「探偵クラブ」傑作選―幻の探偵雑誌8
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大正末期から昭和初期は、探偵小説の第一次黄金時代だった。
「猟奇」は、昭和3(1928)年、関西の作家仲間で創刊された。
大正12(1923)年に創刊された「秘密探偵雑誌」の後身が、「探偵文芸」である。
「探偵趣味」は、大正14(1925)年に、「探偵趣味の会」の機関誌として創刊された。
戦後相次ぎ創刊された推理小説専門誌を総覧するシリーズ(全十巻)。
1920(大正9)年、「新青年」は創刊された。その後、1950(昭和25)年に廃刊されるまで、400号を重ねた。
「シュピオ」の前身雑誌である「探偵文学」は、昭和10(1935)年に、同人誌として創刊され、実験的な試みを重ねながら、次第に誌面を充実させていった。
1950(昭和25)年、「探偵倶楽部」は創刊された。当初は、インテリの娯楽雑誌を目指していた。
1946(昭和21)年3月、「宝石」は創刊された。
1948(昭和23)年、「別冊宝石」は、戦後日本のミステリー界の中心「宝石」の兄弟誌として刊行された。
「探偵」は、創刊号(昭和6年)こそ、甲賀三郎、横溝正史、浜尾四郎といった豪華メンバーだったが、しだいに犯罪実話が増えていく。
1950(昭和5)年5月、出版不況のなか「探偵実話」は創刊された。
1922年に創刊された「新趣味」は、毎号探偵小説のみで誌面構成された初めての雑誌だった。
「エロティック・ミステリー」が独立した雑誌として創刊されたのは1960(昭和35)年。
1947(昭和22)年、推理雑誌「X」は最初「Gメン」という誌名で創刊された。
1950年代前半のミステリー界は同人誌の活動が盛んだった。
1947(昭和22)年、「海外作品の紹介と日本の探偵小説の向上を目指し」て、「黒猫」は創刊された。
この雑誌の歴史は即ち日本探偵小説の歴史である―江戸川乱歩がこう言い切ったのは、一九二〇年創刊の「新青年」だ。
明智小五郎、金田一耕助、神津恭介の三大名探偵が華々しく活躍した時代から今日まで、日本のミステリーは名探偵の歴史でもあった。
1947(昭和22)年7月、混沌とした雰囲気をとりわけ漂わせた「妖奇」は創刊された。
貧しいアプレ大学生桐原進は、友人の古川昌人と起業を計画するが、資金難から古川の持ちかけた宝石強盗に、正統性を見出し行動に移す。
古今東西、書物にまつわる小説は枚挙に遑がないが、近年は、古書を題材にした作品が注目されている。
江戸川乱歩の名作「D坂の殺人事件」は古本屋の女房殺しを描いたものである。
戦後まもなく創刊され、乱歩の「幻影城」、横溝の「本陣殺人事件」を連載、さらに島田一男、山田風太郎、高木彬光、鮎川哲也などきら星のごとき作家たちを世に送り出し、現代ミステリーの礎となった名雑誌「宝石」。
ある夜、自宅近くのたばこ屋でウィリングが見かけた男は、「私はベイジル・ウィリング博士だ」と名乗ると、タクシーで走り去った。
テーマは「名探偵」。新本格ミステリブームを牽引したレジェンド作家による書き下ろしミステリ競演。
名探偵・金田一耕助の初登場作となる『本陣殺人事件』は、終戦からおよそ半年後、「宝石」創刊号に掲載された。
昭和十三年、軍靴の響きが高まり、文化や娯楽が規制され、探偵小説界には戦争が暗い影を落としていた。
グラハム・ベルが電話機を発明してから一四〇年の歳月が流れたが、とりわけ、この十数年の進歩は、黒電話からスマホへと、目まぐるしいばかり。
西インド諸島を発つ日、わたしは存在しない庭師から手紙の代筆を頼まれた。
密室状態での恋人の死に始まり、その調査を依頼した素人探偵まで、衆人環視のもとで殺された蓑浦は、彼に不思議な友情を捧げる親友諸戸とともに、事件の真相を追って南紀の孤島へ向かうことになった。