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(短編集)
ビタミンF
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ビタミンFの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全102件 41~60 3/6ページ
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以前から気になってたけれど、なかなか手に取る機会のなかった作家。 やっと読む機会に恵まれました。 30代後半の男性を主人公とした家族の物語を集めた短篇集。 ちょうど筆者がその年代に執筆された小説だから、筆者の家庭にヒントを得た作も混じっているかもしれないが、基本的に私小説ではないと思うし、十分に練られたフィクションという感じだから、主人公を筆者に無理に結びつける必要はないと思う。 7編収録だが、一番好きなのは『セッちゃん』。次が『かさぶたまぶた』かな。 思春期の悩める子供がよく描けていると思うが、そのほかも水準以上で、どれも安心して読める。 ただ、これが筆者にしか書けない作品かと問われると難しい。 TVドラマでもこのくらいの水準のお話はふつうに見かけるような既視感もあるからだ。 でもこれは個人の好みの問題なので、好きな人には無性に好きな短篇集かもしれない。 | ||||
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いやー良かった! 短編集だということを忘れてて最初の一作目を読んで、 短編集だということを思い出して、 もっともっと長く読みたかった!って思った。 ものすごく物語の中に引きずり込まれた。 父親って大変だな―なんて思った。(他人事ですw) 最後の「母帰る」だけ一人称語り口だった。 個人的には「せっちゃん」とか好きだなぁ いや、「はずれくじ」も良い感じだったなぁ でもやっぱ最初の「げんこつ」だなぁ〜 なんて考えていると ほんと全部印象に残ってる。 重松さんのは初めて読んだけど こんなに入り込める話だとは思わなかった。 中途半端な年齢かぁ 遠い未来のような気がするけど あっという間なのかもねぇw 現実はすぐには変えれません。 現実は小説より奇なり とはいうけれども やっぱりなかなか現実は 平凡で 淡々としてて 奇跡はやっぱり奇跡でしかなくて 目の前の壁やハードルは簡単に消えることは無くて。 そんな現実ぽさがこの小説の凄いところだと思います。 | ||||
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家族の絆を考えさせられる良書です。 夫婦と家族と親子の間のモヤモヤが事件となって現れたとき、いかに対応するか?できるか? 普通に生きることの難しさを感じる一冊です。 | ||||
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特に期待もせず、購入。 お父さん目線の家族の話で、短編集。 全ての話に父親の存在意味、苦悩、家族への愛情などが織り交ざっていました。 家族ってなんでしょうね。 特に最後の短編は電車の中で読み終えて少し泣きそうでした。 年老いていく親。それを見続ける子供。 自分にとっても他人事ではなく、親の「老い」を見つける度に目をそらしたくなります。 でも現実は現実で、いつかごはんを食べるのに手元が震えるかもしれない。 他にもいじめに遭う子供との向き合い方、反抗期の子供とのやり取り、妻との関係・・と一つ一つが日常のひとコマで、基本的に希望がある終わり方なのできれいごとに写るかもしれないけどそれでもやっぱり希望を持ちたい。 お父さんは大変。 生きるって大変。 | ||||
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重松清の小説を最初に読むとしたらこの『ビタミンF』が最適だろう。 彼の小説の登場人物の大半は思春期の子供か、そんな子供を持つ父親だ。この小説でも、そんな彼らを中心としたオムニバス小説になる。 どれも素晴らしい作品ではあるが、中でも「セッちゃん」は秀悦であり、重松清の小説とはなにか、ということを凝縮したような物語でもある。 主人公は中学生の娘を持った父親で、娘は最近転校してきたセッちゃんという女子生徒がクラスに馴染めないでいる様子を父親に語る。初めは呑気に、作中の父親同様、そんなセッちゃんの話を聞かされても困るわけで、ああそうなのか可哀想だな、と思うのだけど、あるところを境にしてガラリと物語の流れが変わり、一転して世界観が変わる。その瞬間の、ぞわっとした感覚がたまらく、それでいてとたんにこの物語の胸を締めつけられるような残酷性を感じる。 重松清の小説というのは、概ねこういった物語が多い。残酷な世の中、どうしようもない現実、それが無垢な子供に、なにもできない大人にふりかかる。 そこで彼らは苦しむ。とても読んでいられずに何度も本を閉じたくなる。しかし同時に先が、彼らがいったいどうなるのか気になるので、辛い思いをしながらも読む。すると、その先には必ず希望が待っている。そう、重松清の小説は必ず最後には希望が待っている。それが救いなのだ。もちろんすべてがさっぱり解決するわけではない。そんな簡単に問題は解決しない。しかし、それでも主人公達は必ずなにかしらの希望を見つけ出し、そこに向かって進みだそうと足を一歩踏み出す。それが読んでいる人間にとって救いになる。 「セッちゃん」も同様に、決して問題は解決していない。むしろこれからが本番になる。でも最後にあたたかな希望によって締めくくられる。多くの重松清作品のように。 だからもしこれから重松清の作品を読むとして、「セッちゃん」が好きであれば存分に彼の作品を読むといいと思う。一方、もしこれがあまり好きではなかったとしたら、重松清の作品はあまり合わないかもしれない。 | ||||
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平凡・とことん平凡な登場人物の暖かい物語。スターも天才も極悪人も出てこない平凡な人間たちが平凡に悩み生きる。読後爽やかな平凡物語 | ||||
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ビタミンとは、生命活動に欠かせない有機物なのだそうだ。 それは炭水化物のように大量には要らない、ほんの少し摂取すれば十分なのだ。 しかしながら現代社会では、心に効く“ビタミンF”を摂るのは難しい。 私自身もビタミンF不足であるし、この物語に出てくるおとうさん達も最初はそうだ。 では、このビタミンはどこで得ることが出来るのだろうか。 それは、彼らが生活のあちこち散らばっていることを教えてくれる。 頼りない息子、いじめに遭う娘、交流がない両親・・・ 良好とは言えない互いの関係の中で、ほんの少しだけの勇気を出すだけで、 “希望”というビタミンが少しだけ得られるのだ。 彼らには、理想の家族生活とは違う、という認識があった。 しかし皆最後に、これから好転するかもしれない、という希望を持つ。 実際に好転するのかはまた別問題で、家族を前向きに捉え始めることが重要なのだ。 そこに至るプロセスは、出来すぎている気もするが、 ひとつのファンタジーなのだと思うと、すんなり受け入れられる。 そういった、優しく心温まる物語。読後感が大変よいので星5つ。 ビタミンFをおすそ分けしてもらいたい人にお薦め。 そして過去にも未来にも、おとうさんとなることのない女性に読んで欲しい。 | ||||
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重松さんの作品を読んで感じるのは「慈悲の文学」ということである。 「慈悲」なんて書くと大仰なようだけど、漢文読みで「悲しみを慈しむ」と言うこと。 重松さんの作品には、悲しみを慈しむ気持ちが常に感じられます。 悲しみに浸ると言うことではなく、悲しみを慈しむことは哀れな自分であってもその姿そのままに愛することであり、それはつまり「生」を大切にすることである。 「母帰る」という作品は、まさに身近に起こった実話にそっくりで驚きを禁じ得なかった。 全く納得できない現実だった。 「理由」がわからなかった。 でも「理由」とか「意味」とかで表すことのできない何かが存在する。 今回のことで、いろんな角度から現実を見直して、理屈ではとうてい結論づけることのできない感情におぼろげながら思いをはせることができた。 今の時代に最大に欠落している他者への「想像力」。 多くの人が重松作品に触れていけば、きっと世の中に暖かみが生まれてくると確信する。 そういう意味で重松作品は心のビタミン剤である。 | ||||
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family,father,friend,fight,fragile,fortune... それらのキーワードを埋め込んだ短編小説を重なり合わせて、結晶化して、 重松清が作った現代を生きる人たちへの心の栄養剤、ビタミンF。 読んだ後、あったかい気持ちにさせられる。 重松清は本当に物語を書くのが「上手い」。「巧い」のではなく、「上手い」。技巧的にすぐれているだけでなく、人の心を掴むことが出来る作家だな、と思う。中年具合を見せるために「仮面ライダー」をカラオケで歌わせたり、中学生に「ちょーむかつく」など、少し間違えたら寒い小道具を絶妙なバランスで書く。要所要所の表現、伏線のようにある言葉を置いて、大事なシーンでもう一度使って読者を感動させる構成。 そして、現代を生きるひとりひとりの辛さに対して、物語で安っぽい問題解決をしめさない。問題(いじめ、不登校、家族崩壊)は最後になっても解決しない。ほんの少しだけ、でもそれが一番大切な、スイッチが変わることだけが用意されている。それが読者の共感と感動を呼んでいるんだと思う。 この作品は短編集でハズレがないんだけど、僕の特にお気に入りは「ゲンコツ」「セッちゃん」「母、帰る」。 ・「ゲンコツ」 「ゲンコツ」では、中年サラリーマンの気持ちを書く。主人公が歳を取ってきた自分にシラけだし、若者との差を感じ、「愛」「夢」「希望」という歌詞が出てくる歌を歌うのが気恥ずかしくてたまらなくなっている。 そんな主人公の家のマンションに中学生たちの「ガキたち」がたむろし出す。妻に話をもちかけられ、強がるが、関わりたくない本音がある。子供のころは正義、というほど大げさではなかったかもしれないけど、弱い者いじめや理不尽にも立ち向かおうとする自分がいた。そんな主人公は自分の「ゲンコツ」が、あの頃よりもたよりなくなったと思う。 そんな主人公が、ガキどもがいない遅い時間帯に帰宅するために友人と飲んだ帰り道で、自分の仕事である自動販売機にイタズラするガキどもを発見する。こちらに気付いていながら「かんけーねーよ」とほざくガキたちに、「なめるなよ。」とうめき声をざらつかせる。 ゲンコツを、握り締める。 ・「セッちゃん」 「セッちゃん」は両親の自慢の娘の話。気立てが良くて、学校であったことを楽しそうに話してくれる娘がある日、クラスで嫌われている「セッちゃん」のことを話し出す。セッちゃんはクラスでイジメられていて、みんなから嫌われている。両親も耳障りが良い話ではない。 気の良い娘がセッちゃんが嫌われるのはしょうがない、と言う。「好き嫌いは個人の自由」と耳にざらつく言葉を吐き出す。何かに意地をはっているかのように。 ある日、そのセッちゃんの正体を両親は気付く。 父親は駅前の商店街を歩いているときに「身代わり雛」を見つける。子供の不幸、たとえば病気の部分などに傷をつけて、川に流すそうだ。それを一体買う。そして思う。 <セッちゃんは、加奈子の中のどこにいるんだろう・・・。> この作品が良いのは、娘の本音を言いたいけれど、それを言ったら自分自身が崩壊してしまう、でも何かのかたちにして言わなければ自分自身がおかしくなってしまうという気持ちを書いている部分。そしてそれ以上に、親の助けてあげたいけれど、娘の気持ちを考えて動けない親のやりきれない気持ちが切ない。 日曜日に家族でドライブに行く。お弁当は娘の好物だけをつめて。 身代わり雛を流すときの娘の「でも、なんかもったいなくない?けっこうかわいいじゃん、この人形」「マジもったいないよ」という言葉に父親は「だから身代わりになってくれるんだよ。捨てたいような人形に身代わりになってもらうのって、なんか悔しいもんな」と返す。 この言葉が、娘を思う親の気持ちそのものだと思う。 物語の最後になっても、問題は解決しない。娘は「そんなに現実、甘くないもん」と言う。父親は<ゲンジツを、やわらかい響きで言えるようになった。それでいい>と思う。 娘と、両親の何かのスイッチが変わったことを思わせるラストシーンは本当に感動的。 ・「母、帰る」 「母、帰る」は三十七歳の主人公の話。故郷を出て、東京で家庭を持っている。故郷の父親が子育てを終えてから男を作って家を出た妻におたがいひとり身になったんなら、もう一度戻ってきてくれ、と持ちかけたという。 母親は自分たちを捨てたわけじゃない。だが、長いあいだ一人で暮らしてきた父親のことを思うと、主人公は煮え切れない、わりきれない気持ちになる。姉はもう一度父親が母親と暮らすことに断固反対する。 主人公は故郷に帰って、東京に出て家庭を作った自分を確認する。離婚して子供を育てながら自分の生きがいに生きる姉を見る。姉と別れた男と話す。 そして、父親と話し、父親の母親への気持ちを聞く。そして「お父さん」でも「おじいちゃん」でもなく、大人になった自分を見つめる「年老いた父親」のまなざしに気付き、胸があつくなる。 僕が37歳になったときに、父親は70歳。そのとき僕は年老いた父を見て、どんなことを思うのだろうか。誰しも「会社での自分」「友達から友人としてみられた自分」「妻から見た夫としての自分」「子供からみた父親としての自分」が出来ていくんだろう。それでも、変わらない部分として「あの両親に育てられた息子としての自分」はこれからもずっとずっと変わらない事実なんだろうと思う。 そのことを思うと、たまにかかってきて鬱陶しいと思う故郷からの電話に、 両親に、少しだけ優しくなれそうな自分がいる。 | ||||
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7作の短編。 いじめ、男女関係などなど、 ありふれた、一見するとジメっとしそうな日常が描かれている。 それなのに、後味は爽やかで、時には感動のあまり目を潤ませてしまう。 読み終わったあと、すごく、 気分が軽く、晴れやかになりますから、 何度も、何度も、読み返すことになりそうです。 | ||||
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この本には印象に残るフレーズが一杯詰まっています。 一つ一つが胸の深く刺さります。 一度さがされてはどうでしょう。 重松清を読むと、こんなに温かい目で人を見れたらと 反省モードに入ってしまうのですが、 なぜかやめられません。 ビタミン中毒ですね。 | ||||
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小学校〜中学校程度の子供がいる,40歳前後の中年男性が主人公の短編7編。どれも,子どもがいじめられていたり,娘が悪い男と付き合っていたり,といった家庭的にシビアな状況にある。そのシビアな状況は,基本的には劇的な改善を見ない。「セッちゃん」で,主人公は娘に「現実は厳しいんだよ,おとなもこどもも」と語るが,確かにそうであろう。ただ,シビアな状況なりに何となく希望が見えてくる辺り,重松清ならではといえると思う。 一番気になった作品は,「パンドラ」。娘がおかしな男と付き合っているらしい。オロオロするばかりで現実的な対応ができない父親=主人公と,冷静に対処する母親=妻。私自身,娘を持つ中年男性として,読みながら「どうしたらいいんだ」とオロオロ気持ちが落ち着かなかった。 《子供が成長するにつれて自分に近づいてくるように感じていられたのは,いつ頃までだったろう。親は身勝手だ。ある時期までは早く大きくなれと願い,ある時期からはいつまでもこのままでいてほしいと祈ってしまう。》(149〜150頁) まったく同感。 | ||||
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重松清は・・・天才というよりも愛すべき作家だと思う。 | ||||
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直木賞受賞作。 はじめて重松清さんの本を読みましたが、同年代ということもあってか、時代背景や家族の年代等、共通するものが多くあり、とても読みやすくおもしろかったです。 父親としての立場や目線から、家族を見つめ、家族を思い、さまざまな場面でどのように対処していくかが描かれています。 『せっちゃん』では、子供の抱える悩みについて、親がしてやれることって何もないと思うと切なくなりました。 『母帰る』で「家庭っていうのは、みんながそこから出て行きたい場所なんだよ。みんなが帰りたい場所なんじゃない。逆だよ。どこの家でも、家族のみんな、大なり小なりそこから出ていきたがってるんだ。」という言葉には、そうかなぁ?違うんじゃなぁい?という思いと、正直なところ、そうなんだよね。という思いがあって、ちょっと複雑でした。 『なぎさホテルにて』の、「久美子を見ていると、むしょうにいらだつ。ささいなことが、いちいち気に障る。・・・同じ部屋に彼女がいるという、それだけで、なにかぞっとするような嫌悪感が胸にこみ上げるようになっていた。」という件は、まさしくこれだ!!とびっくりしてしまいました。 | ||||
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直木賞受賞作。 はじめて重松清さんの本を読みましたが、同年代ということもあってか、時代背景や家族の年代等、共通するものが多くあり、とても読みやすくおもしろかったです。 父親としての立場や目線から、家族を見つめ、家族を思い、さまざまな場面でどのように対処していくかが描かれています。 『せっちゃん』では、子供の抱える悩みについて、親がしてやれることって何もないと思うと切なくなりました。 『母帰る』で「家庭っていうのは、みんながそこから出て行きたい場所なんだよ。みんなが帰りたい場所なんじゃない。逆だよ。どこの家でも、家族のみんな、大なり小なりそこから出ていきたがってるんだ。」という言葉には、そうかなぁ?違うんじゃなぁい?という思いと、正直なところ、そうなんだよね。という思いがあって、ちょっと複雑でした。 『なぎさホテルにて』の、「久美子を見ていると、むしょうにいらだつ。ささいなことが、いちいち気に障る。・・・同じ部屋に彼女がいるという、それだけで、なにかぞっとするような嫌悪感が胸にこみ上げるようになっていた。」という件は、まさしくこれだ!!とびっくりしてしまいました。 | ||||
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直木賞受賞作。 はじめて重松清さんの本を読みましたが、同年代ということもあってか、時代背景や家族の年代等、共通するものが多くあり、とても読みやすくおもしろかったです。 父親としての立場や目線から、家族を見つめ、家族を思い、さまざまな場面でどのように対処していくかが描かれています。 『せっちゃん』では、子供の抱える悩みについて、親がしてやれることって何もないと思うと切なくなりました。 『母帰る』で「家庭っていうのは、みんながそこから出て行きたい場所なんだよ。みんなが帰りたい場所なんじゃない。逆だよ。どこの家でも、家族のみんな、大なり小なりそこから出ていきたがってるんだ。」という言葉には、そうかなぁ?違うんじゃなぁい?という思いと、正直なところ、そうなんだよね。という思いがあって、ちょっと複雑でした。 『なぎさホテルにて』の、「久美子を見ていると、むしょうにいらだつ。ささいなことが、いちいち気に障る。・・・同じ部屋に彼女がいるという、それだけで、なにかぞっとするような嫌悪感が胸にこみ上げるようになっていた。」という件は、まさしくこれだ!!とびっくりしてしまいました。 おっちゃんが同じこと言ってました・・・ | ||||
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『家族』をテーマにした短編集です。 幸せな家族の暗い部分、暗い家族のちょっと幸せな瞬間などが書かれてます。 個人的に「セッちゃん」は重松作品で1番好きです。 | ||||
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直木賞受賞作。短編集。ビタミンFの「F」はFamily、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune…のことらしくビタミンFという話はない。 重松清を読むのは「ナイフ」以来で二作目になる。あいかわらず普通の家庭を書くのが上手い。どこにでもいる人達が、「いじめ」や「親父狩り」などの事件に遭遇する。これを中途半端に社会の問題にしてしまわず、どこまでも家族の問題として扱う作者の姿勢が僕は好きだ。 いくらがんばってもいじめがなくなるはずもない。中年になって年老いたものが若返れるわけもない。子供は親の理想には育たない。親も完璧な親ではない。だからこの短編集では胸のすくようなハッピーエンドはない。それでも読後感が爽やかなのは、登場人物がしっかりと自分と向き合って懸命に生きているからだ。 | ||||
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どこにでもありそうなのに、どこにもないたった一つだけの話が詰まった短編集です。特に、「ゲンコツ」と「セッちゃん」がよかった。「ゲンコツ」の仮面ライダーやウルトラマンの話の挿話には、懐かしい思いがしたし、「セッちゃん」の「身代わり雛」の話は胸に痛かったです。厚めの本ですが、あっと言う間に読んじゃいました。作者と作品とをあんまり結びつけるのはよくないかもしれませんが、本当に重松さんって人柄のよい方なんだろうなあと思いました。 | ||||
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話自体は、そう明るくないのになんでか元気になる話ばかりでした。それが題名のビタミンFたる所以なのかもしれません。最近の小説は、日常を舞台にしているものでも、登場人物の発言や行動の存在を想像できないものが多いように感じていて、それはそれで面白いのだけれども、どこかにシコリが残るようなそんな印象は否めませんでした。 しかし本書に登場する家族は、どこにでもいそうな、そしてどこにでもありそうな問題を抱えています。その問題をかっこつけることなく描き、かっこつけようとしている人間の素直な部分を表現しているところは読んでいてとても共感できました。 重松氏のほかの作品も読んでみたくなる優れた短編集でした。 | ||||
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