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ゼツメツ少年
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ゼツメツ少年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
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急ぎ足で、この本を読みました。 一番先に思った事は、自分の子供時代です。 ボクも中学時代からいじめられていたので、 結果論ですが、あの時ガツンとやっていたらな、とか思いを巡らせていました。 でもね、所詮ヘタレだったのでなすがままで終わりました。 多勢に無勢だとやはり不利で・・・つるんでこられると、それこそゼツメツしそうです。 余談ですが、途中で隠れキャラ的に重松氏の作品で以前登場した人物が数名出てきます。 タケシ君は、少し弱腰ですが優しい心根を持っています。 トオル君は、優等生だからこそ、弟であるタケシ君を軽くみていました。 自分の実際にいた人が、この小説には出ているのかも・・・ と、ク~ラクラと眩暈がしそうでした(笑) それだからこそ、人生生きていると何かの拍子で正義と悪が逆転する事もあり、 第一に大前提で、もがきながらでも生き抜くという事自体が大事なのだと思いました。 最後は大人になっても、いじめは決してしてはいけない事だと認識した次第です。 家出はいけないけれど、冒険はしなければいい大人にはなれないな?とは思いました。 また、好きな事をする人を決して軽んじて見てはいけないのだな、とは感じ取りました。 三者三様の物語で、いわゆる「スタンド・バイ・ミー」という洋画を思い出しました。 タケシ君はこれから、ツヨくタフになれればいいな、というエールを送って最後の言葉としておきます。 | ||||
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授業中にお腹が痛くなりトイレに行ったことで「臭い」とイジメられるようになったニシムラくんという男の子がおしっこを漏らすシーンがあります。 (※主人公はリュウという子です。ニシムラくんはリュウのクラスメートですね。) いじめっ子のウエダがニシムラくんをトイレまで追い回して、ニシムラくんがおしっこをしているうちに教室に戻り、「ニシムラ、ただいまションベン中で~す。もっとくさくなりまーす」と大声で言い、みんなは窓を開けたり鼻をつまんだりしてニシムラくんを迎えるのですが、ニシムラくんはそれに気づきます。 関連シーンを抜粋しますね。 (中略)みんなに窓を開けさせ、鼻をつまませて、ニシムラくんを迎えるのだ。それに気づいたニシムラくんは、次の日は休憩時間になってもトイレに行かなかった。おしっこをずっとがまんして、がまんして、がまんして、がまんして……六時間目の社会の授業中、ついに、席についたまま、漏らしてしまった。 トイレに行かないと決意したのならおむつを穿いてくるべきだったと思いますが、そこまではしなかったようでパンツとズボンの中にお漏らしをしてしまいました。 主人公のリュウはとても正義感の強い少年でウエダをグラウンドに呼び出して喧嘩をし、ニシムラくんのことをいじめないように誓わせます。 ここからが凄いのですが、ウエダは確かにニシムラくんをいじめないことを誓いました。ただ、それと同時に、クラスメート全員で今度はリュウを無視するようになりました。そして助けたニシムラくんまでとうとうウエダの仲間になってしまいます。(かつて自分をいじめていた子に仲間に引き入れられて、プライドも何もなく仲間になってしまうところが、イジメられおもらしっ子のニシムラくんらしい卑屈さを表していますね…。) 何とニシムラくん、「ションベン」という酷いあだ名を付けられてもウエダから離れません。なんならウエダにおむつでも穿かせてもらえばいいんじゃないかなと思いました。ウエダもウエダで、そんな卑屈なニシムラくんに対しては、以下のような仕打ちを徹底してほしいですね。 1:1日1回、「ションベン」というあだ名に相応しくお漏らしをさせる 2:お漏らし後の替えの下着として、ムーニーマンのスーパービッグのような、赤ちゃん用の紙おむつを穿かせて学校生活をさせる 3:トイレに行くことは禁止にして、おしっこは毎回ムーニーマンにお漏らしさせる 4:ニシムラくんのおむつ替えは、教室内で行う 5:「4」の行為で他の誰かがニシムラくんをいじめたり、先生にチクらないように牽制 まとめとしては、イジメのリアルさ、それから小学5年生ということで、「正義は素晴らしいこと」という理想も通じなくなってくる年代であることなど、兎に角リアリティーが凄いです。出来ればニシムラくんがおしっこを漏らした時に穿いていたパンツの種類(ボクサーブリーフなのか、トランクスなのか、ブリーフなのか)と色も知りたかったですね…。 | ||||
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子供に勧めたら感想が返ってきたのに感動。 大人が読んでもすごく良いと思う内容。 | ||||
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題名からは想像出来ない作品でした 決して明るい内容ではなく、どちらか言えば、重松さんの重~いジャンルの作品かと思います しかし1度は読んだほうが良い一冊だと感じました | ||||
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すごく引き込まれて、時間捻出して読み終えました。 悲喜こもごも心が忙しかったです。 読めてよかった。 ただひとつ、最後のほうですごくゾッとするところがありました。(少しネタバレになるかも) タケシたちの物語だと信じて疑わず読んできたけれど、結局は全部が「この人」の求める救いのための物語だったのかな? 想像力を働かせてタケシたちに思いを巡らせることで深く真摯に自分を見つめ、贖罪しようとしたのかもしれない。けれど、幼い頃から非道な仕打ちを重ね続けてきた人が、今さらいざ想像してみただけで、相手の実情に肉薄し、察することが本当にできるのだろうか? もしかしたら、イエデクジラの3人はある意味巧妙に利用されたんじゃないといいけど…。 て、考えすぎでしょうか。 でもまあ、きっと、その事以外にもたくさん、人生経験重ねつつ読み返すたびに様々に深々と感じ考えさせられる作品なんだろうと思います。 また読み返したいし、家族にも読んでもらえたら嬉しいし、紙の本で買って正解でした。 | ||||
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けっこうな長編である。最初はなんだかわからない、不遇な子どもたちの冒険をだらっと読んでる感じ。 しかし、後半に突如その意味がわかる。小説家の先生が紡ぐ物語と、少年たち。空想か現実か…、 なかなか複雑なつくりである。後半意味がわかってから、悲しみが胸を支配した。 日本の総自殺者数が下がっている。しかし、唯一上昇しているのが十代の自殺者である。 原因の多くを占めるのはイジメではないだろうか。 イジメられている君へ、という有名人からの励ましのメッセージも効かない。 絶望は過去にあるのではなく、現在にある。 過去の絶望は終わったものであり、現在の絶望は終りが見えない。 当事者にとっての問題は、今の絶望を、具体的にいつ、どのように解消するかである。 かつて子供だった視点と、今、子を持つ親になった視点。 どうやったって自分は、今の親の視点で見る。そうなるとこの物語の結末は、哀しすぎて胸が苦しい。 現在進行系で苦しんでいる子に向かって、耐えろ、その先に希望がある…とはいえない。 ではどうすればいいか。難問である。物語はひとつの、ささいな救いである。 重松作品をそこまで読んでいないので、途中ででてきたキャラクターがわからなかったのは少し残念だった。 | ||||
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重松清さんの最高傑作です……。 虐めや家庭地獄が原因で家出した子供たちからの手紙を元に、小説家のセンセイが物語を書いていくという、変形の作中作のような手法を用いており、『何故、こんな構成にしたのか?普通に物語を書いた方が分かりやすいのでは?』という疑問も浮かべながら読みましたが、 ラストで謎が解けて納得&大感動しましたし、 今作品は、『虐めや家庭地獄が原因で自殺を考える程に追い込まれている、瀕死の子供たち』へ、 『それでも生きていて欲しい。地獄は永遠に続かないから。小学校や中学校を卒業したり成人すれば、地獄が終わるかも知れない。地獄が終われば、今までとは違う安心して過ごせる毎日が待ってるかも知れないから、だから生きていて欲しい……』 と、それを懸命に伝えるために描かれたものだと感じますし、 僕自身も、小学校時代に軽度の虐め・中2~中学卒業まで本格的な虐め被害を経験して後遺症に長らく苦しんだり、 家庭地獄も理由の一端として自殺で亡くした大切な人がいるので、 作品に描かれた痛みや苦しみやメッセージを深く感じつつ、 同じく『地獄は一生続かないから、それでも何とか生きていて欲しい……』と、現在進行形で虐めや家庭地獄に苦しむ方々に願うばかりです。 虐めや家庭地獄を描いた作品として、それらの苦しみを知れたり、それらに向けた全身全霊の見事なメッセージ作品として、是非ともオススメな神作品です! | ||||
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子どもに勧めたい本です。 子どもたちも一生懸命生きてるんですよね。 そのことを改めて考えさせられる素晴らしい物語でした。 | ||||
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あまり得意な分野ではなかったのだが、このところ我が子からの影響で重松清さんの小説を続けざまに読んでいる。 その中でも、今までの作者の全てが詰め込まれているように感じられたこの作品がお気に入りだ。 重松さんのお話は、ご自身の身近なところでおきた出来事を元に創作されているように感じるためか、淡々としている中にも柔らかさ、悲しい状況でも温かさを感じる。 なんとも形容し難い涙が流れるが、本読みさんには非常に面白い構成となっており、彼のファンの方はもちろん、初めて手に取る方もこの作品をきっかけに次々と他のお話も読みたくなってしまうのではないでしょうか。 | ||||
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歳のせいか、最近、感情が鈍くなったように感じていました。ゼツメツ少年、何だかもう一度読み返します。 | ||||
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通勤の車内で読みながら何度も涙が込み上げてきました。重松作品で出会ったことのある、あの人やこの人にも会えます。悲しくて温かい作品です。 | ||||
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重松氏はいじめをとりまく小説をこれまでも数多く書いているけど、まるでその総集編とでもいうかのように、過去の小説の登場人物が出現して、今回の主人公である3人の少年・少女に何らかの形で「救い」を与えていく。なんだなんだ? これはいったいどういう意図のもとに書いたのだろう? しかし結局のところ、救いの無い身も蓋もない現実に対する悟りのようなあきらめだけが語られたように思えるのだが。 ちなみに作中語られるタケシが受けてきた様々な仕打ちには、ツカさんの憤りが自分にも乗り移ってしまった。ちょっとつらい読後感でした。 | ||||
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この文庫本も「文庫本のためのあとがき」がついていて「解説」はない。だから、ここに登場するエミさんもツカモトさんも、ナイフさんも、マユミという女の子も、初老の男性数人も、草野心平詩集を読んでいた中年男も、野球帽を目深にかぶった少年も、かつての重松清の小説の登場人物らしいのだが、特定してはくれない。重松清はずっと文庫本解説を拒んでいて、そういう訳知り顔の「解説」が嫌なんだろうと思うから、私も「特定」はしない。 年に一冊以上は重松清を読むことにしている。昔は九割型読んでいたが、途中で追いつかなくなって諦めた。でも、今回登場した人物たちは昔の作品が多かったので、正直嬉しかった。 そんな中に、タケシとリュウとジュンという「ワケあり登場人物たち」が新たに登場して来て、物語をセンセイと一緒に作り始める。途中で真由美という女の子も出て来て、話の筋は複雑になるけど、かえってスッキリし始めるのが不思議だった。 私のスマホで「ゼツメツ」って書くと、最初から三番目に「絶滅危惧種」が登場する。絶滅危惧種たちは、自殺しない。けれども、とんでもないところまで追い詰められているんだよ、とタケシやジュンは私に教えてくれた。「想像力が大事なんだよ」。昔、重松清を読み始めたころから云えば、追い詰められる子供たちの事情はどんどん酷くなってきた。あんなに高度な追い詰め方は、私の「昔」にはなかったと思う。 夏休みが終わる頃に、そして終わった後に、今年も、いく人かの悲しい出来事があった。その数万倍もの、追い詰められたゼツメツ少年たちが、今もテーチス海の海岸をさまよっている。私に、子供たちとの接点はない。けれども、偶然、霊園や駅前やコンビニ前で出会ったならば、絶滅危惧種には気がつくことができるように、今から想像力を鍛えておこうと思う。 2016年9月20日読了 | ||||
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正直、この本の世界観やストーリー展開はうまく捉えきれない部分が多かったです。 しかし、全体の雰囲気として子供の居場所を確保してあげることの大切さは十二分に伝わり、 子供への接し方を一度見直してみようと思わせてくれた一冊です。 子供を持つ親に読んでもらいたい、大人向けのファンタジーです。 | ||||
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「センセイ、僕たちを助けてください」。そんな手紙をセンセイがもらったところから小説は始まる。手紙はタケシという少年からのものだ。少年は「僕たちはゼツメツしてしまいます」という。そんなゼツメツしてしまうかもしれない2人の少年と1人の少女の小さな冒険の旅を中心に物語は進んでいく。 「大事なのは想像力です」、そう少年はいう。だからこの小説を読み進めていくには想像力が必要だ。私たちが出会った人、出会わなかった人、出会ったかもしれない人、もう出会えない人に対して。 家出をすることにした少年たちは、その昔、陸地から海へと帰っていったクジラの先祖に例えて、「イエデクジラ」と自分たちのことを呼ぶ。彼らは、クジラの先祖がどのような気持ちで「テーチス海の岸辺」から海を眺めていたかを想像する。クジラの先祖たちが「陸上では自分たちはゼツメツしてしまうかもしれない」と考え海に戻っていったのだと彼らは想像する。 センセイは小説家で、不思議なことに少年たちはセンセイの小説の登場人物たちにも出会う。センセイの小説の中の人たちとの交流を通し、少年たちはすこしずつ心を開いていく。そして典型的なジュブナイルの様式を取りながら、物語は驚きの展開をしていく。 「大事なのは想像力です」。本を閉じたたとき、読者は確かにタケシの言うとおりだと思えることだろう。 ---------------- 小説を読んで涙が止まらなくなることはある。しかし、慟哭するように、声をだして泣いてしまうような経験はおそらくほとんどないだろう。 この小説はすべての人に向けられてはいないのかもしれない。想像力によってのみ救われることがあると思えるかどうかで、読者としての体験は異なるだろう。しかし、人に与えられた能力の中で想像力はもっとも大切なもののひとつだ。想像力や希望はすべての人に平等にある。そう考えれば、この小説はすべての人にとっての希望へとつながる。 もし読者が少年たちとともに「テーチス海の岸辺」に立つならば、読者は2度とその光景を忘れることができなくなるだろう。テーチス海は自分の中にひろがっている。 大事なのは想像力なのだ。この小説は尋ねてくる。人はどれほど想像力の翼を拡げるられるのかと。表面的な、おためごかしではない想像力とは、どのようなものなのかと。 希望とは想像力だ。そのことを最初から最後までこの小説は示している。なぜ"ゼツメツ"はカタカナなのか。それは読者にゼツメツの意味を想像してほしいからだ。我々もまた「テーチス海の岸辺」に立つものかもしれない。もし我々が「テーチス海の岸辺」に立つものであれば、我々もまた「想像してほしい」と望むだろう。 この小説を読むとき、人は「あのとき」に帰る。「あのとき」は人によって違う。しかし、おそらく誰にでも「あのとき」といえる瞬間は確かにある。それがこの物語の普遍性だ。小説を読み進めるにしたがい、自分の中の「あのとき」が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。それは苦しいことでもある。しかし、それは希望へと変えることが可能だ。ゆっくりと真実とは何かについての思いを深め、想像することで、それは希望へとつながる。 この小説を読み終えたとき、「崖の上のポニョ」の幻想性を改めて了解できる。クジラの先祖たちが帰っていった「テーチス海」と「崖の上のポニョ」の海はつながっている。「大事なのは想像力」だ。 | ||||
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切ない、切ない。 ラストは涙なしでは読めませんでした。 育児の合間合間に読んだので2週間もかかりましたが、読んで本当によかった。 ラストは子供が寝てる時間に読んでよかった… また数年後読み直したい本です。 | ||||
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〈センセイ、僕たちを助けてください〉 〈僕たちはゼツメツしてしまいます〉 〈僕たちをセンセイの小説の登場人物にして、物語の中に隠れさせてほしいのです〉 ---こんな手紙がセンセイの元に届くところから物語は始まる--- ---それぞれの理由から学校に行くのを辞めた少年少女はゼツメツから逃れるため家出をするのだ--- 生き物は弱肉強食なんだ。 弱いヤツは負けちゃって、負けたヤツは追い出されるしかないんだよ。 大昔、住む場所を奪われ陸を追い出されたクジラの祖先は海に逃げた。 そして、何万もの犠牲や年月を経て海に住めるカラダに順応していった。 学校は陸だよ。俺たちは陸で淘汰されて、追い出されたら、あとは海に逃げるしかないってこと。そうしないで陸に無理やり残ろうとすると、恐竜みたいにゼツメツしちゃうってこと。 僕たちがゼツメツの危機から抜け出すには、物語の力が必要です。現実の世界の外から、想像力で、僕たちに力を与えてください。 人間は誰もが物語を必要としている ならば、想像の生み出す物語の力で、現実の悲しい物語を変えていくことだって、できないわけではないだろう。 最後に… 不登校になった生徒や子どもは、よく先生や親から言われるんだよ、『なんでも話しなさい』って。でも、それはちょっと違うんじゃないかなって思うんだ。違うっていうか、足りないっていうか」 「なにが足りないの?」 「『いつでもいいから』の一言だ」 なんでも話しなさい---。 いつでもいいからなんでも話しなさい---。 「けっこう大きな違いなんだ」 「しゃべりたくないときにしゃべらされるのって、キツいもんな、誰だって」 イジメを受けてることを隠そうとしている子どもと、それを知った上であえて問いつめたりしない父親。 確かに所詮は小説である。「現実はそんな簡単なものではない」という批判もあるだろう。しかし、どこまでも自分の子供に対して真剣に向き合おうとする親の姿勢は、見習うものがあるのではないかと私は思う。 | ||||
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その空間の全員が、薄ら笑いを浮かべながら、ぼくを包囲し、こづきまわし、足蹴にし、論理も倫理もない、ただ群れの腕力だけによる、見せかけの屁理屈で、ぼくをなぶりものにし、それが、どこでもどこまでも続けられる。 町や村や軍隊や城や牢獄で、人間集団の歴史上、この種の暴虐はけっして絶えたことなどなかったでしょうが、前世記後半、学校でもむごいこれがあると気づかれたとき以来、「いじめ」という名詞形が良く口にされるようになりました。 この濁流によって、家族に先立たれたり、あるいは、自分も後を追ったりせざるを得なかった人たちに、文学は何ができるのでしょうか。 この小説は、絶望のうちに旅立ったように見える死者たちに、けっして安易にではなく、ぎりぎりのところで、一縷の、あるいは、もしかしたら最高かも知れない希望を届けようとする試みだと思います。それとともに、生者たちにも、あらゆる大事なことの中でも、あまりにも根本的過ぎて、言葉にもされ忘れることさえある伝言を伝えています。 しかし、それは簡単なことではありません。生と死、現実と空想が重なるこの小説の構造は、少し複雑で、かならずしも明確ではないのです。(かと言って、けっして読みにくいわけではありません。重松さん特有の子どもの語りは健在です)。けれども、空間が単純で一つしかなければ、逃げ場がまったくなくなってしまうでしょう。世界は一重ではなく、いくつも折り重なっている、これが希望なのです。 このように空間がやや難しく重なりあう中で、とてもわかりやすい希望も描かれています。「早く続きを話せ」と急かさないで聴いてくれるおとな。「きみのつらさを、わたしは知っているよ。だから、無理しなくていいよ」と言ってくれる人。 そして、先立った人をひとりぼっちにさせまいと、想像力で文字をつづる作家。 イジメは卒業すれば終わる。終わっても学校生活はやり直せない。けれども、死なないでいれば、おとなになって、親になる者もいる、うちの子がそうだ、と語る、もうじきおじいさんになるお父さん。 こうしたことに加えて、文学そのものが希望の作業だと著者は示唆しています。文学の役目は、生き残っている者の役目は、死者たちの生にあった大切な意味を探し求め、見つけ出し、語ること、これがほんとうの希望ではないかと。 また、絶望一色だったとしか思えない死の間際にさえ、じつは、死者は希望を抱いていたのではないかという思いを重松さんは、家族や第一発見者たちの言葉に託しています。追い込まれた死の美化、と誤読される恐れを顧みずに。「あの子は飛べると思ってしまったのだ」。「ケガや出血の様子は、もう忘れたよ」。これだけでなく、さらに心を打つ詩のような言葉が登場人物に委ねられています。 ところで、川や海、豪雨など、水が出て来るこの小説は、少し形を変えたポスト3・11文学のようにも思いました。(大幅加筆修正はあったものの、雑誌連載は大震災以前ですが)。 イジメのむごたらしさ、大震災、大津波、原発事故の引き起こした大惨事。その圧倒的絶望。絶望的圧倒。逃げ場のなさ。 けれども、そのままでいいのか、絶滅、完全なる虚無に陥ってしまって良いのかという作者の問いと応答が聞こえてきました。 | ||||
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ファミレスと迷いこちらを購入。 懐かしい懐かしい、、、 個人的にエミちゃんとジュンの絡みが とても嬉しかった…。 題名と、表紙を見て購入した人は多少 期待はずれかもしれません。 でも詰まってます。熟読しないとわかりません。何回も読みたくなる一冊です。 想像以上。ただすっきりはしません。ワクワクもないです。 しかしこの上なく読んでよかった作品。 | ||||
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救われない作品ですが、秀作です。希望はありませんが 読み終わって何かが心に残ります。 小学生高学年と中学生に是非読んでほしい作品です。 | ||||
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