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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全563件 341~360 18/29ページ
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手に入りました お得感みっちりです 読みやすいようなので買わせていただきましたが まだ読んでいません | ||||
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今回の内容は、僕自身には、かなりヒリヒリする内容でした。 喪失と再生、暴力、予期しない運命。モチーフとしての森、死。 以前からつながりあるものが、新たに配置され、 結論がないことは、答えを模索する物語が次に用意されているような予感を感じさせます。 村上春樹の作品を酷評するレビューが目立ちますが、流行で買って読んでる人にとっては、当たり前の話のように感じます。 そもそも、彼の小説が、本当の意味で、これほど多くの人の共感を呼ぶものか、僕は以前から、はなはだ疑問です。 物語を書くということは、魂の一番深いところに降りていくということを、村上春樹は最近講演で語っています。 彼を、神格化する必要はないと思いますが、魂の深いところに興味がなければ、村上春樹を無理に読む必要はないように思います。 | ||||
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「売れている本」と知らないで、知人が貸してくれたので読んだ。 もし最初から話題の本と知っていれば、不満を感じたのかもしれない。他の方のレビューにもあるように、ストーリーはありきたりで(過去の村上作品のつぎはぎ。簡単に次の展開が予想できる。)、でてくる登場人物はステレオタイプ的で魅力もなく(特に主人公)、ミステリーな部分にオチはない。 しかしそういう部分も差し引いても、私はまぁおもしろかった。 というか、久しぶりに文学作品を読んだ、と感じた。 表面的なストーリーは、世界観を明らかにしていく上での小道具にすぎない。アカ、アオ、ときて、中間色のミドリ。シロ、クロときて、中間色のグレー。 白と黒の中間色であるグレー(灰田)は、あらゆる意味でのグレー(中間地点)を意味する。過去と未来、現実と夢、男性と女性、死と生。そして存在自体も、あやふやな(主人公の記憶のなかでしか語られない、現在には登場しない)存在として登場する。灰田の行方が不明なのは、不明であること自体が物語のなかで重要であるからだ。 主人公は色をもたないが、実は、白と黒とグレーも色味をもたない。 外国で暮らすクロが「私のことをもうクロって呼ばないで。」というのは象徴的な事柄だ。 白は、実は光の強さ(明度)で黒になりうるし、黒もまた、白になりうる。そういう意味において、シロはクロであるし、クロはシロである。また、二人は灰田(中間地点)である、といいかえることもできる。 白と黒とグレーは、3人でひとつの世界をなす。主人公を夢精に導き、現実から夢へ、現実から過去へと絶え間なく姿を変えていく。 シロも灰田も、現実のなかで唐突に行方をくらませる(あるいは唐突に死ぬ)。しかしシロは現実と夢のはざまで(言い換えるのなら主人公の妄想世界のなかで)けして死ぬことはない。何度も主人公の夢に登場し、誘惑し、虚構(過去)の世界へといざなう。 しかしクロだけは、生き残って現実を生きている。もう黒ではないのだ。そこから出ましょう、生き残ったものとして、そう働きかける。現実に抱擁した胸の感触は、もう性的な意味合いをもたない。それは現実世界の象徴だ。主人公を虚構、過去、死から連れ出す確かな現実として、何度も彼女の胸の温かみが描かれる。 6本目の指についても、主人公の高校のグループが5人であったことと無縁でない。 6本目の指は、「余計なもの」「5つの秩序を破たんさせるもの」としての意味をもつ。 つまりそれは、5人組を崩壊させたものと等しい。5人組を崩壊させたものは、クロ(柚木)にとりついた悪魔だ。切り離しても、切り離してもついてくる、不吉な影として「6本目の指」という存在が繰り返し象徴的に使われる。 それはもしかしたら、6人目のメンバーだったのかもしれない。あるいは6本目の指には「緑川(ミドリ)」という名前が与えられていたのかもしれない。 影のようにつきまとう過去、現実との対峙、人と人とのつながり、そういったものが象徴的に描かれる。木元沙羅というのはおそらく沙羅双樹の樹を意味するが、それも現実の女性というよりは、象徴的な存在に近い。主人公の眠りを見守るもの、としての。 白と黒とグレーだけの色のない「つくる」が、そこから抜け出し色彩(現実)を獲得していく物語。 情けない主人公の成長にポイントをあてた物語だと思えば、ご都合主義のありきたりなストーリーや、都合のいい女性たち、ステレオタイプな登場人物にも納得はいく。 万人受けはしないかもしれないが、文学とはそもそもそういうものだ。 | ||||
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よっぽどキライな題材でなければ、ハルキさんは何でも5starです。参考にならなくてごめんなさい。なんだろな、宇宙人の宇宙での話しだと思って、いつも読んでます。あ、好きなんですよ。本当に。 | ||||
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村上氏の小説は初めて読んだ。今までなんとなく敬遠してきた…というかたぶん自分にははまらないと思っていたし、小説というのも最近は読んでみたいものも価値のありそうなものにも出会っていなかったし、でもまあ、世間であれだけ騒がれているのだから、とりあえず読んでみようと期待もせずに手に取った。タイトルも村上氏の小説のタイトルの中で最長だと聞いたし、タイトルにも若干惹かれた。途中で挫折する可能性120%くらいで読んだせいもあったかもしれないが、まったくの期待外れでGWの休みで読み通してしまった。「色彩をもたない」理由ははじめのところで意味がわかって、それが伏線になり最後で本当の理由がわかる。「巡礼の年」もいくつかの伏線をもって随所に出てきて最後には深く意味をもってくる。小説にはたぶんいろいろな解釈があるだろうし、それこそ「好き」か「嫌い」の世界しかないかもしれないが、全体の印象としては、私は村上氏の世界観や表現は嫌いではなかった。筋書きや設定が若干唐突すぎると思うところもあったが、多崎つくるに自分を重ね合わせている若者は意外に現代には多いのではないかと思った。良いも悪いもなく、解釈はあなた次第…という透明すぎるメッセージ、だからこそ結局何がいいたくてどうしたいのかがわかりにくい、それこそが村上氏が伝えたかったメッセージなのではないかと思ったりもした。結論や解釈はしないほうがいい。そんな風に感じた珍しい本だった。それが、村上春樹という人を象徴しているようにも思えて、なかなか興味深かった。他の本も読んでみようかな… | ||||
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ここに書かれていることは、動くということだと思います。考えることや解釈することではなく。 すべてが必然性の中にあるような 哀しくも雄々しいストーリー 田崎つくるは、その動きの最後でついに理解します。 「ぼくはこれまでずっと、自分のことを犠牲者だと考えて来た。(中略)でも本当はそうじゃなかったのかもしれない。」。 彼女をおいこんだのは、名古屋という一地方都市の中で、色彩を放つことのなかった自分の、一人東京へ出て行くという行為だった。それがボランティアというか、セツルメントというか、そういうものを通じて生じた美しい共同体を破壊したのであり、それをもっとも体現していたユズを壊す行為だったということを。象徴的につくるがユズを犯し、また殺したといえるということを。 ユズは施設の地域の子どもたちにピアノを教えているとき、生き生きとしていたとあります。それは、ユズの見た未来と理想がどこにあったかをしめしています。つくるはその未来を共有できなかったから、東京に出て、駅の設計をし、他の三人はユズとともにそれを守ろうとして名古屋に残る。自分はここにいていいのかと反問しつづけていた若いつくるには薄々わかっていたはずです。それを認めたくなかっただけです。つくるが抜けた時点でそれはもう守られないことが決していた。ユズの事件とそれによるつくるの追い出しはそれをはっきりさせただけです。男のうち、一人はトヨタのディーラになり、もう一人はバランスをくずして、そして一人の女性は外国へ。ユズ自身も壊れて悲惨な死をとげる。つくるはそのことを閉じ込めたままで、東京で生きのびる。 つくるの、真実にむきあう行為が、遅すぎた今になってやられたから、アカが生き延びて、彼らのよりつどった施設に寄付をつづけていること、つくるが今になってもどってきて、自分はいきのびた、一方的な犠牲者などではなかったこと、何も残らなかったわけではなかったこと、などなどが明らかになります。だから、それらのことはなかったことになってしまう何ものかなどではなかったわけです。新たなつながりの予感も見えます。 事柄の意味はいまだに薄明の中で、姿を現してはいません。 でも、つくるの巡礼行為は、何かを少し明らかにし何かが少し変わる予兆をもたらしたのだと思うのです。 前作三部で、諸民出の異様なキャラクター牛河をみごとに描いた村上氏ですが、今回は普通の中流階級の人々の話を書きました。過去には「特別」だったかもしれませんが、彼らの今のありかたは中流階級としては「普通」です。 圧倒的多数の中流階級でない諸民が、こうした人々を自分たちとは違う人だと思うのもまた当然なのですが、それでもここから何かをくみとることはできるのではないでしょうか。また、実際に中流階級の人々にとっても。 村上氏にはぜひ健康に留意して、全体小説、総合小説を実現してもらいたいと思います。 | ||||
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村上春樹の作品は大衆娯楽作品のような容物に入った文芸作品だということを理解していない人が多い。 言葉も易しく、都会的な設定が多いので「ガリレオ」でも読むように期待して読む人にとっては、"中途半端なストーリーにフラストレーションが溜まる”。しかしこれは娯楽の色付けをされた文芸作品であり、オチを付ける必要も、起承転結で”チャンチャン♪”と終わるようなものではない。 また主人公が金持ちでオシャレだからその程度の孤独であり、現実味がないというのは、貧乏じゃないから蟹工船が理解できない、過酷な状況にいないからアウシュビッツの手記を読めないと言っているのと同じで、それを補うのが想像力であり物語の楽しみ方とは本来そういうものであるはず。 難解な哲学的な意味合いを孕んだ作品であり、一度読んだだけではまだまだ理解に及ばない作品である。 | ||||
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私は、「風の歌を聴け」の、群像新人賞以前からの愛読者ですが、いっとき、心離れた時期もある…それは、あまりに、スピリチュアルに振れたこと、残酷な描写が生理的に受け入れ難かったことと、ブームになってしまったことの反動かな…でも、全作読んでます、な、ま、そんな読者です。 今回、1回目に読んだ時は、肩すかしをくらったような気分でした。簡単すぎて。 でも、2回目読もうとおもったのは初期作品に通じる懐かしさからでした。 3回目読もうとしたのは、やっぱり、なんか、フックがあったからです。 で、今、思うのは、あんまり、皮相的なレビューに、振り回されるのは、やめません?ってことです。 今、流行ってる皮相的な見解は、面白いけど、 的外れかな? そこは、どーでもいいとこでしょ?!って、気がします。 読みやすい、ツッコミやすいリスクを犯して伝えようとしてる春樹さんの力量を感じてしまいました。 それは…読む人の力量かな…とか。 私は、ワンダーランド最高かなの評価な人ですが、なんか、春樹さんに試されてるような気がして、ちょい、やるな、オヤジ、みたいな、ね。 | ||||
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人は本当に自分の事をわかっているようだが知っているのはほんの一部分だけのような気がする事に改めて気付いた。 かくいう私も最近の日々は本当の自分を知らない、いやわからないと言う事が続いていたのだが、この本を夢中になってあっという間に読み終えた。後半部分のフィンランドへの探求の旅の中で、つくるやユズに思いを寄せるエリさんの心中には思わず感動した。 所詮人は自分の事すらわからないのだから、他人を解ろうとすること自体愚かなのだと、少しだけ悟った気分・・・かな?? | ||||
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初めて村上春樹さんの本を読みました 何だか不完全燃焼です・・・続編が出るのかな? でも、とても面白かったです。 | ||||
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今★5つをつければ確実にアンチ春樹たちに「レビューは参考になりませんでした」爆撃を食らうに決まっている……!! しかし信者(ファン)には引けない時というのがある。それもこれもあのドリーとかいう滝本竜彦フリークみたいなやつの文学性が欠如した三文文章がいかんのや。まあそれはともかく。 今作は結構熱中して読めました。前作1Q84が個人的にヒットではなかった分、結構興奮しながら読みました。二日くらいで読了しましたね。 1Q84に関して言えば、アレは村上春樹入門用の新読者に向けられた小説なのであって、一応春樹さんの大抵の作品を読んでいる自分にとっては、少々物足りない作品でした。ビッグ・ブラザーに対するリトル・ピープル――現代という時代においては、人の個性というものを殺していくのは巨大な一人の独裁者ではなく、個の小さき人々の群れなのだと思われます――そして空気さなぎ(自我を後天的に、恐らくは意志的に養えるポッド)といったギミックはそれなりに挑戦的なモチーフであるようには思われましたが、しかしやはり最終的なカタルシスに欠け、予定調和的な部分の見られる作品であったように思われます。しかし今は1Q84の話は置いておきましょう。 今作は何より文体に勢いがありますね、そして、現代という時代に寄り添うような様々な物が小説中に現れました。SNS、スマートフォン、グーグル……などなど。 主人公が抱えている問題が二十代の初めくらいに起こった出来事に起因している、といった設定も、どこか今の新しい人間、つまり若者という読者にむけられた作品であることを示すサインであるように思われます。つまり、春樹さんは新しい物事や、新しい人々、若者という、“新しさ”を主軸とした物語を書かれているということです。御年が六十を越えてなお小説に対して持っている挑戦的な姿勢というのは、これは実に見習うべきものでありましょう。 登場するキャラクターも実に瑞々しい存在でした。ヒロインの一人である沙羅、これは短篇集『神の子どもたちはみな踊る』に出てきた『蜂蜜パイ』の登場キャラクターの一人、沙羅と同じ名前ですね。ただ、1995年において恐らくは5歳かそこらだった沙羅が三十代の後半になっているという設定を春樹氏が考えるとはあまり思えないので、偶然の一致かもしれません。 個人的には、クロのキャラクター像が気に入っております。聡明な皮肉屋でありながら、自分の恋愛感情にできるだけ正直にあろうとするその健気さというのは、あたかも十代か二十代の小説家が対象とするようなキャラクター像に思われます。本作の後半を読みながらに思ったのは、「何だこのラノベに出てきそうなキャラクターは」とかいう感想でした。1Q84のキャラクターである「ふかえり」にも同じようなことを思いましたが、まあそれはいいです。ちなみに僕はラノベ好きです。中学生の頃はラノベと海外文学を交互に読みまくっていました。 他にも登場するキャラクター。アカやアオ。そしてシロといった、彼らや彼女らにまつわるエピソードにはそれぞれ興味深いものがあります。率直に言って、何度か読み返したくなるようなそういうエピソードです。 もっと言うならば、それらのエピソードは「いきいきと」しています。読者のニーズなどに合わせて振り回されるようなキャラクター像ではなく、そこには「生きた」キャラクターの息遣いが感じられます。こういう生命感というものは、凡百な作家には当然書けないものです。とにもかくにも、この小説はいわばキャラクターありきの小説です。彼らの重みのある存在感や、その語り、そして人生といったものを個別に味わい、そして想像をふくらませる媒介にするというのが、この小説の楽しみの中心にあるもののように思われます。 | ||||
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ユズを繰り返しレイプして殺したのは、彼女の父親だとしたらこの物語の色彩はかなり違ったものになってくるだろう。 彼女が妊娠を畏れるあまり拒食症になったのだとしたら、犯人は彼女の身近にいて彼女を繰り返しレイプできる環境にあったという可能性があり、また、精神分析学的に拒食症の代表的な原因は親の過干渉であるることを鑑みると、彼女の父親の存在を考えざるを得ない また、前作1Q84でのフカエリと父親の関係を思い起こすと村上春樹の熱心な読者は無意識的にこの関係性の可能性を受け取ってしまうだろう。 今作、あまり深く人物描写がなされていない木元沙羅ですが、沙羅双樹の華の色がシロであり、木(の)元沙羅、白(い)根(の)ユズの名前を意味を考えると木元沙羅はユズのシンボル若しくは、彼女の2歳年上の姉である可能性が高い。また、沙羅が一緒に過ごしていた年上の男性はシンボルとして彼女の父親か若しくは実際に彼女の父親である可能性が高い。 人が自分の人生を振り返る時、巡礼を行う時。自分を中心にして自分の人生を振り返ると大事なことを見落とすことがある。そう考えるとつくるが結局のところユズや沙羅を失い、損なってしまうことも必然である。 本当に他者を愛し求めるならば人は最も深いところにある疵によってしか繋がれないのかもしれない。 今後の村上作品に期待するのは、超越するもの、飛躍するもの。ドフトエスキー、三島、氏の父親、仏陀、緑川、羊、フカエリの父親、ニコライ・スタヴローギン、影、悪の視点からの物語である。 | ||||
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今まで村上春樹さんの作品に触れていませんでした。この作品の話題性から読んでみたのですが、自分の心に染み込んでいく感じがよかったです。疑似体験をしているような描写もとてもよかったですね。賛否両論はあるようですが自分の心の中に引っ掛っている何かを時間の経過に任せて埋もれたままにするのではなくて、解き明かしていく・・・そういったことが人生で必要なんだと感じました。 | ||||
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おもしろいし、期待は裏切らなかったけど、すごく良かったとまでは言い切れない感じ。 | ||||
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久方ぶりの村上春樹さんの作品。 今回は気持ち良く、一気に読むことができました!!! 1Q84はあと少しなんだけど。。。 | ||||
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読みやすかったけれど・・読みやすかった分少し物足りなかったです。1Q84がすごすぎた。 | ||||
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読み終わりが近づくにつれ、身体の毒素が徐々に溶かされていくような、清々しさを覚えました。まさに読書しながら、巡礼を共にした気持ちです。 人生において全てがクリアになる訳ではない、でも生きるに必要なことは理解し得る(あるいは受容できる)、そんな世界観が心地良かったです。 固い表現が多いですが、文章は分かりやすいです。登場人物の話す言葉が、全て同じ思考から生み出されたしか言いようがなく、‘他者’を感じられませんでした(笑) 村上さんの本を読みたくて読んだのだから、それで十分と納得しています。 六本指の人は普通に存在すること、不思議は不思議で在ること、自分が思う自分と他者から見る自分の違いなど、この世界をまっすぐ見つめる視点は王道ともみえ、安心しました。 この作品を出逢えて、毎日をまた新鮮に生きてみようと思えました。 | ||||
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ここにレビューを書くのは少々、勇気が要りますが。 私は初めて村上春樹作品を読みました。 購入のきっかけは発売日の盛り上がりをニュースで見て、流行りに乗っかりです。 しかし、気に入れば購入のきっかけは何であれ良いと思います。 従来の村上春樹作品がどのような深さで内容だったのか知りませんが この作品だけに関しては、率直な熱いメッセージが伝わり、 自分が主人公と同世代30代半ばという事もあり共感できる部分も多々ありました。 生々しい人間描写で入り込めました。 すごくストレートな物語で、とても心地良い余韻を残してくれた作品です。 村上春樹氏入門作品なのかも知れませんね。 人それぞれでしょうけれど、私は気に入りました! | ||||
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変なタイトルだな〜と思いながら、何の先入観も無く読み始めた。ところが、多崎つくるを取り巻く4人の友人達の「色彩」青赤白黒が示された時、えっ?これって五行では?と思う。つくるは、五行相関の中央に位置するあの色では‥と。そして予感は、主人公の4人の友人の末路を追うに従って恐ろしい確信に‥途中から、暗示と言えばあまりに直接的に仏教を想起させる名前のガールフレンドが登場してきて、自分の中で、ん、中国?、ん、インド?と乏しい東洋思想についての知識の断片の中で混迷しましたが。。いろいろ批判も多いようですが、個人的に中国とインドに関心がある私にとっては非常に面白い作品でした。 | ||||
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きのう、武蔵野大学三鷹で、村上新作の講義。目からうろこの驚愕の内容だった。本を読まないので読んだ気になった。しかも、村上の心境になった。目からうろこ・・。 | ||||
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