く、感銘を受ける一作です。
また、キャラクターの性格も、印象に残る人間ばかり。
必ずしも綺麗な人間ばかりではないけれど、それ故にリアリティがあります。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q