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闇の子供たち
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闇の子供たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全85件 41~60 3/5ページ
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この作品に出会ってから、私はもう前の無知な自分には戻れなくなった。 今、その刹那にも大人達に汚され、弄ばれ、傷つけられ、エイズになるか、臓器売買か、もしくは薬の副作用か、いずれにしても成人出来ないであろう子供達。 目を閉じると、私も闇の子供達となった。 彼らの恐怖、砕け散った精神と生命力、絶望、生き地獄、子供達の叫び声、声にならない悲しみ、汚された傷の痛み 、殴られた打撲、薬の副作用の猛烈な嫌悪感 そして変わる価値観。つまりエイズになれば捨てられる。外にでられる。やっと死ねる。良かった。臓器売買で心臓を失えば、眠ったまま死ねる。もう、お客の相手をしなくてもいい。良かった。。。と。 売春、買春をする動物は人間だけです。人の英知を何故そんなことに使うのでしょう? 児童ポルノ、児童買春は犯罪です。 子供達を守れるのは、大人だけです。子供達が豊かな精神状態でない国は滅ぶでしょう。 これからは、今までの無知を脱却し、子供達の人権を守る運動をすすめようと思う。 無知は最大の罪であるから。こんな悪夢は青い地球への冒涜である。 | ||||
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何度「これ以上は読めない!」と本を閉じようと思ったことでしょう。 あまりにリアルな残酷な描写は、心を揺さぶるどころか、何かを抉り取られたような喪失感をもたらしました。 「買う」人間がいるからこそ「売る」ことが助長される。当たり前の図式が、どうしても是正されない。人間の欲望の底深さ、先進国と発展途上国の格差、さまざまなことを考えさせられました。 フィクションとはいえ、私たち恵まれた日本人が目を背けてはならない現実がこの本にはあります。 | ||||
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本書ではアジアの闇の部分をよりリアルに描写しているとともに、海外でボランティア活動を行う者にとっても考えさせられる内容も盛り込まれている。 アジアの最底辺で行われているもの。後を絶たない人身売買や児童買春、そして臓器提供の真実。しかし一見残酷そうに見える一方で、明日の希望も見出せない人々の魂の叫びのようなものが随所に感じられる。また、この宿命ともいえる先進国と途上国の関係性をリアルなままに描いている。 さらに、一向に解決の糸口が見えないこの諸問題に対し「1人でもいいから助けたい」というようなNGO職員のひたむきで純粋な姿勢と葛藤の日々をこれまたリアルに描いている。 衝撃は文中最後の南部の台詞である。あくまで日本人という台詞はボランティア経験者にとって一番触れられたくない部分であろう。最後の音羽恵子とのやりとりは、NGOの困難さや脆弱な部分を生々しく示している。 また、これは映画として実写化されているが、映画の中でも新聞社社員の清水がNGO活動をする音羽に対し「どうせ自分探しだろ」という台詞に、ボランティア活動が世のためではなく自己実現の手段として成り立っている現実をさらけ出している。しかし、NGO所長のように本当に奮闘している人が大半であると思うが、興味本位の国際協力活動がいろんな意味でどれだけ危険であるかを示している。 | ||||
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タイと日本を舞台に、幼児を売り買いしては性の道具として使い捨て、 あるいは生きたままその臓器を摘出して売りさばく闇の世界と それを阻止しようとするNGOの戦いを描いた小説。 人物造形は単純だし筋立てもありがちなものだから、二度三度読む価値はないかもしれない。 しかし一度目に読むときのショックは計り知れない。 児童売買において、子どもは愛玩動物扱いですらない。 膣を切り裂かれ、男性器にホルモン剤を注射され、道具として使い捨てられる。 または健康な子どもであれば、臓器摘出の対象にすら数えられる。 その凄まじさを、著者はこれでもかとばかりに抉り出してみせる。 仮に細部のリアリティに問題があるとしても、児童売買は現実のものなのだ。 そしてそれはほんのわずかな金の為に、時には親孝行の名のもとにすら行なわれている。 十歳で売春窟で客を取らされ、揚句の果てにエイズに感染して父親に焼き殺されたヤイルーン。 その炎を見ながら長老が言う「ヤイルーンは神様のところへ行った」この一言に 大人社会の欺瞞が凝縮されている。 こんな大人どもに囲まれて、誰にも知られずに死んでいく子どもたち。 彼らは何のために生まれてきたのだろう?そんな切ない疑問がこみ上げてくる。 ラスト、自分の手を握り締める子どもたちの手のぬくもりに 「自分はここに残って活動を続ける」と決意する音羽恵子の姿すら、救いには感じられない。 ただ戦いが続く。救いのありかは分からない。それだけだ。 決して救いのあるラストではないが、それこそが現実なのかも知れない。 | ||||
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映画で「闇の子供たち」を見ました。私にも小学校2年生と4歳の姪がおります。小学生の姪と同じ年齢のお子様が大人のストレス解消のための道具のように扱われ、心や体が深く傷つけられ、病気やけがで弱くなり、動けなくなった子供たちは病院で医師や看護師の診察を受ける事も出来ずに、ゴミ袋に入れられ、ゴミのように捨てられ、故郷に戻ってきたら、子供を愛すべき両親からも軽蔑され、父親に殺される。妹もお金で売られて日本人のあと半年の命のない子供たちのために、脳死になっていない、可愛く元気なお子様の命が犠牲になって良いのか考えてしまいました。私が小学生の姪に映画の話をすると、「私達だけ豊かになって、貧しい国の子供を殺したり、いじめるなんて絶対許せない」と言っていました。私もこれから姪に人間が生まれながらに持っている人間の権利を大切にし、平和を愛する優しい心を持つ事の大切さを教えて行きたいと思います。 | ||||
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この本を読むまでは発展途上国で活躍する方の自伝であるとか、 いわば光の部分しか見ていなかったのだが・・・ ここの書かれてあるのは先進国が、そして途上国自身が無力なものを食い物にする、 完全なる闇の部分、その一側面である。 ストーリーに救いは全くない。 あのラストにさえ深い無力感を抱かせられた。 自分に何ができるか・・・を考えずにはいられないが深い憤りを感じながらも 読みながら途中までリアリティを感じなった自分は、 多くの人がレビューで書いてある通り明らかに作中のある登場人物の姿と重なる。 そしてそれは著者が読者に最も訴えたかったことであろう。 真実にどれだけ肉薄しているかはわからないが、大量の借款を受けているにも関わらず 発展途上国で未だ信じられないような問題が跋扈している、その理由についての理解は深まった。 | ||||
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そのシステムを悪用し、私腹を肥やしている人を糾弾しなければならない。何故、売春宿がなくならないのかというとその資金は裏社会に流れ、一部の政治家の手に渡っている。 NGOが子どもたちを助けだし通報し、避難所にいると襲撃をしてきた例がある。 その中に先程逮捕されたはずの人物がいた事があったという。警察とも繋がっている場合がある。 客やその裏社会の人間から覚醒剤をもらい、また苦しみを忘れるため薬物依存に陥り、借金を抱え、状況を変えられない事がある。 問題は根深く解決は遠い。 とにかく、すぐ出来るのは売春をとめる・貧困を防ぐ活動をしている良いNGOに対し募金をすることだ。 | ||||
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貧困国による幼児売買春をテーマに、 何とも言えない絶望感、あまりにも残虐な行為を淡々と描かれている描写に何度も嫌悪感を感じた。 何となく、こうゆう実態があるのだろうと思いながら、現実味を感じていなかった私に、 小説とは言えども、もの凄くリアリティを感じさせてくれた。 この小説に描かれていることは現実なんだという問題意識を持たす為にも、素晴らしい本だと思う。 ただ、この終わり方だと、 日本人女性の活動の勇気を讃えるようなヒーローもので終わってしまった感がある。 一読者として勝手な事を言わせてもらえば、 例えばラストに付け加えて、時間を遡って、臓器提供する少女の絶望感を描いて終わるとかして、 読後感に恐怖や憤りをより感じさせたほうがよいのではと思う。 もちろん、困難な状況で活動しているNGOの方たちも重視すべきではあるけれども、 この小説で一番伝えるべきことは、貧困によって幼い命が物として扱われる現実があるということだと思う。 | ||||
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この物語に救いはありません。当然、現実にも救いはないのでしょう。そして、この現実の中で、私も含め全ての人は・・・きっと業を背負っているのでしょう。ただ知ることしかできない・・・読後にもかかわらず、途上国の人を見下している他人の私がいます。それが悲しい。私は変われないのでしょうか?自分に幻滅します。ただ、子供たちの絶望を考えると何かしなければいけないと思います。しかし、外国人である私は南部の考えにシンクロしてしまう部分があるのです。それがまた悲しい。なのにまだ思考が出来ません。何かを・・・恐怖と混乱があるだけです。 | ||||
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最初はノンフィクションかと思って恐る恐るこの本を手に取った のですが、フィクションだったのですね。しかしまるでノンフィ クションも同然の衝撃的な内容であり、これが東南アジアの現実 なのだと、目眩がしました。 かつて「忘れられた子供たち」という、フィリピンでゴミ拾いをしながら 暮らす子供たちを映したドキュメンタリー映画を観たことがあります。 ゴミ山の中で暮らしながらも、それでも希望を胸に抱きながら必死に 生きる子供たちの姿を見て感動というか、感銘を受けたことがありますが、 この「闇の子供たち」という小説には、希望どころか僅かな救いすら ありません。 あるのはただ、底なしの絶望と恐怖。まさにこの世の地獄です。 そしてその地獄に君臨するのは、幼児性愛者というこの世の悪魔です。 この悪魔たちが何食わぬ顔をして我々と同じ地上で善人面しながら生きて いるのかと思うと、吐き気がします。ある意味アフガンのテロリスト達よりも はた迷惑な存在でしょう。もう怒りを通り越して、泣きたくなります。 この本はフィションという形式をとっていますが、書かれていることは救いの ない現実そのものです。そしてその現実を前にしても何もできない自分自身を 徹底的に打ちのめします。読んでいてこれほど辛い本は他にはないでしょう。 だけどこの胸の痛みは決して忘れてはならないものだと思います。 この世のペドファイアに神の裁きが下ることを、心の底から祈ります。 | ||||
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読み終えてから、本当にこんなことが、実際起こっているんだろうな と考えさせられ、頭から離れない本。 前半は、なんだか読むに耐えない表現だらけだが、最後まで読むと つよく訴えかけるものがあり、感動する。 映画を見なかったのが残念、ぜひDVDで見てみたい。 | ||||
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私は映画は見てません。他の方のレビューを見て購入しました。 最初「アジアの黒い部分かちょっと興味あるな。そういえば少年を買うってどういう意味なのか知らない。評価いいみたいだし暇つぶしに」と興味本位で購入。 軽い気持ちだったのに最初からかなり真っ黒な展開で「は?」と目を疑いながら、暇つぶしの筈が寝る間を惜しんで読破。グロイ表現も細かいけど性的描写もポルノ小説並みに細かいのでとりあえずペドファイルという人達が何してるのか非常に良くわかりました。教えてくれてありがとう、今まで性的快楽を求めて外国行く人をTVで見ると軽蔑の目で見てきましたが、これからは殺意を持てそうです。 あとがきと作者に逆らうようですが私は最後に南部が言ったことが音羽(ヒロイン)が捉えたほどに悪い捉え方は出来ませんでした。 っていうか、こっちから頼んで協力してくれて大枚はたいて、デスクにさんざ掛け合って、主人公の失敗で挙句肋骨三本折るまで巻き込まれそのくせ音羽を守るきれなかったことを悔いる人に対して、たったひとことの為に「エゴの塊」と存在全否定・・・? 「あなたと私は違ったのね」とかならわかるけど、それはそれでひどいんですけど。 作者によるこの本を読んで「マスコミは話題が盛り上がっている時は煽るだけ煽って後シラネという姿勢だけど貴方達読者は一過性で終わらないで」というメッセージを含んでいるのでしょうが、正直南部と連携をとりながらという終わり方のが救いがあった気がする。確かにブンヤという商売上ここまでの協力は今後無理な可能性は高いけど、気を使って情報くらいはくれるだろうし関係者の仲介役もしてくれそうなのに。 これは私の個人的な意見ですし、いろんな人がいろんな捉え方するだろうけどとりあえず、ただこの本読んだだけで「タイの全貌を知った」みたいなこと思うような人が出たら嫌だな・・・と思います。 | ||||
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聞いたことのある内容でも、この本を読んだら、大問題であることに気付き、自分を恥、そん事がまかり通っている社会か恐ろしく思えた。タイという国は腐っている。弱みにつけこんでいる先進国の私達もまた正常ではないのかもしれない。 | ||||
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どちらも衝撃的でした。映画の公開を知って映画を見る前に小説を読みました。何度も何度も胸が痛くなる・・目を伏せたくなる現実が今この時間も存在していると思うとやるせなく辛くなります。 人間は生きるために何でも出来る・・でも、でもこの小説にあるような事実は・・言葉になりません。このような現実があること、日本の子供達は知らないでしょうが・・私は知って欲しいと思います。そして生きると言うことの尊さを学んで欲しいです。今と昔の子供の価値観は違うと思うけど分かって欲しい。 罪のない子供達がオトナの勝手な欲望の道具に使われるなんて信じられない。 ココロが痛くなるそんな小説でした。 | ||||
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自分達にも責任のある惨状だと分かっているつもりなのに、どこか遠くで見ているような感覚でした。幼児売買、幼児売春、人海戦術による麻薬密輸、違法な臓器移植と、どれも目を瞑りたくなるような出来事ばかりでしたが、では「自分に何が出来るのか」と考えると耳を塞ぎたくなります。 有史以来人が人を支配し、経済のグローバル化によってその矛先が発展途上国に向かっているという事実。だからと言ってグローバル化を非難しても、その恩恵や利益を否定することは出来ないし、止めることも出来ません。何も考えずに裕福な暮らしをすることがいい訳はないけれど、では生活水準の高い日本に生きる私達は何をすべきなのでしょうか。生活水準を下げて貧困層に恵むべきなのか、NGOに参加して現地で氷山の一角の人々を救うべきなのか。考えても、所詮個人の力ではたかが知れてるし、根本的解決にはなりません。指を加えて見ているよりは、何かアクションを起こすべきだと思います。でも、現状を打破する方法が私には解りません。 何も出来ない自分が、変えられない現実がもどかしいです。人間は何て愚かで醜悪なのでしょうか。人間に対する絶望だけが残りました。 | ||||
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弱い者が強い者の餌食になるのは自然界では当たり前のことで、親が守ろうとしないなら、その子供がどうなろうと致し方ない。 そう割りきれたらどんなに楽だろうと、読書中何度も思った。 この作品はフィクションだけれども、幼児売春が行われていることは事実で、話半分に本の内容を捉えたとしても十分おぞましい。 需要がある限り供給は決して途絶えないなら、こちらで根絶すればあちらで発生し、幼児売春は続いていく。 買春する者は、日頃のストレスを発散する遊びくらいにしか考えてないのだろう。その軽さと子供たちの人生にのしかかっているものの重さがあまりにかけ離れていて、ただただ虚しい。 もっと虚しいのは、明日には自分の頭から本のことが離れて、特に思い悩むことなく日常に戻って行くことだ。 今だけは、来世というものを信じたい。この世で受けた屈辱をちゃらにしてあまるほどの幸せをどうか生きて欲しい。 | ||||
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「幼児売買春」「人身売春」「臓器売買」という事実があることを知っていても、その中身がどういうものかまでは知りませんでした。自分が空の上から一部始終を見ていたかのように錯覚してしまうほどの詳細な描写。買う側の大人は醜い私欲のために子供達を物として扱い、使い捨てることに微塵も心を痛めない。そして、売る大人(親)も貧しいのだからしょうがない、子供が働くのは親孝行という認識。その先に待っているのが売春やエイズ、死であることを知っていても。とても恐ろしい現実です。日本の日常からは信じがたい内容に、初めは(こんなことをして良いはずがない)、(なんてひどいことを)と思っていたが、読み進めていくうちに驚いたことに(これはフィクションなんだ)と思ってしまう自分がいた。だが、実際にアジアでは日常的に起きている問題であり、目を背けず現実として受け止めなくてはいけません。この本を読んでひとつ気がかりに思ったことは、世界各地にペドファイルが存在しているという背景があるなかで、これほど性的描写がきつい文章を読んだ隠れペドファイルの人が「なんだ、自分以外にもこういう人がいるじゃないか」と安心したり、幼児性愛に興味関心を持ち“新しい愛”に目覚めてしまう人もいるのではないかということでした。 個人的な感想としては、このような形で終わって良かったと思います。へたに終わりを与えてしまえば、著者が伝えたいことが嘘になってしまうように思います。音羽恵子は今やっと、彼女自身が戦いのスタートラインについたに過ぎません。闇の中にいるのは、子供達だけではなく彼女もなのです。そしてこれらの問題も。今夏、映画化された。それが日本での一過性のできごとで終わってしまうのではなく、アジアの国々の一般の人々の間でも認識され、人としてやってはいけないことであると意識が変わっていってくれればと切に願います。 | ||||
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我々がこの小説を読んだとき、あるいは映画を観たときに生じる「重さ」は何に由来するのか。直視することを拒むかのような少女売春の状況、エイズに冒された少女が運び込まれるゴミ捨て場、子供の臓器移植を希望する日本人の母親の、悲しいまでに美しい子供への愛情。 たしかにそれらは限りなく重く、グロテスクでさえあるが、しかしこの「重さ」はハリウッド映画を見終わった際に思わず発してしまう「ああ面白かった」という感覚とは異なると誰が主張できるだろうか。 どれだけ重く〈ても〉、あるいは逆に、絶望の底に突き落とすくらいに重い〈から〉こそ、我々日本人にとってこの物語は秀逸な「娯楽」であり続け、ある者は朝6時のマクドナルドでアップルパイと温かいコーヒーを啜りながらこの小説を読み、またある者は今し方読み終わったばかりのこの小説を都会のカフェで待ち合わせた友人に「重いテーマだけれどよかったよ」などという言葉と共に貸してやる。そこにある幸福な日常。 "泣きたくなったら「セカチュー」を" "カンドーが欲しければ「ショーシャンクの空に」でも" "そうして「コワイもの見たさ」って気分の時には「闇の子供たち」はいかがでしょう" タイの現状を茶化すつもりは全くない。おそらくこれがゲンジツであろう。 しかし私たちはこのゲンジツを知ったところで、やっぱり今日の晩ご飯の支度をしなければいけないし、明日になったらまた仕事もあるし、そういえば今週末には髪の毛も切りにいかなきゃならない。 文庫版の解説で永江朗が指摘していたが、我々日本人全員が加害者であるということを意識しなければならない。我々こそが8歳の少女を売春させ、そうしてエイズにかからせ、ゴミ捨て場に捨てたのだ。「問題意識」を持ちながらも、安全な日本に逃げ帰った「南部浩行」とは我々自身のことである。 | ||||
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きつい。8歳で人身売買され10歳でエイズに感染し焼き殺される子、幼児売春で穴という穴を使われた挙句に9歳で臓器売買のために新鮮なうちにマフィアと病院と警察ぐるみで、身体を解体される子(新鮮な心臓は、ニホンの裕福な家庭に生まれた、拡張型心筋症の子供に移植される)。都市バンコクで行われる幼児人身売買の実態に、遠慮なく踏み込み、ヤンソギル特有のデリカシーのない文体でガツンガツンと語る。話は小説じたてのフィクション形式。正直いって、あまりにもニホンの現状とかけ離れているので、どこまでが事実でどこからがフィクションなのか分からなくなる。しかしこれがまぎれもないバンコク、いわんや万国の本当の事実だとしたら。 話は、人身売買側(悪)と、それを阻止する国際NGO(善)側が交互に描写されて進む。 ラストシーンで、ニホン人記者男性が言う。「これは国家体制の問題なんだ。個人でできることは限られる。安全なニホンに帰って、組織として世論を動かすんだ!」対して、女性NGOは答える。「私はこの地にとどまって、個人としてできるだけのことをする。目の前の現実を見捨ててはおけない」 あなたの価値観はどちらだろうか? | ||||
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本作を映画化したものを観て、あまりの衝撃に帰りに本書を手に取りました。 映画の方が奇麗に纏まった物語のように感じましたが、 本書はストーリー運びが荒々しく、原作ならではの読み応えがありました。 以前、「少女売買」という書物を読んだときにも、その内容に驚きましたが、 少年少女関係なく実の親に売り飛ばされ、しかもエイズで死ぬか、 玩具あるいは臓器として売られるかするまで開放されないとは、 あまりにも酷い話です。 でもこういう不条理なこと、きっと本当にあるんでしょうね。 「カラマーゾフの兄弟」に子供が惨殺される話が出てきますが、 ドストエフスキーがこの話を知っていたとしたら、 きっとその物語に取り上げたのではないか、と思いました。 こういう子達の苦しみも、「真理を買うために必要な苦痛の総額の足し前」なのかと。 | ||||
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