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容疑者Xの献身
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容疑者Xの献身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全89件 21~40 2/5ページ
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直木賞受賞作なので、期待をもって読みました。 実は受賞当時、私が学生だった時にも読んでいて、「まあまあ面白かった」と覚えていたのです。 でも詳細を忘れていたので再読することにしました。 結果は惨憺たるものでした。 東野作品は、最近こそ面白くない作品が多いけれど、昔はそうでもなかったと思っていたんだけれど。 社会人経験10年を迎えて私も成長したのかもしれません。それに伴ってつまらないと思う本も増えました。 本書の問題点はやっぱり、殺人を愛と称して称賛していること。登場人物がただの駒で、生身の人間としての動機や背景が十分に描かれていないこと。これら2点を通して、読者は作者の欺瞞を感じ取るのです。トリックのためならば登場人物は全員駒か。 たとえば、石神にも靖子にも富樫にも、親の存在の描写さえなかったことに疑問を持ちました。人物の掘り下げが足らない。そうやって被害者のすり変わりが疑える立場の親族を排除することで、筆者に都合の良い展開になっていることは否定できないと思います。 もしも石神がクライマックスで湯川を殺すなら、私はこの作品に納得したと思います。作中にある通り、石神が感情よりも論理を優先させるなら。どんなに残酷なことでも合理的だと思えばやるのなら。そうすれば人物も異彩を放つし、苦悩はより本物になる。せめて殺すか殺さないか、逡巡する場面だけでも入れるべきだった。そうすることでなんの落ち度もない無名の被害者と、まるで裁判官のように冷たい主人公が初めて同じ土俵に立つのだと思います。 ところで私は東野作品に登場する女性にはどうも非現実性を感じることが多いです。いつも男性の都合で動かされてて、その人本来の光や力、個性といったものが見えない。すごく昔ながらの女性が多いというか、魅力的に感じない。ミステリは男女の関係がキーになってくることが多いので、作品の女性が魅力的でないというのは、たぶん東野作品の大きな欠点なんだろうなあと、読みながらつらつら考えました。 | ||||
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ネタバレありです。 作者の道徳観がおかしいです。 作者は「ある人を助けるためにまったく関係のない罪の無い人を殺した石神」に対して「哀れ」を感じさせるようストーリー立てています。 こんな本は誰にも勧められませんので評価1です。 (正直ここの評価が高くて驚きました。トリックだけを評価するならまだ納得するのですが、コメントを見ると感動したとか涙流した、とか散見されているんですよね。マジすか。こういう人は石神に自分の親しい人を殺されても感動するのかなあ) | ||||
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難しい数学なんかを絡めながらもサクサク読みやすく暇つぶしにはなりましたが石神が殺人を犯した靖子をそこまでして庇う動機が弱すぎてなんだかなぁとなりました。またこの靖子がタカリにきた元夫に対してすぐにドアを開けてしまったり殺人の後でデートに誘われてウキウキ出掛けて行ったりアホすぎて閉口しました。これほどまでに深い愛情にこれほどまで出会った事がなかった…とか綺麗に書いてるけどほぼ接点のない男になぜか一方的に愛されるなんて恐怖以外何物でもない。トリックなどはなるほど流石だと思いましたが登場人物の心情など心の動きは雑に感じました。 | ||||
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石神の一人相撲と親子のアホさと 湯川が天才対天才wにも関わらず大して悩まず石神を憐れむという余裕っぷりにモヤモヤする。 トリックで被害拡大させて結果的に何もしない方が良かったという。 読み終わって電車の窓から投げ捨てようかと思った作品。 | ||||
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まともな人間が思いついたとんでもない行動なら面白いけど、 結局はストーキングするような異常者による発想という内容なので「ふーん」で終わってしまった。 もっと犯人がすごくまともで、それまでの生活ではとても思いつかないような真人間だったら、 そのギャップと変化を味わえて面白かったが、 この作品で元々異常な犯人が選んだ道を、純愛などとすり替えて呼んでるだけではとても感動もしない。 また湯川のキャラが少しも映えていないのも残念。 これは他のキャラにも言えそうなことで、どうもキャラを描くよりトリックありきでストーリーを作ってる感じがする。 だからいくら献身だのといって行動を起こしても、そこに血が通っているように感じられないから「ふーん」で終わるんだと思う。 ただ日本のドラマ向けには最適な作品かもしれない。 | ||||
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※削除申請(1件)
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過去、話題作になっていたのは知っていたが、話題作ほど敬遠するワタクシは長い間読んでなかった。しかし、ブックオフでたたき売りされていたので手に取った。 読んでいる最中は、そのスピード感ある展開に面白く読んだものの、読み終わってなんとも言えない違和感が湧いてきた。それは感動とは程遠い感覚で、トータル的に駄作じゃないの、という残念な気持ちであった。作者は完璧なアリバイを考え付いたことで有頂天になり、細部のリアリティーや人として本当に大切なことをないがしろにしたのではないか。ホームレスを虫けらにように殺したり、湯川が得意げに真実を加害者に語るシーンは、誰も幸福にならない、独りよがりの馬鹿な行いと言わざるを得ない。こんな本を読んで最高傑作などと宣う輩は、本当に面白い本を読んだことが無いのでは? | ||||
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東野圭吾の小説は、割と好きで結構読んでいると思うが、時々、思うことは、「何かね、母子家庭とか中小企業で働いていたりすると、その貧しさ故に殺人事件に巻き込まれるとでも、言いたいのかね?」だ。 この小説も母と娘が、狭いアパートでギリギリの生活をしているところに、殺人事件が起きるが、こいった設定は今回だけではない。ガリレオシリーズの短編にも似た設定がある。それも母子家庭で起きる殺人だった。他にも、『手紙』といった小説は、父親が中小企業で働いていて、そこの会社が待遇が悪いのとそれにもかかわらず、無理をして働いたために交通事故を起こして死んでしまう。母親が働くのだが身体を壊して死んでしまう。今度は兄が弟を養うために、引っ越しのバイトをするのだが、そこでお金持ちの家を知り、そこに物取りに入った時、その家の住人に見つかって、その人を殺してしまい刑務所に入るといったことが最初の数ページで書いてあるが、何かね、中小企業で働いている人間は不幸にしかならないとでも言いたいのかね。 日本はれっきとした階級社会であるが、その階級がオブラートに包まれているグロテスクな社会だと思う。もっとイギリスみたいにはっきり階級格差を示せばいいのにと思うこともあります。でも、あるものをないように振る舞うのも大人の態度だと思う。東野氏は、そこを遠回しにやらしくメスを入れてくる作家だ。 | ||||
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読了後の感覚がこれほど酷い小説は久しぶりです。 ガリレオシリーズの主人公湯川の鼻持ちならない言動や行動や犯人石神の行動論理の矛盾もさる事ながら、最後犯人であり好敵手の石神のたった一つの希望を湯川が独りよがりの自己満足で無慈悲にも打ちくだく下りはこの男の人間としての基本的価値観が訳が分からずただムカムカして読了しました。 直木賞作品だそうですが他の受賞作品に申し訳ないですね。 | ||||
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ネタバレ注意 駒として見ず知らずの他人(技師)を利用して起きながら 計画の内容を暴き御破算にし得る最大の懸念である湯川をなぜ放置したのか また 湯川自身が 「論理的でありさえすれば、どんな冷酷な事でも出来る男」 と言いながら湯川は石神を挑発するような真似をしたのか 完璧かつ徹底的に 目的のために論理的なら殺人でもなんでも本当にどんなことでもする という犯人のキャラクターの柱であり根源である 狂気と区別のつかない献身の純粋さ がここだけ不自然に崩れている これでは単に石神が「技師」の命をホームレスだからという理由でひたすら軽んじていただけということになってしまう これは作品のテーマそのものなのだから決して崩してはいけない タイトルにある容疑者xの献身の意義が台無しになっている トリックが現実に通用するかどうかはさておき 物語の落とし所にテーマをぶち壊しにする様な展開をして何がしたいのか ついでに湯川の告げ口の動機も不自然だ 湯川にとっては花岡に真実を知らせる事こそ目的でありそれ以上の事ではない それは石神の裁判が終わってからでもいいはずだ わざわざ裁判の前に告げ口をし無駄に石神の本願を潰そうとするのか また 母子にも実刑を負わせようとするのか 今まで読んできたものはというか この小説は何だったのかと虚脱感しかわいてこない酷い畳み方である | ||||
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自分の大切な人(身内であれ他人であれ)を守るために、犯罪の片棒を担いだり身代わりになったりすることは、 現実にあり得る。その設定自体に違和感はない。 しかし、このストーリーの場合、納得できない事が多すぎる。それを以下に箇条書きする。 一.犯行を隠すのなら、死体をうまく隠せばいい。殺されたのは住所不定無職の男だから、 行方不明になっても誰も捜索願を出さないと思う。誰かが出したとしても、警察はおそらく捜索しないだろう。 死体が発見されたとしても、ある程度の期間隠せれば、死亡推定時刻を曖昧にすることができるので、捜査は困難になる。 それなのに、わざわざ別の死体まで用意するのか? 二.犯行がバレたところで、娘には少年法が適用されて処罰されないだろうし、母親には正当防衛が成立するか執行猶予付の 軽い罰で済む可能性が高い。 だから、死体を隠して犯行を隠滅するメリットがあまりないと思う。それなのに、「ここまでやるか」という感じがした。 三.容疑者Xは、容疑を真犯人から逸らすために、別の殺人事件を起こした。殺されたのはホームレスの男だった。 Xにとって、ホームレスの生命は虫けらの生命程度の価値しかなかったということか?そうでなければ、そんなに簡単に殺すことなど できないはずだ。ホームレスを蔑視する気持ちがにじみ出ている。 | ||||
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映画は見たのですが、原作小説のほうは未読です。しかし、もし映画が原作を忠実に再現したものだとしたら、 その小説はとんでもない駄作だと思います。映画は箸にも棒にもかからぬトホホな代物でしたから。 でも、みなさん褒めちぎっている作品だから原作を読んでからレビューしたほうがいいかもしれませんね・・・ | ||||
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【ネタバレあり!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する※削除申請(1件) | ||||
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文章もそうだが、最後が叫んで終わりなんて残念すぎる。受賞作と期待していたのに。 | ||||
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まずこの作品が直木賞受賞という現実が、我がニッポンの現在の文学レベルの低さを物語る(東野圭吾氏は間違っても文学では無いけれど)。 絶賛の嵐のなか、恐る恐るページを繰るが、数ページで呆れ果てる。 わくわくしながら〜などという表現を平気で使ってしまうあんまりな神経というか稚拙さに閉口し苦笑し諦念する。本当にこの人は原稿用紙に向かって文章を書こうとしてるのか? そもそもペンなんか持たないか?少なくとも、公に対する、しかもプロの物書きとしてそれで収入を得る者として、文章を紡ぐ意識があるのか・・・ 小学生の作文だね。 これが当代きってのベストセラー作家ですか。 これが漱石や芥川や三島、開高健を生んだ我が祖国の現状ですか。 ニッポンの未来を憂いながら逝った彼らが泣いてるぜ。 ストーリーさえ面白ければいい。映像化し易く利益につながればいい。 小説の形態にするなよ。 小説家を名乗るなよ。 まだ死ねずにいる文学を信じ、逆らい続けてる奴ら、負けるなよ。 お金じゃない。誇り高く生きようぜ。 文学もしかり。 音楽もしかり。 | ||||
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それが読後、最初に思ったことだ。 決して許されない罪を犯しても、それが「愛の深さ故に」のことなら許されると思っているのだろうか?美化にもほどがある。 人間も描けていない。作者も読者も、もっと想像力を働かせるべきではないか? やはり世の中はこの程度なのか、と思わせる一冊。 同じ直木賞なら藤原伊織の『テロリストのパラソル』のほうが断然面白い。 トリック面ではどちらも大したことはないが、ちゃんと人間を描いているほうが面白いのは当然だ。 | ||||
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片方で無私の愛を捧げて相手の幸せを祈り、もう一方では何の罪もない人間の命をトリックのためだけにひねり潰す。 同じ人間の心にこの二つが同居する闇の深さをこそ描いて欲しかった。 それは文学の仕事であって、後者をあえてさりげなく流すことこそがミステリならではなのかも知れないが その結果として、純愛だ献身だと安い感動だけがクローズアップされるようになってしまった。 | ||||
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最も日本で本を売る作家の一人・・・・ 著者がそのような存在であることは知っていましたが・・・ 私は東野氏の著作をはじめて手にとることになって必ず外れはないのだろう・・・ そう思っていました しかし読み続けることが苦痛なほどの作品でした 一人の数学者が恋する隣人の為に殺人のほう助を、それをその数学者の大学の同窓である主人公である物理学者が事件を解決していく そもそもこんな物理学者が登場しなければ解決できなかった事件には思えません・・ 日本の警察はそれほど馬鹿じゃないでしょう | ||||
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ミステリーやトリックの楽しみがあれば 無関係の人間を殺してもOKて、どんな倫理感ですか? ヒロインを助けるなら、他に方法はいくらでもある。 その為に無差別殺人をする神経は常軌を逸している。 すでにガイキチの領域・・ こんなに吐き気がした作品が受賞って、世の中間違ってない? 筆者の他の作品は好きだったので、余計に残念・・ | ||||
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全く理解に苦しむ作品である。 愛する人を庇うために石神という男が犯した罪は、人間として到底許されるべきではない。 恐ろしいのは、物語のラストでそれが明らかになったとき、さも「愛」の深さ故の美しい行為 とでも言うかのようにその犯行が語られている点だ。 なるほど人間は、時には自分の全てを犠牲にしてさえも愛する者のために尽くす生き物だ。 私は人が持つそんな一面をとても美しく、尊いものだとも思っている。 しかし、もしそこに、愛する者のためなら他はどうなってもいいという考えが入ってしまえば、 それは「愛」でも何でもない、ただの狂ったエゴイズムである。 たとえば既婚の男が愛人との関係に溺れ、残される妻や子の痛みを考えることもなく 彼らを捨てる選択をすれば、それは愛ゆえの崇高な行為と賞賛されるだろうか? 無論、その男は最低のクズだと罵倒されるだろう。 一方で石神は、愛するものを守るために罪のないひとりの人間の命を容赦なく切り捨て、その行為はどうやら 多くの人の感動を呼び、本書を大ベストセラーにした。 しかし、この二人の男のどこに違いがあるのか、私にはまったくわからない。 いや、殺人という罪の重さを考えれば、石神の方が遥かに非人間的と言える。 本書のように、「愛」という言葉を盾に殺人を美化するような作品(そのように「演出」する作者の手腕には感心するが)には、 どうも嫌悪感を感じざるを得ない。 | ||||
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水の中にでも落としたものを乾かしたようなものでびっくりしました。 正直、これほどひどい物を出品していること自体、疑問です。 | ||||
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