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銃・病原菌・鉄
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【この小説が収録されている参考書籍】
銃・病原菌・鉄の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.05pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全55件 41~55 3/3ページ
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| タイトルが気に入り購入してみたが私には内容が難しすぎる。 ・・・・ 学術肌の人向きではないか? | ||||
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| 読了しての率直な感想として、評判ほどの本ではなかったな、という感じ。 まず、人種間の繁栄の差異は人種の生物学的な差ではなく置かれた環境により決定されたという結論ありきで話が進められていると言う事。 この点に関する否定的な検討が全く行われていない。 同じことのリフレインで、最後は辟易としてくる。大切な部分をより強調してのことだとは思うが、簡潔にまとめればおそらく1/4ほどの紙面で済んだのではないだろうか。 そして、決定的なのが、日本に関する記述があまりにいい加減で独断的だと言う事。 他のレビュアーのご指摘の如く、日本の漢字関する記述は、著者が漢字という表意文字の有用性を全く理解していないとしか思いようのない内容である。もう1点は、徳川が天下統一したのち日本から銃が消えたという事の理由も全くの見当違いな記述であった。 日本に関する記述は本書の主題にかかわる大きな内容ではないのだが、このような見当違いのことを平気で書かれているところをみるとこの本すべての内容の信ぴょう性が疑われる。 マクロ的な人類史としての勉強が出来たことには感謝するが、眉に唾付けて読んだ方がいいかもしれない。 | ||||
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| 序論でA=Bという持論を提起する。 本論で自分に都合のいい具体例をいくつか提示する。 結論はだからA=Bということを強調する。 畳み掛けるようなスピーディな文章に圧倒されるように 読んでいると、なるほどすごい!と思うのかもしれない。 だが、なぜA=Bと言えるのか、その背景や説明、論証と 言えるものがほとんどない。 具体例とA=Bの繰り返しの表現が多く論文の体すらなしていない。 だから消化不良のまま終わる。 さらに目新しいことが書いてあるわけでもないのでだんだん 退屈してくる。 買って読むほどでもないと思う。 | ||||
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| ちょっと難しい内容の部分もあったが、人の現在に至る内容が理解できた。 | ||||
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| ちょっと難しい内容の部分もあったが、人の現在に至る内容が理解できた。 | ||||
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| 1997年、アメリカで出版。 1998年、ピューリッツァー賞・一般ノンフィクション部門を受賞。 2000年、邦訳。 2010年、朝日新聞が選ぶ「ゼロ年代の50冊」という企画で1位に選出。 2012年、文庫化。 今も平積みにしている書店があるぐらい売れている。 本書は「なぜ民族によって文明格差があるのか?」という疑問に対して科学的な調査と歴史的な考察から 「人種や民族に優劣は無い。地理的な条件だけがが民族格差を作ったのだ。」と結論する。 人類学の素人向け教科書みたいなものだ。 一通り読んだ限りでは幅広い資料を駆使した説得力ある本に思えた。 最初はアメリカ白人特有の思い上がりが少ない本に思えたからだ。 しかし、、読み返しているうちに事実とは全く違っている政治的内容だったのでがっかりしている。 人類史における文字の発明と発展に関してジャレド・ダイアモンド博士は不必要なまでに朝鮮人のハングル文字を絶賛し、また、間違った理解によって日本人をこき下ろしている。 ●「日本人が、効率の良いアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。」 文庫版 下巻72ページ ●「日本は、日本語の話し言葉を表すには問題がある中国発祥の文字の使用をいまだにやめようとしていない。」 文庫版 下巻230ページ 当たり前だが日本人が漢字を使っているのは社会的ステータスのためなんかじゃない。単に便利だからだ。 また、漢字の発祥が中国なのは確かだが日本語を完璧に表現するために漢字から平仮名・片仮名を作り出して「漢字・仮名混じり文」を発展させたのは日本民族自身である。 「日本人の作った漢字」=国字というものも多数ある。 博士の言う「日本語の話し言葉を表すには問題がある」文字というのは漢字・仮名混じり文のどこを指しているのだろうか? ●「たとえば、十五世紀の朝鮮国王、世宗大王は西暦一四四六年にハングル文字の起源「訓民正音」を編みだしているが、このとき彼は、中国語からヒントを得て部首の使用を思いついている。」 文庫版 下巻40ページ ●「朝鮮半島において、扱いにくい中国伝来の文字にかわって、独自の素晴らしいハングル文字が使われるようになったのは、最近の話である。」 文庫版 下巻230ページ どちらも嘘とは言えないが世宗大王の発明が「愚民文字」として蔑まれた経緯(これこそ社会的ステータスが問題だったのだが)と、その後400年以上も無視されていた事実に全く言及が無い。 日韓併合期に日本政府が朝鮮半島に多数の学校を建てて、日本人が漢字・仮名混じり文を模した「漢字・ハングル混じり文」を発明し、朝鮮人に教えた事実にも言及なし(“最近の話である”ことの最大の理由なのだが・・・)。 P音とB音の区別がつかないとか、同音異義語を書き分けられない欠陥のある文字体系を「独自の素晴らしいハングル文字」などと絶賛している理由も理解し難い。 また、現在の朝鮮人が漢字教育を廃止した事によって過去の文献から何も学べなくなっているという学者や歴史家にとっての重要事も書かれていない。 (参考:Uー1速報 『韓国欠陥教育で50年前の資料読解が不可能な大学教授が激増中』 抽象的語彙の消滅で論理的思考が不可能に) ★ここまで引用した4つの文章から読み取れることは 1)漢字は扱いにくいのに日本人は見栄っ張りだから使っている。 2)漢字は日本語に合わない。日本人は漢字の使用をやめろ。 3)ハングル文字は朝鮮人だけで発明した素晴らしい独自文化。日本は無関係。 ダイアモンド博士は韓国政府に洗脳でもされているのだろうか? しかし、たとえ誰かに嘘を吹き込まれても自分で学問書を出版するなら自身の調査によって情報の真偽を確かめるのが責任というものだろう。 博士には基本的な情報精査能力が欠けている。 どこかおかしい部分があれば他にもおかしい所があると考えるのが自然であろう。 日本民族と朝鮮民族に関するデタラメの数々が示唆しているのは、他の人種・民族・国家・歴史に関する記述にもこういった酷い誤解が多々あるという事である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本書を買う前にまず以下を検索して下さい。 《 ジャレド・ダイアモンド 「日本人とは何者だろう?」 》 英語版原書2005年版から追加された新章が山形浩生氏の丁寧な翻訳で読めます。 これは後から書かれた完全に独立した1章であり、本書の先に読んでも差しさわりはありません。 日本の読者にとって極めて重要なのに、この日本版では一文も触れてもいないのは不思議としか言いようがない。 この日本人論は日本民族に対する軽蔑的視線と捏造の数々に呆れかえる文章である。 これは全くのトンデモ本であり、新章だけでも「と学会」に査定して欲しいと思う。 なぜか本書はアマゾンのレビュー欄でも、朝日新聞社と同様に絶賛している人が多い。 彼らレビュアー達は日本人と漢字に関するデタラメには全く気が付かなかったというのだろうか? 本書を誉めている人は科学的な歴史書だと思い込んでいるが、ハッキリ言って到底そんなものではない。 むしろ科学の名を騙る悪質な政治プロパガンダと言ったほうが正しい。 ・アメリカ先住民の絶滅は病原菌のせいだから白人は悪くない ⇒ 実際には病原菌さえ利用した計画的な虐殺 先住民族への絶滅政策は現在も進行中である!! ・日本と韓国は兄弟だから仲良くしろ = アメリカ政府が面倒臭くなるから喧嘩すんな ・「格差は地理的要因だけに拠るもので人種・民族の違いは無関係」という結論優先の論文 = 人種差・民族差は口にするのもダメな風潮を作り出している米メディアの規制と同じ紳士協定 ダイアモンド博士の主張は気持ち悪くなるほどアメリカ政府の姿勢にそっくりなのだ。 彼の著書はアメリカのリベラル派白人(民主党支持者)のポジショントークだと思って読んだほうが良い。 問題はこの本が世界的に高く評価され21世紀の人類学の権威に成っているという現状だ。 こんな間違った日本人観を世界に広めてしまう本書は危険な悪書である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 《追記》 割にどうでもいいことかもしれないが本書の邦訳には読点が多過ぎる。 引用した4つの文を読めば分かるが、あれらの読点はほぼ不要なものだ。 山形浩生氏によると倉骨彰氏の翻訳能力はかなり酷いものらしい。 (以下を検索) A Brief History of Hackerdom: Japanes 「わたくし、倉骨訳『オープンソース・ソフトウェア』(オライリー)の翻訳に深い憂慮を抱くものでございます。」 | ||||
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| 歴史書はこれ一冊で十分と言われてるくらいの好評具合でしたので 期待して上巻を読み始めましたが、日本語がまどろっこしいです。 私の読解力の低さもあります。 しかし翻訳物は概して読んでいて 苦しい。 内容は大陸によって生物の進化、人間の文明などの速度 はマチマチですと述べています。 その主たる原因は病原菌などに よる感染がかなりの割合を占めているらしいとのこと。 非常に読みづらいです。 | ||||
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| 単行本、文庫共に賞賛のレビューが多いが、正直そこまでの名著とは思えなかった。 「名著」「ベストセラー」「ピューリッツア賞受賞」「ゼロ年代の本ベスト1」などの評判や権威と言ったハロー効果に惑わされて本書とダイアモンドを妄信し過ぎているのではないだろうか。 まずタイトルと中身が乖離していて、銃、病原菌、鉄というのは中心的な内容ではなく、西欧の優勢は環境と地理が原因であるという内容となっている。 ダイアモンド自身は本書の方法は科学的なものだとプロローグで述べているが、「私の解釈では」「と思われる」「〜以外考えられない」などの根拠の薄い直感的な推論や独断的な点が散見される。 例えば古代の遺物というものは残っても、古代の歴史そのものは形に残らないため、測定された科学知識の正しさと、それを基にしたダイアモンドの推論が正しいか・科学的であるかは別問題である。 統計もデータも割合で書かれている事が多くいまいち信憑性が薄い(この傾向は次回作の『文明崩壊』でかなり酷くなっている。レビューを書かせてもらったので気になればそちらも参考にしていただきたい。) 広範囲にわたりいろいろな事例を引っぱってくるのだが、ほかの方も述べているように、日本に関する記述は稚拙といわざるを得ない所があり、なおかつ件の英語版に加筆された、日本人についてのでたらめな追加章である。 もしも他の部分もこの程度の資料査読と解釈なのだとしたら全体としての本書の信憑性と主張は疑わしい。 英語版のウィキペディアにも本書の項目があり、その決定論的な主張に非難が起こったとも書いてある。 ダイアモンド自身に対しても、一介の鳥類学者に過ぎない人物が、専門外の著作で非常に幅広く壮大な著述を行っている事に対する疑問もあるようだ。 マイケル・ガザニガの『人間らしさとは何か』の中では「でしゃばりの鳥類学者」と名前こそ出ていないがダイアモンド(の事だろうと思う)が皮肉られていた。 それに原著の初版は1997年で、既に15年以上の時が過ぎていて情報が古くなっていたり、批判を受けたりしていることも知っておくべきだろう。 例えば最近の本だが、アセモグル=ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか?」の中では本書とダイアモンドの地理説を「やくにたたない理論」として反駁している。 地理と環境因に全てを置くダイアモンドの説では、利用できる資源や家畜、機械が増えた現代社会での格差を説明できないし、資源や動物の分布、歴史の事象も本書の主張とは合致しない事が多々あるという。 確かに産業革命や、国家形態、イデオロギーなの歴史上の重要な事象自体をあまり考えず、単なる自然環境の違いが、銃、病原菌、鉄を含む、西欧の優勢を形作ったという主張自体がいささか表面的、短絡的ではないかと思う。 究極的に言えば歴史とは多くのことが相互に絡み合って起こる複雑系の領域で、可逆的に検証不可能なものなのだし、いまある資料や直感だけでここまで推論を下していいともあまり思えない。 ある程度批判的思考(クリティカルシンキング)で読んだほうがいいし、 結論もあくまで一鳥類学者の立てた見解・仮説、として捕らえるのがが妥当だろう。 伝染病に関する記述でも、少し考えてみればわかるが、伝染病が猛威を振るったのはアメリカ大陸でだけというわけではない。 原産国のアフリカやヨーロッパなどでも耐性のできる前の人間を大量に死に至らしめている。 日本でも黒死病は猛威を奮い沢山の人が死んだ記録が残っている。だが白人も黒人も、日本人も絶滅寸前という訳ではない。 現在、南米や中米では原住民の血を引く人間が大部分を占める国家が多数あるが、アメリカやカナダは人口比で見る先住民は数%から1%以下である。 インディアン滅亡は伝染病が一因ではあるが、本質的な原因はアメリカ大陸に入植した白人が、先住民であるインディアンを数百年に渡り虐殺し続けて来たという事にある。 黒人を奴隷として輸入しだしたのも、まずインディアンを奴隷として酷使していたらみんな死んでしまって労働力が足りなくなってしまったからである。 例えばリンカーンなどはインディアンに対しては、この世から絶滅しても人類が困ることは無いと、人間扱いせず害獣として積極的に駆除していた。 奴隷とし、銃を与え部族間で殺し合いをさせ、後に知恵を付けて白人に逆らうようになると害獣扱い。 このような事はほとんど取り上げず、あたかも伝染病がインディアンを根絶させたかのような記述を延々と続けミスリードを誘うと言うのは欺瞞でしかないと思う。 この伝染病による死滅説はアメリカ人が信じたがるエピソードで、よく色々な書籍に登場するが、かなり盛られていると思われるので話半分で聞いたほうがいいだろう。 この本の種本のマクニールの「疫病と世界史」ではマクニール本人も科学的な証拠も少ないがやや強引な推論を展開している事を断っているが、そのことを書かずにあたかも真実であるかのようにまとめているのはいただけない。 そして日本に関する追加章では。朝鮮半島からやってきた現代日本人の祖先が本来の日本の先住民であるアイヌ人を、アメリカ人がインディアンを殺したのと同じように虐殺して日本を侵略したような記述をしている。 日本の古代史については様々な説があり、未だに研究の途中であり確かなことは判っていないのに、このような極端にセンセーショナルな説だけをあたかも日本人が認めたがらない事実のように記述するのはいかがなものか. 本書の中では執筆当時未だに論争中の事だったり、詳しいことは分っていないことにずばずばと結論を出しているが、他の所もこのように耳目を引く事を大げさに語っているのだとしたら信憑性が疑われる。 そこで日本語と漢字についての記述をちょっととりあげてみよう。 ダイアモンドは音節表記のアルファベットを持ち上げ、表意文字などはこきおろしている。彼の主張するようなアルファベット至上主義はアルファベット圏では昔から割とポピュラーな俗説らしい。 しかしMRIなどを使った最近の研究では、例えば表音文字の英語や、表意文字の中国語、その両方を使う日本語では、文字認識の際に脳内の賦活する部位が違い、それぞれ違う方法で文字を認識している事がわかってきた。 その結果、単純に文字が少ないアルファベットが効率的であるとか、字の多い漢字が非効率的であるとかいう俗説は一概にそうとは言えない事が分かっている。(ちなみに日本人は日本語を認識する脳内回路を使って英語を認識しているらしいよ) そもそも日本語の文字については既に明治維新の頃から字の習得に関する事で似たような議論や実験的な事が繰り返されてきた。 戦後のGHQによる統治の際にも、文字が多すぎて識字率が低いことが日本の発展を妨げているということで漢字や仮名を廃止してローマ字にするという案もあったが、実際調べてみると識字率がほぼ100%に近かったので取りやめとなった。 実際に、日本語の文章が全部ローマ字や仮名文字だけになったら読みづらいことは誰でもわかるだろう。 ダイアモンドはそのような事をまったく知らないため以下のような記述をしている。 "二つめの要因は、経済性より社会的ステータスが重要視され、それが受容性に影響することである。たとえば、ブランドもののジーンズを買うために、品質はまったく同じノンブランド品の二倍の値段を払う人は何百万人もいる。 ブランドものの社会的ステータスが、金銭以上のものをもたらしてくれるからである。日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。" 外国人による日本文化の理解は難しいとは思うがいくらなんでもこのようなことを平気で書くのはどうかと思う。 しかしほかの箇所では日本人は識字率が高いのを誇りとしている、と皮肉っている。識字率が高いのが分っているなら、単純に文字の習得には字数の効率性以外のものもあるということが分りそうなものであるが、偏見から物事を見ているために気づかなかったのだろうか。 文字の習得に関しては、単に字数だけが効率性を決めるのではなく、発音と綴りに複雑な法則のあるものや、書いた文字をそのまま読むようなのでも違うし、イメージングの能力を使って覚えるものでもまったく違うのだ。 このアルファベットの部分に関してはダイアモンドは偏見から直感的に物を言って、科学的にも間違っているので、日本語と漢字の関係が効率の悪いという主張に悲観したりすることもないだろう。 しかしこれらのような説がベストセラーになって世界に撒き散らされていくと思うと暗雲立ち込める思いである。 ダイアモンドは本書に限らず人種による差異を否定し、差別や偏見を戒めているが、それとは裏腹に人種差別的な悪趣味な皮肉や嫌味、白人優越主義的な記述が頻出し、彼自身が差別や偏見から脱することができていない気がする。 次著の『文明崩壊』の中ではダイアモンドに対する反論があったことに対して「差別主義者から攻撃された」などの記述をしている所を見ると、むしろ「人種は平等である」という否定することが色々な意味で難しいテーゼを自説に紛れ込ませる事によって反論を防ぐために方便として利用しているような感すらある。 全体的ににわか知識で表面的に物事を見るような独断的な記述が多くいまいち信憑性にかけ、あまり中身の無いような断片的な知識の披露に過ぎない部分も多い。 評判先行で過大評価されすぎの本と言ったところだろう。 | ||||
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| ピューリッツア賞受賞作と聞いて上下二冊を購入したが、人類学の学位論文の様で具体性に乏しい。 特にヨーロッパの白人が非白人を征服して植民地を獲得した際に無くてはならなかった銃の構造上の発達に関する記述が殆ど無く上っ面の歴史で誤魔化している。 恐らく著者自身の銃に関する知識の欠如か、又は意識的な忌避感情かは知らぬが、この本の表題としては購読者への裏切りと言って良いであろう。 全くの期待はずれ であった。 売国新聞の朝日がこの本を第一位にしたのは笑わせる!! | ||||
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| この本は、朝日新聞が「この十年間の最も優れた書籍」としてプッシュしている。 また「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」の1位にもなっているそうだ。 しかしこの本は真実の中によけいな嘘を混ぜており、その嘘が本全体の信憑性を失墜させている。 残念です。 「日韓併合により日本は朝鮮の文化を根絶し、ハングルを教えず日本語を強要した。」 「日本人が効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである」 「中国文化の威光は、日本や朝鮮半島では依然として大きく、日本は、日本語の話し言葉を表すには問題がある中国発祥の文字の使用をいまだにやめようとしていない」 ?? 「日本と韓国、北朝鮮は兄弟のようなものなのだから お互い仲良くすべき」などと欧米人に言われても、もう白けるだけ。 人気や権威にごまかされないよ! | ||||
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| すでに単行本のレビューのほうで他の方から指摘されていますが、 原書(英文)の2005年度版からは本書に掲載されていない章が追加されています。 その追加された章は、日本について書かれたものであり、その章の題名は 「日本人とは何者なのか?」です。 そして、驚くべきことにその章には以下のような内容が書かれています。 ・日本政府は現在においても在日コリアンの帰化をさせないようにしている。 ・日韓併合により日本は朝鮮の文化を根絶し、ハングルを教えず日本語を強要した。 ・16世紀の秀吉の話を持ち出し、鼻塚(耳塚)にまつわる日本の残虐性を 細かく強調したうえで、韓国人と北朝鮮人が日本人を憎むのもむりがないとしている。 しかし、対馬の日本人に対する虐殺行為とその残虐性については目を向けない。 ・百済と新羅を別の国として区別せず、いずれも朝鮮人の国であるかのように 記述している。 ・李氏朝鮮による500年以上に渡り日韓併合まで行われてきた自国民への 略奪、圧政、虐殺、重税、飢餓、ハングル文字使用を禁止、等々 そうした朝鮮人自身による悪政、それによる人口の激減、国の絶望的な荒廃。 それらには一切触れず、一方的に日本の残虐性と加害者性を証拠無に強調している。 ・悪の枢軸国であり、今現在も圧政を敷き自国民を苦しめ、殺し、 日本人を拉致し、核兵器開発を行い、国際社会を恫喝し、犯罪を繰り返す 独裁国家である北朝鮮には一切触れず批判もしない。 ・北朝鮮により拉致され、いまだ戻ってくることもできずにいる被害者がいて、 他人の遺骨を送りつけられ、それがお前の娘の骨だと言い放たれた被害者がいて、 そうした国の残虐性には目も向けない。 そして、そのうえで著者は日本と韓国、北朝鮮は兄弟のようなものなのだから お互い仲良くすべきだと書いているのです。 著者は北朝鮮の将軍様にでも魅入られてしまったのでしょうか? それとも誰かに吹き込まれたんでしょうか? さらに、著者は日本神話についての信憑性をまじめに指摘しています。 しかし、神話は世界のどの国にも存在し、どの国の神話もみな一様に ファンタジックであり、そもそも神話とはそういうものです。 それなのに、ある国の神話について、その歴史的信憑性に注目することに 何の意味があるのでしょうか。なぜ日本の神話を批判しようと 思ったんでしょうか。意味がわかりません。 大変素晴らしい本だと思っていただけに、このいい加減で嘘雑じりの 悪質な章の追加により、本書の存在意義に傷がついてしまいました。 ほんとに残念です。 著者にいったい何があったんでしょうか? | ||||
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| 著者の専門分野については、他の方の評価に同意する。 しかし、上下巻とも買って読んでみて、 十三章(下巻)で何とも納得できない点を発見したので、一部列挙する(「」は文庫版引用)。 技術の取得と放棄の例に、一六〜一七世紀の日本を取り上げておきながら、 ・「日本には銃火器の受け入れに抵抗する社会的土壌」があった。 →そんなものがあったのか? あったのなら、当時世界最大級の銃の保有数はありえない。 ・銃は「一六〇〇年代以降に日本に伝来したほかのものと同様、異国で発明されたということで、所持や使用が軽蔑されるようになった。」 →禁止はされたが、軽蔑はされていたのか? 「異国で発明された」から軽蔑というのは、 一六〜一七世紀の日本における銃の普及を鑑みるとおかしくないか? というもの。たった一ページの中に、何とも言えない違和感が詰め込まれている。気になる方はぜひご確認を。 できれば、この部分について解説してください。 当然、それ以上の詳しい説明や引用はない。 巻末の関連文献で、日本についてはNoel Perrin『Giving Up the Gun』(一九七九)を参照したらしい。 日本史の概説書でも読めよと言いたくなる。 日本のことが書かれていると序文にあって、ちょっと期待していただけにあまりのお粗末さに衝撃を受けた。 もちろん、著者は進化生物学者であって、歴史学者ではない。 ご自身の分野であるポリネシアのことは非常に詳しいし、そこは称賛されている他の方に同意する。 だが、日本史に興味を寄せているなどとは露ほども思えない該当箇所は、その部分だけが批判されるわけではなく、 この本に書かれている他の専門外の文章に関しても、精度を疑われてしかるべきものだ、と私は思う。 これなら共著にすればよかったんじゃ。 というか、「妻は日本人」とか書いておきながらこの体たらくなのか。 正直、日本の部分だけは読まなくていいんじゃないだろうか。 | ||||
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| 確かに、著者の様々な経験と幅広い知識に裏打ちされたユニークなエピソードや豊富な実例の質と量には目を見張るものがあります。 しかし、そこがウイークポイントにもなっているように思います。 時代や地域を隔てたいろんな例を列挙しすぎていて、文章の流れが阻害され、ひいては論旨がいまひとつ汲み取りにくくなっている。 あるいは、そもそもこの本で言いたいことは、他の方がレビューで見事に要約なさっていることが全てで、その論旨に説得性を与えるための肉付けがいささか多過ぎるように感じました。 あくまでも個人的な意見に過ぎませんが。 | ||||
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| 世の中の見方が大きく変わる、すばらしい本です。 いままでに読んだ中で最高の本かもしれません。 しかし、日本人は何故漢字などと言うやっかいな言語を使っているのだろう、絶対無くしてアルファベットのようなシンプル言語にすべきだ、と強く主張しているのは日本人として解(げ)せないので、星二つ。 中国から日本に漢字が入ってきた時、過去を記憶する言語である漢字が、怖い呪われた言語でもあるといって反対した日本人も多かったらしい。しかし、過去の記憶が漢字そのものに含まれているメリットは、漢字を見たら成り立ちの意味もわかるということなので、考古学的メリットは莫大です。考古学者なのにそこを見落とした著者は、学者としてダメ男ですね。 多方面の資料を基に著した本著作はすばらしいが、漢字の成り立ちを紐解いて議論する観点を見逃すとは、全く疎(おろそ)かです。よって95点から減点60点で星二つです。 | ||||
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| 期待して読みましたが、問いかけは壮大、ロジックはワンパターン、結論は「さもありなん」。 著者は歴史学を科学的に行うことについて期待を込めたエピローグを書くが、私には、本書こそがその悪い見本のように思えました。 結局、この本は我々の知識に何を上積みしたのであろうか?残念。 | ||||
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